シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
今日はお休み。学校に行かなくていい日だけれども、いつも通りの時間に起きた、ぼく。
朝御飯にミルクと焼きたてのトースト、ハーレイのお母さんのマーマレードをたっぷりつけて。
ハーレイが来てくれる日だって分かっているから、とってもワクワクしてるんだ。
何を話そうか、今日はどんな話が聞けるんだろう、って。
(…ハーレイ、何を聞かせてくれるかな?)
普段の生活の話でもいいし、思い出話もぼくは大好き。柔道に水泳と活発な子供時代を過ごしたハーレイの思い出は、生まれつき身体の弱いぼくにとっては冒険みたいだったりするから。
(早くハーレイ、来てくれないかな…)
欲を言うなら、お休みの日には朝御飯だってハーレイと一緒に食べたいんだけど…。
パパとママも「どうぞ」って何度も誘っているのに、遠慮してるって言うのかな?
「伺います」とは答えてくれないハーレイ。いつだって断ってしまうハーレイ。
だから夏休みに「一緒に夜明けを見てみたいよ」って強請った時に、朝日を見た後、朝露が光る庭の白いテーブルと椅子で食べたくらいで、ハーレイとの朝御飯は夢のまた夢。
まだまだ当分、実現してくれそうにない、ハーレイと食べる朝御飯。
食べ終えた後で部屋に帰って、掃除をして。ハーレイを待ちながら、ちょっぴり溜息。
(…朝御飯、昔は一緒に食べてたんだけどな…)
白いシャングリラで暮らしていた頃。本物の恋人同士だった前のハーレイと、前のぼく。
朝の食事はハーレイと一緒。毎朝、青の間でハーレイと一緒の朝御飯。
夜は一緒のベッドで眠って、朝の食事も二人一緒で。
あの頃がいいな、って思ったりする。朝御飯の時間はうんと幸せだったよね、って。
今みたいに青い地球の上にはいなくて、シャングリラの中が世界の全てだったけど。ハーレイのお母さんのマーマレードなんていう素敵な食べ物も無かったけれど。
(最初からハーレイと一緒だったよ、朝御飯…)
恋人同士じゃなかった頃から。出会ったばかりの、アルタミラを脱出した直後から。
ハーレイが「俺の一番古い友達だ」って仲間たちに紹介してくれた、ぼく。
アルタミラがメギドに滅ぼされた日に、同じシェルターに閉じ込められて出会っただけなのに。二人で幾つものシェルターを開けて仲間を逃がしたけれども、初めての出会いだったのに。
(ハーレイ、ぼくを大事にしてくれてたしね…)
ぼくの方がホントは年上なんだ、って知ったハーレイはビックリしたけど。
見た目どおりに心も身体も子供だったぼくを、気遣って、連れて歩いてくれて。食事はいつでもハーレイと一緒。脱出した日に最初に食べた食事の非常食から、ハーレイと一緒。
非常食と言っても、アルタミラで餌しか食べてなかった前のぼくたちには御馳走だった。包みを開ければ温まる料理と、ふんわり柔らかく膨らむパンと。
とても美味しくて、自由になったと皆が実感した、船で一番最初の食事。
暫くの間は、非常食の食事が続いたけれど。
開けるだけで食べられる非常食が尽きてしまうよりも前に、ハーレイが料理を作り始めてた。
きっと精神がタフだったんだろう、非常食が充分にあった頃から倉庫に入って調べてた。どんな食料が置いてあるのか、それを使って何が作れるかもデータベースを調べたりして。
だから順調に普通の食事が食べられるようになったんだけど。
みんなも今日はどんな料理かと、楽しみに待つようになっていたんだけれど…。
幸せな毎日の食事の裏側で、ハーレイを手伝って料理する人が増えていってた、その裏側で。
誰も知らない、恐ろしいことが始まってたんだ。
ぼくもその日まで全く知らずに、考えもしないで過ごしてたことが。
ある日、夕食の後で、ぼくの部屋を訪ねて来たハーレイ。
ハーレイは後片付けをしなくていいから、「ちょっといいか?」って声を掛けられて、部屋まで一緒に帰ったんだけど。お喋りしながら、二人並んで通路を歩いて。
だから普通に食後の時間を過ごすだけだと思っていたのに、ぼくの部屋で向かい合わせで座った途端に、ハーレイの眉間に微かな皺。あの頃は癖になっていなくて、無かった皺。
とても大きな溜息をついて、ハーレイはポロリと零したんだ。
「弱ったな…」
「どうしたの?」
ハーレイが弱音を吐くなんて珍しいから、キョトンと首を傾げたぼく。ハーレイは「ああ…」と曖昧な返事をしてから、思い切ったようにこう言った。
「どう考えても、あと一ヶ月だ」
「何が?」
「倉庫の中身だ。…そこまでしか食料が残っていない」
「えっ?」
まさか、とぼくは息を飲んだけど、ハーレイは「一ヶ月分なんだ」と繰り返した。
倉庫にはもうそれだけしか残っていないと、非常食を全部使っても、一ヶ月分しか無いのだと。
「此処まで持ったのが奇跡と言えば奇跡なんだが…」
この船は輸送船ってわけでもないのに、食料をたっぷり積み込んであった。
アルタミラから何処かへ出港予定だった船が、メギド騒ぎで放棄されちまったって所だろうな。
この船のヤツらは他の船に移って逃げてったんだ。逃げ足の速そうな他の船でな。
こいつは客船ってヤツじゃないがだ、大勢が乗れる船だってことは分かるだろ?
何処か遠い星まで寄港しないで飛んで行く予定だったんだろう。
だから食料を山ほど積み込んであった。しかし…。
足りないんだ、って頭を抱えるハーレイと一緒に食料品が積まれた倉庫に行ってみた。非常食の残りも詰め込まれた場所。
ぼくの目には沢山に映るけれども、ハーレイの説明を聞くとそうじゃない。一日に消える食材の量と、倉庫に置かれている箱と。
毎日どんどん減っていった末に、非常食を混ぜてみんなに出しても、残りは本当に一ヶ月分。
其処で全ての食料が尽きる。調理されて料理になる食材も、開けるだけで食べられる非常食も。
食料はあと一ヶ月で無くなるのだ、と倉庫で肩を竦めたハーレイ。それからぼくの部屋まで戻る間は無言で歩いて、ドアを閉めたら、ハーレイがドアに大きな背中を預けて。
「…俺たちも此処までっていうことかもな。皆には言えんが」
「此処まで?」
「後は餓死するしかないってこった」
それしか無いな、ってドアから離れて、ぼくを促して倉庫に行く前みたいに向かい合って座った二つの椅子。ぼくたちの間には小さなテーブル。お茶もお菓子も載っていないテーブル。
あの頃はまだ個人の部屋には、そういう物資は無かったから。
「さて、どうするかな…」
この先、いったいどうしたものか、とハーレイはテーブルを指先でトンと叩いた。
「節約しながら食い延ばしていくか、ドカンと豪華に最後の晩餐と洒落込むべきか…」
「最後の晩餐?」
「知らないか? そういう一種のたとえ話さ」
神様が人間の姿で地上に下りておられた時にな、弟子たちと最後に食べた食事だ、最後の晩餐というヤツは。
それに因んで、自分の人生最後の食事。最後になるなら何を食おうか、って話だな。何も記憶に残っちゃいないが、成人検査を受ける前の俺はそういう話をしてたんだろう。友達なんかと。
ブルー、お前は何を食べたい?
つまらない飯を最後に食べるか、うんと豪華に食ってみたいか。
「…終わるしかないの? 最後の晩餐になってしまうの?」
「どう考えてもそれしかあるまい。食料はもう一ヶ月分しか残ってないんだ」
食い尽くしたら其処で終わりになる。
飯も食料も天から降っては来ないからな…、って、死んだら行き先は天国なんだが。
「…ヒルマンたちには?」
「まだ言っていない。あいつらだったら上手くパニックを鎮めそうだし、いずれはな…」
いつかは言わなきゃならんことだが、まだ暫くは皆を普通に過ごさせてやりたいじゃないか。
せっかく船も落ち着いたんだ。片付けも済んで、居心地のいい船になったしな。
「…でも、ハーレイ…。あと一ヶ月だ、って一人で悩むの?」
「その覚悟だが…。誰かに聞いて欲しかったんだろうな、だからお前だ」
チビではあるがだ、船の中では最年長だ。すまんな、ブルー。俺の悩みに巻き込んじまって。
だが、俺だって人間だしな?
弱くなっちまう時もあるのさ、今日みたいにな。
ゆっくり眠れよ、ってハーレイは手を振って部屋を出て行ったけれど。
その夜、ぼくは眠れなかった。
あと一ヶ月で終わりが来る。食料が尽きて、終わりになる。
ハーレイはいつ、ヒルマンたちに話すんだろう?
そして、ぼくたちはどうなるんだろう…?
やっとの思いで逃げて来たのに、食べるものが無くなって死んじゃうだなんて。
暗い宇宙で飢えて死ぬしか無いなんて。
地獄だったアルタミラでも餌はあったのに。飢え死にだけはしなかったのに…。
(そういう実験をされてた仲間はいたかもだけど…)
ミュウは食べなくても平気かどうか。
そんな実験なら、ぼくも受けてた。餌も飲み水も全く与えられずに、何日間も放っておかれた。檻に鏡は無かったけれども、日に日に細くなっていく腕。やせ衰えて力が抜けてゆく足。
ぼくは貴重なタイプ・ブルーだから、死んでしまう前に終わった実験。中断された悪魔の実験。
だけど…。
(あれで死んじゃった仲間もいたかもしれない)
代わりは幾らでもいた、タイプ・グリーンやイエローといった仲間たち。
彼らを相手に条件を変えては、死んでしまうまで実験を続けていたかもしれない。研究者たちはミュウを人だと思っていなかったから。実験動物だと思っていたから。
(…ホントにそういう仲間がいたかも…)
餌も水も貰えず、やせ衰えて息絶えてしまったかもしれない仲間たち。
飢え死にだなんて、そうやって皆が、船の仲間たちが死んでゆくなんて。
ハーレイまでそうなって死んじゃうだなんて…。
(ハーレイ…)
なんとなく、だけど。
ハーレイはぼくに最後の食事をくれそうな気がした。
節約した果ての質素なものでも、うんと豪華な最後の晩餐とやらだったとしても。どんな中身の食事であっても、「お前が食べろ」って。「俺の分はお前にやるから」って。
ブラウたちだって、きっと分けてくれる。一部か、下手をすればハーレイみたいに全部を。
「チビは食べな」って、「あたしたちはこれ以上、育たないからね」って。
そうして食事を分けて貰ったら、ぼくは最後に残るんだろうか。
みんなが死んでしまった後の船で生きて、最後に飢え死にするんだろうか…。
(そんなの嫌だ…)
ぼくが死ぬのはみんなと同じ道を辿るだけだからかまわないけど、ぼくのためにみんなが食事を譲って死んじゃうなんて。
自分の食事をぼくに食べさせて、ぼくよりも先に死んじゃうだなんて。
(絶対に嫌だ…!)
だけど、食料は一ヶ月分だけ。本当に残り一ヶ月分だけ。
どうしても終わりがやって来る。最後の時が、飢え死にする時がやって来る。
(…せっかく自由になれたのに…)
船を手に入れて、自由になって。個室を貰って、船の中を綺麗に片付けて。
これからだ、って時にプツリと終わる人生。終わるしかない、ぼくたちの命。
食べ物はもう無いんだから。あと一ヶ月で無くなってしまって、何も食べられないんだから。
(これで終わりなんて…)
全てが終わってしまうだなんて。
ハーレイやゼルたちと笑い合う時間も、みんなで囲んだ食卓も、全部。
考えただけで恐ろしくなる、ぼくたちに残された生きられる時間。あと一ヶ月。たった一ヶ月。
きっとハーレイはこんな思いをもっと前からしていたんだろう。
食材の残りをチェックする度に、何が作れるかと倉庫の中身を調べに出掛けてゆく度に。
耳に残ってる、ハーレイの言葉。ぼくに言ってた、現実を思い知らされる言葉。
「食料は天から降って来ないしな?」
その通りで天から降っては来ない。それは分かってる。
どんなに欲しいと祈り続けたって、決して降っては来ない食料。もしも天から降って来るなら、とうの昔に倉庫に届いているだろう。これで生きろと、これを食べて皆で生き延びてくれと。
けれど食料は倉庫に届いてはくれず、減ってゆくだけ。食べた分だけ、減ってゆくだけ。
そして終わりがやって来る。
最後の食事を皆で食べ終えて、飢え死にを待つだけの終わりの時が。
ハーレイが、ブラウたちが「食べろ」とぼくに食事を譲りそうな日が…。
(でも…)
ぼくたちのために残された食料は、たった一ヶ月分しか無いんだけれど。
食料は天から降って来なくて、減る一方しか無いんだけれど。一ヶ月で尽きてしまうんだけど。
(飢えて死ぬのは、ぼくたちだけ…)
この宇宙では大勢の人類が食事をしていて、今この瞬間にだって余った食事をドッサリと捨てているかもしれない。まだ充分に食べられる料理を、余ったからと惜しげもなく。
(…余った食事でいいんだよ…)
それがあったら、宇宙のあちこちで余って捨てられる食事があったとしたら…。
ぼくたちは死なずに生き延びられる。飢え死にしないで、ちゃんと命を繋いでゆける。この船のみんなが生き延びるためには、ほんの小さな町で廃棄物にされる余った食事で充分なのに。
星一つ分なんて欲しいと言わない。星の上の都市の区画の中の、そのまた小さな一区画。其処で余って捨てられる食事を貰うことが出来れば、皆が生き延びられるのに。
(本当に残り物でいいのに…)
死なずに済むなら、飢えて死なずに済むと言うなら、残り物だって貰いに出掛ける。
だけど、貰いに行く方法が…。
何処かの星まで残った食事を貰いに出掛ける方法が無い。
だって、ぼくたちはミュウだから。ミュウを乗せた船が降りられる星は何処にも無い。
降りられないなら、残り物だって貰えやしない。貰いに行けやしない…。
宇宙には余った食事があるのに、飢えて死ぬしかないぼくたち。
残り物さえ貰いに行けずに、一ヶ月後には最後の食事を済ませるしかない運命のぼくたち。
天から食料は降って来なくて、残り物さえ貰えないままで。
食べ物が溢れている筈の宇宙で、ぼくたちだけがやせ衰えて死んでゆくなんて…。
(…待って)
余った食事がある筈の宇宙。この船を取り巻く宇宙空間。漆黒の闇に浮かんだ瞬かない星。
(…宇宙空間って…)
アルタミラで受けた人体実験。強化ガラスの檻で受けさせられた実験。
檻の向こうは真空の宇宙だと放り込まれた。放射線が飛び交う、絶対零度の死の空間だと。抵抗なんかは出来る筈も無く、これで死ぬんだと思ったのに。
ぼくは生きてた。死なずに生きてた。
どうやったのかは分からないけれど、恐れおののく研究者たちを中から見てた。
だから、ぼくなら外へ出られる。この船の外へ。
(…御飯、貰いに行けるんだろうか?)
宇宙の何処かで余った食事を、みんなのために。船の仲間に食べて貰うために。
下さいと言ってもミュウに分けてはくれないけれども、食事の残りを捨てていそうな所に行って貰って来られたら。捨てたものなら、無くなっていても人類だって気にしない。
(何処かの星へ…)
人類が住んでいる星へ、と思ったけれども、危険すぎる。
ぼく一人だけが降りるのだとしても、船ごと星に近付いて行けば見付かってしまう。
(…御飯…)
他に食事をしていそうな場所。御飯が余っていそうな場所。
星みたいに警備が厳重じゃなくて、でも人類が食事をしていて…。
(そうだ、船…!)
ぼくたちが乗ってる船みたいなのが、沢山宇宙を飛んでいる。人類を、彼らの食料を乗せて。
それに近付けたら、きっと食事が、残り物じゃなくて本物の食料が手に入るだろう。
(…ぼくなら行ける)
船さえ見付かれば、宇宙を駆けて。多分、宇宙空間を飛んでゆくことが出来る筈。
宇宙どころか船の中でだって、飛んだ経験は無いんだけれど。アルタミラでも飛べるかどうかの実験なんかは無かったけれども、飛べると思った。ぼくは飛べる、と。
食料がまだ一ヶ月分も残っている今の間なら、ぼくの体力は充分に持つ。
(…どうやって奪う?)
船を壊してしまおうか?
全体じゃなくて、食料を積んでいる部分。其処を見付けて外壁を壊せば、中身は外へ流れ出す。真空の宇宙へ吸い出されるから、それを奪って逃げればいい。
(外壁が壊れたら、原因が何かを調べるよりも先に修理の筈だよ)
まさか人間が宇宙を飛んで来るとは思わないだろうし、攻撃どころじゃないだろう。船の修理を急いでいる間に、食料を持って逃げるんだ。
そうすればこの船のみんなが助かる。誰も飢え死にしないで済む。
決めた、とぼくは決意を固めた。
駄目で元々、死ぬよりはマシ。飢えて死ぬよりはずっとマシだから、やってみようと。
次の日の夜、ぼくは夕食の後でハーレイの部屋まで一緒に行って。
「どうした?」って椅子を勧めてくれたハーレイに向かって頼み込んだ。
「ハーレイ、お願い。船を探して」
「船?」
「うん、人類の船。何でもいいから」
船が見付かったら、ぼくが食料を奪ってくるから。船なら積んでいるでしょ、食料。
「お前がか!?」
「大丈夫、ぼくなら宇宙でも平気。それに飛べるよ」
遠い所へでも飛んで行けるよ、ハーレイたちは船で待ってて。
「…しかし…」
「飢え死にするより絶対マシだよ。ヒルマンたちに言ってよ、船を探して、って」
お願い、と懸命に訴えたぼく。
今まではレーダーに機影が映る度に逃げていたけれど。見付からないようにと隠れたけれども、次に来た船。どんな船でも食料は必ず積んでいるから、それを探して、とぼくは頼んだ。
船を見付けたら距離を保って逃げていてくれと、ぼくは必ず帰ってくるから、と。
「ブルー、本気か?」
お前、本気で言っているのか、そんな無茶なこと。食料を奪って来ようだなんて。
「うん。だって、ハーレイ…。ぼくに食事をくれそうだから」
「食事?」
怪訝そうなハーレイに、ぼくは「最後の晩餐…」と昨夜習ったばかりの言葉を返した。
「ハーレイはぼくに、最後の食事をくれそうな気がするんだよ」
「なんで分かった?」
俺は一言も言っちゃいないのに、お前、心を読んだのか?
「ほらね。心なんか勝手に読みはしないけど、ホントにそういう気がしたんだよ」
最後の食事を貰っちゃったら、ハーレイが先にいなくなっちゃう。ぼくに食事を譲った分だけ、先に。なのにハーレイの分を貰っちゃったぼくは、みんなよりも長く生きるんだ。
余計に沢山食べた分だけ、みんなが飢え死にしちゃった後も。この船の中に独りぼっちで。
ぼくは独りで残るのは嫌だ。だから行ってくる。食料を奪いに飛んで行ってくる。
ハーレイが止めたら、それはぼくに独りきりで生き残って泣いてろって言うのと同じなんだよ。
ぼくをそんな目に遭わせたくないなら、ヒルマンたちに言って。
船を探してって、次に人類の船を見付けたら、逃げないでぼくに知らせてって。
根負けしたのか、賭けてみる気になったのか。
ハーレイはヒルマンや、ブリッジに出入りしているブラウたちに相談してくれた。食料の残りが尽きそうなことと、ぼくが奪いに出掛けることを。
そうして許可は得られたけれども、食料は少しずつ減ってゆくから。
食べた分だけ、使った分だけ減ってゆくから、ぼくは毎日、気が気じゃなかった。倉庫を覗いて残りを数えて、ハーレイに訊いて。まだ大丈夫かと、毎晩、訊いて。
このまま船が一隻も来なかったら…、と心配になってきた頃にレーダーが捉えた人類の船。
ブリッジに居たゼルとブラウから「見付けた」と思念が飛んで来た船。
部屋に居たぼくは「行かなきゃ」と通路に飛び出したんだ。
船は多分、客船か輸送船。人類軍の船では無さそうだから、と飛んでいる位置も教えてくれた。
急いで見付けて、とにかく食料。何でもいいから、食べる物を奪って来なくっちゃ…!
ハッチに向かって走るつもりが、気が付いたら宇宙に浮かんでた。
駆けてゆく筈の通路もハッチも飛ばしてしまって、船の外の宇宙にぽっかりと。
(えっ?)
それがぼくの初めての瞬間移動。自分でも全く知らなかった力。
ぼくたちが乗っている船の姿を初めて宇宙で外側から見た。アルタミラから脱出する時は大きく頼もしい船に見えたけれども、やっぱり大きい。
みんなの命を乗せている船。ハーレイにゼルに、他にも沢山、守りたい仲間が乗っている船。
(待ってて、みんな…!)
この船のみんなが死んでしまうなんて、飢え死にだなんて、とんでもないから。
外側からこうして船を眺めたら、一層強く思ったから。
ぼくは真っ直ぐに目標へと飛んだ。ゼルたちに教えられた方向、人類の船がいる方向へ。
(あれだ…!)
最初は光の点だった船。見る間に近付いて、ぼくたちの船と変わらないほどの大きさになった。窓が多いから、きっと客船。食料は充分に積んでいる筈。
(…倉庫…)
船の構造には詳しくないけど、窓の無い部分の何処かだろう、と見当を付けて透視してみて。
見付けた倉庫と、食料が詰まった大きなコンテナ。あれが欲しい、と思ったコンテナ。
途端に、それは魔法みたいにぼくの目の前に浮かんでた。
ぼくが狙ったコンテナの一つ。欲しいと願った、コンテナの一つ。
(これだけあれば…!)
暫くは飢えずに凌げると思う。でも、念のためにもう一個。
次の機会がいつになるかが分からないから、もう一個くらい貰っておいてもかまわない。人類の船は食料が消えたと大騒ぎになってしまうだろうけど、補給すれば済む問題だから。何処かの星で補給するとか、通信を飛ばして輸送船から分けて貰うとか。
(ぼくたちと違って、飢え死にしたりはしないんだものね)
貰っておくよ、と奪った大きなコンテナが二つ。中にぎっしり食料の山。
後は力なんかは要らなかった。
みんなの所へ持って帰るんだ、って強く思うだけで軽々運べた。二つのコンテナはぼくの後から勝手について来て、ぼくとおんなじ速さで飛んだ。
そうして真っ暗な宇宙を駆けて行った先に見えた、まだシャングリラじゃなかった船。名前すら付けていなかった船。だけど、みんなが乗っている船。みんなの命を乗せている船。
(間に合ったよ!)
コンテナに二つ分もの食料。これで飢えない。終わりは来ない。
ぼくはコンテナごと、格納庫の中へと飛び込んだ。飛び出した時と全く同じに、ハッチも通路も通ることなく。
船に戻った、と思念を飛ばしたら格納庫に駆けて来たハーレイ。
ぼくもコンテナもレーダーに映りはしなかったから、ブリッジから肉眼で見付けたゼルたちも。
「ハーレイ、盗ったよ!」
コンテナに二つ、人類の船に載ってた食料。
中身は沢山の野菜と肉とかなんだよ、他にも色々!
それでね…、と戦利品を説明しようと得意だったぼくを抱き締めて、泣いたハーレイ。
無事で良かったと、帰って来てくれて良かったと。
「本当に心配したんだぞ、ブルー…!」
お前、レーダーに映らないから。何処へ行ったのかも分からないから。
帰ってくる時も全く手掛かりが無くて、ちゃんと俺たちの船を追って来られるのか心配で…。
お前だけが先に死んじまったらどうしようかと、本当に気が気じゃなかったんだ…!
それから後は奪ってばかりの日々だったけれど。
最初の一度でコツを掴んでしまっていたから、もう幾らでも奪えたんだけど…。
(たまに失敗しちゃうんだよね)
とにかくコンテナ、って奪ってくるから、やたらジャガイモだらけとか。キャベツばかりが多い時とか、偏ることが何度もあった。
ハーレイが苦労して料理をしていたジャガイモ地獄や、キャベツ地獄や。
ゆっくり中身を品定め出来たら、あの手の失敗は無かったと思う。
だけど、ハーレイが心配するから。早く戻らないと心配するから、奪う速さが最優先。品定めをしている時間があったら、一秒でも早く船に帰ること。
(…半分はハーレイのせいだったかもね、ジャガイモ地獄)
キャベツ地獄も…、と考えていたら。
「おい、ブルー?」
「あっ、ハーレイ!」
いきなり聞こえた、ハーレイの声。ママの案内でぼくの部屋に来た、今のハーレイ。
おはよう、とぼくは身体ごと振り向いて笑顔で応えた。
ハーレイのことを考えていたよと、最初に食料を奪った時のことなんだよ、と。
ママが「あらあら…」って笑ってる。「楽しそうね」って、「ブルーの思い出話なのね」って。
お茶とお菓子をテーブルに置いてってくれたママ。
飢え死にしそうだった危機の話だとは思ってないよね、そういう思い出なんだけど…。
今のぼくには想像もつかない、恐ろしかった思い出話だけれど。
でも、思い出になってしまったから。
前のぼくの記憶の一つに過ぎない思い出だから、今、話すのならお茶とお菓子が似合うんだ。
ハーレイと二人、向かい合わせで紅茶のカップを傾けながら。
「あれなあ…。俺は本当に生きた心地もしなかったんだ」
やれやれ、って頭を振ってるハーレイ。
ぼくが船から飛び出してった後、戻って来るまで怖くて怖くてたまらなかったと。
二度と戻って来ないんじゃないかと、ぼくがあのまま戻らなかったらどうしようかと。
「大丈夫だって言っといたのに」
ぼくなら宇宙空間でも平気なんだ、って何度も説明しておいたのに…。
「お前に教えるべきじゃなかったと真剣に後悔したんだぞ。食料の残りがもう無いって」
あんな無茶をやらかすと分かっていたなら、俺は決して教えなかったな。
「だけど、そのお蔭で生き延びられたよ、前のぼくたち」
最後の食事だか、晩餐だか。
それをハーレイから貰った後だと手遅れなんだし、食料が減って弱ってからでも駄目だった。
あのタイミングで聞いていたから間に合ったんだよ、船を探すのも、奪いに行くのも。
「そうだな、実際、そうなんだが…」
もう食料が尽きちまうんだ、って皆に言うしかない時だったら、既に手遅れだったんだろうが。
俺だってそうだと分かっちゃいるが、だ。
それでも未だに後悔してるな、チビだったお前に俺の悩みをぶつけちまったこと。
すまん、とハーレイが謝るから。もう時効だよ、と笑った、ぼく。
とっくの昔に時効なんだと、前のぼくの時から時効だったと。
「そうでしょ、ハーレイ? ぼくは嫌だと言った筈だよ、独りぼっちで船に残るの」
ハーレイの最後の食事を分けて貰って、一番最後に飢え死にするなんて絶対嫌だ、って。
「それはそうだが…。前のお前も自分が決めたと何度も言ってはいたんだが…」
お前にウッカリ言っちまったのは前の俺だし、チビのお前には重すぎだよな。
食料の残りがもう無いだなんて、あと一ヶ月で無くなるだなんて。
お蔭でみんなの命が助かったにしても、チビだったお前に無理をさせたのは俺なんだ。
前はお前に散々、世話になっちまったから。
食い物のせいで悩ませた上に、その後も長いこと、お前が奪った食料で生きていたんだから。
その分、今度は嫌というほど食わせてやるさ。
俺が作る料理も、二人で何処かへ食べに出掛ける料理ってヤツも。
「うん、ハーレイ。御飯、沢山食べに行こうね」
結婚したら沢山食べに行こうね、そして家でも食べ切れないほど。
ぼくは沢山食べられないけど、それでも沢山。
ハーレイと二人で、幸せな御飯。
だって今度は、間違ったって飢え死になんかしない、青い地球の上にいるんだから…。
残された食料・了
※アルタミラから脱出したブルーたちが直面した危機。あと1ヶ月で尽きる食料。
最後の食事を譲ってくれそうなハーレイたちを救ったのが、前のブルーの略奪の始まり。
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