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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

タコと白い鯨

(こいつも有り得ない食べ物なんだな…)
 改めて思えば、とハーレイはブルーの家へと向かう途中で苦笑した。
 食料品店の表に出ている特設屋台。食欲をそそる匂いが漂う、大して珍しくもない食べ物。今のハーレイにとっては幼い頃から馴染んだものだが、前の自分には想像もつかないものだから。
(土産に買って行ってやるとするか)
 屋台の前に立ち、十個入りを一つ注文すれば、パックに収まって並べられていた商品ではなく、出来立てをその場で詰めてくれた。客の少ない時間帯ならではのサービスだろう。
(熱々だな)
 出来立てならば、ブルーの家でも温め直さずに食べられる。今の季節なら充分に。



 袋を提げて颯爽と歩き、辿り着いた生垣を巡らせた家。門扉の横のチャイムを鳴らして見上げた二階の窓から、ブルーが大きく手を振っていた。
 門扉を開けに来たブルーの母に「今日はこれを買って来ましたから」と袋を見せると、「お茶はほうじ茶がよろしいかしら?」と問い掛けられて。
「そうですね…。紅茶は多分、合わないでしょうね」
「合いませんわよね?」
 熱いほうじ茶をお持ちしますわ、と応えたブルーの母は、ハーレイを二階に案内した後、ほうじ茶だけを運んで来た。お菓子は無しで、ハーレイの土産を取り分けるための皿だけをつけて。



 いつもとは違うティータイム。ブルーが「ほうじ茶?」と首を傾げるから。
「緑茶ってほどに気取った食い物でもないからな」
 こいつの匂いで分からないか?
 パックに詰まってこうして袋に入っていてもだ、匂いがしてると思うんだがな?
「えーっと…。これって、ソースの匂い?」
 美味しそう…。ハーレイ、何を持って来てくれたの?
「見れば一発で分かるヤツだ。ほら」
 袋から取り出した透明なパック。其処に詰まった、丸い形をした食べ物たちはまだ熱い。
「タコ焼きだったの?」
 どうしてタコ焼きがお土産なの?
 パックには何も書いてないけど、何処か有名なお店のタコ焼き?
「そこまでは知らん。通り掛かったら焼いていただけで、美味そうな匂いがしていたからな」
「ふうん…?」
「まあ、食ってみろ。焼き立てを詰めてくれたからなあ、まだ充分に熱い筈だぞ」
 ほら、とブルーの取り皿に一つ入れてやった。爪楊枝が刺さっていた分を、一個。
 爪楊枝付きのは二個あったから、もう一個を自分の皿へと載せる。ブルーの母が用意してくれたフォークの出番は無さそうだ。
 ブルーは促されるままに口へと運んで、「美味しい!」と顔を輝かせた。
「そりゃ良かった。どれ、俺も一つ食ってみるかな」
 齧ってみれば、出来立てだからか皮の表面がパリッとしていた。なのに中身はこれぞタコ焼きといった風情で、トロリとした食感と、存在を主張するタコと。
 大当たりだった、と嬉しくなったが、買って来た理由はタコ焼き談義をするためではない。
 ブルーに「美味いなら、残りは全部食ってもいいぞ」と微笑みながら、一つ質問を投げ掛けた。



「お前、タコは好きか?」
 生き物としてのタコじゃなくって、食べる方。
 タコ焼きは中に小さく一切れだけだが、刺身とか煮物とか、タコの食い方は色々あるだろ?
「好き嫌いが無いの、知ってるでしょ?」
 何でも食べるよ、タコのお料理。タコ焼きだって、もちろん大好き。
 タコは嫌いって友達なんかでもタコ焼きだけは好きだって言うよ、嫌いな人っているのかな?
「そういや、俺もタコ焼きが嫌いだってヤツにお目にかかったことは無いなあ…」
 タコが嫌いな友達はいたが、タコ焼き屋で「タコを入れずに焼いてくれ」とは言わなかったか。
 しかしだ、前のお前の話。
 今のお前はタコを美味しく食べるようだが、前のお前はタコを食ったりしない筈だぞ。
「シャングリラにタコは無かったってば!」
 タコなんか養殖していなかったし、食べるも何も…。無い食べ物は食べられないよ。
「確かにタコはいなかったんだが、その前に、タコを食いたかったか?」
 もしもシャングリラでタコを飼えたなら、お前、養殖して食べたかったか?
「シャングリラで、タコ…?」
 そんなの、考えたことも無かったけれど…。タコが飼えたら、食べたかったかな…?
 タコのお料理、あの頃、どんなのがあったんだっけ…?



 ブルーは懸命に遠い記憶を探ったけれども、まるで引っ掛からないタコ料理。
 目の前にあるタコ焼きは存在しなかったろうが、マリネやフライは前の自分が生きていた頃にもポピュラーだった調理法。シャングリラでも養殖していた魚のマリネやフライがあった。
(…だけど、タコって…)
 青い水の星、地球の海にとても焦がれていたから、海の幸にも憧れた。其処に居るだろう沢山の魚や貝といったものを食べてみたかった。トゲだらけのウニも。
 けれども、タコの記憶が無い。タコを食べたいと思った記憶が何処にも無い。
(忘れちゃった…?)
 あんなに印象的な姿をしているタコを忘れただなんて。
 食べたいと願った気持ちごと忘れてしまったなんて、とブルーは愕然としたのだけれど。



「どうだ、あったか、タコの料理?」
 前のお前が食いたいと思ったタコの料理は、何処にも一つも無いんじゃないか?
 いくら探しても出て来ないだろう、とハーレイの瞳に悪戯っぽい光が浮かんでいるから。
「…タコのお料理、思い出せなくっても不思議じゃないの?」
 ぼくが忘れてしまったんじゃなくて、思い出せない理由でもあるの?
 どうしてなのか、ハーレイはそれを知っているわけ…?
「まあな。だからタコ焼きを買って来たんだ、前の俺たちには信じられない食い物だからな」
 お前がタコの料理を思い出せないのと同じで、俺だって何一つ記憶が無い。
 キャプテンになる前は厨房に立ってた俺の中にも、タコのレシピは一つも無いのさ。
 あの時代には何処にも無かった文化だ、タコを食うのは。
「ハーレイ、それって…。SD体制の基礎になった文化の地域じゃ食べないってこと?」
 其処ではタコを食べなかったの、だからタコのお料理、消えちゃったの?
「全く食わないってわけじゃなかったんだが…。多様性は消しておけってな」
 地球が滅びて、何処の星でもテラフォーミングで海を作るしかなくて。
 そんな時代だ、食べる魚の種類は少なめにしておいた方が管理する方も楽だろう?
 わざわざタコまで食う必要は無いってことだ。
「…SD体制の基礎に使ってた文化、タコは滅多に食べなかったの?」
「基本に選ばれた文化の地域の半分ではな」
 もう半分では普通に食べていたそうなんだが、そっちの文化は無かったことにしちまった。前のお前がタコの料理を思い付かなかったのはそのせいさ。



「タコ、食べなかった文化もあるんだ…」
 もったいないね、美味しいのに。
 同じ文化を持ってた地域の半分では食べていたんだったら、試しに食べれば良かったのに。
「その辺が面白い所なんだな、人間っていう生き物の」
 隣同士で文化も繋がった地域に住んでて、片方じゃタコを美味しく食ってた。
 ところが、もう片方の地域で暮らしてたヤツらは、タコを化け物だと思ってたんだぞ。
「嘘…!」
 どうしたらタコが化け物になるの?
 ハーレイ、それって本当の話?
「本当さ。其処ではタコはイカと並んで化け物なんだ。誰も化け物なんかを食おうと思わん」
 海の化け物でクラーケンというのがいてな。
 そいつが巨大なタコやイカだと考えられてて、でっかいタコが船を襲う絵があったりするんだ。
「タコが船を襲うの?」
「もちろん想像の産物だろうが、帆船に絡みついてる大きなタコの絵を本で見かけたな」
 実際、でっかいタコはともかく、巨大なイカなら今の地球の海にもいるんだが…。
「ダイオウイカでしょ、マッコウクジラと戦うんだよね?」
「戦うと言うより、逃げようと必死に頑張っていると言ってやった方が正しいな」
 マッコウクジラはダイオウイカの天敵なんだ。出会ったら最後、ほぼ食われちまう。
 だがな、ダイオウイカよりもっと大きいダイオウホウズキイカってヤツなら逃げることもある。
 吸盤の代わりに鉤爪を持っているからな。そいつで傷だらけにされたマッコウクジラが衰弱死という例もあったそうだし、一方的に負けっ放しと決まったわけでもなさそうだが…。
「へえ…!」
 マッコウクジラを倒しちゃうイカもいるんだね。逃げるだけじゃなくて、ちゃんと勝つんだ…。



 鯨はとても大きいのに、と感心していたブルーだったけれど。
「えっと…。それじゃあ…」
「なんだ?」
「人類の船にクラーケンっていうのは無かったの?」
「はあ?」
 唐突な問いにハーレイは何を訊かれたのか分からなかったが、ブルーは続けた。
「でなきゃダイオウ……ホウズキイカ?」
 そういう名前の付いている船。クラーケンとか、ダイオウホウズキイカだとか。鯨も倒しちゃう生き物なんでしょ、でなきゃ化け物…?
「鯨って…。そうか、シャングリラか、モビー・ディックか!」
「そう、それ!」
 ぼくはキースの心を読んだ時に初めて知ったんだけれど…。
 シャングリラをそう呼んでいたなら、鯨に勝てそうな名前の船を造ってくれば良かったのに。
 無かったの、ハーレイ、そういう名前が付いてた船は?
「クラーケンはともかく、ダイオウホウズキイカってか…。タコもアリだな、クラーケンなら」
 そんな名前の船が来てたら、俺はセンスを疑ってたぞ。人類のネーミングセンスってヤツを。
「駄目かな、とっても強そうじゃない?」
 ぼくたちにしてみれば、強い船が来たら困るけど…。
 負けちゃったらとっても困るんだけれど、モビー・ディックに勝つならクラーケンとかだよ?



 人類軍にモビー・ディックと呼ばれたシャングリラ。白い鯨だったシャングリラ。
 それに挑むなら、船の名前はクラーケンだのイカだのと付けるべきだ、と言い出したブルー。
 ハーレイ自身も面白いとは思ったのだが、人類軍の船の名を考えてみれば。
「…駄目だな、あいつらの船は基本がなあ…。タコやイカとはお馴染みでな」
「えっ?」
 どういう意味なの、タコやイカって名前の船があったっていう意味じゃないよね?
 それなら駄目にはならないものね。
「前のお前は殆ど知らなかったろうが、今のお前は知っているよな、あいつらの船の名」
 最後の戦いで旗艦だった船がゼウスで、他の船にしたってアルテミス級とか、そんな呼び方だ。ゼウスもアルテミスもギリシャ神話の神様だろう?
「そうだけど…。それって、タコとかイカと関係があるの?」
「ギリシャ神話が生まれた地域。あの辺りはSD体制よりもずっと昔に、タコとかイカを食ってた地域だ。もちろん文化が復活して来た今でも食ってる」
 俺たちの住んでる地域の文化とはちょっと違うな、って食い方は其処のが多いんじゃないか?
 シーフードマリネにはタコとイカとが欠かせないって聞くからな。
「それがマザー・システムが消していた文化?」
 タコもイカも普通に食べるんです、って文化。ぼくたちが住んでる地域みたいに。
「そういうことだな」
 美味いらしいぞ、海辺の食堂でタコの炭火焼きとか。
 いつかお前と行くのもいいなあ、この地域とは違う食い方をあれこれ試しに出掛けて行くのも。



「美味しそうだね、タコの炭火焼き。でも…」
 そんな風に普段から食べてた地域の文化だったら、タコもイカも化け物に出来ないね…。
 いつも美味しく食べているのに、化け物だなんて思わないよね。
「思わんだろうな、化け物ってヤツは気味が悪いと感じる気持ちが生み出すんだから」
 たまには巨大なタコやイカなんてものを考えたとしても、基本的には化け物じゃない。食べると美味い海の幸だな、タコもイカもな。
「ほらね。そういう地域の神話の名前を船に付けるから負けるんだよ」
 鯨に勝てるかもしれない化け物を美味しく食べちゃっていたら、勝てやしないよ。タコもイカも凄い化け物なんだ、って信じてた地域の名前を付けなきゃ。
 同じ神話の名前にしたって、タコとイカが化け物になっていた地域の神話のを。
 だけど本気でシャングリラに勝とうと思うんだったら、クラーケンかタコかイカなんだよ。
「おいおい、其処でそうなるのか?」
 ヤツらがタコだのイカだので来たら、それはシャングリラに勝てるのか?
「さあ…?」
 運が良ければ、少しくらいはマシだったかもね?
 ダイオウホウズキイカだったっけ、鉤爪で頑張って鯨を倒したイカもいたって言うんだから。



 人類軍も縁起を担げば良かったのに、とブルーが可笑しそうに笑う。
 白い鯨に、モビー・ディックに勝ちたいのならば、勝てそうな名前を付けるべきだ、と。
「だって、たった一隻の白い鯨が相手なのに勝てなかったんだよ?」
 名前だけでも強そうな船を造るべきだよ、でなきゃ改名して来るとか。
 それくらいはしててもいいと思うんだけどなあ、シャングリラに手を焼いていたんだったら。
「ふうむ…。それでクラーケンだのタコだのイカだのって船が来てたら大笑いだが」
 クラーケンならまだしも、タコとイカはなあ…。凄いのが来たな、と笑うしかないな。
「シャングリラ、勝てる?」
 そういう名前の船が来てても。タコだのイカだのがシャングリラを攻撃して来ても。
「意地でも勝つさ、前のお前の仇はキッチリ取らないとな」
「…ぼくの仇って…。ハーレイ、そういう発想で戦ってたわけ?」
 地球を目指そうとか、ジョミーを支えて地球に行こうとか、そういう考えじゃなかったの?
「それはもちろんだが、お前の仇。そいつは取りたいと思っていたなあ…」
 前のお前を失くしちまって、俺の生きる意味も無くなっちまった。
 お前がジョミーを頼むと言い残したから、俺はひたすら地球を目指すしかなかったんだが…。
 負けるわけにはいかない、ってな。負けたらお前が無駄死にじゃないか。
 お前を無駄死ににさせないためにも、仇は取るのが筋だろうが。



「じゃあ、前のぼくが寝ていた間だったら?」
 その間にクラーケンとかタコとかイカって名前の船が襲って来てたら?
「ヤツらがシャングリラをモビー・ディックと呼んでいることは知っていたが、だ」
 とにかく逃げろと考えていたし、戦いは必要最低限だな。退路を確保したなら逃げる。どういう名前の船であろうが一目散だ。
 クラーケンだろうが、タコだろうが。三十六計逃げるに如かず、だ。
 逃げ切った後で「よく逃げられた」とホッと一息つくってわけだな、それから相手の船の名前を思い返して心底震え上がるんだ。
 とんでもない船が来てたもんだと、あれはモビー・ディックを追い掛けるための船なんだと。
 人類軍も本気を出して来たなと、ミュウを倒すための船を造って来やがったな、と。
「そっか、その頃だと逃げるんだ…」
 でも、前のぼくが死んじゃった後。
 ナスカが燃えてしまった後だと、逃げずに戦う方なんだ?
 クラーケンでも、タコでもイカでも。シャングリラを倒すぞ、って名前が付いた船でも。
「当然だろうが。前のお前の仇を取るには地球に行かんと。地球に辿り着くことが敵討ちなんだ、何よりのな。前のお前は個人的な敵討ちなんかは全く望んじゃいなかったろうが?」
 もっとも、そいつは俺の推測に過ぎなかったんだが…。
 キースがお前に何をしたかを知らなかったから、そんな風に考えていただけなんだが…。
「それで合ってるよ、間違いじゃないよ」
 ぼくはキースを恨んじゃいないし、敵討ちだって要らなかった。それよりも地球へ。
 生き延びて地球まで行って欲しいと、人類と手を取り合って欲しいと思っていたけど…。



 だけど、とブルーは赤い瞳を悲しげに伏せた。
「そうやって地球まで行ってくれたのに。長い戦いの末に、やっと地球まで行けたのに…」
 地球は青くなくて、死んだ星のままで。…ごめんね、ハーレイ。
 前のぼくが「頼んだよ」ってお願いしたから、ハーレイ、頑張ってくれたのに…。
 がっかりしたでしょ、地球を見た時。青くない地球を見てしまった時…。
「いいさ、今では青い地球の上だ。ちゃんとお前までくっついて来たし」
 今はチビだが、いずれは育って前のお前とそっくり同じになるんだしな。
 そんなお前とタコ焼きが食える。もう最高の贅沢ってもんだ、これ以上は望みようがない。
「…それでいいの?」
 前のハーレイ、うんと辛い目に遭ったのに…。それだけでいいの?
「俺は充分だと思っているが?」
 お前だってこれでいいんだろうが。前のお前の辛かった気持ちを思い出すより、今の幸せだろ。
「そうだけど…」
 ぼくは充分幸せだけれど、ハーレイの分。
 前のぼくがいなくなった後、独りぼっちで生きるしかなかったハーレイの分はホントにいいの?
「ああ。シャングリラを無事に地球まで運んで行けたし、それでいいんだ」
 クラーケンにもタコにもイカにも沈められずに、ちゃんと地球まで運んで行けた。
 地球がどういう星であっても、前のお前の仇は討てたと思っている。
 シャングリラを地球まで運べたってことは、戦いに勝てたってことなんだしな。



「…それならいいけど…」
 負けちゃった方の、人類の方。
 シャングリラに勝てそうな名前を付けた船、思い付いていれば良かったのにね、キース。
 名前だけで勝てるってわけじゃないけど、クラーケンでもタコでもイカでも。
「其処でキースか?」
 キースになるのか、そのとんでもない名前を船に付けて来るヤツは。
「最後の国家主席なんだよ、キース。船の命名権はあったと思うな、改名する権利も」
「うーむ…。旗艦ゼウスの代わりにクラーケンなら幾らかマシだが…」
 タコだのイカだのはどうしろと言うんだ、最悪なセンスとしか言いようがないぞ。
「でも、その船の名前。マードック大佐のお蔭で有名になるよ?」
 メギドから地球を守って沈んだんだし、ちゃんと歴史の教科書に載るよ。英雄だったマードック大佐とパイパー少尉が乗ってました、って。地球を守った船なんです、って。
「なるほどなあ…。たとえタコって名前の船でも格好はつくか」
「うん。歴史を習ったみんなが覚えて、今の時代まで名前が伝わる有名な船になるんだよ」
 だけど、前のハーレイはそのオチまでは知らないしね?
「違いない。そうなった前か後かは知らんが、地球の地の底で死んじまったしな」
 センス最悪な船で来やがったのかと思ったままだな、タコだなんて。
 誰が付けたんだと、もっとマシなのは無かったのかと呆れ果てたままで死んだんだろうなあ…。



「船の名前に付けるんだったら、タコってセンスは最悪だけど…」
 ぼくもクラーケンの方がまだマシだなって思うけれども、タコ、美味しいよ?
 タコ焼きも、タコの煮物もお刺身も。マリネも好きだし、フライも大好き。
 ハーレイが言ってたタコの炭火焼きだって、きっと食べたら美味しいんだろうな…。そのタコ、海辺の食堂で食べるんだったら獲れたてでしょ?
「うむ。獲れたてのタコは活きがいいから、うんと美味いぞ」
「ハーレイ、獲れたてのタコを食べたことがあるの?」
「あるぞ、何度も。親父が釣るから、何度もな」
 釣ったばかりの活きのいいタコは歩くんだ。あの足を使って陸の上でも。
「タコが歩くの!?」
「信じられないって顔をしてるが、本当だぞ。実はな、俺がガキの頃にな…」
 親父の車で釣りに出掛けて、あれこれ釣って。
 その中にでっかいタコもいたから、持って帰って家で食おうとクーラーボックスに入れたんだ。そいつを車のトランクに積んで、意気揚々と帰り着いてな。
 さて、料理だとキッチンに運んで蓋を開けたら、タコが何処にも居なかった、ってな。
「居なかったって…。入れ忘れたの、タコを?」
「いや。親父はきちんと入れたって言うし、おふくろも俺も見ていたんだぞ」
 それなのに他の魚だけしか入っていなくて、タコはドロンと消えちまった。そんな馬鹿な、ってガレージに戻って、車のトランクを開けてみたら…、だ。
 なんとトランクの蓋の裏側にベッタリ、例のタコが吸盤でくっついていたと来たもんだ。



「ええっ!?」
 ブルーの赤い瞳が真ん丸になった。
 タコが歩くと聞いただけでも信じられないと思っていたのに、クーラーボックスから逃げ出したタコ。食べられてたまるかと、車のトランクの蓋の裏側にくっついて隠れていたタコ。
「ハーレイ、それってタコの大脱出?」
 どうやって逃げたの、クーラーボックスなんかから。蓋は閉まっていたんでしょ?
「運び出した時には閉まっていたなあ、気付かなかったわけだしな?」
 多分、蓋が緩んでいたんだろうが…。タコが通れる隙間が開いて逃げたんだろうが、親父も俺もビックリしたさ。おふくろだってポカンとトランクを眺めていたなあ、くっついたタコを。
「そのタコ、それからどうなったの?」
「食っちまったさ、予定通りに」
 トランクから剥がして、親父が茹でて。
 逃げようってほどのタコだ、活きが良くって美味かったぞ。
「あははっ、タコでもハーレイに負けて胃袋行きになっちゃうんだね」
 前のハーレイじゃないけれど。記憶が戻る前のハーレイだけれど、タコに勝つんだ?
「キャプテン・ハーレイが勝ったわけではないんだが…。ついでにタコって名前の船は、だ…」
 前の俺の記憶には入ってないがな?
 そんな名前の人類の船がシャングリラに向かって来てはいないぞ、クラーケンもイカも。



 タコという名前の船は無かった、とハーレイはブルーに言ったけれども。
 小さなブルーに言ったけれども、愛らしい恋人は船の名前よりも本物のタコに夢中のようで。
「ハーレイ、いつかハーレイのお父さんと一緒に釣りに行ったら、タコも釣ろうね」
 クーラーボックスに入れて、車のトランクに乗っけるんだよ。
「大脱出を見てみたいのか?」
「ちょっぴりね」
 タコが歩くのも見たいけれども、大脱出。そっちもとっても面白そうだよ、消えちゃうタコ。
「分かった、それならクーラーボックスの蓋は緩めにな」
 逃げてくれるとは限らないが、だ。お前が見たいなら試してみるさ。
「うん、お願い!」
 そのタコで何が食べられるかな?
 タコ焼きにしたら何個分くらいになるタコなのかな、だけどお刺身でも美味しいかも…。
 活きがいいならお刺身なのかな、煮物とかにするよりお刺身かな…?



 どうやって食べることにしようか、と釣れる予定のタコに思いを馳せている恋人。
 人類軍の船の名前はタコにすべきだったと、愉快なアイデアを出した恋人。
(…うん、タコ焼きを買って来ただけの甲斐はあったな)
 思いもよらない方へと話が行っちまったが、とハーレイは顔を綻ばせた。
 青く蘇った、母なる地球。タコが歩いて逃げる地球。
 あの頃を思えば夢のようだと、まるで天国に来たかのようだと。
 死に絶えた星と、喪ったブルー。
 失くした筈のものを手に入れた上に、青い地球で二人、タコ焼きを頬張る時が来るとは、と…。




         タコと白い鯨・了

※シャングリラをモビー・ディックと名付けた人類軍。実は縁起が悪い名前だったかも。
 名前のせいで負けたわけでもないんでしょうけど、勝てそうな名前の船を建造すべきです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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