シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あ…)
学校から帰って、おやつを食べて。ダイニングで広げた新聞の中。
タイトルと写真がぼくの目を引いた。地上絵の描き方。そんな名前が付いた記事。それに大きな鳥の絵が写った一枚の写真。
(…地上絵…)
遠い昔の地球にあった絵。人が住めない乾いた大地に描かれた地上絵。
地上から見れば石だらけの地面に溝が走っていただけなのに、遥か上空から見れば幾つもの絵があったという。ハチドリにコンドル、様々な動物や図形なんかが。
SD体制が始まるよりも前に失われてしまって、今はデータしか無いんだけれど。
地上絵が発見された時代の人にも、どうやって描くのかまるで分からなかったんだけれど。
(…色々な描き方があるんだ、これ…)
下の学校の子供たちが挑戦している様子が記事になってた。
学校のグラウンドに白い線で再現された地上絵。画鋲が一個と糸だけがあれば可能だという拡大方法。もちろんサイオンなんかは抜きで。
歩数で計って描く方法もあった。向かい合わせの子との距離を目で測りながら、ぐんぐん歩いて元の絵を大きく描いていくんだ。二人一組で、半分ずつを。
子供たちがそうやって描いた絵たちが新聞に載っているんだけれど。
(…ナスカ…)
ナスカの地上絵。そう呼ばれていた、巨大な絵たち。
本来、地球の地名の一つだったナスカ。
なのにどうして、あの星がナスカだったのか。
ジョミーたちが降りた、あの赤い星が。トォニィたちが生まれた星が。
前のぼくはナスカの地上絵を知っていたけれど、それをシャングリラにも描かせたんだけれど。白い鯨の甲板に大きく、ナスカの地上絵のハチドリの絵を。
(このハチドリだよ…)
子供たちが再現した地上絵の写真にも写っている鳥。不思議な形に描かれたハチドリ。
本物のそれが発見された時、描いた人たちはもう居なかったから。本当にハチドリを描いた絵かどうかは永遠に謎のままなんだけれど。
本物の絵だって前のぼくが生きてた頃には無かったんだけど、それでもハチドリ。白い鯨の背に描かせた絵。
(でも、なんでナスカ…?)
白い鯨はナスカの地上絵と同じ絵を背負って飛んでいたけれど、何故、あの星がナスカなのか。赤い星がナスカと呼ばれていたのか。
(確か、フィシスが名付けたって…)
フィシスが名前を付けた星だと学校で習う。ミュウの歴史に欠かせない大切な星だから。
だけど理由は教わらない。何故ナスカなのか、それは学校では教えてくれない。
(なんで…?)
ナスカの名前と、シャングリラの甲板に描いてあった絵と。
無関係なのか、そうじゃないのか、どうにも気になってたまらない。新聞を閉じて部屋に戻った後もぐるぐる考えていたら、お客様が鳴らすチャイムの音。
(ハーレイ?)
窓に駆けて行って、下を覗いた。庭を隔てた門扉の向こうに大きな人影。やっぱりハーレイ。
(うん、ピッタリのタイミング!)
丁度いい所に来てくれたよね、と嬉しくなった。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座って、紅茶のカップを傾けながら早速、質問。
「ハーレイ、ナスカの名前の由来って、知ってる?」
赤い星だよ、あの星の名前。
「フィシスが付けたが? あの星に降りようと決まった時に」
名を授けようとか言っていたなあ、赤き乙女とも言ってたか…。あの星に可能性を見出したと。
「それ以外に、何か。フィシスが付けたっていうのは学校の授業で教わるもの」
「いや、俺は知らん。お前こそ知っているんじゃないのか、フィシスなんだから」
ナスカでお前が目覚めた時には、俺は忙しくてお前と個人的に会える機会が全く無かったが…。
フィシスは特に役目も無かったんだし、お前と話すための時間は充分にあったと思うがな?
「…聞きそびれちゃった…」
あの星にナスカって名前を付けた、って話はちゃんと聞いたんだけれど。
他にも色々と話をしたけど、どうしてナスカって名前にしたかは聞かなかったんだよ。
そして今まで気付かなかった、と話した、ぼく。
ナスカと言ったら地球のナスカの地上絵なんだ、と。今でも子供たちが描こうとするほど有名な絵だから、あの赤い星にナスカと名前が付いた理由は地球のナスカじゃなかったのか、って。
「そういや、シャングリラの甲板にあったデカイ鳥の絵…」
「うん。ナスカのハチドリ、地上絵の鳥だよ」
ハチドリの絵をそのまま写して描かせた鳥がシャングリラの背中に乗っかってたよ。
「お前、あの絵をフィシスに見せたか?」
「シャングリラに連れて来た時にね」
それから後には見せていないと思うけど…。船の外には出していないし、出たっていつも雲海の中で甲板の絵までは見えはしないよ。
「その辺の記憶はあったんだったな、フィシスにも?」
「フィシスの記憶は其処からだよ。前のぼくが連れて来て、シャングリラの姿が見えてから」
その前の記憶は全部消した。何処に居たのか、どうやって連れて来られたのかも。
フィシス自身が望んだって言って、すっかり消してしまったんだけど…。
「ふうむ…。あの時もシャングリラは雲海の中に潜んでいたが、だ」
お前、フィシスにどういう船なのか見せたんだな?
フィシスは元々、視覚に頼っていなかったし…。雲の中でもシャングリラ全体を見られた、と。
「そう。普段だったら其処まではしない。でも、あの時は見て欲しかったんだ」
ぼくたちの船だと、今日から此処で暮らすんだ、と。
シャングリラの姿を見せたかったから、ぼくがサイオンを導いて雲に隠れた所まで、全部。
「なら、甲板の絵もフィシスは見たってわけだ」
それで、お前はあの絵が何かを説明したのか?
「ぼくたちの夢の鳥なんだよ、って」
シャングリラに描いてあったものは全部見せたよ、自由の翼も、ミュウを示す文字も。それからフェニックスの羽根のシンボルマークも、見せて何なのか説明したよ。
甲板の鳥もフェニックスだと、不死鳥の絵だと。
ずいぶん変わった形なのね、って不思議がったから、モデルはナスカの地上絵だよ、って…。
「それじゃないのか?」
フィシスがあの鳥の由来を聞いていたのなら。知っていたのなら、ナスカは其処から来たんじゃないのか…?
「やっぱり、ハーレイもそう思う?」
フィシス、覚えていたのかな…。一度きりしか見せていないのに。
「多分な。ナスカの地上絵を何処まで理解したかは知らんが、シャングリラの鳥だと覚えたんだ」
船に描いてあるフェニックス。
そいつのモデルがナスカって所に存在するらしいと、シャングリラの鳥はナスカの鳥だと。
フィシスは小さな子供だったから、どういう風に記憶の底に沈んでいったかは分からないが…。
ナスカはとても素敵な名前だと、その鳥がシャングリラに描いてあるんだと思っただろう。その時の記憶も、何だったのかも忘れ去っても、ナスカという名だけは何処かにあった、と。
「…それでナスカって名前を付けたんだ…」
ミュウに相応しい、ぼくたちの船に相応しい名前だと何処かで思っていたんだろうね。自分でもそれが何かは知らずに、思い出せずに、ナスカって付けた。いい名前だ、と。
「そういうことになるんだろうなあ、今から思えば」
「あの鳥がナスカの地上絵だってこと、知らない仲間が多かったのにね…」
描いた頃には居なかった仲間、後からずいぶん増えちゃったものね。
「俺だって綺麗に忘れちまってたが?」
「ぼくもなんだけど…」
赤い星の名前がナスカだと聞いても、いい名前だな、って思っただけで。
同じ名前の場所から貰った鳥の絵がシャングリラの背中に乗っかってることは忘れていたよ…。
ホントのホントに忘れちゃってた、と頭をコツンと叩いたんだけど。
ハーレイが「仕方ないだろ」って。
「そんなもんだろ、灯台下暗しって言葉がずうっと昔からあるくらいだしな」
ヒルマンあたりは気付いていたかもしれないが…。ナスカの地上絵と同じ名前だと。
「そういう話は聞いていないの?」
「俺の記憶には全く無いな」
まるで覚えていないからには、一度も聞いていないんだろう。ナスカはナスカだ、赤い星だ。
「だけどあの鳥、ヒルマンとエラがデータベースで探し出して来た絵なんだよ?」
二人揃って気付かなかったか、気付いていても黙ってたのか。どっちなんだろう…?
「さてなあ…。若い連中が浮かれていたから、気付いていたって黙ってたかもな」
ゼルは頑固に反対してたし、全員一致でナスカに降りたってわけじゃない。
ナスカの名前はシャングリラとも無関係ではないんだってことを下手に言ったらマズイしな?
大義名分を与えちゃいかんと黙っていた可能性もある。
ナスカに着いても、根を下ろしたとしても、シャングリラは大切な船なんだ。あの船が無ければ宇宙を旅することは出来んし、他のミュウたちを救いにも行けん。
ナスカとの縁は無い方がいいと、切り離しておいた方がいいんだと思ったかもなあ…。
「そうかもね…」
実際、ナスカにしがみ付きすぎて死んじゃった仲間も大勢いたし。
シャングリラとナスカは鳥の絵で繋がっているんです、ってことになってたら、もっと離れ難い星になってて、被害が大きくなってたかもね…。
前のぼくもハーレイも気付いてなかった、シャングリラとナスカの共通点。
もしもヒルマンとエラが気付いていたなら、語らなかった二人に感謝しなくちゃ駄目だろう。
踏みしめる大地を手に入れただけで、あれほどの仲間がナスカに残ろうとしたのだから。人類に発見されたと知っても、攻撃が来ると分かっていても。
ただのナスカでも、その始末。
これがシャングリラと縁の深い名前の星だったならば、そう簡単には捨てて行けない。なんとか残そうと、残したいのだと頑張る仲間も出て来ただろう。
若かった仲間だけじゃなくって、古い仲間たちも。
長く暮らしたシャングリラにゆかりの名を持つ星であったなら、離れ難くて、去り難くて。
ナスカの名前と同じ由来の鳥が、シャングリラの背に在ると気付いていたなら…。
「あの鳥、お前が欲しいと言い出したんだっけな、甲板に描こうと」
自由の翼とは別に、鳥の絵。鳥の全身を描いた絵が欲しいと言ったんだったか…。
「そうだよ、シャングリラが鯨の形になっちゃったから」
完成したら鯨みたいな形になるんだ、って説明されたから鳥が欲しかった。
「鯨は空を飛べないから、ってことだったよな?」
「うん。気分だけでも鳥にしよう、って」
あやかりたいって言うのかな?
何処へでも自由に飛んで行ける鳥。それがシャングリラに欲しかったんだよ…。
様々な機能を搭載していった結果、鯨になったシャングリラ。
うんと大きく改造しちゃった船体はともかく、あの形には意味があったんだ。
ステルス・デバイスだの、サイオン・シールドだのを効率よく施すためには最適な形。
だけど鳥からは離れてしまった。空を自由に飛ぶ鳥からは。
せめてと船にあしらおうと決めた翼の模様。自由の翼。
けれど足りない。それでも足りない。
羽根をシンボルマークに決めたフェニックスではなくてもいいから、何処かに鳥の絵。鳥の姿が欲しかった。
ゼルたちと意見交換した末、選ばれた場所があの甲板。
シャングリラに降りる小型艇やシャトルの誘導用を兼ねて、甲板の上に鳥の模様を、と。
何でもいいから、と頼んだ鳥の絵。そうは言っても、シャングリラに描く鳥なんだから。
「あれは、地球の鳥の絵を片っ端から探したんだったか?」
「有名な鳥の絵を探したんだ、って言ってたよ。ヒルマンとエラは」
データベースを隅から隅まで調べたんだ、って言ってたと思う。時間もずいぶんかかったし…。
そうして調べて、持って来たのがあの絵だったよ。
ぼくとキャプテンだったハーレイ、それにゼルたちが顔を揃えた会議の席。
ヒルマンとエラが自信ありげに広げた図面に、後にシャングリラの甲板に描かれた絵があった。鳥と言われれば鳥に見えるし、何かの模様だと言われればそうも見える絵。
「…ハチドリだって?」
この絵がかい?
本物のハチドリにお目にかかったことはないけれど…。飛びながら花の蜜を吸う鳥だったかな?
「そのハチドリだと言われていた、というだけなんだがね」
ハチドリと決まったわけではないのだ、とヒルマンは言った。そう呼ばれているだけなのだと。
「ぼくにはハチドリのようには見えないけれど…」
「フェニックスでも通りますでしょう?」
鳥の絵ですから、とエラに説明されて眺めてみれば、フェニックスにも見えて来たから。
「そうだね、フェニックスだと言われれば…。そんな風にも見えるかな、うん」
これがハチドリだって言うんだったら、フェニックスだと言い張ったとしても通りそうだね。
「如何ですか、ソルジャー? この鳥を甲板に描くというのは」
「どういう絵だい、これは?」
なんとも奇妙な鳥だけれども…。何か有名な鳥の絵なのかな?
「地球で最大の鳥の絵の中の一つだよ」
ナスカの地上絵と呼ばれていてね。地面に直接描かれたのだよ、それはとてつもない大きさで。
何が描いてあるかは、空から見ないと分からない。
誰が何のために描いた絵なのか、それすらも謎だと言われた絵だね。
「空からしか見えないほどの絵だって?」
「ええ。残念ながら、SD体制に入るよりも遥かな昔に失われてしまったそうですが…」
このハチドリが一番有名な絵だったそうです。
もっと大きな地上絵も幾つかあったようですが、これが一番、鮮明に見えたと伝わっています。
空からしか見られない、神秘の鳥の絵。
甲板に描くにはこの鳥がいいと思うのですが…。
ナスカの地上絵。
それが地球の上に在った頃でさえ、多くの謎が解かれないままだった巨大な地上絵。
今は失われ、地球から消えてしまった鳥の絵。
ハチドリのようにも、フェニックスのようにも見える鳥の絵。
地球に行きたいと願っていた前のぼくが、惹かれないわけが無かったから。
その絵を見付けたヒルマンとエラも、もちろん地球に焦がれていたから。
遠い昔の地球に在った絵は、ハーレイたちにも支持されて甲板に描かれることになった。改造が済んだら船の甲板に、誘導用として大きく描こうと。
「…出来上がったシャングリラに描かせたんだっけ、あれ…」
これだけ大きな船に描くんだから、本物にも負けていないかも、って思ったんだった。
甲板の上に立ったくらいじゃ全体の形は分からないよね、って。
「そして綺麗に忘れちまった、と」
シャングリラの甲板にはナスカの地上絵があるってことを。
前のお前がフェニックスでも通ると言ってた、ハチドリの絵が描かれているってことを。
「ナスカの地上絵って所をね」
忘れちゃってたんだよ、ナスカって地名。
「本当か?」
鳥の絵そのものを忘れちゃいないか、ナスカだけじゃなくて?
「…忘れていたかも…」
シャングリラはいつも雲海の中だし、外に出る時もぼくは甲板からは出なかったし。
船の周りを飛んだ時には見えていたけど、シャングリラの一部だという感覚で。
「まあ、俺もだがな。キャプテンのくせに」
滅多に見ることは無かったからなあ、あれの全体。
ナスカに着くまでは俺は船から離れちゃいないし、映像でしか知らんと言うべきか。
たまに甲板の様子を覗きに行っても、其処からじゃ鳥の姿は見えないからなあ…。
「本物の地上絵と同じだね、それ」
絵が描いてある場所に立っていたって、何の絵なのか分からない、って。
「まったくだ」
ついでにナスカに居た間にも、だ。
シャトルで何度も地上とシャングリラを行き来してたが、操縦してたのは俺じゃないしな。誘導用に描かれた絵なんぞ見るチャンスは無い。
窓からチラリと絵の一部分が見えたと思ったら、もう格納庫の中なんだからな。
「それじゃ、ハーレイだって忘れるわけだね…」
船の全体を把握するのがハーレイの仕事で、甲板だけじゃないんだものね。あの鳥の絵が消えてしまいそうだから、って補修作業でもしない限りは頭に無いよね…。
「そんな所だ。人類軍の攻撃のせいで甲板の修理ってケースはよくあったんだが…」
全体の被害が大きすぎてな、修理の進捗状況を報告させて目を通すだけで精一杯だ。甲板の絵にどういう被害が出ているかなんて、いちいち報告も上がっちゃ来ない。
修理が必要で直ぐ始めます、って報告の次は修理完了までの日数だとか、完了したとか。つまり絵なぞは任せっ放しだ、絵よりはその下の甲板なんだ。
「そうなるだろうね…」
あの絵は無くても何とかなるけど、甲板は急いで修理しないと大変だから。
「うむ。…しかしだ、そういう状況だった俺はともかく…」
お前は俺よりも遥かに多く見ていた筈だぞ、あの絵をな。それを忘れるとはボケちまったのか?
「そうかも…」
だけど、ナスカで目が覚めた時には十五年ぶりだし、船の外にも出なかったしね?
あの赤い星の名前はナスカなんだ、って聞かされたら素直に納得しちゃうと思わない?
素敵な名前を付けたんだな、って。…しかもフィシスが付けたんだものね。
仕方ないよ、と唇を尖らせた、ぼく。
ボケちゃってたのかもしれないけれども、あの時はナスカで納得したんだ。ミュウが手に入れた赤い星だと、あの星で新しい命が幾つも生まれたんだ、と。
シャングリラの甲板に描いてあった鳥まで思い出さない。ナスカの地上絵どころじゃない。
だって、ミュウが初めて踏みしめた大地。新しい命を生み出した大地。
それほどの重みを持っていた星と、シャングリラの甲板のちっぽけな絵なんか重なりやしない。同じナスカでも全然違う。星と、甲板の小さな絵では。
それに…。
「ハーレイ、前のぼくがボケてたなんて言うけれど…」
確かにウッカリしてたかもだけど、前のぼくとは違って、プロ。歴史を調べるプロの人たち。
ミュウの歴史を研究している学者たちだって、あの絵とナスカを結び付けてないよ?
ナスカの地上絵、今でもデータは残っているのに。
下の学校の子たちがグラウンドに描いて新聞記事になるほど、あの絵はうんと有名なのに…。
「誰も接点を語らなかったら、偶然ってことで片付けるじゃないか」
学者ってヤツはそうしたもんだぞ、資料が残っていないものなら自分なりの説を唱えるが、だ。きちんと資料が残っているなら、それを踏まえて研究せんとな。
ナスカって星の名前が付いた日のことは、前の俺が航宙日誌に書いている。其処に甲板に在った鳥の絵について何も書かれていなかったならば、それが全てだ。
ナスカは、ナスカ。フィシスがナスカと名を付けた星で、ナスカの地上絵とは無関係なんだ。
「そういうことかあ…」
資料があるなら、そうなっちゃうね。ただの偶然、ナスカはナスカ。
フィシスはSD体制が崩壊した後も、カナリヤの子供たちを育てて幼稚園を創って、サイオンもちゃんと取り戻して。
あの姿のままで長生きしたって聞いているけど、そのフィシスだって何も証言してないし…。
やっぱりフィシスもナスカの地上絵のことは忘れてたんだね、甲板の鳥の絵。
「うむ。そうだと思うぞ、フィシスも最後までナスカはあの星の名前だと思っていたんだろう」
前のお前に教えて貰った、ハチドリの絵のことは思い出さずに。
シャングリラの甲板に描かれた鳥は、ナスカの地上絵がモデルだってことは忘れたままで。
付けたフィシスが思い出さないからには仕方ないよな、ナスカの名前が何処から来たかは…。
こればっかりはどうしようもないな、ってハーレイが腕組みしてるから。
眉間に皺まで寄せているから、ぼくも盛大な溜息をついた。
ナスカの地上絵と、赤い星。シャングリラの甲板に描いてあった鳥と、赤い星ナスカ。
「…ナスカの鳥の絵、前のぼくだって忘れがちだったしね…」
ぼくが描こうって言い出したくせに、自由の翼は覚えていたってナスカの鳥は忘れるんだよ。
甲板に描いて誘導用の絵にしちゃったからかな、シャングリラの一部分だとしか思ってなくて。
「俺も同じだ、あれは甲板の付属品みたいなモンだったからな」
甲板が無事ならそれでいいんだし、やられちまったら修理しないと。
其処に描いてある絵の修理だって、甲板の修理の内だからなあ…。あれは甲板の一部だ、うん。
「やっぱり、甲板?」
「ああ、甲板だ」
鳥の絵よりも先に甲板なんだ。
それ以上でも以下でもなくって、あの鳥の絵も丸ごと含めてシャングリラの甲板だったってな。
間違いなく甲板の一部だった、って言うハーレイと二人、開いてみたシャングリラの写真集。
ぼくとハーレイがお揃いで持ってる、豪華版の立派な写真集。
見開きのページにシャングリラ。白い鯨が大きく写った、宇宙空間が背景の写真。
あの鳥が甲板に浮かんでいた。
フェニックスみたいだと前のぼくが描かせた、ナスカの地上絵のハチドリの姿がくっきりと。
今日の新聞に載ってた写真とそっくりなハチドリ、ナスカの地上絵。
「…この絵、ナスカの地上絵だけどね?」
「何処から見たって、その絵だなあ…」
立派にナスカだ、あの赤い星と同じナスカって名前で、地上絵の方が古いってな。
「フィシスも忘れてしまってたんだし、偶然だとしか言えないけれどね…」
「シャングリラがナスカを背負ってることを思い出していたら、俺は一層辛かったろうな」
お前がいなくなっちまってから。
前のお前を失くしちまってから、もしもそいつに気付いていたら。
シャングリラにはナスカが付き物なんだと気付いていたなら、毎日が酷く辛かったろう。
船にはナスカが乗っかってるのに、肝心のナスカは燃えちまった。そのせいでお前まで失くしてしまって、それなのに俺は生きているのか、と。ナスカを背負ったシャングリラでな。
「じゃあ、忘れちゃってて良かったんだ?」
「そういうことになるんだろうな」
一度も思い出さなかったし、気付かなかった。
だからナスカの地上絵を乗っけた甲板を何度も修理しながら、地球を目指して。
前のお前に頼まれたとおりに地球を目指して、なんとかシャングリラを運べたってことだ。
ナスカのハチドリに気付いて落ち込む目には遭わずに、地球までな。
見事に思い出さなかった、ってハーレイが写真を眺めているから。
ナスカの地上絵のハチドリを描いたシャングリラの甲板を見詰めているから、訊いてみた。
「ぼくたち、明日まで覚えてるかな?」
赤い星の名前は、この甲板の絵から付いたってことを。
ナスカって名前は、ナスカの地上絵からフィシスが知らずに貰って来たっていうことを…。
「忘れるんじゃないか?」
明日になったら、綺麗サッパリ。
前の俺たちがこの絵の存在を知っていながら、忘れ果ててしまっていたのと同じで。
ナスカはナスカだ、赤い星の名前がナスカだったと明日になったら思っているさ。
「うん…」
ぼくもハーレイも、ボケるには早すぎるんだけど…。
今の所は、ちゃんとナスカの地上絵だけど…。
明日になったらそうなるだろうね、って笑い合った。
前のぼくたちでさえも気付かなかった、赤いナスカと白いシャングリラの甲板の絵の共通点。
どちらもナスカの地上絵から来て、遥かな昔の地球に在った巨大なハチドリなのに。
ハチドリの絵からナスカの名前が生まれて来たのに、誰も知らない歴史の秘密。
きっと明日には忘れちゃってる。ハーレイもぼくも、忘れちゃってる。
そしてナスカは、またナスカになる。
フィシスが名付けた赤い星に…。
ナスカの鳥・了
※赤い星、ナスカの名前の由来は、遠い昔の地球の「ナスカ」から。地上絵があった場所。
その地上絵を元にシャングリラの甲板に描かれた鳥。フィシスもそれを見ていたのです。
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