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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

あの味の始まり

(ハーレイのスープ…)
 少し冷えるな、と思った夜。
 ふと恋しくなった、ハーレイのスープ。野菜スープのシャングリラ風。
 お風呂から上がって、ベッドに入る前に飲みたくなった。あの温かい野菜のスープが。
(だけど病気はしてないし…)
 ぼくの具合が悪い時だけ、ハーレイが作ってくれる特別食。前のぼくだった頃から、ずっと。
 何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。優しくて懐かしい味わいのスープ。
 今は「野菜スープのシャングリラ風」なんてハーレイは呼んでいるけれど。
 地球の太陽と水と土とで育った野菜を使っているから、うんと美味しくなったんだけれど。
(…でも、あの味付けでなくちゃ駄目なんだよ…)
 凝った味付けなんかは要らない。今のぼくのママがビックリしたほど、素朴すぎる味のスープがいい。前のぼくだって、そうだった。レシピを変えて欲しくはなかった。
 シャングリラが立派な白い鯨になっても。
 食材に不自由しなくなっても、レシピは最初のままが良かった。
 野菜スープのシャングリラ風。前のハーレイがぼくのためにだけ作っていたというスープ。



 あのスープをいつから飲んでいたんだろうか。
 シャングリラと名付けた、前のぼくとハーレイが暮らしていた船。世界の全てだった船。
 其処でいつから、ハーレイが作る野菜のスープを飲むようになっていったんだろうか…。
 前のぼくが好きだった野菜のスープ。
 どんなに弱り果てた時でも、あのスープだけは喉を通った。何も食べたくない時でも。
 いつから飲んでいたんだろう、って遠い記憶を手繰ってみる。



(ハーレイが厨房に居た頃は…)
 キャプテンになる前は、厨房で料理をしていたハーレイ。食材を管理し、船にあるもので作れる料理をあれこれ工夫し、皆を飽きさせないように頑張っていた。
 前のぼくが奪って来た食材が偏り過ぎてて、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄になった時でも。
 とはいえ、あの頃は奪いさえすれば豊富にあった様々な食材。
 野菜はもちろん、肉も魚も。調味料だって沢山あったし、香辛料も。
(そんな時には作らないよね、あのスープ…)
 材料はたっぷりあるんだから。
 スープの中身は野菜だけでも、スープを工夫出来た筈。ブイヨンだって作れた時代。
(…野菜と基本の調味料だけ…)
 たったそれだけ、味付けは塩と野菜の旨味だけ。
 えーっと、とスープの材料から考えていってみたんだけれど。



(…そうだ…)
 シャングリラに塩と野菜くらいしか無かった頃。
 自給自足の生活の初期。
(もう奪わないって…)
 キャプテンだったハーレイに、ヒルマンとエラ、ブラウにゼル。それに前のぼく。
 何度も会議を重ねた末に、そう決めた。
 人類から奪った物資に頼っていたんじゃ、ミュウは決して自立できない。新しい種として生きてゆくなら、いつか人類に存在を認めて貰いたいのなら。
 自分たちの力で生きていかねばと、自分たちの足で立たなければ、と。



 もうこれ以上は奪うまい。自分たちの力でやってゆこうと、生きてゆこうと決めたけれども。
 それが本当に上手くいくかは分からない。
 宇宙船の中で、シャングリラの中だけで出来るのかどうか分からない。
 自給自足の船を目指して改造案が幾つも出ていて、後は煮詰めて実行するだけの段階だけれど。机上の空論という言葉もあるのだし、それらの案が使えるものとは限らない。
 慎重に進めてゆかなければ、と出来ることから手を付けてみた。
 まずは改造に取り掛かる前に、自給自足でやっていけるかどうかの試験期間を、と。



 船の中を整理し、スペースを設けて作り始めていた野菜。それは軌道に乗っていた。畑を広げて収穫量だって充分に増えた。
 計算の上では、船のみんなの胃袋を満たせるだけの野菜がある筈。種類も多いし、上手く回せば何とかなる、とヒルマンたちが太鼓判を押した。
 それでも準備期間を設けて、保存食用に加工した野菜も倉庫に沢山蓄えておいた。
 後は調理に欠かすことが出来ない調味料。合成するにはまだ早すぎると、船の改造が進まないと駄目だと、塩だけで調理しようと決めた。
 畑からはトマトなんかも採れるし、塩さえあれば工夫次第で料理を作れるだろうと。
 塩は岩塩を含んだ小惑星からの採取が可能。
 武装していない小型艇やシャトルしか持たないシャングリラだけど、岩塩くらいは採掘のために出てゆくことが出来るから。
 ぼくがサイオンで採って来たって良かったんだけど、小型艇を出して採った岩塩。
 それと畑から採れる野菜と、それらだけで暮らしてゆこうとして…。



 シャングリラはたちまち行き詰まった。
 食料は充分に足りているのに、食べるものはあるのに、食べることが出来なくなった様々な物。
「もっと広い畑でないと無理だ。当たり前の野菜しか無いじゃないか」
「肉が食いたい」
「魚が何処にも無いだなんて」
 アルタミラでは餌と水しか無かったというのに、長く続いた平和な時間に船の誰もが慣れ過ぎていた。肉も魚もあって当前、野菜もあれこれ種類が欲しい。
 おまけに調味料は塩しか無くって、トマトベースの煮込みくらいしか違った味が食べられない。
 日々、募ってゆく不満の中。
(ぼくは…どうすればいいんだろう)
 ソルジャーと呼ばれるぼくだけれども、こういう時には役に立たない。
 みんなが生きるための物資を奪っていたから、ぼくがいなければ食べるものや着るものに不自由するから、ソルジャーの称号を貰っただけ。
 こんな時にぼくが役立つとしたら、皆の不満を逸らすための物資を人類の船から奪うことだけ。
(だけど…)
 奪うことはすまい、と決めたんだった。今はそのための試験期間中。
 此処で物資を奪って来たなら、振り出しに戻ってしまうんだ。
 でも…。



 怒りをぶつけられるハーレイの姿を知っていた、ぼく。
 不平不満の矢面に立つのはいつもハーレイ、このシャングリラのキャプテンだから。陳情やら、面と向かっての文句に怒声。
 それらの全てに穏やかに応じ、ただ黙々と仕事をこなすキャプテンの姿をいつも見ていた。
(…ハーレイに怒っても仕方ないのに…)
 今はみんなが我慢をすべき時なのに、と思うけれども、それを言いには行けない、ぼく。
 皆を鎮める力は無くって、逆に「物資を奪って来て欲しい」と頼まれてしまいそうな、ぼく。
 だから、ハーレイの仕事が終わった時間に思念を飛ばした。
 ぼくの部屋まで来てくれないかと、相談したいことがあるから、と。



 暫くしてから扉が開いて、やって来たハーレイ。扉が閉まるなり、ぼくは尋ねた。
「不満の声が高まって来ているけれど…。ぼくがもう一度、奪って来ようか?」
 みんなが喜びそうなもの。食料と、それに調味料を。
「駄目です」
 ハーレイは即答したけれど。そう言うだろうと分かっていたから、重ねて言った。
「でも…。一度だけ」
 本当に一度だけでいいんだ、そうすれば船の中が落ち着く。食べたいものを充分食べれば、我慢出来るようになるだろうから。
「一度が二度。二度が三度。一度きりの筈が、そうやって全て元に戻ってしまうのです」
 あなたの力に頼る暮らしに。あなたが物資を奪わなければ、誰一人生きていけない日々に。
「だけど…。それでみんなが生きていけるのなら」
 幸せに生きてゆけるのだったら、ぼくは幾らでも奪って来るよ。
 こんな風に皆が無理を重ねて不満だらけで暮らすよりかは、その方が余程…。



「お分かりだったと思いますが?」
 それでは駄目だと。そんな生き方しか出来ないようでは、ミュウに未来などありはしないと。
「…そうなんだけど…」
 これも一種の非常事態だよ、今のシャングリラは普通じゃない。船の空気が殺伐としてる。
 ミュウは精神の生き物だからね、一人の不満が次から次へと皆に伝わり、増幅してゆく。それを止めるためにも、一回だけ。
 負へと傾いてゆく流れを止めたい。充分な内容の食事があったら止められるんだ。
「駄目です、許可は出来ません」
 食料を奪う必要などはありません。皆が食べるだけの量は確保しています。
「ソルジャーは、ぼくだ」
 君よりもぼくの方が上。ぼくが奪うと言っている。
「いいえ。船のことはキャプテンの私が決めます」
 この船に関する、全責任は私にあります。私が最高責任者です。
 たとえソルジャーのお言葉であっても、シャングリラの今後を左右する行為は認められません。



「ハーレイ…!」
 ぼくに逆らうのか、と思わず怒ってしまったけれど。
 ハーレイを助けたくて言い出したことを否定されたから、ついつい怒鳴ってしまったけれど。
 直ぐに気が付いて「…ごめん」と謝ったぼくに、ハーレイは「いいえ」と応えて、まるで小さな子供にするように、そうっとぼくの右手を取った。両手で握って、諭すように語った。
「…ソルジャーのお気持ちは分かりますが…」
 いつまでもあなたに頼っていたのでは、ミュウという種族は生きていけない。
 そのことは御自身が一番お分かりでらっしゃるでしょうに。
 あなた無しでは生き延びることさえ出来ない種族に、未来があるとお思いですか?
 …遠い昔に、食料が尽きかけてしまった時。
 飢え死にするしか道が無かった私たちを救って下さった。まだ少年の姿だったあなたが。
 そのことは感謝しています。
 あなたの力が無かったとしたら、今日まで生き延びられたかどうか…。
 ですが、今の私たちは自分たちの力で生きてゆく術を身に付けなくてはなりません。
 そういう時が来ているのです。
 どんなに辛くて厳しい日々が続いたとしても、乗り越えなければならない時です。
 私の言うことはお分かりですね?
 物資を奪いにお出になることは必要ありません。これはキャプテンとしての命令です。



 やんわりと、けれど厳しい表情で断られてしまった物資の調達。
 勝手に奪っては来られない。ぼくには簡単なことだけれども、ハーレイは奪った食料などを全て廃棄してしまうだろう。今のシャングリラには必要無いと。
 そうなれば余計に船の中は荒れる。せっかくの物資をキャプテンが捨てたと、何もかもを捨ててしまったのだと。
(…ハーレイの立場が今よりも悪くなるだけだ…)
 だから出来ない。ぼくの独断で物資を奪いに出られはしない。



 試験期間を無事に乗り越えて、船の改造に入ったならば。
 シャングリラの改造が完了したなら、船は本当に自給自足のミュウの楽園になる。改造を終えていない時期でも、食料事情は今よりもずっと改善されて豊かになる筈。
 そうすれば軌道に乗るんだろうけど…。食べたいものを食べられるようになるんだろうけど。
 船のみんなも、そのことは充分、分かっている。何の説明もせずに始めた試験期間じゃない。
 今は過渡期で辛いだけ。乗り越えた先には、また色々と食べられる日々が待っている。
 けれど、一度は楽園だった船。それが奪った物資であっても、満ち足りていた食事と生活。
 後戻りは辛い。誰もが辛い…。



 物資を全く奪わなくなって、ぼくの仕事は警備だけ。
 その警備だって、人類の船がレーダーに映れば逃げているのだし、まるで必要とされていない。
 ソルジャーと言っても、もう名前だけ。
 ただのお飾り、今のシャングリラでは何の役にも立たないソルジャー。
(こんな服…)
 仰々しいマントに、頭の補聴器。誰も着ていない、白と銀との目立ちすぎる上着。
 同じ立派な衣装であっても、ハーレイの服はいいんだけれど。キャプテンとしてシャングリラの舵を握って船を預かるハーレイの服はいいんだけれど。
 ぼくの服は無駄。
 仕事なんか全然していないくせに、やたら偉そうなソルジャーの衣装。
 この服のせいでウッカリ畑にも出られない分、本当に無駄。
 脱いでいいなら、畑仕事を手伝うのに。
 水をやったり、耕したり。みんなと一緒に野菜を育てられるのに…。



(ぼくは何のために居るんだろう…)
 このシャングリラに、何のために。
 ソルジャーなんて尊称で呼ばれて、畑仕事を手伝いもせずに、ただ食べるだけ。
 皆が不満を零す食事に、文句を言ったりはしないけれども。不満も無いけど、食べているだけ。
(…何の役にも立ってやしない…)
 ただ食べるだけの役立たず。
 ごくつぶしだとか、無駄飯食いとか。ぼくにピッタリの言葉が渦巻く。頭の中で繰り返し。
 何の役にも立ちはしないと、食べては寝ているだけの日々だと。



 来る日も来る日もぐるぐるしていて、それも身体に悪かったんだろう。
 いわゆるストレス、精神の生き物のミュウにとっては万病の元。
(なんだか重い…)
 ある朝、起きたら鉛みたいに重かった身体。熱は無さそうだったけれども、身体が重い。自分の身体ではないような重さ。ほんの少し腕を動かすだけでも辛かった。
 だけど心配かけちゃいけない。
 ただでもみんなの役に立たないのに、余計な心配までさせちゃいけない。



 なんとか起きて、いつもよりずっと重く感じるマントも着けて、食堂までは出掛けて行った。
「ソルジャー?」
 何処かお加減でも、って訊いたハーレイ。何故分かったのか、ぼくを見るなり。
 ううん、と答えておいたけれども。
 食事も辛うじて食べられたけれど、もうそれだけで精一杯で。ふらつかないように気を張って、懸命に歩いて部屋に戻るなりベッドに倒れた。文字通りバタリと倒れ込んだ。
(身体が重い…)
 それに眠くて、引き摺り込まれるように意識を手放した。目を覚ました時には、もう昼時。
 お昼御飯に行かなくちゃ、と思ったことまでは覚えている。
 だけど…。



「ソルジャー?」
「…ハーレイ…?」
 ぼくを呼ぶ声と思念で優しく揺り起こされた。心配そうに覗き込んでいるハーレイ。
「昼食をお持ちしましたが…。お召し上がりになれそうですか?」
「…無理みたいだ…」
 ハーレイが持って来てくれた食事。トレイに載せられた野菜の料理。
 首を横に振った。今日は要らないと、食べたくないと。
「決して無理にとは申しませんが…」
 少しくらいはお食べ下さい。でないと、お身体が弱ってしまいますよ。
「…いいんだ、本当に食べたくないから」
 どうせ眠っているだけだから、と言ったら、ハーレイは「またご様子を見に参ります」と部屋を出て行ったんだけれども。



(ますます役に立たなくなった…)
 忙しいハーレイに食事を運ばせた上に、その食事まで食べなかった、ぼく。
 これが役立たずでなければ何だろう…。
 元々、そんなに丈夫な方ではなかったけれど。
 虚弱な身体は無理が利くものではなかったけれども、アルタミラで鍛えられたと言うのかな?
 長いこと地獄で生きていたから、弱い身体でも元気でいられた。
 たまに倒れても、ゆっくり眠れば元に戻った。ある意味、病気知らずだった身体。
 みんなのために頑張らなくちゃ、と思っていた分もきっと力になっていた。
 それがプツリと切れたんだろう。
 役立たずになってしまったから。何の役にも立たない存在になってしまったから…。



 ハーレイが何度か覗きに来ていたけれども、ぼくは目を開けるだけの気力も無かった。額の上に手が置かれたって、多分、睫毛が震えた程度。
 眠くて眠くて、身体が重くて。どうしようもなくて眠っていただけ。
 何度目に覗きに来た時だろうか、ハーレイがマントと上着を脱がせてくれても、ぼくは腕さえも動かそうとせずに人形みたいにぐったりしてた。
 意識はあったし、楽になったとも思ったんだけど、御礼も言わずにまた眠った。ベッドに沈んでしまいそうなほどに重い身体は、ただ眠りだけを欲していたから。
 泥のように眠っていたかったから…。



 そんなぼくだから、夜になっても気力は回復していなくって。
「ソルジャー、お夕食ですが」
 今度こそ起きて頂きます、とハーレイに抱え起こされた。
 熱は無いのだから食べなければと、でなければ本当に病気になると。ベッドの上で上半身だけを起こした状態、仕方なく重い瞼を上げれば、ハーレイがトレイを差し出していて。
 ぼくが食べる間、持っていようとでも言うのだろうか。トレイを支える褐色の手。野菜ばかりの質素な食事。スプーンもフォークも添えてあったけれど。
「…食べたくない…」
 意地を張ってるとかじゃなくって、本当に要らなかったんだ。食べたい気持ちがしなかった。
 だけど野菜しか使われていない料理でも、食事は食事。食べればお腹が満たされる食事。
 ぼくの分は船のみんなが食べてくれればいいと思った。
 だからハーレイにそう言った。
 役立たずなぼくの分の食事は他のみんなに分けてあげて、って。



「役立たずだなどと…!」
 どうしてソルジャーが役立たずだということになるのですか?
 いったい誰がそのようなことを…!
「誰も言わないよ、ぼくが自分で気付いたこと」
 ぼくは全く役に立たない。今のこの船に、ぼくは必要無いんだよ…。
「そんな馬鹿な!」
「でも、そうなんだよ…」
 実際、誰にも必要とされていないし、眠っていたって誰も困らない。そうだろう…?
「ですが、ソルジャー…!」
「そのソルジャーだって、名前だけだよ…」
 何の役にも立ってないから、ってベッドに身体を預けたぼく。もう眠るから、って起こしていた身体を倒してしまった、役立たずのぼく。
 ハーレイは深い溜息をついて、頭を振って出て行った。
 ぼくが手を付けようともしなかった食事を載せたトレイを両手で持って。



(…ごめん、ハーレイ…)
 ドアが閉まって、ハーレイがいなくなった後。
 ベッドで丸くなって、ごめん、って泣いた。涙がポロポロと零れて落ちた。
(…ごめん、ハーレイは悪くないのに…)
 悲しませてしまったか、呆れられたか。
 何もかも、ぼくの八つ当たり。役立たずなぼくの八つ当たりだ、って。



 そうして泣いて、涙がようやく収まったから。
 真っ暗な部屋で一人で寝てた。ハーレイが点けておいてくれたんだろう、天井や壁をほんのりと浮かび上がらせていた常夜灯。それもサイオンで消してしまって、暗闇の中で。
 そうしたら…。
 いきなり部屋のドアが開いて、パッと明かりが灯されて。
「おい、入るぞ!」
(えっ?)
 ドカドカと足音を立ててベッドに近付いて来た人影。ベッドの脇の椅子にドッカリと座る。
「起きろ、この馬鹿! 役立たずにはそれなりの食事があるってな!」
「…ハーレイ…?」
 何を言われたのか全部は掴めなかったけれども、叱られたことは分かったから。
 起きろと怒鳴られたことも分かっていたから、慌てて起きた。身体の重さは忘れていた。とても眠くてたまらなかったことも。
「ふん、ちゃんと起きられるじゃないか。なら、食えるな?」
 ほら、と差し出されたトレイの上。
 ぼくの膝の上に置かれたトレイに、湯気を立てている野菜のスープ。
 さっきハーレイが運んで来ていた夕食のスープとは、見た目が全く違ったスープ。
 夕食のスープはポタージュだったと思うけれども、そのスープはまるで別物のようで…。



「…なんだい、これは?」
「役立たずだと仰るソルジャー用のお食事ですが」
 貴重な野菜を使用するのは、もったいないかと考えまして。
 夜勤の者たちの食事用に使った野菜のくずを刻んで、煮込んで来ました。それと塩だけのスープです。野菜くずと水と塩しか使っていません。
「…これを君が…?」
「ええ。厨房の隅を借りて作りました」
 お召し上がり下さい。
 材料は確かに野菜くずですが、何種類も入っていますから。それに細かく刻んであります。
 充分に柔らかく煮込みましたし、野菜の旨味が出ているのですよ。
 役立たず用だと申し上げましたが、味見した限り、不味いスープではなかったですね。



 どうぞ、とハーレイの手がトレイを支えていてくれるから。
 添えられたスプーンで一匙掬って、零さないように口に運んでみたら。
(…美味しい…)
 煮込まれた野菜はトロトロになってて、舌の上でホロリと溶けてゆきそうで。野菜くずだなんてとても思えなくて、野菜の一番美味しい部分を選んで使ってあるような味。
 優しい甘み。ハーレイが言ってた野菜の旨味なんだろう。それと塩味とが深く絡み合って。
(…野菜くずと塩と水だけだ、って…)
 役立たず用の食事だ、と渡されたけれど。野菜くずと水と塩だけのスープなんだけど。
 それは本当に美味しかった。
 涙が零れてしまいそうなほどに、美味しくて優しいスープだった。



「如何ですか、ソルジャー?」
 お口に合いましたでしょうか、役立たず用にと特別に作って参りましたが…。
「美味しいけれど…。美味いか、って訊いてくれないんだ…?」
 そう言って訊いて欲しかったのに。昔のハーレイみたいな言葉で。
「あの口調はもう無理ですよ」
 こちらで慣れてしまったんです。この方が話しやすいんですよ。
「…でも、これを持って来てくれた時のハーレイは…」
 昔みたいに普通だったよ?
 「入るぞ」だとか、「起きろ」だとか。それに「食えるな?」とも言ってた筈だよ。
 ちゃんと普通に喋っていたのに…。
「腹を括って来ましたからね。なんとしてでも食べて頂こうと」
 あなたが弱っていらっしゃったのは、身体ではなくて心の方でしょう?
 そうではないか、と薄々感じておりましたが…。
 役立たずだなどと仰いましたから、間違いないと確信しました。放っておいたら、もっと弱ってしまわれる。そうなる前に、と起きて頂くことに決めたのですよ。
 無理にでも起こして食べて頂く。それが一番の薬です。
 役立たずだなどと仰るのならば、そのように。けれど、心のこもった食事を。



 ハーレイの口調は懐かしいものには戻ってくれなかったけど。
 乱暴な言葉で叩き起こされて渡されたそれが、優しいスープの始まりだった。
 役立たず用だなんて言ったけれども、ハーレイの心がこもったスープ。
 野菜くずと水と塩だけで出来た、何種類もの野菜の旨味が滋味深く溶け込んでいたスープ。
(これくらいは食べてもかまわないんだ、って思ったんだっけ…)
 何の役にも立たないぼくでも、ごくつぶしで無駄飯食いのぼくでも。
 お飾りのソルジャーに過ぎないぼくでも。
 だって、役立たず用に作られたスープ。野菜のくずから作られたスープ。
 そんなものくらいは食べていいんだ、って心も身体もホッとしたのを覚えてる。
 弱っていたのは身体じゃなくって、ぼくの心で。それを見抜いてくれたハーレイ。役立たず用のスープを作って、鉛みたいに重かった心を、身体をふわりと軽くしてくれたハーレイ。
 スープを食べながら、何度も御礼を言った、ぼく。
 「いいんですよ」って笑ってくれたハーレイ。
 「私にくらいは甘えて下さっていいんですよ」と優しく微笑んでくれたけれども。
 ハーレイの口調は元に戻らなくて、ぼくが眠りに落ちてゆくまでずっと敬語のままだった。



 それから何度、あのスープを作って貰っただろう。
 ぼくのためだけに、厨房の隅でハーレイが作る特別食。
 どんなに気分が落ち込んでたって、元気が出て来た役立たず用の野菜のスープ。
 シャングリラの改造が始まる頃には、ぼくは役立たずじゃなかったけれど。改造中の船は進路を急に変えられないから、ぼくがシールドで隠して守っていたんだけれど。
 そうして再び、ぼくの力が必要になる日まで、ぼくが元気でいられた秘密。
 ぼくはお飾りのソルジャーなんだ、って押し潰されずにいられた秘密。
 それがハーレイの野菜のスープで、野菜のくずと水と塩しか使っていないというスープ。



(…ホントは途中から、普通の野菜になってしまっていたんだろうけど…)
 シャングリラが白い鯨になった後でも、ぼくがあのスープを欲しがったから。
 ぼくが寝込んだらハーレイが作ってくれていたけど、材料は野菜のくずじゃなかった。
 青の間のキッチンで作っていたから、ぼくだってちゃんと承知の上。
 でも、そのスープは最初と変わらず、優しい甘みと塩味が複雑に絡み合ったもの。とろけそうなほどに煮込まれた野菜の旨味が美味しかったスープ。
(…ひょっとしたら、最初から野菜のくずとは違ったとか…?)
 どうなのかな、と思うけれども、今のぼくにはハーレイの心を読む力が無い。
 前のハーレイが「野菜くずだ」って言ったからにはそうなんだろう、と思うしかない。
 違ったんじゃないかな、と気になった所で知りようがないし、ハーレイはきっと言わないから。
 本当はどっちだったのかなんて、教えてくれっこないんだから…。



 だって、相手はあのハーレイ。
 前のぼくにスープを食べさせるためにだけ、乱暴な言葉で叩き起こした。
 ぼくよりも役者が上なんだもの。
 ちゃんとした野菜で作ったスープを「野菜くずだ」って言うくらい、きっと簡単なこと。
 「起きろ」と怒鳴ったハーレイだから。「馬鹿」と怒鳴ったハーレイだから。
 丁寧な敬語でしか話せないくせに、あの時だけは言葉遣いが昔に戻ったハーレイだから。

(今じゃ普通に昔の口調で喋ってるけどね?)
 ぼくを「お前」って呼ぶハーレイ。自分のことを「俺」って言ってるハーレイ。
 だけど変わらない、野菜のスープ。
 ぼくの大好きな、野菜スープのシャングリラ風。
 昔とそっくり同じレシピで、細かく細かく刻んだ野菜を基本の調味料で煮込んだスープ。
 地球の野菜を使っているから、うんと美味しくなっちゃったけれど。



 なんだか食べたくなってきちゃった、ハーレイのスープ。
 本当に食べてみたいんだけれど、昔も今も、あれは病人食だから。
(…仮病、使ってみようかな?)
 こんな風に冷える夜には、恋しくなる味。
 ハーレイが作る野菜スープが飲みたくなるから、もしもハーレイの家がお隣だったら。
 学校を休まなくてもお隣から直ぐに届くんだったら、たまに仮病も使ってみたい。
 心も身体も温まるスープ。
 その始まりを、こんな風に懐かしく思い出してしまった秋の夜には…。




           あの味の始まり・了

※ブルーが今も大好きな「ハーレイが作る野菜のスープ」。味付けは塩だけの素朴なもの。
 「役立たずなソルジャー用に」と生まれたのです、それがハーレイの優しい心遣い。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







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