シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
母に「晩御飯よ」と呼ばれて、階段を下りて入ったダイニング。両親と一緒の夕食の席。
温かな会話と笑いが途切れない中、ブルーの視線を引き付けたもの。
(んーと…)
蓋を取ったばかりの茶碗蒸し。食べようとスプーンを手にした所で気が付いた。
滑らかな表面には三つ葉が乗っているけれど。それはさながら…。
(…前のぼくだと、絶対プリンだと思うよね?)
器から抜かずに出されたプリン。甘くて柔らかな卵のお菓子。
プリンに三つ葉は乗っていないが、前の自分がこれを見たならハーブの一種だと思うだろう。
(お菓子にハーブって、よく使うものね)
シャングリラにもハーブは沢山あった。流石に三つ葉は無かったけれども。
その頃の自分が茶碗蒸しを見たら、プリンだとしか思うまい。甘いお菓子だと、卵の菓子だと。茶碗蒸しもプリンも卵なのだし、笑えはしない勘違い。
(そして、食べたらビックリなんだよ)
味も違えば、中身だって違う。プリンには決して入ってはいない、海老や銀杏、百合根など。
あの時代には無かった料理。思い付きさえしなかった料理。今のブルーは好物だけれど。
(ハーレイも同じこと、考えたかな?)
スプーンで掬った茶碗蒸しを頬張りながら、恋人の顔を思い浮かべる。
自分で料理をするハーレイは、茶碗蒸しとプリンが似ていることに気付いただろうか。それとも未だに気付くことなく、作ったり食べたりしているのだろうか?
(茶碗蒸しかあ…)
ハーレイは、たまに土産をくれるから。
「これは前の俺たちの頃には無かっただろう?」だとか、「懐かしいだろう」だとか言っては、ちょっとした食べ物やお菓子を土産に持って来るから。
自分もそうした新鮮な驚きを贈りたくなった。
茶碗蒸しとプリン。前の自分たちの頃には無かった茶碗蒸しの味を、ハーレイに。
だから…。
「ママ。今度の土曜日、お昼御飯は茶碗蒸しにしてくれる?」
お願い、と母に頼み込む。ハーレイと二人で食べてみたいと、自分の部屋で食べるのだと。
「茶碗蒸しを?」
怪訝そうな母には理由を説明せねばなるまい。同じく不思議そうにしている父にも。
「前のぼくとハーレイは知らないんだよ、これ」
ぼくも今日まで忘れてたけど、茶碗蒸しなんか知らなかったよ。
「そうなの?」
「もしも出されたら、絶対、プリンだと思って食べた!」
自分もハーレイもそうしたであろう、と力説する。
茶碗蒸しなるものをまるで知らなかった、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。彼らにそれを出してみたなら、菓子だと思うに違いないと。浮かべられた三つ葉はハーブなのだと。
「だからね、スプーンで掬って食べたら甘くなくってビックリだと思う…」
それに色々、入っているし。お菓子じゃないことは分かるだろうけど、驚きっ放し。
美味しいけれども変な食べ物だと、これもプリンの一種なのかと思うんだよ。
「あらまあ…」
言われてみれば、と母は父と顔を見合わせ、笑った。
ソルジャー・ブルーが生きた時代に、茶碗蒸しは存在しなかったろうと。
卵を溶いて、出汁と合わせて作る食べ物。昆布やカツオの出汁が無かった頃には無理だと、この手の料理を作れはしないと。
「ね、そうでしょ? だから土曜日は茶碗蒸し!」
お昼に作って、と母に強請った。
自分では作れない茶碗蒸し。調理実習で習っていないし、一度も作ったことが無い。
ついでに、忘れてしまいそうだから。
茶碗蒸しをプリンだと思って眺めていそうな前の自分を、すっかり忘れてしまいそうだから…。
案の定、ブルーは綺麗に忘れた。
茶碗蒸しをプリンだと思い込みそうな前の自分が居たということも、その茶碗蒸しをハーレイのために作って欲しいと母に頼んでいたことも。
土曜日の朝、今日はハーレイが来てくれるのだと上機嫌で朝食を食べに行ってみれば。
母が焼き立てのトーストを載せたお皿を差し出しながら、笑顔で尋ねた。
「今日のお昼は茶碗蒸しで良かったのよね?」
「えっ?」
何故そう訊かれたのか分からないから、ブルーは目を丸くしたのだけれど。母はハーレイの母が作った夏ミカンのマーマレードが入った大きな瓶をブルーの方へと寄せてくれて。
「茶碗蒸しって言っていたでしょ、ソルジャー・ブルーは知らないから、って」
プリンだと思うに違いない、って言っていたわよ、ソルジャー・ブルーが茶碗蒸しを見たら。
キャプテン・ハーレイもそうなるんだから、今度の土曜日は茶碗蒸しにして、って。
「忘れてた!」
頼んだことも、茶碗蒸しでプリンを連想したことも忘れちゃってた、と白状すると。
「あらあら…」
母は可笑しそうにクスクスと笑い、父も「子供の特権だな」と笑みを浮かべた。
毎日が充実しているからこそ忘れるのだと、一晩眠れば忘れてしまうのは心が健康な証拠だと。
「本当に大事なことを除けば、だ。忘れてしまって新しいことを詰め込まないとな」
「そうよ、子供はそれでいいのよ」
どんどん忘れてしまっていいのだ、と両親はブルーに教えてくれた。
大人になったら、そういうわけにはいかないけれど。子供の間は忘れていいのだと、そうやって空になった部分に新しい体験を次々に詰めてゆくのだと。
ただし、大切な事柄は別。約束だとか、学校の宿題だとか。それに習った授業の中身も。
そう教えられて、朝食を食べて。
部屋に戻って掃除を始めた時点ではまだ覚えていた。今日の昼食は茶碗蒸しだと、前の自分ならプリンだと思う茶碗蒸しを作って貰うのだ、と。
やがてチャイムが鳴り、ハーレイが訪ねて来てくれた後は、吹き飛んでしまった茶碗蒸し。どの時点で頭から消え去ったのかすらも分からないほどに見事に忘れた。
ハーレイと二人、部屋のテーブルで向かい合ってお茶とお菓子で午前中を過ごし、迎えた昼時。
階段を上がって来る足音の後で、扉がノックされ、カチャリと開いた。大きなトレイを手にした母が入って来て、にこやかに。
「お待たせしました。ソルジャー・ブルー御注文の茶碗蒸しをお持ちしましたわ」
「ママ…!」
いきなりソルジャー・ブルーと呼ばれて、ブルーは真っ赤になったけれども。
母は空になったカップやお皿やポットを手際よく、トレイに載せて来た昼食と入れ替えながら。
「どうせ、また忘れていたんでしょ?」
茶碗蒸しを頼んでいたってこと。忘れてました、って顔に書いてあるわよ。
「うん…」
「いいのよ、朝にも言ったとおりよ。楽しかったから忘れちゃうのよ、茶碗蒸しのこと」
ハーレイ先生とお話していて忘れたんでしょ、と蒸し立ての茶碗蒸しの器が置かれた。それからスプーンと、他の料理を食べるためのお箸。
澄まし汁に御飯、野菜の煮物と白身魚の塩焼きと。茶碗蒸しが引き立つ、シンプルな料理。
「ごゆっくりどうぞ」と扉を閉めて、母は階下へと戻って行ったが…。
「何なんだ、お母さんが言ってた茶碗蒸しってのは」
ハーレイがまじまじと茶碗蒸しが入った器を見詰める。
蓋がぴったり閉まった器。熱でテーブルを傷めないよう、下に敷かれた茶托にも似た木製の受け皿。茶碗蒸し以外の何物でもないが、シチュエーションが理解し難い。
だから恋人に尋ねてみたのに、ブルーの答えは説明になっていなかった。
「茶碗蒸し…」
それくらいは見れば分かるから。茶碗蒸しだとは直ぐに分かるから、ハーレイは的外れな言葉を返したブルーに対する質問を変えた。
「茶碗蒸しの方はともかくとして。…どうして其処でソルジャー・ブルーの名前が出るんだ」
お母さんは御注文の品だと言ったぞ、お前じゃなくって前のお前が注文したのか?
この茶碗蒸しを作ってくれと。
「そうじゃなくって…。前のぼくだと注文のしようがないんだよ」
「はあ?」
「茶碗蒸し。前のぼくには絶対、注文出来っこないんだ」
だって、知らない食べ物だもの。前のぼくは茶碗蒸しなんか見たこともないし、一度も食べてはいないんだけど…。
前のハーレイは茶碗蒸しって食べ物、知ってたわけ?
食べたことがなくても、どんな食べ物かデータベースで見てたとか…。厨房に居た頃はレシピを色々調べていたから、その時に茶碗蒸しも見た?
知っていたか、と問われてみれば、ハーレイの記憶にそれは無かった。
今のハーレイではなくて、キャプテン・ハーレイ。その頃の記憶に茶碗蒸しは影も形も無くて。
「そういえば…。知らんか、前の俺の時には」
データすらもお目にかかっちゃいないな、見た覚えが無い。
今じゃすっかり馴染みの料理で、美味そうな具が揃った時には作るんだがなあ…。
「やっぱり? ぼくもこの間、驚いたんだよ。ママの茶碗蒸しを食べようとしてて…」
スプーンを持ったら気が付いたんだ。これはプリンじゃないんだよね、って。
「なるほど、プリンか。…うん、前の俺たちがこいつを見たならプリンだな」
間違いない、とハーレイが蓋を取り、ブルーも自分の茶碗蒸しから蓋を外して。
「何処から見たってプリンでしょ? 三つ葉だってハーブと間違えるんだよ」
「そいつは間違いってわけでもないぞ。三つ葉も一種のハーブだと言える」
ハーブティーには向いちゃいないが、この地域で採れるハーブだな。
独特の香りってヤツがするだろ、神経を鎮めてくれるんだ。気持ちが落ち着くハーブなのさ。
「そうだったの?」
「うむ。食欲増進と消化にも効く。だが、プリンの甘さには合わないなあ…」
「でしょ? だからね、前のぼくが茶碗蒸しを食べたら、三つ葉の味にビックリして。…その後でもっとビックリするんだ、このプリンは全然甘くない、って」
「別物だからな、同じ卵の料理でもな。…第一、こいつは菓子ではないし」
しかし美味い、とスプーンで掬って頬張るハーレイ。
前の自分たちは知らなかった味だが、今では大好物なのだと。作って食べたくなる味だと。
ハーレイが美味しそうに食べているから、ブルーも嬉しくてたまらなくなる。
母が作った、優しい味の茶碗蒸し。
前の自分ならプリンと間違えて驚いただろう、茶碗蒸し…。
海老はともかく、銀杏に百合根。それから三つ葉。
溶いた卵と合わせてある出汁も、前の自分たちが生きた時代には食材として存在しなかった。
イチョウの木の実が食べられることなど知らなかったし、百合の根っこも。三つ葉に至っては、そういう植物が在ること自体を知らずに生きて終わってしまった。
食べられなかった茶碗蒸し。知りもしないで終わった食べ物。それをハーレイと二人、こうして食べられる幸せにブルーが頬を緩ませていたら。
「茶碗蒸しか…。前の俺には作れんな」
無理だな、とハーレイが呟いたから。
キャプテンになる前は厨房で料理をしていたハーレイが残念そうに言うから。
「当たり前でしょ? 無かった料理は作れないよ」
前のぼくもハーレイも知らなかったんだよ、茶碗蒸しなんか。材料だって無いし。
「いや、その辺の事情もあるがだ、卵がな…」
肝心の卵が充分に手に入らなかった。覚えていないか、俺が厨房に立っていた頃。
「そっか、卵…。保存食用の乾燥卵はあったけれども、普通の卵…」
いつも殆ど無かったっけね、輸送船には滅多に積まれていなかったから。
何処の星でも鶏さえ飼えば手に入るんだし、わざわざ輸送する必要が無かったんだっけ…。
「うむ。殻に入った卵は常に不足しがちな世界だったな、卵地獄を除けばな」
前のお前が奪った物資が偏った時の。これでもか、ってくらいに卵が溢れてた時の。
あれを除けば、普通の卵はたまにしか船に無かったからなあ…。
全員に卵がメインの料理を出せるほどには量が無かった。茶碗蒸しを作るには卵不足だってな。
「そうだっけね…。殻に入った普通の卵は、あの頃、貴重だったんだっけ…」
鶏を飼って、卵を産ませて。
いつでも食べられるようになった頃には、ハーレイ、とっくにキャプテンだったね。
茶碗蒸しを作りに厨房へ、ってわけにはいかない、シャングリラの最高責任者。
みんなの分の茶碗蒸しなんかを作ろうとしてたら、たちまち係が飛んで来るよね、それは自分の仕事ですから、って。
前のハーレイが料理をしていた頃には、卵不足で作れなかったという茶碗蒸し。
たとえレシピを知っていたとしても、その材料があったとしても。
充分な量の卵がシャングリラで供給され始めた時は、ハーレイはキャプテンだったから。厨房に立とうとすれば担当のクルーが慌てそうな立場になっていたから、茶碗蒸しは無理。
しかし…、とハーレイはブルーを見詰めて苦笑する。
「俺がキャプテンではなかったとしても、茶碗蒸しは作れやしなかったんだがな」
レシピも無ければ材料も無いと来たもんだ。茶碗蒸しそのものが無かった時代じゃ仕方ない。
卵が沢山あったとしたって、俺に作れたのは、せいぜいプリンだ。
茶碗蒸しじゃなくてプリンの方だな。
「ハーレイのプリン…。食べたことないよ?」
前のぼく、一回も食べていないよ、ハーレイのプリン。卵地獄もあったのに。
「卵地獄じゃ、砂糖が足りなかったんだ。俺が厨房に立ってた頃には菓子の類は作っていない」
あれだけの数の卵があったら、プリンもケーキも作り放題って光景だったが、砂糖がな…。
料理するために必要なだけの砂糖を取ったら、菓子の分は残らなかったんだ。
もっとも、一人分くらいなら作れそうだな、とプリンのレシピを見てはいたんだが…。
作ってやったら喜ぶだろうな、とチビだったお前を思い浮かべてはいたんだが…。
「どうして作ってくれなかったの?」
他の人にバレたら大変だから?
ぼくにだけコッソリ食べさせていた、ってバレてしまったら叱られるから?
「まさか。バレるようなヘマはやらかさないが、だ」
甘やかしたらいかんだろうが。いくらチビでも。
「そういう発想?」
「クセになっても困るしな? また作って、と強請りに来るとか」
「ハーレイのケチ!」
チビだったんだよ、作ってくれても良かったのに。
いつもチビだって言ってたんだし、ちゃんとチビらしく子供扱いでも良かったのに…!
酷い、と膨れっ面になったブルーに、「残念だったな」とハーレイが片目を瞑ってみせた。
「前のお前がただのチビではなかったなら。…俺はプリンを作ったんだがな」
「えっ?」
それって、ソルジャーだったら、ってこと?
卵地獄の時にソルジャーだったら、ハーレイのプリンを食べられたの?
「馬鹿。ソルジャーの特権で食べてどうする、そんなの美味くはないだろうが」
他のみんなが食べられないものを一人だけ食べて嬉しいか、お前?
ソルジャーなんていう称号のお蔭で、自分一人だけで特別なものを。
「…嬉しくないけど…。ハーレイに「作れ」って命令する気にもならないけれど…」
「そうだろう? だからソルジャーって意味じゃないんだ、俺が言うのは」
前のお前がただのチビではなかった時。
そいつは、お前が俺の一番古い友達じゃなくて、俺の恋人だった時さ。
でなければ、俺がお前に惚れてて、恋人になってくれたらいいなと夢を見ていたか。
「えーっと…。恋人だったら作ってくれるっていうのは分かるけど…」
恋人じゃなくて、ハーレイの片想いだった時でも作ってくれたの?
ハーレイがコッソリ作ったプリンを食べられたの?
「当然だ。惚れた相手は餌で釣る。基本の中の基本だろう?」
普通は女性が使う手だがな。
惚れた男にあれこれ作って、まずは胃袋から攻めて行け、ってな。
餌で釣るのだ、とハーレイが惚れた相手の捕まえ方を口にするから。
胃袋を掴んだら次は心だ、と言っているから、ブルーは胸を高鳴らせて尋ねてみた。
「ねえ、ハーレイ。…卵地獄だった頃、ハーレイがぼくを好きだったなら…」
プリン、作れた?
お砂糖の量が少ない頃でも、ぼくにプリンを作ってくれた…?
「そりゃもう、頑張って作ったろうなあ。試作品だ、とコソコソとな」
試作品だったら俺しか試食をしなくて普通だ、絶対にバレん。
甘い匂いさえさせていなけりゃバレやしないし、細心の注意を払ってプリン作りだ。会心の作のプリンが出来たら、お前の部屋へと直行だな。是非、食ってくれと。
「…ハーレイのプリン、食べ損なった…」
試作中のでも食べたかったのに。完成品でなくても、ハーレイのプリンが欲しかったのに…。
「仕方ないだろうが、物事には順番っていうものがある」
惚れてもいないのに作ると思うか、チビのためにとプリンをコッソリ。
ただのチビでは食わせても意味が無いってな。
「うー…」
チビだ、チビだと連呼された上、食べられなかったハーレイのプリン。
前のハーレイがブルーのためにと、コッソリ作ったかもしれないプリン。
食べ損ねたことが悔しくてたまらない、ブルーだけれど。
呻くしかなかったブルーだけれども、ふと考えた。今のハーレイはどうなのだろう?
茶碗蒸しも作るというハーレイ。
料理上手な今のハーレイは、プリンも作ったりするのだろうか…?
これは訊かねば、と気分を切り替え、ブルーは目の前の恋人を見詰めた。
母の茶碗蒸しを美味しく食べ終え、他の器に盛られた料理も空にしつつあるハーレイを。
赤い瞳を期待に煌めかせ、息を吸い込んで気分を落ち着かせて。
「じゃあ、今は?」
今のハーレイ、プリン、作れる?
作ったりするの、と問い掛けてみれば、ハーレイが「まあな」と返したから。
「ハーレイ、プリンも作るんだ?」
「うむ。これでもけっこう得意なんだぞ、俺のおふくろの直伝なんだ」
一度に沢山作れるからなあ、柔道部だとか水泳部だとか。
俺が指導するクラブのガキどもが家に来た時に御馳走するんだ、気が向いたらな。
「えーっ!」
いいな、とブルーは思わず叫んでしまったけれど。
自分は遊びに行くことが出来ないハーレイの家に行けて、プリンまで御馳走になれる生徒たちが羨ましいと心底、思ったのだけれど。
其処で閃いた打開策。ハーレイのプリンを食べる方法。
これはいける、と自分で自分を褒め称えたくなる名案が天から降って来た。
ハーレイが家でプリンを作っているなら、これを逃す手は無いだろう。ハーレイの母の直伝だというプリンを是非とも食べなければ、とブルーはアイデアを実行に移すことにした。
なんとしてでも、ハーレイのプリン。
今のハーレイが作るプリンを、と。
「ハーレイ、お願い! ぼくにもプリン!」
作って、と頭をガバッと下げた。
チビはチビなりに、子供らしくおねだり攻撃に限る。うんと素直に、精一杯に。
「プリンって…。お前、俺の家には来られないだろうが」
違うのか? と鳶色の瞳が咎めるような光を帯びた。
小さなブルーはハーレイの家に行くことを許されておらず、行ったとしても入れて貰えない。
前の生と同じ背丈になるまで、ソルジャー・ブルーと同じ背丈になるまで。
それまではキスが駄目なのと同じで、ハーレイの家にも来てはならないと諭されていた。なのに来る気かと、約束を忘れてしまったのかと、鳶色の瞳が睨んでいるから。
それは駄目だと睨み付けるから、ブルーは負けじとキッと顔を上げた。此処からが勝負。
「行けないから、ハーレイが持ってくるんだよ!」
プリンを作って、ぼくの家まで。
来ちゃ駄目だって言うんだったら、ハーレイのプリンを持って来てよ!
一個でいいから、と食い下がるけれど、ハーレイは「駄目だな」と素っ気なくて。
「俺の手料理を持ってくるのは駄目だと言ったろ、お母さんの手前」
そんなことをしたら恐縮される、と何度も言ったと思うがな?
たった一個のプリンであっても、俺が作ったということになれば申し訳なく思われちまう。
俺が全く気にしてなくても、お母さんの方はそうはいかない。
次は御礼にうんと沢山御馳走を、ということになるか、俺に土産が用意されるか。
どちらかになるのは見えているんだ、俺がタダ飯を食ってるだけでも「いつもブルーがお世話になります」って御礼ばかり言われているんだからな。
絶対に駄目だ、とハーレイはブルーに釘を刺した。
たかが一個のプリンといえども、ハーレイが作って持って来たなら手料理と変わらないのだと。
ブルーの母を恐縮させるし、気を遣わせてしまうのだと。
「分かるな、お前はチビだけれども馬鹿じゃないしな?」
お母さんを困らせたくはないだろう?
それに俺もだ、お前のお母さんに迷惑をかけるのは御免だからな。
諦めろ、と頭をクシャリと撫でられたけれど、ブルーのアイデアはまだ終わってはいなかった。ハーレイがこう言ってくることも予想の範疇、まだまだ敗北したわけではない。
勝負はこれから、得意げな笑みを湛えて褐色の肌の恋人を見上げた。
「だからプリンがいいんだよ」
プリンだったら、そういったことも大丈夫。これはプリンだから出来ることだよ。
「…どういう意味だ?」
不審そうな恋人に、ブルーは一気に勝負をかけた。素晴らしい閃きを披露するべく。
「お店のプリン。器に入ったのを売っているでしょ、壊れないように」
家に帰るまで壊れないように、何処でも器に入っているよ。
お店のマークが入ったのもあるし、シンプルなのとか、可愛いのだとか…。
そういうプリンを何処かで買ってよ、そしてハーレイが食べるんだよ。中身を食べたら、それを使ってハーレイのプリンを作ればいいでしょ?
お店の器で、おんなじプリン。
買って来た時の箱に入れたら、ママにも絶対、分かりっこないよ。
そうやってハーレイのプリンを作って、「買って来ました」って持って来たなら大丈夫。
今日のお土産はプリンなんです、って。
バレはしない、とブルーは料理上手の恋人に強請った。
お菓子の専門店で売られているプリン。それを買って中身を入れ替えてくれと、ハーレイ自慢のプリンを作って店の器に入れて来てくれと。
「そうだ、明日ならホントのホントに安全だよ?」
今日の茶碗蒸し、前のぼくたちにはプリンに見える、って話をしてたってママも知ってるし…。
それにちなんでプリンを買って来たんですが、って言ったら、ママだって不思議がらないよ。
ハーレイ、今日はプリンを作ってみない?
ぼくの家から帰る途中に、何処かのお店でプリンを買って。
「おい…! 俺に店で普通に売ってるプリンの偽物ってヤツを作れってか?」
しかも器を手に入れるために、店でプリンを買うのか、俺が?
「駄目…?」
いいアイデアだと思うんだけど…。明日のお土産なら、もう完璧だと思うんだけど…。
「なんで其処までしなくちゃならん」
たかがプリンだ、どうしてプリンで俺が偽物作りまで…!
「だって、ハーレイのプリン…」
食べたいんだもの、今のハーレイが作っているなら。クラブの子たちに御馳走するなら…。
「お前なあ…。悪知恵を巡らす暇があったら、少しくらいは背を伸ばすんだな」
そうやって背丈を伸ばしていって、だ。堂々と食えるようになるまで待て。
俺の家のチャイムを鳴らして、入って。
プリンどころか飯も食って行ける背丈になるまで、俺のプリンは我慢しておけ。
「ハーレイのドケチ!」
お店でちょっとプリンを買うだけだよ。中身を入れ替えるだけなんだよ!
そうしたら、ぼくも食べられるのに…。
ハーレイのプリン、ぼくの家でも食べられるのに…!
酷い、とブルーは叫んだけれど。
まだ当分は食べられないらしい、ハーレイが作る自慢のプリン。
そういう食べ物が存在するのだと知らされた切っ掛けは茶碗蒸し。
前の自分とハーレイが知らないままで終わった茶碗蒸し。
それを話の種にしようと母に強請ったのは自分だから。
茶碗蒸しをハーレイに出してしまって、プリンの話を持ち出したのも自分だから。
これを藪蛇と言うのだろうか、とブルーはガックリと項垂れる。
ハーレイが目の前で語り続ける、自慢のプリンの味の秘訣と評判の良さを聞かされながら…。
茶碗蒸し・了
※前のブルーたちが知らなかった料理が茶碗蒸し。プリンだと思うことでしょう。
そして今のブルーが欲しくなってしまった、ハーレイのプリン。食べられる日は遠そうです。
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