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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

雲海の船

(秋の訪れ…?)
 なんで、とブルーは新聞の記事を覗き込んだ。
 学校から帰って、ダイニングのテーブルでおやつの時間。ついでに広げてみた新聞。秋の訪れと謳った記事には一枚の写真が添えられていた。
 山並に囲まれた雲海の写真。何処か山間の盆地なのだろう、昇る朝日に真っ白に輝く一面の雲。文字通りの雲海、まさに雲の海。その真ん中の辺り、船が浮かぶように突き出た山の頂。
(ここだけ高くなっているんだ…)
 盆地の中に聳える山。雲の海にぽっかり浮かんだ船。船の形はしていないけれど、その姿は船を思わせる。
(シャングリラみたい…)
 雲海の星、アルテメシアに潜んでいた船。ミュウたちの楽園だった船。
 白い鯨を思い出させる写真だけれども、問題は「秋の訪れ」と付けられた見出し。雲海を指しているようなのだけれど…。



(あれって、年中あるんじゃなかった…?)
 アルテメシアを覆っていた雲海。一年中、消えることのなかった雲の海。
 ミュウたちの安全な隠れ場所。巨大なシャングリラを人類の目から隠し通してくれた雲海。
 シャングリラはいつも雲の中だった。
 そう、いつだって。一年を通して、常に雲の中。
(雲が消えちゃったことなんて無いよ?)
 隠れ住んでいた長い年月、一度も消えはしなかった雲の海。雲海に包まれていたシャングリラ。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 雲海の中に隠れていたから、誰もが安心して暮らしていられた。人類に発見されたりしないと、この雲の海がある限りは、と。
(あれが消えちゃったら、大変なことになっちゃうんだけど…!)
 シャングリラは隠れ蓑を失い、その船体を曝け出すことになっただろう。そうなれば、たちまち不審な船と認定されて、恐らくは何者かを問う通信。応答しなければ、即、攻撃される。
(そうなったら、もう逃げるしか…)
 ステルス・デバイスだけで完全に姿を消すことも可能ではあったけれども、アルテメシアからは逃げるしかない。姿を消してまで其処に残れば危険の方が大きいから。
 新しい仲間を救い出すことも大切だけれど、船に乗っている仲間たちの命が最優先。皆を危険に晒せはしないし、新しい仲間の救出は諦め、宇宙へと逃げてゆくしかない。



 けれど、そんな目に遭いはしなかった。雲海は一度も消えたりはせずに、アルテメシアを、白いシャングリラを包み続けた。
 雲海の星、アルテメシア。雲の海に覆われ続けた星。
(だからあの星を選んだのに…)
 シャングリラを隠す場所として。
 暗い宇宙を飛び続けていれば、居場所が欲しくなってくる。踏みしめる大地は手に入らずとも、せめて星の上を飛んでいたいと。
 改造を済ませ、白い鯨となったシャングリラで居場所を求めて宇宙を旅した。広い宇宙の中にはきっと条件に適う星があるに違いないと、それを見付けようと。
 そうして辿り着いたアルテメシアは、理想的な星で。
(人類が暮らす育英都市があって、いざとなったら簡単に物資の補給が出来て…)
 おまけに、雲海。
 データでは一年中、雲に覆われた星だというから、アルテメシアに隠れようと決めた。白い雲の海に船を隠せば、決して人類に見付かりはしない。
 雲の中さえ飛んでいたなら、雲の海に潜って飛んでいたなら。



(アルテメシアの雲、秋のものなんかじゃなかったよ…?)
 もしもそうなら、一年の内の四分の一しかアルテメシアには隠れていられなかっただろう。他の季節は宇宙を旅して、秋の間だけアルテメシアに滞在するという、それはさながら渡り鳥。
 しかしシャングリラは渡り鳥にはならなかった。一年を通じてアルテメシアの雲海の中で、長い年月を其処で過ごした。
(だけど、秋って…)
 何故、と雲海の写真を載せた新聞記事を読み進めてみれば、雲海はやはり秋のもの。
 盆地を埋め尽くすほどの雲の海がこうして発生するには、それに適した気象条件があるという。
(んーと…)
 最適な季節は春と秋。
 どちらかと言えば秋の方が多く見られるらしくて、「秋の訪れ」と謳った記事になるらしい。
 今年もこういう季節になったと、雲海が綺麗なシーズンが来た、と。

(アルテメシアが変だったわけ…?)
 今の今まで、雲海は一年中あると思っていたけれど。
 小さなブルーが暮らす地球では違うと言うから、秋のものだと新聞記事になるほどだから。
 アルテメシアはきっと、変わり種の星。秋でなくとも、春でなくとも雲海が発生し続けた星。
 恐らくはそれに適った気象条件が揃っていたのだろう。
 この新聞の写真のように低い盆地を埋める雲ではなかったけれども、あれも雲海。
 消えることのない雲の海なら、普通の雲ではないのだから。
 普通の雲ならいつか消えてしまうし、それが消えずにある星だからとアルテメシアを選んで船を隠していたのだから…。



(でも、綺麗…)
 雲海が出来る仕組みはともかく、秋の訪れを謳った写真。
 こんな風にシャングリラが雲海にぽっかりと浮かんでいたなら。
 雲の海から突き出して見える山の頂のように、雲の海に浮かんだ船を思わせる山のように。
 朝日に照らされた山の頂。
 この山が白い鯨であったなら…、と想像の翼を広げるけれど。
(…そんなシャングリラは見られなかったよ…)
 朝日に輝く白い鯨は。
 雲の海に浮かぶ、白い鯨は。
 あの星ならば朝日でなくとも、シャングリラは雲海の上で光を受けて輝いたろうに。真昼の光も沈む夕日も、シャングリラを鮮やかに照らしたろうに。
 けれど、そんな機会は一度も無かった。シャングリラは浮上しなかったから。
 雲の海から出なかったから…。



(…最後だけだ)
 アルテメシアを離れた時。
 サイオン・トレーサーに追われて浮上した時、シャングリラは昼の光の下に出た。
 それよりも前に、成層圏まで飛び出したジョミーを救い出すために雲海から姿を現しはしたが、あの時は夜。シャングリラを照らし出す太陽の光は何処にも無かった。
 だから機会は一度だけ。
 人類軍の猛攻を浴びてアルテメシアを捨てた、あの戦闘の最中だけ。
(…でも、あの時だって船全体は…)
 多分、見えてはいなかったろう。白い鯨はその姿を隈なく見せてはいなかったろう。
 ブルー自身は船の被害状況を探るのが精一杯で、どういう形で浮かんでいるのかを把握出来てはいなかったけれど。
 アルテメシアを離れなければ、と決断を下しはしたけれど…。
(…シャングリラ、全体が見えてたのかな?)
 雲の海の上に浮かんだろうか、と遠い記憶を手繰ってみても思い出せない。
 仕方ないから新聞を閉じて、食べ終えたおやつの器を母に渡して、部屋に戻って。



(うーん…)
 シャングリラの写真集を開いたけれども、ある筈も無かった。
 ハーレイとお揃いで持っている写真集。懐かしい白い鯨の写真を収めた豪華版。
 今日まで何度も開いたのだし、あったならば記憶に残っている筈。
(…やっぱり無いや…)
 雲海に浮かんだシャングリラの写真。
 さっきの新聞記事で見た写真みたいに、雲海に突き出していた山の頂のように、雲の上に浮かぶシャングリラ。朝日を受けて光り輝くシャングリラ。
 真昼の光でも夕日でもいいのに、その写真が無い。ただの一枚も。
 雲海に浮かぶシャングリラを捉えた写真は一枚も入っていない。
 白い鯨は、あれほどに雲に馴染んでいたのに。
 長い歳月を雲に守られ、雲海の中に浮かんでいたのに…。



(アルテメシアから逃げ出す時には、そんな姿も見えたのかな?)
 雲海の上に浮かんだ白い鯨を自分たちは全く見ていないけれど、攻撃して来た人類軍。それから監視していたであろう、ユニバーサルの職員たち。
 彼らは鯨を見ただろうか。雲海に浮かぶ白い鯨を、光を受けて白く輝くシャングリラを。
(…綺麗だとは思ってくれなかっただろうけど…)
 それでも彼らは見たかもしれない。
 前の自分でさえ、一度も見られずに終わった景色を。雲海に浮かぶシャングリラを。
(誰か見た人、いるのかな…?)
 どうなのだろう、と考え込んでいると、来客を知らせるチャイムの音。窓辺に駆け寄ってみれば長身の人影。庭を隔てた門扉の向こうで、こちらを見上げて手を振るハーレイ。
 これは訊かねば、とブルーは質問をしっかりと頭に叩き込んだ。
 恋人が来てくれた喜びの前に、すっかり吹っ飛んでしまわないように。



 ハーレイと二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせに腰掛けて。
 ブルーは早速、自分の頭を悩ませていた疑問を恋人にぶつけてみた。
「ねえ、ハーレイ。前のぼくたちがアルテメシアから逃げ出した時…」
「ん?」
「シャングリラ、雲海の上に浮かんだ?」
 船全体が雲海の上に見えていたかな、お日様の下に。
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をするハーレイに「今日の新聞だよ」と返した。
「雲海は秋のものなんだって。それでね、朝日に照らされた山の天辺が船みたいで…」
 まるで浮かんでるように見えていたから、シャングリラはどうだったんだろう、って。
 お日様の光で白く光っていたのかなあ、って…。
「ああ、そういう綺麗な景色のことか」
 雲海の上に浮かんでいたかと、船全体が見えていたかって意味なんだな?
「うん。ぼくたちからは見えなかったけど、人類はそれを見られたのかな、って」
 綺麗だっただろうと思うんだけど…。もしも人類が見ていたならば。
 ミュウの船でも綺麗じゃないか、って思う人だって一人くらいはいたかもしれないと思わない?
「あの時は無理だな、船体を全部見せちまったら敵の思う壺だ」
 それに、逃げると決めてワープの準備に入った時。
 その時が一番外に出た部分が多かったんだが、残念ながら半分も見えちゃいないってな。
 上げ舵で船首が真上に突き出しただけだ、お前の望むような景色じゃなかった。
「そっか…」
 残念、とブルーは溜息をついたけれども、諦め切れない雲に浮かんだシャングリラ。
 雲海の上で光り輝くシャングリラ。
 だから恋人に重ねて尋ねることにした。ハーレイはそれを知っているかもしれないから。



「その後にも、無い?」
 シャングリラと、雲海。それが綺麗に見えるような時。
「いつだ?」
「アルテメシアに戻った時とか…」
 前のぼくが死んじゃった後に、アルテメシアに行ったでしょ?
 その時に雲海の上に浮かんでいないの、シャングリラは?
「うーむ…」
 ハーレイの眉間に皺が寄ったから、ブルーは「なあに?」と首を傾げた。
「どうしたの、ハーレイ? ぼく、変なことでも訊いちゃった?」
「お前、歴史をきちんと勉強してたか?」
「えっ?」
「居眠りしないで聞いていたか、ということだ。ついでにちゃんと覚えたのか、と」
 馬鹿、と額を指先でピンと弾かれ、「いたっ!」と大袈裟に押さえてみせたブルーだけれど。
「何するの! 痛いよ、ハーレイ!」
「馬鹿で間抜けなお前が悪い。雲海とシャングリラっていう組み合わせで頭がパンクしてるな」
 いいか、授業で教わる基礎の基礎だぞ、「忘れました」では済まないレベルだが?
 よくよく歴史を思い出してみろ。
 アルテメシア侵攻は夕方からだと習わなかったか、学校で?
「そういえば…」
 宣戦布告は夕方だった、って習ったかも…。
 陥落した時は夜だったかも…。



「ほら見ろ、馬鹿」
 ハーレイにまたも「馬鹿」と言われて、ブルーは唇を尖らせたけども。そのハーレイは気にせず続きを口にした。
「アルテメシアには夜の間に降りちまったんだ、雲海も何も無いってな」
 雲を突き抜けて降りた後には、アタラクシアの上空に停泊していたし…。
 次の目標へとアルテメシアを出発した時も、のんびり雲の上にはいないさ。突き抜けただけだ、真っ直ぐ宇宙へ向かってな。
「じゃあ、シャングリラが雲海の上を飛んでいる景色って…」
「見たヤツは誰もいないんじゃないか?」
 俺が思うに、誰一人として。
「えーっ!」
 そんな、とブルーは叫んだけれども、ハーレイの手が伸びて来て。大きな手がブルーの頭を軽くポンと叩いて、クシャリと撫でて。
「これはキャプテンとしての俺の勘だが…」
 あの船のキャプテンを誰よりも長くやっていた俺の勘なんだが。
 シャングリラが雲海に浮かぶ所は、誰一人として見ちゃいない。そんな気がするな、それを見たヤツは誰もいないと。



 雲海に浮かぶシャングリラ。
 それを見た者は誰もいないとハーレイが言うから。キャプテンとしての勘だと言うから、小さなブルーは首を捻った。何故ハーレイはそう言えるのかと、誰もいないと言えるのかと。
「なんで? …どうして誰も見ていないって言えるの?」
「勘だと言ったろ、ヒントはお前も持っているんだ。その写真集さ」
 あれだ、とハーレイが指差した先にシャングリラを収めた写真集。勉強机の上に置かれたままになっていたそれを示して、ハーレイは「あれに入っていないだろう?」と問い掛けた。
「何が?」
「お前の言ってる、雲海に浮かぶシャングリラの写真。あの中にそれは一枚も無い」
 もしも誰かがそれを見たなら、きっと写真集に入っているだろう。
 お前の想像どおりの景色を見たヤツがいたら、写真を撮らない筈がない。綺麗なんだからな。
 写真はたちまち評判になるし、そいつを撮ろうと頑張るヤツだって出て来るさ。
 そうして写真集を作ろうって時には絶対に入る。
 宇宙空間もいいが、そいつを何枚も載せるよりかは、雲海に浮かぶ姿だろうが。
 シャングリラと言ったらアルテメシアで、アルテメシアは今も昔も雲海の星で有名なんだぞ。



「そうかも…。ハーレイの言う通りかも…」
 本当に誰も見なかったのかもしれないね。シャングリラが雲海に浮かんでる所。
 絶対、似合う筈なのに…。とても綺麗だろうと思ったのに…。
「俺はシャングリラ全体を雲海の中で肉眼で見てはいないんだが…」
 前のお前はサイオンの助けを借りて見ていた。アルテメシアで外へ出る度にな。
 雲海とシャングリラを一番長く見ていたお前でも、今まで気付かなかった景色だ。雲海に浮かぶシャングリラってヤツは。
 トォニィたちが思い付かなくても仕方ないだろ、シャングリラと雲海の組み合わせを。
 乗ってるヤツらが気付いてないんだ、他のヤツらがそうそう気付くか?
 よっぽどの偶然ってヤツが無ければ出会えない景色で、まず見られない。
 そして見たヤツはきっと誰もいなくて、シャッターチャンスも無かったのさ。



 誰一人として知らない景色だ、とハーレイは語る。
 一面の雲の海に浮かぶシャングリラの姿は誰一人知らず、見もしないままで終わったのだと。
「写真集が出るほどの船なんだぞ? 其処に無いなら、そういう景色も無かったんだ」
 雲海の上を飛んでいることはあったんだろうが、どう見えるかに気付かなかった。
 だから無いんだな、その写真は。
「…だけど、写真もそうだけど…。せっかく雲海の星に居たのに…」
 前のぼく、どうして気付かなかったんだろう?
 シャングリラを雲の海に浮かべたら綺麗だってことに。きっと綺麗に違いない、って…。
「雲海に対する認識ってヤツの違いだな。前のお前と、今のお前と」
 今のお前は日頃から普通に雲を見てるし、雲海の写真も「綺麗だ」と思って眺めているが、だ。
 前のお前はそうじゃなかった。雲海はシャングリラを隠すためのもので、眺めるためのものじゃないんだ。其処にシャングリラを浮かべようだなんて、絶対に思い付く筈が無い。
 あの時は浮かぶには危険すぎた。雲海の上に浮上したなら、ステルス・デバイスに何かあったら見付かって攻撃されるだけだ。シャングリラは雲の中に隠れているしかなかったわけさ。
 そして平和な時代になったら、もう雲海は要らなかったんだ。何処にでも堂々と停泊出来るし、雲の海は必要無いってな。



「…もしかして、並び立たないの?」
 シャングリラと雲海。
 雲海に隠れるか、雲海なんて無い場所に堂々と出るか。シャングリラにはそれしか無かったの?
「そういうことだな。なまじ隠れ蓑にしていたっていうのが仇になった、と」
 堂々と出られる時代になったら、誰も雲海を見向きもしなくなっちまった。
 突き抜けて飛んでゆくことはあっても、上にのんびり浮かんでいようとは思わなかった。
 だから誰一人、そいつを見てはいないんだ。どう見えるのかにも気付かないままで。
「シャングリラ…。雲海の上に浮かべてあげたかったな」
 白く眩しく光って見えるように。綺麗な船だ、って分かるように。
 朝日でも夕日でも、真昼のお日様でもいいから、一回くらいは雲海の上に…。



「それを言うなら月も良くないか?」
 月の光だ、とハーレイが挙げる。満月の光も悪くはない、と。
「お月様?」
「雲海は此処じゃ秋のものだが、秋は月だって綺麗に見えるぞ。なんたって月見が二回もある」
 秋だけで二回だ、芋名月と豆名月。芋名月が仲秋だな。豆名月は栗名月とも言うんだが…。
 満月は年中あるというのに、月見と言ったら秋だけだろう?
 しかも二回もだ、他の季節には一度も月見が無いのにな?
 その満月の光でシャングリラを照らしたら映えると思うぞ、雲海の上で。
「お月様で光るシャングリラかあ…」
 白って言うより銀色だね、きっと。
 お月様がもう一個あるみたいだよね、銀色の鯨の形をしたのが。
「月の光っていうのもいいだろ、綺麗なシャングリラが見られそうだぞ」
 雲海も月の光を映すからなあ、そりゃあ夢みたいな景色だろうさ。月とシャングリラ。
「見てみたかったな、お月様の下のシャングリラ…」
 見たかったな、と呟いたブルーは「あれっ?」と声を上げた。
 頭に浮かんだアルテメシア。さっきハーレイに「馬鹿」と呆れられた歴史の大切な一コマ。
「それなら、アルテメシア侵攻の時にも…。夜だったんだし、お月様なら…」
 シャングリラ、雲海の上で綺麗に光っていたかも!
 誰も見ていなかった、ってだけで。
「おいおい、アルテメシアに月があったと思うのか?」
「………。お月様、あそこには無かったね…」
 無かったっけ、とブルーはガックリ肩を落とした。
 月明かりを浴びたシャングリラが雲海の上に浮かぶ機会も無かったのか、と。



「…シャングリラ、雲海に浮かぶのは無理だったんだ…」
 あんなに長い間、雲海の星に潜んでいたのに。
 平和になってからも長い間、シャングリラは宇宙のあちこちへ旅をしたのに…。
 ただの一度も雲海の上に浮かべなくって、写真も写して貰えなくって…。
 きっと綺麗なのに、雲海の上に浮かんでいたなら。
 お日様の光でも、お月様でも、とても綺麗なシャングリラが見られたと思うのに…。
「そういう写真は残ってないんだ、誰も見ちゃいないっていうのが本当だろうさ」
 思い付かなかったトォニィのセンスの無さを恨んでおけ。
 もっとも、あいつはアルテメシアとは縁が無いのも同然だからな、雲海も馴染みが無いってな。
「…うん、トォニィを恨んでおくしかないみたい…」
 残念だけど、とブルーは時の流れが連れ去ってしまった白い鯨を思い浮かべた。
 きっと雲海が似合っただろうシャングリラ。
 一面の雲の海に浮かべば、朝日や月に照らされて浮かべば、どんなに美しかったことか。
 雲の海を本物の海に見立てて、鯨が浮かんでいるかのように。
 白い船体を朝日の赤や月の銀色に染めて輝いていれば、どんなにか…。
 シャングリラはSD体制が崩壊した後も、長く宇宙に在ったのだから。
 姿を留めていたのだから。
 トォニィが雲海の美に気付きさえすれば、素晴らしい写真が残せただろうに…。



(…シャングリラ…)
 雲海に浮かぶ、白い鯨を見たかった。
 此処は雲海の星ではなくて地球だけれども、今日の新聞で見た写真のように。
 山に囲まれた盆地を覆った白い雲の上に、白い鯨を浮かべたかった。
 どうやら此処では秋のものらしい、白い雲海。その雲の海に浮かぶシャングリラを…、と未練を断ち難いブルーの頭に、ポンと浮かんで来たアイデア。
「そうだ、合成!」
 シャングリラの写真は幾つもあるから、合成したら作れるかも…。
 光の具合とか、上手く合いそうな写真を見付けて、雲海の写真と合成したら作れそうだよ。
 雲の海の上に浮かぶ所を、白いシャングリラが浮かぶ写真を。
「お前、そこまでやりたいのか?」
 合成してまでシャングリラを雲海に浮かべてみたいってか?
「駄目?」
 うんと綺麗だと思うんだけど…。
 シャングリラが雲海に浮かんでる写真、合成でも素敵だと思うんだけれど…。



 作りたいな、とブルーの思いは彼方へと飛んだ。
 遠い昔に暮らした船へと、白い鯨だったシャングリラへと。
 あの鯨を雲の海に浮かべてやりたい。たとえ合成写真であっても、一面の白い雲海の上に。
 朝日でも夕日でも、月の光の下であっても…、と夢を見ていたら。
「なら、いつかやるか?」
 向かい側に座った恋人に声を掛けられた。
「いつかって?」
 ハーレイ、合成してくれるの?
 シャングリラの写真と、雲海の写真。
「俺だけじゃないさ、俺とお前の共同作業だ」
「共同作業?」
 写真の合成って、そんなに大変?
 二人がかりで作らなくっちゃいけないくらいに手間がかかるの…?
「うむ。とてつもなく手間と時間がかかるかもなあ…」
 ただし、とハーレイは笑顔になった。
 運が良ければ一回で済むと、一度出掛けてゆくだけで済むと。



「えーっと…?」
 何処へ出掛けてゆくのだろう、と膨れ上がったブルーの疑問。
 写真の合成は個人の家では出来ない作業で、専門のスペースや機械が要るのだろうか?
 その場では出来を確認できなくて、何度も何度も足を運んでやっと完成に至るのだろうか…?
 けれども写真は作りたいから、それでもいいと思っていたら。
「お前、勘違いをしているだろう? 行き先は山だな」
「山!?」
「そうさ。本物の雲海を見るなら山だ。山の上から見ないと撮れんぞ、雲海の写真は」
 この辺りで見るなら何処になるかな、本物の雲海を何処かから見て。
 そいつの写真を撮って、だな…。
 データベースでそれにピッタリのシャングリラの写真を探せばいい。
 そうすりゃお前の望み通りのシャングリラと雲海の写真が出来るぞ、地球の雲海でな。
「ホント!?」
 シャングリラを地球の雲海に浮かべられるの、それが合成写真でも?
「お前がやりたいと言うのならな」
 しかしだ、雲海ってヤツは天気と同じで気まぐれだ。
 確実に撮れると思って行っても、一面の雲の海にはならなかったり、色々だな。
 手間と時間がかかると言ったのはそれだ、運が良ければ最初の一度で撮れるんだがな。



「撮りに行きたい!」
 何度空振りしても撮りに行きたい、とブルーが強請ると、ハーレイは「ふむ…」と小さな恋人の顔を見詰めて。
「今は駄目だぞ、ちゃんと結婚してからだ。でないと二人で出掛けられないしな」
 そして、雲海を撮るなら早起きだ。
 日の出よりも前から陣取ってないと綺麗な写真は撮れないらしいし、暗い内に家を出ないとな。
「うん、頑張る!」
 寝坊してたら起こしてよ?
 ハーレイ、早起き、得意なんだよね?
「お前なあ…。其処は自分で目覚ましを幾つもかけてみるとか…」
「ハーレイのケチ! 隣で寝てるのを起こすだけでしょ、揺すってくれればいいんだよ!」
「それで起きるか、お前、本当に?」
「起きるよ、雲海を撮りに行くんだろ、って言ってくれたら!」
 いつか二人で撮りに行こうよ、とブルーは恋人と小指を絡めた。
 「約束だよ」と。
 シャングリラに似合う白い雲の海を探しに、それの写真を撮りに行こうと。
 ハーレイと二人、早起きをして見付けた見事な雲海。
 青い地球の上に現れた白い雲海。
 其処にシャングリラが浮かぶ写真を作ってみようと、そうして部屋に飾るのだ、と…。
 
 

 
           雲海の船・了

※ブルーが見たいと思った、雲海に浮かぶシャングリラ。けれど、その写真は無いのです。
 いつか雲海の写真を撮って、合成してみたい白い船。きっと綺麗に映えるでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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