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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

月と砂糖細工

(月か…)
 あいつに似ているな、とハーレイは西の空に浮かんだ月を見上げた。もうとっぷりと暮れた空。
 仕事で遅くなってしまってブルーの家には寄れなかったが、空にブルーがいるようだ。
 秋の夜空に輝く月。
 三日月よりは少し日が経っている。けれども半月まではとてもいかない、細い月。
 まだ頼りなげな、細っこい月。
 さしずめ、チビのブルーといったところか。十四歳の小さなブルー。
 そんな気がする、今夜の月。
 同じ月でも前のブルーであったら、満月。
 その美しさを余す所なく見せる満月、見る者の目を惹き付けずにはおかない澄み切った光。
 十五夜、名月、十三夜。それに十六夜…、と月の名を心で挙げてゆく。
 どれもブルーだと、前のブルーだと。



 ガレージから、庭から、玄関先からと何度も月を見、名残を惜しみつつ家に入った。
 もしや窓から見えはしないか、と覗いてはみたが、予想したとおり無理らしい。
(ブルーみたいだと思っちまうと、離れ難いもんだな)
 普段はさほど気にしない月。満ちて来たなとか、欠けてゆくのかとか、その程度の月。
 けれども今夜は月が気にかかる。
 ブルーに似ている、と見上げた月が。



 前の生から思っていた。ブルーはさながら月のようだと。
 ずうっと思っていたのだけれども、その思いが一層強くなったのが、ジョミーが来た時。
 ソルジャー候補としてシャングリラに迎え入れたジョミーはまるで太陽だった。
 明るい金髪、前向きな性格。
 太陽そのものな強い生命力と輝きを纏った少年、それがジョミーで。
 彼が来てから、ますます「ブルーは月だ」と思った。
 次のソルジャーは太陽のようだが、今のソルジャーは月なのだな、と。
 そして祈った。
 太陽の圧倒的な光の前には儚く弱い月だけれども、その光が消えてしまわぬようにと。
 シャングリラに太陽を迎えたとはいえ、太陽と月とは対の存在。
 消えてくれるなと、月のような恋人の命の灯がいつまでも消えぬようにと、ただ祈っていた。
 太陽と月とは共に在るべきだと、太陽の光で輝く月が消えてしまってはいけないのだ、と。



(だが、待てよ…?)
 ジョミーを太陽に例える者たちは多かったけれど、対するブルー。
 長い年月をソルジャーとして生きたブルーを、仲間たちは月に例えていただろうか?
 ブルーを月だと言っただろうか、と遠い記憶を探ってみて。
(…言わなかったか?)
 月だと聞かされた覚えが無い。
 そう言った者もあるいは居たかもしれないけれども、シャングリラ中に流布したものではない。ジョミーは太陽だったけれども、前のブルーは月ではなかった。
 あれほどに月が似合うというのに、月を見てブルーだと思ったのに。
 銀色の髪に真っ白な肌。
 印象的な赤い瞳はともかく、他の部分は月だったとしか思えぬブルー。ソルジャーとして纏った上着も白と銀とで、月の光のようだったのに。



(…月ってヤツが無かったからなあ、仕方ないと言えばそれまでなんだが…)
 アルテメシアにも、後に降りたナスカにも無かった月。
 月が無いのでは、ブルーに例えようもない。身近に無いなら、それは頭に浮かびはしない。
 けれど…。
 誰も「月だ」と言い出さない中、月なのだと思い続けた自分。月のようだと思った自分。
 アルテメシアには無かった月。雲海に遮られて見えないのではなく、無かった月。
 前の自分はそれを何処で見たろう?
 無い筈の月を、ブルーに似た月を、いったい何処で…?



(天体の間か?)
 空が無かったシャングリラ。雲の海の中に空は無かった。もちろん夜空も、夜空の星も。
 その代わりというわけでもなかったけれども、地球の夜空を彩る星座を投影していた天体の間。季節に合わせて変わる星座は、地球の様々な場所からの見え方も再現できた。
 北極、南極、赤道直下。
 標準だった地点はかつてイギリスと呼ばれた場所だと記憶している。
 銀河標準時間を算出するための基準とされていた地点。SD体制よりも前の時代にはグリニッジ標準時の名であったそれの由来となった天文台が建っていた場所。
 其処から見上げる四季の星座を投影するのが常だったけれど、月も投影していたけれど。
 今の地球ではこう見えるのだと、満ち欠けする月も映していたのだけれど。
 所詮は機械が映し出す月で、光の像に過ぎなくて。
 その美しさまでは伝わらないから、ブルーは月とは呼ばれなかった。
 ソルジャー・ブルーは月のようだとシャングリラで言われはしなかった。



(では、何処だ…?)
 何処で見たろう。
 ブルーさながらの月の光を。
 天体の間の月ではないと言うなら、前の自分は何処で本物の月を見たろう…?
(…本物の月はこうじゃないんだ、と思っていたぞ、俺は)
 もっと綺麗だと、もっと美しいものなのだと。
 それはブルーにとても似ていると、本物の月はブルーのようだと。
 けれども何処でそれを見たのか、それが全く思い出せない。前の自分が月を見た場所。
(何処だったんだ…?)
 夕食の支度をしながら遠い記憶を手繰り続ける。
 肉を、野菜を切ってゆく間に、味噌汁の出汁を取る間に。料理を台無しにしてしまわぬよう気を付けながらも、前の生の記憶を追い続ける。



(アルタミラでは月どころでは…)
 脱出した時にはメギドの炎で燃え上がっていて、空は真っ赤に染まっていた。粉塵と煙と炎しか無かったあの赤い空に、月が昇っていたのだとしても。
 あの空に月が懸かっていたのだとしても、見上げる余裕はまるで無かった。
(第一、そいつは綺麗な月じゃなかったろうさ)
 月が美しく輝く夜には大気は澄んでいるものだから。
 そういう季節や、そういった夜に煌々と照るのが月なのだから、燃え盛る空では濁るだけ。その美を損ねる塵に覆われ、ぼんやりと空に浮かぶだけ。
(あの日の月だったってことだけは絶対に無いな)
 アルタミラの月ではないと思うが、あるいはあそこで失くした記憶か。
 成人検査と、その後に何度も繰り返された人体実験。何もかも消されてしまった記憶。養父母と暮らしていた頃の記憶。
 消えて無くなった記憶の何処かに月が潜んでいたのだろうか?
 幼かった自分が見上げた月が。アルタミラの空に高く昇った、本物の月が。



(その可能性は有り得るな…)
 消された記憶の中の月か、と結論づけて出来上がった料理を盛り付けた。
 炊き立ての御飯も茶碗によそって、テーブルに着いて。誰も居なくても「いただきます」と合掌してから食べ始める。今の両親や先輩たちから叩き込まれた礼儀作法で、これは欠かさない。
(こういったことも前の俺だと、何もかも忘れちまっていたしな…)
 養父母の顔も、彼らが教えてくれたことも。
 それと同じで月の記憶も消えたのだろう、と箸を進めていたけれど。
 だが、もっと。
 失くしてしまった記憶の彼方のおぼろげな月。それとは違う、と何かが心に引っ掛かる。
 もっと確かな月を見たのだと、遠い昔の自分の記憶がざわめく気配。
 はっきりと月を見た気がする。
 これぞ月だと、ブルーのようだと思った月を。



 何処で…、と考え込みながら夕食を終えて、片付けをして。
 コーヒーを淹れたマグカップを手に向かった書斎で、腰掛けた途端に鮮やかに蘇って来た記憶。
(シャングリラか…!)
 前の自分が見た月の記憶。
 それはシャングリラではあったけれども、天体の間に映し出された月ではなかった。天体の間がまだ無かった頃。シャングリラが白い鯨として完成された姿を現す前。
(そうだ、月のある星に降りていたんだ…)
 シャングリラを巨大な白い鯨にするべく改造していた最中のこと。
 宇宙空間では出来ない作業が幾つも生じた。重力が無いと、星の上に降りないと出来ない改造。そうした過程に差し掛かる度に、無人の星を選んで降ろした。
 改造中に降りていた星。
 其処に月が在った。
 シャングリラが人類に見付からないよう、シールドを張っていたブルーの姿を月明かりで見た。
 大気など無い星の上に立ち、涼やかな顔をしていたブルーを。
 生身の身体に月の光を浴びたブルーを。



(綺麗だったっけな…)
 月光の下に佇むソルジャー・ブルー。
 まだ恋をしてはいなかったけれど、その立ち姿に、整った顔立ちに見惚れていた。
 モニター越しに見ているだけでは足りなくなって、どうしても肉眼で見てみたくなって。仕事の合間に宇宙服を着て外へも出てみた。ブルーが生身で立つ星の上へ。
(視察してくる、とキャプテンらしい理由をつけちゃいたが、だ)
 単にブルーを見たかっただけ。月光の中に居たブルーの姿を。
 そうして外へ出て直ぐ側で見た、月明かりに照らされたブルーはそれは美しくて。
 銀色の髪に、透けるような肌に月の光を浴びて立つさまは、名工の手になる銀細工のようで。
 ただただ、魂を奪われていた。
 月が似合うと、まるで銀細工のような人だ、と。
(銀細工なんて、シャングリラには一つも無かったんだがな)
 そんな贅沢なものは無かったのに、と苦笑する。
 本やデータでしか存在を知らず、美しい宝物の一つなのだと認識していた銀細工。
 ブルーをそれに例えていたとは、存外、自分も大したロマンチストだったのだな、と。

 

 今の世界ならば銀もあるのだけれど。
 博物館だの美術館だのに行けば、それは素晴らしい銀の細工物を目にすることもあるけれど。
(肝心のブルーがチビではなあ…)
 月のようだと、銀細工のようだと思ったブルーは小さくなって帰って来た。十四歳の幼い少年になったブルーと、青い地球の上で再び出会えた。
 小さなブルーは銀細工と呼ぶには愛らしすぎて、それらしくない。
 まだ幼くて柔らかすぎる頬に、子供らしさの抜けない手足。愛くるしい笑顔。
(ああいうのは何と呼べばいいんだ?)
 銀細工ではない、小さなブルー。
 滑らかな肌をしているけれども、前のブルーのように白磁の肌というわけでもない。子供の肌に磁器の冷たさは無くて、硬質な光を帯びてもいなくて。
 だから磁器製とも呼べないだろう。銀細工でも磁器でもないブルー。
(うーむ…)
 あえて言うなら砂糖細工の菓子だろうか。
 粉砂糖をベースに作り上げられた細工物。口に入れれば舌の上で溶ける、砂糖細工の甘い菓子。
 そんなトコだな、と砂糖細工なるものを思い浮かべていたのだけれど。



(いかん、食いたくなってくるじゃないか)
 砂糖細工の薔薇だの城だのといった類ではなくて、小さなブルーを。
 幼すぎるブルーを、砂糖細工のようなブルーを食べてみたい、と生まれた欲望。
 しかし、砂糖細工の方ならともかく、銀細工だか磁器だかの前のブルーを食べていた自分は…。
(ずいぶんと丈夫な歯だったな、おい)
 銀だの磁器だのを食っても欠けない頑丈な歯か、と前の自分の歯の丈夫さに笑う。顎もさぞかし強かったろうと、銀だの磁器だのを食べるのだから、と。
(磁器は大体想像がつくが、銀っていうヤツは食ったらどういう音がするんだ?)
 ガチンと冷たい音がするのか、もっと鈍い音か。
 そういった馬鹿馬鹿しいことを真面目に考えなければ思考を他へと逸らせない。
 砂糖細工の小さなブルー。
 味わってみたくても、それは禁忌で。
 小さな身体を、幼い身体を食べることなど、教師でなくとも許されなくて…。



(チビのままで結婚したならな?)
 もしもブルーが成長しなくて、今の姿のままで嫁に来たならば。
 結婚出来る年にはなっているのだから、少し舐めてみるくらいは許されるか、という気がする。
 砂糖細工の小さなブルーは甘いか、それとも柔らかいのか。
 ほんの少し、舐めるくらいなら。
 砂糖細工にそっと歯を立てるくらいなら。
(マシュマロみたいな感じかもなあ…)
 白磁の肌ではなくてマシュマロ。ふんわりと柔らかく、甘いマシュマロ。
 砂糖細工も悪くないけれど、小さなブルーはマシュマロだろうか?



(食う方向から離れないのか、俺は!)
 そいつは危険な思想ってヤツだ、と自分の頭をゴツンと叩いた。けれど離れない砂糖菓子。
 頭にしっかり住み着いてしまった、砂糖細工の小さなブルー。
(まずい、こいつは実にマズイぞ)
 砂糖細工から遠ざからねば、と銀細工の方へ向かうことにした。
 前の自分が食べていたブルー。月のようだと思ったブルー。
 白磁の肌は見た目よりもずっと柔らかくて、まるで手のひらに吸い付くようで…。
(うん、滑らかな上生菓子とかな)
 上生菓子だ、と前のブルーの肌の感触を菓子になぞらえた。
 前の自分たちが生きた頃には無かった和菓子。存在すらも消されていた菓子。今の自分が暮らす地域に遠い昔に在った島国、日本の菓子。
(月も似合うが、上生菓子だってピッタリだぞ?)
 前のブルーの肌を例えてやるならば、と馴染み深い菓子たちを思い浮かべる。
 月見の頃ならウサギを象ったものだとか。
 上質な白餡をたっぷり使って、表面を丁寧に仕上げた練り切り。
 でなければ求肥。
 どちらも前のブルーに似合う、と味わいと食感に思いを馳せていて…。



(いや、待てよ?)
 求肥の菓子は多いけれども、白く柔らかな求肥に透ける淡い桃色の餡や羊羹。
 それは小さなブルーの頬っぺたのようで。
 薔薇色と呼ぶには淡すぎるブルーの頬の色。ほんのひと刷毛、はいたほどの淡い桃の色。それに似ていると、小さなブルーも求肥なのだと、求肥の菓子だと心が騒いで。
(どう転んでも食う方へ行ってしまうのか、俺は…!)
 馬鹿め、と頭をもう一度叩いた。ゴツンと、自分の拳でゴツンと。



 食べてはならない、小さなブルー。
 どんなにブルーが美味しそうでも、美味しそうな見た目を湛えていても。
 けれど、育ったブルーならば…。
(食えるんだがな?)
 銀細工のブルーでも、磁器のブルーでも。
 歯の丈夫さとはまるで関係なく、顎の強さなども問題ではなく。
 それらはあくまで小さなブルーから気を逸らすための冗談であって、歯も顎もまるで関係ない。ブルーを食べるのに、月のようなブルーを味わうために必要なものはただ一つだけ。
 ブルーが好きだと、愛しているのだという気持ちだけがあればいい。
 それだけがあれば、ブルーを求める気持ちさえあれば、いつかブルーを食べることが出来る。
 砂糖細工のブルーではなく、銀細工になってくれたなら。
 小さなブルーが大きく育って、細い月ではなく、丸い月になってくれたなら。



(丸い月なら…)
 食っていいんだ、と思ったけれど。
 何年か待てば食える筈だ、と小さなブルーが育つのを待つつもりだけれど。
(前のあいつか…)
 月が映える、と見惚れていた頃のブルーは食べ損なった。本物の月の光を浴びていた頃の、月を思わせる銀細工のブルーを食べ損なった。
 ブルーはすっかり育っていたのに、しっかりと満ちた月だったのに。
(まさに十五夜だったんだがなあ…)
 月が似合っていたブルー。食べても構わない姿をしていた、あの頃のブルー。
 なのに自分は食べ損なった。
 まだ恋をしていなかったから。
 とうにブルーに恋していたとしても、それと気付いていなかったから。
 ただ美しいと見惚れていただけ、月が似合うと眺めていただけ。
 ブルーへの恋に気付いた時には、もうシャングリラの上に月は無かった。月の無い星へ、雲海の星へ着いてしまってから前のブルーに恋をした。
 月のようだと、銀細工のようだと月の在った星で見惚れたブルーに。
 そうして月だと思い続けた。
 ブルーは本当に月のようだと、月の光が無くなった後で。



(前のあいつとは、月明かりの下では…)
 キスすらも交わしはしなかった。
 恋人同士ではなくてソルジャーとキャプテン、せいぜい「一番古い友達」。
 月の在る星に宇宙服を着て降りて行っても「来たのかい?」と笑顔で迎えられ、ブルーの案内で船の中からは見られない箇所を視察に回っていた程度。作業中の仲間を労った程度。
(前のあいつとの月の思い出は、それだけなのか…)
 月見さえもしていなかった。
 空に浮かぶ月はあくまで光源、改造中のシャングリラを照らす月光という名の自然光。人の手で作る必要が無くて、エネルギーが要らない無尽蔵の光。
 それが照らしている間に、と作業を急がせ、月見の発想はまるで無かった。
 ブルーと二人で月の光の下に居たのに、月の光を浴びたブルーを綺麗だと思って見ていたのに。



(前の俺が次に本物の月を見たのは…)
 月のようなブルーを失くした後。銀細工のブルーをメギドで失くしてしまった後。
 ブルーに恋をして、思いが叶って、月のようなブルーを手に入れた。
 誰にも明かせない恋だったけれど、幸せな時を二人で過ごして、共に暮らして。シャングリラでいつまでも一緒なのだ、と思っていたのに、ブルーを失くした。
 月のようなブルーは逝ってしまって、独りシャングリラに取り残された。
(月のある星にも行ったんだろうが…)
 かつて追われたアルテメシアから、月の無かった星から始めた地球への侵攻。
 幾つもの星を落として手に入れ、ひたすらに地球への道を進んだ。降りた星には月を持つものもあったろう。しかし自分の記憶には無い。月を仰いだ記憶など無い。
(前の俺が見ていた本物の月は…)
 この地球の月。それを目にした。汚染された大気で赤く濁った満月を、地球に降りた夜に。
(だが、あんな月は…。月じゃなかった)
 ブルーに似合うと思った月。そんな月はあの日の地球には無かった。清らかに澄んだ月の光など何処にもありはしなかった。
 遠い日に降りた月の在った地球では、自分の隣にブルーはいなくて。月のようなブルーはとうに彼方へ飛び去った後で、赤い月では思い出しさえもしなかった。
 月が似合った美しい人を。
 一刻も早く追ってゆきたいと願い続けた愛おしい人の、月のような面影も佇まいも…。



(よし、今度は!)
 今度こそは、と心に誓った。
 月の映える恋人を、月のようなブルーを、月明かりの下で抱き締めよう。
 青い地球を照らす月明かりの中でキスを交わそう。
 そして…。
(前の俺が食い損なってしまった分を取り返さんとな?)
 月の似合うブルーを、月の在った場所で食べ損なってしまった自分。
 ブルーに恋をしていなかったから、見惚れただけで終わった自分。
 わざわざ宇宙服まで着て見に出掛けて、その美しさだけを眺めて終わってしまった自分。
(馬鹿としか言いようがないんだが…)
 おまけにブルーへの恋を自覚したのも遥か後。救いようのない馬鹿とも言える。
 馬鹿で間抜けだった前の自分が食べ損ねた分を取り返さねば、と強く思わずにはいられない。
 幸い、今では青い地球の上。宇宙服など要りはしないし、月だって正真正銘の月。
(月と言えば地球の月だしな? 本家本元は)
 一ヶ月かけて満ちて欠けてゆく、地球の月。
 前の自分が仰いだ頃とは別物のように澄み切った月。
 その月の下でブルーを食べる。前の自分が食べ損なってしまった、月の光を浴びたブルーを。



(流石にカーテンを開けっ放しというのはマズイか?)
 寝室に射し込む月光の中で、月のようなブルーを食べたいという気がするのだけれど。
 カーテンを開け放ったままで抱こうとしたなら、月の似合うブルーは怒るだろうか?
 これはあまりに恥ずかしすぎると、せめてカーテンを閉めて欲しいと。
(そう言われそうな気もするんだが…)
 ブルーの機嫌を損ねそうだが、月の光の下でブルーを抱きたい。
 前の自分が食べ損なったブルーを、月明かりに照らされたブルーを食べたい。心ゆくまで抱いて愛して、味わいたいと思う自分がいる。
(月の光はあいつに似合うに違いないんだ…)
 ソルジャーの衣装を纏っていてすら、あれほどに綺麗だったのだから。
 余計なものなど何も無ければ、それこそ月の精だと思う。
 銀細工の身体に月の光だけ、身に纏うものは射し込む月の光だけ。
 どんなに美しく映えるだろうか、と思い描く。ブルーが月だけを纏ったならば。
 それを食べられる自分はどれほどの幸せに胸を満たされ、幸福に酔ってゆくのだろうか。
 月のようなブルーは自分のものだと、この銀細工は自分一人のものなのだと。



(よしよし、食う方向がズレていったぞ、うん)
 食べるならやっぱり育ったブルーだ、と一人、腕組みをして大きく頷く。
 月の光の下で抱くなら、其処で食べるなら銀細工の方のブルーでなくては。
 前の自分が食べ損なってしまった、あの月の似合うブルーでなくては。
(チビでは、月の光の下ではなあ…)
 今の小さなブルーだったら。
 砂糖細工のブルーだったなら、月の光の下に置いても。
(美味そうなんじゃなくて、可愛いだけだな)
 匂い立つような色香を帯びはしないだろう。しゃぶりつきたくはならないだろう。
 銀細工ではなくて砂糖菓子だから。
 どんなに繊細に作ってあっても、銀や磁器のように月の光を反射したりはしないから。
 その身に月の光を映して、宿して清かに光る代わりに、ほんのりと月に染まるだけ。
 月見団子が月の光に白く浮かんでいるのと同じで、ただ愛らしく其処に在るだけ。
 砂糖細工の小さなブルー。
 月の光の下で食べるには、幼すぎてどうにもならないブルー。
(早い話が月見団子ってことなんだな)
 月ではなくて、と笑みが零れる。
 月のようでも月ならぬ月見団子なのだと、食べるにはまだまだ早すぎるのだと。



 砂糖細工の、月見団子の小さなブルー。
 月が似合っても、銀細工のようだとは言ってやれない小さなブルー。
(いつまで砂糖菓子なんだかな?)
 砂糖細工のままなんだかな、とハーレイの笑みが深くなる。
(月見団子で砂糖細工か…)
 そんなブルーもまた、可愛い。
 ブルーに言ったら怒るだろうけれど、砂糖菓子だなどと言ったら膨れてしまうのだろうけれど。
(しかし、そいつが可愛らしいんだ)
 一人前の恋人気取りで、キスを強請ったりするブルー。
 砂糖細工の小さなブルー。
 愛おしいけれど、食べてしまいたい気もするけれども、まだ早い。
 月明かりの下で食べるのが似合う、銀細工のブルーのようになるにはまだ早い。
 まだ待たねば、とハーレイは小さな恋人を想う。
 待ってやらねばと、まだ待たねばと。
 小さなブルーを食べられる日は少なくともまだ数年先で、その日まで待ってやらねばなるまい。
 満月のようなブルーに育つ時まで、銀細工のブルーに育つ時まで。
 どんなに遠くとも、長い道のりになろうとも。
 今宵、空に在る細い月。
 それが真円に満ちる夜まではまだ遠いように、長すぎる時を待たされようとも、愛おしい恋人が愛を交わすのに相応しい姿に育つ時まで…。




            月と砂糖細工・了

※前のブルーは月のような人。それに銀細工。今のブルーは月見団子で、甘い砂糖細工。
 いつか大きく育った姿は、美しい月になる筈ですけど…。その日はまだまだ先らしいですね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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