シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ブルー!」
キッチンからママの声がして。
ドキンと胸を躍らせた、ぼく。おやつを食べてる最中だけれど、ちゃんと予感がしてたんだ。
「揚げ立て、試食するでしょう?」
「うんっ!」
ほらね、やっぱり。
学校から帰って直ぐに覗いたキッチン。いつも通りに綺麗に片付いてたけれど。だけど見付けた揚げ物用のお鍋。油は入っていなかったけれど、あれがある時は…。
(早めに出てたらコロッケなんだよ)
ママのコロッケ。ママが作ってくれるコロッケ。
揚げ立てはホクホクでホントに美味しい。どんなおやつも敵いやしない。カリッと揚がった衣に熱々の中身、匂いだけで齧り付きたくなっちゃう。
おやつじゃなくっておかずだけど。コロッケはおかずなんだけど…。
だけど食べたい、揚げ立てコロッケ。おやつの他にも食べたいコロッケ。
(晩御飯だと、御飯も他のおかずもあるもの…)
いつも夕食の直前に揚げてくれるんだけれど、それだと沢山入らないぼく。他のおかずや御飯が邪魔して、美味しくっても幾つも食べるってわけにはいかない。
だから試食で、おやつの時に冷蔵庫で休ませてるのを一個だけ揚げてくれるんだ。
もちろん充分に休ませてから。
(特別に作ってくれるんだものね)
コロッケのタネを少し取り分けて、小判型じゃなくってまあるく丸めて。
揚げる油も他のを揚げる時より少なめ、ぼくの試食用を一個、揚げられる分だけ。
そのために出ていた、揚げ物用のお鍋。フライとかだと、こんな時間にはまだ出ていない。
(パパが帰ってくる時間に合わせているもの)
コロッケの日だけは、ちょっと特別。ぼくの試食用を揚げるためにだけ早く出るお鍋。待ってる間に漂って来たいい匂い。ママがコロッケを油の中に入れたんだ。
(小さいから、すぐに揚がるんだよ)
流石に一瞬では揚がらないから、待ち時間がちょっぴりあるけれど。冷蔵庫で休ませてたタネにしっかり火が通るまでの間、美味しそうな匂いを嗅ぎながら。
ぼくだけが食べる特製コロッケ、ミニサイズ。
ミートボールよりも、タコ焼きよりも小さなコロッケ。コロンとまあるい小さなコロッケ。
いつだって一個。揚げ立ての味の試食用が一個。
まだかな、まだかな、って首を長くして待ってた間はどのくらいだろう?
「はい、どうぞ」
召し上がれ、ってママがフォークを添えて持って来てくれた。小皿に乗っかったホカホカの揚げ立て、揚げ物用の白い紙を敷いた上にチョコンと一個。
「舌を火傷しないように気を付けてね」
「うんっ!」
大丈夫、ってフォークで刺して、息を吹きかけて、熱さを確かめてから頬張った。
(ふふっ、美味しい!)
ホクホクの熱々、衣もサクサク。たったの二口で無くなってしまうのが惜しいコロッケ。もっと食べたくなっちゃうコロッケ。
今日のおやつも美味しかったけど、ママのコロッケは格別なんだ。
これを食べたら、大抵のおやつは霞んじゃう。特にこういう肌寒い季節になってくると。
御馳走様、ってママにお皿を返して、部屋に戻って。
勉強机の前に座っても、忘れられないママのコロッケ。食べて来たばかりの試食用。
(美味しかったな…)
まだ舌の上とか頬っぺたの内側にコロッケの味が残ってる。それと温かさ。サクッとした衣も、ホクホクの中身も、ぼくにとっては後を引く味。最高のおやつ。
本当はもっと食べたいけれど。試食用なら三個くらいはいける筈だと思うんだけれど。
(だけど、食べ過ぎるんだよね…)
ずうっと昔に強請って強請って、普通サイズのを一個、揚げて貰って食べたことがある。
いつもの試食用じゃ嫌だと、もっと大きいのが食べたいんだ、と。
ママは「晩御飯、ちゃんと食べられるの?」って何度も訊いたし、「さっきおやつも食べていたでしょう?」って言われたけれど。
だけど食べたくて、「平気だもん!」と答えた、ぼく。コロッケが食べたかった、ぼく。
「知らないわよ?」って言いながら揚げてくれたママ。試食用より大きなコロッケ、御飯と同じサイズのコロッケ。ぼくは大喜びだった。「ありがとう!」って齧り付いた。
おやつとは別腹、とっても美味しく食べられたのに。
(本当に美味しかったのに…)
晩御飯にも沢山食べるんだ、って楽しみに待っていたというのに、頼りないお腹。消化に時間がかかる胃袋。
肝心の晩御飯の時にコロッケを一個、それが精一杯。御飯も他のおかずもサラダも、半分ほども食べられなくって、「欲張るからだ」とパパに睨まれた。
「ちゃんとママから聞いているぞ」って、「大きなコロッケを食べたらしいな?」って。
(今なら、きっと普通のコロッケを一個食べても…)
いけるような気がするんだけれど。
あの頃よりもずっと大きくなったし、大丈夫じゃないかと思ったりもする。
普通サイズは難しくっても、試食用の数を増やして貰おうかな、とも思うんだけど…。
問題はその後に待ってる夕食。きちんと食べ切ることが出来るか、そこが大切。
(失敗しちゃったら睨まれるくらいじゃ済まないしね?)
だって、十四歳だから。
義務教育の最後の学校に入学しちゃった、十四歳にもなる子供だから。
「自分の胃袋の限界も分からないのか、お前は?」って、きっとお説教されるんだ。まだ十歳の頃とかだったら、睨まれて終わりだろうけれど。
(それに…)
恋人までいるぼくが強請りに行くのも可笑しいよね、と自分で自分に言い聞かせた。
チビだけれども、ぼくには恋人がいるんだから。ハーレイのお嫁さんになるんだから。
(ただの子供でチビじゃないんだよ)
ちゃんと恋人がいて、お嫁さんになるっていうのは魔法の呪文。
子供っぽい我儘を抑え付けるにはピッタリの呪文。
それを自分に向かって唱えた。おねだりしている場合じゃないよ、って。
(結婚しちゃったら我慢もしないと…)
お嫁さんが我儘を言ったりしていちゃ駄目だろう。
いい子にしなくちゃ、と言うのも変だけれども、いい大人?
とにかく我儘なんかは言わずに、聞き分けのいい人間ってヤツにならなくちゃ。
でも…。
試食用のコロッケ。大好物の揚げ立てコロッケ。
あれの魅力は捨て難くって、結婚したって簡単に忘れられそうにない。
(ハーレイ、作ってくれるかな…)
うんと美味しい揚げ立てコロッケ、ホクホクの熱々のミニサイズ。
ぼくのお気に入り、ぼくの特別。
本当だったらお嫁さんのぼくが揚げるんだろうけど、ハーレイは料理をするって言うから。上手らしいから、任せておいても良さそうな感じ。ぼくが悪戦苦闘するより、きっと美味しい。
だけど試食用まではどうだろう…?
あれはママだから揚げてくれるもので、きっとぼくだけの特別の味。胃袋が元気な普通の子供は試食用なんか要らないだろうし、あんなコロッケを食べている子は、きっとぼくだけ。
もちろんハーレイも試食用コロッケなんかは知らないだろうと思うんだ。
あれが欲しいのに、あれが食べたいのに。
結婚したって、ハーレイのお嫁さんになったって。
(頼むっていうのも子供っぽいよね…)
結婚してから「作ってよ」ってハーレイに頼んだら笑われてしまいそう。
「お前、子供だな」とか、「チビだった頃と変わらんな」とか。
ママにさえおねだり出来ないのに。試食用を増やして欲しい、って頼めないから、我慢しようと自分に呪文をかけたのに。
恋人だっているんだろうと、お嫁さんになるんだろうと。だから我慢、って。
(でも…)
頼んでおくなら今の内だろうか、ハーレイがぼくを子供扱いしている間に。
チビだ、子供だ、って言っている間に、将来のために頼んでおく…?
(試食用のコロッケ…)
揚げ立ての魅力はとても大きくて、もっと食べたいほどだから。
それと永遠に「さよなら」だなんて、今のぼくには耐えられやしない。御飯の時しか揚げ立てのコロッケが食べられないんじゃ、コロッケの美味しさが半減しちゃう。
おやつとは別に試食でちょっぴり、先に食べるからワクワクするんだ。
今日の御飯はコロッケなんだ、って、揚げ立ての熱々を頬張る時間が最高だから。
(だけど、ホントに子供っぽいし…)
いくら子供の間に頼むにしたってあんまりだろうか、と悩んでいたらチャイムが鳴った。門扉の脇にあるチャイムの音。窓から覗いたら、案の定、大きく手を振るハーレイの姿。
よし、とぼくは決心した。
ハーレイが来たのも何かの縁で、きっと神様が頼んでいいって許して下さったんだろう。
試食用のコロッケを揚げて欲しいと頼んでもいいと、今の内に頼んでおきなさい、と。
そうやって決意を固めた、ぼく。
ママがハーレイを案内して来て、お茶とお菓子をテーブルに置いて。そのテーブルを間に二人で向かい合わせに座って、ぼくは早速、コロッケの話をすることにした。
いきなり「試食用を揚げて欲しい」って強請っちゃホントにただの子供だし、普通にコロッケの話題から。ごくごく自然に、試食用の「し」の字も出さないように。
「ねえ、ハーレイ。今日の夕食、コロッケなんだよ」
「ほう…。楽しみだな」
そう言ったハーレイは本当にコロッケを楽しみにしているみたいだから。
「ハーレイもコロッケ、好きだったりする?」
「揚げ立ては実に美味いからな」
うむ、って嬉しそうな顔。
「揚げ立てが美味しいって、知ってるの?」
「そりゃまあ、な」
美味いだろうが、ってハーレイの顔が綻ぶ。コロッケは揚げ立てがいいんだぞ、って。
揚げ立ての美味しさを知ってたハーレイ。
ぼくみたいに試食用コロッケも食べるんだろうか、って思っていたら。
「自分でも揚げるし、道端で食ってる時だってあるぞ」
「道端?」
なんで、ってビックリしたんだけれど。ハーレイにとっては不思議でも何でもないらしくって。
「歩いてる時とかに美味そうな匂いがしてくりゃ食べるさ」
肉屋の店先で揚げているヤツ。プロの味には家じゃ絶対に勝てないからな。
「そうなの?」
勝てないって、ぼくのママとかハーレイでも駄目?
どうして勝てなくなっちゃうの?
「揚げてる油が違うんだ。肉屋の油はラードだからな。それも出来立てのラードってヤツだ」
そいつを手に入れるには肉屋じゃないとな、売ってるラードじゃ駄目なんだ。
「へえ…!」
知らなかった、と驚いた、ぼく。
肉屋さんのコロッケも美味しいけれども、まさか油が違っただなんて…!
「お前、食ったことないのか、店先で?」
この近所の店でも揚げているだろ、美味そうなのを。通りすがりに見ているんだが…。
「食べ過ぎるから、って駄目なんだよ。ママが買うだけ」
買って来てすぐの熱々の間も、ぼくは食べさせて貰えないんだよ。食事の時間まではお預け。
今日のコロッケはお店のじゃなくて、ママがこれから揚げるんだけど…。
「うーむ…。肉屋のコロッケも美味いんだがなあ、特に店先で食う揚げ立てのヤツは」
「ぼくは無理みたい…。お店に試食サイズは無いもの」
「はあ?」
そういやコロッケの試食は無いか…。カツとかだったら、たまに見かけるが。
「試食に出ているヤツじゃなくって!」
こんなのだよ、ってハーレイに詳しく説明した。
いつも食べてる試食用。ぼく専用の特別サイズのまあるいコロッケ、小さなコロッケ。大きさも指で「このくらい」って作ってみせて。
ぼくのはこんなの、って。こういう試食用なんだよ、って。
「おやつに揚げて貰うんだよ」
ママがコロッケを作った時は。
晩御飯だと沢山食べられないから、おやつに一個。だから試食用で小さいコロッケ。
「優しいお母さんで良かったじゃないか」
なかなかそこまでしてはくれんぞ、おやつの時間にわざわざ一個だけ揚げるなんてな。油だってそのためだけに熱くしなけりゃならないんだし…。
「うん。だけど小さい頃から揚げてくれるよ、「試食するでしょ?」って」
それでね、ハーレイ…。
ぼく、試食用のコロッケが好きなんだけど…。御飯の時とは別に食べるのが好きなんだけど…。
もしもハーレイと結婚しちゃったら、試食用のコロッケ、無くなっちゃうよね…。
ママはもう揚げてくれないもの。
「俺にも試食用を作れってか?」
お前の言ってるミニサイズ。そいつをおやつに揚げろってか?
「駄目?」
やっぱり駄目かな、結婚した時は試食用のコロッケ、諦めておいた方がいい…?
「いや、欲しいのなら作ってやるが…」
どうしてもお前が欲しいんだったら、作ってやらないこともない。
お前のお母さんのと同じ味のが作れるかどうかは全く謎だが、小さなコロッケくらいならな。
ハーレイは腕組みをして「試食用だな」と頷いてくれた。
「ふうむ…。結婚したなら、コロッケを作る時には余分に一個か」
お前がおやつに食べる分を一個。試食用とやらを別に作ればいいんだな、うん。
「いいの?」
試食用サイズのを作ってくれるの、それをおやつに揚げてくれるの?
「ああ。おやつ用だろ、飯とは別に。仕事のある日は無理かもしれんが、休みの日にはな」
おやつの時間にちゃんと揚げるさ、俺の分もついでに揚げるからな。
「えっ?」
ハーレイの分って、ハーレイも食べるの、試食用のコロッケ?
「もちろんだ。揚げ立ては美味いと言っただろうが。道端で食ってることもあるぞ、と」
お前が試食で一個食うなら、俺用のも一緒に揚げて食わんとな。
俺のおやつだ、試食用だ。
どうせ油は熱くするんだし、一個でも二個でも手間は変わらん。
「えーっと…」
ぼくの試食用コロッケを揚げてくれるのはいいんだけれども、自分用もと言い出したハーレイ。そのハーレイは試食用を幾つ食べるんだろう?
ぼくでも一個じゃ物足りないのに、ハーレイ、一個で足りるんだろうか…?
心配になって、訊くことにした。足りないんだったら申し訳ないし、ハーレイの試食用は多めでいいよ、って言っておかなきゃいけないから。
「…ハーレイが自分のおやつに揚げる試食用のって、一個?」
ぼくに合わせて一個だけだと足りないんじゃない?
もっと多めに食べてくれていいよ、二個とか、三個とかを揚げてくれても。
「ほほう、心配してくれるのか? 俺の胃袋」
俺が作って揚げるんだからな、ちゃんと自分で加減をするさ。
そうだな、普通サイズを一個ってトコか…。もしかしたら二個かもしれないが。
「普通サイズを一個か二個って…。そんなに食べるの?」
御飯じゃなくって試食用だよ、おやつだよ?
「悪いか、俺がお前くらいの年の頃には充分、おやつだ」
普通サイズの一個や二個はな。
俺だけじゃないぞ、柔道の道場仲間や水泳を一緒にやってたヤツら。帰り道の肉屋でコロッケを何度も買って食ったな、家に帰るまでの間のおやつ代わりに。
学校帰りに買ってる普通の男子生徒もいたから、コロッケ一個はおやつだろうな。
ハーレイ曰く、ぼくくらいの年の男の子だったら、おやつにコロッケ一個は普通。
それも試食用のサイズじゃないのをペロリとおやつに食べるのが普通。
ママが揚げてくれるような試食用じゃなくって、普通サイズを一個だなんて…。
「…ぼくが変なの?」
試食用のを一個だけ食べてる、ぼくって変なの…?
「変じゃないだろ、沢山食えないってだけだろうが」
単なる胃袋のサイズの違いだ、でなけりゃ消化のスピードだな。
おやつを食ってから晩飯までにだ、胃袋の中身が消えさえしたなら何の問題も無いんだからな。
というわけでだ、俺の試食用コロッケは普通のを一個。もしくは二個だ。
「羨ましいかも…」
思わずポロリと本音が零れた。
「羨ましいだと?」
怪訝そうな顔をしているハーレイ。
俺の胃袋が羨ましいのか、って訊いて来たから、「ううん」と首を左右に振った。
「ハーレイの胃袋じゃなくって、おやつに食べられるコロッケの数…」
試食用、増やしたいんだけれど…。
今の一個じゃ物足りないから、二個か三個に増やしたいんだけど…。
そう思ったけど、頼めないんだよ。ママにおねだり出来ないんだよ…。
前に食べ過ぎてパパに睨まれちゃったし、と打ち明けた、ぼく。
ずうっと昔に強請って失敗してしまったから、増やして欲しいと言いにくい、ぼく。
「お嫁さんになるんだから、って言わずに我慢してるんだけど…」
ハーレイが沢山食べるって聞いたら、つい、羨ましくなっちゃった…。
「嫁さんなあ…。嫁さんになるから我儘は言わずにおこうってか?」
「そう。…ぼくには最強の呪文なんだよ、我慢するには」
お嫁さんになろうと思っているのに、子供っぽいことをしちゃ駄目だ、って。
我慢しなくちゃいけないんだ、って。
「それなのに俺には強請っている、と」
試食用のコロッケを揚げて欲しいと、作って欲しいと強請るわけだな?
「今の内だと思ったから…」
頼むんだったら、ハーレイがぼくを子供扱いしてる間にしなくっちゃ、って。
子供だったら少しくらいは我儘を言っても許されそうだし、今の間に頼んじゃおう、って…。
シュンと項垂れちゃった、ぼく。
いくら子供でも、結婚してから後のことまで我儘を言ったら駄目だったろうか…?
ハーレイに呆れられちゃったかも、って俯いていたら、髪をクシャリと撫でられた。褐色の手でクシャッと撫でられて、「馬鹿」と言われた。
やっぱり馬鹿なことをしちゃったんだ、と思ったんだけど。
ハーレイはぼくの頭をポンと軽く叩いて、もう一度「馬鹿」って、ぼくの髪を撫でた。
「しょげるな、馬鹿。でかくなっても強請っていいのさ」
我慢しなけりゃいけないだなんて、それだと俺の立場が無いぞ。
「なんで?」
「俺の嫁さんになるんだろうが。遠慮しないで我儘も言え」
うんと我儘を言って、強請って。その方がいいな、俺としてはな。
「…いいの?」
お嫁さんなのに我儘言ってて、本当にいいの?
「前のお前は言ってただろうが」
あれが欲しいとか、あれを持って来いとか。
何度ブリッジの俺に思念を飛ばして注文したんだ、あれは我儘じゃないのか、おい?
「そういえば…」
いつも色々言っていたかも、青の間に来る時に持って来て、って…。
前のぼく、我儘言っちゃってたかも…。
「ほら見ろ、言っていたろうが」
前のお前は嫁さんってわけじゃなかったが、ってハーレイは片目をパチンと瞑った。
「俺の嫁さんではなかったが…、だ。嫁さんみたいなものだったろうが」
お前が嫁に来たとしてもだ、あの頃と何も変わりはしないさ。
嫁さんだから我慢しろとか、我儘を言うなとか、俺の都合で縛ってどうする。
お前は好きにしてればいいんだ、嫁に来てやったと威張っていろ。
「…威張るの?」
「威張っていいだろ、うんと美人になるんだからな。誰もが嫁に欲しがるような」
何処へでも嫁に行けたというのに来てやったぞ、と威張っておけ。
そして我儘も言って、強請って。
嫁さんの我儘を叶えてやるのも甲斐性の内だ、叶えてやれるのは嬉しいもんだ。
前の俺には出来なかったことが今度は出来るし、お前を思い切り甘えさせてやるのが夢なんだ。
甘えさせてやって、守ってやって。
そういう生活が俺の夢だぞ、どんどん我儘を言えばいいのさ。
コロッケもだ、って言ったハーレイ。
試食用のコロッケも我儘を言って強請ればいいと。
「コロッケの試食用も我儘の内だ。おまけに、たかがコロッケなんだぞ」
お前のおやつ用に別に作って揚げればいいっていうだけだろうが。
その程度のことも出来んようでは、他の我儘を叶えてやるなど無理に決まっているからなあ…。
いいか、コロッケはちゃんと強請れよ?
作るんだったら試食用もと、おやつに絶対食べるんだから、と。
「じゃあ、結婚したら試食用サイズのコロッケ、増やせる?」
今は一個しか作って貰えないけど、ハーレイ、数を増やしてくれる?
「お安い御用だ。二個でも、三個でも作ってやるが、だ」
ただし、食い過ぎて肝心の飯を食い切れなかったら…。
俺がせっせと腕を奮った飯をすっかり残しちまったら、覚悟しとけよ?
ハーレイの台詞はもっともだから。
ぼくのパパやママでもおんなじことを言うだろうから、覚悟はしてる。
おやつの食べ過ぎで御飯がお腹に入らなかったら、ハーレイだって、きっと…。
「…残したら、怒る?」
それとも、睨む?
「いや」
俺は怒りも睨みもしないが?
「じゃあ、どうするの?」
覚悟しとけ、って言ったじゃない。怒ったり睨んだりしないんだったら、どう覚悟するの?
「お前が残しちまった食事は俺が纏めて食っちまうが、だ」
だから食事は無駄にはならんが、残しちまったお前の方。
食い過ぎた上に運動不足だ、ということになるな。運動すれば腹が減るもんだしな。
運動不足は身体に良くない。
つまり付き合え、と。
俺と一緒に運動して貰う。腹ごなしを兼ねてたっぷりとな。
「う、運動って…!」
まさかジョギング!?
ぼくも走るの、ハーレイと一緒に?
そんなの無理だ、と悲鳴を上げたぼくだけれども。
ただでも走るのは得意じゃないのに、ハーレイと一緒にジョギングだなんて…!
震え上がってしまったけれども、ハーレイはなんだかニヤニヤしてる。
ぼくを苛めるつもりだろうか、とビクビクしてたら、褐色の頬が可笑しそうに緩んで。
「晩飯を食い終わってからジョギングか、おい」
そいつは健康的とは言えんな、夜食が欲しくなっちまう。
ジョギングするなら軽く食う程度だ、腹一杯に食ってからでは身体にも負担がかかるしな。
「じゃあ、何?」
ハーレイ、たっぷり運動って言ったよ、ぼく、運動は苦手なんだけど…!
「なあに、お前でも簡単に出来る運動さ」
前のお前も得意だったし、お前だって充分こなせるだろう。
ただ、チビのお前にはまだ早い。
「えっ?」
「思い切り運動に付き合って貰う。…育ったお前でないと無理だが」
家の中で出来る運動ってヤツだ。寝ながら出来るとも言うかもなあ…。
「寝ながら…?」
首を傾げてしまった、ぼく。
家の中で出来て、寝ながら出来て…。
(マット運動…?)
それくらいしか思い付かないけれども、前のぼくはマット運動なんかはやってない。得意だとかそういう以前の問題。今のぼくはもちろんマット運動も下手で…。
(大きくなったら上手になるっていうこと、ある…?)
うんと下手くそなマット運動、クルンと回って起き上がるどころか転がってるぼく。マットから外れて落っこちたりもするし、前のぼくみたいに育ったとしても多分、無理。
(ハーレイに支えて貰うとか…?)
体育の先生が補助してくれるように、支えてクルンと上手に回らせてくれるんだろうか?
そうやって練習しろってことかな、ハーレイもぼくの身体を支えたりしなきゃいけないし…。
(嬉しくない…)
ジョギングよりはマシだけれども、マット運動だって好きじゃない。
いくら家の中で出来る運動でも嫌だ、と思ったんだけど。
「おいおい、マットが違うんだがな?」
そんな色気の無いマットじゃない、ってハーレイがスッと指差した先。ぼくの部屋の中の何処にマットが、と視線を遣ったら…。
(マットレス…!)
確かにマットはあったけれども、マットレス。ぼくのベッドのマットレス。
あれを使って運動だなんて、それって、もしかしなくても…!
「分かったか、チビ」
コロッケの試食用を食い過ぎた時は、運動だ。俺と二人でたっぷりと…な。
ちゃんと育ったら付き合えよ、って言われて、真っ赤になってしまった、ぼく。
試食用のコロッケを欲張り過ぎたら、食べられてしまうらしい、ぼく。
運動と称してベッドの上で、ハーレイに美味しく食べられてしまう。
だけど、我儘を言ってもいいのがお嫁さんだと言うのなら。
それに待ってる罰がそれなら、強請ってみよう。
うんと優しい、ぼくの大好きなハーレイに。
試食用のコロッケの数を増やしてと、一個じゃとても足りないからと。
ぼくのお気に入りの揚げ立てコロッケ、ミニサイズ。
おやつ用に小さなコロッケを二つ作ってと、三つか、四つか、もっとでもいい、と…。
コロッケ・了
※ブルーが大好きな試食用のコロッケ。結婚した後も食べたいから、と強請るくらいに。
結婚してから食べ過ぎた時は、運動しないと駄目らしいです。とても幸せな運動ですけどね。
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