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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

可愛い誘惑

(うーむ…)
 書斎でコーヒーを飲んでいた最中、短く呻いた。
 今日はブルーの家に寄って来たから、いつもより遅めの寛ぎの時間。夜更けと呼ぶにはまだ少し早いかもしれなかったが。
 大きなマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それに心を解き放っていたら。
 不意に脳裏に蘇って来た、ブルーの声。小さな恋人が愛らしい声で紡いだ言葉。
「キスしてもいいよ…?」
 桜色の唇が歌うように言った。
 キスしてもいいよと、キスしていいよ、と。



(俺としたことが…)
 油断していたら、久しぶりに食らった可愛い攻撃。禁止してあるキスを強請る言葉。
 「キスして」ではなくて、「キスしてもいいよ」。
 本当は自分がして欲しいくせに、ハーレイを誘おうとしている殺し文句。
 小さなブルーを膝の上に乗せて甘えさせていたら、その唇から飛び出して来た。いきなりに何の前触れも無く。それは愛くるしい笑みを浮かべて。



(だんだん知恵がついて来やがって…!)
 出会った頃には嫌というほど聞かされた言葉。
 駄目だと叱っても、しかめっ面をしても、会う度に何度もキスを強請られた。時には首に両腕を回し、一人前の恋人気取りで目を閉じたりして。
 そうしたこともめっきり減ったが、敵もなかなかしぶといと言うか、逞しいと言うか。
(俺が油断した隙を突いてくるんだ!)
 そう、今日のように。
 身構えていない時を狙って、まるで警戒していない時を狙って放たれる言葉。
 きっとブルーも何度も何度も断られる内に、叱られる内に学習したというヤツだろう。
 四六時中、強請って繰り返すよりも効果的なタイミングで言った方がいい、と。
 小さなブルーは、そう思っているに違いないのだが。



(チビはチビだけに、外しているがな…)
 自信たっぷりに繰り出される攻撃は、確かに絶妙のタイミングではある。
 今夜のように心の奥深くスルリと忍び込んでおいて、今頃になってフワリと浮上するほどに。
 けれども、タイミングはともかく、ブルーが身に纏う雰囲気の方がズレていた。外している、と思うのは其処だ。
 ブルーとしては、前の自分の表情や声を真似ているつもりなのだろうけれど。キスを強請るのに相応しい顔をしているつもりだろうけど、生憎とやはり何処かが違う。
 声変わりしていない声もそうだが、その表情。
 所詮は子供の顔でしかなく、背伸びしてみても子供は子供。



(今のあいつなら、家に呼んでも…)
 大丈夫だろうという気がする。
 再会を遂げて間もない頃に、「ハーレイの家に行きたい」と請われて気軽に受けた。生徒を家に招くことは多いし、それと変わりはしないだろうと。
 ところが、訪ねて来たブルー。
 年相応にはしゃぎ、家のあちこちを見て回ったりして御機嫌だったが、合間、合間にふと見せる顔が幼い子供のそれとは違った。
 小さなブルーの面差しの向こうに幾度も透けて揺らめいて見えたソルジャー・ブルー。寂しげな顔の、頼りなげな顔のソルジャー・ブルー。
 思わずそれを抱き締めたくなり、腕の中に収めてしまいたくなって。
 前の自分が失くしてしまったブルーを手にしたいと強く願ってしまって、懸命に思い留まった。これは違うと、小さなブルーは前のブルーとは違うのだ、と。
(うっかり抱き締めちまっていたら…)
 とても止まりはしなかったろう。ブルーを丸ごと手中にするまで、小さな身体を己だけのものにしてしまうまで。
 それは決して許されないから、「大きくなるまで家には来るな」とブルーに告げた。前の背丈と同じに育つまで、この家に来てはならないと。
(そうは言ったが…)
 今のブルーには、もう出来まい。
 自分を恐れさせたあの表情は、ソルジャー・ブルーと同じ表情はもう出来まい。
 それくらいブルーは今の小さな身体に馴染んだ。
 年相応の愛らしい子供になった。
 キスを強請られても「まだ子供だな」と余裕の笑みで見守れるほどの小さな子供に。



(だが、約束は約束だしな?)
 いくら脅威が無くなったとはいえ、今更、解いてやることもない。
 ブルーの家でしか会えないことには慣れているのだし、お互い、不自由はしていない。ブルーがたまに、教え子を家に招いたと聞いて「いいな…」と羨ましがる程度。
 それにブルーはこれから育つ。育てばソルジャー・ブルーの姿に、前のブルーの姿に近付く。
 そうなってくれば再び増してゆく脅威。
 けれども一度、家に来るのを許してしまえば、もう一度追い払うことは難しい。
 ゆえに、このまま遠ざけておくのが一番いい。
 家には来るなと、前のブルーと同じ背丈に育つまでは決して来ては駄目なのだ、と。



(しかし…)
 俺も忍耐強くなったもんだな、と笑みが零れた。
 ブルーと出会って間もない頃なら、あんな台詞を思い出したら。
 愛らしい唇でブルーが紡いだ、誘う言葉を思い出したら。「キスしていいよ」と可愛らしい声が蘇ったなら、もう平静ではいられなかった。
(うん、充分にマズかったってな)
 こんな所でコーヒー片手に、のんびりと回想しているどころではなかっただろう。
 カップの後片付けさえもしないで寝室に直行、けしからぬ行為に及んだことは請け合いで。
(何度、その目に遭ったんだか…)
 最近はそういうことも無い。
 自分の中の雄がざわめき、頭を擡げることなどは無い。
 小さなブルーが膝に座って胸に身体を寄せて来た日も、「キスしていいよ」と言われた日にも。
 ただただ愛しく思うばかりで、守ってやらねばと誓いを新たにするだけで。



(年を取ったか…?)
 まさかな、と苦笑してみたけれども、この忍耐力。
 ブルーの誘いを余裕で躱せる、笑って躱せる今の自分の心の強さが頼もしい。
 日頃、ブルーに「ゆっくり育てよ」と口癖のように言っているけれど。前のブルーと同じ背丈に育つ時まで、何十年でも待っていてやる、と繰り返し言っているのだけれど。
 この調子ならば、本当に何十年でも待てる気がする。
 小さなブルーの身体を欲する自分を叱ることなく、泰然自若として大人の余裕で。
 たとえ本当に何十年という時を待たされることになったとしても。



(待てよ…?)
 何十年、と考えた所で、ふと引っ掛かった。
 前の自分はどのくらいの時をブルーと過ごした…?
 今も忘れることが出来ない、前のブルーと。メギドで失くしてしまったブルーと。



(アルタミラから後が三百年だ…)
 あの生き地獄から脱出した日にブルーと出会った。
 偶然にも同じシェルターに閉じ込められていた、今のブルーと変わらない姿をしたブルーに。
 それから長い長い時をブルーと共に過ごして、フィシスが来てからも変わることなく。
 青い地球をその身に抱く少女に前のブルーが魅せられた後も、ブルーとの絆は切れなかった。
(しかし、あいつは弱っていって…)
 衰え始めたブルーの体力。弱くなっていった命の炎。
 虚弱だった身体が急速に弱ってしまった時には、後継者になるジョミーがもう生まれていた。
 それゆえの世代交代だろう、とブルーが笑って言ったくらいに。
 悲しげな笑みではあったけれども。寂しげな笑みではあったのだけれど。
(寿命なんだよ、と笑いはしたが…)
 自らの命が尽きると悟ったブルーは何度も、何度も泣いた。ハーレイの胸で何度も泣いた。
 ハーレイと地球へは行けそうもないと、もうすぐ死んでしまうのだと。
 泣きじゃくるブルーを強く抱き締め、涙を拭ってやっていた記憶。
 その時が来ても独りぼっちで逝かせはしないと、自分も何処までも一緒にゆくから、と。



(あいつ、年寄りだがチビだったんだ…)
 出会った時には今のブルーと全く同じにチビだったブルー。小さかったブルー。
 その後、育ちはしたけれど。
 今の小さなブルーと違って順調に育ちはしたのだけれども、ブルーはチビで。
 リーダーとして物資を奪いに出掛けるよりも前は、自分の後ろにくっついていた。隠れてまではいなかったけれど、後ろをついて歩いていた。
 まるで幼子がそうするように。親の背中を追い掛けるように。
(心は俺より、ずっと年下…)
 そんなブルーと何十年を共に過ごしただろう?
 キャプテンの任も、ブルーの補佐役になれるのならば、と喜んで受けた。ソルジャーと呼ばれるようになるよりも前のブルーがそれを望んだから。「ハーレイにならば命を預けられる」と。
 ブルーの力になれればと願い、キャプテンにまでなって、ブルーと共に生きていた。
 恋人ではなく、友達として。
 互いに誰よりも心を許せる、一番の友達同士として。



(おいおい、本当に何十年だぞ?)
 前の自分はいったいどれだけ、前のブルーと友達としての時を過ごしたのか。
 シャングリラが巨大な白い鯨となって、青の間が立派に出来上がった後も友達同士で。
 お互いの部屋を訪ね合ったり、二人でお茶を飲んだりはしても、友達同士。
 ブルーへの恋に気が付いた時は、どのくらい経っていたのだったか…。
(考えちゃいかん…!)
 何十年では済まないかもしれない、友達同士で過ごしていた時。
 縁起でもない、と思った所でハタと思い出した。



(あいつ、自分からは言わなかったぞ…!)
 キスしてもいいよ、とは一度たりとも。
 互いの想いを確かめ合って恋人同士として初めてのキスを交わすまでの間には、ただの一度も。
 ブルーは言いはしなかった。今の小さなブルーのようには。
 キスを交わすのが常になってからは、強請って来ることもあったけれども。
 ブルーはあくまで控えめだったし、晩熟でもあって。
(そもそも、キスすら知らなかったんじゃないか?)
 恋人同士で交わすものだということを。愛し合う者同士、キスを交わすということを。
(嫌なことを思い出して来たような…)
 忘れていた、とハーレイは呻く。
 今の今まで忘れ去っていたと、前のブルーはキスさえ知らなかったのだと。



 アルタミラから脱出した後、ブルーがまだまだチビだった頃に、頬や額にしてやったキス。
 年は上だが心が幼いままのブルーに幾度もキスをしてやった。
 くすぐったそうに、嬉しそうに笑っていたブルー。キスを貰って幸せそうにしていたブルー。
(可愛かったんだ、あいつ…)
 甘やかすように、キスを幾つも。頬に、額に、触れるだけのキス。
 けれどブルーが育ってからはご無沙汰だった。
 小さかったブルーが育つにつれてキスは間遠になってしまって、いつしか消えた。
 ブルーも後ろにくっつかなくなり、ソルジャーとして前を歩くようになった。キャプテンだった自分を従え、堂々と歩いていたブルー。
(青の間が出来てからもそうだったんだが…)
 ソルジャーの威厳を高めるためにと作り上げられた、壮大な青の間。ブルーは其処で一人きりの暮らしをしていたけれども、不自由は無さそうだったけれども。
 それが何故だか、側に居たがるようになって。
 用も無いのにキャプテンの部屋を訪ねて来たり、一日の報告を終えた自分を引き留めたり。
 座っていれば隣に腰を下ろして、もたれて来たりもするようになって…。



(うんうん、やたらとくっつきたがるようになったんだった)
 もたれたままで眠ってしまったり、ただ幸せそうに寄り添っていたり。
 そうした時にブルーが浮かべていた表情。
 自分と同じだと、ブルーも同じだと気付いて嬉しかったのだった。
 これは恋だと、互いに恋をしているのだと。
 焦らずにゆっくりとブルーの本当の気持ちを確かめ、額に落としてやったキス。
 何年ぶりだか、もはや思い出せないくらいに長い間、していなかったキス。
 ブルーは拒みはしなかった。
 次は頬へとキスを落としても、ふわりと花が綻ぶように笑んだ。



(だがなあ…)
 それで満足してしまったのが前のブルーで。
 恋が叶ったと、想いが叶ったと幸せ一杯だったブルーは本当に晩熟だったのだ。
 ただ側に居て抱き締め合うだけ、額と頬へのキスだけで充分。
 もうそれだけで満ち足りていたから、その先を望みはしなかった。もちろん唇へのキスも。
 思い付きさえしなかった、と表現するのが正しいだろう。
(前の俺も蛇の生殺しか…?)
 思い出したくなかったのに、と悲しい気持ちになってくる。
 小さな身体のブルーではなくて育ったブルーと恋をしたのに、キスをするなら頬か額に。唇へのキスはブルーが望んでもいないのだから、と我慢でお預けの日々が続いた。
 恋人と共に過ごしているのに、抱き締め合うだけ。
 頬と額にそうっとキスを落としてやるだけ。



(それに比べれば、今度のあいつは…)
 今はキスさえ禁止してある、小さなブルー。
 禁じられているのに「キスしていいよ」と、桜色の唇で歌うように紡ぐ小さな恋人。
 一人前の恋人気取りで首に腕まで回してくるほど、キスに焦がれているブルー。
 前の記憶を持っている分、時が満ちれば簡単に突破出来そうだけども。
 キスくらい、きっとブルーの背丈が前と同じになったその日に幾度でも交わせるだろうけれど。
(前の俺は苦労をしたんだった…)
 ブルーにキスを教えるのに。
 恋人同士のキスはこうだと、唇へのキスを教え込むのに。



(その俺は何処で知ったんだ…?)
 キスの仕方を、と思ったけれども、追及したならロクでもないことを思い出しそうで。
 今の小さなブルーへの欲望に負けて寝室へ突っ走るのと変わらない記憶が彼方から蘇りそうで。
(俺は最低なヤツだったのか…?)
 前の自分を友達だと信じてくれていたブルーを裏切っていたのか、と情けなくなる。大切な友を欲にまみれた目で見ていたかと、あわよくばと狙っていたのかと。
 いつか手にするチャンスを夢見て、よからぬ企てをしていたのかと。
 しかし…。
(違うな、ライブラリーにあった小説だな)
 戯れに手に取った小説の中にそういう描写が在ったのだった、と遠い昔の記憶が教えた。
 恋人同士はキスを交わすと、口付けを交わすものだと其処に記されていたと蘇る記憶。
 ホッと一息ついたけれども。
 ブルーを手に入れようと画策していたわけではないのだ、と安堵したけれど。
 恋愛小説などを読んでいた時点で、もう充分に下心だか下地だかが生まれていたかもしれない。
 いつか自分も恋をするのだと、こういった恋をしてみたいと。



(キスの先のことも…)
 ブルーとの恋が成就した後にライブラリーで調べたのだった、と溜息をつく。
 どうすればいいのか、どうするべきなのか。
(その手の資料まで揃っていたっていうのが凄いが…)
 お蔭でブルーの身体を傷つけることなく、痛い思いをさせることなく手に入れられたと自負している。もしも資料が無かったならば、初めての夜は一体どうなってしまったことか。
(勉強したのは俺ばかりなんだ…)
 晩熟だったブルー。恋に気付いても、頬と額へのキスで満足していたブルー。
 要はブルーは、とことん受け身で。
 自分の方からは決して動かず、動く必要などは微塵も感じていなかった。



(キスだって、だ。唇にしてやれば充分っていうヤツだったしなあ…)
 唇にそうっと、触れるだけのキス。初めての唇と唇が触れ合ったキス。
 頬や額へのキスと違って、特別な場所へのキスだったから。
 ブルーも他のカップルが交わすキスは知っていたから、それで満足してしまった。恋人同士でのキスはこうだと、唇を合わせるキスを交わした、と。
 だが生憎と、前のブルーが知っていたキスは挨拶のキス。
 恋人同士が交わしてはいても、触れ合っただけの軽いキス。人前でも恥ずかしくなかったキス。
 それよりも深いキスがあろうとは、前のブルーは夢にも思っていなかったから。
(俺はサイオンに感謝するぞ…!)
 言葉ではとても言えないから。
 本当のキスはこうするものだと、言葉で教える度胸などありはしないから。
 肩にもたれたりしているブルーに悟られないよう、そうっと知識を滑り込ませた。安心し切って心まで委ねて来ているブルーの意識の下へと、知識を送った。
 キスは唇に触れるだけのものではないと、もっと深くて強いものだと。
 繰り返し、繰り返し、そう送り込んで。
 ようやっとブルーが物足りなさそうな顔をしたから、初めて本当のキスを交わした。
 恋人同士の長い長いキスを、互いの身体の一部を絡み合わせるキスを。



(そこまで行くのにどれだけかかった…?)
 思い出すだに物悲しくなる、前の自分が辿った恋路。
 きちんと大きく育ったブルーと恋をしたくせに、回り道を延々と歩み続けた前の生。
 頬と額へのキスで充分だと思っていたような晩熟のブルーを相手に涙ぐましい努力をしていた。
(育ったブルーだったんだが…!)
 今のブルーに「この背丈まで育て」と言い聞かせてある背丈に育っていたブルー。
 けれども中身はまるで子供で、恋をしていても全く成長しなかった。
 何処までも晩熟で、キスさえ強請りもしなかったブルー。
 それに比べれば、今の小さなブルーの方は。
 キスだけだったら何の苦労も要らないだろう。
 その先のことも、時さえ来れば。
 小さなブルーが前と同じに育ちさえすれば自然に解決、愛を交わせる筈なのだけれど。



(前の俺はそっちも苦労したんだ…!)
 せっかく知識を仕入れて来たのに、ブルーはといえば唇を重ねるキスだけでもう満足で。
 これで本当に恋人同士になれたのだ、と固く信じて疑いもせずに、幸せそうにしていたから。
 ただ抱き合ってキスを交わしては、それは嬉しそうに微笑んだから。
(…俺がスケベなだけかもしれん、と自信が揺らいで来たんだ、あれで…!)
 ブルーがそれで充分だと感じているのだったら、いっそこのままで居ようかとも思った。優しく抱き締め、キスを交わすだけで過ごそうかという気持ちにもなった。
 けれども、やはりブルーが欲しい。
 恋が実って手に入れたブルーを、愛おしいブルーを自分だけのものにしてしまいたい。
 きっとブルーもそうであろうと、晩熟だから分からないだけであろうと思うことにした。キスが何かも知らなかったように、身体を繋げることもブルーは知らないのだと。
(きちんと教えりゃ、応える筈だと思ったんだよなあ…)
 それでもブルーが無反応なら、その時は潔く諦めよう。
 キスだけで一生を終えることにしよう、と決意を固めて、キスの時と同じように教えた。触れた場所から知識をそうっと滑り込ませて、ブルーがそれに反応するまで。
 物足りなさそうな顔をするまで、ただひたすらに辛抱強く。
 キスどころでは済まない深い行為だけに、どれほど苦労したことか。
 晩熟なブルーに教え込むのに、繰り返し、繰り返し、意識の下へと送り込むのに…。



 苦労を重ねてブルーを手にした、前の自分。
 晩熟だったブルーにキスから教えて、ようやく手に入れることが叶ったキャプテン・ハーレイ。
 その道のりにかかった時間は考えたくもなく、思い出すまいと記憶に鍵を掛けた。
 縁起でもないと、あれほどに待たされてたまるものかと。
 けれど…。
(今度はどうやら楽勝だしな?)
 まだ幼いのに、小さいというのにキスを強請ってくるブルー。
 「キスしていいよ」と自分から言ってくるブルー。
 時さえ来れば、ブルーが前のブルーと同じ背丈に育ちさえすれば。
 苦労せずともブルーは手の中に落ちて来る。
 熟した果実が落ちて来るように、何もせずとも自然と枝から落ちて来るように。



(本物の恋人同士だっけな)
 今の小さなブルーの口癖。
 最近は滅多に言わないけれども、出会った頃にはうるさいほどに言われたものだ。大きく育って早く本物の恋人同士になりたいのだ、と。
 それは結ばれたいという強い望みで、小さなブルーは今すぐにでも、と思っていたほど。
 身体も心も幼すぎるのに、前の生で夜毎に交わした甘い睦言を今すぐにでも、と。
(あいつが大きく育ちさえすれば、そっちの方だって簡単だしな?)
 誘いさえすれば、今のブルーは直ぐに応じる。
 前のブルーのような待ち時間は無くて、何を教える必要も無い。時が満ちれば結ばれるだけ。
 ならば、余裕で待てるだろう。
 何十年という時を待たされたとしても、時さえ満ちれば今のブルーが言う本物の恋人同士という間柄。何の苦労も長い回り道も要りはしなくて、ブルーとの本当の恋が始まる。
(うん、今度の恋には余計な待ち時間ってヤツが無いんだな)
 今の自分の落ち着きの元はこれだったのか、と気が付いた。
 何もせずとも手に入るブルー。
 手に入れているも同然のブルー。
 今は小さくて話にも何もならないけれども、育ちさえすれば正真正銘の恋人になる。
 前とそっくり同じ姿に美しく育ち、キスもその先も、全て承知の非の打ち所がない恋人に。



(要は待ってりゃいいんだからな)
 そう、今の自分は前と違って待つだけでいい。
 ただのんびりと待っているだけ、下調べも要らず苦労も要らない。前の自分の苦労は要らない。
 ゆっくりと待つのが自分の仕事で、その日は確実にやって来る。
 小さなブルーもいつかは大きく育つ筈だし、焦らずに待っていればいい。
 まだ青い果実が熟す日まで。
 固くて小さな青い果実が、食べ頃に育って落ちて来るまで。
 甘い香りをその身に纏わせ、すっかり熟して枝から離れて落ちて来るまで…。



(まだまだ、あいつは熟してないんだ)
 一人前だと主張していても、熟してはいない小さな果実。まだ青い果実。
 食べてみれば美味しいのかもしれないけれども、それは許されないことだから。
 教師としての自分はもちろん、大人としても許されはしない。
 いくらブルーに望まれようとも、十四歳の小さな子供に手を出すことなどしてはならない。
 それに、前のブルーのその頃の味など知らないから。
 今のブルーと変わらない頃の、アルタミラから脱出した頃のブルーの味など知りはしないから。
 食べてみようと思いはしないし、食べたくてたまらないわけでもない。
 未熟な果実をあえて食べずとも、熟すのを待てばいいだけのこと。



(うん、待てるさ)
 充分に待てる、と大きく頷く。
 何年でも、たとえ何十年という時が必要でも自分は待てる。
 前の自分のような回り道は要らず、待ち時間も苦労も要らないのだから。
 その上、運が良かったならば。
(小さいあいつが嫁に来るかもしれんしな?)
 もしもブルーが育たなかったら、育たないままで結婚出来る十八歳になってしまったら。
 周りが止めても、ブルーは聞かない。きっと聞かない。
 何年間かは我慢したとしても、いずれ強引に嫁入りしてくるに違いない、という気がするから。
(チビのあいつが嫁に来たなら…)
 キスは禁止だと、大きくなるまでキスは駄目だと言い聞かせても意味が無いだろう。小さくてもブルーは花嫁なのだし、同じベッドで眠るのだろうし。
 そうなったならば小さなブルーと、キスも、その先も…。



(うーむ…)
 小さなブルーとキスを交わしたら、結ばれたならばどうだろうか、と思ってしまって。
 ついウッカリと考えてしまって、慌てて頭からそれを追い出そうと首を大きく左右に振った。
 そうして冷めたコーヒーを一気に飲んだけれども。
(…………)
 いかん、と立ち上がり、空になったカップをキッチンへと足早に運んで行った。
 辛うじて片付けをするだけの理性は残っていたから、洗って戸棚に仕舞ったけれど。コーヒーの残り香も消えたけれども、もしかすると。
 今夜は捕まってしまったかもしれない。
 余裕で躱して逃げて来た筈の、小さな恋人がかけた呪文に。



「キスしてもいいよ?」
 身体の奥底で熱い熱が疼く。
 頭を擡げる情欲の獣。
 耳の奥で愛らしい声が囁く。
 キスしてもいいよと、ぼくはいいよ、と…。




            可愛い誘惑・了

※前のブルーと恋をした後、色々と苦労したらしいハーレイ。…ブルーが奥手だったせいで。
 今度は要らない苦労ですけど、その代わり誘惑されるのです。待たされたって、それも幸せ。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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