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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

恋と忘却

(駄目だあ…)
 今日もダメだ、と大きな溜息をついた、ぼく。
 ベッドに入る前にちょっとだけサイオンの練習を、と思ったけれども、今夜も駄目。ぼくの隣にクローゼット。ハーレイと出会って間もない頃に、鉛筆で微かな印を付けたクローゼット。
(ぼくの目標も遠いけど…)
 書いてある線は床から百七十センチの所にある。前のぼくの背丈と同じ高さに。
 其処まで育てばキスを許してやる、って言ったハーレイ。育たないと絶対、出来ないキス。その約束をさせられた日に、測って付けた小さな印。ぼくの目標。
 だけどそれから一ミリも育ってくれない背丈は、今も百五十センチのままで。
(おまけに、サイオン…)
 とことん不器用になってしまった、ぼくのサイオン。タイプ・ブルーとも思えないレベル。思念すら上手に紡げやしないし、瞬間移動だってまるで出来ない。
 クローゼットに付けた印の高さまでヒョイと浮き上がることも実は全く得意じゃない。あの印を書いた日は気分が高揚していたんだろう、「ここまでだよ」って浮き上がれたのに。
 ぼくの背丈が百七十センチになったら視点がどうなるか、何度だって浮いて確かめられたのに。
(今日も浮けない…)
 全然、身体が浮き上がらない。足でジャンプした方がマシなんじゃあ、っていう感じ。その上、思い通りのタイミングで浮いてもくれないし…。



(ホントにあの日が特別だったんだ…)
 前のぼくの視点の高さで見下ろせた床とか、見回した部屋の中だとか。
 あの日が奇跡。あの時が奇跡。
 練習したって再現不可能、たまに偶然、印の高さまで浮けるけれども、ホントに偶然。浮いたと喜んだ次の瞬間、ストンと落ちていたりもする。
 前のぼくと同じ高さの背丈になれる日も遠いけれども、サイオンを扱えるようになる日も遠い。遠いどころか、永遠に来ないような気もする、不器用なぼく。
(印を付けた日だけが特別…)
 きっとあの日は、勢いだけで出来たんだ。
 この高さまで育ったらハーレイとキス、って胸がときめいて、ドキドキしてて。
 サイオンは精神の力なんだし、そういう時には普段よりも強くなるんだろう。
(特別で偶然…)
 意識してやれることじゃなくって、意識していないから出来たこと。
 ハーレイの家まで瞬間移動で飛んで行っちゃった時と同じで。
 メギドの悪夢が怖くて怖くて、泣きながら眠って、知らない間にハーレイのベッドまで瞬間移動しちゃった時と同じで、無意識の産物。
 つまりはサイオンを自由に操れない、ぼく。前のぼくのようにはいかない、ぼく。



(とことん、不器用…)
 タイプ・ブルーには違いないけど、名前だけ。サイオン・タイプがブルーなだけ。
 最強のくせに、他のタイプの友達にだって敵いやしない。グリーンもイエローも、レッドにも。
 ロクになんにも出来ない、ぼく。
 思念波も駄目ならシールドも駄目で、もちろん空なんて飛べるわけがない。
 前のぼくなら呼吸するように簡単に出来たことが一つも出来やしなくて、標準以下。サイオンのレベルを測定されても「危険なし」って出る、人畜無害な今のぼく。
(喧嘩でウッカリ使っちゃっても、怪我もさせられないっていうレベル…!)
 怪我と言ったら派手に聞こえるけど、ここで言う怪我は掠り傷。
 サイオンが当たって掠り傷だとか、衝撃で転んで掠り傷とか、そんなことさえ起こさない。前のぼくなら指を触れもせずに戦闘機だって落とせたのに。



 ぼくの見た目は前のぼくの小さな頃にそっくり、育ってもきっと、前のぼくと同じ。
 遺伝子レベルだと違うだろうけど、基本的には前とおんなじ器のつもり。
 なのに不器用、サイオンを上手に扱えないだなんて…。
(これって器のせいなんだろうか?)
 何処かがちょっぴり、前のぼくとは違っているとか。
 遺伝子の配列のたった一ヶ所、それが違うだけで大きく変わってくるかもしれない。見た目には前と同じに見えても、中身の違い。そうだとしたら、ちょっと悔しい。
 もっと器用な身体に生まれていたなら、サイオンだって自由自在で。
 ハーレイの家に行きたいな、って思ったら一瞬で飛んで行けてしまって、帰りも楽々。
(そんな身体だったら良かったんだけど…)
 器用な身体に生まれたかった、って思ってしまう。
 でも、どうだろう?
 相手はサイオン、精神の力。
 器が違えば扱える力も違ってくるのか、器なんかはまるで関係無いのか。
 その辺のことは生まれ変わって来た人の例が無いから、分からない。
 もしも生まれ変わりの先達がいたら、前に比べてどうですか、って訊けるのに…。
 そういった人の体験談を元に、データでもあれば分かるのに…。



 生まれ変わりの前例なんか無いから分かんないや、って思ったんだけど。
 自分の器を、身体を別のと取り替えて魂を移した人なんか無いし、と思ったんだけど。
(あっ…!)
 すっかり忘れてしまっていた。魂を移す、ってことを考えた途端に蘇った記憶。
 前のぼくが夢に見ていたこと。
 魂と器って関係について、描き続けた壮大な夢。
 きっといつかは、って。
 いつか実現出来るといいのに、って。



 前のぼくの夢。
 叶うならば、と抱いていた夢。
(身体っていう器が無くなったなら…)
 魂が入った身体という器。前のぼくの魂を縛っていた器が身体というもの。
 思念体という形では抜け出せるけれど、戻って行かなきゃならない器。離れるわけにはいかない器。それを離れたら死んでしまうし、思念体になって行ける範囲は限られていた。
 思念体でもサイオンは充分使えるけれども、制約ってヤツが多すぎたんだ。身体を出てから戻るまでの時間とか、身体から離れていられる距離とか。
(あれが不自由だったんだよ…)
 もう少し、と心で思っても越えられない壁。決して越えてはならない壁。
 その壁が消えてしまったならば、と思い描いた。
 魂を縛る肉体を失くしてしまったならば。魂が身体から切り離されたら。
 それは前のぼくの死を意味するけれども、肉体の死を迎え、魂が自由になったなら。
(身体に戻る必要なんかが無くなったら…)
 思念体であった時と違って、何処へでも行けるんじゃないかと思った。
 広い宇宙を何処までも飛んで、時間も空間も、もう意味が無くて。
 心の赴くままに飛んで、飛び続けて、もしかしたら焦がれた地球へまでも。



(人類全部にメッセージを送ることだって…)
 魂を縛る器が無いなら、サイオンも無制限に、無限に広げて全宇宙にぼくのメッセージを。
 ミュウと人類とは兄弟なのだと、手を取り合って生きられる筈だと呼び掛けたかった。
 誰の心にも等しくメッセージを届けられたなら、きっとミュウへの思いも変わる。思念波ならば誤解は生まれないから。正しく理解して貰えるから。
 心と心での対話になるから、どんなに機械が干渉したって、人は人同士で分かり合える。機械による支配を崩すべきだと、ミュウを受け入れようと思って貰える。
(心に直接語り掛けたら、前のぼくの思いも願いも人類側に伝わる筈だったんだよ)
 だから伝えようと、いつか伝えたいと思い始めた。
 肉体の死を迎えたならば。魂が身体の枷を離れて自由に飛翔出来たなら。
 その時が来るのをぼくは夢見て、いつか必ずと熱く願って。
 溢れる思いを抑え切れずに、友達だったハーレイに披露した。
 まだ恋人同士ではなかったハーレイ。一番の友達だったハーレイ。
 青の間を訪ねて来てくれた時に、頬を紅潮させて話した。
 ぼくの夢だよ、って。
 誰にも話していないけれども、君だけは笑わずに真面目に聞いてくれるよね、って。



「ねえ、ハーレイ。いつか、ぼくが死んでしまったら…」
 魂が身体から解き放たれて、何処までも飛んでゆけるようになったなら。
 ぼくの思念を宇宙全体に大きく広げて、人類に向かってメッセージを送ってみたいんだ。
 ミュウと人類とは兄弟だよ、と。怖くなんかないと、分かり合えると。
 思念で送ったメッセージならば、人類の心にも上手く届くと思わないかい?
 心と心が触れ合うんだから、誤解なんか決して生まれやしない。
 まるで神様のお使いになったみたいに、ミュウと人類とを繋げそうな気がしているんだよ。
 やってみないと分からないけれど、これがぼくの夢。
 それを思うと、少し楽しみになってくるかな、死んでしまう日が。
「ブルー。本気で仰っているのですか?」
 死んだ後のことが楽しみだなどと。
 いつか死んだらそれをしようと、その日が来るのが夢だとあなたは仰るのですか?
 確かに、そういうことが出来たら。
 我々は逃げ隠れする必要も無くなり、人類と共に生きてゆける日が来るのでしょうが…。
 その日を見ないで、あなた自身が死んでしまってどうするのです?
 いくらあなたが成し遂げた偉大なことであっても、その時、あなたは何処にもいない。
 それで満足だと仰いますか?
 ミュウの未来さえ拓くことが出来れば、ご自分の命は失くしてもいいと?



 ハーレイはぼくが話した夢を笑いはしなかったけれど、眉間に皺を刻んで怒った。
 してはならないと、そんな夢など描いていてはならないと。
 恐ろしいほど真剣な瞳で叱られ、二度と夢など見るなと言われた。
 死んでどうすると、生きてこそだと。
 ミュウと人類が手を取り合った時に、其処に居なくてどうするのだと。
 ぼくは名案だと思っていたのに。
 この夢が叶えば、ミュウの未来は明るいだろうと思っていたのに…。



(だけど…)
 いつの間にかハーレイに恋をしていて。
 気付けばハーレイに恋をしていて、ハーレイの背中を見詰めていた。
 アルタミラから脱出した後、チビだったぼくがくっついて歩いたハーレイの後ろ。大きな背中。
 其処に戻りたいと、ハーレイの後ろに戻りたいのだと願い始めて、恋だと気付いて。
 その恋が実って、ハーレイの背中の後ろじゃなくって、腕の中がぼくの居場所になった。逞しい腕に抱き締められて、すっぽりと包まれる広い胸の中。いつだって温かかったハーレイの胸。
(あの腕の中で過ごして、一緒に眠って…)
 訪れた、幸せでたまらない時間。ハーレイと二人、恋人同士のキスを交わして、愛を交わして。
 誰よりも愛する人が出来たら、死にたくなんかなくなってしまった。
 死んだらやりたいと夢見たことも忘れてしまって、死というものさえ遠く感じて。
 いつまでもハーレイと二人だと思った。ずうっと二人で生きてゆくのだと、離れはしないと。



 そうして幸せに包まれていたのに、時の流れは残酷なもので。
 見た目はともかく、本当はハーレイよりもずっと年上だった前のぼく。
 少し体力が落ちたような、と感じた時には死に向かって歩き始めていた。指の間から零れ落ちてゆく砂粒のように失われていった持ち時間。ぼくの身体が生きて動いていられる時間。
 それの残りが少なくなった、と悲しい現実を突き付けられた。ある日、突然。
(…ホントに突然だったんだよ…)
 一時的な体力の低下ではなくて、この先は落ちる一方なのだと自覚させられた運命のあの日。
 ぼくの寿命が尽きてしまうと分かった日の夜。
 ハーレイに縋って泣きじゃくった、ぼく。
 死にたくないと、ハーレイと離れたくないと。けれども死んでしまうのだ、と。
「大丈夫ですよ、ブルー。私が側に居ますから」
 お一人で逝かせはしませんから、と背中を優しく撫でられ、涙を拭われて安心した。
 ハーレイと一緒なんだ、って。
 たとえ死神に捕まったとしても、ハーレイも一緒に来てくれるんだ、って。



 ハーレイの腕の中、抱き締められて慰められて、いつまでも一緒だと確かめ合って。
 死でさえもぼくたちを引き裂けやしない、と安堵の涙を流していた時。
 ぼくの中にはとっくに無かった。何処にも残っていなかった。
 恋をする前に持っていた夢。
 死んでしまったら地球へまでも飛んで、ミュウと人類との絆になる夢。
 いつか魂が身体を離れたならば、と抱いていた夢は欠片もありはしなかった。
 すっかり忘れてしまっていた。
 そんな夢を抱いていたことさえも。いつかはと夢を見ていたことも。



(恋をしちゃうと駄目なんだろうか…)
 人は弱くなってしまうのかもしれない。心が弱くなるのだろうか。
 一人きりで生きていた時より、二人で生きるようになった時の方が。共に暮らしている方が。
 いつも互いに支え合っているようなものなのだから。
 二人だったら何でも出来ても、一人では何も出来なくなるとか。
 抱き合っていれば、手を握り合っていれば強いけれども、離れてしまえば無力だとか。
(そうなのかも…)
 メギドで独り、泣きじゃくりながら死んだぼく。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えて、ただ独りきりで。
 悲しくて寂しくて、泣きながら死んだ。
 もう会えないと、ハーレイには二度と会えないのだと。



 あの時、あの夢を持っていたなら。
 肉体という魂を縛る器が消えた時には地球へまでも飛ぼうと、宇宙の果てまでも思念波に乗せて思いを伝えてミュウと人類との懸け橋になろうという夢を失くしていなかったなら。
 全ては変わっていたんだろうか…?
 前のぼくの思いは宇宙に広がり、ミュウと人類とは手を取り合えていたんだろうか…?
(まさかね…)
 いくら前のぼくのサイオンが強くて、自由自在に扱えていても。
 其処までの力は無かっただろう。
 身体を離れても、肉体の枷から解き放たれても、きっと無かった。
 かつて持っていた壮大な夢を叶えられるほどの力は無かったと思う。未来を変えるほどの力は。
(夢は夢だよ)
 前のぼくは夢を忘れたままで死んでしまったから、それは数には入らないとしても。
 あれから今までの長い長い時の流れの中、何人ものタイプ・ブルーが生まれては、死んで。
 タイプ・ブルーも珍しくはない時代が来たけど、それほどの人数が生きては死んでいったけど。
 死んでしまった後に強かった人の話なんかは知らないから。
 身体という器を失った後に、この世の中に影響を与えた人の例なんかは一つも無いから。
 仮に前のぼくが夢を忘れていなかったとしても、夢は夢だったと思うんだ。
 前のぼくは夢を叶えられはせず、ただ消えていっただけなんだろう、と。
 だから…。



(ぼくがハーレイに恋をしたのは…)
 間違いじゃないよね?
 そのせいで夢を忘れちゃったけれど。
 忘れたどころか思い出しもせずに、泣きながらメギドで死んじゃったけれど。
(ミュウの未来と幸せだけは、それでも祈っていたけれど…)
 死ぬ間際まで忘れはしなかったけれど、夢はすっかり忘れ果てていた。
 身体を離れたら地球へまでも飛び、宇宙に広く思念を広げてミュウと人類とを結ぶ夢。
(あの夢を覚えていたとしたって、きっと役には立たなかった筈…)
 何の役にも立ちはしなくて、死の世界へと旅立っただけだと思うんだけれど。
 それなのに、怖い。
 やっぱり、怖い。
 ぼくが忘れていなかったなら…、って。
 ミュウと人類とが争うことなく手を握り合う千載一遇のチャンスを無駄にしたかも、って。



(ぼくのせいなの…?)
 もしも覚えていて、メッセージを送っていたならば。
 戦いは無くて、誰も死なずに全てはナスカで終わっただろうか。
 ナスカが燃えてメギドが沈んだ戦いを最後に、ミュウと人類とは共存の道を歩んだだろうか。
(あんな夢、前のぼくしか持ってはいないよ…)
 その上、前のぼくが一番最初に死んでしまったタイプ・ブルーで、あの時が歴史の一つの節目。
 もしもあの夢を持っていたなら、叶えていたなら全ては変わった。
 恋をしちゃいけなかったんだろうか、前のぼくは…?
 ハーレイに恋をしなかったならば、未来は変わっていたんだろうか…?



(どうなの、ハーレイ?)
 訊きたいけれども、ハーレイはいない。
 まだ眠ってはいないだろうけど、何ブロックも離れた所にある家の書斎か、寝室に居るか。
 思念波だって届きやしない。
 今の時代は誰もがミュウになっているから、家などには思念波を遮る仕組みが施されているし、ぼくのサイオンが不器用でなくてもハーレイの家に届くような思念は紡げない。
 ハーレイが起きていたって無駄。ぼくの疑問をぶつけられないなら無駄でしかない。
(ずうっと昔は…)
 SD体制が始まるよりも遥かな昔は、こんな夜中でも声を届けたり聞いたり出来る便利な機械があったって言う。一人一人がそれを持ってて、好きな時に会話が出来たんだ、って。
 だけどその機械はSD体制に入ると同時に無くなった。マザー・システムが統治し易いように。人同士が密に連絡を取り合い、結束されたりしないように。
 そうしてSD体制が崩壊した後も、いつでも何処でも会話が出来た機械は復活しなかった。
 人は人らしく、出来るだけ互いに顔を合わせて話をするのが望ましい、って。
 それは分かるけど、ミュウの力…。
 特徴だったサイオンの力、思念波でさえも連絡手段に使うことが出来ない世界だなんて。
 ハーレイの声を聞きたくてたまらない時に、意見を聞かせて貰いたい時に連絡の取りようが無い世界だなんて、平和だけれども、ちょっぴり寂しい。



(前のぼくなら…)
 夜中でも怖い夢を見てうなされたりした時は、ハーレイがそうっと起こしてくれた。
 夢が悪い方向へ転がらないよう、思念で、力強い腕で支えて目覚める方へと導いてくれた。あの頃のぼくが見ていた悪夢は、アルタミラで暮らした孤独な檻。過酷に過ぎた人体実験。
 それは夢だと、過去のものだとハーレイは優しく抱き締めてくれた。
 怖くなくなるまで、ぼくが眠るまで側でずっと起きていてくれた。
(そういうのも全部駄目だったの…?)
 恋をして、ハーレイと毎晩一緒に眠って。
 側に居て貰って、うんと幸せで、満ち足りていた二人で過ごした時間。
 そんなものも全部、本当はいけないことだったの…?



(だからメギドで…)
 冷たく凍えた、ぼくの右の手。
 最後まで持っていたいと願った、ハーレイの温もりを失くした右の手…。
 あれは神様の罰だったろうか?
 ミュウと人類の間を取り持つ唯一のチャンスを、大切な機会を忘れ果ててしまったぼくへの罰。それを忘れて、夢を忘れてハーレイとの恋に溺れたぼくへの神様の罰。
 忘れたお前がいけないのだ、と。
 すべきことすら忘れ果てた者にはもう恋人など要りはしないと、それが諸悪の根源なのだと。
 恋さえしなければ夢を忘れず、肉体という器の枷を離れて大きく羽ばたいていただろうに、と。



(そんなの怖い…)
 ぼくの恋が間違いだっただなんて。
 死んだ後のことを夢見て生きるべきだったのに、恋に溺れて道を踏み誤っただなんて。
(間違いじゃなかったと思いたいけど…)
 ハーレイは「生きてこそだ」って怒ったんだし、ぼくは間違ってはいなかったと思う。死んだらおしまい、生きてこそだと、ハーレイと一緒に生きた前の生は正しかったと思うけれども。
 それを改めて確かめたくても、ハーレイはいない。
 今のぼくの側にハーレイはいなくて、訊きたくってもぼくの声さえ届きやしない…。



 ぐるぐると考えたままでベッドに入って、でも、眠れなくて。
 怖くて怖くて震えていたのに、いつの間に眠ってしまったんだろう?
 気が付いたら朝で、珍しくぼくは昨夜の出来事を覚えていた。
 怖かったことを。
 前のぼくの恋は間違いだったんじゃないかと、怖くてたまらなかったことを。
(そうだ、土曜日…!)
 昨夜はあまりの怖さにすっかり忘れてしまっていたけど、今日は土曜日。ハーレイが朝から来てくれる日で、一緒に過ごせる筈だから。
(訊いてみよう、ハーレイに!)
 前のぼくは取り返しのつかない過ちを犯して死んでいったのか、そうじゃないのか。
 恋をして夢を忘れちゃったことは、とてつもない間違いだったんじゃなかったろうか、って。



 そして、訪ねて来てくれたハーレイに話した。
 ぼくの部屋で二人、テーブルを挟んで向かい合わせの指定席。鳶色の瞳を見詰めて訊いた。
 前のぼくの恋は間違っていたんだろうか、って。
「ぼくの右手、罰が当たったのかも…。ハーレイに恋をしちゃったから」
 夢を忘れたままで死んでしまって、何の役にも立たずに終わってしまったから…。
 ミュウと人類を繋ぐチャンスをふいにしたから、恋なんかもう要らないだろう、って神様の罰で冷たく凍えてしまったのかも…。
「馬鹿」
「えっ?」
 いきなり馬鹿だなんて言われて、やっぱり間違いだったのかも、って一瞬、思った。
 だけどハーレイの目はとても優しくて、咎めるような目つきじゃなくて。
 「間違ってないさ」ってハーレイの手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
 自信を持てって、前の自分に自信を持ってやれ、って。



「いいか、お前は何も間違えてはいないんだ。ソルジャー・ブルーは間違えてないさ」
 恋をしたことも、夢を忘れてしまったことも。
 何もかもお前は間違えちゃいない、前のお前は間違ったことはしていないんだ。
 前の俺が言った言葉を覚えていないか、生きてこそだ、と。
 夢を忘れてしまったお前は懸命に生きて、シャングリラを、前の俺たちを必死に守り続けて。
 生きていたから、死んだ後の夢なんて見ちゃいなかったから、お前は強かった。
 死んだ後に夢を託していたなら、もっと早くにお前の命は消えてしまっていただろう。
 生きるってことに貪欲でなけりゃ生き残れないし、ナスカまで持ちはしなかったさ。
 そうしてお前はナスカまで生きて、メギドに飛んで。
 お前の命と引き換えになったろ、ミュウの未来も今の青い地球も。
 それでいいんだ、それ以上は誰も望まない。
 お前は堂々としてればいいのさ、間違えたなんて思わずにな。



「ホント…?」
 ぼく、神様に叱られない?
 ハーレイに恋をして夢を忘れてしまっていたこと、神様は怒っていらっしゃらない…?
「ああ。心配無用だ、神様は其処まで厳しいことは仰らない」
 恋もしないで、ミュウのためだけに生きろとまでは決して仰らないさ。罰を当てたりもな。
 前のお前は充分にやった。お前でなければ出来ないことを全力でやって生きただろう?
 シャングリラを、俺たちを守り続けて、メギドを沈めて。
 そんなお前がもしも間違っていたんだったら、今、こうして俺と地球にはいないさ。神様の罰が当たってしまって、地球に来るどころか何処へ行ったやら…。
 俺とも会えないままなんだろうな、永遠にな。
 罰っていうのは、そういうもんだ。いい人生なんか貰えやしないぞ、神様の罰が当たったら。
「ハーレイ、それ…。信じてもいい?」
 前のぼくは間違っていなかった、って。
 恋をしたけど、夢を忘れてしまっていたけど、間違った生き方はしていない、って…。
「もちろんだ。間違ってなんかいなかった証拠に、お前が此処に居るってことさ」
 俺と一緒に、青い地球の上に。少々チビだが、前のお前と同じ姿で。
 最高の御褒美ってヤツを下さっただろうが、神様は。
 今度こそお前の恋を本当に叶えて、ちゃんと幸せになれるようにと。
 前のお前みたいに秘密にしないで、結婚して俺といつまでも一緒に暮らせるようにな。



 だから心配なんか要らない、ってハーレイはぼくを抱き締めてくれた。
 こっちへ来い、って膝の上に乗せて。
 前のぼくはなんにも間違えちゃいないと、恋をしたことも、夢を忘れてしまったことも。
(あったかい…)
 ハーレイの腕も、広くて逞しい胸も温かい。
 前のぼくが夢を忘れてしまった、とても幸せな腕の中。うんと優しい温もりの中。
(こういう時にキスが出来たら…)
 ほんの触れるだけのキスでいいから、ハーレイとキスを交わせたら…。
 だけど背丈が足りない、ぼく。キスをするには背丈がまだまだ足りない小さなぼく。
 ハーレイとキスが出来ないことが残念で、ちょっぴり悔しくなるんだけれど。
 こうしてハーレイと二人、地球に居ることが神様のくれた御褒美だったら、そのくらいは我慢をしようと思う。キスが出来ないことくらい、我慢。
 罰が当たったら困るから。
 この欲張りめ、って罰を当てられちゃったら困るから。
 恋をしちゃって、大事な夢を忘れたぼく。
 死んだらミュウと人類を繋ぐ懸け橋になろうと夢見ていながら、忘れてしまった前のぼく。
 魂が身体を離れて自由になったらそれをするのだと思っていたくせに、忘れたぼく。
 そんなぼくでも許して素敵な御褒美をくれた、神様に叱られないように…。




           恋と忘却・了

※前のブルーが恋をする前、「いつか死んだら」と考えた、ミュウと人類の架け橋になること。
 けれど恋をして、それを忘れて…。その罰が当たったかと恐れるブルー。大丈夫ですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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