シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
学校から帰って、制服を脱いで。家で着るシャツに着替えていたんだけれど。
早く着替えておやつにしよう、って。
(あっ…!)
後は袖口、って何気なく留めていたボタン。一番下を留めて、後は袖だけ、っていう所。心の奥から溢れ出して来た幸福感に頬が緩んだ。
(まだ袖口にもボタンがあるよ)
右手と左手、袖口にボタンが一つずつ。ボタン穴をくぐらせて留める、ごく単純なものだけど。
(ボタン…)
前のぼくの服には無かったもの。ソルジャーの衣装には無かったボタン。
それを留められる、この幸せ。小さなボタンを幾つも幾つも、留めて着られる服がある幸せ。
(こんなの、何年ぶりだろう…)
二百年は軽いよね、って考えてから苦笑した。二百年だなんて、前のぼくだ。
でも、前のぼくが幸せそうな微笑みを浮かべてる。ボタンがあるって、まだ袖口のを右と左と、二つもボタンを留められるんだ、って。
(んーと…)
とても嬉しそうな前のぼく。幸せ一杯の、今のぼくの胸。
おやつは早く食べたいけれども、ボタンの幸せも捨て難くって。
(どうしようかな?)
せっかくの幸せ、うんとゆっくり味わってみたいし、噛み締めたい。おやつとボタンの幸せとは両立しないよね、って考え込んで。
(うん、片方だけ留めずにおこうっと!)
そうしたら、きっと。
おやつの後で部屋に戻って、なんで片方留まってないのか、ぼくは気になる筈だから。ボタンを留めようと触ってみたなら、思い出せると思うから。
(ボタンがあるって幸せなんだよ)
忘れちゃ駄目、って自分に言い聞かせながら、右手の袖だけボタンを留めた。左の手でゆっくりボタンをボタン穴へと押し込み、幸せな気持ちでくぐらせる。
ボタンを留めるっていうのはこんな感じで、こうやって服を留めるんだよ、って。
左手の袖口を留めなくっても、おやつを食べるのに困りはしない。
階段を下りてダイニングに行って、ママが用意してくれたおやつを見たらボタンの幸せは消えてしまって、それっきり。袖口なんか気にもしないで、おやつに夢中。
ママも片方の袖口が留まってないなんて気が付かなくって、紅茶を淹れてくれたりして。学校であったこととか、ママと色々お喋りしてたらボタンの幸せはもう出てこない。
御馳走様、ってダイニングを出て、部屋へと階段を上がる時にも。
(今日のおやつも美味しかったな)
勉強机の前に座って、頬杖をついて。
フォトフレームの中のハーレイの写真に、ぼくと二人で写した写真に「今日も幸せ」って報告をしようとしていて、左の袖口が留まっていない、って気付いたけれど。
(外れちゃった?)
ボタンをきっちり留めておかずに、半分だけ押し込んでおいたとか?
急いでおやつ、って思ってたぼくが如何にもやりそうなことだから。慌てんぼだよね、と外れたボタンを留めようと右手で袖口に触れて…。
(違った…!)
慌てて留めたってわけじゃなかった。わざと外しておいたんだった。
ボタンの幸せを噛み締めたくって、おやつの後でしみじみと幸せを味わいたくて。
(…ただのボタンなんだけどね?)
特別なボタンでもなんでもなくって、ありふれたボタン。こういうシャツにはついてるボタン。凝った服だと共布でくるんだボタンなんかもあるけれど…。
今のぼくには当たり前のボタン。毎日のように留めてるボタン。
制服のシャツも、普段のシャツにも、それにパジャマもボタンが幾つもくっついている。開いた袖口、服の前やら襟元やらをボタンで留めて当たり前。
何の気なしに留めてるボタンで、慣れた手つきでボタン穴に押し込んでいたけれど。
今も外してあった左の袖口についてるボタンを、そうっと押し込んでくぐらせたけれど。
(ホントにボタンだ…)
これでいいかな、って留めた袖口を引っ張ってみた。
今じゃ、ありふれたボタンというもの。毎日の服にくっついてるもの。
なのに幸せな気持ちが溢れてくる。ボタンがあるって、ボタンで袖口を留めるんだよ、って。
(これって、何年ぶりなんだろう…)
本当に二百年ぶりくらいかも、って前のぼくが心の中で跳ねてる。幸せ一杯でニコニコしてる。二百年ぶりでは足りないかもって、もっと長いこと出会ってないかも、って。
(制服が出来たせいだしね…)
遠い昔にシャングリラで着ていた、ソルジャーの衣装。前のぼくが毎日、着ていた衣装。
ソルジャーの衣装にはボタンが無かった。
服を着るのに必要なものは、ファスナーとマントの留金だけ。
(効率優先…)
緊急事態に陥った時に、ボタンなんかをのんびり留めてはいられないから。とにかく速さが優先されてて、サッと上げられるファスナーだけ。
マントの留金はあったけれども、これはマントが外れないように別扱いで付けられたもの。見た目の問題とかじゃなくって、必要だったから付いてた留金。
あの衣装の何処にもボタンは無かった。
ソルジャーらしく、と仰々しいデザインになっていたけど、ボタンは無かった。
(ハーレイだって…)
キャプテンの制服にだって無かったボタン。
肩章まで付いた威厳たっぷりの偉そうな服も、ファスナーとマントの留金だけ。
長老たちの服もそれは同じで、他の仲間たちの制服も含めて、誰の服にも無かったボタン。ただファスナーを引き上げるだけの、着脱の早さが求められた服。
そんな調子だから、フィシスが着ていたロングドレスにさえもボタンは無かった。あれは色々と凝った服だったけれど、デザインした仲間の頭の中にはボタンなんてものは無かったんだろう。
普段、使わないものだから。
ボタンなんてもの、シャングリラの仲間たちが着ていた衣装に一つも付いてはいなかったから。
(最後にボタンを留めたのって…)
制服が出来る前のこと。ソルジャーの衣装が出来上がるよりも前。
もうずいぶんと遠い昔で、前のぼくが持ってた記憶の中でさえ、二百年では足りない昔。
(でもって、最初に留めたボタンは…)
そう、最初。
前のぼくが最初に留めていたボタン。
アルタミラの研究所で着せられた服にボタンは無くって、頭から被るだけだったから。
実験動物にお洒落なんかは必要無いから、着せておけばいいっていうだけの服。粗末だった服。それを長年着ている間に、服はどうでもよくなった。どんな服を着て生きていたかも忘れた。
だけど、アルタミラから脱出した船で見付けた服。
小さかったぼくにピッタリのサイズの服を探すのに苦労したけど、見付け出した服。それまでの服とはまるで違って、ボタンで留めるように出来ていた服。
ドキドキしながら、ワクワクしながらボタンを留めた。ボタンをボタン穴にそうっとくぐらせ、それで留まる服に胸が高鳴った。
こういう服が着られるようになったんだ、って。
いちいちボタンで留めなきゃならない手のかかる服を、これからは好きに着られるんだ、って。
留めていったボタンは自由の象徴。
被るだけの単純な服とは違って、一つ一つ留めていくボタン。
もう幸せでたまらなかった。
自由なんだって、ボタンを一つずつ留めて着る服を着られる自由を手に入れた、って。
(いつの間に忘れちゃったんだろう…)
初めてのボタンの幸福感を。
自由になったと、手間暇かけなきゃ着られない服を纏える時代がやって来たんだと幸せに酔った瞬間を。これからはずっと自由なんだ、と。
幸せ一杯で留めていたボタン。初めてのボタン。
それなのに、ぼくは忘れてしまって。
ボタンがあるって、それを留められる幸せってヤツも忘れてしまって、時が流れて。
ソルジャーの衣装に、ファスナーと留金だけの服に変わる時も、何も思いはしなかった。やはりスピードが大切だろうと、服の仕組みに納得していただけだった。
(人間って、慣れてしまうんだ…)
平和が続くと、幸せな時が続いてしまうと、慣れて何とも思わなくなる。
そういった日々は当たり前のことで、特別でも何でもないことなんだ、と日常に変わる。幸せを幸せだと思わなくなり、鈍感になってしまうんだ。これが普通だと、日常なんだと。
(あんなに幸せだったのに…。ボタン…)
前のぼくを幸せにしてくれたボタン。初めてボタンを留めた時に感じた幸福感。
すっかり忘れて、ボタンなんてものは見慣れたものになっちゃってたから。
ボタンの無い服が出来て来たって、これでボタンに「さよなら」なんだとは思わなかった。針の先ほどの寂しさも無くて、それが嫌だとも思わなくって。
今度はこういう服になるのだと、御大層な服だと考えただけ。
重たいマントまでくっついていると、やたら大袈裟で派手な衣装にされてしまったと。
ボタンが無いっていう事実よりも、そっちが問題だったぼく。
ソルジャーの衣装は目立ちすぎだと、もっと控えめで良かったのに、と。
(ボタン、パジャマには一応、あったんだけどね…?)
前のぼくが着ていたパジャマには、ボタンが付いてた。パジャマだから袖には無かったけれど。
だけどパジャマは眠る時に着替えるものだから。
ソルジャーの衣装を脱ぎ捨てて、お風呂に入って、其処で身に着けるものだから。
寝る時はこれだ、と思っていただけ。
何度ボタンを留めていたって、それを留められる幸せを感じはしなかった。
(それに…)
ハーレイに恋をして、恋が実って。
二人で一緒に眠るようになったら着なかったパジャマ。要らなくなってしまったパジャマ。
ハーレイの温もりに包まれていたから、パジャマなんか要らなかったんだ。大きな身体がぼくのパジャマで、すっぽりと包んでくれていたから。
そんなこんなで、今の今まですっかり忘れてしまっていた。
普段に着ている制服やシャツにボタンがあるという幸福。
一つ一つ留めていかなきゃならない、手間のかかる服を着られる幸せ。
(今のぼくの服、ボタンがくっついているんだよ…)
ボタン穴にくぐらせて留めるボタンが。
飾りに付いているんじゃなくって、必要だから付いているボタン。それを留めている時間が今のぼくにはたっぷりとあって、急ぐ必要なんか何処にも無くて。
(遅刻しそうになっちゃった時は別だけれどね?)
ゆっくりと留めていられるボタン。贅沢な時間を持っているぼく。
(ボタンを留めるのに時間がかかる、って考えたこともなかったくらいに時間が沢山…)
ぼくが自由に使える時間。好きに使っていい時間。
それが沢山あるって幸せに、ボタンのお蔭で気付いたぼく。幸せを思い出した、ぼく。
(こんな日にハーレイに会えるといいんだけれど…)
仕事の帰りに寄ってくれたらいいんだけれど。
もしも会えたらボタンの話をしなくっちゃ、と制服のシャツを勉強机の椅子に掛けておいた。
明日に着る分を出して、ボタンのついたシャツを椅子の背に。
ハーレイが来てくれますように、って祈ってからどのくらい経っただろう?
門扉の脇にあるチャイムが鳴って、窓に駆け寄ったらハーレイがぼくに手を振っていた。ママが門扉を開けに出掛けて、ハーレイをぼくの部屋まで案内して上がって来たんだけれど。
お茶とお菓子も持って来たけど、そのママが椅子のシャツに気付いて。
「あらっ、シャツ?」
どうして椅子に掛けてあるの、と訊かれて慌てて誤魔化したぼく。
明日の支度をしようとしていて、シャツのボタンが緩んでいたから付け直したと。畳み直したら皺になりそうだから、椅子に掛けておくことにしたんだ、と。
「あらまあ…。お洗濯していて気付かなかったわ、ごめんなさいね」
畳む時にも気付かなかったわ、ってママは謝って部屋を出て行った。
(ママ、ごめんなさい…!)
ホントはボタンなんか全然、緩んでいなかったのに。
ママがきちんと綺麗に畳んで、仕舞っておいてくれたのに…!
ぼくが心の中でママに必死に謝ってるなんて、ハーレイはまるで知らないから。
言い訳がホントだと信じているから、紅茶のカップを傾けながら。
「そうか、ボタンを付け直したのか…。お前、今度は器用だからなあ、サイオンはともかく」
上手に裁縫が出来るってことは実に立派だ、前のお前と違ってな。
「前のぼくのことは言いっこなし!」
「しかしだ、現に前のお前は俺の制服のほつれさえも上手に直せやしなかったろうが」
俺が笑ったらむきになって、意地になっちまって。
縫い目も針跡も無いシャツを作って俺にプレゼントしてくれたよな?
覚えているか、前のお前が作ったシャツ。
スカボローフェアだ、あの歌に出て来る亜麻のシャツだ。
パセリ、セージ、ローズマリーにタイムって歌だ、スカボローフェアは。
そういうシャツを作っていたろう、不器用だった前のお前は…?
これが藪蛇って言うんだろうか?
前のぼくの裁縫の腕の不器用さを思い出されてしまったけれども、今日の話題はそれじゃない。前のぼくが作ったスカボローフェアに出て来るシャツじゃなくって…。
「えーっと…。あのシャツ、ホントはボタンが違って…」
「はあ?」
違うボタンを付けてあるのか、制服のシャツはボタンも一応、指定だぞ?
まあ、パッと見た目に分からないなら問題無いが…。指定のボタンが家にあるとは限らんし。
「そうじゃなくって…。ボタンを覚えておくために掛けてあったんだよ」
シャツにはボタンが付いているから忘れないよね、って。
制服のシャツにボタンはセットのものでしょ、ボタンで留めなきゃ着られないから。
あのね、とハーレイに話したぼく。
ボタンがあるって幸せだよね、って。
「ぼくの制服のシャツも、今、着てるシャツもボタンなんだよ」
着るのにとっても手間がかかるよ、ボタンを一つずつ留めていくんだから。
ファスナーだったら引き上げるだけで、多分、ボタンの一個分だよ、かかる時間は。
そういう風に手間のかかる服を毎日、毎日、着ていられるって幸せじゃない?
「なるほどなあ…」
確かにそうだな、俺も毎朝せっせと留めているくせに気付かなかったぞ。
その上、服と柔道着とを何度も着替えたりしているのにな。
柔道着にボタンは付いていないが、シャツの方には沢山ボタンが付いているなあ、袖口にまで。そいつを全部留めてる間に、キャプテンの制服なら上着の上からマントを羽織っていられるな。
そう思うと実に優雅なもんだな、たかがシャツでも。
「ね、そうでしょ?」
幸せでしょ、手間が沢山かかる服を普段に着ているなんて。
時間がかかると思いもしないで、ボタンを幾つも留めていられる毎日だなんて。
「うむ」
考えたことも無かったなあ…。
今の俺が毎日のように着ているシャツがだ、時間ってヤツをたっぷり使って着るものだとは。
時間を贅沢に使っているとは、今の今まで思いも気付きもしなかったなあ…。
凄い所に気が付いたな、ってハーレイはぼくを褒めてくれた。
前の自分だって忘れていたと、着るのに手間と時間とがかかるボタンの幸せを忘れていた、と。
「お前、なかなか鋭いぞ。ボタンを留めてて思い出すなんて、俺の年ではもう無理かもな」
今の俺の身体で三十八年も生きちまってるし、お前のようにはいかんかもしれん。
平和ボケが酷いと言ってしまえばそれまでだが。
しかし、ボタンか…。
今度のお前はボタンよりももっと手間がかかる服を着られるぞ。
前のお前にとっては夢みたいな服を、きっと思ってもみなかった服を。
「なあに、それ?」
どんな服なの、ボタンよりも手間がかかるって…?
「花嫁衣裳さ」
ウェディングドレスってヤツを着るには、準備が沢山要るんだぞ?
専用の下着を着けるトコから始まるらしいし、そう簡単には着られないってな。
「あっ、そうか…!」
ドレスのスカート、ただ着ただけでは膨らまないよね。
きっと色々必要なんだね、ドレスのデザインに合わせたものが。
ホントにボタンよりも手間がかかりそう…。肝心のドレスに辿り着く前に。
着る前に準備が必要だっていうウェディングドレス。
一つ一つボタンを留めるどころか、特別な下着まで着ないと着られないドレス。
前のぼくには夢見ることさえ出来なかった「お嫁さん」になるために、今度のぼくは花嫁衣装を着ることになる。うんと手間暇がかかるドレスを、ボタンどころじゃないドレスを。
「前のぼく、ウェディングドレスを着られる日なんて考えたこともなかったよ…」
ハーレイと結婚出来やしないし、そんな夢なんて見られなかった。
ウェディングドレスなんかホントに一度も、ただの一度も想像したことがなかったよ…。
「まあ、シャングリラに豪華なウェディングドレスは無かったんだが…」
今度のお前は着るんだからなあ、どうせだったらボタンで背中を留めるドレスを誂えるか?
俺の友達の結婚式で見たことがあるんだ、そりゃあ沢山の真っ白なボタンが並んでいたさ。
嫁さんのこだわりだったらしくて、わざわざ説明があったんだ。
もっとも、そいつを聞かせたかった相手は俺じゃなくって、嫁さんの女友達だろうがな。
「あははっ、そうだね!」
ハーレイにドレスを自慢したって、全然意味が無いものね。
ぼくがボタンって言い出しちゃったし、もしかしたら役に立つかもだけど。
「うむ。ああいうドレスを作るんだったら、その時は尋ねてみてもいいなあ、何処で作ったか」
背中にズラリと白いボタンだ、幾つ留めたらウェディングドレスを着られるんだか…。
あんなドレスも手間がかかるが、俺のおふくろも着ていた白無垢。そっちも着るのに凄い時間がかかるらしいし、お前はどっちを着てみたい?
「ボタン沢山のドレスか、白無垢?」
どっちがいいかな、どっちが余計に幸せな気分になれるかな…?
「さあな…?」
その時になったら悩めばいいさ。
白無垢にするか、ドレスにするか。
どうせお前はボタンの幸せなんぞは忘れちまって、デザインだけで選ぶんだろうし。
もし奇跡的に思い出したら、ボタンがズラリと並んだドレスになりそうだがな。
背中に一杯、真っ白なボタン。
ハーレイの話じゃ、白いボタンはドレスとおんなじ布でくるんであった、っていう。白い共布でくるんだボタンが飾りみたいに背中に行列してたんだって。
ボタンの幸せを、ボタンを留められる幸せってヤツを、結婚する時に思い出したら。
花嫁衣装を選ぼうって時に思い出せたら、そういうドレスを選ぶのもいい。
今度のぼくには時間が一杯、こんなに沢山のボタンを留めなきゃいけないドレスを作ってお嫁に行ける、って。背中に並んだ真っ白なボタンの行列みたいに、幸せも行列してるって。
次から次へと途切れない幸せ、ズラリと行列している幸せ。
ボタンの幸せがうんと膨らんで列になったと、今度のぼくの幸せはホントに行列なんだ、って。
ハーレイに「ボタンの幸せの行列なんだよ」って話したら、「気が早いヤツだな」って呆れ顔をされてしまったけれど。「思い出せるとは限らないぞ」って額を指で弾かれたけれど。
思い出せたら、そういうドレス。背中にボタンが一杯のドレス。
「ハーレイ、ぼくが思い出せたら、そのドレスを着てたお嫁さんに訊くのを忘れないでよ?」
何処で作ったドレスだったか、何処で注文出来るのか。
ぼくは絶対、そういうドレスを着たいと思っているんだから…!
「分かった、分かった。ちゃんと訊いてやるさ、お前が着たいと言うのならな」
ボタン一杯のウェディングドレスで嫁に来い。
幸せが行列でやって来るという凄いドレスなんだろ、今度のお前にピッタリだしな。
うんと幸せになるといい、ってハーレイは約束してくれた。
途切れない幸せの行列が来るよう、ボタンびっしりのウェディングドレスを着ればいい、って。
「お前を今度こそ幸せにするのが俺の夢だし、ウェディングドレスも注文どおりにしないとな」
欲しいと言われたドレスのためなら、土下座したってあの友達から聞き出してやるさ。
そういう未来の話もいいがだ、これから寒い冬になったら。
重ね着できるぞ、何枚もな。
そいつも前の俺たちには縁が無かったものだろ、一年中、同じ制服で。
「ホントだね」
シャングリラの中の公園とかでは四季を調整していたけれど。
制服は年中おんなじだったね、夏服も冬服も無かったものね。もちろん、薄着も重ね着だって。
シャングリラの公園の四季は穏やかなもので、冬の季節でも寒すぎるなんてことは無かった。
だから無かった、重ね着なるもの。
前のぼくも含めて、誰一人として「冬だから」って服を何枚も重ねた人はいなかった。
だけど今度のぼくは違って、冬になったら色々と着る。手袋やマフラーも着けたりしてる。
そう言ったら、ハーレイは「手袋もいいが…」って笑みを浮かべて。
「何枚も重ね着して着ぶくれてみるか、可愛いぞ、きっと」
コロコロと丸くて、転がりそうで。そういうお前も見てみたいような気がするな。
「どうせ何処へも行けないじゃない!」
丸くなってる、って笑うだけでしょ、ハーレイが!
「そうでもないさ」
俺が来る日に雪がドッサリ積もったなら。
庭で雪遊びくらいは付き合ってやる。雪合戦なんかはとても無理だが、雪だるまとかな。
「ホント!?」
ハーレイ、ホントに付き合ってくれるの、雪遊び?
庭で一緒に雪だるまとかを作ってくれるの、ハーレイが?
本当に、って念を押したら、ハーレイは「ああ」と頷いてくれた。
「だからだ、お前、風邪には用心しろよ?」
風邪で寝込んで遊べません、なんてことにならないようにな、肝心の時に。
「うんっ!」
遊んだ後にも風邪を引かないよう、ちゃんと暖かくして外に出るから。
ハーレイに「丸くて転がりそうだ」って言われそうでも、しっかり重ね着。
「よし。お前がきちんと重ね着したなら、雪遊びに外へ出て行く時にだな…」
マフラーくらいは俺が巻いてやるさ、仕上げにな。
「えっ、ハーレイが巻いてくれるの?」
「お前がいい子にしていれば、だがな」
「…いい子?」
「うむ。子供の世話は大人が責任を持ってしてやらないとな」
外に行くなら、寒くないようマフラーをぐるぐる巻き付けてやる。子供の世話の基本だろうが。
「恋人じゃないの?」
其処で子供なの、恋人の世話をするんじゃなくて?
「お前、チビだろ?」
チビは子供だと思ったが?
だからキッチリ面倒を見るさ、マフラーをしっかり巻いてやってな。
チビだと決め付けられちゃった、ぼく。
酷い、と膨れっ面になったけれども、唇を尖らせちゃったけれども。
(でも、ハーレイがマフラーを巻いてくれるんだよね?)
そんな日が来るなんて、前のぼくは夢にも思っていなくて、想像すらもしなかったから。
この際、いい子でチビ扱いでもかまわないか、って気がしてきた。
前の生では服に付いてはいなかったボタンに、出来なかった重ね着。
だけど今ではボタンは当たり前のように服に付いてて、冬になったら重ね着が普通。
そういう世界でハーレイと会えて、二人で歩いて行くんだから。
いつかは結婚出来る世界で、未来へ歩いて行くんだから。
今はいい子でチビ扱いでもかまわない。
チビのぼくでも、きっといつかはウェディングドレスのお嫁さん。
大好きなハーレイのお嫁さん。
もしも、その時に覚えていたなら、ボタンを留められることの幸せを鮮やかに思い出せたなら。
背中に真っ白なボタンの行列、ボタンで留めて着るウェディングドレス。
ボタンの幸せが途切れないドレスでお嫁に行くんだ、ハーレイと一緒に暮らす家へと…。
ボタンの幸せ・了
※ソルジャーの服には無かったボタン。効率だけが優先されて。けれど今ではボタンのある服。
ゆっくりとボタンを留めてゆける幸せ。ボタン一杯のウェディングドレスも素敵そうです。
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