シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
学校から帰って、おやつの時間。ママが焼いておいてくれたケーキと、温かい紅茶。ちょっぴり冷える季節になって来たから、あったかい紅茶は身体も心も温まる。幸せだよね、って。
(パパとママがいて、ちゃんと家もあって…)
おまけに青い地球の上だし、って考えながらケーキを頬張っていたら。
「ブルー!」
キッチンの方からママの声がした。
「なあに?」
「ハーレイ先生のスリッパ、届いたわよ!」
「ホント!?」
何処だろう、ってキョロキョロしてたら壁際に見付けた紙袋。何のロゴも無いシンプルな袋。
だけど…。
「其処にあるでしょ?」
ママがダイニングに入って来た。
それよ、って言われなくても分かる。あの紙袋はシンプルだけれど、特別だから。
早速、紙袋の所まで行って、手を突っ込んだ。
(わあ…!)
中から出て来た、大きなスリッパ。厚手のウールで、底の部分は分厚いフェルト。
模様は市松模様になってて、濃紺と、前のハーレイのマントそっくりな緑色との組み合わせ。
「その模様の生地で良かったのよね?」
「うんっ!」
間違いないよ、ってママに笑顔で返事した。
ぼくが選んだ、ハーレイのスリッパ。寒い季節になったら活躍する筈の冬用のスリッパ。
(ふふっ、スリッパ…)
届いたんだ、って嬉しくなった。スリッパは紙袋の中に戻したけれども、おやつの間中、視線がそっちに行ってしまって困るほど。あそこにスリッパが入ってるんだ、って。
幸せ一杯でおやつを食べ終えて、ママに「御馳走様」ってお皿とカップを渡して。
まだ冬じゃなくて、スリッパの出番は来ていないから。
ぼくの部屋に仕舞っておくね、って紙袋を持ってダイニングを出た。踊り出しそうな足で廊下を歩いて、階段をトントンとスリッパの袋を連れて上って。
部屋に入って、そうっと、そうっと、袋の中からスリッパを出した。
市松模様の大きなスリッパを。前のハーレイのマントの緑と、濃紺が混ざったスリッパを。
それを履く人の足に相応しいサイズのスリッパ。うんと大きな、ウールのスリッパ。
(ハーレイのだよ)
これはハーレイのスリッパだよ、って触って、撫でて。
ウールの手触りに頬を擦りつけたくなる。スリッパに頬っぺたを擦りつけるなんて、って言われそうだけれど、これはハーレイのスリッパだから。
ハーレイのために届いたスリッパ、それだけで嬉しくてたまらないから。
ぼくの家のスリッパ、冬は特別。
他の季節はあまりスリッパは履いてないから、何処で買おうが、どんなのだろうが気にしない。
でも冬だけは違うんだ。寒い季節はみんな夜にはスリッパを履くから、実は決まったスリッパがある。お客様用みたいに高いのを買うってわけじゃなくって、値段は普通。ごくごく普通。
だけどちょっぴり特別、手作り。
(神様のスリッパ…)
前のぼくが生きていた頃にも消えなかった神様。クリスマスに馬小屋で生まれた神様。
その神様の教会で秋のバザーの時に売られる、手作りスリッパ。
丁寧に手作りされてるからなんだろうか、履き心地が良くて、暖かくって、足をすっぽり包んでくれる。一度履いたらもう手放せない、そんな気持ちがしてくるスリッパ。
(寒い冬でもポカポカなんだよ、これを履いたら)
身体の弱いぼくは体温の調節が上手く出来なくて、冬になったら足が冷たくなるのが普通。足の先から冷えてくるけど、スリッパを履いて膝掛けをかけてる間は大丈夫。足がとっても暖かい。
(パパとママもスリッパ、好きなんだよね)
この神様のスリッパが。手作りのウールのスリッパが。
ぼくの家は誰も教会には通ってないけど、パパとママとが結婚した年に貰ったプレゼントがこれだった。冬用に、ってママの友達から。
それですっかり気に入ってしまって、冬のスリッパはこれなんだ。
丈夫だし、丁寧に手作りしてあるお蔭で、何年かは持つ優れもの。ぼくも小さな頃からこれ。
小さすぎた頃にはサイズが無くって、履きたくっても履けなかったから。
初めて子供用のを履けた年には嬉しかった。ぼくのスリッパがやっと出来た、って。
(履いて家中、散歩したっけ…)
ぼくの足にピッタリのスリッパが得意で、履き心地が良くて足が軽くて。
教会のバザー用のスリッパだけれど、注文しておけば作って貰える。
わざわざバザーに出掛けなくても家に届くから、ママに頼んだ。ハーレイのスリッパ、って。
夏の終わりに、秋が来るんだ、って気が付いた頃に。
「ママ、ハーレイの分のスリッパが欲しいよ、冬のスリッパ」
注文するなら秋のバザーの頃までなんでしょ?
パパもママもぼくも、冬になったら履くんだもの。ハーレイだけ仲間外れになっちゃう…。
「そうねえ…。パパもそんなことを言っていたわね、ブルーに訊くか、って」
今年は注文する年じゃないけど、ハーレイ先生の分が要るんだったら早い間に注文を、って。
「じゃあ、いいの?」
ハーレイのスリッパ、買ってくれるの?
「もちろんよ」
ブルーはハーレイ先生のことが大好きだものね。
それにハーレイ先生はお夕食も一緒に食べて頂くくらいで、家族みたいなものでしょう?
ブルーが欲しいなら、パパやママたちと同じスリッパをきちんと用意しなくっちゃね。
ママは色の見本を送って貰ってくれた。
バザーで売るようなスリッパだから、立派なカタログなんかじゃなくて。「こんな色です」って印刷しただけの紙と一緒に、注文用紙。選んだ色とサイズを書き込む注文用紙。
どれにしようか悩んだけれども、前のハーレイのマントの色が入った市松模様に惹かれたぼく。
今のハーレイの車の色だって、こういう緑。きっとハーレイも好きな緑色。
「これがいいな」
ママ、この模様のスリッパがいいよ。紺と緑色。
「あら、先生の車の色ね。この緑色」
「ハーレイのマントの色なんだよ。キャプテン・ハーレイだった頃のマントの」
こういう色でしょ、今も残っている写真。
「そういえば…。ハーレイ先生、あの車をお買いになった時には記憶が無かった筈なのにね」
面白いわねえ、記憶が無くてもマントの色の車だなんて。
生まれ変わっても選びたいほど、お気に入りの緑だったのかしら?
お気に入りだけあって似合いそうね、って言ってくれたママ。
この模様のスリッパはハーレイに似合うって、似合いそうなスリッパになると思うわ、って。
緑だけじゃなくって濃紺、黒に見えるほどの紺も入るし、ハーレイのスーツにも私服にも似合うスリッパが出来てくるだろう、って。
「ハーレイ先生の足だと、サイズは…」
これね、ってママが印をつけてた一番大きなサイズのスリッパ。
ぼくだと子供用なのに。
でなきゃ女性用、そういうサイズのスリッパのぼく。
(ハーレイの靴も大きいものね)
それにお客様用スリッパだって、ママは大きいサイズのを出してる。大きな大人の男の人用。
ハーレイは最初の間こそ履いていたけど、今では履いたり履かなかったり。
その日の気分で決めるらしくて、もう「お客様」じゃない印。
お客様用のスリッパを履いて客間に座るんじゃなくて、家族同様。出されたスリッパを履くのが当然じゃなくて、履かずに歩いていたっていい。
だけど冬用にって注文するスリッパはハーレイ専用、ハーレイだけのスリッパが家に届くんだ。
お客様じゃないから用意するスリッパ、パパやママやぼくと同じタイプの普段のスリッパ。
それもハーレイ用にって生地を選んで作って貰ったスリッパが。
(ハーレイのマントの緑色…)
その色が入った生地がいい、って選んだ緑と濃紺の市松模様。
うんと楽しみにしていたスリッパ。
(忘れちゃってたけど…)
ママに「欲しい」って頼んだことも、選んで注文していたことも。
毎日が幸せで、ハーレイと二人で地球に来られた幸せで心が一杯の毎日を過ごして、スリッパは何処かへ消えてしまってた。ホントに綺麗に忘れちゃってた。
でも、スリッパが家にやって来た。何の飾りも無い紙袋に入って、ちゃんと届いた。
注文通りのハーレイのスリッパ。
前のハーレイのマントの緑が入ったスリッパ。
(大きいスリッパ…)
ちょっとだけ、って足を突っ込んでみた。
肝心のハーレイは試し履きさえしていないけれど、ちょっとだけ。
ぼくが履いたらどれだけ余るか、どんなに大きいスリッパなのか、って好奇心。そうっと両足を入れた途端に、ぼくの頭に蘇った記憶。前のぼくじゃなくって、今のぼくの記憶。
(ハーレイのサンダル…!)
一度だけ借りた、ハーレイのサンダル。車を洗ったりする時に履くって言ってたサンダル。
メギドの夢を見たぼくが寝てる間に瞬間移動でハーレイの家まで飛んじゃった時に、ハーレイに借りて履いたサンダル。裸足じゃハーレイの車の所まで歩けないから。
本当は靴を借りるつもりが、大きすぎる靴はぼくの足からすっぽ抜けちゃって、脱げて。
それじゃ駄目だとサンダルになった。辛うじて引っ掛かってくれたサンダルに。
ハーレイの靴は脱げちゃったけれど、すっぽ抜けない、今度のスリッパ。
足をすっぽり包み込むように縫い上げられてる、厚手のウール地はダテじゃない。持ち主よりも遥かに小さいぼくの足でも、しっかり包んでくれるんだ。
引っ掛かっていただけのサンダルと違って、足の半分くらいをしっかり。
(ぼくの足より、うんと大きい…)
ハーレイの靴と違って逃げて行かない、頼もしいスリッパ。
この冬からはハーレイ専用、ぼくの家で暮らす大きなスリッパ。
(えーっと…)
ぼくのスリッパをクローゼットから出してみた。冬用のスリッパ、神様のスリッパ。
もしも背が伸びて育っていたなら、足も大きくなっていたなら。
新しいスリッパが家に届いて、これと取り替えて履く筈だったんだけれど…。
ぼくの背丈は去年と同じで、足のサイズも変わらなくって。
新しいスリッパは必要が無くて、ハーレイのだけを注文することになっちゃった。ぼくの足には去年の冬のと同じスリッパ、丈夫だから今年も使えるスリッパ。
(やっぱりハーレイのスリッパと全然違うよ)
ハーレイ用のと並べた、ぼくのスリッパ。水色の厚手のウールのスリッパ。
大きさがまるで違いすぎ。
(ホントに大人と子供みたいだ…)
それはちょっぴり悲しいけれども、「まだ子供だ」って言われたみたいで悲しいけれど。
だけどハーレイのスリッパの隣にぼくのスリッパ、心がじんわり温かくなる。
いつかはきっとこんな日が来るんだ、ハーレイの靴の隣にぼくの靴を並べて置ける日が。一緒に暮らして、靴もスリッパも隣同士が普通の日々が。
(こんな風に並んでいるんだよ、きっと)
ぼくの靴やスリッパは今より大きくなるけど、見た目にはきっと、こんな風。ハーレイの大きな足のサイズには敵わないから、大きい靴やスリッパと、それに比べて小さいのと。
そう思ったら、スリッパを一緒に並べておきたくなったけれども。
冬になったらハーレイ用のとぼくのスリッパを、いつも並べておきたいけれど。
でも、ハーレイのは玄関に行ってしまうんだ。ハーレイが来た時、ママが出せるように。
並んだ姿を見ていられるのは冬が来るまで、ぼくの部屋に仕舞ってある間だけ…。
いつまでも並べて眺めたいのに、そういうわけにはいかないスリッパ。
ハーレイの分は冬になったら玄関に行ってしまうから。其処で仕舞われてしまうから。
(並べるんなら、今の間だけ…)
幸せな景色を眺めたかったら、今の間に楽しむしかない。
ぼくのスリッパをクローゼットから出して、ハーレイのスリッパも紙袋から出して二つ並べて。
そうして大きなスリッパと小さなスリッパが隣同士でいるのを眺める。
きっといつかはこんな風にって、ハーレイの靴とぼくの靴とが並ぶんだ、って。
また夜になったら並べてみよう、と小さなスリッパをクローゼットの中に仕舞った。ハーレイのスリッパも紙袋に戻して、ちょっと考えてから勉強机の隣に置いた。
せっかくのスリッパ、見えない所に片付けちゃうのはもったいない。今日の間は見える所にと、紙袋の中に入れてあっても「スリッパがある」と思い出せる所に置いておこう、と。
それから宿題を済ませて、本を読んでいたらチャイムの音。窓から覗くとハーレイの姿。
(スリッパが届いたら、ハーレイが来たよ!)
なんて素敵なタイミングだろう。紙袋を片付けなくて良かった。ハーレイのスリッパを何処かに仕舞い込む前でホントに良かった。
届いたその日に見て貰えるなんて、スリッパだってきっと嬉しいと思う。履いてくれる人の前に出されて、直ぐに紹介されるんだから。
ハーレイがぼくの部屋に来てくれて、テーブルを挟んで向かい合わせ。
お茶とお菓子を運んで来たママの足音が階段を下りてゆくなり、ぼくは心を弾ませて言った。
「スリッパ、買ったよ!」
「スリッパ?」
「うん、ハーレイ用の冬のスリッパ」
ぼくの家のは特別なんだよ、冬の間は。だからハーレイの分を買ったんだ。
模様を選んで、ママに注文して貰って…。
今日、届いたから、ぼくの部屋に置いてあるんだよ。まだ冬までは少しあるから。
これ、って紙袋から出して見せたら。
あのスリッパをハーレイの椅子の横に置いたら、ハーレイの鳶色の瞳が見開かれて。
「ほほう…! なんで分かった?」
「えっ?」
「こいつは俺のスリッパだってこと、どうして分かった?」
訊かれてる意味が分からない。ハーレイのスリッパはハーレイのもので、そのためにスリッパを注文しておいたんだし、ハーレイのものに決まってる。何の質問なんだろう?
ぼくは首を傾げてハーレイに訊いた。
「どういう意味?」
ハーレイのスリッパを買っておいたら、それは絶対、ハーレイのものだと思うんだけど…。
「こいつは教会のスリッパだろう? 秋のバザーで売られるスリッパ」
「うん。ぼくの家は教会に行ってないから、注文して届けて貰うんだけど…」
「俺の家と全く同じだな。誰も教会には行っていないが…」
親父もおふくろもこれが好きでな、ずっと買ってる。頑丈に出来てるスリッパだけに、毎年ってわけではないんだがな。
そして俺のは昔からコレだ。
緑と紺の市松模様だ、初めてスリッパを買って貰った年からこれなんだ。
「嘘…!」
ハーレイ、これを履いてたの?
これとおんなじのを子供の頃から買って貰って、今もスリッパ、使っていたの…?
信じられない素敵な偶然。
ハーレイのスリッパが本物になった。本当に本物のハーレイのスリッパ。ハーレイがまだ隣町の家に居た頃から使っていたのと同じ模様のスリッパだなんて。教会のスリッパだったなんて。
まだ試し履きだってして貰ってないのに、このスリッパは本物なんだ。
「それじゃハーレイ、サイズもこれで良かったの?」
「もちろんだ。履かなくっても一目で分かるさ、俺の足にピッタリ合うってな」
この年になったらもう育たないし、この大きさのと付き合い続けて何年なんだか…。
今でもおふくろが毎年訊いてくるんだ、今年は買うのか、買わないのか、とな。
なにしろこういう身体だからなあ、いくら頑丈に作ってあっても少し短めの付き合いだ。普通の人なら何年間でも使える所を、年によっては一冬でおさらばしちまったりな。
「一冬で駄目になっちゃうの?」
こんなに丈夫なスリッパなのに?
ハーレイ、どういう履き方をしたの、そういう年は?
「おいおい、人を怪獣みたいに言うなよ、スリッパを履きすぎちまっただけだ」
書斎でゆっくり本を読むより、やたら料理に凝ってた年とか。
立ちっ放しだと座っているより体重ってヤツがかかるだろうが。俺の重さでくたびれただけだ、流石の丈夫なスリッパもな。
「そっか…。ハーレイ、ぼくよりもずっと重たいものね」
ずうっとスリッパに乗っかっていたら、スリッパだって疲れて潰れちゃうかも…。
だけど普通に履いていた年は、一冬で駄目にはならないんだよね?
「まあな」
お前もお父さんたちが履いているなら分かるだろう?
こいつは頑丈で、長く付き合えるスリッパなんだっていうことが。
その辺もあって親父もおふくろもお気に入りだな、これは本物のスリッパなんだ、と。
本物のスリッパ、ちょっぴり特別な神様のスリッパ。
神様が作って売っているわけじゃないんだけれども、教会のバザーで売られるスリッパ。
ハーレイも、ハーレイのお父さんとお母さんも、冬になったらそれだと言うから。
おまけにハーレイのは、ぼくが注文しておいたのと同じ模様だと聞いたから。
ぼくは嬉しくなってしまって、ぼくのスリッパをクローゼットから出してきて見せた。
「ぼくの、これだよ」って、水色の小さなスリッパを。
そうしたら…。
「お前、ずっとそれか?」
小さい頃から同じ生地のを選んでいるのか、俺と同じで?
「うん。ぼくのは水色」
どうして水色を選んだのかは忘れちゃったけど、いつも水色。注文する時は水色だよ。
「なら、これからもそいつを買うか」
「えっ?」
これからって…。サイズが変わった時のこと?
多分、大きくなっても水色のスリッパを買うんじゃないかと思うけど…。
「大きくなってはいるんだろうが…。俺と結婚した後のことさ」
俺と一緒に暮らすようになっても、冬に履くならこのスリッパだろ?
一度履いたら手放せないって評判なんだし、出来ればこいつを履きたいんだろう?
「そう!」
ハーレイもおんなじスリッパだった、って分かっちゃったら、変えたいだなんて思わないよ。
これからも神様のスリッパがいいな、教会のバザーで売ってるスリッパ。
ハーレイのは緑と紺色のヤツで、ぼくのが水色。
「よし、分かった。結婚してもこいつを履き続ける、と」
お前も、俺も。
同じ生地のをずうっと続けて、駄目になる度に買い替えて…な。
一生こいつの世話になるとするか、ってハーレイが言って、頷いた、ぼく。
結婚したって冬になったら神様のスリッパ、ぼくのお気に入りの神様のスリッパ。
ずうっと履いていけるんだ、ってハーレイのと並べたぼくのスリッパを眺めていたら、何故だかハーレイが溜息をついた。
「しかし、悩ましい所だな…」
「何が?」
何か問題でもあるんだろうか、って不安が広がりかけたんだけれど。
ハーレイの口から出て来た言葉は、ぼくの予想とはまるで違って。
「結婚してから後にこいつを買う時、どうすべきかが問題だ」
おふくろに頼むか、お前のお母さんに頼んで買うか。そいつが大いに問題だな。
「頼むって…。ぼくたちが自分で注文をすればいいんじゃないの?」
「新規受付をしていればな」
「どういうこと?」
「こいつは人気商品なんだ。バザーの会場で買うならともかく、注文で届けて貰う方は…」
なかなか難しいらしいと聞いたぞ、新規受付があっても順番待ちになるくらいに。
「ハーレイのスリッパ、注文出来たよ?」
色の見本も送ってくれたよ、それを見てこれに決めたんだもの。ママが注文してくれたもの。
「ずっと長い間、買っているからだ」
昔からのお客さんってことになったら、その分の枠があるからな。
だが、俺たちが新しく申し込もうとしたって、空いている分があるのかどうか…。
バザーに行っても欲しい模様とサイズのスリッパがあるとは限らん。
確実に欲しいなら、前から注文し続けてる人に頼むのが間違いないんだが…。
お前のお母さんに頼むか、おふくろにするか、ってハーレイが頭を悩ませてるから。
ぼくも神様のスリッパは手に入れたいから、どうなるのかな、って考えながら訊いてみた。
「ハーレイのお母さん、ハーレイのスリッパを注文したがる?」
「もちろんだ」
ついでに支払いもするんだろうなあ、今と同じで。
そうさ、俺はスリッパの代金を払ったことは一度も無いんだ。親父が支払っちまってな。
「ぼくのママも注文したがりそうだよ…」
お金だって、ぼくは一度も払ってないから、結婚したってパパが支払うことになりそう。ぼくはスリッパを注文して貰って、「届いたわよ」って渡して貰えるだけで。
「うーむ…。それなら別々に注文して貰うか、今まで通りに」
俺はおふくろに、お前はお前のお母さんに。
別々のツテで手に入れるとするか、自分用のスリッパ。
「それは嫌だよ!」
せっかくハーレイと結婚したのに、なんで別々?
小さい頃からのお気に入りのスリッパ、どうして一緒に注文して手に入れられないの?
「だから言ったろ、新規受付をしていないと無理だと。…待てよ?」
だったら、一回おきに頼んでみることにするか?
お前のお母さんと、俺のおふくろと。二人分を頼む代わりに、一回おきで。
「それがいいかも…」
先に頼むの、やっぱりハーレイのお母さんの方になるのかな?
ぼくはハーレイのお嫁さんだし、ハーレイのお母さん、ぼくのママより先輩だもんね…。
誰に頼もうか、どうやって買おうか、ちょっぴり悩ましい冬のスリッパ。
厚手のウールで分厚いフェルトの底が頼もしい、丁寧な手作りの神様のスリッパ。
だけど模様は決まってる。
ハーレイはマントの色とおんなじ緑に濃紺を合わせた市松模様で、ぼくは水色、これは絶対。
そういうスリッパをセットで買おうと、二人分をセットで注文しようと、其処も絶対。
ハーレイのお母さんに頼んで買ったら、次に買う時はぼくのママに。
ぼくのママに頼んで注文したなら、次の注文はハーレイのお母さんに頼んでして貰う。
それが一番いいのかな、って、ハーレイと二人で話をしてた。
まだまだ先の話だけれども、いつか結婚した時は、って。
その夜、帰って行くハーレイを見送った後で。
お風呂に入ってパジャマに着替えて、寝る前にもう一度スリッパを出した。
ぼくの水色のスリッパじゃなくて、紺と緑のハーレイのスリッパ。紙袋から出して眺めてみた。
ハーレイは試し履きをしていないけど…。
履かなくっても一目で分かると、自分の足にピッタリなんだと自信たっぷりだったけど。
(ハーレイのスリッパ…)
神様のスリッパ、ぼくの家の冬の特別なんだ、って注文したのに。
ハーレイに似合いそうな模様はこれなんだ、って注文したのに、届いてみたら。出来てきたのをハーレイに見せたら、それはハーレイのスリッパだった。
「なんで分かった?」って言われてしまった、ハーレイのお気に入りの冬のスリッパ。
小さい頃から、ハーレイがずうっと履いて来たのと同じスリッパ。
そんなつもりは全然無くって、ハーレイのために、冬のスリッパを注文してみただけなのに…。
ハーレイが冬に家で履くのと同じスリッパを手に入れた、ぼく。
大好きなハーレイの足を包むのと、おんなじスリッパを手に入れた、ぼく。
(ホントにハーレイのスリッパだったよ…)
頬ずりしたかったほどのスリッパは、本物のハーレイのスリッパだった。
ホントのホントにハーレイのスリッパ、ハーレイが冬に履いてるスリッパ。
(んーと…)
頬ずりは流石に、なんだか間抜けで馬鹿みたいだから。
だけどスリッパは特別だから、と、ちょっと迷って、枕の隣にそうっと置いた。
ぼくの足を少しだけ突っ込んだけれど、まだ一回も履いていないから。
履いて歩いたわけじゃないから、ベッドに入れてもきっと問題ないだろう。
ハーレイのスリッパと一緒に眠って、ハーレイの夢を見てみたい。
紺と緑のハーレイのスリッパ、いつかはぼくの水色のスリッパと並ぶ予定の模様のスリッパ。
(結婚した後は、一緒に注文して貰うんだよ。ハーレイのと、ぼくの)
最初は誰が注文してくれるんだろう?
ハーレイのお母さんかな、それともママかな?
想像しただけで胸がドキドキ、枕の隣に置いたスリッパを撫でて、触って。
うんと幸せな夢が見られそうな魔法のスリッパ。
大好きなハーレイの足を包む予定の、神様のスリッパ。
これと一緒に、夢の中に入って行ったなら。
ハーレイと二人で暮らしてる家が、幸せ一杯のぼくの未来が、きっと今夜の夢に出て来るよ…。
スリッパ・了
※ブルーの家で用意した、ハーレイ用の特別なスリッパ。実はハーレイの愛用品でした。
二人で暮らすようになっても、使いたいスリッパ。ブルーが枕の隣に置くのも当然ですよね。
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