シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうむ…)
週の後半は冷えるのか、とハーレイは天気予報に溜息をついた。まだ紅葉には早いと言うのに、季節外れの冷え込みがやって来る。
昼間は平年並みに上がるが、朝晩がぐんと冷え込むらしい。高い山では初雪だとも。
(こいつはマズイな…)
丈夫な身体の自分はいい。顧問をしている柔道部の方も、冷え込みはむしろ歓迎だった。冷たい朝の空気の中での稽古は気分が引き締まるから。
しかし…。
(ブルー…)
生まれ変わって再び出会った恋人のブルー。十四歳にしかならないブルー。
前の生と同じに弱い身体に、これからの寒い季節は厳しい。両親と共に暮らしているのだから、服装や寝具の心配は要らないだろうと思うけれども。
(あいつの右手…)
それが一番の気がかりだった。
前の生の最期にメギドで凍えたブルーの右手。最後まで持っていたいと願った、ハーレイの腕に触れた時の温もりを失くしてしまって、泣きながら死んでいったと聞く。
独りぼっちになってしまったと、ハーレイには二度と会えないのだと。
冷たく凍えた右手の記憶はあまりにも辛くて悲しいもので、ブルーは今でも忘れていない。右の手を握ってやれば喜ぶし、温めてやれば幸せそうに笑う。
(温まってる時はいいんだが…)
右手が冷たく冷えてしまうと、メギドの悪夢がブルーを襲った。秋が訪れて朝夕の気温が低めになったら、ブルーは繰り返し苦しめられた。
なんとか助けてやりたいと願い、思い付いたのがサポーター。手のひらを包む医療用のもの。
薄いけれども通気性に優れ、けして眠りを妨げはしない。その上、締め付ける力の加減も調整が可能だったから。自分がブルーの右手を握ってやる時の強さで注文をした。
そのサポーターは大いに役立ち、ブルーは「メギドの夢にハーレイが来たよ」と喜んだけれど。
メギドの悪夢は、少し軽減しているようだけれども。
(寝てない時がなあ…)
眠っていない時も、ブルーは右手が冷えるのを嫌う。メギドで凍えた悲しい記憶が蘇るから。
何かと言えば「温めてよ」と差し出されてくる、小さな右の手。
暑い夏でも右手は出て来た。「温めてよ」と、「ハーレイの温もりが欲しいから」と。
そんなブルーがこれからの季節、ただでも冷える手をどうするのか。
記憶を取り戻す前であったら、息を吹きかけたり擦り合わせたりと自分で温めただろうけれど。今のブルーはそうはいかなくて、起きている時にもあのサポーターを着けそうで。
(手が冷たい、と思ったら急いで着けそうだぞ)
なにしろ自分が握ってやる時の強さを再現してあるものだから。
「ハーレイに握って貰ってるみたいだ」とブルーが顔を綻ばせたほどのサポーターだから、手が冷たいと感じた時には迷わずに着けてしまうだろう。
けれど…。
(いつもサポーターを着けていたなら、癖になって効き目が薄れてしまうぞ)
人の身体は慣れるものだし、サポーターの締め付けを常のものだと感じ始める。そうなれば夢に対抗できない。メギドの悪夢からブルーを守ってやれなくなる。
それは避けたいし、サポーターを着けっぱなしにしないようにと、ブルーを戒めたいけれど。
ただ「着けるな」と言っただけでは可哀相だというものだ。
あのサポーターが使えないなら、代わりに右手を温める方法を教えてやりたい。起きている間はこうしておけと、この方法で温めておけ、と。
(何かいい手があればいいんだが…)
夜の書斎でコーヒーを口にしながら考える。
マグカップにたっぷりと淹れたコーヒー。厚手のカップを通して手に伝わって来る、その熱さ。
こんな風に触れて右手を温められるカップがブルーの側にあったなら…。
(あいつ、コーヒーは苦手だからなあ…)
ホットミルクがいいだろうか、と思い付いた。冷めにくいカップにホットミルク。
背を伸ばしたいと毎朝ミルクを飲んでいるらしいブルーに言ったら、嫌味なのかと仏頂面になるかもしれないけれども、お勧めではあるホットミルク。
夜に飲むなら、紅茶よりも断然ホットミルクがいいだろう。
ミルクにはカフェインが入っていないし、目が冴えてしまう恐れが無いのだから。
(冷える夜にはホットミルクだ、と教えておくか)
自分で手と手を擦り合わせるより、息を吹きかけるより遥かに優れた方法だと思う。
何もせずともカップを通して伝わる温もりは、きっと優しくブルーの右手を温める筈だ。自然に温め、心を癒してくれる筈。
此処はメギドではなく暖かい家で、温かいミルクもあるのだ、と。右手を温めてくれるミルクのカップが手の中に確かにあるのだ、と。
名案だな、と思ったけれども。
(嫌味なのか、を回避するには…)
ホットミルクを勧めただけでは「それ、嫌味?」と言いそうなブルー。
背丈を伸ばそうと懸命にミルクを飲んでいるらしい小さなブルー。
せっかくの提案を「嫌味なの?」と受け止められるのも何処か悲しい。ホットミルクが一番だと思って勧めているのに、嫌味の意味など微塵も無いのに。
(ホットミルクか…)
ただ温めるだけでは芸が無い。他に何か、と思いを巡らせる。
自分が子供だった頃には、母が蜂蜜をよく入れてくれた。ホットミルクには蜂蜜が合うと、砂糖よりも柔らかな味わいになると。
(蜂蜜なあ…)
ブルーの家でもホットミルクには蜂蜜だろうか?
俺の家ではこうだったんだ、と話せば興味を示しそうではあるけれども。
(俺がガキの頃の話だからなあ…)
その程度でブルーが納得してホットミルクを飲むだろうか、と甚だ疑問ではあった。もっと他に何か無いものか。
ブルーが釣られそうなもの。小さなブルーがホットミルクを飲みそうな何か。
(…待てよ?)
不意に頭を掠めた記憶。
調べ物をするための端末を起動し、思い付いた言葉を打ち込んでみた。
セキ・レイ・シロエ。
そしてホットミルク。
表示された文字たちは求めるものとはまるで違って、歴史に残った少年の名だったり、ミルクの温め方だったり。
(…違ったのか?)
記憶違いか、とデータベースの情報を引き出してみては、端から確認してゆく内に。
(よし!)
見付け出したぞ、と目的の情報を掴んでニヤリとした。
これでホットミルクは大丈夫だろう。
好奇心旺盛な子供でもある小さなブルーは、釣られて挑戦する筈だ。
(しかしだ…。ホットミルクは一時的なものに過ぎんしな?)
飲んでしまって、カップの温もりが無くなった後。
ブルーの右手はまた冷たくなり、温もりを失くして冷えていってしまう。いくら暖房を強くしていても、真冬に半袖で過ごせるくらいの室温にまでは上げられない。外へ出た時に身体に悪いし、虚弱なブルーにそれは出来ない。
つまりは何処からか忍び寄る冷気に右手は冷やされ、凍えてゆく。
遠い昔に、メギドで冷たく凍えたように。ハーレイの温もりを失くして凍えたように。
(もっと何かが無いもんかな…)
いつでも右手を温めることが出来る方法。
ホットミルクを飲み終えた後も、冷たいと思えば出来る方法。
(ブルーが自分で出来る何かで…)
擦り合わせたりするのではなくて、ブルーだけのための特別な方法。
あのサポーターのようにブルー専用の、右手を温めるためだけにある方法。
(まじないでもあればいいんだが…)
腕組みをしながら考え込んでいて、ふと思い出した。
子供時代に父の釣り仲間やその子供たちと、大勢で海まで釣りに出掛けた時のこと。車での遠出だったのだけれど、「車酔いをしそうだ」と不安そうだった父の釣り仲間の子。
車酔いの薬は飲んでいるから大丈夫だ、と言われても心配していた子供。
あの子供は、確か…。
(字を飲んでいたな)
手のひらに指で書いて貰った字を飲んでいた。誰にも見えない、指で書かれただけの文字。あの時は「車」と大きく一文字。
それを飲んだなら克服出来る、と言い聞かされて飲み干す見えない文字。
(人という字を飲むのもあったか…)
大勢の人の前に出る時、あがらないためのおまじない。人を克服するために飲む「人」の文字。
自分が知っているのは二つだけれども、他にも飲む文字はあるかもしれない。
手のひらに書いて、それを飲み込めば苦手を克服出来る見えない魔法の文字たちが。
(ひとつ、こいつを捻ってみるか…)
ブルーの苦手。
それを飲み干し、克服するためのおまじない。
(だが、メギドは…)
最大の苦手はメギドなのだろうが、そんな文字は飲みたくないだろう。いくら苦手でも、それを克服したくても。
そもそもメギドなどという忌まわしい文字を手のひらに書きたくもないだろうし…。
(ん?)
ブルーが書きたくなさそうな文字。
ならば…。
(そうだ、書くんだ)
それがいい、と笑みを深くした。
ブルーのためのおまじない。右手が冷たく凍えないよう、自分で出来るおまじない。
明日は幸い、ブルーの家に寄れそうだから。
二つの対策を教えておこう。
ホットミルクと、おまじない。右手が冷たい時にはこれを、と小さなブルーに。
次の日、仕事帰りにブルーの家に寄ると。
二階のブルーの部屋に入ると、案の定、ブルーは不安そうで。
「ハーレイ、今週…。今日はまだ暖かそうだけど…」
「うむ。冷えるらしいな、後半は」
高い山では初雪だろうという予報だしな、この辺りもぐんと冷え込むだろうな。
「ぼくの右手も冷えそうだけれど…。冷たくなってしまいそうだけど…」
でも、ハーレイに貰ったサポーターがあるものね。
メギドを思い出しそうになったら着ければいいよね、サポーターを。
「おいおい、あれを着けすぎるなよ?」
慣れちまったら意味が無くなる。着けているのが普通になったら効果が無いぞ。
寝る時だけにしておくんだ、と諭せばブルーの顔が曇った。
「寝る時しか着けちゃいけないの?」
「効かなくなったら困るだろうが」
メギドの夢は嫌だろ、お前。寝ている間はコントロールが利かないんだからな。
「でも…」
手が冷たいのは嫌なんだよ。
右手が冷えると、どうしてもメギドを思い出しちゃう…。
「それでもだ」
駄目だ、とハーレイは一つ目の策をブルーに聞かせた。
「いいか、起きている時に右手が冷えたら。冷たいという感じがしたら…」
ホットミルクを飲んでおけ。カップを触れば手が温まるし、身体も芯から温まるからな。
「ホットミルク!?」
ぼくにミルクを飲めって言うの?
毎朝きちんと飲んでいるのに、まだ足りないからホットミルク!?
「怒るな、チビだと言ったわけでは…」
「今、言った!」
チビだと言ったよ、酷いよ、ハーレイ!
ぼくがチビだからホットミルクを飲めって言うんだ、ちょっとくらいは育つだろ、って!
背が伸びないから困っているのに、それって嫌味!?
予想に違わず、怒り出したブルー。
ぷりぷりと膨れっ面になっているから、秘策を披露することにした。データベースで拾い上げた情報、苦労して見付けて来た情報。
「お前に勧めたホットミルクだが…。普通に飲むのは嫌だと言うなら、シロエ風にしとけ」
あれだ、セキ・レイ・シロエのシロエだ。そのシロエ風だ。
「なに、それ?」
シロエ風だなんて、何なの、ハーレイ?
「あまり知られていないんだがなあ、シナモンミルクでマヌカ多めだ」
「えっ…?」
「シナモンミルクにマヌカって蜂蜜を多めに入れる、という意味さ」
そいつがシロエの注文だったそうだ、お気に入りのな。
どういう神様の悪戯なんだか、ステーション時代に一緒だった誰かが覚えていたらしい。これがシロエの注文だったと、こういう注文の仕方だった、と。
いや、思い出したと言うべきか…。SD体制が終わった後にな。
SD体制が在った頃にはシロエに関する記憶ってヤツは端から消されてしまっていたし…。
「そうなんだ…」
凄いね、それを思い出した人。
シロエの友達の誰かなのかな、それともライバルだったのかな…?
「ちょっと興味が出て来たか?」
ただのホットミルクなら腹が立つだろうが、こいつは少し特別だからな。
「うん。シロエのお気に入りだったミルクなら飲んでみたいな」
まるで知らないわけじゃないしね。ジョミーから聞いてて、知ってたし…。
救い出せずにアルテメシアに置いて行っちゃったこと、前のぼくも気がかりだったから。無事に育って欲しいと祈っていたけど、死んじゃった…。
そのシロエの声、前のぼくも聞いてたみたいだから。…地球へ行こう、って。
「なら、今週はそいつを試してみろ。お母さんに頼んでマヌカだな」
「マヌカって、なあに?」
そういう名前の蜂蜜があるの?
「ああ。正確に言えばマヌカハニーだ、マヌカ蜂蜜って所だな」
マヌカって木から採れる蜜だけを集めた蜂蜜らしいぞ、他の木の蜜は入ってないんだ。
「ふうん…。一種類の木だけの蜂蜜だなんて、シャングリラには無かったね」
蜂蜜はいろんな花のが混じって当たり前だったし、選んでられるほどに沢山の花は無かったし。
「うむ、人類は贅沢なもんだな」
教育ステーションで蜂蜜なんぞは採れないからなあ、何処かの星から送ってたわけだ。そいつをシロエみたいな生徒が気軽に注文出来ちまう。
前の俺たちには考えられない贅沢ってヤツだ、蜂蜜をあれこれ選ぶだなんてな。
シャングリラとはまるで別世界だな、と苦笑しながら、ハーレイは小さなブルーを見詰めた。
「いいな、シナモンミルクのマヌカ多めだ。それと、もう一つ」
「まだ何かあるの?」
ホットミルクの特別な飲み方、他にもあるの?
「ミルクとは何の関係も無い。とっておきのおまじないさ」
ちょっと右手を出してみろ。手のひらを上にして、俺の前にな。
「温めてくれるの?」
「いや、おまじないをかけておく」
「おまじない…?」
不思議そうな顔でブルーが差し出した右の手のひら。小さな手のひら。
其処に人差し指の先でゆっくりと大きく書いてやった。
ハートのマークを。
「ハーレイ、これって…!」
頬が赤くなったブルーに向かって優しく微笑む。
「こいつなら単純で忘れないだろ?」
俺が書いた跡、なぞってみろ。お前の指で。今ならハッキリ分かるだろうが。
「うん…」
嬉しそうに、少し恥ずかしそうにブルーの左手の人差し指が右の手のひらの上にハートを描く。ハーレイが書いてやった通りに、見えないハートをなぞるように。
「書けたか? そしたら、そいつを飲んでみるんだな」
「飲む?」
「手のひらを口へ持って行ってだ、其処に書いたハートのマークを飲むんだ」
飲んだつもりになれってことだな、ハートマークを口に入れたとな。
そういう類のおまじないがあるんだ、苦手なものを書いて飲んだら克服出来るというヤツが。
俺が知ってるのは車の字を飲んで車酔いを防ぐのと、人前であがらないように人の字を飲むっていうヤツなんだが…。
そいつを捻ってハートマークだ、俺のオリジナルだ。
克服しろっていうんじゃなくって、俺が書いてやったハートのマークを飲めってことだな。
飲んでみろ、とハーレイに言われたブルーだけれど。
右の手のひらに書かれた見えないハートを飲むように言われたブルーだけれど。
「んーと…」
ハーレイの褐色の指が大きく描いたハートのマーク。目には見えないハートのマーク。
自分の指でなぞったとはいえ、愛の印のハートのマーク。
それを口まで持って行った上に、本当に飲めるわけではなくても飲み込むだなんて…!
ブルーは何度も右手を口許に近付け、眺めては再び離してみて。
「…だ、駄目かも…」
飲もうと思っても飲み込めないかも、このハートマーク…!
「真っ赤だな、お前。耳の先まで赤く染まってしまっているぞ」
それだけ赤くなっているなら、手もいい感じに温まってないか?
いつも「温めてくれ」ってうるさい、お前の右の手。
「う、うん…」
温かいって言うより、熱いくらいかも…。ポカポカを通り越して熱いよ、右の手のひらが…!
「そりゃ良かったな。おまじないをかけた甲斐があったってな」
ホットミルクと、右手にそいつを書いて飲むのと。
サポーターを使わなくても、それで何とかいけそうだろうが、今週の冷え込み。
「いけるかも…」
ハーレイの言う通り、サポーターが効かなくなったら夜中に困るし…。
寝るまでは着けずに頑張ってみるよ、ホットミルクとおまじないで。
冷え込むという予報は当たって、次の日の夕方から急激に下がってしまった気温。今の季節には珍しいほど朝晩は冷えて、そして、週末。
ブルーの右手はどうだったろう、と案じながら訪ねたハーレイは、小さなブルーの苦情と報告を聞く羽目になった。シロエ風のホットミルクについて。
「ハーレイ、マヌカの説明をきちんとしてくれないから…!」
酷い、とブルーは些か御機嫌斜めだった。
マヌカは風邪の予防にいいそうだから、と母にたっぷり入れられたと。そういう蜂蜜だと知っていたなら自分で買ったと、味見もしてから自分で入れたと。
「シロエ風のホットミルクって、変な味だよ!」
ママがたっぷり入れていたから、うんと甘いんだと思ったのに…!
お薬っぽいよ、あのマヌカって!
「おいおい、マヌカは蜂蜜だぞ?」
甘くないわけがないと思うが。そりゃあ確かに風邪の予防にも、風邪薬にもなるんだが…。
あれも蜂蜜には違いないんだし、少しばかり癖があるってだけだろ?
「そうなんだけど…。でも、ママがたっぷり入れちゃうから…」
「シロエ風だと、元からマヌカは多めだぞ?」
ああいう味がシロエの好みだ、と楽しんで味わう余裕は無いのか、お前の舌には?
お前、好き嫌いが無いのが売りだろうが。俺と同じで。
「うー…。好き嫌いはホントに無いんだけれど…」
でも、お薬っぽい味がするのはあんまり…。
お薬なんかが好きな人って、きっといないと思うんだけど…!
あの味は嫌だ、とブルーが膨れる。
右手はカップで温まるけれど、とんでもない飲み物がやって来たと。普通のホットミルクならばともかく、シロエ風。マヌカ多めのシナモンミルクは自分の舌には合わないと。
「ママがすっかり気に入っちゃったよ、風邪の予防になりそうだ、って!」
ぼくは弱くて風邪を引きやすいし、これを飲んでいれば引く回数が減るかも、って…。
冬の間中、飲まされそうだよ、どうすればいいの?
「うーむ…。お母さん、気に入っちまったのか…」
「そうなんだよ!」
ハーレイのせいだよ、責任取ってよ!
あのシロエ風のミルク、毎日、毎日、飲まされちゃったらミルクだって嫌いになりそうだよ!
「そいつは困るな、お前の背丈が全く伸びなくなりそうだしな?」
「そう思うんなら何とかしてよ! あのホットミルク!」
もう嫌だ、とほんの数回で音を上げている小さな恋人。好き嫌いが無い筈の小さな恋人。
相当に運が悪かったのだろう、とハーレイはクックッと喉を鳴らした。
「何とかするのはホットミルクじゃなくてマヌカだな、うん」
「ママはやめてくれないと思うんだけど…。マヌカも、たっぷり入れるのも…」
ぼくが自分で言い出したんだし、飲む気になったと思ってるんだよ、あのお薬を!
「そうだろうなあ、マヌカ多めだしな?」
お前、当たりが悪かったんだ。マヌカの味には色々あるしな、薬っぽいのに当たっただけだ。
お母さんはお前のためにと思って、目に付いたのを買ったんだろうし…。
薬っぽいからこれは嫌だ、とお母さんに説明するんだな。
次は試食をして買ってくれと、薬っぽくないマヌカがいいと。
「そういうマヌカも売ってるの?」
「もちろんだ。個人の好みは色々だからな、薬っぽいのが好きだって人も中にはいるのさ」
薬が好きだというわけじゃなくて、薬っぽいから効きそうだと思って食べるわけだな。
お前の舌には合わなかったなら、普通のマヌカを頼んでおけ。
好き嫌いの無いお前が「これは嫌だ」と言うんだったら、お母さんは急いで別のに変えるさ。
薬っぽい味のマヌカの残りはお母さんに任せるんだな、とハーレイは笑う。
風邪の予防に食べて貰うか、味など分からなくなってしまうように料理に使うか。
「だが、買い替えて貰うまでの間は我慢しろよ?」
お母さんは知らずに買って来たんだし、其処は感謝をしなくちゃな。お前の身体のことを考えてマヌカたっぷりのホットミルクなんだ、恨んじゃ駄目だぞ。
「分かってる…」
美味しいマヌカもあるんだったら、買って貰えるまでは飲んでおくよ。
だけどシロエって、どういう味が好みだったわけ?
あのとんでもない薬っぽいのが好きだったんなら、ぼくには理解出来ないけれど…!
「さてなあ…。其処までは記録に無いんだろうなあ、あのステーションは廃校だからな」
ミュウの思念波通信で汚染されたってことで閉鎖されたし、データも廃棄だっただろう。
どんなマヌカを仕入れていたのか、今となっては知りようもないさ。
シロエの声を聞いたっていうお前が好みを聞いてないなら、もう永遠の謎だってな。
薬っぽいマヌカが好みだったか、普通の味のが好みだったか。
ところで…、と小さな恋人に尋ねた。
自分に会うなり、ホットミルクの苦情を述べた恋人に。あれは嫌だと文句を言った恋人に。
「シロエ風のホットミルクはともかくとして、だ」
おまじないの方はどうだったんだ?
俺がかけてやったハートのおまじない。あれは効かずに終わっちまったか?
「効いた!」
凄く効いたよ、ハーレイがくれたおまじない。
ハートを飲んでも暖かくなるし、右の手のひらにハートを描いたら右手がポカポカ熱いんだよ。
冷えて来たな、って思ったら手のひらにハートを描いたよ、ハーレイのハート。
もっと描いて、と右手が出て来た。小さな右手がテーブルの上に。ハーレイの前に。
もっとハートを、いつも右手が温かいようにハートを描いて、と。
「ふうむ…。こいつが効くんならな」
ほら、とハートを描いてやる。
冷え込みが来る前に書いてやったように、右の手のひらに大きくハートを。
ブルーは見えないハートを嬉しそうに見詰め、それから花が開くように笑んだ。
「これって、愛の告白だよね?」
愛してます、って印のハートマークなんだよね、ねえ、ハーレイ…?
「そう考えるのはお前の勝手だ」
俺がどういうつもりで書いても、お前はそうだと思うんだろうが?
「うんっ!」
ハーレイがぼくにハートのマークをくれるんだったら、愛の告白。
それを飲んだら幸せになれて、心も右手もポカポカなんだよ。
ハーレイにハートを貰った、って。ぼくの右手にハートのマークを描いてくれた、って。
「どう考えるのも勝手だが…。お前の右手がポカポカだったら、俺としては充分嬉しいな」
お前の右手が凍えないなら、それでいい。冷たくないならそれでいいのさ。
このおまじないは効いたようだな、とハートのマークを描いてやる。
メギドで凍えた悲しみを秘める小さな右手に、温もりをこめて。
冷え込みで凍えてしまわないよう、思いをこめて。
褐色の指先でゆっくり、ゆっくり、恋人のために大きなハートの形のマークを…。
温める方法・了
※ハーレイがブルーに教えた、冷えないための二つの方法。シロエ風のミルクと、おまじない。
おまじないの方が効きそうですけど、シロエ風のミルクもブルーの定番になりそうです。
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