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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

天使の取り分

(美味しい…!)
 まだ秋だけれど、赤いリンゴも出回るようになったから。
 ぼくが住んでる所よりも北の方では冬が早くて、その辺りで採れたリンゴがお店に並ぶから。
 今日のおやつはママのお手製、リンゴのコンポート、赤ワイン煮。
 真っ赤なリンゴをくるくると剥いて、カットして赤ワインで煮込んであるんだ、もちろんお砂糖たっぷりで。赤ワインを吸って、半透明になってるリンゴ。赤ワインの色に染まったリンゴ。
 アルコールはすっかり飛ばしてあるから、ぼくでも安心。
(ふふっ、ちょっぴり大人の気分!)
 まだまだお酒は飲めないけれど。
 飲める年になっても、前のぼくと同じでお酒に弱いかもしれないけれど。
 だけどワインは大人の飲み物、それを使ったお菓子っていうだけで胸がときめく。
 もうちょっと、って。
 あと何年か我慢したなら、ぼくは十八歳になる。ハーレイと結婚出来る年に。
 お酒は二十歳まで駄目だけれども、結婚したなら大人の仲間入りみたいなものなんだから…。
(もう少ししたら大人なんだよ)
 あと何年かで手が届く筈の大人というもの、大人が楽しむ飲み物がワイン。
 それで煮込まれた赤いリンゴは憧れの世界の欠片を運んで来てくれる。
 赤ワインの赤に染まったリンゴ。アルコール無しでも幸せな気分で酔っ払えそう。
 甘いコンポート、ホイップクリームに庭のミントの葉っぱも添えて。



(赤ワイン煮…)
 フォークで切っては、口へと運んで。
 シナモンの風味も味わいながら、ぼくは御機嫌。
 だって赤ワイン煮、大人の飲み物で作って貰ったおやつだから。アルコール分は飛んでいたって背伸びして大人の気分だから。
 前のぼくみたいに大きくなったら、ぼくも大人の仲間入り。
 ちっとも背丈が伸びてくれないチビのぼくだけど、いつかは大人の仲間入り。
(十八歳までには育つよね、きっと)
 そしたら結婚、お酒は飲めない年でも大人扱いして貰える筈。
 もうちょっとだよ、って今日は前向き、ひょっとしたら赤ワインで酔っ払ってる?
 アルコールは飛んでる筈なんだけれど、赤ワインの味だけで酔っ払えちゃう?
 それもいいかも、こんなに心が浮き立つんなら。



 前のぼくの背丈、それが目標。
 そこまで育てばハーレイがキスを許してくれる。
 シャングリラに居た頃は、当たり前のように交わしていたキス。それが今では頬と額にしかして貰えなくて、膨れてばかりのチビのぼく。
 そのキスだって、あと少しだけの我慢だよね、って思っちゃう。ホントに前向き、今日のぼく。赤ワインで酔っ払っているんだとしても、うんと幸せ、素敵な気分。
 白い鯨でハーレイと一緒に居た頃みたいに、もうすぐ二人で暮らすんだよ、って。



(シャングリラにもワインはあったんだっけ…)
 リンゴのコンポートなんかは作ってないけど、一度も作っていなかったけれど。
 シャングリラでリンゴは育てていたけど、赤ワイン煮になることは無かった。
 ワインは貴重品だったから。
 本物のワインはとっても貴重で、お菓子なんかに使えるものではなかったから。
 もちろん合成品のワインはあったし、それを使えばコンポートだって作れそうだけれど、合成のワインは嗜好品。飲むのが第一、それと料理用。お菓子にはあくまで風味づけ。
(船のみんなに行き渡るだけのリンゴの赤ワイン煮なんて、凄い量のワインが要るんだし…)
 厨房の係は作ろうと思わなかっただろう。もったいない、って。
 でも…。
(赤ワインだけは本物のヤツがあったよね)
 ブドウを搾って、樽で仕込んだホントに本物の赤ワイン。
 合成のお酒ばかりだった中で、あれだけは本物のお酒だったんだ。
 懐かしいな、ってリンゴのコンポートを頬張った。
 あのワインの味にちょっぴり似てると、お砂糖が入って甘いけれども、確かに似てると。
 お酒に弱かったぼくは少しだけしか飲まなかったから、ハッキリ覚えてはいないんだけれど。



 おやつを食べ終えて、キッチンのママにお皿やカップを返しに行って。
 それから二階の部屋に戻って、勉強机で頬杖をついて。
(リンゴのコンポート、美味しかったな…)
 赤ワインたっぷり、お砂糖たっぷり。シナモンも少し。
 ホイップクリームにミントの葉っぱも。
 ちょっぴり背伸びで大人な気分がしてくるお菓子で、酔っ払ったかもしれないけれど。ぼくには嬉しい大人っぽい味、大人の飲み物の赤ワインの味。
 シャングリラでは作らなかったけれども、その気になったら作れたと思う。
 材料は揃っていたんだから。
 リンゴとお砂糖、シナモン、ミントにホイップクリーム。
 もちろん本物の赤ワインだって。
 全員の分は絶対無理でも、一人分ならきっと作れた。前のぼくが一人で食べるだけなら。



(ソルジャーの分だけ、っていうのは反則?)
 そういったことはしないように、って仲間には言ってあったんだけれど。
 ソルジャーだから、って特別扱いをしては駄目だ、と何度も伝えてあったんだけれど。
(でも、赤ワイン煮…)
 食べてみたかったような気がしてきた。材料は揃ってたんだ、と思うと。
 青い地球の上に生まれ変わった今のぼくだから、そんな我儘を思い付いたりするんだろうけど。
(厨房の係に「作って欲しい」って言ったら、反則…)
 喜んで作って貰えたとしても、それだと自分でルールを破ったことになる。
 「ソルジャーを特別扱いするな」と言っていたくせに、自分だけのために特別なものを作らせることになるんだから。それも貴重な赤ワインを使って。
 それはマズイし、許されそうにないんだけれど。



(ハーレイだったら作ってくれたと思うんだよ)
 前のハーレイは厨房出身、料理が得意。青の間には小さなキッチンがあったし、あそこで作れば誰も絶対、気付きやしない。リンゴが一個くらい減っても、生クリームが少し減っても。
 前のぼくが「食べてみたいよ」って言ったら、ハーレイはきっと作ってくれた。
 甘くて美味しい、赤ワインの色に染まったリンゴのコンポート。
 本物の赤ワインを使って、煮込んで。
(ちょっとくらい減ってもバレないんだものね、赤ワイン)
 リンゴや砂糖や生クリームが減っちゃったことを言い訳するより、ずっと簡単。
 だって、天使が飲んじゃうんだから。
 「美味しいね」って飲んでしまうんだから。
 実はシャングリラには天使がいたんだ。
 お酒の大好きな天使ってヤツが。



 年に一回、新年を迎えるイベントの時だけ、シャングリラで飲んだ赤ワイン。
 みんなで乾杯していたワイン。
 そのためにだけ、ワイン用のブドウを取り分けておいて木の樽に入れて熟成させてた。お祝いに使う大切なワイン、クリスマス生まれの神様の血だと伝わる赤ワイン。
 天使はそれを飲んでいた。
 誰にも「下さい」なんて言わずに、こっそりと。



 前のぼくたちが最初にワインを仕込んだ年。
 特別に作った木の樽に入れて、専用の倉庫で熟成させた。温度や湿度の管理も完璧、樽に一杯のワインが出来ると頭から信じていたんだけれど。
「なんで減るんじゃ!」
 樽からボトルに移していた日に、用意しておいたボトルが余った。仕込んだワインを入れようと作ったボトルが余って、減っていたことが初めて分かった。
 そういう報告が上がって来たから、いつものゼルたちを集めて会議。ハーレイが読み上げた事実なるものに、「どうしてなんじゃ」と頭を振ったゼル。
「倉庫の管理は厳重じゃった筈じゃぞ、勝手に入れはしない筈じゃが」
「そうだよ、それに樽だって封印していた筈だよ」
 ブラウも「変だ」と言い出した。
「封印、破れていなかったんだろ? だったら密閉されてたってことさ」
 それなのに、なんで減るんだい?
 考えたくないけど、ワインをサイオンでコッソリと盗む悪い奴が居たってことなのかい?
「違うね、これはそういうものなのだよ」
 減るものだよ、とヒルマンが笑って、エラも穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ、本物のワインだからこそ減るのです」
 木の樽から自然に蒸発してゆくのですよ、ああして熟成させている内に。
 そうやって樽から消えてしまったワインを、天使の取り分と呼ぶのだそうです。
 天使が飲んだと、その分だけ減ってしまったのだと。



「ふうむ、天使の取り分じゃったか…」
 仕方ないのう、そういうことなら。しかしじゃ、それは秘密にしておかねばならん。
 この件については調査中じゃ、と言わねばな。
 ゼルが奇妙なことを言うから、ヒルマンが「何故だね?」と訊いたんだけれど。
「分からんか? そういう言い訳で飲むヤツが出るといかんじゃろうが」
 樽のワインは減るものらしい、と広まってみろ。
 少しくらいなら、と味見したがる奴が出るわい、サイオンで盗み出せるんじゃからな。
「なるほどねえ…。あたしもちょいと欲しくなってきたね」
 そろそろいいだろ、って味見に一口。天使が飲むなら一口くらいは欲しいもんだね、樽の間に。
「わしらが飲んでどうするんじゃ!」
 手本にならねばいかん立場じゃぞ、それが盗んで飲みたいなどとは言語道断というヤツじゃ!
「ぼくがシールドしておこうか?」
 ワインの樽ごと。そうすれば蒸発して減ることもないし、問題は解決しそうだけれど。
「それでは美味しくならないのでは、と思うのだがね」
 自然に蒸発してゆく過程も含めて、ワインの熟成が進むのだろうし。
 不自然なシールドを施すよりかは、自然に任せておきたいものだね。
「でも、今後のことを考えると…。天使の取り分、いつかは知られてしまいそうだよ」
 知れてしまったら、ゼルが言ってた不心得者。
 少しだけ、と考える者が出るかもしれない。その対策としてもシールドは有効そうだけど…。
「そこまでのことは要らんじゃろう」
 本当にシールドを張るまでもないわい、ソルジャーが厳重に管理していると広めておけば効果があるじゃろう。それでも減っているようだ、と知れたら天使の取り分の出番じゃな。これは自然に起こることじゃと、防ぎようがない現象なんじゃと。



 ぼくはシールドを張らなかったから、毎年、毎年、減っちゃうワイン。
 天使が飲んでた赤ワイン。
 その内に船でも有名になって、天使の取り分を知らない大人はいなくなった。けれども便乗してコッソリ飲もうという者は無くて、天使だけが飲んでた赤ワイン。
 樽で仕込んだワインは毎年、同じ環境で熟成させてる筈なんだけれど、天使の取り分は少しずつ変わる。多めだったり、少なめだったり、気まぐれな天使が飲んだ分だけ。
 それがどのくらい続いただろう?
 ある日、一日の報告をしに青の間に来たハーレイと二人でお茶を飲んでいたら。
「ソルジャー、天使の取り分ですが…」
 今年はどのくらいの量になるのでしょうねえ、毎年、好きなだけ飲まれていますが…。
 天使の好みで増減するというのが実に不思議です、まるで人間が抜き取っているかのように。
「そうだね。そういう話を持ち出すってことは、君の分を取って欲しいのかい?」
 ぼくは実際には管理してないけど、あの樽の番をしていることになってるし…。
 君が飲む分をほんの少しだけ、天使の取り分で抜き取ってくれと?
「いえ、そうではなく…。天使の取り分という現象ですよ」
 調べてみましたら、どんな酒でも起こるようですし…。合成の悲しさを思い知らされますね。
「えっ?」
「合成の酒は天使も嫌っているようです。大量に仕込んではあるのですが…」
 減らないんですよ、と笑ったハーレイ。
 合成のラムも、ウイスキーも、ブランデーも天使は全く飲まないらしい。
 知らんぷりをして素通りするだけ、ほんの一口も飲みはしないで。



「天使が飲むような酒は美味いだろうと思うのですが…」
 まるで飲まないということになると、合成の酒はそれだけ不味いのでしょう。
 天使が取り分を欲しがる酒の美味さは、どれほどでしょうね。
「昔はあったね、そういうお酒も」
 人類から物資を奪っていた頃は、お酒も沢山。よく紛れてたし、みんなに配っていたけれど…。
 あれが天使の好きな味なんだね、ぼくはお酒は駄目だったけれど。
「いつか飲めたなら、どんな味だったか思い出せるとは思いますが…」
 合成の酒に慣れてしまって、あちらの味を忘れました。美味い酒だった、という記憶だけです。どう美味かったか、どんな味わいだったのか。その辺が曖昧になってしまいました。
 舌が忘れてしまったようです、とハーレイは少し悲しそうで。
 天使も飲まない合成のお酒を飲むしかないのも、気の毒に思えてきたものだから。
「それならラムとかも作ってみようか、本物を?」
 ワインみたいに大きな樽を使うんじゃなくて、小さな樽で。
「無理ですよ。ラムの原料はサトウキビですし、ラム酒に回せる分があるなら砂糖を増産するべきでしょう」
 ウイスキーにしても同じことです。大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物が原料ですから。
「ブランデーはブドウじゃなかったかな?」
 それで間違いありませんが…。ブドウから作った白ワインを蒸留するのですよ?
 赤ワインでさえもギリギリなんです、ブランデーなんかを作れる余裕はありませんよ。
 年に一度の赤ワインだけで充分です、って言ったハーレイ。
 ぼくの飲み残しを貰っている分、他の仲間より多めに飲めているのですから、って。



 そんなハーレイと恋人同士になった後。
 ハーレイはぼくの特別になって、大切な人になったから。
 シャングリラの仲間の誰よりも大事で、愛おしい人になったから。
 天使の取り分が出来るお酒をハーレイに飲ませてあげたいと思ったけれど。なんとかして本物のラムやブランデー、ウイスキーを作れないかと思ったけれど。
 でもハーレイが前に言っていた通り、それは不可能。
 ラムを作るだけのサトウキビがあるなら、料理やお菓子に欠かせない砂糖を増産すべき。穀物もウイスキーを作れるほどなら、食料の備蓄に回さなければ。
 白ワインが原料だというブランデーなどは論外だったし、本物のお酒は作れない。
 ぼくがソルジャーでも、そんな命令、下せやしない。
 だけどハーレイにお酒をあげたい。
 天使が飲むという本物のお酒を、お酒が大好きなハーレイのために。



 ハーレイにお酒、って考え続けて、だけどお酒は作れなくって。
(ちょっとだけ…)
 赤ワインをほんの少しだけ、ってサイオンで盗み出した、ぼく。
 その頃にはワインは樽に詰めてから一年で飲むより、二年、三年、って置いた方がいいって話も出ていて、乾杯用のワインを取り出した後に残ったワインは樽の中。乾杯の時には長く熟成させたワインの方から順に使って、その年のワインはかなりの量が残るもの。
 だから樽にはワインがたっぷり、ちゃんと熟成されたワインがたっぷり。
 ちょっと考えて、去年のワインを失敬した。樽にけっこう残っていたから大丈夫。
 これは天使の取り分だから、って。



 その夜、ハーレイが青の間にやって来て、目を丸くした。
「なんですか、これは?」
 ぼくが出しておいたグラスが二つ。テーブルの上にグラスが二つ。
 どっちも空っぽ、透明なグラスが置いてあるだけ。
「乾杯用だよ」
「は?」
「君との記念日に乾杯するんだ」
 あれから一年になる日だものね、って微笑んだ、ぼく。
 ハーレイと初めてベッドに入った記念日だから、と。
「覚えてらっしゃったのですか…」
「ぼくが大切な記念日を忘れるとでも?」
 そして、これはね…。
 内緒だよ、と注いだ赤ワイン。失敬して来た本物のワイン。ハーレイは直ぐに気が付いた。
「ソルジャー、これは…!」
「二人きりの時はソルジャーじゃなくてブルーだけれど?」
 それにね、これは天使の取り分。天使がワインを飲んだんだよ。
「しかし…!」
「大丈夫。樽には沢山入っていたから、このくらいならね」
 今年の天使は多めに飲んだな、って係が納得するだけだよ。報告だってそれでおしまい。
 それとも、君は怒るかい?
 ソルジャーが盗みを働いていた、と。
「いえ、共犯にさせて頂きます」
 盗み出しておられたらしい、と気付きましたが、誰にも報告いたしません。
 犯人蔵匿は立派な罪です、これで私も有罪です。



 ワイン泥棒になったソルジャーと、それを匿ったキャプテンと。
 二人揃って犯罪者になってしまったけれども、誰も気付きやしないから。
 ワインが減ったのは天使の取り分、今年の天使がちょっぴり多めに飲んでしまっただけだから。
 ぼくもハーレイも捕まりはしないし、叱られることも絶対に無い。
 貴重なワインをグラスに二杯分も盗んだ大泥棒と、匿った悪人なんだけど。
「ハーレイ、今日から犯罪者だね」
「ええ。あなたも犯罪者になられたわけです、二人組のワイン泥棒ですよ」
 盗んだ犯人と、犯人を突き出さない私。
 おまけにこれから乾杯ですしね、あなたが盗み出した赤ワインで。
「うん。ハーレイが共犯者になってくれたお蔭で、泥棒扱いは免れそうだ」
「大切な恋人を泥棒にしたいような人間はいませんよ」
「そうかもね。お互い、一生、黙っていないと…。相手が犯罪者だったということ」
「もちろんです。航宙日誌にも書きませんとも」
 ハーレイが大真面目な顔で言い切った後で、可笑しくて笑い合ったぼくたち。
 ソルジャーとキャプテンがワインを盗んで飲んでいたことは誰も知らずに終わるだろう、って。



 ぼくが盗んだ天使の取り分、貴重な樽から盗み出して来た赤ワイン。
 二つのグラスに注いだけれども、ぼくはもちろん口を付けただけ。
 お酒を飲んだら酔っ払うから、ほんのちょっぴり舐めただけ。
 残りのワインはハーレイに渡して、ハーレイが二杯飲むことになった。
 本物のラムやブランデー、ウイスキーはとても無理だから、せめて本物の赤ワイン。天使が取り分を持ってゆくという、本物のお酒をハーレイに。
 「ハーレイにあげたかったんだ」って言ったら、ハーレイは大感激でキスをしてくれた。ぼくを抱き締めて何度も何度も、赤ワインの味がするキスを。
 その夜のキスも赤ワインの味が残ってた。
 ハーレイとベッドで愛し合う中、何度も交わしたキスに微かな赤ワインの味。
 もう残ってはいない筈なのに、赤ワインの味がしていたキス。
 それから毎年、記念日はそれ。
 こっそり、本物の赤ワイン。
 天使が飲んだと言い訳しながら、ぼくがこっそり盗んで乾杯。
 恋人同士になれて良かったと、いつまでも離れずに生きてゆこうと…。



(思い出しちゃった…!)
 記念日のことを忘れていた、ぼく。
 天使の取り分は覚えていたのに、天使じゃなくって自分が盗んでいたことを。
 これは天使が飲んだ分だ、って樽からワインを盗んでたことを。
(ハーレイと二人で乾杯して、キス…)
 毎年、赤ワインの味がしていたような気がするキス。記念日のキス。
 あのキスの味をもう一度確かめたいんだけれど…。
(コンポート…)
 ママが作ったコンポート。赤ワインの色に染まったリンゴ。
 あれを食べれば赤ワインの味が分かるけれども、今日のおやつはもう食べちゃった。ハーレイが来たらママはお菓子を出して来るんだし、今、コンポートを食べに行ったら…。
(ハーレイが来た時、ぼくの分のお菓子が無いんだよ!)
 晩御飯を残すに決まっているから、ママはお菓子を抜きにするんだ。それは寂しい。ハーレイと同じお菓子を食べたい。食べながらあれこれ話をしたい。
 そうしたいなら、諦めるしかないコンポート。
 赤ワインの味を確かめたくても、おかわりなんかは食べに行けやしない。
(…ハーレイが来たらデザートに出るかな?)
 ぼくに同じお菓子を続けて出すより、ママは別のを選びそう。晩御飯のデザートも別のお菓子になってしまうかもしれないけれども、出ないと決まったわけでもない。
(だって、ハーレイはコンポートを食べていないんだものね?)
 うん、そうかも。
 赤ワインの味、ハーレイも一緒の晩御飯の時に幸せ一杯でしっかり確かめられるかも…!



 そうだといいな、と考えていたら、仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから。
 ママが出したお菓子はリンゴのコンポートじゃなかったから。
 よし、とテーブルを挟んで向かい合いながら訊いてみた。
「ハーレイ、ぼくにリンゴのコンポート、作ってくれる?」
 赤ワインたっぷりで煮込んだリンゴ。アルコールをしっかり飛ばしたヤツ。
「今か?」
 俺の料理は持って来られないと何度も言ってる筈だがな?
 お母さんに恐縮されちまうから、そいつは駄目だと。
「ううん、今じゃなくって前のハーレイ」
 今日のおやつがそうだったから…。
 美味しかったから、これ、シャングリラでも作れたかな、って考えてたんだ。
 前のハーレイなら作れたかもね、って。青の間のキッチンでリンゴを煮込んで。
「お前が欲しいと言っていたらな」
 前のお前に頼まれたのなら、それくらいは作ってやっただろうな。
 大した手間はかからんわけだし、材料もたかが知れてるからな。
「赤ワインだけど…。合成じゃなくて本物だよ?」
 本物の赤ワインで煮たコンポートがいいな、その方が美味しいだろうしね。
「本物だと? お前、盗むつもりか?」
 あれは厳重に管理されてて、前のお前が管理責任者みたいなことになっていなかったか?
 年に一度しか飲めないワインだ、いくらお前でも菓子を作るために盗むというのは感心せんが。
「平気だってば、天使の取り分」
「おい、お前…!」
 天使の取り分だと言ったか、お前?
 だから減っても大丈夫だ、と?



 ロクでもないことを考えてるな、って睨んだハーレイ。
 赤ワインで煮込んだコンポートを食べて知恵がついたな、って眉間に皺を寄せてるハーレイ。
 ぼくは天使の取り分としか言ってないのに、この反応。
 やっぱりハーレイも思い出したんだ、って分かったから。
 記念日に二人で乾杯したことを、本物の赤ワインを飲んでいたことを、ハーレイも思い出したに違いないから、ぼくはニッコリ笑って言った。
「あのね…。今日の晩御飯のデザート、リンゴのコンポートの可能性が高いんだけど」
「なんだって?」
「おやつに食べた、って言ったでしょ? だから出るかも」
 今、テーブルの上に載ってないから、晩御飯の後で出て来るのかも…。
 ママが作ったコンポート。赤ワインの色で綺麗なんだよ、それにとっても美味しかったよ。
 もしも出て来たら味わって食べてね、前のぼくたちの思い出の赤ワインの味がするんだから。
「そいつは勘弁願いたいが…」
 このタイミングでか、って呻いたハーレイ。
 もう絶対に思い出したに決まってる。記念日の乾杯も、記念日のキスも。
 赤ワインの味がしていたあのキスのことを、ハーレイも思い出したんだ…!

 ぼくは嬉しくなってしまって、空に舞い上がりそうだった。
 ハーレイとのキス、記念日のキス。
 それに記念日には乾杯していた。本物の赤ワインを盗んでコッソリ、毎年、二人で。
 天使の取り分って言い訳しながら、大泥棒のぼくと泥棒を匿ったハーレイがキスを交わしてた。
 他のみんなは年に一度しか飲めないワイン。
 前のぼくがキッチリ管理していて、年に一回、新年だけしか飲めなかった貴重な赤ワイン。
 好きに飲んでも叱られないのはシャングリラに住んでた天使だけ。
 お酒が好きだった天使だけ。
 そのお酒好きの天使のせいにして、ぼくとハーレイとが乾杯してた。
 本物の恋人同士になった記念日が巡ってくる度、盗み出したワインで二人きりで。
 ハーレイも思い出してくれたからには今日は最高、きっと素敵な夕食になる。
 デザートにリンゴのコンポートが出たら、二人で視線を交わし合って。
 でも…。



(すっかり忘れて食べちゃったよ…!)
 夕食の後で、ハーレイと二人でお茶まで飲んで。
 「またな」ってハーレイが手を振って帰って行った後で、歯噛みしたぼく。
 食べちゃった、リンゴのコンポート。
 ママがデザートに用意してくれた、赤ワインで煮込んだ美味しいリンゴ。
 赤ワインのことなんか見事に忘れて、無邪気にパクパク食べちゃった、ぼく。
 ホイップクリームをたっぷりとつけて、夢中で頬張っちゃったけど…。
 ハーレイは覚えていたんだろうか?
 前のぼくとの記念日の話、ハーレイはしっかり思い出しながら味わって食べていたんだろうか?
(…ハーレイがぼくを見てたかどうかも覚えてないよ…)
 パパとママも交えた夕食の間、ハーレイはいつも笑顔だから。
 それを見ているだけで幸せ、コンポートの意味も天使の取り分も頭の中には全く無かった。
 赤ワインの味すら噛み締め損ねた、大馬鹿なぼく。
 次のチャンスには思い出せるんだろうか、赤ワインの味が何だったのか。
 ハーレイとの記念日のキスの味だったんだ、って。これで乾杯してたんだよね、って。
 シャングリラに住んでた、お酒好きな天使。
 赤ワインに会ったら思い出したい。天使の取り分と、記念日のキスを…。




          天使の取り分・了

※ワインを醸造する間に、持ってゆく天使。いわゆる「天使の取り分」ですけれど…。
 それにかこつけて、「本物のワイン」で乾杯していたハーレイとブルー。幸せな犯罪者たち。
 
 







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