シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あれ?)
朝顔…、と覗き込んだ、ぼく。
学校の帰り、バス停から歩いて帰る途中の家。その家の庭に朝顔の花。
もう秋なのに、朝顔は夏の花なのに。
だけど一杯、咲いてる朝顔。赤紫って言えばいいのかな、ちょっぴり赤の混じった紫。濃いめの紫の花がいっぱい。
(秋なんだけど…)
今は秋だし、朝顔の季節じゃないと思うんだけれど。
前の学校に入ったばかりの年に朝顔を育ててた。幼稚園から上がって、直ぐに。
学校で配られた朝顔の種。小さなプランターだって、一人に一つずつついてきた。プランターに自分の名前を書いて、土を入れて貰って、朝顔の種をそうっと植えて。
毎朝、学校で水やりをして、ワクワクしながら育てた朝顔。夏休みに家に持って帰った。学校で書いてた観察日記の続きも書いたし、秋になったら種を集めて学校に持って行ったっけ…。
(先生が丈夫な種を選んで、次の年の子に配るんだよ)
ぼくの朝顔の種も、きっと一年上の先輩が育てた朝顔の種だったんだ。その先輩も一年上の人が育てた種を貰って育てた筈だと思うから。
(ぼくの朝顔、今も前の学校にあると思うな)
何代も後の子孫の朝顔。今の季節だと種が出来てて、来年の新入生が育てる種が生まれるんだ。
そう、朝顔が種を作る季節が秋なんだけれど。
(なんでこの花、今、咲いてるの?)
元気な朝顔は今でも咲いているんだろうけど、元気すぎ。
庭に広がった蔓に沢山、あっちもこっちも紫の花。ちょっぴり赤みを帯びた紫。
(それに、夏には気付かなかったよ?)
夏休みの間は滅多に通りはしなかったけれど、夏休みは八月までだから。九月の初めはまだ夏の内で、暑さの中を歩いてた。今日も暑いな、って日陰を選んで、あちこちの庭を覗きながら。
だけど、この家の朝顔は知らない。夏の間には見かけなかった。
(他の家には朝顔、幾つもあったんだけどな…)
見落としたってこともないだろう。こんなに大きく広がっているし、咲いてれば気付く。
いつから花をつけているかは知らないけれども、絶対、夏からじゃないと思うんだ。元気すぎる花は今が盛りといった感じで、夏じゅう咲いてた朝顔だったら、もっと疲れている筈だから。
(変な朝顔…)
どうして今頃、生き生きと咲いているんだろう?
おまけに時間もとっくに午後だし、朝顔の時間は終わってる。
(秋の朝顔、昼間でも咲いていたりはするけど…)
時間の感覚が狂うんだろうか、うっかり萎み忘れた朝顔。秋にはそういう花も出るけど、全部の花が時間を忘れて咲きっぱなしというのもおかしい。
(花も全然、疲れてないしね?)
朝から咲いててくたびれました、って印象がまるで無い朝顔。みずみずしさを保った朝顔。
咲いてる季節も時間も謎だ、と不思議に思って眺めていたら。
「おや、お客さんとは嬉しいね」
家の中から、庭に出て来たご主人。会ったらいつも挨拶しているご近所さん。
「綺麗に咲いているだろう?」って朝顔の花を指差したから、謎が解けるチャンス。変な季節に咲いてる朝顔、午後になっても咲いてる朝顔。
正体を教えて貰わなくっちゃ、と垣根越しに顔を突っ込んだ。
「えーっと、この花…」
なんていう花?
とっても綺麗な紫だけれど、どういう名前?
「キース・アニアンだよ」
「えっ?」
とんでもない名前を聞かされた、ぼく。
花の名前を訊いたつもりが、そうじゃない名前を聞いてしまった。嫌と言うほど聞き覚えのあるキースの名前。前のぼくを撃った男の名前。
ご主人はニコニコしているけれども、この花の名前、キースだったわけ…?
「…キース…?」
ポカンと口を開けちゃったぼくに、ご主人は「そうだよ」と笑顔で応えて。
「キース・アニアンって言うんだけどねえ…。ああ、この花を知らないのかな?」
花の名前を訊いたんじゃなくて、どういう植物か訊いたのかい?
「朝顔でしょ?」
ちょっぴり季節が変だけれども、秋に咲くから秋朝顔?
こんな時間にも咲いているけど、これって朝顔なんだよね?
「うーん…。朝顔みたいに見えるんだけどね、実は昼顔の一種なんだよ」
だから昼間も咲いているんだ、って教えて貰った。
ずうっとずうっと昔、この地域が日本って島国だった頃は西洋朝顔って呼ばれてたらしい。その頃には青い花を咲かせる品種が有名だった、って。
ヘブンリー・ブルーとか、オーシャン・ブルー。ラッキー・ブルーに、クリスタル・ブルー。
今でも青が、ブルーの花が多い、と言うから。
「ソルジャー・ブルーっていうのもあるの?」
「さあ…? ソルジャー・ブルーねえ、どうなのかな?」
何を植えようか、と店に行った時に苗がズラリと並んでいてね。この花は種では増えないんだ。挿し木と株分けで増やすそうだよ。
面白いな、と植えることに決めて、花の写真を見ながら選んで…。
これにしよう、と気に入った花がキースだっただけで、他の品種は覚えてないねえ…。
キースって聞いてビックリしたけど、ファンでも何でもないんだって。
たまたま選んだ花がキースだっただけで、本物のキースは関係ないって。
ほら、って根っこの辺りの地面から抜いて持って来てくれた札に、花の写真とキースの名前と。
「ホントだ、キース・アニアンなんだ…」
「この花は朝顔と違って、一度植えたら何年も咲いてくれるんだよ」
冬になったら枯れるらしいけど、春に勝手に芽吹くんだ。
枯れたように見えても蘇ってくる花でしぶといからねえ、キースなのかもしれないね。この花に名前を付けた人がどうしてキースと名付けたかまでは知らないけどね。
しぶとい上に繁殖力も強いそうだよ、放っておいたらお隣さんまで行ってしまうほどに。
そういう強さもキース・アニアンなのかもねえ…。
花の性質から名付けてるんなら、ソルジャー・ブルーというのは無いかもしれないよ。しぶといイメージの人じゃないから、キースはあってもソルジャー・ブルーは無いんじゃないかな。
ソルジャー・ブルーは無いかもしれない、と言われて納得しちゃった、ぼく。
しぶとさだったら、断然、キースの方が上。
普通の人なら死んでるよ、っていう局面を幾つも乗り越え、国家主席にまで昇り詰めたキース。どう考えても、傍目にはキースの方がしぶとい。
前のぼくだって実は大概、しぶといんだけど。
寿命が尽きそうだからジョミーを選んで後を託すと宣言したくせに、そこで死なずにナスカまで行って、挙句の果てにメギドを沈めたくらいなんだし…。
だけど世間じゃそうは見なくて、ぼくは地球を見られずに死んでしまった悲劇の英雄。しぶといなんて言ってくれずに、儚く消えたというイメージ。
だからブルーって名前が多い花にもソルジャー・ブルーの代わりにキース。
青い花じゃなくて紫だけど。赤の混じった紫のキース。
今年は秋から咲き始めたけど、来年からは夏にも咲くって。一年目だけが秋からの花で、二年目以降は朝顔よりも早いくらいの六月から咲いて、そのまま秋まで。冬が来るまで咲くという花。
確かにキースだ、とってもしぶとい。
一年で終わる朝顔どころか、何年も生きて花を沢山咲かせるだなんて。
(強すぎなんだよ、キース・アニアン…)
家に帰って、おやつを食べながら思い出し笑い。
うんと逞しくてしぶとい花に名前が付くほど、生命力に溢れたキース・アニアン。地球の男。
ぼくがクスッと零した笑いに、通り掛かったママが気付いたみたいで。
「どうしたの?」
何か楽しいことでもあったの、学校で?
「キース・アニアンだよ」
「なあに?」
キースってなあに、今日はそういう授業だったの?
「ううん、あそこの…バス停の近くの家の朝顔。…昼顔?」
名前を教えて貰ったんだよ、キース・アニアンっていうんだよ、って。
「あの花、そんな名前だったの?」
「うん。ビックリしちゃった、キースだなんて」
「よく怒らずに帰って来たわねえ…」
いきなりキースだなんて言われちゃったら、ブルーはカチンと来るでしょうに。
花の名前でもキースはキースよ、ソルジャー・ブルーの敵だったのよ?
「ぼく、キースのことは別に嫌いじゃないよ、っていつも言ってる」
「そうだけど…」
ブルーはいつでも、そう言うけれど。
撃たれちゃったのよ、あんなに酷い傷を幾つも幾つも…。それに右目まで。
あんまりだわ、って悲しそうなママ。
キースがソルジャー・ブルーを撃ったって話、ただの仮説で今でも根拠は無いんだけれど。
ママはぼくの身体に現れた聖痕を見ているから。知っているから、言うのは分かる。
酷い男だと、前のぼくに酷いことをした悪い奴だ、と思うのも分かる。
でも…。
ぼくはキースを嫌ってはいない。
あの時のキースは自分の役目を果たしただけ。マザー・システムに忠実だっただけ。
自分の生まれを知った後のキースはすっかり変わって、SD体制をも壊してしまった。ミュウの存在を認めるメッセージをスウェナ・ダールトンに託して死んだ。
前のぼくを撃った時の、キースの強さ。揺るぎない意志。
向けられる方向が逆になったら、彼の強さと正義感とはミュウの方へと味方した。異端と断じた筈のミュウへと、かつて自らが滅ぼそうとしたミュウの方へと。
もしもキースの存在が無ければ、あれほどに早くSD体制を倒せたかどうかは分からない。
キースだったから全てを変えることが出来たとぼくは思うし、だからキースは嫌いじゃない。
彼に会えたなら、きっと今なら友達になれると思うから。
だけどママは、ぼくのママだから。
聖痕で血まみれになったぼくを見たから、心配になるっていうのも分かる。
キースなんて名前、ぼくは聞きたくもないんじゃないか、って。
ママの心配、取り越し苦労で、ぼくは全く平気で、元気。心配ないよ、って言わなくちゃ。
「えっと…。ぼく、本当にキース、嫌いじゃないから」
強がりで言っているんじゃなくって、ホントだよ。ホントのホントに嫌いじゃないよ。
「なら、いいけれど…」
それならママも安心だけれど。
あの朝顔がキースだったなんて、どうしようかと思ったわ。
見る度にブルーが腹を立ててたら、身体にも良くはないでしょう?
腹が立つのにグッと我慢して、咲いているのを見ているなんて。
「ぼくがホントに腹が立つなら、我慢して見てないで丸坊主にするよ」
垣根を越えて庭に入って丸坊主にしちゃうよ、あの朝顔のキース・アニアン。
「丸坊主って…。叱られるわよ?」
「そうだろうけど、子供の悪戯!」
名前に腹が立ちました、なんて言わないよ。毟りたいから毟っただけだよ、悪戯なんだよ。
叱られたら急いで逃げて帰って、後から謝りに行くんだよ。ごめんなさい、って。
「あらまあ…。ママも一緒に謝りに行くのね?」
「うんっ!」
ぼくだけで行くより、ママと一緒の方がいいよね。
反省してます、ママにもうんと叱られたんです、って言ったら許して貰えそうだし。
「はいはい、ブルーがやっちゃった時はママも謝ってあげるわよ」
だから本当は腹が立つなら、やってもいいわよ、丸坊主。
あれはキースなんだから仕方がないわ、ってパパにはママから言ってあげるから。
どうしたわけだか、朝顔のキースを丸坊主にしちゃってもいいというお許しが出た。
(なんだか凄い…)
おやつの後で部屋に帰って、その光景を想像してみた。勉強机の前に座って。
(あれを丸坊主にするなんて…)
しぶとい朝顔のキース・アニアン。来年も咲く予定のキース・アニアン。
それを根っこから引っこ抜くとか、蔓を全部毟ってしまうとか。生垣を越えて侵入して。
そんな悪戯、やったことがないぼくだから。
丸坊主もいいかも、って思っちゃう。
如何にも悪戯っ子のやること、大事な朝顔を丸坊主。端から毟って丸坊主。
(やらないけどね)
ママもパパも許してくれるだろうけど、ご近所さんだって謝れば許してくれるだろうけど。
毟られちゃった花が可哀相だし、引っこ抜かれたら流石のキースも枯れちゃうし…。
だけどちょっぴりワクワクする。
ご近所さんの庭で悪戯しようと大暴れしている、ぼくの姿を思い浮かべたら。
朝顔のキースと大格闘する、悪戯っ子なぼくを想像したら。
せっせと朝顔退治をする、ぼく。
朝顔になったキース・アニアンを倒すぼく。
愉快だよね、って考えていたら、チャイムの音。門扉の脇のチャイムが鳴る音。窓から見たら、やっぱりハーレイ。ぼくに向かって手を振るハーレイ。
そのハーレイが部屋に来たって、ぼくは朝顔を丸坊主にする悪戯が頭から抜けなくて。
「どうした、えらく楽しそうだな?」
俺が来たから、っていうのとは少し違うようだが、いいこと、あったか?
「ちょっとね、悪戯」
ママのお許しが出たんだよ。派手に悪戯してもいい、って。
「おいおい、なんだか穏やかじゃないな」
何をしようと言うんだ、お前。それにお許しって、何をやらかすんだ?
鳶色の瞳が丸くなったから、ぼくは得意で披露した。
ご近所さんの朝顔を毟ってもいいとお許しが出たと、丸坊主にしてもいいんだと。
「ぼくがやっちゃったら、ママも一緒に謝りに行ってくれるんだよ」
「朝顔を丸坊主にするってか?」
「昼顔だけどね、ホントは朝顔じゃなくて」
そっくりに見えるけど、ホントは昼顔。秋にも咲いてる朝顔なんだよ。
「何処のだ?」
「ハーレイが見たかどうかは知らないけれど…。バス停からウチの方に少し入ったトコだよ」
ぼくは今日、気付いたんだけど…。紫の花が沢山咲いていたよ、帰ってくる時も。
「そういや、派手に咲いてたな。あそこで車を寄せていたんだ、向こうから一台来たもんでな」
やたら元気な朝顔だな、と思ってたんだが、昼顔だったか。
それなら咲いてて当たり前だな、おまけに秋にも咲く花だってか。
「あの花の名前、キースらしいよ?」
「なんだって!?」
「キース・アニアンっていう名前だったよ、ちゃんと札も見せて貰ったよ」
でも、ご近所さん、キースのファンだから植えたわけではないんだって。
これにしよう、って選んだ品種がキースだっただけで、ただの偶然。
だけどビックリ、ご近所さんがキースを植えちゃうだなんて。
「なるほどなあ…。朝顔のキースが植わっちまったから、丸坊主なのか」
どおりでお許しが出されるわけだな、丸坊主にしたいならやってしまえと。
「ママにね、腹が立たないのかって訊かれたんだよ」
あんな所にキースの名前の花が咲いてるのを見ても大丈夫なの、って。
「そりゃあ訊くだろう、キースだけにな」
お前、平気なのか?
丸坊主だなんて言っちゃいるがだ、丸坊主にしに行くつもりなのか?
「やらないよ。悪戯はちょっぴり魅力的だけど、キースは嫌いじゃないからね」
それに朝顔、可哀相でしょ?
せっかく綺麗に咲いているのに、丸坊主なんかにされちゃったら。
咲かせておいてあげないと、って言ったぼく。
だけどハーレイの眉間に皺。いつもより深めの皺が寄ってる。
「お前はよくても、俺の方が腹が立って来たんだが…」
「ハーレイが?」
なんでハーレイが腹が立つわけ、あの朝顔で?
「朝顔じゃなくて、そいつの名前だ。キースって名だ」
俺はキースに貸しが山ほどあるからな。
あいつが前のお前に何をやったか、知らなかったばかりに殴り損ねた。殴るどころか、ウッカリ挨拶しちまったってな、地球であいつに会った時にな。
そうしてそのまま逃げられちまった、死んで何処かへ逃げやがった。
一発殴ってやりたいもんだが、朝顔に化けて堂々と咲いてやがるとなったら腹が立つ。キースが朝顔に生まれ変わったわけじゃないだろうが、キースの名だけで腹立たしいぞ。
「丸坊主にする?」
あそこのキースを、ぼくの代わりに丸坊主にしちゃう?
「いや、やらん。やりたい気持ちは山々なんだが…」
お前の家に迷惑がかかりそうだしな。
俺がお前の家にしょっちゅう通っているのは知られてるんだし、あの家だって顔馴染みだ。
あの朝顔を丸坊主にしたなら、まずはお前の家に苦情だ、間違いない。次に学校といった所か。
キースめ、よくもあんな所にはびこりやがって…!
「まだまだはびこると思うよ、キース」
今年はどうだか分からないけど、繁殖力が凄いんだって。お隣さんまで伸びて行くほど育つって聞いたし、もっと大きく育つ筈だよ。
「ほほう…。なら、垣根まで出て来るのか?」
今は庭の中だけで咲いてるようだが、いずれ垣根まで来るのか、あれは?
「今年は無理でも来年あたりは来るんじゃないかな」
ご近所さんが蔓を切らなかったら、垣根でも沢山花が咲きそう。
「そうか、そいつは目出度いな」
うんうん、垣根まで伸びて来るんだな、奴は。
「ハーレイ、なんだか嬉しそうだよ?」
「キースだと聞いてしまったからな」
この際、八つ当たりだと言われたとしても。
逃げやがったキースに仕返しするチャンスが俺の前に転がって来たってな。
「毟るつもり?」
丸坊主にはしないって言っていたくせに、気が変わったの?
「それはやらんさ、お前の家にも学校にも迷惑はかけられないし…。だから待つわけだ」
キースの野郎が俺の前まで出て来るのをな。
「垣根まで伸びて来ちゃった時?」
「そうだ」
奴が垣根から首を出したら、年貢の納め時ってな。
朝顔の花を一つ毟って引き裂きながら歩いてくる、って言ったハーレイ。
キースの名前がついた朝顔の花を毟ると宣言したハーレイ。
「引き裂くって…」
朝顔の花をビリビリと裂くの、潰しちゃうの?
「うむ。八つ裂きの刑というヤツだ」
そうしてポイと捨ててくるのさ、何処かの家で肥やしになるよう生垣にでも捨てるとするか。
本当を言えば、お前の目の前で処刑してやりたいくらいだが?
しかし本物のキースじゃないしな、花には罪は無いからなあ…。キースの名前がついてるだけの朝顔なんだし、俺がコッソリ処刑しておく。
「そこまで嫌い?」
キースの名前の朝顔の花を引き裂いちゃうほど、キースが嫌い?
「好きにはなれんな、いくらお前が許しててもな」
あいつがお前に何をしたのか、今の俺はよくよく知ってるからな。
あの野郎、俺たちが何も知らないと思って謝りさえもしなかったんだ。前のお前を撃ったということ。謝るどころか、おくびにも出さずに涼しい顔をしていやがった。
そういう野郎だ、キースってヤツは。俺は一生、水に流してはやらないからな!
よくも俺のブルーを撃ちやがって…、ってハーレイがブツブツ怒ってる。
だけどキースはもういないから、朝顔のキースを処刑する、って。
垣根まで蔓が伸びて来たなら、一輪、毟って八つ裂きの刑にしてやるんだ、って。
前のぼくの仇、って怒る気持ちは分かるけど。
キースを好きになれないっていうのも、分からないではないけれど。
(朝顔のキースを八つ裂きだなんて…)
そうしたいほどに、前のぼくのことを大事に思ってくれてるハーレイ。
キースを憎まずにはいられないハーレイ。
前のぼくを想ってくれていることは嬉しいけれども、朝顔に罪は無いんだけどな…。
たまたま、名前がキースなだけで。
キース・アニアンって名前を付けられただけで、朝顔は何もしていないのにね…。
ハーレイに命を狙われているとも知らない、朝顔のキース。
垣根まで蔓を伸ばして咲いたら、花を一輪、毟られて八つ裂きにされちゃうキース。
(ぼくでも丸坊主にしないのに…)
八つ裂きだなんて、って思っちゃうから。
次の日、学校の行き帰りに見て、夕方にまた見に行ってみた。
そろそろハーレイが来そうな時間なんだよね、って出迎えがてら。
(少し待ってハーレイが来ないようなら、今日は駄目な日…)
ハーレイの仕事が早く終わってくれなかった日。ぼくの家には寄れない日。
そういう日だって多いんだから、朝顔を見に行って戻るだけ。ほんのちょっぴり、夕方の散歩。
外の風は少し冷たいけれども、風邪を引くってほどでもないから。
のんびり歩いて朝顔の咲いてる家の所まで行ったんだけれど。
(まだ咲いてるよ…)
昨日、ハーレイが見たって言ってたし、そうじゃないかとは思ったんだけど。
薄暗くなって来てるのに咲いてる、朝顔のキース。
元気いっぱい、萎みもしないで夕方の風に揺れてるキース。
(ホントにしぶとい…)
流石はキース、って感心するしかない咲きっぷり。
朝顔そっくりの花のくせして、秋まで咲いて。その上、朝から夕方になるまで萎まない花。
(うーん…)
名は体を表す、って言葉はこういう時に使うんだろうか?
キース・アニアン、秋に咲く朝顔。うんとしぶとい、秋の朝顔…。
花を見たらすぐに戻るつもりが、ついつい立ち止まって覗き込んでいたら。
クラクションが鳴って、車が停まった。ぼくの後ろで。
「おい、ブルー?」
窓が開いて、ハーレイの顔が覗いた。薄暗くても分かる、前のハーレイのマントの色をした車の窓から。
「ハーレイ?」
「何してるんだ、こんな所で」
もう夕方だぞ、散歩ってわけでもなさそうだがな?
「お迎え…。ハーレイが来そうな時間だな、って思ったから」
「ほう…。そいつは実に嬉しいな、と言いたいトコだが、アレを見に来たな?」
其処の朝顔。今日も元気に咲いてやがるが、お前、キースを見に来たんだろう?
「うん…」
「やはり毟る!」
「ええっ!?」
「お前がキースを気にするとなれば、俺はますます腹が立つしな」
たとえ朝顔のキースだろうが、キースはキースだ。俺にとってはキース・アニアンだ。
早く垣根までやって来い、ってファイティングポーズを取ってるハーレイ。
運転席から朝顔のキースを睨んで闘志満々の、スーツを纏ったキャプテン・ハーレイ。
そう、ハーレイはキャプテン・ハーレイの貌になっていた。
だけど「いつか倒してみせるからな」って、ぼくに片目を瞑った時にはいつものハーレイ。
ちょっとおどけた、笑顔のハーレイ。
朝顔のキースが垣根まで来たら、八つ裂きにするって言ったハーレイ。
垣根に向かってファイティングポーズまで取っていたけど、何処まで本気なんだろう?
キースが好きだか、嫌いなんだか…。
朝顔のキースでも倒したいほど、今でもホントに嫌いっぽいけど…。
(キース、悪者じゃないんだけどね?)
朝顔のキースも、本物のキースも。
だってホントに悪者だったら、ぼくはキースの心配なんかしない。
こんな夕方に朝顔のキースの様子なんかは見に来ない。
本物のキースを悪者だなんて思ってないから、こうして朝顔を見に来たりする。
ママが「丸坊主にしてもいいわよ」と言った朝顔のキースを、ハーレイが八つ裂きの刑にすると言ってた朝顔のキースを。
「こら、ブルー。いつまでボケッと朝顔を見てる」
俺の方が先に行っちまうぞ、ってハーレイの車が動き出したから。
「待ってよ、ハーレイ!」
家まで乗せてってくれないの?
ぼく、お迎えに来てあげたのに。此処で今まで待っていたのに…!
「知らんな、お前が勝手に散歩に出て来て、偶然出会っただけってヤツだろ」
家は近いんだから歩け、歩け。お前、学校だってバス通学でロクに歩いちゃいないだろうが。
お前のペースで走ってやる、ってノロノロ運転で走り始めたハーレイの車。
本当は隣に並んで歩きたいけれど、「危ないぞ」ってハーレイに窓から叱られたから。
車の後ろを歩くことにして、ぼくにしては速足、急ぎの散歩。
「置いて行ったら怒るからね!」って車に向かって文句を言いながら。
バックミラーで見て笑ってるらしい、ハーレイの声が窓から漏れるのを聞きながら。
そうやって車の後ろを追い掛ける途中、肩越しに後ろを振り返った。
朝顔のキースが咲いている家。
薄暗い中で、少し冷たい夕方の風に紫の朝顔が揺れている家。
何も知らない朝顔のキース。秋だというのに元気一杯、しぶとい朝顔のキース・アニアン。
冬になったら枯れるらしいけど、来年も芽吹いてぐんぐん蔓を伸ばすというから。
垣根の所まで伸びて来たなら、ハーレイが一輪、毟って八つ裂きにすると言うから。
ぼくは朝顔のキースにこっそり、心の中で声を掛けてやった。
(殺されちゃうから、垣根まで出て来ちゃ駄目だからね?)
それから何食わぬ顔してハーレイの車についていく。濃い緑色の車の後ろに。
ぼくが朝顔のキースを庇ったと知ったら、ハーレイは嫉妬で全部刈り込んじゃうかもしれない。
花を一輪毟るどころか、蔓ごと、丸ごと。
「お邪魔します」って庭にズカズカ踏み込んで行って、朝顔退治。
「これには事情がありまして」なんて言い訳しながら、綺麗サッパリ、根こそぎ、全部。
朝顔のキースは丸坊主になって、あの家の人はポカンと見ているだけだろうけど。
あんまりハーレイが堂々としてて、怒るどころじゃないんだろうけど。
(ハーレイ、「すみませんでした」って頭を下げて、お菓子を渡して帰るんだよ)
お詫びのお菓子まで用意しておいて、朝顔のキースを丸坊主。
根っこから抜いて、二度と生えてこないように退治する。
そんなハーレイの姿も、きっと嬉しい。
嫉妬で朝顔のキース退治も、ぼくは嬉しくなるんだろう。
大人げないけど、八つ当たりな上に嫉妬まで入っているんだけれど。
ハーレイがぼくをどれほど大切に思ってくれてるか、朝顔が消えたら分かるから。
朝顔のキースが丸坊主にされて消えてしまったら、キースの影だって消えるんだから。
ハーレイとぼくと、手を繋いで二人で歩く未来にキースは要らない。
お互いがいればそれで充分、キースなんかは朝顔の花でも出て来なくっていいんだから…。
秋の朝顔・了
※秋に咲く朝顔の名前が「キース・アニアン」。きっと人気の品種なんだと思います。
けれど、ハーレイにとっては憎らしい花。いつかは愛でられる日が来るんでしょうけどね。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv