シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
学校から帰って、おやつを食べて。それから広げてみた新聞。ニュースも色々載っているけど、その他にも。
(お鍋…)
カラーで刷られたお鍋の特集。でも、お料理の記事でもレシピでもなくて、旅行の広告。紅葉を見に行く旅がズラリと並んでる横に季節を先取り、冬の旅行も受け付け中。
冬って季節を実感するには早いからだろうか、多分、食べ物で目を引こうってことなんだろう。お鍋を食べに出掛けませんか、っていう旅の広告、お鍋の特集。
(…お鍋だけってことはないよね?)
ぼくは身体が丈夫じゃないから、こういうツアーは経験が無い。申し込んでから体調を崩したらキャンセルとかが面倒だから、旅行する時はパパとママとが計画を立てて連れてってくれた。
うんと小さい頃からそうだし、旅行の広告とかを見たって行きたいと思ったことが無いけれど。
ちょっぴり惹かれる、お鍋の写真。
(どんな旅なの?)
コースの説明を読んでみた。お鍋はどうやら夜の食事で、昼の間は好みの所へ観光へ。あちこち出掛けて宿に着いたら、お鍋の夕食が待ってる仕組み。
行き先が何処かでお鍋も変わる。食べたいお鍋を選んで、旅行。
(いろんなお鍋があるみたい…)
名物のお鍋が沢山あるけど、多いのはカニとか牡丹鍋。カニなら海辺で、牡丹鍋なら山の方。
(んーと…)
前世の記憶を取り戻してから、旅行ってヤツに行ってない。
本当だったら夏休みの間に行く予定だった、宇宙から地球を眺める旅にも行きそびれちゃった。パパが約束してくれてたのに、思い出しさえしなかった、ぼく。行きたいと言わなかった、ぼく。
ハーレイと会うことに夢中になってて、夏休みだってそれで頭が一杯で。
夏休みになったら平日でもハーレイが家に来てくれる、って舞い上がってしまって、宇宙旅行は綺麗に忘れた。お蔭でぼくは未だに地球を見たことが無い。宇宙に浮かんだ青い真珠を。
(青い地球もいいけど、海も山もいいよね)
冬だと海は青くないかもしれないけれど。雪が舞ってて灰色なのかもしれないけれども、地球の海。青い水の星を覆った海。これは是非とも見てみたい。
山だって、そう。冬の寒さで山の木は枯れて、雪がしんしん降り積もるだけの景色だとしても、地球の山。前のぼくが辿り着けずに終わった地球の大地に聳えてる山。
前のハーレイたちが地球に着いた時は、地球は死の星だったんだけれど。
つまりは前のぼくが生きて地球まで行っても、青い海も緑の山も何処にも無かったんだけど。
それが今ではちゃんとあるんだし、ぼくはその地球の上に生まれたんだし…。
(海とか山もしっかり見たいよ)
ぼくの中に居る、前のぼくと一緒に。
おんなじ一人の人間のくせに、一緒って言ったらおかしいかな?
だけど今のぼくにとっては当たり前のことに、ぼくは時々、驚いてるから。
「前のぼくはこんなの知らなかった」ってビックリするから、前のぼくと今のぼくは二人で一人だと思うんだ。一人だけれども、二人分の記憶、二人分の心。
(二人分って、得した気分だよね)
それに何より、前のぼくが居たからハーレイに会えた。
誰よりも好きで、好きでたまらないハーレイと地球で巡り会えた。
これが一番、素敵なこと。
あの五月の日に起こった奇跡で、ぼくの聖痕が起こした奇跡。
ぼくは今度こそ、ハーレイと二人で生きて行くんだ。結婚して同じ家で暮らして。
(いつかハーレイと、こういう旅行に行きたいなあ…)
宇宙から青い地球を見に行く旅行は、ハーレイが「行こう」と約束してくれた。地球をゆっくり見るだけの旅に、青い地球を見るためだけの旅行に。
そっちはとっくに約束したから、海や山の旅。この広告に載ってるみたいな旅もしてみたい。
ハーレイと二人、旅先でのんびり景色を眺めて、観光をして。
宿に着いたら、お鍋の夕食。海ならカニ鍋、山の方なら牡丹鍋。
(牡丹鍋はイノシシなんだよね?)
今のぼくも牡丹鍋は食べたことが無いけど、前のぼくたちはそれどころじゃない。
カニすらも食べたことが無かった、前のぼく。
カニもイノシシも、前のぼくたちは食べてないから。一回も口にしていないから…。
(ハーレイと食べに行くのもいいよね、いろんなお鍋を)
牡丹鍋とカニ鍋の他にもお鍋は色々、行き先だって選び放題。
いつかハーレイと結婚したなら、二人で旅行で、二人でお鍋を食べに行くんだ。
(好き嫌いを探しに出掛けよう、って約束もしたし…)
ぼくもハーレイも、好き嫌いってヤツが全く無いから。
前のぼくたちが食べ物で苦労していたせいなのか、何でも食べられるみたいだから。
それでは人生つまらないぞ、ってハーレイが言い出したんだった。「俺たちでも食えないような何かを探しに行こうじゃないか」って。
そういう食べ物が見付からないなら、「また食べたい」って思う何かを見付けに旅をしようと。
(いろんなお鍋を食べに行くなら…)
好き嫌い探しの旅の一環ってコトになるのかな?
それとも単なる旅行なのかな、地球の景色を見に行ったついでにお鍋なのかな?
どっちだとしても素敵だよね、って思ったんだけど。
(まだまだ先の話だったよ…)
フウと溜息をついた、ぼく。
広告のツアーに年齢制限なんかは無くって、赤ちゃんから大人まで誰でも行ける。申し込みさえすれば誰でも、好きな日にちに行きたい旅行に行けるというのに…。
(ぼくはチビだし…)
パパとママに連れて行って貰うんだったら、今年の冬だって行けるけれども。
ぼくが一緒に行きたいハーレイと二人で申し込むには、年も背丈もまるで足りない。
(ハーレイとキスも出来ないチビだと、旅行なんかは…)
絶対に無理に決まってる。外で食事をしたいと言っても断られちゃった、ぼくだから。
ハーレイと再会した五月の三日から、ちっとも伸びてくれない背丈。
百五十センチで止まったままで、一ミリも伸びない、チビのままのぼく。
これが順調に伸び始めたとしても、ハーレイがキスを許してくれると言った背丈は遠すぎる。
前のぼくの背丈と同じの百七十センチ、そこまで伸びないとキスは出来ない。たった一年で二十センチも伸びるわけがないし、あと何年かはかかっちゃう。
(ハーレイとお鍋はまだまだ先…)
ホントに何年先なんだか、って情けなくなった、ぼくだったけれど。
溜息混じりに夢のお鍋の広告が載った新聞を閉じて、部屋に戻って。
勉強机の前に座ってから、ハタと気付いた。
(お鍋…?)
冬になったら、お鍋の季節。
お鍋が売り物の旅の広告が載ってるくらいに、冬と言ったらお鍋の季節。
寒い季節は身体が芯から温まるお鍋。雪が降ってる夜もホカホカ、湯気を立ててる温かいお鍋。
ぼくの家でも冬はお鍋の日が多いから。
ママがあれこれ食材を買って、お出汁やスープを工夫したお鍋が色々、沢山。
ハーレイが仕事帰りに寄ってくれた日も、きっとお鍋があるんだろう。味噌仕立てだとか、醤油仕立てだとか。お肉や魚や、野菜を入れて。
(ハーレイが来るって分かっている日は豪華なんだよ)
カニ鍋とまで行くかどうかは分からないけど、普段のお鍋よりも豪華な具材。
ハーレイはとうにお客様じゃなくて家族みたいな存在だけれど、パパとママは歓迎してるから。ちょっぴり特別、お客様向け。
予告無しにハーレイがやって来た日も、冬ならお鍋。
パパもママも一緒の食卓だけれど、お鍋の種類は選べないけど、ハーレイとお鍋。
(ハーレイと同じお鍋から食べられるんだよ…!)
テーブルの真ん中、ぐつぐつ煮えてるお鍋を囲んで、みんなで夕食。お鍋は一つ。
大きなお鍋がテーブルに一つ、そこから自分が食べる分だけ器に取って。
(大皿料理より凄くない?)
盛り付けてあるのを取り分けるんじゃなくて、お鍋で煮えているんだから。
お料理している真っ最中、って感じのトコから取って、掬って。
お皿に盛られた料理だったら、次に取る人が「やだな」って気持ちにならないように、行儀よく綺麗に取って行かなきゃいけないけれども、お鍋は別。
気軽に掬えて、お鍋って器をみんなで共有、同じ器から一斉に食べているようなもの。
(それって凄い…!)
ハーレイとおんなじ器から食べてもいいなんて。
普段だったら絶対出来ない、素敵な食べ方が出来るらしいお鍋。
(これからの季節だと、おでんだって…)
おでんもテーブルの真ん中にお鍋。みんなで囲んで一つのお鍋。
温めておかないと冷めてしまうから、おでんのお鍋ごとドカンと出て来る。玉子に大根、練り物色々、コンニャクとかを自分で掬うんだ。
だけど、おでんは、お箸が別。
煮えたぎってるお鍋じゃないから、沸騰したお出汁で消毒ってわけにはいかないから。
取り分けるためのお箸がつく。それで取るのが、おでんのルール。
(でも、お鍋だと…)
具を入れるお箸は別だけれども、煮えた具材を器に取る時は自分のお箸。
ぼくは自分のお箸をお鍋に突っ込むわけだし、パパやママもそう。
ということは、ハーレイだって自分のお箸を突っ込むわけで…。
(ホントにハーレイと一緒のお鍋!)
ハーレイがお箸を突っ込んだお鍋。好きな具材を取って行ったお鍋。
そのお鍋にぼくもお箸を突っ込む。どれを取ろうか、って選んで、取って。
きっと同時にお鍋の中を覗いてる時もあるだろう。ぼくがお箸を突っ込んでいたら、ハーレイも横から突っ込んでるとか。
(ハーレイが何か取ってる時を狙って、ぼくがお箸を突っ込んだって…)
誰も変だと思わない。お鍋はそういうものだから。
煮えた具材は次々に取らなきゃ煮えすぎるんだし、二人同時に取っては駄目だ、なんてルールも無いんだし…。
(ハーレイとおんなじお鍋で、同時…)
想像しただけで心臓がドキドキしてくる。
パパとママとが一緒にいたって、ハーレイと二人でお鍋な気分。
二人きりとはいかないけれども、気分はハーレイと二人でお鍋って感じ。
(それにハーレイ、料理が得意…)
ママがどんなお鍋を用意したって、具材に火が通るタイミングとかを掴めると思う。どれを先に入れて煮ればいいのか、どのくらい煮たら食べるのに丁度いい頃合いだとか。
(そういうの、絶対、得意そうだよ)
鍋奉行って言うんだったっけ?
お鍋の時に、ああだこうだと張り切って指図をしたがる人。
ハーレイはそういうタイプじゃないけど、お鍋の加減が掴めているなら、ぼくが取り分ける時に世話を焼いてくれる可能性大。あれが煮えてるとか、これを取れとか。
今までだったら、そういう役目はママがしてくれていたんだけれど…。
(ママよりもハーレイに世話して欲しいな)
せっかく料理が得意なんだし、遠慮してないで、「しっかり食えよ」って。
お肉も魚も、ハーレイに「ほら」って言われちゃったら、きっと頑張って食べられそう。ママやパパなら「お腹いっぱい」って答える所を、もうちょっと、って。
だってハーレイと一緒のお鍋で、ハーレイはもりもり食べるんだから。
「これも美味いぞ」とか、「もう食わないのか?」なんて、ぼくにせっせと声を掛けながら。
そうやってどんどん食べてるんだし、もしかしたら…。
(食えよ、って取ってくれるかも…!)
ハーレイのお箸で、ぼくの器に。
お勧めの具材をヒョイとつまんで、ホカホカと湯気が立っているのを。
(ハーレイに入れて貰うだなんて、前のぼくだって未経験だよ…!)
シャングリラでお鍋はやってないから。
ポトフやシチューはあったけれども、あれは最初から器に取り分けてあるものだから。
(シャングリラに居た頃は、お鍋なんていう料理、何処にも無いしね…)
みんなでワイワイお鍋を囲む機会は無かった。
お鍋が無いから、ハーレイと二人でお鍋を食べることも無かった。
本物の恋人同士だったけれども、ハーレイが「どうぞ」と具材を取ってはくれなかった。
前のぼくたちは一緒に食事をしていただけ。
キャプテンからソルジャーへの朝の報告、っていう名目で二人で朝御飯を食べていただけ。
(えーっと…)
好き嫌いが無かった、前のぼく。
朝御飯に嫌いな料理なんかがあるわけもなくて、残そうだなんて思わなかった。パンも卵料理もサラダもスープも、出されたものは何でも食べた。
だけど前のぼくも、今のぼくと同じで食が細かったから、多すぎて食べ切れない時もあって。
そんな時にはハーレイに「これも食べて」とお願いしたら、お皿は綺麗に空っぽになった。半分残した卵料理も、手を付けなかったサラダの器も。
(ハーレイはぼくのお皿の料理を食べていたけど…)
ぼくが半分食べてしまったオムレツなんかも、何度も食べていたんだけれど。
その逆の方は全く無かった。一度も無かった。
(ハーレイの分まで貰っちゃおう、っていうほどの好物も無かったから…)
そういうのがあれば、あるいは強請って貰っていたかもしれないけれど。
生憎、そこまでしたい料理は何も無くって、前のぼくはハーレイのお皿から料理を分けて貰ったことが無い。ハーレイの分まで欲しいんだ、って一度も思わなかったから。
(おんなじ器から食べる、って方は…)
二人一緒にサンドイッチの夜食をつまんでいたりしたけれど。
青の間からブリッジのハーレイに思念を飛ばして、来る時に持って来て貰った色々な出前。
ぼくのために、と注文を受けた厨房のスタッフが作った夜食を二人で食べた。サンドイッチなら同じお皿に手を伸ばしては、一切れずつ取って食べていた。
器に盛られたカットフルーツも二人でフォークを突っ込んでたけど、お鍋じゃないから。
ぼくが食べようとしている所へハーレイのフォークが来ることは無いし、逆だって無い。相手の様子を見ながら食べてて、同じ器から食べてるんです、ってドキドキ感はまるで無かった。
カットフルーツもサンドイッチも、食べ方自体は大皿に盛った料理と変わりはしない。
お鍋と違って遠慮のあるもの、行儀が優先されてしまうもの。
(これを食べろ、ってハーレイが取ってくれることだって無かったものね)
フルーツやサンドイッチを「どうぞ」と譲られたことはあったけれども、取ったのは、ぼく。
「ありがとう」ってフォークで刺したり、手に取って口へ運んだり。
ハーレイがフォークで刺してくれたり、手に持ってぼくのお皿に入れたりなんかは無かった。
(前のぼくでも未経験なんだ…)
ほら、ってハーレイが自分のカトラリーや手で料理を取り分けてくれること。
(だけど、お鍋だとハーレイのお箸で取ってくれるとか…)
それは絶対ありそうだよ、って思うから。
パパとママも「面倒見のいい先生だな」って笑顔で見ているだけだろうから。
お鍋に大いに期待が高まる。
ハーレイに世話して貰わなくっちゃ、って。
まだ二人きりのお鍋じゃないけど、素敵な気分で食べられるよね、って。
お鍋がいいな、って夢を見てたら、チャイムの音。
仕事帰りのハーレイが来たから、ぼくは嬉しくなっちゃって。
ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせに座るなり、「ねえ」って切り出した。ママが置いてってくれた紅茶とお菓子も気になるけれども、それより、お鍋。
「あのね…。お鍋の季節が楽しみなんだよ」
まだ先だけれど、冬になったらお鍋でしょ?
新聞に広告が載ってたんだよ、いろんなお鍋が目玉の旅行。それでお鍋の季節が楽しみ。
「鍋の季節って…。何かあるのか?」
お前、鍋料理を食べに旅行に行くのか、冬休みとかに?
珍しいなあ、お前が俺と会うよりも食い物の方が優先だとは…。旅行の間は会えないしな?
「違うよ、広告は見てただけだよ、行かないよ!」
せっかくのお休み、ハーレイと一緒に過ごしたいもの。旅行なんかは行かなくていいよ。
「だが、楽しみだと言わなかったか? 鍋の季節が」
鍋を食いに出掛けて行くんでなければ、どう楽しみだと言うんだ、お前?
「冬になったら、ぼくの家でも夕食にお鍋が出て来るんだもの」
今日はお鍋だ、っていう時にハーレイが寄ってくれたら、ハーレイとお鍋が食べられるんだよ。お休みの日でも、ママがお鍋にしようと思ったら、ハーレイとお鍋。
パパとママも一緒に食べるけれども、おんなじお鍋から自分のお箸で食べるんだし…。
それってドキドキしてこない?
ハーレイもぼくも、おんなじお鍋に自分のお箸を突っ込むんだよ?
そんな食べ方、前のぼくたちは一度もやっていないんだから。
恋人同士だっていう気分がするでしょ、おんなじお鍋で、自分のお箸。
「なるほどなあ…。鍋を囲んで恋人気分か」
確かにそいつはそうかもしれん。前の俺たちは鍋なんて食ってはいないからな。
同じ器に自分のフォークやスプーンなんかを突っ込むなんぞはマナー違反だし、やろうと思いもしなかったしな…。
「そうでしょ、ぼくも思い付きさえしなかったよ」
何度もハーレイと食事をしたのに、同じ器から食べていたのってサンドイッチとフルーツだよ?
あれってつまんでいただけだものね、二人で一緒に食べるお鍋とは全然違うよ。
「うーむ…。鍋の方が親しい感じはするなあ、今の世界じゃ親睦とくれば鍋だしな」
俺も友達とよくやったもんだ、鍋ってヤツを。
大勢で鍋を囲んだ後はだ、大いに仲良くなっていたなあ、その日に初めて会った奴でも。
「…ぼくはそういうお鍋の経験、無いけれど…」
お鍋で友達になれるんだったら、恋人同士にもなれそうだよね?
恋人同士で食べに行くにもピッタリなんだよ、お鍋は、きっと。
パパとママはぼくとハーレイが恋人同士ってことは知らないけれども、ハーレイとお鍋。
恋人気分で食べられそうだし、お鍋の季節が楽しみなんだよ。
「ふうむ…。お前のお母さんは何も知らずに鍋料理を用意するわけだな?」
お前がワクワク待っているとも思いもしないで、寒い季節にいい料理だと。
「別にいいでしょ、ぼくがお鍋にしてって頼みに行くわけじゃないんだから」
たまたまお鍋が出て来るだけだよ、ハーレイが家に来てくれた日に。
「それはそうだが…。お前、ろくでもないことを考え付いたな、鍋の広告を見ただけでな」
「お鍋じゃなくって、旅行の広告! お鍋を食べに出掛ける旅行!」
間違えないでよ、ハーレイと旅行に行きたいなあ、って眺めていたから気が付いただけ!
お鍋って素敵な料理だよね、って。恋人同士で食べるのに良さそうな感じだよね、って。
「分かった、分かった。要するに、俺と一緒に鍋なんだな?」
「そう! それでね、ハーレイ、料理が得意って聞いているから…」
お鍋の中身が煮えてるかどうか、見分けるのも得意そうだよね?
ぼくにお鍋を取り分けてくれる?
この辺りの具が煮えているぞ、ってハーレイのお箸で、ぼくの器に。
「そのくらいは別にかまわんが」
しっかり食えよ、と入れてやったらいいんだろう?
お前、放っておいたら取りそうにないし、火が通った分をどんどん取って。
「ホント?」
ぼくの代わりに取ってくれるの、お肉や野菜。ハーレイが器に入れてくれるの、ぼくが取らずに座っていたら?
「お安い御用だ、チビの世話だろ」
「チビ!?」
恋人じゃなくてチビなわけ!?
ハーレイ、恋人の世話じゃなくってチビの世話だと思っているの!?
酷い、とぼくは怒ったけれど。
恋人を捕まえてチビ呼ばわりなんてあんまりだ、って怒ったけれど。
ハーレイはクックッと可笑しそうに喉を鳴らして、こう言った。
「その発想がチビだからなあ…」
チビの世話だと言ったまでだが、そいつがお気に召さないってか?
そうなってくるとホントにチビだな、もうチビだとしか言いようがない。
「何処が?」
ぼくの発想の何処がチビなの、お鍋は恋人気分になれる、ってハーレイ、認めていたじゃない!
それに気付いたの、ぼくなんだよ?
チビじゃないから気が付いたんだよ、お鍋は素敵なお料理なんだ、って!
「鍋そのものに関しちゃそうだが、取り分けてくれ、っていう辺りがな」
お前、俺の箸であれこれ取り分けてくれ、と頼んで来たが、だ。
俺と二人きりで鍋をやってる時ならどうするんだ?
「もちろん堂々と世話して貰うよ、ハーレイに!」
パパやママがいたら、たまには自分で取らなきゃ変だと思われそうだけど…。
二人きりならハーレイに全部やって貰って、ぼくは食べるだけ。
「俺が具を煮て、煮えたヤツからお前の器に入れてやってか?」
「そうに決まっているじゃない!」
誰も見てないなら、ハーレイに任せておくんだから。
恋人気分で世話して貰って、美味しいお鍋を食べるんだよ。ハーレイと二人きりなんだしね。
自信満々で答えた、ぼく。
だけどハーレイは鳶色の瞳に悪戯っぽい光を湛えて。
「うん、間違いなくチビだってな」
今の答えで得意満面になってるようでは、正真正銘、お前はチビだ。
「なんで?」
ハーレイに世話して欲しいって強請ってるんだよ、うんと我儘な恋人だよ?
「二人きりでも、俺は取り分ける係なんだろ?」
これも食えよ、って、お前の器に。
お前が自分の世話をしない分、俺にせっせと世話させるんだろ?
「そうだよ、うんと堂々とね」
何処から見たって恋人なんです、って直ぐに分かるよ、ハーレイが世話をしてくれていたら。
恋人のために取ってあげているんだな、って。
見ている人なんか誰も無くても、うんと熱々の恋人同士でお鍋なんだよ。
「だからチビだと言うんだ、お前は」
俺が器に入れてやるだけで大満足だという所がな。
「どうして?」
ハーレイに世話して貰えるんだよ、もう最高だと思うけど…。
ぼくはお鍋を食べるだけで良くて、自分で取ったり、煮えてるかどうか確かめたりとかは何一つしなくていいんだもの。
恋人に甘やかして貰えるっていうの、誰だって嬉しい筈だけどな。
「その発想を否定はしないが、詰めが甘いぞ、チビだけあって」
まだまだ甘いな、お前は立派にチビだってな。
「そんなことないよ、ちゃんとお鍋を食べさせて欲しいって言ってるじゃない!」
ハーレイのお箸で取って貰って食べたいっていうの、チビだと思い付かないよ!
「それはそうだが、そこで俺にだ」
食わせてくれ、と強請ってこない辺りがチビだと言うんだ、俺は。
「えっ?」
食べさせてよ、って何度も言ったよ、ハーレイに食べさせて貰うんだよ?
ぼくは自分で何もしないから、ハーレイがぼくの世話をしてよね、って。
「その世話の詰めが甘いんだ。恋人に食わせて貰いたいなら…」
お前は口だけ開けりゃいいんだ、「あーん」ってヤツだ。
そうすりゃ俺が口まで運んでやるってな。
「あっ…!」
まるで考えてもいなかった、ぼく。
だけどハーレイが言ってるとおりで、恋人だったら口を開けておねだりさえすれば…。
「やっぱり気付いていなかったな、チビ」
いいか、鍋だと思い切り熱くなってるからなあ、冷ます過程から要るってな。
俺がフウフウ息を吹きかけて、火傷しないよう冷ましてやって。
「ほら、熱いから気を付けろよ」と差し出すわけだな、「あーん」とな。
お前はそいつをモグモグ食ってだ、その間に俺が次のを冷ます、と。
器の出番は全く無いんだ、せいぜいタレをつけるくらいで。
「それ、やりたい!」
取り分けて貰うより、そっちがいいよ。口を開けるだけで食べられるお鍋がいいよ!
「生意気を言うな、思い付かなかったチビのくせに」
俺の箸であれこれ取ってやったら満足なんだろ、チビのお前は。
口まで運んでやらなくっても、自分の箸でちゃんと食べられるってな、偉いな、お前。
そこはチビでも褒めるトコだな、自分で鍋を食えるんだからな。
「うー…」
酷いよ、ハーレイ、そんな話だけ聞かせておいて!
ぼくだってハーレイに食べさせて欲しいよ、ハーレイのお箸でぼくの口まで!
器なんかに入れるんじゃなくて、冷まして「あーん」って食べさせてよ!
お願い、って頭を下げたのに。
いつかは「あーん」で食べさせて、って頼んでるのに、ハーレイは聞こえていないふり。
全然、話に乗ってくれなくて、知らんぷり。
「鍋の季節が楽しみだな」なんて、お鍋の種類を挙げながら。
「一人で鍋を食ってもつまらんからなあ、今年の冬が待ち遠しいな」って。
そうやってお鍋の話だけして、「お前はまだまだ普通に鍋だ」って笑うハーレイ。
パパやママも一緒に、ただのお鍋、って。
「取り分けるくらいはやってやるから、自分で食えよ」って。
意地悪なハーレイ。
恋人同士のお鍋はこうだ、って話だけして、無視するハーレイ。
ぼくに「あーん」と食べさせてやる、って約束をしてはくれないハーレイ。
だけどいいんだ、冬になったらハーレイと一緒にお鍋だから。
夕食のテーブルにお鍋があったら、ハーレイがお箸を突っ込んだお鍋から、ぼくだって食べる。
ハーレイが自分の使うお箸で、ぼくの器に取り分けてくれる。
パパとママが「面倒見のいい先生」って思う程度に、ごくごく自然に。
今はそれだけで充分幸せ、チビのぼくにはきっとピッタリ。
いつかは「あーん」と食べられるんだし、冬が来たならちょっぴり前進。
ハーレイと二人っきりでお鍋を食べることが出来る、うんと素敵な未来に向かって…。
お鍋の食べ方・了
※「ハーレイと食べたい」とブルーが思った鍋料理。けれど、足りていなかった想像力。
同じ鍋なら「恋人同士の食べ方」の方がいいに決まってます。きっと食べさせて貰えますね。
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