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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

喋る鳥

「バカーッ!」
(えっ?)
 誰、と周りを見回した、ぼく。
 学校の帰り、バス停から家へと歩く途中の道なんだけど。
(馬鹿?)
 キョロキョロ探しても、ぼくしかいない。前にも後ろにも、誰も歩いていなかった。
 ということは…。ぼくに言われた?
(馬鹿って言われたんだけど…!)
 それも思い切り、大きな声で。辺りに響き渡りそうな声で、思いっ切り浴びせかけられた。
 とびっきりの罵声、馬鹿とののしる強烈な声。
 馬鹿と言われる覚えはなくって、喧嘩を売った覚えもない。そもそも、ぼくは喧嘩を売らない。どうせ負けるに決まってるんだし、売るだけ無駄。チビのぼくは勝てやしないんだ。
 それなのになんで、いきなり「馬鹿」って怒鳴られるわけ?
 ぼくはなんにもしていない。バス停から家まで帰る途中で、のんびり歩いているだけで。
 石でも蹴りながら歩いていたなら、場合によっては馬鹿にされるかもしれないけれど。石ころを必死に追っていたなら、子供みたいだと笑われちゃうかもしれないけれど…。
(だって制服を着ているものね)
 下の学校の子は着ない制服。それを着ていれば十四歳にはなってるってこと。十八歳になるまで行く学校だし、ちょっぴり大人になった気分の子だっている。そんな学校の子が石蹴りしてたら、馬鹿と笑う人もいるかもだけど…。



「チビーッ!」
 またまた響いた怒鳴り声。
(チビだなんて…!)
 馬鹿よりも酷い、ぼくへの悪口。明らかにぼくを狙った悪口。
 今度こそムッとしたんだけど。
 喧嘩を売ったりしないぼくだけど、売られた喧嘩は買ってやろうという気になった。チビとまで言われちゃ黙ってられない。ホントのことでもチビはチビ。ぼくにとっては最悪の言葉。
(背が伸びないこと、ぼくが一番気にしてるのに…!)
 百五十センチから伸びない背丈。ハーレイと会った五月三日から一ミリも伸びてくれない背丈。前のぼくと同じ百七十センチにならない限りは、ハーレイとキスも出来ないのに…!
(誰がチビって言ったわけ!?)
 負けるにしたって、この喧嘩は買う。買わなきゃ男じゃないだろう。チビのぼくでも、ホントはソルジャー・ブルーだったんだから。大英雄のソルジャー・ブルーなんだから。
(前のぼくなら逃げないんだから…!)
 人類軍やテラズ・ナンバーを相手に戦ってたぼく。メギドまで沈めたくらいのぼく。
 それに比べたら悪口をぶつけた相手と喧嘩くらいは喧嘩の内にも入らない。背中を見せたら駄目だと思って、ぼくは喧嘩を買うことにした。
 いきなり取っ組み合いはマズイし、力じゃ絶対敵わないから、言い負かす。悪口の知識を総動員して戦ってやる、とキッと辺りを睨んで相手を探したんだけど。
 怒鳴ってやる、って拳を握って身構えたんだけど…。



「バカーッ! チビーッ!」
 ぐにに、とヘンテコな声がついてきた。
(…ぐにに?)
 どんな悪口、って声がした方へ大股で歩いて行った、ぼく。
 舐められないよう背筋を伸ばして、出来るだけ大きく見えるように。負けないぞ、って身体中に気迫とファイトを漲らせながら、勝つぞってオーラを立ち昇らせながら、ズンズンと。
 確かこの辺、と垣根の向こうを睨み付けたら。
(えっ?)
 ぐににに、と其処から声がした。間違いなく「チビ」って怒鳴ってた相手。おんなじ声。
 だけど…。
(鳥…)
 普通の鳥籠よりも大きな鳥籠。四角くて頑丈そうな鳥籠。
 その中に鳥。小鳥とはとても呼べないサイズの、でもカラスよりは一回りくらい小さな鳥。
 真っ白で綺麗な鳥だけれども、ぐににと鳴いてる。馬鹿でチビって怒鳴った声で。



(鳥だったの?)
 こいつがぼくに
喧嘩を売ったんだろうか、ぼくは喧嘩を買うべきだろうか?
 どうしよう、って悩む間もなく、そいつは派手に叫んでくれた。
「チビーッ! バカーッ!」
(チビって言った…!)
 おまけに、馬鹿って。
 やっぱり買う、と言い返す言葉を頭の中で探していたら。



「ごめん、ごめん」
 悪かったね、って庭の向こうの玄関を開けて、この家のご主人がやって来た。
 ぼくも顔見知りのご近所さん。パパよりも少し年上くらいに見えるんだけれど、本当はもっと上らしい。年を取るのを止めているだけで、とっくの昔にお孫さんまでいるみたい。
 でも、おじさんは鳥を飼っていたっけ?
 それもこんなに口の悪い鳥、ぼくは初めて見たんだけれど…。
「えーっと…。この鳥、おじさんの鳥?」
 初めて鳥籠を庭に出しただけで、ずっと前から飼ってた鳥なの?
「いや、この鳥は預かったんだよ。今日の昼前に来たばかりなんだ」
 日光浴が好きだと言うから、鳥籠を庭に置いたんだけどね…。
 申し訳ないね、酷い言葉を喋る鳥で。



 ぼくに悪口をぶつけた鳥と、ぼくとは初対面らしい。
 家族で旅行に出掛けたという、娘さんちの鳥だった。寂しがりやだからペットのホテルにお願いするのは可哀相、って車に乗っけて連れて来たって。
(寂しがりやなのに悪口だなんて…)
 とんでもない鳥だ、と呆れた、ぼく。友達が欲しいなら、他の言葉を喋ればいいのに。
「すまないね。これはそういう鳥なんだよ」
 覚えた言葉しか喋れないんだ、って、おじさんが説明してくれた。
 人間の言葉を喋る鳥。覚えた言葉を喋るだけの鳥。
 コバタンっていう種類のオウムだって。
 絶滅しちゃったナキネズミと違って、人間と喋れるわけじゃない。人間の言葉を真似るだけ。
「上手く噛み合うこともあるけど、大抵は好きに喋ってるんだよ」
「そういうものなの?」
「そうだよ、だからわざとじゃないんだ」
 怒らないでやってくれるかな、って頼まれちゃったら仕方ない。鳥に喧嘩を売ったり出来ない。鳥だもんね、ってグッと堪えて「うん」と返事をしたんだけれど。
「バカーッ!」
「こらっ、ピーちゃん!」
 駄目だろう、ブルー君に悪口を言っちゃ。
 仲良くしなさい、ブルー君はいつも通るんだから!



 おじさんが叱ってくれたけれども、ぼくの背中が見えなくなるまで馬鹿とチビとは続いてた。
(ホントになんにも分かっていない?)
 あんまりだよね、って家に着いても口から溜息。部屋で制服を脱いでも溜息。
 コバタンのピーちゃん、お孫さんの喧嘩で覚えた悪口、馬鹿とチビ。
 狙ったように食らってしまった。ウッカリ喧嘩を買うトコだった。
(ぼくのためにあるような悪口だよ…)
 馬鹿はともかく、チビだなんて。ぼくが一番気にしてることを大声で怒鳴り散らすだなんて。
 相手が鳥でも落ち込みそうだよ、って溜息をつきながら着替えて階段を下りた。
 ダイニングのテーブルにママが用意してくれた紅茶とおやつ。熱い紅茶は美味しいけれど。
(ミルクも入れよう…)
 鳥にまでチビと言われちゃったし、こんな日はミルク。背丈を伸ばすためにはミルク。冷蔵庫に入ってる大きな瓶には幸せの四つ葉のクローバーのマークが描いてあるから、頼もしいんだ。
 瓶からミルクピッチャーに移して、それから紅茶にたっぷりと。
(少しでも背が伸びますように…)
 ミルクにお願い、神様にお願い。
 ゴクンと一口、ミルクティー。チビのぼくでもきっといつかは大きくなってみせるんだから…!



 頑張るぞ、ってミルクティーを飲んで、おやつも食べて。
 キッチンに居たママにカップとお皿を返して、部屋に戻った。栄養、ついたと思いたい。背丈も伸びると思いたいけど、伸びるかどうかは神様次第。
(馬鹿でチビって…)
 鳥までそう言うくらいなんだし、まだまだ伸びそうにないんだろうか?
 いきなり言われたら傷ついてしまう、馬鹿とチビ。馬鹿も酷いけど、チビはもっと酷い。ぼくがチビだと思い知らされる酷い悪口、鳥にも言われた。
(チビの間はハーレイとキスも出来ないのに…!)
 前のぼくと同じ背丈に育つまではキスを許してやらない、ってハーレイに禁止されたから。
 恋人のくせに酷いハーレイ。子供扱いするハーレイ。
(ぼくのこと、何度もチビだって…)
 ハーレイもぼくをチビ扱い。遠慮なくチビって呼んでは笑う。ゆっくり大きくなるんだぞ、って頭をクシャリと撫でてくれるけど。チビでいいんだ、って優しく笑ってくれるけど。
 でも…。
(ぼくはチビだと悲しいんだよ!)
 早く大きくなりたいんだから。チビのままだと困るんだから。
(それなのに、鳥にもチビって言われた…)
 傷ついちゃった、と溜息をついて、ぼくをチビ呼ばわりするハーレイを思い浮かべたら。
 ハーレイだってピーちゃんに悪口を言われるといいんだ、と思っちゃった。
 チビはともかく、馬鹿の方。
 そしたら少しはぼくの気持ちが分かるだろう。
 チビって呼ばれる度にちょっぴり悲しくなっちゃう、大きくなれないぼくの気持ちが。



 そういったことを考えていたら、チャイムの音。窓から覗いたら、庭の向こうに大きく手を振るハーレイの姿。
 ハーレイも馬鹿と言われただろうか、ピーちゃんに。あの家の所、通るんだもんね?
 どんな悪口を食らったのかな、とドキドキしながらハーレイが部屋に来るのを待った。馬鹿か、それともチビの方なのか。ハーレイにチビと怒鳴っていたなら、とても傑作。ハーレイはチビじゃないんだから。チビどころか、デカすぎるほどなんだから。
 ぼくとは逆で大きいハーレイ。人並み外れて大きなハーレイ。
 そのハーレイが部屋にやって来て、テーブルを挟んで向かい合わせ。ぼくは早速、ぼくを襲った例の不幸を披露した。



「聞いてよ、ハーレイ。馬鹿でチビって言われちゃった!」
「はあ?」
 お前、誰かと喧嘩したのか?
 珍しいなあ、お前が喧嘩とは初耳だな。
「鳥だよ、ぼくに向かって言ったんだよ!」
 ぼくが歩いてたら、馬鹿でチビって。
 バス停からウチまで歩く途中にある家なんだよ、庭に鳥籠があったんだよ。真っ白な鳥が入った鳥籠。コバタンっていう種類のオウムのピーちゃん。
「それがお前に馬鹿でチビってか?」
「そうだよ、最初は鳥だと思わなかったから…」
 誰かが喧嘩を売ったと思って、買ってやるんだって身構えたのに。
 取っ組み合いだと敵わないから、知ってる悪口、全部ぶつけてやろうと決めたら鳥だった…。
「鳥と喧嘩なあ…。相手が鳥では全く喧嘩にならんだろうが」
 相手にゃ言葉が通じないしな。下手すりゃ一方的に負けるぞ、向こうが言いたい放題で。
「うん…。ぼくはなんにも言ってないのに、何度も馬鹿でチビって言われた」
 おじさんが叱ってくれているのに、ぼくの姿が見えなくなるまで馬鹿でチビって怒鳴ってた。
 お孫さんの喧嘩で覚えた悪口らしいんだけど…。
 小さな子供が言いそうだけれど、ぼくを狙ったみたいな悪口。よりにもよって、チビだなんて。背が伸びないこと、ぼくはとっても気にしているのに、チビって言った!
「ははっ、そいつは最高だな。俺も見てみたかったもんだな、オウムも、膨れているお前も」
「見てみたかった、って…。ハーレイ、ピーちゃんに何も言われてないの?」
 チビとか、馬鹿とか。ピーちゃん、絶対、言う筈だよ?
「生憎と俺は歩く代わりに車だしな?」
 車に向かって喋っても何も言わないからなあ、鳥だって黙って見ているだけだと思うがな?
 相手をしてくれる人間でなけりゃ、馬鹿ともチビとも言わないさ。



 それに夕方、鳥籠は外には無いだろう、ってハーレイが窓の向こうを指差した。秋は日が暮れる時間が早いし、庭はとっくに薄暗い。こんな時間じゃ、ピーちゃんの籠は家の中。
「そっか…。お日様が射してる間だけだね、日光浴」
 ハーレイにはなんて言ったんだろう、って少し楽しみにしてたのに…。
 鳥籠は無くて、おまけに車じゃ悪口なんかは飛んで来ないね。馬鹿ともチビとも。
「その、馬鹿とチビ。ナキネズミに言われたわけじゃないから、別にいいじゃないか」
 お前に言ったの、オウムだろうが。オウムは人間の口真似をしてるだけなんだ。お孫さんが喧嘩している時の言葉を覚えちまって、そいつを喋っているだけだ。馬鹿もチビもな。
 しかしだ、ナキネズミが同じことを言ったら本音だぞ、それは。
 本当にお前を馬鹿でチビだと思ってるわけで、それに比べりゃオウムなんかは可愛いもんさ。
「でも…!」
 ぼくはホントに傷ついたんだよ、馬鹿とチビ。馬鹿はマシだけど、チビは酷いよ…!
「いいじゃないか、たかが鳥だってな。ナキネズミだったら大変だが…」
 オウムは何も考えてないし、自分が一番得意な言葉を喋っただけだ。そこにお前が通り掛かって寄って来たから、嬉しくなって同じ言葉を何度も何度も叫び続けただけだろう。
 要はそいつは誰にだって言うのさ、人が通れば馬鹿でチビって。
「ホント…?」
「多分な」
 お前が真面目に相手をするから、余計に何度も馬鹿でチビだと叫ぶんだ。普通だったら知らないふりして通り過ぎるのに、お前、喧嘩を買おうと身構えたんだろ?
 オウムにしてみりゃ、遊び相手が出来たってトコだ。こう言えば遊んで貰えるんだと思い込んで叫んで見送ってたのさ、もっと遊ぼうと。



 言葉は他にも色々覚えているんだろうが、と言ったハーレイ。
 馬鹿とチビの他にも人間が喋る言葉を沢山、きっと覚えている筈だと。
「今度はそいつを聞けるといいな。お前、当たりが悪かったんだな」
 たまたま馬鹿って言いたい気分の所へウッカリ通り掛かって、その次がチビで。
 オウムだって覚えた言葉を次々と披露したいんだろうし、次はマシなのを聞かせて貰え。
「そうしたいよ…。でないと怒鳴り返したくなるし!」
「馬鹿ってか?」
「馬鹿もそうだけど、チビが問題。チビの方がうんと酷いんだから!」
 それにチビって怒鳴ってるけど、ピーちゃんはぼくより小さいし…。
 何度も何度も言われちゃったら、我慢の限界で怒鳴りそうだよ。チビはお前の方だろう、って!



 フウと溜息をついた、ぼく。
 ピーちゃんの鳥籠は今日来たばかりで、暫くの間はあの家の庭にドンと置かれていそうだから。お日様が明るく射してる間は、日光浴だと外に出されていそうだから。
「早く迎えに来てくれないかなあ、娘さん…」
 旅行から帰ってピーちゃんを連れてって欲しいんだけど。馬鹿でチビって言わないように。
「娘さんが迎えに来たとしてもだ、その内にまた来るんじゃないか?」
「えっ?」
「お前がすっかり忘れちまった頃に、馬鹿でチビってな」
「なに、それ…」
 あそこのおじさん、またピーちゃんを預かるの?
 娘さん、そんなに旅行が好きかな、年に何度も出掛けるくらいに?
「さてなあ、お前がまた言われるのは来年なんだか、再来年だか…」
 その口の悪いオウムが何歳なのかは知らないが、だ。
 下手をすると、お前が俺と結婚しちまった後に「馬鹿」もあり得る。それこそ十年くらいは軽く経った頃にな。
「十年って…。そんなに先?」
 ピーちゃんは鳥だよ、十年も先に元気で悪口叫んでるかな?
「長生きらしいぞ、コバタンってヤツは」
「ホント?」
 猫と同じくらいに長生きなのかな、ミーシャみたいに二十年くらい?
「七十年を超えると聞いたな、人間が飼ってるコバタンはな」
 野生のヤツでも二十年から四十年くらいは生きるらしいし、まだまだ当分、元気だろうさ。
 結婚してチビじゃなくなったお前に向かって馬鹿と怒鳴れるくらいにな。
「えーっ!」
 チビじゃなくなったら今度は馬鹿なの?
 ぼくの顔を見たら馬鹿って怒鳴るの、ピーちゃんは…?



 あんまりだよ、って思わず叫んでしまった、ぼく。
 ハーレイは「遊び相手だと思われちまったみたいだしな?」って、笑って帰って行っちゃった。パパやママも一緒に夕食を食べて、「また今度な」って手を振って。
(チビじゃなくなっても馬鹿だなんて…)
 それだけは無いと思いたい。
 今日の馬鹿とチビはほんの偶然、明日には違う言葉を喋って欲しいんだけど…。
 遊び相手でも何でもいいから、馬鹿とチビはやめて欲しいんだ。特にチビの方は。
(ホントのことでも傷ついちゃうから…)
 大声でチビと怒鳴られちゃったら、チビだと思い知らされるから。



 次の日の朝、出掛ける時には庭にピーちゃんの鳥籠は無かった。日光浴には早すぎる時間。耳を澄ませても声はしなくて、馬鹿ともチビとも聞こえてこない。
(帰りも言わないといいんだけれど…)
 どうか言われませんように、って祈るような気持ちで学校に行って、授業を受けて。
 学校が終わって帰って来たぼくは、ピーちゃんに馬鹿にされないようにと胸を張って堂々と道を歩いていたのに、やっぱり言われた。垣根の向こうから馬鹿でチビって。
 おじさんが庭に出ていたけれども、「ごめん、ごめん」って笑っていただけ。ピーちゃんの籠をコツンと叩いて「ご挨拶は?」とは言ってくれたけど。
「チビーッ!」
「悪いね、こういう口の悪い鳥で」
「…ううん…」
 ガックリと項垂れて歩き出したら、「バカーッ!」と声が追って来た。
 その次の日だって、馬鹿でチビ。
 もうハーレイが「馬鹿」って言われるのを待つしかないんだ、あの馬鹿鳥。



 土曜日、お天気がいいから歩いて訪ねて来たハーレイ。
 ピーちゃんの鳥籠も庭に出ていそうな時間だったし、ぼくの部屋でハーレイとテーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
「どうだった?」
 通ったんでしょ、ピーちゃんの鳥籠がある家の前。ピーちゃん、日光浴をしていた?
「ああ、いたな。おはようと挨拶してくれたが?」
「ええっ!?」
 おはようだなんて、馬鹿とかチビは?
 ハーレイ、それしか言われなかったの?
「いや。ピーちゃんと自分で名乗っていたなあ、こいつのことかと暫く見てたが…」
 馬鹿ともチビとも言われなかったぞ、朝は機嫌がいいんじゃないか?
「そんな…。きっとたまたまだよ、明日は悪口言うと思うよ」
 ぼくはいつでも馬鹿でチビだし、あれが得意な言葉だろうと思うんだ。
 ハーレイにだって言うと思うな、挨拶するくらいハーレイのことが気に入ったんなら。



 明日こそきっと、と期待したのに、日曜日も挨拶されたハーレイ。それに「ピーちゃん」って。
(ぼくは「おはよう」も「ピーちゃん」も聞いていないよ…!)
 ハーレイは「たかが鳥だろ」って言っていたけど、相手を見て喋っているんだろうか?
 ぼくが子供だから馬鹿にしちゃって、馬鹿だのチビだの言うんだろうか…?
(それともピーちゃん、気分が変わった?)
 土曜も日曜も、ぼくは学校に行っていないし、ピーちゃんの家の前を通ってはいない。その間に気分が変わってしまって、今は「おはよう」で「ピーちゃん」なのかも…。
 馬鹿とチビには飽きてしまって、違う言葉になったのかも…。



 そうだといいな、と考えながら通り掛かった、月曜日の午後、学校からの帰り道。
 ピーちゃんの家が見えて来たな、と思った途端に飛んで来た声。
「バカーッ! チビーッ!」
 ぼくの足音で気付いたんだろうか、鳥籠の中で叫んでる。それは得意そうに、高らかな声で。
「バカーッ! チビーッ!」
(ぼくにはこれしか言わないわけ?)
 酷い、と泣きたくなりそうな気持ち。
 「おはよう」どころか、「ピーちゃん」どころか、ぼくにはやっぱり馬鹿とチビ。
 すごすごと去ってゆくぼくの背中に馬鹿とチビとが突き刺さる。チビはホントのことだけど。



 家に帰って、ママに「また言われたよ」って報告したら。
「あら? ママには馬鹿とは言わないわよ? チビとも一度も言わないし…」
 ブルー、ピーちゃんの御機嫌、損ねたんじゃない?
 ママには挨拶してくれてるわよ、「おはよう」だとか「こんにちは」とか。
 お行儀のいいオウムなのね、って思ってたけど、ブルーにはそうじゃなかったのねえ…。馬鹿でチビだなんて。
(嘘…!)
 ママにも挨拶するっていうのは衝撃だった。どうやらぼくだけ、馬鹿でチビ。
 いくら鳥でも酷すぎる。
 仕事帰りに寄ってくれたハーレイに思い切り怒りをぶつけちゃったら、こう言われた。
 「愛想よく挨拶してみろ」って。
 ぼくは最初に喧嘩を買おうとしちゃってるから、馬鹿でチビかもしれないぞ、って。



(そうか、挨拶…)
 ピーちゃんは鳥だけど、ナキネズミと違って意思の疎通は出来ないけれど。
 それでも動物、好きな人とか嫌いな人とかもあるだろう。甘えたい人に、喧嘩したい人。ぼくは喧嘩をしたい相手に分類されたか、あるいは馬鹿にされてるか。
(…喧嘩の相手より、馬鹿にされてる方がありそう…)
 お孫さんの喧嘩で覚えた言葉をぶつけているなら、お孫さん並みの子供扱い。馬鹿とかチビって言い合うレベルの子供だったら、ぼくより小さい。幼稚園くらいの子供なのかも…。
(そのくらいの年の子供だったら、ピーちゃんは馬鹿にしていそうだよ)
 ピーちゃんは充分、大人サイズの鳥だから。
(ぼく、幼稚園児並みにされちゃった?)
 真面目に喧嘩を買おうとしたから、鳥を相手に喧嘩するほどのチビなんだ、って。
 そうだとしたら名誉挽回、きちんと挨拶、大人の余裕を見せなくちゃ。
 ぼくはチビだけど、前のぼくなら三百歳を軽く超えてた、本物の大人なんだから。



 やるぞ、って決めて、火曜日の帰り。
 相変わらずぼくの足音を聞くなり「バカーッ!」って怒鳴られたんだけど。
 ぼくは怒りをグッと飲み込んで、ピーちゃんの鳥籠を垣根越しに覗いて笑顔で挨拶をした。
「ピーちゃん、こんにちは」
「バカーッ!」
 ぐにに、とオマケもついて来た。
「こんにちは、ってば」
「チビーッ!」
(…全然、ちっとも通じてないけど…!)
 ぼくにはこれしか言わないんだろうか、ピーちゃんは?
 だけど挨拶しようと決めたし、ぼくはチビじゃないと認めて貰えるまで頑張らなくちゃ…!



 挨拶する度に馬鹿だのチビだの言われ続けて、金曜日の帰り道のこと。
 今日はなんにも言われないな、と垣根の向こうを覗き込んだらいなかった。鳥籠ごと。
 やっと認めてくれたのかも、って思った気持ちは木端微塵に砕けてしまった。
(…静かな筈だよ…)
 どうしたんだろう、ピーちゃんは?
 日光浴はお休みなのかな、って庭を見てたら、おじさんが家から出て来たから。
「ピーちゃんは?」
「ああ、取りに来たよ。旅行から帰って来たからね」
 お昼前に車に乗せて行ったよ、今頃は自分の家に帰って寛いでるさ。
「嘘…」
 ぼく、一回も挨拶を聞いていないのに…。毎日、挨拶、頑張ってたのに…。
「悪かったねえ、いつも悪口ばっかりで」
 家の中まで聞こえていたけど、あればっかりはどうにもねえ…。
 叱っても全く直らなかったし、ピーちゃんとしては挨拶のつもりだったんだろうね。



 口の悪い鳥ですまなかったね、って、おじさんは謝ってくれたけれども。
(最後まで馬鹿とチビばっかり…)
 ぼくがあんなに挨拶したのに、馬鹿とチビしか言われなくっても挨拶したのに、駄目だった。
 努力はすっかり無駄になってしまって、ピーちゃんは家に帰ってしまった。ぼくに悪口ばかりをぶつけて、一度も挨拶してくれないで。
(ぼくは最後まで、お孫さん並み…)
 ホントのホントにチビ扱い。本物の子供と同じ扱い。
 酷いんだよ、って土曜日に来てくれたハーレイに向かって当たり散らした。
 「あの鳥、いなくなったんだな」なんて笑ってぼくに言ったから。
 「もう馬鹿もチビも聞かなくて済むな」って、楽しそうに言ってくれたから。
 挨拶されてたハーレイなんかには分からないんだ、チビと何度も言われ続けた悔しさは。
 ホントのことでも、鳥にまでチビって怒鳴られちゃったら悔しいんだから。
 ハーレイとキスさえ出来ないチビだと、ピーちゃんに馬鹿にされたんだから…!



 とうとう、挨拶されなかった、ぼく。
 ピーちゃんの挨拶を聞けずにお別れしちゃった、ぼく。
 ハーレイは「賢い鳥だな」って笑ってるけど、ホントだろうか。
 「人を見て挨拶を選ぶんだな」って、「お前には馬鹿とチビだったんだな」って。
 もしもホントに選んでたんなら、ぼくを見て挨拶は馬鹿とチビにしようと決めていたんなら。
 次に会う時は、絶対、挨拶させてやる。「おはよう」と、それに「こんにちは」。
 前のぼくみたいに大きく育って、ピーちゃんの挨拶を聞かなくちゃ。
 コバタンの寿命は長いと言うから、きっと会えると思うんだ。
 ハーレイと結婚した後になっても、あの家の庭を覗いたら。
 そしてハーレイに自慢するんだ、ピーちゃんに挨拶して貰ったよ、って。
 ピーちゃんの挨拶を聞きに行こう、ってハーレイと二人で出掛けて行くんだ、あの家の前へ。
 もうチビだなんて言われないよと、ハーレイのお嫁さんだもの、って。
 だからよろしく、コバタンのピーちゃん。
 ハーレイのお嫁さんになった幸せなぼくが、またピーちゃんに会いに行くから…。




         喋る鳥・了

※ブルーに向かって「バカ!」で「チビ!」だと叫ぶ鳥。それもブルーだけを相手に。
 なんとも悲しい話ですけど、リベンジの機会があるといいですよね。大きくなった後に。
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