シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あれ…?)
ブルーは首を傾げて手を止めた。
仕事帰りに寄ってくれたハーレイが「またな」と帰って行った後。
とうに夜だし、もうお風呂にも入って来たからベッドに入って眠るだけ。パジャマ姿でベッドに腰掛け、右手に着けようとしたサポーター。
秋の初めに冷え始めた頃、ハーレイがくれたサポーター。
夜中に右手が冷えてしまうとメギドの悪夢が襲ってくるから、一時期、酷く悩まされた。それを防ごうとハーレイが考案したのがこのサポーターで、着ければ右手が温かくなる。ハーレイが手を握ってくれる時の強さと同じに調整されたサポーター。
お蔭でメギドの悪夢は減ったし、快適に眠れているのだけれど。
今夜も少し冷えそうだから、とサポーターを着けようとしたのだけれど。
(何回目?)
慣れた手つきで着けようとしたサポーター。
何度、帰ってゆくハーレイを見送り、サポーターを着けただろう?
メギドの悪夢を防いでくれるサポーター。防げなかった時も、ハーレイが夢に現れたりもした。凍えた右手をそっと握って自分の温もりを移してくれた。
サポーターではそれが限界だったけれども、「メギドの夢にハーレイが来たよ」と報告した時、ハーレイは「いつかはメギドから救い出してみせる」と力強く宣言したものだ。
そう、いつか。
サポーターではなくて、ハーレイの手がブルーの右手を握って眠れる夜が来たなら。
二人で暮らせる時が来たなら、夢の中まで助けにゆくと。
ブルーがキースに撃たれないよう、メギドで死なずに逃げ出せるよう。
迎えにゆく、とハーレイは言った。ブルーを必ず助け出すと。
その日まではまだまだ遠いけれども、サポーターを着ければ思い出す。ハーレイが誓ってくれた言葉を、それが叶うだろう未来のことを。
けれど…。
(えーっと…)
あの日から何度も何度もサポーターを着けたし、ハーレイも何度も来てくれたのに。
週末はもちろん、仕事が早く終わった時にも今日のように寄ってくれたのに。
(まだ秋なの…?)
サポーターを貰った時には秋の初めではあったのだけれど。
それから季節は進む筈だし、秋も日に日に深まる筈。そうして雪が舞う冬の寒さが訪れる筈。
庭の木の葉が落ち、北風が吹き付ける冬は何処に行ってしまったろう?
未だに先触れさえもない冬。
それよりも、いつまで秋なのだろう?
サポーターを着けた回数を思えば、ハーレイが来てくれた日々を思えば、とうの昔に過ぎ去っていそうなものだけれども。
秋という季節は終わってしまって、庭もすっかり冬景色になっていそうな気がするのに。
(何ヵ月も秋が続いているとか…?)
秋と呼べる季節は三ヶ月ほど。
だから三ヶ月は秋を過ごしていても不思議ではないが、それどころではないような…。
(一ヶ月の間に週末は四回くらいしか無いよ?)
それの全てをハーレイとの逢瀬に費やしたとしても、月に八回。三ヶ月分で二十四回。
(もっと沢山、会ってるんじゃない?)
二十四回どころか、もっと。
ハーレイが来られなかった日も何度もあったし、そんな日は寂しく外を眺めた。ハーレイは何をしているだろうかと、今頃は何処に居るのだろうかと。
それなのに三ヶ月分よりももっと、もっと沢山ハーレイと会った。この部屋で、庭の白い椅子とテーブルで向かい合っては話して、幾度も甘えて。
(ぼくの勘違いじゃない筈なんだよ)
ハーレイとの日々を数え間違うわけがない。
どんなに小さなことも大事で、前の生で引き裂かれるように別れた辛さを、悲しみを今の幸せで塗り替えながら前へと進んで来たのだから。
それなのに合わない。ハーレイに会った日の数が現実の暦と重ならない。
(ぼくが間違えてるってことはない筈…)
変だ、と壁のカレンダーを眺めたけれども、日付におかしい感じはしない。
今日はこの日、と把握出来ているし、昨日のことだってよく覚えている。学校でのことも。
(学校だって…)
ちゃんと通っているんだから、と時間割にも目を通した。今週は休んでいないのだから、毎日の授業もハーレイが受け持つ古典の時間も記憶にあったし、間違いはない。
(でも、学校…)
秋になってから何度も休んだ。風邪を引いたり、少し具合が悪かったりと。
ハーレイが見舞いに訪ねてくれては野菜スープを作ってくれた。その間にも季節は進む筈で。
(野菜スープのシャングリラ風だって…)
「今日のは風邪引きスペシャルだぞ」と作って貰った、卵を落としてとろみをつけた風邪の時のスープ。素朴な味わいは変わらないまま、滋味深いものになっていた。
「俺の新作だ」とテリーヌ仕立ても誕生した。母が作ったポトフのテリーヌで閃いたとかで。
(普通のシャングリラ風も何度も食べたよ、秋になってから)
確実に増えている思い出。
野菜スープのシャングリラ風だけでも、特別なものが二種類も。
秋が三ヶ月しか無くて、その秋が今も終わらないなら、特別なスープは二ヶ月ほどの間に二つも生まれて味わったということになる。けれども、そういう感覚は無い。
(新作、そんなに続けて出てない…)
もしも一ヶ月に一つのペースで出来ていたなら、それをじっくり味わった自分は学校をどれほど休んでいたのか。毎週、毎週、休み続けていたのだったら分かるけれども。
(いくらぼくでも、そんなには…)
元気に通った週が多いから、ハーレイとの思い出も積み重なった。
学校のある日に仕事帰りに寄って行ってくれるハーレイとのお茶や、夕食などや。
有り得ない数のハーレイと一緒に過ごした日々。
秋が来てから、右手用のサポーターを貰う前から、どのくらい会っては話したのか。ハーレイに甘えていたりしたのか。
(なんで…?)
出来る筈もない、秋という限られた季節の間にそこまでの逢瀬を重ねること。
いくら数えても計算が合わず、合うわけがないとも思うのに。
記憶違いかと壁のカレンダーを、学校の時間割を見詰めれば「間違いない」と強まる自信。
合っているのだと、今は秋だと。
(だけど、変だよ…)
指を折って思い出を数えてゆくほど、カレンダーの日付と合いそうにない。思い出が多すぎて、ハーレイと二人で過ごした日の数が多すぎて。
これはハーレイにも訊いてみなければ、とメモを取り出して書き付けた。
「いつまで秋?」と。
そのメモを勉強机の上に置く。
幸いなことに、明日はハーレイが来る土曜日だから。
翌朝、目覚めてメモに気付いて。
(何回目の土曜日?)
すぐに思ったのはそれだった。
この秋、何度目の土曜日だろう?
昨夜も考えたことだけれども、いくら数えても、ハーレイと過ごした土曜日の数が多すぎる。
ハーレイが「今度の土曜は来られないぞ」と言っていた日もあったのに。
柔道部の顧問をやっているから、そっちの仕事で潰れた土曜日も少なくないのに。
けれど、土曜日。何度も何度も会った土曜日。
(秋って、そんなに…)
長くはない筈。昨日も数えた。秋はせいぜい三ヶ月だと。
三ヶ月の間に土曜日の数は十二回くらい。それでは足りない。とても足りない。
おまけに学校のある平日だって、何度一緒に夕刻から会って父や母も一緒に食事したことか。
やはり何かがおかしいと思う。秋がこんなに長いだなんて。
ハーレイの母が作ったマーマレードをトーストにたっぷりと塗っての、満ち足りた朝食。それを食べたら部屋の掃除で、ハーレイを迎える準備に胸が高鳴る。
やがて門扉の脇のチャイムが鳴らされ、其処に立っているハーレイに窓から手を振って。
きちんと拭いておいたテーブルに母がお茶とお菓子を置いて行ってくれて、幸せな時間が今日も始まった。ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせで。
天気がいいからと歩いて来たハーレイの土産話を聞いていた時、勉強机のメモに留まった目。
ブルーは話が一段落するまで待って、こう問い掛けた。
「ねえ、ハーレイ。いつまで秋なの?」
「はあ?」
怪訝そうなハーレイに畳み掛ける。
「冬が来ないよ、だいぶ経つのに」
秋になってからかなり経つけど、まだ冬じゃないよ。
「そりゃあ、秋だからな」
いい季節じゃないか、今が一番。これから紅葉で、それが散ったら冬の始まりだな。
「そうじゃなくって…。変だよ、ハーレイと会った日の数」
ぼくの家でハーレイと会った日の数、昨日、考えてみたんだけれど…。
土曜日だけでもとても多いよ、秋だけじゃとても足りないよ。
あれだけハーレイと会っていたなら、とっくに冬になってる筈だと思うんだけど…。
何か変だよ、とブルーが懸命に説明すると。
ハーレイはフウと溜息をついて、逞しい腕をゆっくりと組んだ。
「そうか、お前も気が付いたのか」
俺たちの周りを流れてる時間、どうやら普通じゃないな、ってことに。
「ハーレイも?」
気が付いていたの、秋が全然終わらないこと。
いつから秋だったのか思い出せないほど、長い長い秋が続いていること。
「うむ。日記を書いてて、ふと気付いたんだ」
日記の量が凄いな、と。秋になってからこんなに書いたか、と思わず読み返しちまったほどだ。
「ハーレイの日記、覚え書きでしょ?」
ぼくのことなんか書いていないって聞いているけど、読み返すような中身があるの?
「前の俺の航宙日誌みたいなもんだな、覚え書き程度でも分かるもんだ」
いつ此処へ来たか、お前とどんな話をしたのか。
お前との思い出が山ほど詰まった日記なんだが、そいつが延々と秋のまんまだ。
「秋の日記が多すぎるの?」
「凄い量だな、覚え書きだから日記を埋め尽くすまでは行かないが…」
まだまだ埋まる気配も見えんが、それでも凄い量なのは分かる。
何度か気付いてチェックしてみたが、日記が増えても秋が終わらん。日記が増えるだけなんだ。
この秋の俺の日記だけが増えて、秋って季節は終わりもしない。
不思議なもんだな、ちゃんと夜が明けて朝が来るのにな?
週末が来ては、また学校へと出掛けるのにな…?
「それって…。変なことが起こっているってこと?」
ぼくたち、何かおかしなことに巻き込まれてるの?
「いや。気になる度にあれこれ調べてはみたが、異常なしだ」
俺の周りも、その他のことも。何処にも異常は見当たらないんだ。
「エアポケットに落ちちゃった?」
時間の流れのエアポケット。いつまで経っても秋が終わらない、そういう所に。
「そうかもしれんな。この宇宙ごとな」
「ええっ!?」
宇宙ごとって…。ぼくとハーレイが住んでる辺りだけじゃなくて?
地球も他の星も、全部エアポケットに落っこちちゃったの?
「落ちたんだとしたら、宇宙ごとだ。何処にも異常がないんだからな」
地球もそうだが、他の星だって。
毎日きちんとニュースが入るし、通信は途絶していない。空間異常の報告も無い。
今の俺はただの古典の教師に過ぎんが、前の俺はキャプテン・ハーレイだぞ?
データさえあれば、ある程度のことは掴めるんだ。今の宇宙には全く異常なしだ。
「それじゃ、秋が終わらないっていうだけのこと?」
「データの上ではそうなるな。ただ…」
あえて不思議な点を挙げるなら、秋が終わらなくても、季節が前へと進まなくても。
そのせいで困ったことが起こらないよう、帳尻が合っているらしい。
例えば、俺がお前の家へ持ってくる、おふくろのマーマレードだが…。
幾つも持って来てるというのに、少しも減りやしないんだ。親父たちの家に置いてある分が。
ついでに、空き瓶、いつも返して貰っているだろ、来年のために。
そいつを何個も親父たちの家まで返しに行ったが、空き瓶だらけにもならないな。
マーマレードは減った分だけ、勝手に補給されてるわけだ。俺が返した空き瓶の分。
同じようなことが宇宙全体で起こっているんだろうなあ、物資が品切れにならないように。
ハーレイの話を聞いたブルーは酷く驚いた。
秋が終わらないというだけではなく、減らないと言われたマーマレード。
それはあまりに妙だったから。
「ハーレイ、ぼくたち、どうなっちゃうの?」
口にした途端、別の不安に襲われた。もしかしたら。
もしかしたら秋が終わらないのではなく、エアポケットに落ちたのではなくて…。
湧き上がった恐怖がたちまち口から溢れ出す。
「まさか、これ全部、ぼくの夢とか?」
青い地球に生まれて、ハーレイと会って、うんと幸せに暮らしてたつもりだったけど…。
ぼくってやっぱり、あの日にメギドで死んでしまって、そのまんま?
地球に生まれてなんかはいなくて、今も死んだまま?
何もかも全部、前のぼくが……ソルジャー・ブルーが見ている夢なの、死んだままで?
そんなの嫌だよ、怖いよ、ハーレイ…!
足元から世界が崩れてゆきそうで、闇の中に放り出されそうで。
怖くて泣き出しそうになったブルーだけれども、ハーレイの手が銀色の頭をポンと叩いた。
「安心しろ」と、「俺がいるだろ」と、優しく微笑み掛けながら。
「大丈夫だ、こいつは夢じゃない」
前のお前が見ている夢とは違うさ、これは。
お前も俺もちゃんと生きてるし、本当に本物の地球に来たんだ。
だから怖がらなくてもいい。幸せに笑っていればいいんだ、この秋が終わらなくてもな。
「でも…」
やっぱり変だよ、いつまで経っても秋だなんて。
ぼくが死んでいないとしても、とんでもないことが起こったりしない?
宇宙ごと何処かへ飛ばされちゃうとか、宇宙が壊れてなくなっちゃうとか…。
「心配するな、何も起こらんさ」
お前は心配しなくていいんだ、今の幸せを楽しめばいい。
秋には秋の良さがあるだろ、そいつを思う存分な。この家で、それに学校とかでも。
「どうして? どうして心配無いって言えるの?」
こんなに変なことが起こっているのに…。
いつまでも秋とか、エアポケットとか、どう考えても普通じゃないのに…!
おかしすぎる、と訴えるブルーに、ハーレイは「まあな」と返したけれど。
その後に続いて出て来た言葉は、思いもよらないものだった。
「お前は変だと言っているが、だ。俺が思うに、この現象は…変じゃなくって奇跡ってヤツだな」
「奇跡?」
何故、とブルーが目を丸くすると。
「そうとしか思えないからさ。宇宙に全く異常がないなら、こいつは奇跡だ」
きっと神様の力だろう、という気がするんだ。宇宙を創った神様のな。
「神様の力?」
どうして神様がこんなことをするの?
神様だったら、きちんと時間を進めた方が良さそうなのに…。季節だって、ちゃんと。
「もちろん基本はそうなんだろうが…。それをわざわざ変えて下さってるからこそ奇跡なんだ」
普通だったら、秋が終われば冬が来る。そうやって時間は先へと進むわけだが…。
時間の流れを止めて下さっているんだろうなあ、神様は。
「なんで?」
それが本当なら、神様、どういうつもりなの?
時間を止めるような奇跡を起こしてみたって、誰も気付いていないのに…。
「気付いて欲しいとは思っていらっしゃらないさ、神様は。…お前は気付いたようだがな」
お前と、俺と。
この地球の上に生まれ変わって、お前は身体に聖痕まで持っているだろう?
「うん。あれっきり二度と現れないけど…」
あの聖痕がハーレイを思い出させてくれたよ、前のぼくの記憶を戻してくれた。
聖痕は神様のお蔭だろうけど、秋が終わらない奇跡は何なの?
「お前のためじゃないのか、こいつは。…俺が思うに」
「ぼくのため…?」
秋が終わらないと、ぼくにいいこと、何か起こるの?
「お前の時間が増えるだろうが。秋が終わらなきゃ、その分だけな。…冬が来るまで」
現に、俺と一緒に過ごした土曜日。それに日曜日も、俺の仕事が早く終わった平日も。
秋だけだったら全く足りない日数なんだろ、お前が俺と一緒にいた日は?
「そうだけど…」
「それにだ、俺と過ごした日だけじゃなくて。俺がこの家に来られない日も沢山あったが…」
お前はお父さんやお母さんと暮らしていただろうが。
暖かい家で、可愛がられて。うんと幸せに過ごしていただろ、俺が訪ねて来られなくても。
だから…、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「前のお前が失くしちまった、子供時代の暖かな時間。そいつを返して下さるんじゃないか?」
秋から冬へと進める代わりに、季節を止めて。
時間も恐らく止まってるんだな、流れているように見えてもな。
そこが奇跡の凄い所だ、俺のおふくろのマーマレードは食べれば減るのに、減った分だけ増えている。いくら食っても無くなりはしない。
しかし時間が止まっているなら、そもそも誰もマーマレードを食わないってな。マーマレードを食おうと思えば人間の身体は動かにゃならんが、動くためには時間の流れが必要だろう?
ところが時間は止まっているんだ、実際のトコは。生きて行くのに支障が出ない範囲でな。
これが神様の仕業でなければ何なんだ?
そうやって時間も季節も止めてだ、前のお前が失くした時間をお前に返して下さるってな。
「じゃあ、十四年分、返ってくるの?」
十四年分も今の秋が続くの、ねえ、ハーレイ?
「もっとかもしれん。前のお前が止めてしまっていた時の数だけ」
アルタミラの檻で成長を止めてしまっていただろ、前のお前は。
あの姿のままでお前が過ごした悲しい時間も、神様はちゃんと返して下さるかもな。
終わらない秋をゆっくり楽しめ、とハーレイは言った。
神様が下さった幸せな時を、奇跡の時間を心ゆくまで満喫しろと。
(確かに幸せなんだけど…)
幸せな秋を過ごしているんだけれど、とブルーは思い返したけれども、問題が一つ。
神様が時間を止めているなら、この奇跡には一つ大きな問題があって。
「ゆっくり過ごすのはいいんだけれど…。このまま時間が流れなかったら…!」
ハーレイと結婚出来ないよ!
ぼくは大きくなれないんだから、十八歳にだってならないんだから…!
そうでしょ、ハーレイ?
ぼくが十四歳のままだったら…!
結婚出来ずに秋のままだよ、いつか時間が流れ出すまで、ぼくは結婚出来ないんだよ!
「ふうむ…。それで今、お前は困っているのか?」
現時点でお前は困っているのか、そいつのせいで?
「とっても!」
ぼくはとっても困ってるんだよ、チビだし、ちっとも背は伸びないし!
このまま秋が続いていくなら、ぼくの背だって伸びないんだもの!
チビだとハーレイとキスが出来ないままだよ、前のぼくと同じ背丈になれないから!
それに結婚出来る十八歳にもなれやしなくて、ハーレイと結婚出来ないまんま…。
そんなの困るよ、ぼくはハーレイと早く結婚したいんだから…!
結婚したいしキスもしたい、とブルーは頬を膨らませた。
神様は酷いと、こんな奇跡を自分は望んでいなかったのに、と。
膨れっ面になったブルーの赤い瞳をハーレイの瞳が覗き込む。鳶色の瞳が、真っ直ぐに深く。
そして問われた。真剣な顔で。
「お前、今…。不幸なのか?」
「えっ?」
何、と問い返したブルーに更なる問いが投げ掛けられる。
「幸せなのか? それとも不幸だと思っているのか?」
どっちなんだ、お前。今のお前の毎日ってヤツは、幸せなのか、不幸なのか。
「それは…」
ブルーは一瞬、言い淀んだ。
そうして自分の生きて来た日々を振り返る。ハーレイと過ごした幸せな日々。両親に慈しまれて暮らす毎日も、学校で友達と遊ぶ時間も。
秋が来てから、数え切れないほどの満ち足りた時間を過ごして来た。時が止まらずに冬になっていたら、とても得られなかった日々。メギドの悪夢も襲っては来たが、恵まれた季節。
終わらない秋を今日まで過ごして、不幸なのか、と問われれば、否。
幸せなのか、と問い掛けられれば、それはその通りなのだから…。
「幸せだと思う…」
ぼくは幸せだよ、ハーレイ。
不幸なのか、って訊かれちゃったら、不幸だなんて言えやしないよ。
秋のままだとハーレイと結婚出来ないんだ、って分かってるけど、それだけのことで不幸だって言ったら、前のぼくの人生は何だったんだ、って神様の罰が当たりそう…。
「ちゃんと分かっているんじゃないか。今のお前は幸せなんだっていうことをな」
なら、貰っておけ。神様の御褒美。
「御褒美?」
奇跡じゃなくって御褒美なの?
「いや、奇跡には違いないんだが…。お前のためなら御褒美だろうと思うわけだな」
秋が終わらないっていうこと、普段は気付いていないだろう?
そうして俺と何度も会っては、色々な話をして来たよな?
俺の日記には何も書かれちゃいないが、読み返せば何を話したかは分かる。前の俺たちのことを何度も話した、小さな切っ掛けで思い出しては、沢山のことを。
だがな、そいつも全部覚えているわけじゃない。覚えていたり、忘れていたりと色々だ。
幾つも幾つも、前の俺たちのことを思い出しては、また忘れて。
思い出す度に今の幸せに気付いて、この地球の上で生きていることに感謝をして。
そうやって幸せを積み重ねていって、前のお前が失くしちまった分の幸せを取り戻す。
全部取り戻して、それから本当に幸せになれ、と仰ってるのさ、神様は。
前のお前は頑張ったからな、その御褒美にと失くしちまった幸せを返して下さるんだ。
メギドを沈めて、ミュウの未来を守ったお前。
たった一人で世界を守ったお前のためにと、神様が終わらない秋の奇跡を起こして下さった。
お前が幸せを沢山手に入れるために、余分な時間をこうして作って下さったんだ。
終わらない秋はそういう意味さ、とハーレイが片目を瞑るから。
小さなブルーにも、そうなのかもしれないと思えて来たから。
「…ホント?」
本当に神様の御褒美なのかな、終わらない秋。神様がぼくに下さったのかな…?
「ああ、きっとな」
お前のためにと下さった時間だ、うんと幸せに使わないとな?
もっとも、こういう話をしていたことすら、明日には忘れてしまうんだろうが…。
なにしろ奇跡だ、御褒美を貰ったお前がいちいち気にしていたんじゃ素直に楽しめないからな。
「ふふっ、そうかもしれないね。メモに書いても忘れるんだろうな、冬が来ないこと」
秋が終わらないことにも気付きもしないで、幸せに暮らしていそうだけれど…。
でも、結婚…。ハーレイと結婚出来る未来が来ないよ、いつまで経っても。
「いつか出来るさ、時が来たなら」
前のお前が失くした分まで、ちゃんと幸せを取り戻したら。
そりゃあ幸せな花嫁になれると思うぞ、焦って結婚するよりもな。のんびり待ってろ。
「十四年後かもしれないのに?」
ううん、十四年後に時が流れ始めても、それから十五歳で、十八歳になるのはまだまだ先だよ。
「もっと先でもいいじゃないか。前のお前がアルタミラで止めていた時の分まで入っていても」
十四年どころじゃない時間だが、だ。俺たちの寿命もその分、伸びるし。
今の時間は年齢にカウントされないとしても、過ごした時間の思い出は残っているだろう?
「そっか…!」
ぼくは十四歳で、ハーレイは三十八歳で。
年だけはそのままで十四年分とか、もっと沢山の秋を貰えるかもしれないんだね。
神様が起こして下さった奇跡。
今の幸せを楽しみなさい、って仰ったんなら、ハーレイと二人で楽しまなくちゃね…!
ブルーは窓の外へと目を遣った。
色づきそうな気配を見せたままで止まった、庭の木々の時間。
もうすぐ紅葉の季節なのだ、という秋の盛りでエアポケットに落ちた日々。
(でも、明日も明後日もやって来るしね、週末だって平日だって…)
ゆったりと流れてゆく時間。
ハーレイの母が作ったマーマレードは減ってゆくのに、空になった瓶をハーレイに渡して新しい瓶を貰っているのに、止まっているらしい、不思議な時間。
ハーレイと過ごす週末が過ぎたら学校に行って、また週末が来るのを待ち焦がれて。
平日もハーレイが寄ってくれないかと、チャイムの音に耳を澄ませて。
終わらない秋も、いいかもしれない。
紅葉の季節が来たと思ったら、終わらない冬が来るかもしれない。
ハーレイと二人、暖かな部屋で語り合いながら舞う雪を見たり、あるいは無理を言って雪景色を見に庭のテーブルと椅子で過ごしてみたり。
そうやって幸せな日々を、奇跡のような時を過ごして、いつか十五歳の誕生日が来る。
そうしたら時は普通に流れるのだろうか、背丈も伸びてゆくのだろうか。
百五十センチから一ミリさえも伸びないままで止まった背丈も、前の自分と同じ背丈に育つ日を目指して伸びてゆくのだろうか…?
(分かんないけど…)
ハーレイが「ゆっくり育てよ」と言い続けるから、伸びないのかもしれないけれど。
十五歳の誕生日を迎えたから、と伸びるものではないかもしれないけれど。
(終わらない秋、神様が起こした奇跡なんだ…)
前の自分が紡ぐ夢かも、と恐ろしい思いに囚われたけれど、そうではないと言われたから。
誰よりも好きで、信じていられるハーレイが「違う」と言ったから。
そのハーレイが教えてくれた通り、今の日々は奇跡なのだろう。
奇跡の日々で、幸せを沢山重ねてゆくために貰えた御褒美。
(貰っちゃってもかまわないんだよね、宇宙が丸ごとエアポケットでも?)
誰も困っていないわけだし、何処にも異常は無いのだし…。
この幸せな日々が、神様が下さった御褒美ならば。
終わらない秋を過ごしてゆくのも、きっと悪くはなくて幸せ。ただ幸せが降り積もるだけ。
幾つも、幾つも、幸せな日々が降り積もる。
ハーレイとキスが出来なくても。
結婚出来る日に手が届かなくても、それらはいつか来るのだから。
より幸せにその日を迎えられるよう、終わらない秋を神様に貰ったのだから…。
終わらない秋・了
※いつまで経っても育たないブルーと、終わらない秋。幸せな季節が続いてゆくだけ。
実は「そういう世界」になっていたんです、このシリーズは。…まだまだ終わりません!
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