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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

貰えないキス

(ハーレイと全然キスが出来ない…)
 未だに出来ない、とブルーはパジャマ姿で溜息をついた。お風呂上がりで、ベッドに座って。
 今日は土曜日で朝から一日一緒にいたのに、「また明日な」と帰ってしまったハーレイ。
 ハーレイと二人で過ごした間はすっかり忘れていたのだけれど。
 キスのことなど、一度も思い出さずにいたのだけれど。



(強請れば良かった…)
 暫く強請っていなかったから、「キスしてもいいよ」と、久しぶりに。
 ハーレイが禁じたキスだけれども、もしかしたら。
 そのハーレイだって人間なのだし、ふとしたはずみに気持ちが揺らぐかもしれないのに。
(恋人同士には違いないもの…)
 ブルーの背丈が足りないせいで、未だに許して貰えないキス。前の自分と同じ背丈に育つまでは駄目だとハーレイに禁止されてしまった。小さな子供にキスは早いと、自分にそういう趣味などは無いと。
 だから背丈を伸ばしたいのに、再会してから一ミリも伸びてくれない背丈。ハーレイと出会った五月三日から一ミリさえも伸びない背丈。百五十センチで止まったまま。
 それでも何度もキスを強請った。「キスしてもいいよ」と何度も誘った。
 ハーレイが釣られてくれればいいのにと、キスしてくれれば嬉しいのに、と。
 今日は誘えば良かっただろうか、キスをしようと。
 ハーレイの膝に座って、甘えて、逞しい首に腕を回して。



(でも、どうせ…)
 ハーレイが「よし」と言ったとしても。誘いに応じてくれたとしても。
 瞳を閉じて上向いていたら、「キスしてやろう」と恩着せがましく頬か額に落とされるキス。
 期待して待っても、そういうオチになるのは必至。
 現に何度か、それをやられた。ハーレイに見事に躱されてしまって、貰えないキス。
(キスには違いないんだけれど…)
 頬や額に貰えるキスも、確かにキスではあるのだけれど。
 それはブルーが欲しいキスとは全く違って、別物のキス。親愛の情を表すキス。
 前の生でもそうしたキスは貰ったけれども、恋人同士になってからも幾つも貰えたけれど。
(あれはオマケで…)
 恋人同士の本当のキスは、ああではないから。
 幾度も交わしたキスは額や頬へのキスではなかったから。
(触れるだけでのキスでもかまわないのに…)
 唇にキス。
 貰いたいのは、唇へのキス。
 もう感触さえ思い出せないほどに、遠い日に貰ったハーレイのキス。



(んーと…)
 こんな感じ、と思い出してはみるけれど。
 前のハーレイと唇を重ねた記憶。抱き締められて、顎を取られて上向かされて。
 温かな唇が触れて来た筈なのだけれど、何処かぼやけてしまった記憶。
 キスも、その先も、その先のことも。
 それは満ち足りた、幸せな時間を二人で過ごした筈なのに。恋人同士だからこそ持てる時間を、誰にも邪魔をされない時間を、数え切れないほど共にしたのに。
(…忘れちゃってる…?)
 すっかり子供になってしまって。
 十四歳の幼い身体に、心に馴染んで、今の生を生きている内に。
(……そんな……)
 思い出せない、色々なこと。
 前のハーレイと愛し合った記憶は確かにあるのに、薄れて掠れてしまった部分。
 満たされた思いだけを残して、熱い感情も激しく交わした愛の時間も今では深い靄の彼方で。
 もう漠然とした記憶しか無い。
 愛し合う時にはこうであったと、ベッドではこうして過ごしていたと。
 それでは本当に子供と同じ。年齢よりも少しませている、背伸びしている子供と同じ。
 恋の記憶を失くしてしまった。
 今も夢見て、そうなれる日が早く来ないかと待ち焦がれている本物の恋人同士で交わす愛を。



(キスだって、そう…)
 唇が触れ合う時の感覚。
 深く深く互いの唇を重ねて、それだけで終わりではなかったキス。
 けれども記憶は薄れてしまった。こうだった筈、と思い返しても実感を伴わない記憶。
(すっかり忘れてしまっちゃってる…)
 キスの記憶も、二人で交わした愛の記憶も。
(これじゃ、知識があるっていうだけ…)
 そうした知識を持っているだけの子供と何ら変わりはしない。ませた子供と変わりはしない。
(覚えてるつもりだったのに…)
 前の生で過ごした幸せな時を。恋人同士の熱い時間を。
 それなのに忘れてしまっているから。自分でも全く気付かない間に時の彼方に失くしたから。
 ハーレイのせいだ、と唇を噛んだ。
 せめてキスだけでも出来ていたなら、もっと覚えていられたろうに。
 キスを交わしたなら次はこうだと、こういう時間を恋人同士で過ごすものだと。



(ハーレイの馬鹿!)
 酷い、と恨み言を言っても始まらない。ハーレイはキスをしてはくれない。
 キスを貰えるなら頬か額に、それでおしまい。
 唇へのキスを貰いたいなら、強請るか、あるいは奪い取るか。
(ハーレイが昼寝でもしてくれたなら…)
 その隙に、キス。
 眠っているハーレイの唇にそうっと唇を重ねて、触れるだけのキス。
 たとえハーレイが即座に目覚めて叱られたとしても、キスしてみたい。あの唇に触れてみたい。
 ぼやけてしまった唇の温かさ、その柔らかさ。
 きっと触れれば一瞬で思い出すだろう。ハーレイの唇はこうだった、と。
 その唇がくれたキスのことも、唇を深く重ね合った時の甘い記憶も。



(でも、寝ないよね…)
 いくらハーレイがこの家を何度も訪ねて来ていて、家族同然の存在でも。
 父と母も一緒の夕食が珍しくなくて、仕事帰りに不意に寄っても歓待される身であっても。
(自分の家じゃないんだもの…)
 他所の家を訪れた時に昼寝をするなど、幼い子供にしか許されないこと。
 そうでなければ、泊まりがけで滞在する時くらい。ただの訪問では昼寝するなど不作法なこと。
(ハーレイ、真面目だから、「いいよ」って言っても寝るわけがないよ)
 仕事で疲れて欠伸を噛み殺しているような時でも、ハーレイは昼寝などしない。それくらいなら早めに帰って家で眠るに違いない。
 そんなハーレイが眠っている間に唇へのキスを奪うチャンスなど決して来ない。ハーレイの家に押し掛けて行って、寝込みを襲う以外には。
(だけど、飛んで行けたのは一回きりだし…)
 メギドの悪夢に怯えながら眠って、知らずに瞬間移動をした時。
 ハーレイのベッドで目覚めて驚いたけれど、あれきり飛べない、ハーレイの家。どんなに怖くて寂しい夜でも、瞬間移動で飛んでゆく代わりに自分のベッドで震えながら眠って目覚めるだけ。
 何度でも行けると思ったのに。
 意識して飛ぶことは出来ないけれども、無意識であれば何度だって、と。
 けれど来てくれない、二度目のチャンス。来ては駄目だと言われている家に入れるチャンス。
 ハーレイの寝込みを襲って唇へのキスを狙うどころか、ハーレイの家に入れない。
 あの唇に触れることは出来ず、ハーレイからもキスは貰えないまま。



(ホントにキスだけでいいんだけどな…)
 触れるだけのキスで。
 ただ唇が触れ合うだけのキスで充分、それだけで幸せになれるだろうに。
(…それも無理なの?)
 駄目なの、とハーレイの写真を眺める。
 勉強机の上に飾ったフォトフレーム。ハーレイに貰った、飴色の木で出来たお揃いの品。
 その中に自分とハーレイが居る。夏休みの最後の日に庭で写した記念写真。
 ハーレイの左腕に両腕で抱き付いて、幸せそうな自分。とびきりの笑顔をしているハーレイ。
(こんな顔のハーレイとキスが出来たら…)
 大好きでたまらないハーレイの笑顔。それを向けられて、唇が降って来てくれたなら。
 優しく顎を持ち上げられて、唇を重ねて貰えたなら…。



(前のハーレイなら、こんな笑顔で…)
 何度もキスをくれていたのに。青の間でも、通路でいきなり抱き付いた時も。
 そう、通路でもキスをしていた。周りに誰もいない時を狙って、瞬間移動でハーレイを追って。濃い緑色のマントに覆われた背中に抱き付き、驚かせた後はこういう笑顔と唇へのキス。
(ホントに何度もキスをしたのに…)
 同じ笑顔のハーレイだけれど、今では全く貰えないキス。それが悲しくて、寂しくて。
(ハーレイの笑顔は変わらないのに…)
 同じなのに、と写真をまじまじと見詰める内に。
 笑顔のハーレイとキスしたくなった。ハーレイは写真の中だけれども。



(ちょっとだけ…)
 写真にキスが出来ないものか、とフォトフレームを手にしてみた。
 ガラス越しに顔を近付けてゆけば、もれなく近付く自分の肖像。ハーレイの隣に居る自分。
(ぼくにまでキスをしちゃいそうだよ…)
 うっかり唇がズレたなら。
 おまけに写真は小さいのだからハーレイの唇だけを狙えはしない。自分の唇でキスをしたなら、キスの対象は唇どころか顔ごと全部。ハーレイの顔中にベッタリとキス。
 でも…。
(しないよりはマシ?)
 ハーレイにキス…、とフォトフレームに息がかかるほど唇を近付けた所で。



「ブルー、起きてるの?」
 母の呼び声で飛び上がった。扉越しではあったけれども、ドキリと跳ね上がってしまった心臓。
 慌ててフォトフレームを机に戻すと、顔を扉の方へと向けた。
「な、なに!?」
 裏返りそうな声を懸命に抑え、訊き返せば。
「ごめんなさい、ビックリさせちゃったかしら?」
 母が扉の向こうで詫びた。明かりが点いていたから、点けっぱなしで眠ったのかと思ったと。
「ううん、起きてる…!」
「それならいいけど…。湯冷めしないように気を付けてね?」
「はーい!」
 大丈夫、と返事をすると、母の足音は寝室の方へと消えて行ったけれど。
(び、びっくりした…)
 絶妙と言うべきか、最悪と言うか。タイミングの良さだか悪さだかに、まだ心臓がドキドキ音を立てている。
 キスをしようとしていた所を母に見咎められたようで。
 「ほら見ろ、キスは駄目だと言ったろ」とハーレイに叱られてしまったようで。



(…写真にだって、キスしちゃ駄目なの?)
 鼓動が少し落ち着いてくると、やはり写真に未練が残る。
 したかったキス。
 ハーレイの唇を目指したけれども、母の声で阻まれてしまったキス。
(…ハーレイが駄目って怒ったのかな?)
 ならば、とフォトフレームを手にして、写真に頬を擦り寄せた。ハーレイのキスは、頬か額ならいいのだから。頬と額には今でもキスを貰えるのだから。
 頬に触れた感触はガラスだけれども、その向こうにはハーレイの笑顔。笑顔のハーレイ。
(ちょっと幸せ…)
 ハーレイにキスを貰えたようで。
 「おやすみのキスだ」と頬にキスして貰えたようで。
 今の生では貰えてもいない、おやすみのキス。
 ハーレイと一緒には眠れないから。ベッドに入るような時間にハーレイは居てはくれないから。



(おやすみのキスを貰っちゃったし…)
 離れ難くなったフォトフレーム。飴色の木枠の優しい手触り、それに温もり。
 このフォトフレームと一緒に眠ってみたい、と思ったけれど。
 枕の隣に置いて眠れば素敵な夢が見られるかも、とフォトフレームを抱き締めてベッドの方へと目を遣ったけれど。
(…ハーレイと一緒にベッドで寝るの!?)
 恋人の写真を自分のベッドに。
 前の生では幾度となく愛を交わしたハーレイ。そのハーレイの写真をベッドに。
 いくら記憶が薄れていたって、それはちょっぴり恥ずかしい。
 ベッドは愛を交わす所で、ただ眠るだけの場所ではなくて。
(でも…)
 離れたくないフォトフレーム。その中の大好きな笑顔のハーレイ。
 記憶は薄れてしまったけれども、今の自分はパジャマ姿。この格好では何も出来ない。せいぜい添い寝で、それならば寄り添って眠るだけのことで。
(ぬいぐるみ感覚…)
 幼い頃にはお気に入りのぬいぐるみと眠ったものだし、フォトフレームだって似たようなもの。
 ちょっとくらい、と抱えてベッドに近付いたけれど、やはり先に立つ恥ずかしさ。
(うー…)
 ベッドは何をする場所なのかは覚えているから。
 具体的な記憶は霞んでいたって、まるで知らないわけではないから。
 これは無理だ、と耳の先まで真っ赤に染め上げてベッドに潜った。
 フォトフレームに添い寝して貰うことは諦めて。
 ハーレイの笑顔に「おやすみなさい」と挨拶だけして、上掛けをすっぽり被ってしまって。



 そして翌日、日曜日だからハーレイがやって来たのだけれど。
 午前のお茶の時間に間に合うように、と現れたハーレイは、いつもの椅子に腰を下ろして紅茶のカップを傾けながら勉強机の方を眺めて。
「おっ?」
 其処に何かを見付けたような声を上げるから。
「どうしたの?」
 ハーレイ、あそこに何かあった?
「いや、机の上に飾ってある写真…」
「あれがどうかした?」
 平静を装って尋ねたものの、勉強机の上には例のフォトフレーム。昨夜、ハーレイの写真の唇にキスしようとして母に阻まれ、添い寝したいと考えたものの果たせなかったフォトフレーム。
(えーっと…)
 たちまち思い出す昨夜の出来事。
 鎮まってくれと願っているのに、真っ赤に染まってしまった頬。



「ふん、図星か」
 ハーレイがフフンと鼻で笑った。
「えっ?」
 図星って…。なに?
 何のことなの、とブルーは早鐘のように打つ心臓を抱えて、普通に振る舞おうとしたけれど。
 努力も空しく、ハーレイの喉がクックッと鳴って。
「よからぬ思念を感じてな」
 あれはお前のだろ、フォトフレームの俺に絡み付くように…。
「嘘…!」
 ぼくはなんにもしてやしないよ、ちょっと写真を見てただけだよ…!
「どうなんだかな?」
 それにしては妙に強い気がするが…。
 俺は嘘なんかを言いはしないぞ、本当のことを言っているだけだ。
 フォトフレームの辺りにお前の心が零れてる。
 俺にキスしようか、どうしようかと。
 一緒に眠ってみたいけれども、そいつは流石に恥ずかしいとかな。
「そ、そんな…!」
 ハーレイ、ぼくの心を読んだ!?
 それで面白くてからかっているの、ねえ、ハーレイ?
「いや? 俺はあくまで零れた心を拾っただけだが」
 あの周りにたっぷりと転がって落ちているんだ、よほど未練があったらしいな?
 もっとも、俺にしか分からんだろうが…。
 写真の中でも俺に向けられた感情だしなあ、ついでにお前の心は拾いやすいんだ。
 どうしたわけだか、今のお前が零した心は俺には拾い放題だってな。



 だから堂々としていられないようなことはするなよ、とハーレイはブルーに釘を刺した。
 フォトフレームにキスをするとか、添い寝だとか。
 母の呼び声で飛び上がった事件までもがすっかり筒抜け、穴があったら入りたいような気持ちのブルーだけれど。恥ずかしくて顔も真っ赤だけれども、負けてなるものかと抗議した。
「でも、ハーレイがしてくれないから…!」
 キスも添い寝もしてくれないから、写真くらいならいいかと思って…!
 写真だったらハーレイは笑顔で写っているだけだし、ぼくを叱りもしないから…!
「それで写真にキスで添い寝か?」
 お母さんの声で心臓が止まるほどビックリしてたり、たかが添い寝も出来なかったり。
 要するに、お前には早すぎなんだ、どちらもな。
 キスも添い寝も、もっと大きく育たんことには話にならん。
 今のお前には「おやすみ」のキスはお父さんかお母さんのが似合いで、添い寝も同じだ。いや、添い寝するなら、ぬいぐるみか…。
 そのくらいで丁度いいってものだろ、お前はまだまだ子供だからな?



 チビのくせに、とハーレイの褐色の指がブルーの額をピンと弾いた。
 「痛いよ!」とブルーが叫んだ途端に、「そうか?」と椅子から立ったハーレイ。向かい合って挟んでいたテーブルを回り込み、ブルーの額にキスを落とすと、元の椅子へと戻って行って。
「もう痛くないだろ、ちゃんとキスしてやったしな?」
 小さな子供によくやるアレだ。「痛いの、痛いの、飛んで行け」とな。
「ぼくって、そういうレベルなわけ!?」
「当たり前だろ、チビだろうが」
 チビへのキスは頬と額だけで充分だ。
 それ以外の何処にキスしろと言うんだ、手の甲へのキスだってチビには要らん。お前がどんなに背伸びしたってチビはチビだし、キスをする場所もチビにピッタリの頬と額で充分なんだ。
「だけど記憶が薄れてしまうよ!」
 ハーレイのキスとか、キスの先とか…。
 気が付いたんだよ、ぼくって記憶が薄れてるんだよ!
 思い出せない部分が多くて、前のハーレイと一緒に過ごした記憶が曖昧になっているんだよ…!
「ほほう…? それで困っているのか、お前?」
 俺と過ごした記憶が曖昧だと言い出す割には、昔の記憶もしっかり残っているようだが?
 前のお前が持っていた記憶。
 俺との記憶も、大騒ぎしなきゃいけないほどには消えてはいないと思うがな?
 早い話が、お前がよく言う本物の恋人同士とやら。
 それに関する記憶だけが薄れてしまってるんだろ、違うのか…?
「そうだけど…。そうなんだけど…!」
 でも、その記憶だって大切なんだよ、ハーレイとの大事な思い出だもの!
 本物の恋人同士だったんだよ、って幸せになれる、前のぼくの思い出だったのに…!



 それが薄れるだなんて悲しすぎる、とブルーは切々と訴えたけれど。
 記憶を留めておくためにキスが欲しいと言ったけれども、ハーレイの方はそうではなくて。
「お前、たったの十四歳だろ?」
 どう考えたって早すぎるってな、そういう思い出を噛み締めるにはな。
 チビのお前が後生大事に抱えているには向かない記憶で、だから薄れてしまうんだ。
 焦って必死に繋ぎ止めなくても、いずれ自然に戻ってくるさ。
 お前の背丈が前のお前と同じに伸びたら、そういう背丈に見合う中身になったなら。それまでは諦めて放っておくしかないだろうなあ、そういった記憶。
「酷いよ、このままにしておけって言うの?」
 思い出そうとしても駄目なのに、霞がかかったみたいに何処かがぼやけているのに…!
「忘れている方が幸せだろうと思うがな?」
 現に記憶が薄れた今でも、お前、キスばかり強請っているし…。
 もしも記憶がハッキリしてたら、いったい何を言い出したやら…。
 そうなっていても、俺は相手にしてやらん。教師と生徒じゃ、色々と問題がありすぎるからな。
 お前の記憶に感謝しておけ、ぼやけちまった記憶にな。
 その方が今のお前に似合いだ、お父さんやお母さんと一緒に暮らすチビには。



 チビはチビらしく生きるもんだ、と言われたブルーは泣きたい気持ちになったけれども。
 薄れた記憶を取り戻すどころか、忘れておけと突き放されてしまったけれど。
(でも、いつかは…)
 今は駄目でも、いつか大きくなったなら。
 前の自分と変わらない背丈に成長したなら、事情は変わってくれるのだろう。
 ハーレイはキスを許してくれるし、そうすれば薄れてしまった記憶も取り戻せるのに違いない。
 前の生で交わしたキスも、その先も、ハーレイとの甘い睦言も。
 今ではすっかりぼやけてしまって曖昧だけども、キスを交わして、それから、それから…。
 恋人同士の時を持つなら、行き先はベッド。
 何をするかは覚えているから、早くハーレイとそういう時を…、と願ったけれど。
 その心までが零れていたのか、また指先でピンと額を弾かれた。
 チビのくせにと、そういったことを思い描くには早すぎて全く話にならん、と。



 弾かれた額を押さえて大袈裟に痛がっていたら、「こっちに来い」と手招きされて。
 ハーレイはブルーを膝に座らせ、「今はこれだけだ」とキスを降らせた。
 まずは自分が弾いた額に、その次は頬に。
「チビのお前には、こういうキスしかしてやれないしな?」
 それでも無いよりマシだろうが。
 俺に会えなきゃ、お前にキスをしてくれる人はお父さんとお母さんしかいないんだぞ?
 後は友達がふざけてってトコか、少なくとも恋人からってキスは無いなあ…。
 頬と額でも恋人からのキスが貰える分だけ、お前は幸せだと思うんだがな?
 それもだ、ずうっと昔からの恋人がキスをくれるんだぞ?
 お前の年なら、まだ恋人に出会うどころか、初恋さえもしていないのが普通じゃないか?
「…そうなのかも…」
 恋人がいるって子の話なんか、一回も聞いたこと無いし…。
 今じゃ人間はみんなミュウだし、恋をするにものんびりだよね。
 上の学校に行く頃にやっと、そういう話が出てくるのかも…。
 ぼくなんか、うんと早い方だね、上の学校、行かずに結婚したいんだものね…。



 キスは駄目だと、頬と額にしかしてはやれないと、改めて言われたブルーだけれど。
 前のハーレイと交わしたキスの記憶も曖昧になってしまったけれど。
(でも、ハーレイはキスしてくれるんだしね?)
 チビにはこうだ、と頬と額へのキスであっても、恋人のキス。
 恋人が自分にくれるキス。
 これでもいいか、と思ってしまう。
 チビ扱いは癪だけれども、今の自分はこれで幸せだと心が温かくほどけてゆくから。
 頬に、額に落とされるキスに、幸せな気持ちが膨らむから。
 チビ扱いでも、自分はハーレイの恋人なのだと。
 前の生での愛の記憶は薄れたけれども、恋人の腕は今もあるから。
 こうして自分を抱き締めていてくれるから…。



(それでもやっぱり、チビはチビ…)
 ベッドに一緒に持ってゆくのは恥ずかしいから、と持ち込めなかったフォトフレーム。
 好きでたまらないハーレイの写真と、添い寝さえ出来なかったほどの小心者。
 もっと堂々と写真を抱き締め、恥ずかしがらずに眠れる日まではチビなのだろう。
 頬を真っ赤に染めたりもせずに、胸元に抱いて眠れるようになるまでは。
(…だって、いつかは本物のハーレイと一緒に眠るんだものね)
 ぼやけた記憶の向こう側でも、何をするかは分かるから。
 写真くらいで頬を染めていては、そんなことなど出来よう筈もないのだから。
(ハーレイが言う通り、ぼくってチビだ…)
 どんなに強請って誘ってみたって、頬と額へのキスが似合いの小さな子供。
 チビ扱いされて、唇へのキスを断られてしまう小さな子供。
 いつかハーレイの写真にキスを落として、添い寝出来る日が来るまでは。
 恋人の腕が無い独りの夜には、そう出来るようになるまでは。



(ねえ、ハーレイ…。それって、いつ?)
 いつのことなの、と心の中で呟いた声は確かに届いている筈なのに。
 ハーレイは「ん?」と微笑んで頬にキスをくれただけ。
 唇で優しく触れただけ。
(ハーレイってば…!)
 零れた心は拾いやすい、と言っていたくせに無視する恋人。
 そうして、また一つ、優しいキス。
 今度は額に、温かく触れて…。




            貰えないキス・了

※ハーレイの写真にキスをすることも、ベッドに持ち込むことも出来なかったブルー。
 まだまだ子供の証拠らしいです、一人前の恋人気取りでも。十四歳では仕方ないですね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







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