シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(何の匂い?)
ふうわりと鼻をくすぐった香り。
お風呂のドアを開けた途端に、温かい湯気の湿気に混じって。
いつもはこういう香りはしないし、この匂いは何処から来てるんだろう?
ママが新しいバスキューブでも入れたかな、ってバスタブを覗いてみたんだけれども、色なんかついていないお湯。湯気だって何の匂いもしない。
(でも…)
確かに甘い香りがするんだ、お風呂とも思えない香り。どちらかと言えば…。
(お菓子みたいだよ?)
だけど分からない、香りの正体。バスキューブじゃないなら何だろう、って首を捻っても答えは出ないし、とにかくお湯に浸からなくっちゃ。風邪を引く前に。
まずは身体を洗ってから…、とシャワーを浴びながら手を伸ばした先に。
(石鹸…)
昨日までは無かった、ピンクの石鹸。白い陶器のお皿に載ってる。他のとは別に。
(もしかして、これ?)
ボディーソープで身体を洗って、お湯で流して。
それから新しく来た石鹸を観察してみた。ママのなんだろう、ぼくは初めて見るけれど。
予想通りに、あの香りの元は石鹸だった。甘いイチゴの香りの石鹸。
(美味しそう…)
まるで食べられそうな石鹸。ちっとも石鹸臭くなくって、ホントのホントにイチゴの匂い。甘く熟したイチゴの匂いがする石鹸。
それに本物のイチゴを潰して搾って作ったみたいな石鹸なんだ。半透明のストロベリーピンク、種の粒々まで綺麗に見える。イチゴのジュースを固めたようにしか見えない石鹸。
(んーと…)
もっとゆっくり眺めたいから、陶器のお皿ごとバスタブの縁まで持ってった。
ちょっとしたものを乗っけられるように小さな棚が作ってあるから、そこに陶器のお皿を置いてイチゴの石鹸をつついてみる。
ぼくはお湯の中、あったかいお風呂にゆったり浸かって、チョンチョンと指で。
(これってホントに石鹸だよね?)
だって、お風呂にあるんだから。だけどイチゴの香りは甘くて、これがダイニングやキッチンにあったらお菓子なのかと間違えそう。ちょっぴり固めのゼリー菓子とか、そんな感じで。
そう思って見てたら、お風呂のドアを開けてママが覗いた。
食べちゃ駄目よ、って。
美味しそうだとは思っていたけど、ぼくってそんなに食いしん坊に見えるんだろうか?
「ママ、これなあに?」
昨日まではお風呂に無かったよ?
それにとっても甘い匂いがするんだけれど…。
「手作り石鹸なんですって。お友達から頂いたのよ」
何処だったかしら、他所の地域で作っているって聞いたわねえ…。
本物のイチゴを使っているから、お肌にいいって話だったわ。
まるで食べ物みたいでしょ?
でもね、本当にちゃんと泡が立つのよ、ママもビックリしたくらいにね。
ママが扉を閉めてった後で、ぼくは改めて石鹸を見詰めた。
ストロベリーピンクのイチゴの石鹸、種まで入った手作り石鹸。
(本物のイチゴ…)
イチゴの香料を使ったわけじゃなくって、本物のイチゴで出来た石鹸。イチゴは果物で、食べるものだと思っていたのに。イチゴのジュースも飲み物だと思っていたんだけどな…。
(イチゴで石鹸、作れるんだ…)
使っちゃ駄目とは聞かなかったし、ちょっと好奇心。
陶器のお皿ごと石鹸を取って、バスタブの側の床にそうっと下ろして…。
(うわあ、つるつる…)
バスタブから手で掬ったお湯をかけたら、濡れた石鹸を両手で擦ってみたら。
ちゃんと泡立つ。綺麗に泡立つ。
ママが「お肌にいい」って言っていたのも納得、きめ細かな泡がモコモコ出てくる。生クリームみたいな泡がこんもり、ぼくの両手の上にこんもり。
(石鹸かあ…)
無かったよね、って肩を竦めた。
前のぼくが生きていた頃は。シャングリラじゃなくて、あの船がまだ無かった頃は。
未来なんかは見えもしなかった、生き地獄だったアルタミラ。
人体実験の繰り返しの日々に、石鹸なんかはありもしなかった。ボディーソープもシャンプーも無くて、あそこじゃ洗浄液だった。
実験動物の身体は清潔にしておく必要があるけど、所詮は実験動物だから。
手間暇かけて洗ってやるより、自分で自由に洗わせるより、自動で丸洗い出来る部屋。
実験が終わって意識があったら、丸洗い用の部屋はそれこそ地獄。身体中の皮膚が火傷や凍傷で覆われてたって、薬品で無残に爛れていたって、容赦なく吹き付ける洗浄液。
消毒を兼ねたそれの痛みに悲鳴を上げても、のたうち回っても、四方八方から洗浄液。
それが済んだら次は冷水、洗い流すための冷たい水。お湯なんか一度も出なかった。
洗い終わると乾燥用の風が送られてくる。皮膚が引き攣れてひび割れようが、血が流れようが、実験動物を洗う係はまるで気にしちゃいなかった。スイッチ一つで済むことだから。
そういう地獄を味わったせいで、前のぼくはお風呂が大好きになった。
白い鯨が出来上がる前からのお風呂好き。あったかいバスタブに浸かるのが好き。
具合が悪くても入ってたほどで、今のぼくだって前のぼくの記憶が影響したのか、熱があっても入りたいほどお風呂が大好き、浸かるのが好き。
(…地球まで来たってお風呂なんだよ)
生まれ変わってもお風呂好きのぼく。青い地球に来たって、やっぱりお風呂。
そして今ではイチゴの石鹸。
アルタミラでは石鹸なんか影も形も無かったというのに、イチゴから作った素敵な石鹸、しかも手作り。イチゴのジュースのストロベリーピンクで、小さな種まで入ってる。
美味しそうな匂いがする石鹸。
食べ物と言ったら餌しか無かったアルタミラ時代のぼくが見たなら、齧ってしまいそうな石鹸。
だけど泡立つ、しっかり泡立つ。
イチゴジュースの色じゃなくって、真っ白な泡がたっぷりと。
(もこもこ、こんもり…)
泡立てた生クリームみたいな泡。きめが細かくて滑らかな泡。
普通の泡は出来ないのかな、って軽く擦ったら、ぷくっと膨らんだ泡がヒョコッと出来て。
(こういう泡も出来るんだ…)
面白いよね、って泡をフウッって吹いたら、ふわりと飛んだ。
バスタブの湯気に乗ってふわりと、温められた空気の中をふんわりふわふわ、泡の珠。
明かりを映してキラリと泡が光った途端に思い出した。
(シャボン玉…!)
小さかった頃によく遊んでた。虹色に煌めくシャボン玉。石鹸の泡で出来た玉。
もう懐かしくてたまらない。あれで遊んでいたんだよね、って。
せっかくだからと指を輪っかにして、フウッて吹いて。
こんもり、もこもこの泡の山でも、これならシャボン玉になる。親指と人差し指を繋いで作った輪っかで泡を広げてやったなら。フウッと息を吹きかけたら。
小さい小さいシャボン玉だけど、幾つも幾つも舞い上がる。真っ白な泡を指で掬って、フウッと吹いたら。上手に息を吹きかけたなら。
何度もシャボン玉をバスルームの天井に飛ばす間に、だんだんコツが掴めてきた。
泡を広げる時はゆっくり、石鹸の膜が破れないように。
息を吹き付ける時もゆっくり、石鹸の玉が少しずつ膨らんでゆくように。
(もっと大きく…)
同じ作るなら、小さかった頃に作ったみたいなシャボン玉。大きくて立派なシャボン玉。
もっと大きく、もっと、もっと、って頑張っていたら。
「ブルー、のぼせるわよ!」
いつまでお風呂に入っているの、ってママの声。
「はーい!」
すぐに上がるよ、ちょっとのんびりしちゃってただけ。
大丈夫、のぼせていないから!
お風呂から上がって、パジャマを着て。
部屋に戻ったら、ベッドに腰掛けてシャボン玉の続き。
もう石鹸は無いけれど。イチゴの石鹸は部屋に無いけど、他の石鹸だって無いんだけれど。
親指と人差し指とで輪っかを作って、フウッと吹いてみて、飛ばしてるつもり。
ぼくの部屋の中に幾つも、幾つも、目には見えないシャボン玉。ぼくにだけ見えるシャボン玉。
もっとサイオンの扱いが上手だったら、石鹸、持って来られるんだけど。
瞬間移動をちょっと使って、バスルームからヒョイと石鹸の泡。
でも、今のぼくには無理な相談、出来っこないから夢のシャボン玉、想像するだけの泡の玉。
部屋一杯に飛んでるつもりで、幾つも、幾つも、フウッって吹いた。
(昼間だったらキラキラ綺麗…)
窓から入るお日様を映してきっと虹色、七色の玉。
部屋の中でシャボン玉遊びをやったことは一度も無いけれど。
シャボン玉は庭のものなんだけど。
お日様の下で、青空の下で、自然に吹いてくる風に任せて飛ばして遊ぶものなんだけれど…。
(あれ…?)
何処かで遊んだシャボン玉の記憶。シャボン玉を作って遊んだ記憶。
庭じゃなくって、もっと昔に。
大きなシャボン玉を上手に作れるようになった頃より、もっともっと前に。
(…幼稚園かな?)
幼稚園の庭でやってたのかな、と思ったけれども、その頃だったら庭でもやってる。
お気に入りの遊びは、ぼくの家でも出来るようなものなら絶対にやる。幼稚園にしか無い道具を使う遊びだったら諦めるけれど、シャボン玉はそんな遊びじゃない。
石鹸と水と、それからストロー。
たったそれだけで出来る遊びを庭でやらないわけがない。幼稚園でやったら、家でも、絶対。
(庭じゃなくって、幼稚園でもなくて…)
もっと昔。
ずうっと昔に遊んだ筈のシャボン玉。ぼくが作ったシャボン玉。
でも、何処で…?
流石に幼稚園よりも古い記憶は曖昧だろうし、探れないかと思ったんだけど。
(シャングリラ…!)
ぼくが持ってたシャボン玉の記憶は、あのシャングリラのものだった。
ハーレイが舵を握っていた船。ぼくが守った、白い鯨の。
(…石鹸の記憶が繋がっちゃったよ…)
お風呂で思い出してた石鹸。アルタミラには無かった石鹸。
あのアルタミラから宇宙へと逃げて、シャングリラと名付けた船で暮らして。
白い鯨が出来上がるよりも前に、誰かが始めたシャボン玉。
最初は多分、偶然だったと思うんだ。
お風呂で身体を洗っていた時、石鹸の泡が飛んでっただけで。
何かのはずみに生まれた泡の真ん丸な玉が、ふうわりと宙に浮かんだだけで。
でも…。
「何処かで見たねえ?」
そう言ったのはブラウだったっけ。
まだ公園なんか無かった時代で、シャボン玉はガランと広い部屋の中をフワフワ飛んでいた。
軽い運動がしたい時とかに使われる部屋で、意味もなくのんびりしたい時にも。
その部屋で仲間の一人が吹いて作ったシャボン玉。こんなのが出来ると、石鹸なのだと。
「ああ、見たような気がするな」
初めてじゃないな、ってハーレイも言った。たまたま居合わせた他のみんなも、思いは同じで。
ヒルマンもゼルも、それにエラだって。もちろん、ぼくも。
(シャボン玉なんか、成人検査よりも後には作ってないのに…)
作って遊ぶ余裕も無ければ、石鹸さえも無かった日々。地獄だった日々。
おまけに実験動物になるよりも前の記憶もすっかり失くして、まるで残っちゃいなかった。
育ててくれた養父母の顔も忘れて、声さえも思い出せなくて。
どんな所で暮らしていたのか、何をしていたのか、全く覚えていなかったのに。
欠片さえも頭に無いというのに、シャボン玉を見たと誰もが思った。
きらきらと光る泡で出来た玉。石鹸と水で出来る玉。
それを確かに何処かで見たのだと、幸せだった頃の記憶の名残に違いないと。
シャボン玉の話はたちまち広がり、作ってみた人は嬉しくなった。そう、ぼくだって。
記憶は残っていないけれども、これを作って遊んでいたと。
アルタミラの檻に閉じ込められるよりも前の時代に、育った家とかで遊んだ筈だと。
(シャボン玉の記憶…)
すぐにパチンと壊れちゃうけれど、割れちゃうけれど。
ふわふわと宙を漂う薄い薄い玉は子供時代の夢の思い出、失くした記憶の優しい名残。
そうだと気付くと作りたくなる。シャボン玉を作って飛ばしたくなる。
(ついでに自慢もしたくなるしね?)
こんなに大きく作れるんだと、自分は誰よりもシャボン玉作りが上手いんだと。
あれこれ工夫を凝らす仲間やら、腕を磨こうと頑張る仲間。
シャボン玉が最初に飛んでいた部屋は練習用の部屋に化けてしまって、他の部屋でも通路でも。
ちょっとした時間が出来たらフワフワ、ふんわりふわふわ、シャボン玉が舞う。
そうして競って、みんなが作った。子供時代の思い出を追った。
戻ってはこない記憶であっても、シャボン玉を見たのは確かだから。幼い自分が飛ばして遊んだことだけは間違いないのだから。
(作りたくなるよね、シャボン玉…)
ぼくはハーレイと一緒に作っていたっけ、他のみんなに負けないように。
うんと大きなシャボン玉にしようと、シャングリラで一番大きなのを二人で作るんだと。
ハーレイとぼくと、頑張った記憶。
石鹸と水を混ぜるコツだの、大きく膨らませるための工夫だの。
(シャボン玉…)
遠い遠い昔、シャングリラで作ったシャボン玉。ハーレイと飛ばしたシャボン玉。
明日は土曜日、懐かしい思い出をハーレイと二人で話したいから。
シャボン玉、ってメモに書き付けた。
明日の朝まで忘れないように、ハーレイが来た時にシャボン玉だと思い出せるように。
次の日の朝、目が覚めたぼくは勉強机の上に置いてあるメモに気が付いた。
(そうだ、シャボン玉!)
ハーレイと思い出話をするんだった、って急いで階段を下りて行った、ぼく。
顔を洗う前に、着替えるよりも前に、ママにお願いしなくっちゃ。
「ママ、おはよう!」
キッチンを覗いて、挨拶をして。
あの石鹸を貸してと頼んだ。イチゴの石鹸を貸してほしいと、悪戯なんかはしないからと。
「あら、石鹸? 何に使うの?」
ブルーもあれで顔を洗うの、そうしたいならブルー用のも貰ってあげるわよ?
気に入ったのなら分けてあげる、とママのお友達が言っていたから。
「ううん、石鹸で顔を洗うんじゃなくて…」
前のぼくのことを思い出したんだよ、あの石鹸で。
ハーレイにも教えてあげたいな、って思うから、石鹸、借りたいだけ。
「あらまあ、イチゴの石鹸で?」
きっと美味しそうな匂いのせいね、ってママはニッコリ笑ってくれた。
石鹸はいくらでも貸してあげると、お部屋がイチゴの匂いになるわよ、って。
(…ママ、食べ物の話だと思ってるかな?)
ホントはちょっぴり悲しい思い出だけれど、ママに話したら心配するから。
シャボン玉の話はしないでおいた。
ママがイチゴのお菓子の話だと思っていたって別にいいんだ、あの石鹸さえ借りられたなら。
そうして借りて来た、イチゴの石鹸。ストロベリーピンクのイチゴの石鹸。
白い陶器のお皿ごと借りて、勉強机に乗っけておいたら、ハーレイが訪ねて来てくれて。
テーブルを挟んでぼくと向かい合わせ、石鹸の甘い匂いはママが置いてってくれた紅茶の香りに負けずに部屋に漂ってるから。
ハーレイはクンと鼻を鳴らして、ぼくの部屋の中を見回した。
「なんだかイチゴの匂いがしないか、今日はイチゴの菓子ではないようだが…」
この部屋に来るまでもイチゴの匂いはしていなかったし、イチゴのガムとかキャンディーか?
「食べ物じゃないよ、石鹸だよ」
これ、って立ち上がって、あの石鹸を取って来た。
テーブルの上にコトリと置いたら、ハーレイがまじまじとイチゴの石鹸を見て。
「お前、こういう趣味なのか?」
やたらと美味そうな匂いではあるが、お前がイチゴの石鹸なあ…。
「違うよ、これはママのだよ」
ママが友達から貰ったんだって、本物のイチゴで作った手作り石鹸。
お肌にいいって言っていたけど、ぼくは石鹸にはこだわらないし…。洗えればいいんだ、石鹸の種類は何でもいいよ。ボディーソープでも、こういう固形の石鹸でも。
でも石鹸、って指差した。白い陶器のお皿の上のストロベリーピンクの塊を。
「思い出さない?」って、「石鹸だよ」って。
ハーレイは石鹸とぼくとを交互に見たけど、なんにも思い出せないようで。
「石鹸って…。何をだ?」
こいつで何を思い出せと言うんだ、俺もイチゴの石鹸なんかは全く御縁が無いんだが…。
俺がこういうのを使っていたらだ、似合わないどころか笑われちまうと思うがな?
「そうだろうけど…。そんなのじゃなくて、石鹸で出来る遊びだよ」
シャングリラでやったよ、シャボン玉遊び。
ぼくはハーレイと組んでたんだよ、忘れちゃってる?
「ああ、作ったな…!」
まだソルジャーだのキャプテンだのと、仰々しい肩書きが無かった頃にな。
俺がお前を「お前」と呼んでも誰も叱らない時代だったな、エラも怒鳴って来なかったしな。
二人でデカイのを作っていたなあ、シャングリラで一番の名人ってヤツを目指してな。
誰よりも大きなシャボン玉を二人で作ってやろうと、シャングリラの中で飛ばすんだと。
前のぼくとハーレイ、シャボン玉を沢山作ってた。
うんと大きいのを、もっと大きいのを作ろうと。
シャボン玉遊びが流行ってた間は二人でせっせと、石鹸と水とを使って、せっせ、せっせと。
「頑張ってたでしょ、シャボン玉遊び」
まだシャングリラは白い鯨じゃなかったけれど。
公園なんかは無かったけれども、シャボン玉、あちこちで作っては自慢してたよね。ハーレイと二人で作ってみせては、これより大きいのは作れないだろう、って。
公園があったら、ぼくたち、もっと頑張ってたかな…?
「あの頃もやったが、公園が出来た後にもやったろ」
お前と俺とで、シャボン玉遊び。…うん、俺は一気に思い出したぞ。
「そうだっけ?」
公園が出来た後って言うなら、ぼくはとっくにソルジャーだよ?
ハーレイだってキャプテンなんだし、二人でシャボン玉なんかを作って遊んでいられたかな?
「覚えていないか、半ば仕事で、半ば遊びだ。公園が出来た後のはな」
お前はソルジャー、俺はキャプテン。
この二人がシャングリラのシャボン玉のプロだとヒルマンたちが紹介してな。
ヒルマン率いる子供たちとだ、シャボン玉作りの腕を競っていたろうが。
「あったね、そういう楽しいのも…!」
ゼルまで出て来て頑張ってたっけ、「こういうのはわしに任せておけ」って。
「シャボン玉のプロでもわしには勝てん」と、「わしには技術があるんじゃからな」って。
白い鯨に変身を遂げたシャングリラ。
アルテメシアの雲海に潜んで、ミュウの子供たちを救い出すようになったシャングリラ。
そうして船の仲間に加わった子供たちと一緒にシャボン玉勝負。
ヒルマンが子供たちを連れて公園に出て来て、前のぼくとハーレイが紹介されて。
(シャボン玉作りのプロは負けてはいられないもんね?)
最初の間は、圧倒的にハーレイとぼくの勝ちだった。
子供たちが作ったシャボン玉はプロが作るシャボン玉に敵うわけがなくて、ハーレイとぼくとはヒーローだった。とても大きなシャボン玉を作ると、ソルジャーとキャプテンはやっぱり凄いと。
シャボン玉のプロを尊敬の眼差しで見ていた子供たち。
ソルジャーとキャプテンが遊んでくれるというのも嬉しかったんだろう。
何度も何度も勝負を挑まれ、ぼくとハーレイとは受けて立った。
負けやしないと、シャボン玉作りのプロなんだからと。
ところがどっこい、途中から参加して来たゼル。
見た目に似合わず子供たちが好きで、いつもポケットにお菓子を忍ばせていたようなゼル。
(ポケットのお菓子、人気だったんだよ)
子供たちにワッと囲まれる度に、ゼルは魔法を披露した。ポケットのお菓子が増えてゆく魔法。歌を歌いながらポケットをポンと軽く叩くと、お菓子が次々増えるんだ。
(ポケットの中にはビスケットが一つ…、って)
ビスケットだったり、キャンディーだったり。中身に合わせて変わっていた歌詞。
マントの下に隠れて見えない袋の中から、お菓子がポケットに瞬間移動。ゼルでも動かせる短い距離での瞬間移動を使った魔法で、子供たちの目には本物の魔法。
そんな魔法を使うほどの子供好きのゼルが、敗北続きの子供たちに肩入れをしないわけがない。
「この勝負、わしが勝たせてやるわい」って、それは大真面目に参戦して来た。
ずっと昔はぼくとハーレイとに負けていたくせに、シャボン玉の大きさで負けてたくせに。
(勝てるわけないと思ったんだけどなあ…)
大きなことを言って勝負に出たって、ゼルはゼル。
シャングリラが白い鯨じゃなかった頃にも負けてた勝負に勝てやしないと高を括った。
ハーレイもぼくも、そういうつもりで余裕の笑みを浮かべていたのに…。
(あんなの、誰も考えないから…!)
遠い日のプロは、ゼルが加わったヒルマン率いる子供たちのチームにアッサリと負けた。
シャボン玉の大きさでは充分に勝っていたんだけれども、その強さ。
(あれはパチンと割れるものなのに…!)
どんなに慎重に吹いて作っても、パチンと壊れるシャボン玉。儚く割れちゃうシャボン玉。
そういうものだと思っていたのに、壊れないのを出して来たゼル。
ぼくとハーレイとが頑張って作った大きなシャボン玉が壊れてなくなっちゃっても、子供たちが作ったシャボン玉は割れずに浮いているんだ、ふわふわと。
シャングリラの公園をふんわりふわふわ、人工の風に揺られてふわりふわりと。
「おい、あのシャボン玉は反則だろう!」
ハーレイが珍しく、敬語を使わずに文句をつけた。
キャプテンっていう立場にいるから、他の仲間が見ている場所ではゼルにも敬語を使うのに。
そういう習慣がついているせいで、長老しかいない会議の席でもハーレイだけが敬語で話すのが普通みたいになっているのに、この時ばかりは敬語じゃなかった。
よっぽどカチンと来てたんだろうな、割れないシャボン玉を出されて。
ぼくだってうんと悔しかったし、ハーレイに拍手を送りたい気持ちだったけど。
ゼルはと言えば、勝ち誇った顔でこう言い放った。
「反則も何も、こういったものは日進月歩じゃ、日頃の努力の積み重ねじゃ!」
わしは真面目に研究したんじゃ、子供たちでもプロに勝つにはこれしか無いと。
大きさでプロに敵わないなら、強さで勝てればいいじゃろうが!
文句があるか、と偉そうに胸を張られたから。
ぼくとハーレイとが実地で磨いたシャボン玉の腕を、シャボン玉の強度でパアにされたから。
「要は、割れなきゃいいってことだね?」
これでどうだ、とサイオンを発動させちゃった、ぼく。
残っていたシャボン玉の液を一気にシャボン玉へと変えてしまって、サイオンで補強。
「わあっ…!」
凄い、と見上げた子供たち。
ぼくが作ったシャボン玉。サイオン・カラーの青を纏った、幾つもの割れないシャボン玉。
ハーレイもサイオンを乗っけてくれたから、うんと沢山、壊れないシャボン玉が公園に舞った。ぼくとハーレイとのサイオン・カラーが混じった青と緑のが。
青と緑の虹を纏った、それは沢山の丈夫な丈夫なシャボン玉の群れが…。
「思いっ切り派手にやっちゃったっけね…」
サイオンのせいで、つついても割れないシャボン玉。
前のぼくが「これでおしまい」って言うまで割れずに飛んでいたっけ、公園の上を。
「思い出したか、あの騒ぎまで?」
あれから時々、作ってくれと公園に呼ばれたろうが。
何をやっても割れないシャボン玉をまた見せてくれと、あれが見たいと。
「うん…。ぼくとハーレイ、公園が出来た後でもシャボン玉作りのプロだったっけ…」
「そういうことだ。俺たちはとことん、プロだったのさ」
キャプテンとソルジャーになっちまった後も、公園が出来た後になっても。
シャングリラでシャボン玉を作るとなったら呼び出されていたぞ、ヒルマンたちに。
子供たちが見たいと言っているから披露してくれと、プロならではの腕でよろしく頼むと。
派手にやってと、綺麗なのを見せて、と子供たちにせがまれて、前のぼくとハーレイ。
シャボン玉のプロは何度も公園に呼ばれて出掛けた。割れないシャボン玉を何度も作った。
青と緑の虹を纏ったシャボン玉。サイオン・カラーの虹を映したシャボン玉。
公園の上をふわりと飛び越え、ブリッジにまで飛ばして遊んだ。
シャングリラを動かす舵の周りを飛び回らせたり、ブリッジの飾りよろしく舞わせたり。
そういう遊びをやっていたっけ、と石鹸を見ながら思い出していたら。
イチゴの香りの石鹸を見詰めて微笑んでいたら、ハーレイが「おい」と訊いてきた。
「今度はどうする?」
お前、今度はどうするんだ?
「何を?」
「シャボン玉さ。俺とお前はシャボン玉作りのプロだったろうが」
ずうっと昔からタッグを組んでて、シャングリラが白い鯨になった後でもプロだったんだ。
そのプロがまたしても揃ったわけだが、シャボン玉は今度も作るのか?
「えーっと…。作るんだったら、ハーレイの家でやってみたいな」
石鹸はいつでも手に入るけれど、今も目の前にあるんだけれど。
パパとママとがビックリしちゃうよ、ぼくたちが庭でシャボン玉遊びを始めたら。
「そうだな、この家でやるのはなあ…」
流石にマズイか、お前、シャボン玉に夢中な年でもないからな。
もっと前からやっていたなら、キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーの得意技でした、と言いも出来るが、今からではなあ…。
それに今度は割れないシャボン玉、お前の力じゃ無理だしな?
俺だけのサイオンで作っていたなら、お前がシャボン玉遊びをしたくなったと思われるよな。
割れないシャボン玉を作って欲しいと俺に強請ったと、十四歳にもなってるくせに、と。
ぼくの年になってシャボン玉遊びは、いくらなんでも子供っぽいから。
パパとママとが見ている庭では出来っこないから、今は無理。
シャボン玉作りは当分お預け、ハーレイと結婚するまでお預け。
結婚してからやっている方が、ぼくが大きくなっている分、子供っぽい気もするんだけれど。
(…だけど、シャボン玉、ハーレイと二人で作っていたし…)
かまわないんだ、前のハーレイとぼくはシャボン玉作りのプロで通っていたんだから。
遠い遠い昔に、白いシャングリラで。
だから今度は青い地球の上で、ハーレイと二人でシャボン玉。
割れないシャボン玉を作れる器用さは、今のぼくにはもう無いけれど。
その分、ハーレイのサイオン・カラーのシャボン玉を二人で幾つも、幾つも空に浮かべる。
幸せの色のシャボン玉。
ぼくのサイオンの青が足りなくても、緑色の虹を纏った綺麗なシャボン玉。
それを見上げて、ハーレイと二人。
壊れない、割れないシャボン玉みたいに、いつまでも何処までもハーレイと二人。
今度は結婚するんだから。二人一緒に、青い地球で生きてゆくんだから…。
シャボン玉・了
※シャングリラでは、シャボン玉作りのプロだった、前のブルーとハーレイ。
今のブルーに割れないシャボン玉は作れませんけど、きっとハーレイが作ってくれますね。
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