シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「クシャン…!」
仕事帰りに寄った、ブルーの家。
夕食までの間にお茶とお菓子で寛いでいたら、ブルーが小さなクシャミをしたから。
ハーレイは「どうした?」と問うてやる。急に鼻でもムズムズしたか、と。
「なんでもないよ」
いきなりクシャンと出ちゃっただけ。もう平気。
「そうか? ならいいが…」
鳶色の瞳でブルーを見詰めた。
自分は車でやって来たけれど、今日は午後から風があった。小さなブルーはバス通学だが、バス停から家まで歩く途中は少し身体が冷えたかもしれない。秋の風でも冷たかった風。
風邪を引いてはいないだろうな、と念を押したけれど。
「平気!」
クシャミが一回だといい噂でしょ?
二回だったら悪い噂で、三回だったら風邪だとハーレイも言っていたじゃない。
ぼくは一回クシャミしただけだよ、誰かが噂をしていたんだよ。
「ふうむ…。そういう話もしたっけな」
古典の授業の中での雑談。生徒を飽きさせない工夫。
ブルーはそれを覚えていたのか、と嬉しくなる。クシャミの回数と噂とを巡る言い伝え。
「ね、そうでしょ? だから風邪なんかは引いていないよ」
一回だったらいい噂だから、どんな噂をしてくれたのかな?
ぼくのことを褒めてくれていたかな、ご近所さんとか、でなきゃ、友達。
それは嬉しそうに、楽しそうにクシャミの言い伝えで自分のクシャミを打ち消すブルー。
ただのクシャミだと、噂されただけだと、何の心配も要らないと。
そんなブルーについつい釣られて長居をした。
ブルーの両親も一緒の夕食の後も、ブルーの部屋に食後のお茶を運んで貰って。
どうせ明日にはまた会うのに。
午前中から訪ねて来る日だと決まっているのに、ついゆっくりと腰を落ち着けていた。
「明日は土曜日だから、帰りが少し遅くなっても平気だよね」と引き留められて。
小さなブルーにせがまれるままに、あれこれと話が弾むままに。
そして次の日。
いつも週末にしているように、朝食を済ませて家を出て。
天気がいいからブルーの家までのんびり歩いて、門扉の脇のチャイムを鳴らした。ブルーの母が門扉を開けにくるまでの間、二階を見上げてみたのだけれど。
すっかり馴染んだブルーの部屋。其処の窓からブルーが手を振る筈なのだけれど。
(…部屋にいないのか?)
珍しいな、と人影が見えない窓を眺めた。他の部屋にでも行っているのか、でなければ。
(あいつが迎えに出て来るとかな)
たまたま階下に下りていたなら、そういうこともあるかもしれない。ブルーが門扉を開けに来たことは一度も無かったが、もしも出て来てくれるのならば。
(未来へと時間を越えた気分になるな)
結婚した後、「おかえりなさい」とブルーが出迎えに来てくれたようで。
それもいいな、と頬が緩んだけれども、間もなく開いた玄関のドアから現れた人影はブルーではなくて。
門扉を開けに来た、ブルーの母。申し訳なさそうに告げられた言葉。
「風邪ですか?」
「ええ、少し…」
寝かせてあります、と聞かされたハーレイは、ブルーの姿が見えなかった理由を理解した。風邪では仕方ないだろう。窓に駆け寄って手を振るどころかベッドの住人、可哀相にと溜息をつく。
これでは二人で休日を過ごすどころではないな、と思ったのだが。
「お大事に」とだけ言葉を残して帰ろうとしたが。
ブルーの母は「でも…」と門扉を大きく開くと、ハーレイを庭へと招き入れた。
息子が風邪を引いていてもいいなら、側に居てやって頂けませんか、と。
ブルーは朝から先生に会いたがっていますから、と。
「ええ、お邪魔してもいいのでしたら…」
このとおり丈夫な身体ですしね、風邪なんかうつりはしませんよ。
ご心配なく、マスクなんかも要りませんから。
恐縮しているブルーの母に案内されて、二階のブルーの部屋に入れば。
来てくれるとは思っていなかったのだろうか、ベッドに居たブルーの顔が輝く。
「ハーレイ、おはよう!」
「お前、おはようじゃないだろうが!」
風邪はどうした、と言えばベッドから起きようとするから。
ベッドの脇に置かれたガウンを取ろうと手を伸ばすから。
「こら、寝てろ! 起きるヤツがあるか!」
俺がそっちの方に行くから、と椅子を引っ張って来てベッドの側に座った。
普段だったら、ブルーと向かい合わせで座っている椅子。テーブルとセットになっている椅子。
テーブルの上にはブルーの母が置いて行った紅茶のカップとポット。それにお菓子と。
部屋の扉はとうに閉められ、ブルーと二人きりの部屋。
ベッドの中のブルーは嬉しさを隠そうともせずに微笑んでいる。
けれど…。
「クシャン!」
昨日も聞いた、ブルーのクシャミ。
あの時はただのクシャミに聞こえたけれども、今のブルーは病人だから。
「おい、大丈夫か?」
熱は無いのか、クシャミだけではなさそうだがな?
「ちょっぴり…」
ほんのちょっぴりだよ、ホントに微熱。それなのにママが寝ていなさい、って。
今日はハーレイが来てくれる日なのに、寝ていなさいって言われたんだよ。
「当然だろうが、お前、風邪だろ?」
ふうむ、と手を伸ばしてブルーの額に触ってみて。
くすぐったそうにしているブルーに「少し熱いか?」と尋ねてみれば。
「ちょっとだけね」
ホントにちょっぴり、熱って言うほどの熱でもないよ。
「測れ!」
お前の言うことは信用出来ん。
熱が高けりゃ俺が帰ってしまうかと思って、微熱だと嘘を言いかねないしな。
俺がきちんと納得するよう、今の体温ってヤツを測るんだな。
ほら、と枕元にあった体温計を渡して、ブルーに測らせている間に。
小さなブルーが渋々熱を測っている間に。
(ん…?)
脳裏を掠めた、遠い日の記憶。遥かな昔に過ぎ去った記憶。
(そういえば…)
あれも体温計の記憶だった、と白いシャングリラでの日々が蘇ってきた。
ブルーと暮らした白い鯨での懐かしい日々が。
青い地球の上に生まれ変わる前、キャプテン・ハーレイだった前の生。
あの頃の自分には特技があった。
ソルジャー・ブルーだった前のブルーには、些か迷惑とも言える特技が。
(そうだったっけな…)
ブルーの額に軽く触れるだけで、熱の有無が分かった前の自分。
銀色の前髪をそっとかき上げ、額にピタリと手を当てたならば、より正確に。
(前のあいつは、顔だけしか外に出ていなかったしな?)
ソルジャーの衣装はそういう風に出来ていたから。
華奢な手さえも手袋で覆われ、透けるような肌が見える部分は顔くらいだった。その顔の上の、白い額に手を当てる。あるいは触れる。
額に熱さを感じた時には、触れるだけだった手をピタリと押し付け、ブルーを睨んだ。
「熱がおありのようですね」と。
お休みになって頂かなければと、言い訳なさっても無駄ですよと。
「大丈夫だよ」が口癖だったブルーの嘘を、何度も何度も見抜いていた。
ソルジャーだからと気を張って無理をしようとしていたブルーが平然とつく嘘を。
(額は嘘をつけないからなあ、正直だからな?)
熱があると分かれば、たとえブルーが何処に居ようと、もう強引に青の間へ。「大丈夫だよ」と言い訳されても耳も貸さずに、逃げないようにと監視しながら付き添って。
青の間に着いたら熱を測らせ、そうしてベッドに送り込んだ。
ソルジャーの衣装は脱がせてしまって、柔らかなパジャマを着せ付けて。
(…そういう時のためのパジャマだっけな…)
以前は確かに着ていたくせに、いつの間にやらパジャマを着なくなってしまったブルー。
ハーレイの温もりと身体とをパジャマ代わりに眠ったブルー。
それでも病気の時はパジャマで、流石のブルーも文句は言えない。ドクター・ノルディが診察に来るし、その時に何も着ていないのでは酷く叱られるに決まっているから。
「裸で寝るとは何事ですか」と、「病人の自覚がおありですか」と。
一度ベッドに入ってしまえば、張っていた気が緩むから。
ブルーは寝込んでしまうのが常で、そうなればもう眠っているだけ。溜まった疲れを眠ることで癒すという面も多分、あったろう。
放っておいたら食事も摂らずに眠り続けるから、ブルーが好んだ素朴な野菜スープをキッチンで作って食べさせ、その他にもあれこれ世話をしていた。ブリッジを抜けては、様子を見て。
ドクターよりもブルーの体調に詳しかった自分。
こういう時にはこうすればいいと、こうすれば早く良くなる筈だと。
今と同じで虚弱だったブルーの弱い身体は薬だけでは治りが遅い。精神の疲れも取ってやらねばいけなかったし、野菜スープをスプーンで掬って口に入れてやるだけでもかなり違った。
甘えていいのだと、甘えられるのだとブルーの心がほぐれるから。
それから優しいスキンシップ。
恋人としての愛撫ではなく、幼子を慈しむように。
そうっと額を撫でてやったり、普段なら昼間は手袋に包まれている手を握ってやったり。
何かと手がかかる恋人だったけれど、愛おしかった。
自分がベッドに送り込まねば、倒れてしまうまで無理をし続けそうな前のブルーが。
(朝、起きたら熱があったりするんだ)
それは気付かずに無理を重ねた結果であったり、弱い身体だけに病に負けたり。
前の自分の腕の中のブルーの身体が熱い、と気付かされる朝。
(服なんか着てはいなかったしなあ、余計に分かりやすかったよな?)
肌と肌とが触れ合っているだけに、額に触れずとも分かった異変。
それでも起きようとしていたブルーを何度止めたことか。
「大丈夫だよ」と微笑むブルーに熱を測らせ、「駄目です」と体温計の表示を突き付けて。
(俺が一緒に寝ていなかったなら…)
どれほどの無茶をしたのだろうか、あの頃のブルーは?
熱で足元がふらついていても、「大丈夫だよ」と視察に回って、新しく見付けたミュウの子供の救出などにも出掛けて行ったに違いない。
アルテメシアに着いて間もない頃ならともかく、居を定めた後は救出班を設けてブルーの負担を減らす工夫をしてあったのに。ブルー自ら出掛けなくとも、救出班には充分な力があったのに。
それでもブルーは出掛けて行ったし、救出作戦を見守っていた。いざという時のために。
(病人が行っても意味が無いんです、と俺は何回怒鳴ったことか…)
絶対に駄目だ、と叱り付けてブルーをベッドに押し込み、外に出ないよう見張りもした。
「少し外す」とブリッジを離れて、青の間から指揮を執りながら。
ブルーのベッドの側に運んだ椅子にどっかりと座り、無茶をしがちなブルーが逃げないように。
何度もブルーとの攻防を繰り返し、無理やりベッドに押し込める内に、身体が覚えた。
この熱さならばブルーの体温は何度くらい、と、身体が、額に当てる手のひらが。
「ハーレイはぼくの体温計だね」
そう言ったブルーを覚えている。肩を竦めて苦笑したブルー。
本物の体温計には嘘がつけるが、ハーレイには嘘がつけないと。
(うん、体温計なら誤魔化せたんだ)
前のブルーのサイオンがあれば、簡単に。
相手は単純な仕組みなのだし、一瞬で数値を書き換えられた。
けれどもハーレイの手だけは誤魔化せないから、大人しくベッドで寝ていたブルー。
「熱がありますよ」と体温計でも測られてしまって、ドクターを部屋に呼ばれてしまって。
一度ベッドに送り込んだら、後は癒えるまで静かに寝ていてくれだのだけれど…。
そういったことを考えていたら。
遠い記憶を思い出していたら、ピピッと微かな体温計の音が聞こえた。
小さなブルーに「測れ」と渡した体温計。
「見せてみろ」
貸せ、と手を伸ばせば、ブルーは上掛けの下に潜り込みそうな顔で不安そうに。
「…怒らない?」
「いいから、ちゃんと申告しろ!」
何度あるんだ、と体温計を奪って見てみれば表示は微熱で。
「まあ、この程度だったら、話すくらいは…」
別にいいだろう、はしゃぎすぎて咳き込まないように気を付けるならな。
それとベッドから出て来ないことだ、そうするんなら許してやる。
「ホント?」
「その代わり、喋るのは主に俺だぞ、お前は聞き役に徹していろ」
質問と相槌は許してやるがな、自分からあれこれ喋らないことだ。疲れちまうからな。
ついでに、後できちんと昼寝するんだぞ、でないと早く治らんだろうが。
「昼寝って…。ハーレイ、帰ってしまわない?」
ぼくが寝てたら、その間に。いつもだったら、土曜日は夜まで居てくれるのに…。
「居てやるさ。今日は土曜日だからな」
お前が昼寝をしてる間は、本でも読ませて貰うとするかな。
シャングリラの写真集もいいがだ、たまにはお前の本棚の本を適当にな。
ブルーの母が運んでおいてくれたお茶がポットにたっぷりとあったから。
のんびりと飲みつつ、合間に菓子も口へと運んだ。
小さなブルーにも枕元の水分補給用のドリンクを何度か飲ませたりしながら、学生時代の武勇伝などを聞かせていたら。
「ハーレイ、ぼくの体温計だね」
「はあ?」
唐突な言葉に目を丸くしたが。
思い出した、とブルーが笑った。
前のぼくは何度も測られていたと、叱られていたと。
「ハーレイ、ぼくのおでこに触っただけで熱が分かるんだもの」
何度あるのか、触っただけで。
そして睨むんだよ、怖い顔して。「熱がありますね」って、「直ぐに測って下さい」って。
ぼくが測るまでじっと見てるし、体温計を誤魔化したってハーレイに嘘はつけないし…。
あれで何度も叱られていたよ、熱があるのにウロウロするな、って。
ベッドに入るまで監視されてて、ドクターを呼ばれちゃうんだよ。
「ああ、あれなあ…」
実は俺もさっき思い出していたんだ、とハーレイはブルーの小さな額に手を当てた。
ほんの少しだけ熱く感じる、小さな額。
体温計が示した数字に嘘は全く無いのだろうが、今の自分にはブルーの熱が分からない。微熱があるということだけしか、高熱ではないということしか。
前の自分が言い当てたように、体温計の表示と同じ数字を弾き出せはしない。
だから溜息をつくしかなくて。
「今の俺にあの腕があったらなあ…」
お前の体温計をやっていた頃と同じ腕があれば良かったんだが。
「なんで?」
「あの腕があったら、昨日のお前の不調が分かった」
そうすれば俺は早めに帰っただろうし、お前だって早くベッドに入れた。
風邪は引き始めが肝心だからな、暖かくして早い時間に眠れば朝には治っているとも言うんだ。
あの頃の腕が俺にあったなら、お前、寝込みはしなかったろうに。
「だけど…。昨日は熱は無かったよ?」
クシャミが出ただけ、それっきりだよ。体温計の出番なんかは無かったよ。
ぼくだって、朝に身体が熱いと思うまでは測っていなかったもの。
「それでも、多分、分かっていたな」
体温計だった頃の俺だったなら、と返してやれば。
小さなブルーは不満そうに唇を尖らせ、ハーレイを恨めしそうに見上げた。
「ぼくと一緒に寝ていないのに?」
あの頃のぼくはハーレイと一緒に眠っていたから、夜の間に熱が出て来たら分かるだろうけど。
そうでもないのに分かるわけがないよ、ぼくがクシャミをしてたくらいで。
クシャミくらいは誰だってするし、一回だけのクシャミだったらいい噂だよ?
「そうでなくても分かるんだ!」
一緒に寝ていたからだけではない、とハーレイは生意気な恋人の額を小突いた。
前の自分が体温計などという特技を体得したのは、前のブルーと長く一緒に暮らしたからだと。
白い鯨で三百年も共に生きたし、青の間が立派に出来た後でも二百年以上。
それほどの時を側で生きたから、ブルーに生じた僅かな変化。
体調の変化を決して見逃さないのだと、そうした経験を積み重ねた末に体温計になったのだと。
触れるだけで熱の有無が分かって、手のひらを当てれば正確な数値。
サイオンで誤魔化せる体温計よりも正しく測れる、ブルー専用の体温計に。
「じゃあ、今のぼくは?」
まだ測れないの、チビだから?
子供は体温が高いって言うし、そのせいでハーレイ、測れないかな?
「そうじゃなくって、データ不足だ」
いいか、前の俺は死んじまっているんだ、ずうっと昔にこの地球でな。
前の俺の記憶は残っちゃいるがだ、その頃の感覚とまるで同じっていうわけじゃない。
お前だってそうだろ、右手が冷たいと覚えてはいても、その冷たさは同じじゃない。
だからだな…。
前の俺の記憶を総動員して、お前の体温を測ろうにも、だ。俺の身体がついていかない。こんな感じでいいんだったか、と曖昧なことしか分からないのさ。
今じゃせいぜい、熱っぽいな、と分かる程度だ。もっと修行を積むまではな。
「それじゃ、いつかは分かるようになる?」
前のハーレイがやってたみたいに、ぼくの体温、ピタリと測れるようになるかな?
「当然だ!」
俺は意地でも測れるようになってみせるぞ、出来ないだなんて情けないしな。
前の俺より、ずっと近くにいられるようになるっていうのに…。
お前を嫁さんにするっていうのに、嫁さんの体温も測れんようでは情けなくって涙が出るぞ。
恋人同士なことさえ秘密だった頃には出来ていたことが、まるで出来なくなったんではな。
「えーっと、ハーレイ…。ぼくの体温計になれる頃って…」
結婚してから? とブルーが訊くから。
一緒に暮らせるようになるまで無理なのかな、と尋ねてくるから。
「それまでにマスターしたいもんだが…」
前の俺だって、早い頃から体温計の片鱗は見えていたんだからな。
お前と恋人同士になってない頃も、お前の具合が悪い時には誰よりも早く気付いていたし…。
だから結婚するよりも前に体温計になれるといいなあ、お前が無理をしないようにな。
「どうやって?」
ぼくと一緒に暮らしてないのに、どうやってマスターするつもり?
本物の体温計を使って測りたくっても、しょっちゅう測れやしないのに…。
「お前に何度も会ってる間に分かるようになるさ」
今日のお前の額の熱さと、体温計に出てた数字と。
これでデータは一つ手に入れたし、後は地道な積み重ねだな。
お前がクシャンとクシャミをしたなら、サッと額に手を当てて熱を確かめるとか。
具合が悪くて学校を休んでしまってる時も、せっせと見舞いに来ては額に手を当てるとかな。
そして、とハーレイは微笑んでみせる。
結婚して共に暮らすようになれば、どんな不調も見逃さないと。
また体温計になってみせると、目覚めるなり「熱があるぞ」と一目で見抜いてみせると。
ブルーの発熱に気付いたならば、前の生でしていた通りにベッドに押し込む。起きようとしても駄目だと叱って、ベッドに戻して、上掛けを掛けて…。
「それなら、仕事も休んでくれる?」
ぼくは熱が出ていて病気なんだよ、世話をしてくれる人、いないのに…。
パパもママも一緒に暮らしてないのに、ぼくはベッドで独りぼっちだよ、熱があるのに。
「前の俺がブリッジを抜けたようにか?」
少し外す、と青の間で指揮を執りながら、お前を監視していたように。
無茶しないよう見張ってもいたが、スープも作っていたっけな。野菜スープのシャングリラ風。
あんな風にお前についてりゃいいのか、仕事は二の次、三の次で。
「うん」
ハーレイが仕事に行ってしまって、鍵がかかった家で一人は嫌だよ。
少しくらいなら我慢するけど、一日中とか、大丈夫かな…。
「努力してみよう」
お前が寂しくて嫌だと言うなら、なんとか都合をつけられるように。
熱にうなされて目が覚めた時に独りぼっちだと、お前、泣くかもしれないからなあ…。
うんと甘えん坊になっちまった上に、思念で連絡も取れないんだしな?
嫁が風邪を引いたようでして、と仕事を休めばいいんだな、とハーレイは笑う。
休みを取るのが無理な日だったら、授業の合間に車を飛ばして真っ直ぐブルーの待つ家へ。
そしてベッドで寝ているブルーの世話をする。
熱を測って、スープを作って。
もちろん熱は自分の手のひらをブルーの額に当てて測って、体温計の数字はあくまでオマケ。
スープは何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んで、野菜スープのシャングリラ風を。
他にも色々、ブルーの世話。
遠い昔に白いシャングリラでやっていたように、もう愛おしさを隠すことなく。
ブルーはハーレイの伴侶なのだし、誰に遠慮も要らないから。
たとえスープを、水を口移しで飲ませていようと、誰も不思議には思わないから。
「ふふっ、楽しみ」
ハーレイが世話をしてくれるなんて、とっても幸せ。
今度のハーレイはぼくの体温計っていうだけじゃなくって、堂々と世話が出来るんだものね。
ぼくをベッドに押し込んだ後は、ハーレイが世話してくれるんだものね…。
前のぼくだと、部屋付きの係や医療スタッフが殆どの世話をしに来ていたのに。
「おいおい、楽しみなのも分かるが…」
少しは丈夫になってくれ。
クシャミを一つしていたくらいで次の日はベッドの住人だなんて、弱すぎるぞ。
俺がしょっちゅう言ってるだろうが、しっかり食べて大きくなれよ、と。
大きく育つ方もそうだが、しっかり食ったら身体も丈夫になるんだからな。
「努力はするけど…」
そんなに丈夫になれるのかな、ぼく…。
前のぼくよりも弱いんじゃないかな、頑張らなくちゃっていう場所、学校だけだし…。
ソルジャーなんかをやってない分、病気とかには弱いのかも…。
今度のぼくは弱い気がする、と言った途端に。
「クシャン!」
ブルーの口から飛び出したクシャミ。
ハーレイはハッと我に返った。ついつい話し込んでしまったけれども、ブルーは病人。
(しまった、俺だけが喋るって予定でいたのにな?)
これではブルーが休めないから、たかが風邪でも良くならない。早く治すには充分な眠り。まだ太陽は高いけれども、昼前だけれど、休ませなければ。
ブルーの肩を上掛けの上からポンポンと叩き、髪をクシャリと撫でてやった。
「いかんな、クシャミが出ちまったぞ」
ほら、少し眠れ。大人しくしてな。
「お昼前なのに?」
ハーレイ、昼寝をしろって言ったよ、昼寝はお昼が過ぎてからじゃないの?
「屁理屈を言うな。スープを作って来てやるから」
お前、好きだろ、野菜スープのシャングリラ風。
寝てる間にじっくり煮込んで、うんと美味いのを作ってやるさ。その間にゆっくり寝るんだな。
「うん…」
ちゃんと寝るから、帰らないでよ?
今日は夜まで居てくれるんでしょ、土曜日だから。
「ああ、お前の部屋に居ることにするから、その風邪、しっかり治すんだな」
そうすりゃ、明日には起きられるしな?
いいか、ぐっすり寝るんだぞ。野菜スープが出来上がるまでな。
「うん…。うん、ハーレイ…」
約束だよ、ホントに帰っちゃ嫌だよ?
野菜スープを作りに行くって、ぼくを騙して帰ってしまったりしないでよね…?
スープが出来るの待ってるからね、と上掛けの下から出て来た右手。
その手の小指とハーレイの小指を絡め合わせて、約束をしたと満足そうにしているブルー。
いつもより僅かに体温の高い、微熱で温かくなっている小指。
(…さっきより熱いんだか、同じなんだか…)
まだ触れただけで体温は測れないけれど。
いつかはこれだけでブルーの体温を測ってやろう、とハーレイは思う。
前の生で測っていたように。
あの頃よりももっと腕を上げて、絡めた小指で正確に測ってしまえるくらいになるように。
(ブルーのためだけの体温計なあ…)
前の自分が持っていた特技。今の自分にはまだ無い特技。
早くブルーの体温計になってやらなければ。
今度こそブルーを守ると決めたし、愛しいブルーに病も近付けないように。
不調を見抜いて、きちんと体温を測ってやって。
仕事の合間に家へと走ることになっても、ブルーが愛おしくてたまらないから。
だから、体温計になる。
ブルーの熱なら、体温計よりも正確無比に測ることが出来る、ブルー専用の体温計に…。
体温計・了
※触れるだけでブルーの体温が分かった、前のハーレイ。熱があるかどうか。
ブルー専用の体温計だったらしいですけど、今はまだ無理。でも将来は体温計です。
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