シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
チリン。
軽やかな鈴の音が響いたから。
ハーレイが椅子を動かした途端、チリンという音が聞こえたから。
「ハーレイ、鈴をつけてるの?」
さっきも聞いたよ、とブルーは鈴の音がした辺りをテーブル越しに覗いてみた。
仕事帰りに寄ってくれたハーレイが部屋に入って間もなく、チリンと聞こえた鈴の音。その時も気になっていたのだけれども、母が居たから訊きそびれた。後で訊こうと思って忘れた。
そこへ再び、チリンと鳴った鈴。
ハーレイの趣味の品だろうか、と思ったのだけれど。なにしろハーレイの財布の中には縁起物の亀が居るのだから。銭亀という名の小さな亀が。
鈴もそういう類のものか、と興味津々で尋ねてみたのに。
「いや、こいつは…」
学校の駐車場で拾ったのだ、とハーレイは言った。
仕事を終えて、愛車を停めたスペースに向かって歩く途中で見付けてしまった落とし物。校舎に戻っても生徒はとうに下校しているし、明日、学校に届けることにしたのだと。
「どうせ生徒の落とし物だしな、明日でいいだろ」
俺が見付けて拾わなかったら、他の先生の車に轢かれてペシャンコだったかもしれないし。
落とした生徒が探しに来ようにも、学校にはもう入れないからな。
ほらな、とハーレイが床に置いていた荷物からヒョイと出して来た鈴。金色に輝く小さな鈴。
それがチリンとハーレイの指につまみ上げられて鳴ったから。
澄んだ音色が部屋にチリンと、それは軽やかに鳴ったから。
「綺麗な音だね、失くした人はきっと探しているよね」
落とした時には気付いてなくても、暫く歩いたら気が付くよ。あの鈴の音がしない、って。
何処で落としたか、通学路とかを探し回っていそうだよ、それ。
「多分な、こいつは特別だからな」
「えっ?」
その鈴、もしかして本物の金で出来ているとか?
だから綺麗な音がするのかな、ぼくは本物の金の鈴なんか触ったことはないけれど…。
「ははっ、そういうわけじゃないんだ。いい音がする鈴ではあるが…」
鈴自体はごくごく普通の鈴だな、特別なのは鈴じゃなくって…。
この飾りさ。
これだ、と指差された鈴のついた部分。
鈴のすぐ上、鈴を鞄などに結ぶための紐との間に丸い玉が一つ。それはガラスの玉ではなくて。陶器で出来た玉などでもなくて、強いて言うなら糸で出来た玉。
鈴を吊るす紐よりも少し細い紐を組み上げて作った、まるで小さな手毬のような組紐細工。
赤に緑に、青に黄色に、それから紫。五色の紐で出来た手毬は可愛らしいけれど。
「どう特別なの?」
ただの組紐細工みたいに見えるけど…。これは特別な意味でもあるの?
「あるな、願いの糸ってヤツだ」
それで作った細工物なんだ、この毬みたいな部分はな。
「願いの糸って?」
初めて聞いたよ、それがこの糸の名前なの?
「いや、糸自体は店に行ったら普通に売ってる細工物用の紐なんだが…」
願いの糸を買いたいんですが、と店員に言っても通じないのが普通だろうな。
サッと出してくる店員がいたら、かなり勉強熱心な店員だろう。沢山売れるものでもないしな。
「それじゃ何なの、願いの糸って?」
糸の名前じゃないって言うなら、どうしてこれが願いの糸なの?
「七夕、前に教えたよな? 俺の授業で」
短冊を吊るす、あの七夕だ。織姫と彦星が出会う七夕、それは分かるな?
「うん、他にもハーレイから教わったよ。カササギの橋とか、催涙雨だとか」
「あの七夕の糸さ、願いの糸は。七夕の星への供え物だな」
授業ではそこまで話さなかったが、ずっと昔は七夕と言えば五色の糸を飾るものだったんだ。
他にも楽器の琵琶を供えたり、そりゃあ大掛かりなものだった。
もっとも、そんな七夕をやっていたのは一部の貴族ってヤツだけなんだが…。
願いの糸は七夕で飾る五色の糸から来てるのさ。
願いをかけて五色の糸を飾れば、織姫が願いを叶えてくれる。糸は機織りに使うものだろ?
だから織姫の管轄なんだな、願いの糸で頼んだ願い事を叶えてくれるのはな。
七夕飾りの五色の糸。
織姫が願いを叶えるという五色の願いの糸。
落とし物の鈴に付けられた小さな手毬はそれを組み上げた細工物だと聞かされたから。
「詳しいね、ハーレイ」
これを見ただけで分かるんだ?
紐を売ってるお店の人でも、願いの糸って何のことだか分からないのに。
「おふくろが作っていたからな」
丁度こんな風に紐を組んでだ、こういう鈴をくっつけてな。
「ホント?」
ハーレイのお母さん、こういう物も作るんだ…。
「ああ、おふくろは古い習慣ってヤツが大好きだからな。今は作っていないんだが…」
俺が大きくなっちまったしな、こういう鈴を鞄とかにつけて歩くにはな。
だが、ガキの頃には鞄につけてた。
失くしちまって大泣きしたこともあったっけなあ…。幼稚園の頃かもしれないが。
「大泣きって…。ハーレイが?」
ハーレイが泣いてる所だなんて、ぼくは想像つかないんだけど…!
「そりゃそうさ。転んだくらいで泣きはしないし、怪我をしたって我慢していた」
しかしなあ…。あれを失くした時だけはショックだったんだ。
自慢だったからな、願いの糸。
持ってる友達は誰もいなかったし、これさえつけてりゃ願いが叶うと信じていたしな。
「じゃあ、この鈴を落とした人も…」
大ショックだよね、失くしちゃった、って。今頃、必死で探してるかも、見付からないって。
学校で落としたってことまで分からないもの、それこそ通学路を何度も歩いて。
「さあ、どうだかな?」
もうアッサリと諦めてるかもしれないぞ。なにしろ願いの糸だからな。
「どうして? とっても大事なものなんじゃないの?」
小さかったハーレイが泣いたくらいだし、ぼくの学校の生徒の年ならガッカリだよ、きっと。
大人みたいに簡単に諦められやしないよ、大切な物は。
「それは考え方次第だな。落とした奴がどう考えるかで変わってくるんだ」
俺が鞄につけてた鈴を失くしちまって帰った時。
泣きじゃくっていたら、おふくろがこう言ったんだ。願いが叶ったんだろう、と。
「なんで? 大事な鈴がなくなったのに、願い事なんか…」
願い事を叶えてくれる鈴でしょ、失くしちゃったら願い事はもう叶わないじゃない。
「それが違うんだな、鈴がなくなったからこそだ」
鈴の仕事が終わったんだと、だから消えたんだと言われたな。
「ハーレイ、それで納得した?」
「いや。俺の願い事は叶っていない、と泣き喚いた」
どんな願い事をしていたのかは、今ではすっかり忘れちまったが…。
願い事が叶っていなかったことだけは間違いないなあ、悔しくてたまらなかったからな。
「だったら、それからどうなったの?」
ハーレイ、大泣きし続けていたの、鈴はなくなっちゃたんだから。
「それがな…。おふくろは俺の頭を撫でてだ、鈴はもっと大事な役目をしたんだと言った」
願い事が叶っていないというのに失くしたんなら、鈴は災難を持って行ったんだと。
「災難?」
「そうだ、いわゆる災いってヤツだ。それを消して鈴は消えたんだ、とな」
鈴には厄除けの意味もあるのさ、願いの糸とは無関係にな。
持ち主に降りかかる筈だった厄を祓って、代わりに消えてしまうんだ。身代わりだな。
俺の鈴はそうして消えたんだろう、と言われちゃ納得するしかなかった。何処かで酷い怪我でもするとか、そういったことを鈴が防いでくれたんならな。
「ふうん…。それなら、その鈴を落とした人は…」
ガッカリしているとも限らないんだね、その人の考え方によっては。
「そうさ、願いが叶っていりゃあ万歳、そうでなければ厄を祓ったと思っているか…」
案外、ケロッとしているってことも全く無いとは言えんわけだな。
だがなあ、それでも帰って来ても欲しいしな?
何処かに落ちていないものかと、ヒョコッと出て来てくれないものかと思ってもいるさ。
「鈴の役目は終わったんでしょ、なのに帰って来て欲しいわけ?」
もう充分だと思うんだけど…。なんだか欲張りに聞こえるよ、それ。
「欲張りにもなるさ、願いの糸がついた鈴だぞ?」
ただの鈴ならいつでも、売ってる店にさえ行けば代わりの鈴を手に入れられるが…。
こいつは七夕の願いの糸だし、年に一度しか機会が無い。
「七夕の日にしか作らないの?」
その日だけなの、こういった鈴を作るのは?
「七夕の日にってわけではないんだが…。こういった細工は手間もかかるし」
年に一度の七夕のために作り始める、という感じだな。
その日に作っても出来んことはないが、急な用事が入ったりしたら時間が足りなくなっちまう。七夕の夜までに間に合わなければ、そいつは願いの糸じゃないだろ?
年に一度しか作らない細工がついている鈴で、貰えるのも年に一度だから。
願いの糸が飾られた鈴には七夕にしか出会えないから、出来れば失くさずに付き合いたいもの。
それに…、とハーレイは鈴をチリンと鳴らした。
「こうして失くして、見付かったのなら、なおのことさ」
もっと大切にしてやらないとな、前よりもいい鈴になるんだからな。
「どういうこと?」
失くした鈴が見付かったとしたら、誰だって嬉しいだろうけど…。いい鈴になるって、どういう意味なの、何かいいことが起こるの、それで?
「失くしちまったら、一度御縁が切れるだろ? それなのに戻って来るんだぞ」
それは御縁が深いものだということだからな、もっと効き目が強くなる。
願いの糸だって、この鈴だって。
自分と御縁の深い人なら、大事にしたいと思うじゃないか。
願いを叶えてやろうと思っているなら、より強く。厄を祓うにも、今まで以上に頑張るだろ?
「だから返してあげたいんだね、それ」
落としちゃった人に。失くして探しているかもしれない生徒に。
「ああ。学校で落としたとは思ってないかもしれないからなあ、張り紙を頼んでおくつもりだ」
学校にあるだろ、掲示板。あそこにこれの写真をつけて。
駐車場に落ちていたから、拾って保管してあるとな。そうすりゃ直ぐに分かるだろうし。
「そうだね、それが良さそうだよね」
掲示板なら一日に一度は誰でも見るし…、とブルーはハーレイが拾った鈴を眺めた。
五色の紐で出来た細工がつけられた金色の小さな鈴。
七夕にゆかりの願いの糸とやらは知らなかったけれど、鈴の方なら馴染みが深い。チリンと鳴る音もよく耳にするし、鞄などにつけている生徒も珍しくはないのだけれど。
それは今だからこそで、前の自分が生きた頃には…。
「ねえ、ハーレイ…。こういう鈴って…」
前のぼくたちの頃には無かったよね?
こういう形をしている鈴。シャングリラの中だけじゃなくって、何処を探しても。
「うむ。この形の鈴も、願いの糸もな」
マザー・システムが消してしまった文化ってヤツだな、この鈴たちも。
今の俺たちの住んでる地域じゃ、こういった鈴は何処に行っても見られるモンだが。
「鈴が無いなら、厄除けにだってならないんだね」
厄を祓ってくれる鈴。災難除けの鈴も無かったんだね、前のぼくたちが生きた頃には。
「あの頃なあ…。厄除けで音が鳴るものだったら、教会の鐘って所だな」
「そうなの?」
「らしいぞ、教会の鐘が鳴ったら悪魔も逃げて行くと言うんだ」
もっとも、教会の鐘はデカ過ぎて鈴みたいに持ち歩くことは出来ないし…。
それに、あの時代の教会ってヤツにどれほどの御利益があったんだかなあ、あんな時代だしな?
ついでに教会、シャングリラの中には無かったってな。
だが…、とハーレイは少し考え込んでから、こう口にした。
「もしもあの頃に、鈴があったら。こんな形の小さな鈴があったなら…」
欲しかったかもな、その鈴が。
「どうするの、そんな鈴なんかを?」
ハーレイ、こういう鈴が好きなの、願いの糸の鈴はもう持ってないって言っていたけど…。
「俺じゃないんだ、前のお前にくっつけるんだ」
「なんで?」
前のぼくに鈴なんかつけてどうするの?
もしかして、「猫の首に鈴を付ける」ってヤツ?
ぼくが何処に居るか直ぐに分かるように鈴をつけておくの、チリンチリンと音がするように?
「わざわざ鈴までつけなくっても、俺はお前の居場所が直ぐに分かってたろうが」
落ち込んで隠れてしまってた時も、見付けて迎えに行った筈だが?
目印の鈴なんか要らなかったな、ああいう時にはお前の心が俺の心を呼んでたからな。お前には自覚が無かっただろうが、俺にはちゃんと聞こえていたんだ。お前が俺を呼んでいる声が。
「それじゃ、どうして鈴なんか…」
「さっき言ったろ、こういう鈴は厄除けだとな」
お前に降りかかる、色々な厄。怪我とか、人類軍との遭遇だとか…。
そういった厄を祓ってくれるよう、厄除けにな。
それと願い事か…。
前のお前が心の中だけに仕舞っていたような願い事。
ソルジャーだから、と誰にも言わずに我慢していた願い事を叶えてくれるようにとな。
五色の糸の細工をつけて、とハーレイは語る。
年に一度だけ、七夕の夜に合わせて作られる願いの糸の細工物。
そんな鈴を作ってソルジャーの衣装につけるのだ、と。
「ソルジャーの服に鈴をつけるだなんて…。うるさくない?」
チリンチリンと、やたらうるさいと思うんだけど…。
「うるさいほどにつけたいのか、お前?」
「一個なの?」
鈴をつけるって一個だけなの、もっと沢山かと思っちゃったよ。
どうして勘違いしちゃったんだろ、前のぼくの服のあちこちに鈴が沢山ついてるだなんて。
「うーむ…。一個だけというつもりだったが、山ほどもいいな」
あっちもこっちも鈴だらけだ、ってほどにチリンチリンと。
マントの縁やら、襟元やら。上着にも沢山つけられそうだな、こういった鈴を。
それだけあったらメギドの厄も…、と呟くハーレイ。
鈴が一個でキースの弾を一個、と。
キースがブルーを銃で撃つ度、鈴が一つ消えて銃の弾も消える。弾はブルーの身体に届いたりはせず、身代わりに鈴が消えるのだと。
「ハーレイ、その鈴は強すぎだよ」
いくらなんでもキースの弾まで防げはしないよ、鈴なんかで。
「分からんぞ? 鈴自体はただの鈴でも、だ」
前の俺のシールド能力を託しておけたかもな、と思ってな。
あれでもタイプ・グリーンだったぞ、銃の弾くらいは充分に防げた筈なんだ。
「それじゃ、防弾鈴になるわけ?」
鈴がシールドの代わりになるわけ、前のぼくがシールドを張れなくっても?
「試してみる価値はあったかもなあ、前の俺は思い付きさえしなかったが」
前のお前のマントだの服だの、そういったものの強度ばかりを気にしていたが…。
厄除けの鈴に俺のシールド能力を託せていたなら、メギドでもお前を守れたかもなあ…。
「その鈴、ちょっぴり欲しかったかも…」
メギドまで持って行きたかったかも、ハーレイが作ってくれた鈴。
「これをつけておけ」って、ぼくが歩いたらチリンチリンとうるさいくらいに沢山つけてくれた鈴。
それがあったら、メギドでも、もっと…。
「弾除けになったと言うんだろ?」
お前がキースに撃たれちまった数、本当に酷いものだったしな…。
俺の温もりを失くしちまうほどの痛みだったんだ、弾除けの鈴さえ持っていたなら…。
「ううん、弾除けにするんじゃなくって、温もりの代わり」
ハーレイの温もりの代わりなんだよ、ハーレイがくれた鈴なんだもの。
弾除けとしては効かなくっても、山ほどつけて貰っていたなら、一つくらいは残っていたよ。
チリン、って優しく鳴ってくれたよ。
ぼくの命が消えそうになっていたとしたって、その音だけできっと…。
心強かったよ、とブルーは言った。
撃たれた痛みでハーレイの温もりをすっかり失くしてしまったとしても。
服に残った鈴を右手で握り締めれば温かかったに違いない、と。
其処にハーレイの確かな温もりがあると、この鈴はハーレイがくれたのだから、と。
「だからね、キースに何発撃たれたとしても…」
鈴が弾除けにならなくっても、一個だけでも残ってくれれば良かったんだよ。
もちろん、弾除けになってくれていたら、とても頼もしかったんだろうけどね。
「ふうむ…。鈴だらけのソルジャーなあ…」
マントも上着も、あちこちに鈴で、うるさいくらいにチリンチリンと鳴ってるわけか…。
「凄く間抜けな格好だけどね、キースだって笑い出すほどに」
なんだって鈴をつけてるんだと、ソルジャーっていうのはこうなのかと。
あっ、でも…。
ジョミーは鈴をつけていないわけだし、前のぼくの趣味だと思われたかな?
タイプ・ブルー・オリジンは変な趣味だと、鈴を山ほどくっつけた服が好きらしいと。
「いや、たとえキースが笑ったとしても。ちゃんと力があるならいいだろ、その鈴に」
上手くいったら防弾鈴だぞ、キースの笑いも余裕もたちまち消え失せちまうってな。
いくら撃っても鈴がチリンと一つ消えるだけで、お前は無傷だ。
山ほど鈴をつけていたなら、あっちが先に弾を切らして真っ青になっておしまいだぞ。
「ふふっ、そうかも…」
弾切れになったら、ぼくでもキースに勝てていたかな?
メギドを止めろって脅せていたかな、殺されたくなければ直ぐに止めろって。
「そいつはいいなあ、お前も生きてシャングリラに戻れそうだな」
歴史は丸ごと変わっちまうが、なかなか愉快な話じゃないか。
厄除けの鈴を山のようにつけたソルジャー・ブルーがメギドを見事に止めました、とな。
ミュウの歴史を変えていたかもしれない、願いの糸がついた鈴。
ハーレイが作った厄除けの鈴。
ソルジャーの衣装に山ほどつけていたなら、と二人、楽しげに笑い合う。
今のハーレイが学校で拾った鈴を見ながら、落とし物の金色の鈴を見ながら。
白いシャングリラで生きていた頃には、そんな鈴は何処にも無かったのだけれど。
鈴自体が無い時代だったのだけれど。
あの頃から遥かな時を飛び越え、青い地球の上に生まれて来た。二人一緒に、この地球の上に。
七夕が、鈴がある地域に。
こうした優しい祈りのこもった細工物の鈴がある地域に…。
だからブルーは、期待に満ちた瞳で目の前の恋人を見詰めた。
「願いの糸の鈴…。ハーレイのお母さん、今はホントに作っていないの?」
ハーレイが子供の頃には作ってたんでしょ、今も作っていたりはしない?
「いや、俺がデカくなっちまったし…。鈴なんかが似合う柄でもないしな」
親父は釣りに出掛けたら直ぐに失くしちまうし、作り甲斐ってヤツが無いんだそうだ。
自分で自分に作るというのも、イマイチ気分が乗らないしな?
なにしろ願いの糸だからなあ、自分で自分に願い事をするみたいじゃないか。
「そっか…。ちょっと残念」
見たかったんだけどな、ハーレイのお母さんが作った願いの糸がくっついた鈴。
作り方は決まっているんだろうけど、ハーレイのお母さんが作った鈴を見たかったな…。
「欲しいのか?」
お前も、こういう願いの糸がくっついた鈴。
おふくろが作ると聞いたら欲しくなったか、ソルジャーの衣装はもう無いんだが…。
「ちょっぴりね」
厄除けだとか、願い事だとか。
そういうのは別にいいんだけれども、ハーレイのお母さんが作った鈴なら欲しいよ。
だって、いつかはぼくのお母さんになってくれる人なんだもの。
ハーレイのお母さんだもの…。
ブルーが惜しそうにしているから。
願いの糸の細工がくっついた鈴は作っていない、と聞かされて残念そうだから。
ハーレイは「仕方ないな」と小さな恋人に微笑み掛けた。
「お前が作って欲しいと言うなら、俺がおふくろに頼んでやるさ。しかしだ…」
いつも持ってくるマーマレードのようにはいかんぞ、あの鈴は。
俺のおふくろの手作りとなったら、俺が手料理を持ってくるどころじゃないからな。
お前のお父さんやお母さんたちが変だと思うに決まっているから、今は駄目だぞ。
「分かってる」
どうしてハーレイのお母さんがぼくにくれるのか、パパにもママにも分からないしね…。
もっと小さな子供だったら、お守りに作って貰えたのかもしれないけれど。
「そういうことだ。今のお前じゃ、その手の土産を貰うにはなあ…」
大きすぎるんだよな、チビなんだが。
幼稚園だとか、下の学校に入って間もないくらいの子供だったら良かったのにな?
ただし、それだと俺と結婚出来るまでの時間がとびきり長くなっちまうんだが。
いつか婚約か、結婚でもしたらな、とブルーに約束してやった。
願いの糸の細工物をつけた鈴を作ってやってくれるよう、自分の母に頼んでおくと。
「うん、お願い。その頃にもちゃんと覚えていたなら、またお母さんに頼んでね」
ぼくが忘れてしまっていても。
欲しがってたことを思い出したら、作ってくれるようにお願いしてね。
「もちろんだ。七夕の頃になったら毎年思い出しそうだな、俺の場合は」
授業で七夕は必ずやるしな、そうなって来たら「そうだった」と思い出すだろう。お前のために願いの糸だと、あれをくっつけた鈴だったな、と。
おふくろだって、きっと思い出すさ。可愛らしい嫁さんが来たならな。
「可愛らしい?」
それって、ぼくの背が伸びないってこと?
結婚したってチビのまんまで、今と変わらないって言いたいわけ?
「違うさ、単なる褒め言葉だ。お前、チビだと言われ続けて根に持ってるな?」
俺の嫁さんになろうって頃には、前のお前と同じ姿に育っているさ。
だがな、チビでなくても、デカイ俺よりかは可愛いんだ。前のお前でも充分、可愛い。
おふくろは張り切って願いの糸の鈴を作るさ、お前が欲しいと言うんだからな。
しかし、今度は厄除けじゃなくて願い事のための鈴なんだぞ?
お前に降りかかる災難ってヤツは俺が防ぐと決めているから、鈴の役目は願い事だけだ。
うんと欲張りに願い事をしておけ、叶えた途端に鈴がなくなっちまうほどにデッカイのをな。
「えーっと…。その頃には、ぼくのお願い事って…」
とっくに叶っていると思うよ、ハーレイのお嫁さんだもの。ぼくのお願い、それだけだもの。
「参ったな…。そう来ちまったか」
だったら、幸せをお願いするんだな。もっと幸せにして下さいと、もっと、もっとと。
幸せはいくらあっても困りはしないのだから、とハーレイはパチンと片目を瞑ると、テーブルの上に置いてあった鈴を手に取った。
「さてと、こいつは失くさないように…」
元通りに入れておかんとな。拾ったはいいが、俺が失くしちゃ話にならんし。
「持ち主の所に帰れるといいね、ちゃんと掲示板に載せて貰って」
ハーレイ、しっかり頼んであげてね、落とし物係の人たちに。
その鈴が無事に帰れるように。
「ああ、うんと強くなって帰って行くに決まっているさ。一度失くして、また戻って…」
って、それはお前か。お前のことか…。
「えっ?」
「お前さ、お前。…前の俺が一度お前を失くしてしまって、今のお前が帰って来た」
俺の所に帰って来たろう、俺はお前を失くしたのに。
「ぼく、鈴じゃないよ?」
それに強くもなっていないし、サイオンはとことん使えないし…。
その鈴みたいに厄を祓ったり、願いを叶える力だって無いし、ハーレイの役には立たないよ?
「そうじゃなくてだ、御縁が深いということさ」
一度失くして戻って来たものは御縁が深いと言っただろう?
俺たちの縁は前よりももっと深くなったに決まっているのさ、一度は失くしたお前だからな。
「そっか…!」
ぼくもハーレイの温もりまで失くしちゃったけど…。
ハーレイ、ちゃんと居てくれるものね。ぼくと一緒に地球の上だもんね、同じ町に住んで。
今度の御縁はうんと深いね、今度は結婚出来るんだものね…。
一度失くして、戻って来て。
そうしたものは自分との縁が深いものだと言うのだから。
お互い、一度は相手を失くして、再び巡り会えたのだから。
結婚して、もっと縁を深めて、前の生よりも強い絆を。
願いの糸で飾られた鈴や、ハーレイの母が作るマーマレードや、色々なもので繋がってゆく。
幾つも幾つも御縁を繋いで、手を繋いで二人、何処までも共に。
そうしような、とハーレイは小さなブルーに微笑んでやる。
願いの糸に託す願い事も無いほど幸せにするから、青い地球で二人で生きてゆこうと…。
願いの鈴・了
※ハーレイが拾った、落とし物の鈴。七夕にまつわる厄除けの細工物だったらしいです。
前のブルーが持っていれば、という話ですけど、今のブルーは貰えそうですね。
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