シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「わあ…!」
お土産、とブルーは喜んだ。
仕事帰りのハーレイがくれた、と母が運んで来てくれたお菓子。緑茶と一緒に、お饅頭。
菓子皿の上にチョコンと座った、ヒヨコの形のお饅頭。
艶やかな茶色を纏ったヒヨコは黒い目までちゃんとくっついていて、コロンと愛らしい。
「どうしたの、これ?」
この辺りじゃ見かけないけれど…。ハーレイ、何処かで買って来たの?
「旅行に行ってた先生の土産だ。旅行と言っても、少し長めの研修だがな」
せっかく遠くであるんだから、と休みを一日つけたらしいぞ、その土産だな。俺たちは留守番をしていたわけだし、遊んで来たなら土産の一つも寄越さんとなあ?
「可愛い形のお饅頭だね、ヒヨコだなんて」
鳥じゃないよね、ヒヨコだよね?
それとも普通の茶色い鳥かな、ぼくはヒヨコかと思ったけれど。
「ヒヨコさ、その名もヒヨコ饅頭ってな。そういう名前の饅頭なんだ」
ずうっと昔は定番だったらしいぞ、饅頭の。
昔と言ってもSD体制が始まるよりも遥かに前のことだな、この辺りに日本があった時代だ。
「そうだったの?」
「うむ。あちこちにヒヨコ饅頭があって、どれが最初のヒヨコ饅頭やら…」
当時でさえ分からなかったらしいし、今となってはサッパリ謎だな。
そして、その頃に有名だったヒヨコ饅頭。そいつがあった辺りに行くとだ、ヒヨコ饅頭が買えるわけだな。こうして復活しているからなあ、名物としてな。
「ふうん…。それじゃ有名なヒヨコなんだ…」
とっても可愛いヒヨコだよね、とヒヨコ饅頭を指先でつついているブルー。
指にくっつく皮ではないから、手のひらに載せてみたりもして。
そうやってヒヨコを愛でている内に、情が移ってしまったらしく。
「どうしよう、これ…」
ハーレイ、このヒヨコ、食べなくちゃ駄目?
「はあ? お前、この手の菓子は嫌いだったか、こういう饅頭」
好き嫌いが無いのが売りじゃなかったか、前の俺たちが苦労していた名残ってヤツで。
それに饅頭、平気で食っていたと思うが…。少なくとも俺が知る限りはな。
「お饅頭は嫌いじゃないけれど…。これも美味しそうだとは思うんだけど…」
だけどヒヨコが可哀相だよ、食べちゃったらいなくなっちゃうんだよ?
こんなに可愛いヒヨコなのに。目だって、ぼくを見てくれてるのに…!
「お前なあ…。気持ちは分からないでもないがだ、こいつはヒヨコ饅頭なんだぞ?」
ヒヨコ饅頭は食って貰うために生まれて来たんだ、食ってやるのが正しい付き合い方だ。食って貰えないで放っておかれたら、生まれて来た意味がありゃしない。
残しておいても駄目になってしまうだけなのだから、とハーレイは小さなブルーを諭した。
ヒヨコ饅頭は食べられてこそだと、それでこそヒヨコ饅頭の方も喜ぶのだと。
「いいか? 食って貰って、食った人に美味いと思って貰ってこそのヒヨコ饅頭だぞ」
美味しく食べて貰えたんだ、とヒヨコ饅頭が大いに喜ぶってモンだ。
だがな、可哀相だと残しておかれたヒヨコ饅頭はだ、いずれ駄目になっちまってゴミ箱行きだ。
それじゃヒヨコ饅頭に生まれた意味が無いだろ、食って貰えずにゴミ箱ではな?
だから食べろ、とブルーを促す。
ヒヨコ饅頭を喜ばせてやりたかったら美味しく食べろ、と。
「そっか、食べずにおいたらゴミ箱…」
嬉しくないよね、そんな結末になっちゃったら。ヒヨコ饅頭は食べられてこそなんだね。
「分かったんなら、ちゃんと食ってやれよ?」
ほら、食ってくれと見上げてるだろうが、お前の顔を。
美味しいですから食べて下さいと、遠い町から食べて貰うために来たんです、とな。
「うん、わざわざ旅して来たんだっけね」
先生が研修に行った町から、この町まで。
そしてハーレイが学校で貰って、ぼくの家まで車でやって来たヒヨコ饅頭だものね。
食べなくちゃ、と思ったブルーだけれど。
ヒヨコ饅頭が喜んでくれるよう、美味しく食べねばと思ったけれど。
でも、ヒヨコ。茶色いヒヨコ饅頭の姿は可愛いヒヨコで、黒い目までがついているから。
(うーん…)
何処から食べればいいのだろうか、と新しい悩みが生まれて来た。
食べるためには齧らなくてはいけないけれども、ヒヨコ饅頭を何処から齧るべきか。
「ハーレイ、これ…」
頭から齧って食べるものなの、それともお尻?
決まりがあるなら、何処から食べるか教えてよ。
「ヒヨコ饅頭を食べる決まりだと?」
そんなのは無いぞ、とてつもなく上等の菓子ってわけでもないからな。何処から食うのも自由な筈だぞ、頭から食おうが尻から食おうが。
「でも…。頭を齧ればお尻が残るし、お尻から齧れば頭が残るよ?」
どっちも痛そうで可哀相だよ、ヒヨコ饅頭。
いくら食べられるために生まれて来たっていうヒヨコ饅頭でも、痛いのは嫌だと思わない?
痛くなくって、美味しく食べて貰えるんなら、それが最高だろうと思うんだけど…。
「ふうむ…。ヒヨコ饅頭が痛くなくって、なおかつ喜んでくれる食い方か…」
なら、こうだな。お前には無理かもしれんがな。
ハーレイは自分の皿の上のヒヨコ饅頭をヒョイとつまむと、口を大きく開いてみせて。
その中へと放り込まれたヒヨコ。口に入ってしまったヒヨコ。
口がパクンと閉じたかと思うと、モグモグと動く顎と頬。ヒヨコ饅頭を頬張った大きな口。
やがてゴクンと喉が動いて、ハーレイは「ほらな」と口を開けて中を指差した。
(ひ、一口…!?)
何処にも見えないヒヨコ饅頭。影も形も見えないヒヨコ。
パクリと一口で食べたハーレイなのだし、ヒヨコの頭もお尻も残りはしなかった。
「こうすりゃヒヨコも大喜びだな、齧られたりはしないしな?」
丸ごと食べて貰えるってわけだ、外側の皮も中の餡もな。
うん、なかなかに美味いヒヨコ饅頭だったぞ、お前も食べてやらないとな。美味いんだから。
頭だの尻だのと言っていないで一口で食えば、お前の悩みも解決だ。
「一口って…」
確かにそれなら頭もお尻も無いけれど。
ヒヨコの頭やお尻が残って、痛いかもしれないと思う必要は無いのだけれど。
(このサイズだよ?)
ブルーもヒヨコ饅頭を手にして、口を開けてはみたものの。
ハーレイのように大きな口ならともかく、小さなブルーの口には些か大きすぎるヒヨコ。一口でパクンと頬張ろうとしても、どうやら入りそうにないヒヨコ。
暫し悩んで、口を何度も開けたり閉じたりしてみた末に、諦めてヒヨコ饅頭を皿へと戻した。
「ぼくには無理かも…」
とても一口で食べられやしないよ、押し込むんなら別だけど…。
だけど、押し込もうとしたらヒヨコ饅頭は潰れてしまうし、齧るよりももっと可哀相だよ。
「それなら選ぶしかないな。頭か、尻か」
どっちか選んでガブリといけ。食い方は決まっていないんだから。
「可哀相だよ、頭もお尻も」
食べられるためのヒヨコ饅頭でも、痛かったりしたら可哀相だもの。
だって、齧られちゃうんだよ?
頭からとか、お尻だとか。ガブリとやられて、そこから千切れてしまうんだよ…?
「おいおい、ヒヨコ饅頭ってヤツはだ、食われるために出来ているんだぞ?」
頭から食おうが尻から食おうが、食って貰えれば満足なんだと思うがな?
それにだ、ヒヨコはそんなに弱くはないぞ。ヒヨコ饅頭じゃなくて、本物のヒヨコ。
「そう?」
ぼくはヒヨコは飼ったことが無いし…。
幼稚園には居たけどね。鳥小屋でたまに生まれていたけど、ピヨピヨ鳴いてて小さかったよ?
他の鶏が苛めたりしたら駄目だから、って先生たちが仕切りを作っていたよ?
「そういうケースも無いことはないが、ヒヨコってヤツは、けっこう逞しいモンでだな…」
俺がガキの頃に、可愛いからって強請って飼って貰った友達、苦労してたぞ。
ピヨピヨ鳴いてる間は良かったんだが、気が付きゃデッカイ雄鶏だ。けたたましく鳴くし、気は強いしなあ…。餌をやるにも命懸けって顔をしてたもんだが、俺の友達。
…って、そういやシャングリラにいたじゃないか。
「何が?」
「最強のヒヨコさ」
「最強…?」
何なの、最強のヒヨコって?
それにシャングリラだなんて、それ、何の話…?
ブルーがキョトンとしているから。
意味が掴めないという顔で、赤い瞳を何度もパチパチさせているから。
まず食べてしまえ、とハーレイは言った。ブルーが食べられないと悩み続けるヒヨコ饅頭。
それを食べたら話してやろうと、ヒヨコの話はそれからだと。
「ヒヨコ饅頭の頭…。この目が見てるし、やっぱりお尻?」
お尻から食べた方がいいかな、痛くないかな?
それとも頭の方だと思う?
頭を食べたら痛いって感覚なくなっちゃうかな、だけど頭からだと残酷かな…?
「悩んでいないでパクリといけ」
頭でも尻でもかまわんだろうが、ヒヨコ饅頭は食われてこそなんだから。
「でも…。頭には目がくっついてるよ!」
目がついてるから可愛いんだけれど、この目で見られているんだもの。
痛くしないでね、って言われてるみたいで、どう食べようかとホントに迷ってしまうんだよ…!
「頭なあ…。お前も頭を蹴られていたぞ」
痛くするも何も、問答無用で頭をドカッと。
「誰に?」
「最強のヒヨコだ」
あいつがお前の頭を蹴ったな、そりゃもう遠慮の「え」の字も無くな。
「えーっと…?」
分からないよ、と目をパチクリとさせているブルー。
そんなものに覚えは全く無い、と赤い瞳が瞬きするから、ハーレイは喉をクッと鳴らした。
「覚えていないか、最強のヒヨコ」
もっとも、育った後のことだがな。お前の頭を蹴っていたのは。
「ああ、アレ…!」
思い出した、とブルーは叫んだ。
白いシャングリラに君臨していたヒヨコ。最強だったヒヨコのことを。
「アレだね、ハーレイ?」
最強のヒヨコのことを言ってるんだね、逞しいって。
「そうさ、アレだと思えば食えるだろう?」
ヒヨコ饅頭。頭だの尻だのと悩まなくっても、アレだったらな。
「うん、多分…」
アレなら、ぼくでも悩まないよ。アレは頭もお尻も丸ごと、全身、最強だったんだから。
よし、とブルーは齧り付いた。
さっきまで自分を悩ませていたヒヨコ饅頭を手にして、頭にパクリと。
つぶらな瞳で見上げていたヒヨコの頭は消えたけれども、ブルーの口に入ったけれども。
「見ろ、お前だって食えたじゃないか」
美味いだろ、ヒヨコ饅頭の頭。皮も美味いが、中身の餡も絶品だよな。
「うん、美味しい!」
食べられるために生まれて来たっていうのが分かるよ、ヒヨコ饅頭。
食べて美味しいヒヨコなんだね、皮と餡とで出来てるんだものね。お菓子の国のヒヨコだね。
美味しいヒヨコ、と、そのまま尻までモグモグしているブルーは可愛い。
まるで生まれたてのヒヨコのように。
ピヨピヨと鳴くだけのフワフワのヒヨコみたいに可愛らしいから、ハーレイは腕組みをして低く唸った。
「お前みたいに可愛いヒヨコだったら良かったんだがな、アレも」
「どういう意味?」
アレって最強のヒヨコのことでしょ、ハーレイ、何が言いたいの?
「いや…。アレもチビのままなら良かったなあ、と」
お前にはいずれ大きく育って欲しいが、アレに関しては…。
アレはそうではなかったなあ、と。
「そうだね、チビのままならね…」
最強のヒヨコ、チビのままだと良かったね。それなら可愛いヒヨコだったね、最強でも。
思い出したお蔭でヒヨコ饅頭は美味しく食べられたけれど、最強のヒヨコ…。
お饅頭で出来たヒヨコみたいに、小さいままなら良かったのに。
ヒヨコ饅頭はどれもヒヨコの形なんでしょ、大きなヒヨコ饅頭でも?
「もちろんだ。でなけりゃヒヨコ饅頭にならん」
学校用にとデカイのを一個、買って来ていたが…。
こんな菓子皿だと、はみ出すくらいの饅頭だったが、ヒヨコ饅頭だけにヒヨコだったな。デカいヒヨコの形ってだけで、鶏の姿はしていなかった。
最強のヒヨコも、チビのままだか、でなきゃデカくてもヒヨコだったら平和だったなあ…。
遠い遠い昔、この宇宙に在ったシャングリラ。
ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
前のブルーが奪った鶏を飼って増やして、卵を手に入れて暮らしていたのだけれど。
仲間たちに充分に行き渡るだけの沢山の卵が毎日産み落とされるけれども、問題が一つ。
「そろそろ次のを選ばないとね」
時期だからね、とブラウが会議の席で議案に目を通しながら書類を指先でトンと叩いた。
「そうじゃな、そういう頃合いじゃな」
報告書も上がって来ておるし…。またヒルマンの出番じゃのう。
強いのを頼むぞ、とゼルが目を遣れば、ヒルマンが「うむ」と大きく頷く。
「ああいう飼い方をしている以上は、これは必須になるのだし…。早速、作業に入るとしよう」
ケージに入れて飼っている鶏だったら、まるで必要無いのだがねえ…。
しかし、鶏を一羽ずつケージに入れるのは誰もが反対したわけだし。
「当たり前だよ、あれじゃ鶏のアルタミラみたいになっちまうよ」
あたしは御免だね、ズラリと並んだ鶏のケージを見るのはね。誰だってアレを連想するよ。
上も下も左右も仲間が詰まったケージだなんてさ、アルタミラでなきゃ何なんだい?
鶏かミュウかの違いだけだよ、檻の中で飼われているのがね…!
シャングリラで鶏が増え始めた時、検討された飼い方の案。
沢山の鶏を飼うのだから、と提案されたケージを並べる飼育方法は誰もが却下。一番効率的ではあったけれども、アルタミラで自分たちが押し込められていた檻のことを思い出させるから。
それよりは、と賛成多数で選ばれたのが平飼いだった。
充分に広い船だっただけに、鶏のためのスペースも割ける。専用の農場が一つ作られ、何羽もの鶏が放し飼いにされた。鶏たちは自由に餌をついばみ、歩き回って、卵を産んだ。
しかし…。
平飼いの鶏はハーレムを作って生きるもの。
雄鶏一羽に雌鶏が二十羽、三十羽など。そうやって次の世代をも作る。次の代を生きる鶏を。
繁殖計画の方はもちろん、栄養価の高い卵を産ませるためには健康な鶏、強い鶏。
そういった鶏を育てるためには雄鶏を慎重に選ばねばならない。雌鶏だったら何羽でもいるが、雄鶏は数が少ないのだから。
ゆえにハーレムの主の交代に備えて、次の雄鶏を選び出す。
飼育係の勘に頼るよりも、出来るだけ多くのデータを集めて強い雄鶏を。
卵から孵ったヒヨコは雄鶏と雌鶏に分けられ、雄と分かれば食肉用の飼育場へと送られていた。
そうしたヒヨコの群れの中からヒルマンが選んだ一羽のヒヨコ。
将来のハーレムの主になるべく選ばれたヒヨコは弱かった。肉に回されたヒヨコよりも。
一緒に飼われていた雌のヒヨコに踏み付けられていたり、つつかれていたり。
「…こんなヒヨコでいいのかい?」
どうにも不安なんだけどねえ、と視察に出掛けたブラウがヒルマンに問い掛ければ。
「間違いなく最強の筈なんだがね」
遺伝子的には、という言葉がオマケについた。
つまりはあくまでデータ上のこと、実情は弱いヒヨコなわけで。
死んでしまっては全く話にならないのだから、と皆がヒヨコの世話をした。
雌のヒヨコたちに踏まれるような弱いヒヨコを、鶏専用の農場から出して皆でせっせと。
それは熱心に、飼育係ではない長老たちまでが。
無論、ソルジャーだったブルーも。
「あのヒヨコ…。青の間に預かったこともあったっけね」
「うむ。ヒルマンたちも部屋で世話していたしな」
弱かったからなあ、雌のヒヨコと一緒にしたなら直ぐに踏まれて、つつかれていたし…。
放っておいたら殺されちまう、って農場から出すことにしたんだっけな。
「そうだよ、専用のケージに入れて」
出してやったら、ピヨピヨ鳴きながら後ろを歩いて来たりしたんだ、ちっちゃいくせに。
ペットみたいで可愛らしいから、ぼくだって青の間に連れてったのに…。
「お前もそうだが、ヒルマンたちだって似たようなモンだ」
仕事半分、趣味が半分。
ヒヨコの親になったつもりで部屋で世話して、猫可愛がりってヤツだよな。
他の連中も甘やかしてたし、好きなだけ餌を食わせて貰って、のびのび育っていったんだ。
大きくなれよと、強くなれよ、と。
今のお前と少し似てるな、「しっかり食べて大きくなれよ」って辺りがな。
そうやって皆で育てたヒヨコは可愛かったけれども、ふと気付いたら。
ピヨピヨとしか鳴けなかった黄色いヒヨコに、見事な羽根が生え揃ったら。
「最強になっていたんだっけ…」
弱かった頃が嘘みたいに強い、最強のヒヨコ。とっくにヒヨコじゃなかったけれど。
「殴る蹴るなんぞは当たり前だっていう凄いヤツにな」
まさしく最強のヒヨコってヤツだ、ヒルマンが選んだ通りにな。
データの通りに強いヒヨコで、もう最強としか言えないヤツだったってな。
立派に育って農場に入った最強のヒヨコは、アッと言う間に自分のハーレムを築き上げた。
縄張り意識が強かった上に、独占欲もまた強かった。
他の雄鶏がハーレムに近付くことを決して許さず、周囲の雌鶏は全て自分だけのもの。産まれる卵も自分の血を引く子供とばかりに、目を光らせていたものだから。
自分で卵を温めようとは思わないくせに、卵も自分の財産だと決めてかかっていたから。
卵を拾おうと農場に出てくる飼育係は敵だった。大事な卵を奪う泥棒。
最強のヒヨコは彼らを見るなり蹴り飛ばすのが常で、卵拾いは大仕事で。
「お前、頼まれて卵を拾いに入ったんだっけな」
今日はどうにも近付けないから、なんとか卵を拾えませんか、と訊かれちまって。
視察に出掛けた時だったよなあ、サイオンで拾えば良かったのにな?
「思い付きさえしなかったよ。飼育係はいつも手で拾って集めていたしね」
そのつもりで入って行ったのに…。
頭をドカッと蹴られたよ。鶏相手にシールドが要るなんて、ぼくは思っていなかったから!
「俺だって派手にやられたんだよな、頭をドカッと」
頭だけじゃなくて、背中もか…。
ウッカリ後ろを見せてしまったら終わりだったんだ、あの最強のヒヨコはな。
「ハーレイ、何度も卵を奪いに出掛けるからだよ」
またやって来たと思って睨んでたんだよ、最強のヒヨコ。
背中を向けたら蹴っ飛ばされるよ、泥棒の顔くらい、鶏だって覚えちゃうしね。
「あれはキャプテンの息抜きだったんだ!」
泥棒じゃないぞ、卵拾いは立派な仕事だ。拾わなきゃ卵が食えないんだしな?
それにだ、ヤツに背中を向けたら終わりだというのが緊張感があって楽しかった。
無事に卵を全部拾えたら俺の勝ちだし、蹴られちまったら負けな真剣勝負はいい娯楽だぞ?
今日は勝つぞ、と農場に向かって出掛けてゆく時は気分が高揚していたなあ…。
ソルジャーを蹴飛ばし、キャプテンも蹴飛ばし、シャングリラに君臨していた雄鶏。
毎日毎朝、時をつくって、それは元気に。
何十羽という雌鶏を侍らせ、産み落とされる卵を守ろうと暴力の限りを尽くしながら。
「最強のヒヨコ、最後はどうなったんだっけ?」
「普通は弱ってきたら肉に回されるんだが、みんな愛着があったからなあ…」
酷い目に遭わされた覚えがあっても、弱かった頃からの付き合いが長かったしな?
肉に回して食っちまうには可哀相だろ、お前のヒヨコ饅頭じゃないが。
引退した後はヒルマンが面倒を見ていた筈だ、とハーレイが語る。
他の雄鶏に攻撃されないようにと、農場の隅に専用の鳥小屋を作ってやって。
「そういえば、そういう小屋があったね」
大事な仲間が暮らしているから、ってヒルマンが餌をやりに行っていたっけ。飼育係には仕事があるから自分がやる、って餌をやったり、運動をさせに出してやったり。
「ゼルたちも世話をしに出掛けていたなあ、昔馴染みに会いに行く、ってな」
そうは言っても、たかが鶏だったんだがな。しかも散々苦労させられた、とんでもないヤツ。
「うん、最強のヒヨコって名の」
大きくなっても、引退しちゃった年寄りになっても、最強のヒヨコ。
名前だけは最後までヒヨコだったよ、見た目はとっくにヒヨコなんかじゃなくなっていても。
シャングリラに居た、最強のヒヨコ。ヒルマンが選んだ最強のヒヨコ。
最後は肉になるのだから、と誰も名前を付けなかった。皆でせっせと世話をした頃も、成長して農場でハーレムを築いていた頃も。
最強のヒヨコは最強のヒヨコのままだった。肉を免れて、専用の小屋を貰った後も。
「死んじゃった後は、仲間たちがお墓を作ってやったんだっけ?」
「ああ。ヤツの小屋があった、あの農場の隅っこにな」
流石に人間様と同じようにはいかんさ、とハーレイが笑う。
亡くなった仲間の名前を刻んだ墓碑のある公園はとうに出来ていたけれど、鶏は其処には入れはしないと。愛されていても、あそこは無理だと。
「名前が最強のヒヨコじゃね…」
墓碑に刻める名前じゃないよね、あの名前は。第一、名前と言えるのかどうか…。
「その前にヤツは鶏なんだぞ」
どんなに立派な名前があっても、あいつは鶏だったんだ。
人間様と同じ墓に入ろうだなんて厚かましいんだ、いくら最強だったとしてもな。
最後まで意志の疎通は不可能だった、とハーレイがぼやく。
一度たりとも自分の意を汲んではくれなかったと、最後の最後まで話が通じなかったと。
「俺が餌をやろうと言っているのに、いきなりつついて来やがったぞ」
小屋の扉を開けた途端に、運動だとばかりに攻撃なんだ。
「でも、シャングリラでは一番人気の鶏だったよね」
肉に回されずに引退したほどの人気者だよ、最強のヒヨコ。
「あの頃に子供たちが大勢居たなら、もっと人気は高かったろうな」
まだ子供たちの数は少なかったし、二人か三人ぐらいだったか?
みんなで農場見学に、って繰り出すほどには数が揃っていなかったよなあ、あの頃には。
「アルテメシアに着いて間もない頃だしね」
子供たちがもっと増えていたなら、名前もついていたかもね。最強のヒヨコ。
「そうかもなあ…」
子供ってヤツは名前をつけたがるかもしれないな。
自分たちよりもデカい大人に勝つような鶏、子供にしてみりゃヒーローかもなあ…。
「うん、ソルジャーより強いんだよ?」
いくらサイオンを使うのを忘れていたにしたって、頭を蹴られたのは本当なんだし。
ドカッと蹴られてビックリしちゃって、蹴られっぱなしになっちゃったしね…?
ぼくもアレには勝てなかった、とブルーが言うから。
最強のヒヨコに負けてしまった、と小さなブルーが情けなさそうにしているから。
「お前、ヒヨコ饅頭、食っただろ?」
食っていただろ、頭からガブリと齧って、全部。
「うん、美味しかったよ、ヒヨコ饅頭」
「ほらな、今のお前なら丸ごと食えるさ、あいつでもな」
ヒヨコ饅頭を食えたからには、最強のヒヨコもバリバリと頭から食えるだろうさ。
「無理!」
お饅頭と本物のヒヨコは違うよ、最強のヒヨコには勝てやしないよ!
絶対に負ける、と小さなブルーは頭を抱える。
きっと蹴られておしまいなのだと、前の自分よりも酷い負け方をするに決まっているのだと。
「ぼくにはヒヨコ饅頭がせいぜいなんだよ」
あれくらいだったら食べられるけれど、それでもお饅頭に負けていたかも…。
可哀相だ、って食べられなくって悩んでる間に蹴り飛ばされても仕方ないよね、ヒヨコ饅頭。
「頭から食うか、尻から食うかで悩んじまうようなチビではなあ…」
食うためにあるヒヨコ饅頭も食えずに悩むようでは、肉を免れたヤツには勝てんか。
最強のヒヨコ、肉にならずに済んだんだからな。
「そうだよ、負けるに決まっているよ」
ヒヨコ饅頭よりも強いヒヨコなんだよ、最強だよ?
前のぼくでも勝てなかった相手、今のぼくには歯が立たないよ…!
でも懐かしい、とブルーは微笑む。
シャングリラに居た最強のヒヨコ、最後までヒヨコと呼ばれた雄鶏。
そういう鶏を飼っていた時代もあの船にあったと、幸せな時代だったのだと。
「ふうむ…。蹴られた思い出が懐かしいなら、蹴られに行くか?」
「何処へ?」
「鶏の平飼いをやってる農場だ。卵農場だな」
いつか二人で出掛けようじゃないか、俺の車で。鶏が沢山、元気に走り回っているんだぞ。
「それ、食べに行くって約束だったよ!」
美味しい卵を食べに行こう、って、ハーレイ、言っていたじゃない!
産みたての卵でオムレツとかを作ってくれるって、ホントに美味しい卵だから、って!
「覚えてたのか…」
お前、キッチリ覚えていたのか、あの農場に出掛ける約束。
食が細いから忘れちまっただろうと思っていたのに、美味そうなものは忘れないんだな。
残念だ、と悔しそうな顔を作ってみせるハーレイ。
鶏に蹴られるブルーも面白いのにと、前のブルーも蹴られていたのに、と。
いつかブルーと二人でドライブを兼ねて、卵を食べに農場へ出掛けて行ったなら。
最強のヒヨコがいるかもしれない。
シャングリラの最強のヒヨコみたいに、卵泥棒を蹴り飛ばす強い雄鶏が。
「ハーレイ、今度はぼくを守ってくれるんだよね?」
前のぼくたちの頃と違って、ハーレイがぼくを守るんだよね?
「そういうことになってるな」
俺はお前を守ると決めたし、今度こそ守ってやりたいからな。
「じゃあ、鶏がぼくを襲って来たなら、ぼくの代わりに蹴られておいてよ」
「そうなるのか…!」
代わりに蹴られるのが俺の役目か、お前を守って蹴られるのか…!
たとえ鶏が相手であっても、ブルーを守るのが今度のハーレイ。
ブルーを庇って代わりに蹴られて、大切なブルーを守り切る。
農場で鶏と戯れた末に、ブルーが食らった一撃でも。
卵を拾おうと屈み込んだ隙に、ブルーを狙った蹴りであっても。
(…ヒヨコ饅頭だったら一口で食えるが、鶏となったら、どうなんだかなあ…)
簡単には勝てない相手だろうか、とハーレイは溜息をつくのだけれど。
鶏と派手な喧嘩になっても、ブルーを守ってやらねばなるまい。
前の生から愛し続けた大切な人を、愛してやまない恋人を。
そして二人で卵を食べる。青い地球で育った鶏の卵を贅沢に使ったオムレツなどを…。
最強のヒヨコ・了
※ヒヨコ饅頭が可哀相、と食べるのをためらってしまったブルー。ヒヨコそっくりだけに。
そして思い出した、シャングリラにいた「最強のヒヨコ」。皆に愛された、強い鶏。
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