シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(大座布団…)
学校から帰って、おやつを食べて。広げた新聞に載ってた広告、カラー写真の大座布団。
ゆったり座ってお殿様気分、って謳い文句で、特大の座布団のことみたい。
(かなり大きいよね?)
比較用にってことなんだろう、隣に座った大人の男性。正座して普通の座布団の上。大座布団は普通のよりも大きい上に、厚みだって倍はありそうな感じ。
(お殿様気分かあ…)
ぼくは本物のお殿様なんか知らないけれど。
歴史の授業でしか聞かない名前で、ずうっと昔に地球の日本って島国にいた偉い人たちだけど。こういう大きな座布団に座っていたのかな、って想像してみた。
(どうせだったら、お殿様の写真もつければいいのに…)
モデルさんにそういう格好をさせて。大座布団に座った写真をつけたら、もっと売れそう。隣に座った男性の方も、お殿様の家来の格好で。
(その方がいいと思うんだけどな…)
お殿様気分を売りにするなら、断然、それだという気がする。大きな座布団、特大の座布団。
どんな人がこれを買うのかな、って広告を眺めていたんだけれど。
(…あれ?)
こういう座布団、ハーレイの家で見なかったっけ?
リビングにあった大きなクッション。ふかふかの絨毯の上に置かれていたクッション。
(ハーレイの色の…)
肌の色っていう意味じゃなくって、前のハーレイのマントの色。濃い緑色。今のハーレイの車の色もそうだし、ぼくにとってはハーレイの色。
あのクッションを見かけた時にも、そう思った。ハーレイの色のクッションだな、って。
きっとリビングがあれの定位置なんだろう。一度だけ遊びに出掛けた時も、一回だけ瞬間移動で飛んで行っちゃった時も、クッションはリビングの絨毯の上にあったから。
(大きいクッションだと思っていたけど…)
床にあったから、昼寝用かと思ってた。ゴロンと転がるのに丁度良さそうだもの。頭から肩までクッションの上で、気持ち良く昼寝出来そうだもの。
だけど、今から思えば、あれは座布団。クッションじゃなくて、この広告にある大座布団。
真ん中と四隅に糸がついてた。真ん中はちょっぴりへこんでた。
ぼくの家に座布団は無いんだけれども、座布団の知識くらいは持ってる。
あの時は気付かなかったけど。クッションなんだと思い込んでしまっていたけれど。
(大座布団って…)
ハーレイの趣味の座布団だろうか、ハーレイの色をしてるんだから。
濃い緑色をしたハーレイの車は、あの色のを選んだみたいだし…。大座布団だって、きっと。
(あの色が気に入って一目惚れ?)
そうなのかな、と思ったけれども、色だけだったら普通のクッションにすればいい。大座布団を選ぶ必要はない。そうなってくると…。
(ハーレイ、座布団が好きなわけ?)
しかも普通の座布団じゃなくて、大座布団。お殿様気分の大座布団。
(お殿様が憧れだったとか…?)
ぼくの知らないハーレイの中身。今のハーレイの中身は知らない部分がまだまだ沢山、こういう趣味とか好みの物とか、前のハーレイとは違うから。
こうなってくると気になる座布団、ハーレイの家で見かけた筈の大座布団。
(あれの話を聞いてみたいな…)
こんな日にハーレイが寄ってくれたらいいんだけれど。
学校の仕事が早く終わって来てくれたならば、大座布団の話が出来るんだけれど…。
来てくれるといいな、と大座布団の広告をもう一度目に焼き付けてから新聞を閉じた。
キッチンのママにおやつのお皿やカップを返して、階段を上って部屋に戻って。
ぼくの部屋にあるクッションを抱えて、椅子の上にポンと乗っけておいた。ハーレイと話す時に座る窓際の椅子の、ぼくの椅子の方に。
(よし!)
これなら絶対、忘れない。
ハーレイが次に来てくれた時は、大座布団の話をするんだ。今日でなくても、次に会った時に。
その日が来るまで、クッションは椅子の上だと決めた。
普段は床に置いてるクッションだけれど。床に座る時にチョコンと腰を下ろすんだけど…。
ハーレイの仕事が早く終わるか、それとも駄目か。
期待半分、諦め半分、勉強机で本を読んでたらチャイムが鳴った。この時間だと、鳴らした人はもう間違いなくハーレイだから。窓に駆け寄って、手を振った。クッションを乗っけた椅子の横に立って、門扉の所に立つハーレイに。
そうして部屋に来たハーレイだけれど、ママがお茶とお菓子をテーブルに置いて出てった途端にこう訊いた。まだ椅子に座っていないぼくに。クッションが邪魔して座れないぼくに。
「なんだ、その椅子の上のクッションは?」
お前、尻でも痛いのか?
そいつを敷かなきゃ座れないほど尻が痛いなら、運動不足だ。座り過ぎだな。お前の年だと実に情けないが、お前、座ってばかりだからなあ…。
そういう時には座るよりもだ、軽い運動をするのがいいんだ、ストレッチだ。教えてやるから、俺と一緒に少しやってみろ。何回かやれば尻の痛みが吹っ飛ぶからな。
「違うよ、ハーレイ!」
お尻なんか痛くなっていないよ、クッションは置いてあるだけだよ!
ハーレイに訊きたいことがあったから、忘れないように乗せておいたんだってば!
とんでもない勘違いをされちゃった、ぼく。
ハーレイと一緒にストレッチは少し興味があったけれども、やったら肝心のことを忘れちゃう。ぼくが訊きたいのは大座布団の話で、運動の話じゃないんだから。
(…ストレッチはいつか覚えてたら訊こう…)
忘れちゃったら、それはその時。ぼくはクッションを元の床に戻すと、ストレッチを潔く諦めて切り出した。ハーレイの向かいの椅子に座って。
「んーとね…」
ハーレイの家に行った時にね、リビングで大きなクッションを見たよ。前のハーレイのマントの色とおんなじ色をした大きなクッション。
あれって、クッションなんだと思ってたけど、ホントは大座布団だった…?
「その通りだが…。よく分かったな、あれが大座布団だと」
俺の家に何が置いてあったか覚えていたのも驚きなんだが、大座布団と来たか。
あんまり知られていないんだがなあ、大座布団は。
現に、俺の家に遊びに来るようなクラブのガキども。特大の座布団だと言ってやがるぞ、ただの大きな座布団なんだと。
「広告に載っていたんだよ」
今日の広告、って、ぼくは答えた。
「ゆったり座ってお殿様気分って書いてあったけど、大座布団ってハーレイの趣味?」
あれが好きなの、大座布団っていうものが?
「まあな。明らかに俺の趣味だな、うん」
しかしだ、お殿様気分って方ではないぞ。単なるサイズの問題だ。
「ハーレイ、身体が大きいものね」
普通の座布団でも座れそうだけれど、ちょっぴり窮屈で可哀相かな、座布団が。
「おいおい、窮屈っていうのはともかく、座布団が可哀相とは失礼だな」
座布団は座るためにあるんだ、どんなに重たいヤツが座っても受け止めるのが仕事ってモンだ。
とはいえ、同じ座るんだったら、ゆったり座りたくなるじゃないか。
そういうわけでだ、俺の家には大座布団だ。俺の身体にピッタリのサイズの座布団だってな。
普通の座布団でも充分に座れはするんだが、と言うハーレイ。
そっちのサイズにも慣れているから、小さくっても別に困りはしないって。
ハーレイが子供の頃から好きでやってるスポーツ、柔道と水泳。どっちもプロの選手になる道が開けていたのに、ハーレイは蹴った。そうして古典の先生になって、ぼくと出会った。
ぼくの学校では柔道部の指導をしてるけれども、その柔道には畳が必須。もちろん、正座も。
座布団は正座に使うものだから、ハーレイは馴染みが深いんだけれど。
「ただなあ…。偉くないと座らせて貰えないんだがな」
道場に座布団が置いてあっても、指を咥えて見てるだけ、ってな。
「そうなの?」
座布団があっても使っちゃ駄目なの、偉くないと?
「下っ端は無理だ。先生と呼ばれるくらいにならんと、座布団に座れる身分になれない」
たとえ座布団が余っていたって座らせちゃ貰えないものだ。
ガキの頃には道場の隅っこに積まれた座布団、何度も眺めていたっけなあ…。
いつかはあそこから一枚貰って俺も座ろうと、あれに座れるレベルになろうと。
子供時代のハーレイの憧れだったらしい座布団。
柔道を習いに行く道場で、いつかはと夢を見ていた座布団。
「俺の家にはあったからなあ、たまに道場に行っているつもりで座っていたな」
俺も座布団を貰える身分になったと、ついに先生になったんだと。
いわゆる「ごっこ遊び」ってヤツだな、俺一人しかいない遊びだったがな。
「ハーレイのお父さんたちの家…。座布団なんかがあったんだ…」
もしかして大座布団もあったの、その家に?
ハーレイが子供だった頃から、大座布団は家にあるものだったの?
「うむ。大座布団も普通の座布団も。ついでに畳の部屋もあったな、一部屋だけだが」
だから余計に道場ごっこの気分が高まるっていう勘定だ。柔道に畳はつきものだしな?
その部屋に行って、座布団を一枚、引っ張り出して。
ガキだった俺が上に座るのさ、すっかり先生気分になってな。
「畳の部屋って…。珍しくない?」
そんなの、あんまり聞かないよ。ぼくの家にも、友達の家にも畳の部屋は無いんだけれど…。
ああいう部屋って、和風が売りのお店やホテルにあるものじゃないの?
「それはそうだが、結婚式の衣装に白無垢を選んだようなおふくろたちだぞ」
畳の部屋も一つ欲しいと思ったわけだな、あくまで趣味の延長だな。
「そういえば白無垢を着たんだっけね、ハーレイのお母さん」
ぼくも白無垢も悪くないかな、って思ったんだっけ、そう聞いた時に。
ハーレイのお父さんたち、畳の部屋まで作るほどだし、古い文化がホントに大好きなんだね。
畳の部屋があるような家で育ったハーレイ。
座布団に座って「柔道の先生ごっこ」をしていたくらいに、畳の部屋が馴染みのハーレイ。
なのに、ハーレイの家には畳が敷かれた部屋が無い。家の中をぐるっと一周したんだし、もしも見たなら覚えている筈。畳の部屋なんて、普通の家には珍しすぎるものだから。
なんでハーレイの家には畳の部屋が一つも無いの、って訊いてみたら。
「嫁さんが来なくなったら困るだろうが」
あの家は子供部屋まであるんだ、いつか嫁さんを貰った時のためにと親父が買ってくれたんだ。
その嫁さんが家のせいで来なくなっちまったら、本末転倒っていうヤツだからな。
「どうして来ないの?」
お嫁さんが来なくなるって、どうして?
畳の部屋があったら駄目って、お嫁さんと畳と、どういう関係?
「正座だ、正座。畳の部屋があるってことはだ、俺が正座をするってことだ」
常に正座とまではいかなくても、それ専用の部屋があるんじゃなあ…。
嫁さんだって正座に付き合う羽目になる。
だが、正座は嫌いって人が多いぞ、そいつがもれなくついてくる家、避けられるだろうが。
「そうかも…」
足は痛いし、すぐ痺れちゃうし…。
家でゆったり座りたいのに、そのゆったりが正座だったら嫌っていう人、多そうだよね。
大座布団を買って座ろうと思うような人なら、そういう家でもいいんだろうけど。
「そういうことさ。だから俺の家には畳の部屋が全く無いわけだ」
仕方ないから、畳の部屋の代わりにリビングで大座布団に座っているのが俺なんだが…。
その俺だってだ、前の俺の頃に正座をしろと言われていたなら拷問だと思っていたろうな。
アルタミラの研究所で押し込められてた檻の中では正座をしろとか、そんな感じで。
「確かにね。前のぼくたちなら拷問だよね…」
今のぼくでも少しだけしか出来ないよ、正座。
アルタミラの檻で正座をしろって命令されたら、前のぼくだとホントに拷問。
実験するぞ、って檻から外に引っ張り出されても歩けやしないよ、足が痺れて動かなくって。
正座させられたら拷問なんだと思っただろう、前のぼく。
正座の文化が消された時代。座ると言ったら椅子に座るもので、座布団なんかは無かった時代。
あの時代に正座が出来るような人が誰かいたのかな、って首を捻ったら。
「ふうむ…。いたとしたなら、キースだな」
俺もお前も知ってるヤツだと、あいつくらいだ。
「キース?」
なんでキースが正座出来るの、メンバーズだったら日本の文化も教わるわけ?
「いや。過去の歴史として少しくらいは習っていたかもしれないが…。それよりもだ」
メンバーズはあらゆる戦闘訓練を受ける。どんな状況でも対処出来るようにな。
あの座り方で参るようでは話にならん。
たとえ何時間も正座で拘束されていようと、直ぐに立ち上がって動けてこそのメンバーズだ。
「そっかあ…」
拷問みたいな座り方だもんね、何処でそういう目に遭わされるか分からないものね。
足が痺れて動けません、なんて言ってるようではメンバーズの資格は無さそうだよね…。
だったらキースも柔道をやっていたのかな、って思ったんだけど。
メンバーズの戦闘訓練の一環として柔道の技も習ったかもね、って考えちゃったんだけれど。
ハーレイは「そいつはないな」と即答だった。
「あの時代だと柔道っていう武道は全く無いんだ、見事なまでに消されてたってな」
マザー・システムが消しちまったんだ、礼儀作法とセットだというのがマズかったかもな。
ただの武術じゃないからなあ…。
「礼に始まって礼に終わる」ってほどのヤツだし、人間関係だって濃い。子供さえも人工子宮で育てた時代には合いそうもないな。余計な文化は消しておくのが上策だろう。
それでもSD体制が崩壊した後、復活させたのが人間の凄い所だな。データはあっても、柔道をやるのは人間だ。誰かが体得しないことには、柔道は復活出来ないんだからな。
「うーん…。無かったんなら、キースは柔道、無理なんだね」
メンバーズでも出来ない武道があるんだ、そういった道のプロなのに…。
「要は戦って勝てればいいんだからなあ、特定の武術にこだわる必要は無いってな」
そもそも、キースには似合わんだろうが、柔道着。
体格のいいヤツではあったが、柔道をやるには向いていないな、ヤツの身体は。
「そうなんだ…。もったいないね、せっかく正座が出来るのに」
あの時代の人間が拷問なのかと勘違いしそうな正座、キースは出来たっていうのにね。
「お前なあ…。もったいないって、相手はキースだぞ?」
前のお前を撃った奴なのに、お前ときたら…。
そんなに楽しそうに語られちまったら、俺も真面目に付き合ってやるしかないってな。
キースは柔道着よりも袴なんじゃないか、道着ってヤツが似合うとしたら。
「袴って…。剣道?」
「いや、弓道だろ。剣道と違って胴着が無いしな」
弓道で欠かせないのは肩当てくらいだ、後は手袋といった所か。
「そうかあ…。剣道だと顔が見えないんだっけね、体格だってよく分からないし…」
キース、確かに弓道の格好、似合いそう。
袴も、弓を構えるのも。
「本物のキースも弓道とはまるで無縁じゃないぞ?」
メンバーズとして訓練を続けていたかどうかは知らんが、教育ステーションにいた時代。
シロエとエレクトリック・アーチェリーで競った話は有名なんだ。もっとも、学校で習う歴史の範囲じゃないしな、お前は初耳かもしれないが。
「初めて聞いたよ、そんな話は。シロエとエレクトリック・アーチェリーだったんだ…」
それじゃ、ホントに弓道なんだね、キースが武道をやるとしたなら。
「あの時代に弓道の弓があったならな」
ついでに袴や肩当ても要るか…。どれも無かったぞ、前の俺たちの時代にはな。
「あったとしたなら、メギドにも持って来たかな、弓」
キースが得意なのが弓なんだったら、メギドにも弓。あそこならキースの船もあったし…。
ナスカと違って弓も持ち込めたと思うんだけど。
「お前、あんなので撃たれたいのか?」
銃よりも弓がいいのか、お前。矢も相当に痛そうだが?
「…それは嫌かも…」
ぼくに刺さるってトコまで想像していなかったよ、銃も嫌だけど弓も嫌だよ。
どっちが痛いのか分からないけど、弓だって痛いに決まってるもの…!
震え上がってしまった、ぼく。
弓道の矢がどんなものかは知っているから、あんなので撃たれるなんて御免蒙りたい。
「撃たれる」じゃなくて「射られる」のかな?
言い方を変えても矢が刺さることだけは間違いないから、弓を持ったキースに会いたくはない。いくら袴が似合っていたって、弓道の弓が似合ってたって。
無意識に右の手を握り締めていたら、ハーレイがその手をキュッと握ってくれた。大きな両手で包み込むように。ぼくの手に温もりが伝わるように。
「メギドの話は忘れておけ。キースも、弓もな」
それよりもだ。お前が畳が嫌いではないと言うのなら…。
「何かあるの?」
「実はな、いつか畳の部屋が欲しいと思っていてな」
俺の家に畳の部屋は無いんだが、子供部屋なんていうのがあるだろう?
子供部屋は全く要らないわけだし、あれを畳の部屋に変えるのもいいかと考えている。けっこう立派な部屋が出来るぞ、壁とかも畳に合うようにすれば。
お前が嫌でなければ、だがな。
「畳の部屋でいいよ?」
ぼくは正座は得意じゃないけど、ハーレイが欲しいなら畳の部屋があってもいいよ。
畳の部屋があるのは嫌だ、って逃げて帰ったりはしないよ、ぼく。
ハーレイの家に畳の部屋。
ぼくがお嫁さんになったら要らなくなっちゃう子供部屋を畳の部屋にする。絨毯の代わりに畳を敷いて、壁だって畳に似合うようにして。
(ふふっ、ハーレイが好きな畳の部屋…)
そんな未来の話をしたのに。
結婚したら畳の部屋を作るのもいいね、って二人で話して、ハーレイは「またな」と手を振って車で帰って行ったのに。
幸せな気持ちでお風呂に入って、ベッドに潜り込んだのに…。
キースの話が悪かったんだろうか、気付けばぼくはメギドに居た。ちゃんとソルジャーの衣装を着けて、背だって前のぼくみたいに伸びて。
(やっちゃった…!)
珍しく自覚があった、ぼく。
これは夢だと、夢でメギドに来ちゃったんだと。
だけど醒めない、メギドの悪夢。ぼくはメギドを止めなくちゃ駄目で、青い光が溢れる制御室の中を歩いていた。破壊しなくちゃと、中枢部を壊さなくっちゃと。
(制御装置…)
目標はそれ、と歩いてゆく足は止まらない。メギドの夢も終わらない。
(これじゃ、いつもと変わらないから…!)
ぼくの意志で夢から逃げ出せないんじゃ、いつものコースと全く同じ。ううん、いつもより酷い状況。ぼくは自分の運命も末路も知っているのに、夢に捕まっちゃったんだから。
(キースが来たら、撃たれて、痛くて…)
あまりの痛さにハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えてしまうんだ。
そうして泣きながら死んでゆく。独りなんだと、もうハーレイには二度と会えないんだと。
(やだな…)
痛いのは嫌だし、独りぼっちで泣きじゃくりながら死んでゆくのも嫌だけど。
でも、運命は変えられないから、そうなるんだと諦めていたら。
「やはりお前か、ソルジャー・ブルー!」
(…どうなってるの?)
聞こえて来た声は間違いなくキースだったけど。
前のぼくがそうした通りに、ぼくも後ろを振り返ったけれど。
其処に居たキースは国家騎士団の赤い制服じゃなくて、白い着物に黒い袴の弓道部の服。それに肩当て、銃の代わりに弓を引っ提げていた。
(えーっと…)
化け物だとか何とか言っているけど、喋りながら弓を構えたから。
矢を射ようと弦を引き絞っているのが分かったから。
(よしっ!)
キリキリと引かれた弓がヒュンと矢を放った瞬間、ぼくはシールドを展開した。風を切る矢音がピタリと止まって、間に合ったシールド。目の前で宙に刺さっている矢。
この辺りは流石、前のぼく。
今のぼくだとシールドどころか、思念さえも上手く紡げないのに。
ヒュン、と鳴ったキースの二本目の矢。その矢も宙へと突き刺さった。
(ぼく、撃たれてない…!)
まだ一発も。
矢だから一本、二本と数えるのかもしれないけれども、とにかく撃たれていない、ぼく。
いつものメギドの悪夢だったら、今頃はもう血まみれなのに。
(もしかして、この夢、普段のと違う…?)
キースはせっせと弓を引いては矢を射てくるけど、どの矢も宙に浮いたまま。
ぼくの身体には一本も刺さらず、掠り傷さえ負ってはいない。
キースの背中に背負われた矢が一本、二本と減ってゆく。残りが数えられるほどにまで減って、最後の一本、それをつがえて引き絞るけれど。
(これで終わりだ、って言わないし…!)
何度も何度も聞いて来た台詞。嫌というほど聞かされ続けた冷酷な言葉。
それを聞いたら、ぼくの視界は真っ赤に染まる。右目を失くして、ハーレイの温もりも失くしてしまう。でも、聞こえない、言われない台詞。
(最後の一本…!)
ヒュン、と空気を切り裂いて来た矢を、ぼくはハッシと宙で受け止めた。シールドで止めた。
(…この後は?)
矢が増えるのかと思ったけれども、キースの背中の矢を入れる器はすっかり空っぽ、射るための矢は無くなった。次の矢を、って背中に回したキースの手が空しく空を掴んで。
信じられない、といった表情のキース。
愕然としているキース・アニアン、弓道部員の道着を纏った地球の男。
(ぼくの勝ち!?)
そこでパチリと目が覚めた。
一発も、ううん、一本も撃たれなかった、ぼく。
失くさなかったハーレイの温もり、凍えずに済んだぼくの右の手。
(メギドを止めてはいないけれども…)
キースはぼくにダメージを与えられずに終わったんだから、ぼくが勝ったと言えるんだろう。
夢の続きがもしもあったならば、きっとメギドは止まるんだ。
矢が無くなって呆然としているキースの目の前で、制御装置をぼくが壊して。
(シャングリラにだって帰れるのかも…!)
キースを放って、ぼくが来た道を逆に辿って、メギドの外へ。宇宙を飛んで白い鯨へ。
そういう夢だ、という確信。
ぼくはキースに勝ったんだ。キースが弓を持って来たから。いつもの銃じゃなかったから。
何処か間違った夢だけれども、それでも勝利。前のぼくの勝ち。
どうしてキースに勝てたか、って言うと…。
(ハーレイの座布団の話のお蔭…)
大座布団がハーレイの家にあるっていう話から、柔道の話と正座の話。
前のぼくたちの時代だったら正座は拷問みたいだよね、って方へと転がって行った。あの時代に正座が出来た人って誰だろう、って話してキースの名前が出て来た。
(キースは柔道着が似合わないから弓道で…)
それで話は終わりそうなのに、キースはシロエとエレクトリック・アーチェリーで競っていたというから弓道で決定、そのままメギドへ繋がった。メギドにも弓を持って来たかも、って。
(…本当に持って来ちゃったんだけど…!)
ぼくが勝手に見た夢だけれど。座布団の話が切っ掛けになって、そういう夢を見たんだけれど。
(でも、勝っちゃった…)
弓を持ってるキースはぼくには勝てなかった。矢が尽きてしまっておしまいだった。
なんて素敵な夢なんだろう。ぼくがキースに勝つなんて。
(座布団に、畳…)
いつかハーレイと一緒に暮らす家には畳の部屋を作らなくっちゃ。
ぼくたちに子供は生まれないから、子供部屋を壁ごと大改装して畳の部屋へと変身させる。
そして頼もしい座布団を置くんだ、メギドの悪夢を一度は勝利に変えた座布団。
ハーレイのお気に入りの大座布団を置いて、もしかしたら、ぼくも大座布団。
ゆったり座ってお殿様気分、って謳い文句の大座布団もいいかもしれない。ハーレイの身体にはピッタリだけれど、ぼくには余裕がたっぷりありそうな大きくて分厚い大座布団をドンと。
次の日、仕事帰りに寄ってくれたハーレイに夢の報告をした。
キースに勝ったと、弓を持って来た弓道部員の格好のキースに勝ったんだと。
ハーレイは爆笑していたけれど。「お前、やるな」って笑い転げていたけれど。
ぼくが「座布団を置くための部屋を作ろう」って言ったら、それは嬉しそうに頷いてくれた。
「なるほど、勝利に導いてくれた座布団を置くために畳の部屋か」
記念すべき座布団を置いてやるんだな、その部屋に。
「うん、ぼくたちが忘れていなければ」
結婚する時にも覚えていたなら、座布団の記念に畳の部屋だよ。
子供部屋を改装して畳の部屋にしようよ、二人分の座布団を置こうよ、ハーレイ。
大座布団と普通の座布団でもいいし、大座布団を二つでもいいよね。
ぼくにはちょっぴり大きすぎるけど、あれならフワフワで正座も平気かもしれないよね…!
覚えていたら、って言ったけれども、忘れていても。
弓を持って来たキースに勝った夢とか、勝利の座布団とかを綺麗に忘れてしまっていても。
ハーレイが欲しい畳の部屋なら、ぼくだってハーレイにそれをあげたい。
正座で足が痺れちゃっても、ハーレイの好きな座布団に似合うのは畳の部屋だから。
今はリビングで絨毯の上に置かれちゃってる、大座布団には畳が似合うから。
ゆったり座ってお殿様気分、ハーレイの身体に丁度いいサイズの大座布団。
ぼくもやっぱりお揃いがいいかな、大座布団を部屋に置くのが。
ハーレイが欲しい、畳の部屋。
結婚する時は必ず言ってね、畳の部屋が一つ欲しいんだ、って。
ぼくは反対しやしない。足が痺れても、正座が苦手でも、ハーレイが好きな部屋なんだから…。
座布団・了
※SD体制の時代だったら、拷問だと思われそうな正座。出来そうだったのがキースです。
そのせいで、ブルーが見てしまった夢。弓道部員なキースに勝利したようですね。
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