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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

胡蝶蘭

(ふうむ…)
 似合うかもな、とハーレイは鳶色の目を細めて新聞のカラー写真を眺めた。
 花屋の広告特集だけれど、結婚式用のブーケやフラワーアレンジメントなどを披露する広告写真だけれど。結婚式にはもちろん花嫁がいるから、花嫁のための生花の髪飾りも多数。
 その中で目を引いた胡蝶蘭の飾り。結い上げた髪に胡蝶蘭が幾つも。



(あいつ、こういうのがいいかもなあ…)
 夢は花嫁な小さなブルー。
 「早くハーレイと結婚したいよ」が口癖の、十四歳にしかならないブルー。
 今はまだ本当に小さいけれど。
 百五十センチで止まったままの背丈も、年相応に幼い心も、まだまだ子供のものだけれども。
(いつかは前のあいつとそっくり同じに育つんだ)
 気高く美しかったソルジャー・ブルー。前の自分が愛したブルー。
 前の自分が失くしてしまった、あの美しいブルーがそっくりそのまま戻って来る。
 憂いを秘めた瞳の色だけは、今度のブルーには無いだろうけれど。幸せ一杯の瞳を煌めかせて、ただただ嬉しそうに笑うのだろうけれど。
(あんな悲しい瞳は二度としなくていいんだ、俺がさせない)
 今度こそ守ると決めているから。
 どんな悲しみも憂いも近付けることなく、幸せの中で微笑むブルーを守り続けて生きてゆく。
 小さなブルーが育ったならば。結婚出来る歳の十八歳を迎えたならば。



 そうしたらブルーは、花嫁衣装を着ることになる。
 前の生では着られずに終わった、花嫁だけが着られる衣装を。白いシャングリラには花嫁衣装と呼べるドレスは無かったけれども、挙式だけのための純白のドレスは無かったけれども。
(もしもウェディングドレスがあったとしたって、前のあいつは…)
 けして着られはしなかった。前のブルーは花嫁衣装を着られなかった。
 誰にも言えない秘密の恋人同士だったから。結婚式を挙げるわけにはいかなかったから。
 白いシャングリラにも恋人たちはいたというのに、結婚式だってあったのに。
(子供が生まれたカップルだっていたのになあ…)
 前のブルーは深い眠りに就いていたけれど、そんなカップルたちを起きて見ていたならば。
 赤い瞳に悲しみの色がまた増えたろうか、自分は結婚出来ないのにと。
(前のあいつなら…)
 恐らく、彼らを心の底から祝福していたことだろう。生まれた子供たちにも愛を注いで、キスを贈りもしただろう。新しいミュウの世代が出来たと、この子供たちが未来を築いてゆくのだと。
(自分の幸せってヤツは後回しだな)
 結婚出来ないことも、恋人がいると明かせないことも、前のブルーなら悲しむことさえも忘れていたに違いない。自分が守り続けた種族の、ミュウの未来を担う子供たちが出来た喜びの前に。
(…そういうヤツだった、前のあいつは…)
 ただひたすらにミュウのために生きて、ミュウの未来を守って散った。
 メギドを沈めて、独りぼっちで暗い宇宙で逝ってしまった。別れのキスさえ交わすことなく。



(今度は幸せにしてやらんとな)
 自分の心を押し殺すような生き方はさせずに、小さなブルーが望むままに。
 どんな我儘でも言っていいのだと、何度も何度も言い聞かせてやって。
(結婚する頃には、もう小さくはない筈なんだが…)
 それでも今はまだ、小さなブルー。育った姿を思い描こうにも、あまりに愛くるしいブルー。
 だから想像するしかない。前のブルーの姿形から、憂いと悲しみの色とを消して。



(まずは結婚式なんだ)
 花嫁衣装を纏ったブルーと永遠の愛を誓う式。
 小さなブルーはウェディングドレスは女装なのかと悩んでいたこともあったけれど。
 ハーレイが自分の母が着たのだと話してやった、白無垢にも憧れているようだけれど。
(ウェディングドレスを着るのなら…)
 髪には花がいいかもしれない、と漠然と何処かで思っていた。
 銀色の髪に、幾つもの花を。
 具体的なイメージは何も無かったし、こういう花だと思ったわけでも無かったのだが、何故だか花を飾るのがいいなと考えている自分がいた。
 煌びやかなティアラを被せるよりも。
 ブルーには花だと、ティアラよりも花が良さそうだと。



 繊細な銀細工のようなブルーに、ティアラはきっと映えるだろうけれど。
 花嫁どころか姫君に見えることだろうけれど、ティアラよりも花。
(あいつには清楚な花が合うんだ)
 美しいけれども、華美なイメージではないブルー。
 それに、宝石よりも花だと思う。
 ティアラに鏤められた宝石よりも、花。
 命が無い上に豪奢で高価なだけの宝石などより、命の輝きの瑞々しい花。
 銀細工のようでも、血の通ったブルー。温かい血が流れたブルー。
 生きているブルーには花が似合うと、命あるものこそが似合うのだと。



(宝石なら顔にくっついてるしな?)
 わざわざティアラを被せなくとも、ブルーが持っている何にも代え難い澄んだ光を宿す宝石。
 二粒の真紅に光る宝石。
 その片方がメギドで失われたと小さなブルーから聞かされた時は、どれほどの怒りがこみ上げたことか。あの美しい瞳を銃で撃つなど、悪魔の所業でしかないと。
(そんな最期を迎えただなんて、前のあいつが可哀相じゃないか)
 右の瞳を失くしてしまって、痛みのあまりに右手に残った温もりさえも失くしてしまって。右の手が冷たいと泣きじゃくりながら死んでいったブルー。メギドに散ったブルー。
 それを聞いた時、キースを引き裂いてやりたいほどに激しく憎んだ。同時に自分自身を呪った。
 キースとは地球でまみえたというのに、彼を殴らなかったから。
 キースがブルーに何をしたのか、前の自分はまるで知らなくて、律儀に挨拶してしまったから。
(知っていたなら、あの場で一発殴っていたんだ)
 たとえ会談が後に控えていようと、自分の立場がキャプテンだろうと。
 それくらいはしても許されたと思う。ブルーの仇、と殴り飛ばして、謝らせて。
(あくまでブルーの仇だしな…)
 まさか恋人の敵討ちとは、誰も気付きはしなかったろう。殴ればよかった、あのキースを。
 今となっては手遅れだけれど、キースは何処にもいないのだけれど。



 キースが砕いてしまった宝石。美しかった赤い宝石。
 その宝石は蘇ったから、小さなブルーの顔で生き生きと煌めき、命の輝きを放っているから。
(宝石はあれだけで充分なんだ)
 余計なティアラなど被せなくても、二粒の赤い宝石だけで。
 だから、飾るなら花がいい。銀色の髪に瑞々しい花を。
 これだと思い描いたイメージは本当に何も無かったけれども、この胡蝶蘭。広告の胡蝶蘭の花。
 幾つもパターンが載っているから、多分、定番なのだろう。花嫁のための髪飾り。
(ほほう…)
 花言葉は「幸福の飛来」だという。それだけでも選ぶ価値がある。
 花嫁になったブルーに幾つも、幾つもの幸福の飛来。それを願わないわけがない。
(おまけに、蝶だな)
 蝶を思わせる花の形が気に入った。白いシャングリラにはいなかった蝶。自給自足で生きてゆく船で担う役目を持たなかったから、蝶は飼われていなかった。
(今の俺たちには蝶は見慣れたものなんだが…)
 青い地球の上を舞う、様々な蝶。今の時代に生まれ変わったからこそ見られる蝶。
 まるで平和の証のようだ、と胡蝶蘭の花の形に惹かれた。この花がいいと、蝶の花がいいと。
 小さなブルーが髪飾りは花でもいいと言うのなら…。



(胡蝶蘭だな)
 これがいいな、と広告の写真を覗き込んでは幾つものパターンを見比べる。
 胡蝶蘭の髪飾りは白もあったけれど、ピンクもあった。淡いピンクや、濃いめのピンク。純白のウェディングドレスに合わせて、ピンクの胡蝶蘭の髪飾り。
(あいつらしい色の取り合わせだな)
 アルビノに生まれて来たブルー。前の生では成人検査が引き金となってアルビノになったブルーだけれども、今のブルーは生まれた時からアルビノだという。
 その姿ゆえに付けられた、ブルーという名。同じアルビノのミュウの長から取られた名前。
(生まれた時からソルジャー・ブルーだったんだ、あいつ)
 記憶は無くとも、その姿だけで。ブルーの両親がブルーと名付けたほどに珍しいアルビノ。
 透けるように白い肌に銀色の髪で、瞳はさながら赤い宝石。
 そんなブルーに真っ白なドレス、髪にピンクの胡蝶蘭。
 きっと似合うという気がする。誰もが思わず振り返るような、それは見事な色の取り合わせ。



(これにするかな)
 ブルーにはピンクの胡蝶蘭だ、と思ったけれども。
 ウェディングドレスのデザインなどはともかく、髪にはピンクの胡蝶蘭だとイメージが固まってしまったのだけれど。
 しかし…。
(一人で決めちまってどうするんだ、おい)
 花嫁になるのは、あくまでブルー。ウェディングドレスを纏うのもブルー。
 その花嫁の意見も聞かずに決めるわけにはいかないから。自分一人では決められないから。
(あいつなら何でも喜びそうではあるんだが…)
 夢が花嫁なだけに、どんなドレスでも、髪飾りでも、ブルーはきっと満足だろう。自分の花嫁姿などは二の次、大切なものは花嫁な自分。花嫁衣装を纏った自分。
(俺の趣味だけで全部決めても、文句を言いそうにはないんだが…)
 それでも訊いてやらねばなるまい。どんな衣装を選びたいかと、髪の飾りは何にするかと。
 明日は土曜日だから、ブルーの家に行く日だから。
 話してみようか、このアイデアを。
 髪にはピンクの胡蝶蘭だと、それが似合うと思うのだが、と。



 翌朝、ベッドで目覚めた時にも胡蝶蘭を忘れてはいなかった。花嫁衣装のブルーにはこれだと、ピンクの胡蝶蘭が似合いそうだと。
 朝食を食べて、ブルーの家まで歩く途中も忘れてしまいはしなかったから。
 小さなブルーとテーブルを挟んで向かい合わせで腰掛けた後に、訊いてみた。
「お前、花がいいか?」
 花ってヤツは好みか、お前?
「えっ?」
 花は好きだけど、ハーレイ、いきなりどうしたの?
「髪の毛さ、髪」
 お前の頭にくっつけるのに、花はどうかと思うんだがな?
「なんで花なの、ぼくの頭に?」
 それじゃ女の子みたいだけれど…。花冠でもくれるの、ハーレイ?
「花冠なあ…。そういうのも混じっていたかな、うん。実は結婚式の話なんだが…」
「結婚してくれるの!?」
 ハーレイ、それってプロポーズ?
 結婚式の話だなんて、結婚の申し込みだよね…?



 プロポーズなの、とブルーの顔が輝くから。
 もう結婚が決まったかのように、それは嬉しそうに身を乗り出すから。
 「いずれはな」と苦笑しながら、ハーレイは小さなブルーにこう話し掛けた。
「これはプロポーズとは違ってだな…。結婚式の中身の話だ、どんな格好をするかだな」
 お前、ドレスを着るんだろう?
 前に女装だと悩んじゃいたがだ、俺に抱き上げられた記念写真ってヤツを撮りたいんならドレスだからな。あのポーズ、お前の憧れなんだろ、如何にも幸せな花嫁っていう感じだしな?
「んーと…。ぼくは白無垢でもいいんだけれど…」
 白無垢にもちょっぴり憧れるんだよ、ハーレイのお母さんが着たって話を聞いたから。どっちにしようか決めてないけど、早めに決めた方がいい?
「いや、急がないが…。もしもドレスにするんなら、だ。髪はどうする?」
「…伸ばさなきゃ駄目?」
 ちゃんと結えるように伸ばすべきかな、そういう話もあったよね?
 ハーレイ、うんと長さの要る髪型がいいって気がしてきた?
 今から伸ばさないと間に合わないくらい、長く伸ばさなきゃ結えない髪型。そうなんだったら、ぼく、頑張って伸ばすけど…。パパとママには「伸ばしたくなった」って嘘をついて。

 怪しまれないようにして長く伸ばすよ、と応じるブルーは健気だけれど。
 伸ばせと言ったら腰までも伸ばしそうなほどの勢いだけれど、今は髪型の話ではないから。
 ハーレイは「そうじゃなくてだ」と張り切るブルーを遮った。
「髪型じゃなくて、飾りの方だ。ティアラ、被るか?」
「…ティアラ?」
「冠だ、冠。ベールとセットで花嫁には要るぞ、でなきゃ花だな」
 もちろん、花もベールとセットものだが…。ベールってヤツは欠かせないからな。
 ベールはともかく、花かティアラか。どっちがいい?
 お前はどっちを髪に飾りたいんだ、ティアラか、花か。
「えーっと…」
 そんなの考えたことが無かったよ、ドレスか白無垢かは時々悩んでいるんだけれど…。
 ティアラか花かって、ドレスのデザインで決まるんじゃないの?
 ドレスにくっついてくるものじゃないの、髪飾りって?



 キョトンとしている小さなブルーはまるで分かっていなかった。
 世間の花嫁はドレス選びで大騒ぎすることも、それに合う髪型や髪飾りを選び出すために更なる騒ぎがあることも。まだ十四歳と幼い上に、男なのだから当然と言えば当然なのだが…。
 ハーレイはクックッと小さく笑うと、「セットじゃないさ」と教えてやった。ドレスを選んでも髪飾りが決まるわけではないと。そうと決まったわけでもないと。
「これがセットになっております、ってドレスがあっても、必ず使えと決まっちゃいないぞ」
 別のがいいと、これは嫌だと言い出す女性も多いんだ。自分の好みっていうものがあるからな。
 そんなわけでだ、髪飾りはセットじゃないんだが…。お前、どういう飾りをつけたい?
 俺は花かと思うんだがな?
「どうして?」
 ぼくって花が似合いそうなの、頭に花なんかくっつけたことがないけれど…。
 前のぼくなら、シャングリラの子供たちが作ってくれた花冠を何度も乗っけていたけどね。
「単なる俺のイメージってヤツだ」
 ティアラよりも花が良さそうだよな、と思ったわけだな、単純に。
 お前の顔には見事な宝石が二つもくっついているだろう?
 頭の上にまで載せなくていいと、ティアラは要らんと思うんだが…。それよりも花だ、そっちの方がお前に似合いそうだ。造花じゃなくって本物の花がな。



 こんなのはどうだ、とブルーの手に触れて思念でイメージを送ってやった。
 胡蝶蘭で出来た髪飾り。広告で目にした幾つものパターン。
 小さなブルーは目を丸くして。
「胡蝶蘭なの?」
 綺麗だけど、ハーレイ、胡蝶蘭が好き?
「こいつのピンクが良さそうだな、と思ってな。ピンクを使ったヤツじゃなくて、だ…」
 ピンクの胡蝶蘭がいいな、という気がするんだ。どう飾るかとは全く別にな。
「なんで?」
 ハーレイ、ピンクが好きだった?
 白が好きだと思ってたけど…。白はシャングリラの色だったしね。
「俺の好みの色はピンクじゃないんだがな?」
 それなら車もピンクだろうさ、今の緑じゃなくってな。俺の好みとは無関係だ、これは。
 いいか、ウェディングドレスが白だろう?
 そこへピンクの胡蝶蘭の髪飾りをつければ、白にピンクでアルビノっぽくならないか?
 アルビノのお前は白に赤だし、白にピンクが合いそうだがな?
「ホントだ…!」
 ぼくの目の色、赤だものね。
 真っ白な花を持ってくるより、ピンクの方が似合ってるかもしれないね…!



「そうだろう?」
 ついでに、こいつの花言葉はな…。
 「幸福の飛来」と言うんだそうだ。蝶の形だけに、幸福が飛んで来るんだな。俺はお前をうんと幸せにしてやりたいんだし、幸福が飛んで来る花で飾ってやりたい。
 それにシャングリラには蝶なんか飛んでいなかったろう?
 役に立たないと飼わなかったが、この地球じゃヒラヒラ飛んでいるってな。俺たちは蝶が住める平和な世界に来たんだ、そういう意味でも胡蝶蘭だな。
「それ、いいかも…!」
 幸福が飛んで来る花で、シャングリラにはいなかった蝶の形の花なんだね。
 その花がいいよ、胡蝶蘭にしようよ、ハーレイ!
 胡蝶蘭に決めた、とブルーがはしゃぐ。
 結婚式には胡蝶蘭だと、髪にピンクの胡蝶蘭の花を飾るのだと。
 それに純白のウェディングドレス。白とピンクでアルビノらしくと、そういう花嫁姿がいいと。



「お前、白無垢はどうするんだ?」
 ドレスか白無垢かで悩んでいたのは、もういいのか?
「それだけど…。白無垢でも髪飾りに花はつけられるでしょ?」
 絶対ダメってことはないよね、綿帽子の下は好きに飾っていいんでしょ?
「確かにそういう写真もあったが…」
 お前に送ったイメージ以外で、そんな写真を見かけたっけな。白無垢で髪に胡蝶蘭のな。
「じゃあ、決まり!」
 ドレスか白無垢かはまだ悩むけれど、髪飾りはもう決まったよ。
 ピンクの胡蝶蘭にするんだ、ハーレイのお勧めの胡蝶蘭の花。どう飾るかは決めてないけどね。髪飾りの形よりも衣装が先だし、それが決まってから悩むことにするよ。
「髪飾りって…。もう決めたのか!?」
 そっちから先に決めちまったのか、花嫁衣装よりも髪飾りを先に決めるのか?
「少しでも早い方がいいじゃない」
 順番なんかにはこだわらないしね、どっちが先でもかまわないよ。
 それよりも結婚式の準備の方が大事で、出来ることは先にしておかないと。



 準備するものが一つ決まった、とブルーは今にも舞い上がりそうで。
 髪にはピンクの胡蝶蘭だと浮かれているから、ハーレイは呆れ顔になる。
「一つ決まったと喜ぶのはお前の勝手だが…。お前、明日には忘れてそうだが?」
 結婚式はまだまだ先だし、お前は十四歳のチビだしな?
 明日になったら綺麗サッパリ、影も形も無いんじゃないのか、ピンクの胡蝶蘭の髪飾りは?
「それはそうだけど…。覚えているかもしれないよ?」
 結婚式の準備なんだよ、うんと大切なことだもの。髪飾りだけでも決まったんだもの、しっかり覚えておきたいな。ホントはメモに書きたいくらいなんだけど、まだ早いしね…。
「当たり前だ! お前、いくつだ!」
 チビはチビらしくしてればいいんだ、結婚式の準備なんぞを始める歳じゃないからな!
 間違ったってウェディングノートはまだ作るなよ?
「…ウェディングノート?」
 なあに、それ?
 何をするものなの、それも結婚式の準備をするのに要るものなの?
「な、なんでもない…!」
 気にしなくていいんだ、チビのお前は。そういうのを持つにはまだ早いしな。
「持つって…。やっぱり結婚式には要るものなんだね、ウェディングノート」
 教えてよ、それってどういうノートか。
 普通のノートで間に合うものなら、今から作っておきたいような気もするし…。
 ハーレイが教えてくれないんだったら、メモに書いておいてデータベースで探すことにするよ。



 だから教えて、と言い出した小さなブルーは本気で調べそうだから。
 調べるだけでは済まずにウェディングノートを自分で作りそうだから、ハーレイは焦って止めにかかった。ブルーには早いと、まだ早すぎると。
「いいな、ブルー。ウェディングノートは結婚式の準備をするためのノートなんだ」
 どういう結婚式にするとか、誰を呼ぶとか、いつまでに何を決めなきゃいけないかだとか…。
 スケジュール帳と覚え書きを兼ねたようなものだな、中身は実に細かいらしいが。
 専用のウェディングノートも売られているし、自分で作ろうって人もいる。
 だがな、いくら自分で作れるからって、ウェディングノートなんかを用意していて、だ。もしも見付かったらどうするつもりだ、お父さんとかお母さんに?
 誰と結婚する気なんだ、って所から色々と訊かれちまうぞ、冗談では済まない代物だけにな。
「そっか…。夢中で書いてて、ママが入って来ちゃったら…」
 何を書いてるのか、後ろからコッソリ覗き込みたくなるだろうしね、ママだって。
 それで中身がウェディングノートだと分かっちゃったら、大変なことになっちゃうかも…。
 取り上げられて、中身を読まれて。
 ぼくがお嫁さんを目指しているのも、誰のお嫁さんを目指してるかもバレちゃうかもね…。



 早くウェディングノートも作りたいのに、とブルーが残念そうに呟く。
 決まったばかりのピンクの胡蝶蘭の髪飾り。
 こういうアイデアも書いておきたいと、忘れないように書き留めたいのにと。
「せっかく一つ決まったのに…。結婚式の準備」
 結婚式で髪に何をつけるか、とても素敵なアイデアが出来て決めたのに…。
 ぼくはチビだから忘れちゃうんだ、書いておくウェディングノートも無いから。明日になったら覚えていなくて、思い出しさえしないんだ…。ピンクの胡蝶蘭の髪飾り…。
「なら、俺が書くか?」
「えっ?」
「ウェディングノートは持ってないがな、今の所は作る予定も無いんだが…」
 あれは未来の嫁さんと一緒に作るものだし、お前が作れる歳にならんと無理なわけだが…。
 ウェディングノートの代わりに、俺の日記に書いておいてやろうか?
 お前の髪飾りはピンクの胡蝶蘭だと、胡蝶蘭の花に決まったとな。
「ホント!?」
 ハーレイの今日の日記に書いてくれるの、ぼくの髪飾りが決まったこと。
 結婚式にはこれにするんだ、って羽根ペンで書いてくれるんだね…!
「日記を書く時まで俺が覚えていたらな」
 これから一緒に昼飯を食って、午後のお茶は庭のテーブルか?
 そいつが済んだらお前の部屋でのんびりしてから夕食だよなあ、その後は食後のお茶もある。
 おまけに明日は日曜日だしな、帰りも普段よりかはゆっくりな上に車じゃなくって歩くんだぞ?
 忘れそうな場面が山ほどあるなあ、はてさて、いつまで覚えているやら…。
「酷い…!」
 今すぐに手帳に書いておくっていうのは無いんだね!?
 そして帰るまでに忘れちゃうんだ、ハーレイまでぼくと一緒になって…!
「仕方ないだろ、単なる話題っていうヤツだからな」
 俺が家まで覚えていたなら、ラッキーだったと思っておけ。
 しかしだ、お前と夜まで話す間に、二人して見事に忘れちまうと思うぞ、これは。
 胡蝶蘭の花があったら覚えてそうだが、お前の家にも俺の家にも胡蝶蘭の花は無いってな。



 ブルーには、そう言ったけれども。
 小さなブルーは膨れっ面になったけれども、書かなくても、きっと忘れない。
 胡蝶蘭の花の髪飾りの話は忘れ果てても、ブルーの髪には花が似合うと思ったことは。
(そうさ、ティアラよりも花が似合うんだ)
 宝石はブルーの顔に二つもついているから、宝石を鏤めたティアラは要らない。
 髪に飾るなら、瑞々しい花。命の輝きが眩しい花。
(こいつは絶対、忘れないってな)
 記憶の底へと沈んでいっても、埋もれてしまいはしない筈。
 この記憶さえ錆びずに残っていたなら、その時が来たら思い出す。
 小さなブルーが大きく育って、花嫁になる日が近付いたなら。
 二人で花嫁衣装を決めたり、あれこれ準備をし始めたなら。
 胡蝶蘭の花がいいと思ったと、ブルーの髪にはピンクの胡蝶蘭の髪飾りだと…。




             胡蝶蘭・了

※宝石だったら、ブルーの瞳で充分だから、と結婚式には花の飾りがいいと思うハーレイ。
 ティアラよりも花で、「幸福の飛来」な花言葉の胡蝶蘭。どうなるでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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