シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうむ…)
懐かしいな、とハーレイは食料品店の店先を眺めた。
週末、ブルーの家まで歩いて出掛ける途中に通り掛かった馴染みの店。表に群れた子供たち。
(俺もガキの頃には、あんなだったかもしれないなあ…)
綿菓子の実演販売中。砂糖の糸をふわりと纏めて雲のような菓子に。
ワッと歓声が上がったと思えば、白かった糸がピンクに変わった。店主が手にした棒にピンクの糸が見る間に巻き付き、ふんわりとした雲の出来上がり。
「ピンク、ちょうだい!」
「次は白がいいな!」
賑やかに騒ぐ子供たちを見ていたら、ふと蘇って来た遠い記憶。
遥かな昔に、白い鯨でこの菓子を見た。シャングリラを取り巻く雲海の雲を切り取ったような、ふわりと大きく膨らんだ菓子を。
(うん、綿菓子は人気だったな)
出来上がる過程を目を輝かせて見学していた子供たち。雲の菓子を手にしてはしゃいだ子たち。
シドも、リオも、ヤエも船に来た頃には綿菓子を食べた。
アルテメシアから救い出した子たちに人気を博した、シャングリラの菓子。
これは買わねば、と綿菓子の実演に群がる子たちをかき分けるようにして近付いた。食料品店の店先に設けられた小さな仮設の店の前に。
「一つ下さい」
白いのでいいな、と出来上がった綿菓子を詰めた袋を指差した途端に掠めた記憶。
(そうだ、綿菓子は一つではなくて…)
袋を取ろうと手を伸ばした店主に言い直した。
「いえ、二つ入りの方をお願いします」
「二つ入りね!」
どうぞ、と差し出された綿菓子入りの大きな袋。それは驚くほどに軽くて、空気のようで。
代金を支払い、袋を抱えて歩き出す。
ブルーは覚えているだろうかと、あの白い船の綿菓子を…、と。
秋晴れの空の下、懐かしい記憶に目を細めながら綿菓子の袋を抱いての散歩。
生垣に囲まれた家に着いて門扉の脇のチャイムを鳴らすと、二階の窓から手を振るブルー。手を振り返して、門扉を開けに来たブルーの母に綿菓子の袋を示して見せた。
「綿菓子を買って来ましたから」と、「お茶にはあまり合わないでしょうが」と。
「まあ、綿菓子…! ブルーも小さい頃にはよく食べましたわ」
でも、あの子。あまり沢山食べられる方ではありませんでしょ、綿菓子だっておんなじですの。
小さいのになさい、って止めても「食べられるから」って聞かなくて…。
普通の大きな綿菓子が欲しいと買っては必ず食べ切れなくって、私か主人が食べてましたわ。
「分かる気がしますよ、ブルー君は見かけに似合わず強情ですしね」
「そうですの。今から思えば、ソルジャー・ブルーだったせいかもしれませんわね」
今のあの子は甘えん坊の弱虫ですけど、元はソルジャー・ブルーですものね。
意志が強くないと務まりませんわよね、ソルジャーなんて。
ハーレイ先生も色々と苦労をなさったんでしょうね、キャプテン・ハーレイでいらした頃に。
こうだと言ったら譲らないソルジャー・ブルーにあれこれ振り回されて。
「ええ、まあ…。そういったことが無かったと言ったら嘘になりますね」
ソルジャー・ブルーも強情でしたよ、おまけに無茶をしてくれるんです。私がどんなに駄目だと止めても、一旦決めたら飛び出して行ってしまうんですよ。
最たるものがメギドだったな…、と苦笑しながらブルーの部屋に案内されて。
ブルーの母が「紅茶でよろしかったかしら?」とお茶のカップとポットだけをテーブルに置いて去った後、ハーレイは綿菓子の袋を掲げてみせた。
「ほら、土産だ。来る途中で売っていたからな」
「綿菓子?」
「ああ。お母さんに聞いたぞ、お前、綿菓子、好きだったってな」
デカイのがいいと言って聞かなくて、食い切れなくて。お父さんかお母さんが食べてたってな?
「そうだけど…。だって、大きいのが欲しいじゃない!」
小さい綿菓子も頼めば作って貰えるけれども、それじゃワクワクしないんだもの。
ちゃんと大きな綿菓子でないと、雲を食べてるような気分にならないんだよ…!
「なるほど、雲なあ…。小さいと雲って感じじゃないなあ、綿菓子はデカイ雲でなくちゃな」
今のお前だったら食べ切れるだろう、このサイズでも。
俺とお前と、一個ずつだ。
二個入っているが、どっちにする?
このとおり、どっちも大きさは似たようなサイズのものなんだがな。
袋から引っ張り出した二つの綿菓子は、まだふんわりと膨らんでいた。出来立ての砂糖の糸から作り上げたように、たっぷりと空気を中に含んで。
左右の手に一つずつ持ってブルーに選ばせ、残った方を一口齧れば舌の上で甘く溶けてゆく。
ブルーもパクリと齧り付いているから、笑みを浮かべて尋ねてやった。
「懐かしいだろ、綿菓子の味」
「うん! パパとママに買って貰っていたのと同じ味だよ、フワフワしてて」
今のぼくなら食べられそうだよ、これ一個、全部。
お腹一杯になってしまってハーレイに「食べてくれる?」って渡さなくても、大丈夫みたい。
「そいつは良かった。しかしだ、お前…」
懐かしいのはガキの頃に食った思い出だけなのか、この綿菓子。
他にも何か忘れちゃいないか、こういう綿菓子の記憶ってヤツを?
「えっ、綿菓子の記憶?」
なんだろ、ママから何か聞いて来た?
食べ切れなかった話の他にも、綿菓子の話、あるのかな…。幼稚園かな、それとも学校?
下の学校でも小さかった頃は綿菓子を買って貰っていたしね。
ママがハーレイに教えたくなるような綿菓子の話、どんな酷いのがあるんだろ…?
「おいおい、一人で二つ食おうとしたとか、そんなのはあるかもしれないが…」
白もピンクも両方欲しい、と欲張った挙句にお父さんとお母さんに食べて貰う羽目になったかもしれんが、俺は全く聞いていないぞ?
俺が言うのはもっと前の記憶さ、前のお前の思い出は無いかと聞いているんだ。
シャングリラだ、あの白い鯨で子供たちが食ってた綿菓子なんだが。
「ああ、シャングリラ…!」
思い出したよ、あったね、綿菓子。
ハーレイが買って来てくれた綿菓子みたいに袋に入ってお店に並んじゃいなかったけど…。
欲しい子の数だけその場で作って渡していたけど、シャングリラにも綿菓子、あったんだっけ!
白い鯨にあった綿菓子。楽園という名の船の綿菓子。
砂糖を熱して溶かしさえすれば、簡単に作れる菓子だったから。
大きく膨らんだ砂糖の糸の菓子は、特別な材料を揃えなくても出来上がる上に、作る過程も見た目も子供たちの心をくすぐり、充分に惹き付けるものだったから。
シャングリラで子供たちを育てるようになって間もなく、ゼルが作った。
ヒルマンが調べた情報を参考に、アッと言う間に製造用の機械を完成させて。
子供が大好きだったゼル。その子供たちに人気だった綿菓子。
綿菓子を作ろうと最初に言い出した者はエラだった。
アルテメシアの育英都市から救い出して来た子供たち。誰もが心に深い傷を負っていて、人類を恐れていたけれど。殺されそうになった記憶に怯えていたけれど、それでも暮らした町が恋しい。養父母が恋しい子供も居た。誰が自分を通報したのか、何も知らずに船に来たから。
彼らの心を解きほぐすために、あれこれ工夫がなされたけれど。
楽しい思い出を引き出してやろう、とエラが挙げたのが綿菓子だった。
アルタミラで檻に閉じ込められていた自分たちは子供時代の記憶を失くしたけれども、その後に色々と学んで来たから子供時代がどういうものかは知っている。
養父母と暮らして、友達と遊んで、時には遊園地などにも出掛けて行って。
そうして過ごした日々の中には、きっと綿菓子があるに違いないと。目の前でふんわりと膨らむ甘い砂糖菓子がきっと、焼き付いているに違いないと。
「綿菓子ねえ…」
美味しいのかい、とブラウが訊いた。長老たちが集まる会議の席で。
「ただの砂糖じゃないのかい? そいつの糸だろ、甘いってだけじゃないのかねえ…」
「そうは思いますが、でも…。綿菓子について語っている本は多いのですよ」
雲を綿菓子のようだと描写した本も沢山あります、愛されている砂糖菓子だと思います。
大人しかいない星でも作っているようですから、マザー・システムも消さないで残す子供時代の記憶の一つでしょう。きっと心に残るお菓子なのです、私たちは忘れてしまいましたが。
「ほほう…。成人検査でも消さん記憶か、それは一見の価値があるのう」
いや、一食と言うべきか。わしらも食べてみたいものじゃな、綿菓子とやらを。
それはどういう仕組みなんじゃ、とゼルが一気に乗り気になった。砂糖を糸にする機械とやらを自分が作ってみるのもいいと。
「一応、調べてはみたのだがね」
こんな具合だ、とヒルマンが既に調べてあった情報。ゼルは渡された資料にザッと目を通して、「よし」と大きく頷いた。
「これなら直ぐに作れるじゃろう。製造機はわしに任せておけ」
しかし、問題はその先じゃのう…。砂糖の糸が出来たからと言って、大きく膨らんだ菓子の形に仕上がるわけではないようじゃ。この資料にも書いてあるとおり、熟練の技が要るようじゃぞ。
ゼルは早速、綿菓子にするための砂糖の糸が吹き出す機械を作ったけれど。
熱せられて糸になった砂糖を綿菓子の形に仕上げるまでが大変だった。芯になる棒に巻き付ける速度が早すぎれば糸は固くくっつき合ってしまって綿にはならない。遅すぎても形が崩れて失敗。
試行錯誤を繰り返すゼルと、甘い糸を紡ぎ続ける綿菓子製造機と。
「あれの試作の段階でだな…」
俺たちにもお鉢が回って来ていただろうが。今日の綿菓子はこういう出来だと、まだまだ改良の余地があるが、と。
「よく食べたっけね、ゼルの綿菓子」
食べ物を無駄には出来ないから、って届けて来るんだ、ぼくの所に。
「下手くそなのをな」
メンツにかけて他の仲間たちには見せられん、と俺たちの間だけで処分しようとしやがって…。
他のヤツらも動員してれば、俺たちが綿菓子を食わされる回数、もっと減ってた筈なんだが。
綿菓子作りの日々は続いた。
大きく膨らんだ綿菓子に仕上げるコツを、甘い糸を紡ぐ機械を作り出したゼルが掴むまで。
その次はヒルマンが技をマスターするまで。
子供たちの教師という役割を担うヒルマンもまた、子供たちの前で失敗は許されないとばかりに綿菓子作りに熱中したから、失敗作の綿菓子が出来ては長老たちに配られていて…。
「ふふっ、青の間でしょっちゅう綿菓子」
膨らみ方が足りないのだとか、ふわふわすぎて形が崩れたのとか…。
飽きるくらいに綿菓子を食べたよ、ゼルとヒルマンが作った失敗作をね。
「お前が食うと言うからだろうが!」
ぼくも食べるよと、ハーレイの分と二人分を寄越してくれれば二人で食べると。
そうすれば失敗作を食べる人間が増えるし、心置きなく綿菓子作りを練習出来る、と!
ハーレイの仕事だった、青の間へ綿菓子を運ぶ係。
失敗作の綿菓子の存在は極秘事項で、長老たち以外に知られるわけにはいかなかったから。
ゼルが作っていた綿菓子は次第に膨らみ、ついには完成品が届いたけれど。
その翌日からは製造係がヒルマンに移って、再び失敗作の日々。膨らみ過ぎて頼りないものや、芯の棒に固く巻き付いてしまって半分飴になったものやら。
そういった綿菓子がコッソリと袋に詰められてハーレイに託される。二人分だと、ソルジャーと二人で食べてくれと。
袋を手にして青の間へ行けば、ブルーが待っていたけれど。
まだ恋人同士ではなかったブルーが、お茶を淹れて待っていたのだけれど。
「紅茶にもコーヒーにも合わなかったな、あの綿菓子は」
今日も、お前のお母さんが紅茶を淹れては下さったんだが…。
どうも合わんな、先に綿菓子、食っちまうか。
「うん、綿菓子はお茶を飲みながら食べるようなお菓子じゃないよね、ホントに」
綿菓子だけで食べてこそだよ、甘くてふわふわ。
お茶なんか飲んだら口の中で飴になってしまうよ、すっかり溶けてくっついちゃって。
ソルジャー・ブルーも失敗作の処分に協力していた綿菓子作り。
失敗作が幾つも青の間に運ばれ、やがてヒルマンもゼルに負けない腕前になった。試作の段階が過ぎた綿菓子は機械ごと公園で大々的にお披露目されて、子供たちの歓声がブリッジにまで届いたほど。
エラの読みは全く間違っておらず、子供たちは皆、顔を輝かせて綿菓子を食べた。
とても懐かしいと、この綿菓子が好きだったと。遊園地や公園で買って貰ったと、友達と一緒に買いに行ったと、地上に居た頃の思い出に浸って砂糖の糸の雲を頬張った。
人類はとても怖いけれども、綿菓子を食べていた頃は幸せだったと、その綿菓子がまた食べられるとは思わなかったと。
綿菓子は子供時代の思い出を失くした仲間たちにも人気が高くて、作ってみたいと言い出す者も多かった。何人もの仲間が綿菓子作りを習い始めて、見事に作れる人材も増えた。
綿菓子製造機は普段は厨房に置かれ、賑やかにやりたい時は公園や天体の間に運ばれた。
雲のような綿菓子が幾つも幾つも、作られては皆に笑顔を運んだ。
シャングリラを取り巻く雲海の雲が綿菓子だったら美味しいだろうと言い出す者やら、あの雲も実は甘いのだ、と子供たちに嘘を教える者やら。
綿菓子はシャングリラの砂糖菓子の定番になって、子供も大人も綿菓子を食べた。これといった行事が無いような時も、作れる腕前の持ち主がいれば頼んで気軽に。
綿菓子を一つ作って欲しいと、食べたいから大きいのを一つ、と。
白い鯨に綿菓子があるのが当たり前になって久しい頃。
救出されて間もない子供が落ち着かない時は、誰かが綿菓子をクルクルと作ってやるのが普通の流れになった頃。そうすれば子供は目を丸くすると、自分が置かれた境遇を暫し忘れるものだと、皆が覚えて実践するようになっていた頃。
「お前が綿菓子を注文したんだ、デカイのを一個、と」
大きいのがいいと、顔が見えないほどに大きい綿菓子が一個欲しい、と。
「そうだっけ?」
ぼく、綿菓子なんかを頼んでいたかな、ハーレイに?
「間違いない。ブリッジで仕事中だった俺に思念でな」
仕事が終わったら一つ頼むよと、青の間まで一個持って来て、と。
とんだ夜食だと思ったけれども、他ならぬブルーの注文だから。
その日の勤務を終えたハーレイは厨房に寄って、綿菓子を作れるスタッフに特大を一つ頼んだ。それを袋に入れて貰って、運んだハーレイ。青の間まで運んで行ったハーレイ。
ブルーは笑顔で待っていた。
この綿菓子を二人で食べようと。
「二人で…ですか?」
「そう、二人で。君とぼくとの二人分だから、特大を注文したんだけれど…」
大きな袋に入っているから、注文通りの綿菓子が出来たみたいだね。
ハーレイ、今日も一日お疲れ様。甘いものは疲れが取れると言うから、君もこれを食べて。
「そういう御注文だったのですか…。ありがとうございます」
では、喜んで頂戴いたします。
最初から二人分だと仰って下されば、二人分で作らせましたのに…。
ソルジャーが遠慮なさらなくても、綿菓子作りが大好きな者が厨房には何人もおりますからね。二つだと頼んでも直ぐに作ってくれますよ。
それどころか、二つ頼まれた方が大喜びかもしれません。腕を奮うチャンスが二回ですから。
次からはどうぞ御遠慮なく、と告げてキッチンへ皿を取りに行こうとしたハーレイ。
青の間の奥には小さなキッチンがあるから、其処から綿菓子を取り分けるための皿とフォークを取って来ようと。
しかし、そのハーレイをブルーが止めた。それは綿菓子の食べ方ではないと。
「こんなに見事に膨らんでるのを切り分けるだなんて、間違っているよ」
綿菓子はお皿やフォークを使って食べるものじゃないと思うんだけどね?
「では、どうやって…」
そういったものを使わないなら、どうやって分ければいいんです?
まさかサイオンで少しずつ千切って食べるとか、そういう風にするのでしょうか?
「いいから、これ。君が持ってて」
「はあ…」
持つのですか、私が綿菓子を?
それは一向にかまわないのですが、どうやってこれをお召し上がりになるつもりですか…?
ブルーと向かい合わせで座るように促され、間に挟んだ小さなテーブルの真ん中辺りで持つよう言われた綿菓子。テーブルの上に立てるような形で綿菓子を持っているように、と。
どういう意味だか分からないまま、ハーレイは綿菓子の棒を握っていたのだけれど…。
「これはね、こうやって食べるんだよ」
ブルーが上半身を傾け、ハーレイが持っている綿菓子を齧った。
自分の手などは添えることなく、首だけを伸ばして桜色の唇を開けると甘い綿を一口。
口に含んだ綿が消えると、ブルーはペロリと唇を舐めて。
「ハーレイ、君はそっち側から食べて」
「なんですって?」
そっち側とは…。私の側から、この綿菓子を齧れという意味で仰いましたか?
私にも綿菓子を齧るようにと?
「そうだけど? この綿菓子は二人分だと言っただろう」
だから二人で食べるんだよ、これを。
ぼくはこっち側から食べていくから、君は自分に近い側から。
「…それでフォークも皿も要らないと…」
そう仰ったのですか、綿菓子はこうして齧るものだと。
確かに正しい食べ方だろうとは思うのですが…。マナーの点からは些か問題があるような…。
行儀が悪いと苦言を呈したものの、まるで聞く耳を持たないブルー。
仕方なく綿菓子に齧り付いたら、ブルーの顔がやたらと近い。
ブルーも食べようとしていたのか、と慌てて綿菓子から顔を離した。うっかり齧って鉢合わせてしまわないよう、タイミングを計って交互に食べようと思っていたら。
「同時に食べなきゃ駄目だろう!」
でないと公平に食べられないから、二人分を頼んだ意味が無くなる。
ぼくが齧っていようが、いまいが、君はそっち側から綿菓子を食べればいいんだよ!
とにかく食べろ、と向かい側のブルーに叱られた。
綿菓子は同時に食べてこそだと、二人で一緒に食べるものだと。
腹を括って食べ始めたものの、齧る度に減ってゆく甘い綿菓子。
最初は殆ど見えなかったブルーの顔が一口ごとに綿の端から覗き始めて、綿菓子の厚みも減ってゆく。白くふうわりと膨らんでいた雲が次第に薄らいでゆく。
ハーレイが、ブルーが齧り付く度に綿菓子は減って、近付いてくる互いの顔。
どんどん、どんどん、縮まる距離。
ブルーの顔はもう目の前と言った感じで、舌を伸ばせば舐め上げられそうなほどで。
(………)
もう食べられない、とハーレイは動きを止めたのだけれど。
綿菓子から顔を離したのだけれど。
「最後まで食べる!」
しっかり齧る、と叱咤されて綿菓子を食べようと首を伸ばしたら触れ合ってしまった唇。
柔らかなブルーの唇と重なってしまった唇。
甘い糸が間に入っていたからだろうか、ブルーの唇は文字通り甘い味がして。
初めて触れ合わせたというわけでもないのに、頬が真っ赤に染まってしまった。
その食べ方を強いた、ブルーの方も。
透けるように白い肌を襟元まで赤くしたブルーが唇に手をやって。
「…案外、恥ずかしいものだね、これは」
ここまで顔が赤くなってしまうとは思わなかったよ、まだ心臓がドキドキ音を立てているかな。
君の顔だってトマトみたいに赤いよ、きっと耳まで赤いんだろうね。
「…何だったんです、あの食べ方は?」
ああいう食べ方を続けていたなら、ああいった結末は容易に予測可能かと思われますが…。
私は想定しておりませんでしたが、言い出されたあなたは最初から御存知だったのでは?
「ちょっと、昔の資料を見ててね」
データベースで、ずうっと昔の資料をね。SD体制が始まるよりも遥かな昔の地球のデータを。
「地球ですって?」
そのデータには何とあったのでしょうか、このようなことをなさるとは…。
私には全く分からないのですが、データには何と…?
「…ん? ぼくが見付けた古い資料の話かい?」
バカップルというのがあったんだよ、とブルーは笑った。馬鹿とカップルを掛け合わせた造語。
そのバカップルと呼ばれるカップルたちは、こうやって綿菓子を食べていたらしい、と。
「バカップル…ですか?」
馬鹿と付くほど所構わず戯れ合うカップルという意味でしょうか、その言葉は?
あのような綿菓子の食べ方からして。
「うん。二人でジュースを同じ器からストローで飲む、というのもあったけれども…」
綿菓子が面白そうだったのだ、と微笑むブルー。
大きな綿菓子の向こう側から互いの顔がどんどん見えて近付いてくるのが楽しそうだから、と。
「綿菓子はそういう目的のために存在している食べ物ではないと思いますが!」
「まあね。明らかに違う存在だよねえ、綿菓子は」
子供たちのための食べ物だよね、とは言っていたけれど。
肩を竦めてみせたブルーだったけれど、その後も何度もやられたのだった。
綿菓子を一つと、大きな綿菓子を夜食に一つ持って来て欲しいと。
そうして綿菓子を運んでゆく度、繰り返される例の食べ方。
バカップルとやらの食べ方を真似た、二人で同時に齧って最後はキスな食べ方。
いくら恋人同士であっても、その食べ方はやはり気恥ずかしくて。
ブルーと唇を触れ合わせた後、深いキスへと雪崩れ込んでも、頬が赤らむのは止められなくて。
(…あれは本当に恥ずかしかったんだ…!)
誰も見ていないと分かっていたけれど、誰も周りにいなかったけれど。
大きな綿菓子をブルーがどうやって食べているのか、誰も訊いたりしなかったけれど。
(作って貰っている間、待っている俺がどれほど苦労したことか…!)
出来上がった綿菓子はブルーと二人で食べるのだから。同時に食べ始めてキスなのだから。
何も知らない厨房の者や腕自慢の者が甘い糸の雲を作っている間、何度いたたまれない気持ちになっただろう。赤く染まりそうな頬を「少し暑いか?」と誤魔化しながら押さえただろう。
それを幾度も繰り返した果てに、懲りて綿菓子を二つ持って行くようになった。
大きな綿菓子を一つ、と思念でブルーの注文が来たら、綿菓子を二つ。
ブルーは不満そうに唇を尖らせたけれど、「御注文の綿菓子をお持ちしました」と。
そして小さな今のブルーも。
土産に買って来た綿菓子を半分近くまで食べた小さなブルーも。
「ハーレイ、どうして綿菓子を二つ買って来たの!」
ぼくは綿菓子、大好きだけれど。
ハーレイは綿菓子なんかよりも普通のお菓子が好きなんじゃないの、綿菓子は頼りないものね。
もっとお腹に溜まりそうなお菓子が好きだと思うな、ぼくの綿菓子に付き合わなくても良かったのに。一個にしとけば、ハーレイのお菓子はママのケーキになったのに…。
「それはな…。一つだと、お前、ロクなことを思い出さないだろう?」
でもって俺に向かって妙なことを言うんだ、それが何かは俺は言わんが。
「思い出したよ!」
全部すっかり思い出したから怒ってるんだよ、どうして綿菓子が二つなの、って!
前のぼくも何度も怒った筈だよ、綿菓子は一つしか注文していないけど、って!
ハーレイは綿菓子を必ず二つにするんだ、ぼくが一個とお願いしたって!
綿菓子は一つで良かったのに、と膨れる恋人。
二つ買わずに一つだけ買って来てくれていれば良かったのに、と不満一杯の小さな恋人。
まだ十四歳にしかならないブルーと、あの食べ方が出来るようになるのはいつだろう?
大きな綿菓子を一つ、と二人で注文出来る日はいつになるのだろう?
いつか、その日が訪れたなら…。
「ハーレイ、今日は綿菓子、二つでも許してあげるけど…」
結婚した後に二つ買ったら、ぼく、怒るからね?
今度こそ綿菓子は一個あったらホントのホントに充分だからね…!
「分かっているさ。俺もその時は一個しか買わん」
お前が後ろで膨れていたって、赤くなっていたって、一個だけだ。
そいつを二人で食べるんだろうが、お前と俺とで綿菓子を一個。
「そうだよ、今度は本物のバカップルだよね?」
ぼくたちが恋人同士だってこと、誰に知られてもいいんだものね。堂々とバカップルだよね?
「うむ、バカップルだ」
綿菓子を買って正真正銘のバカップルと洒落込もうじゃないか、二人で一個の綿菓子だ。
お前が止めても一個しか買わん。
俺とお前で一個の綿菓子、うんとデカイのを頼んで作って貰ってな。
遠い昔に青の間で二人、コッソリと気取ったバカップル。
前のブルーがデータベースで見付け出して来た、馬鹿と呼ばれるほどの恋人同士。
バカップルという言葉自体は、遥かな昔に死語だけれども。
前の自分たちが生きた時代ですら、死語となってしまった言葉だったけども。
小さなブルーが大きく育ったら、またバカップルとして暮らしてみたい。
綿菓子を買うなら、二人で一個。
大きな綿菓子を一緒に齧って、最後はキスして終わる食べ方。
他にも甘い時間を沢山、沢山、ブルーと二人で幸せの中で。
今度は誰にも隠すことなく、何処へ行ってもバカップルになっていいのだから…。
綿菓子・了
※一つの綿菓子を、二人で食べていた前のハーレイとブルー。「バカップルらしく」と。
けれど今では、綿菓子は一人に一個ずつ。前と同じに食べられる日は、まだ先です。
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