シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうん…)
新聞に載ってる、本の紹介。
学校から帰って広げたんだけど。ちゃんと着替えて、おやつも食べて。
(こういうのが人気だったんだ…)
おかわり用に淹れた紅茶をお供に読んでみた。タイトルだけなら学校で何度も耳にしたから興味津々、女子の間で一番人気の本だってことは知っていた。中身までは知らなかったけど。
(…本の世界に入ってしまった女の子…)
主人公の女の子が図書館で出会った本から始まる物語。ちょっぴり不思議なファンタジー。本の世界に吸い込まれちゃって、その中で色々と冒険をする。本の世界に住む沢山の仲間と協力して。
SD体制が始まるよりも前の時代が舞台のお話、それも人気の理由だろう。
地球が死の星になってしまう前の時代に憧れる人は多くて、行ってみたいと誰もが夢見る。この地球の上に幾つもの文化が築き上げられてて、自然だって豊かだった頃。
不便なことだって多かったろうし、旅をするのも命懸けだった時代なんだとは聞くけれど…。
(それでも行ってみたいよね?)
ちょっと出掛けて覗くだけなら、すぐに帰って来られるなら。
(このお話、それで大人気なんだ…)
本の世界では何ヵ月もかかる大冒険。恐ろしい目にも遭ったりするけど、何かの切っ掛けで元の世界にヒョイと戻ってしまえるらしい。そしたら時間は出掛ける前と変わっていなくて、本の中にまた戻りたいなら本を開けばいいだけのこと。
そうやって自分が住んでる世界と、本の世界とを行ったり来たりしながら進むお話。
憧れのSD体制よりも前の時代に出掛けてゆくには、お誂え向きの道具になってる便利な本。
(こんな風にして冒険できたら楽しいよね?)
行って来ます、って本に入って、また戻って来て。
本の中に広がるSD体制よりも前の時代で仲間を集めて冒険してても、元の世界に戻って来たら普通の暮らしが待っている。暖かい家も、美味しい御飯も、おやつも、それに友達だって。
今の生活を続ける傍ら、本の世界では立派なヒロイン、頼りにされちゃう主人公。
(人気なわけだよ…)
いつもの暮らしはそっくりそのまま、別の世界で冒険の旅が出来るんだから。こんな風に自分も別の世界と掛け持ちの生活をしてみたいな、って考える人は多い筈。
(ある意味、王道なんだけど…)
本の中に入ってしまう話も、別の世界で冒険するのも。
小さい頃から、そういう話を幾つも読んだ。
パパやママに買って貰った本たちの中に色々とあった。
新聞に載ってるこの話だって、ぼくが小さかった頃に出版されていたらパパかママがプレゼントしてくれたんじゃないかな、とても面白そうだから。
現に今だって読みたい気分。今度、本屋さんに出掛けることがあったら買ってみようか、まずは試しに少し読んでみて。本屋さんには本を買おうかどうしようかと検討するためのテーブルだってあるんだから。飲み物を注文しさえしたなら、いくらでもタダで読めるんだから。
ぼくのコレクションが増えるかもしれない、女の子たちに人気の一冊。本の世界に入れる話。
(ホントに入れたら素敵なんだけどね?)
広げた本の世界の中に。ページの向こうに広がる世界に。
生まれつき身体が弱かったぼくは、何度も夢見た。
遠い地域に住むお祖母ちゃんたちの所へ会いに行っただけで、熱を出すような子供だったから。旅はもちろん、ハイキングだって身体のせいで行き損なって、家の庭でお弁当を食べていたことが多かったような子だったから。
(本の中なら何だって出来ると思ったんだよ)
うんと元気な主人公になって、走り回ったり、冒険したり。
そういう夢も本当に見た。夢の中のぼくは本の世界で疲れもしないで楽しんでいた。とても広い海を船で旅したり、高い高い山を越えて行ったり。
弱い身体では出来もしないことが夢の中では出来たんだ。本の世界とそっくり同じに。
だから…。
(本の世界に入りたいな、ってよく言ってたっけ…)
中に入ってみたいんだよ、ってパパやママたちに何度も言った。本の中は夢の世界だから。
本気で入ってやろうと思って本を枕の下に入れたり、頑張ってた、ぼく。
とうとう一度も入れないまま、そういったこともしなくなったけど…。
(本の中の世界…)
入りそびれてしまったよね、って新聞を閉じて、キッチンに居たママにおやつのお皿とカップを返して部屋に戻った。小さかったぼくが本の世界を目指してた部屋に。
勉強机の前に座って、ベッドの方を見てたんだけど。本を枕の下に入れてた頃のベッドは、もう小さすぎて買い替えられてしまったけれど…。
(そういえば…)
まだ子供用のベッドで寝ていた頃の誕生日。
パパとママから本を貰った。綺麗な紙で包装されてて、リボンもかかった本を一冊。
一目で中身は本だと分かるから、大喜びで開けたプレゼント。わざわざ誕生日にくれるからには特別な本に違いないから。本屋さんでいつでも買える本とは違うだろうから。
ドキドキしながらリボンをほどいて、包装紙を剥がして開けたぼく。
中から出て来た本は立派で、凝った装丁になってたけれど。
(人魚姫…?)
表紙に刷られたそのタイトルと、貝殻の冠を被った人魚のお姫様の絵と。
例の悲しいお話だろうか、と開いてみたら。海の泡になっちゃう人魚姫かと思ったら…。
(ぼくの本…!)
主人公の名前はブルー姫だった。人魚の王様の娘たちの末っ子、ブルー姫。
(ぼく、人魚姫になっちゃった…!)
なんて素敵なお話だろう。ぼくが人魚で、深い海の底に住んでるだなんて。海の上の世界を見に出掛けようと、足の代わりに尻尾を使ってぐんぐん泳いで行くなんて。
王子様が乗ってる船を見付けて、その後は嵐。投げ出されちゃった、王子様。
人魚姫のぼくは海に沈んでゆく王子様を助けて、ちゃんと浜辺まで運んで行って…。
(だけど気付いて貰えないんだよね?)
王子様に会おうと、人間になろうと海の魔女に会いに行った、ぼく。
尻尾の代わりに足を貰うには、声を失くすんだと思ったけれど…。
(特別サービス!?)
魔女のお誕生日か何かで、海の魔女はとっても機嫌が良かった。人間になれる薬をタダでくれた上に、歩くと足が痛くなるのを治す薬もセットでくれた。
早速、王子様を運んだ浜辺まで泳いで、薬をゴクリと飲んだぼく。
気を失って倒れてしまったけれども、夜が明けたら王子様が散歩にやって来て…。
ハッピーエンドだった人魚姫。
隣の国のお姫様なんかは出ても来なくて、人間になったぼくと王子様との結婚式。
(ぼく、幸せになれたんだ…!)
夢中で読んでしまった本。パパとママに御礼を言うのもすっかり忘れてしまっていたから。
ありがとう、って笑顔で言ったら、パパとママの様子がなんだか変で。
困ったような顔をした、パパとママ。二人の瞳にありありと出てた、途惑いの色。
「…どうしたの?」
ぼく、御礼を言うのを忘れちゃってたから、お行儀の悪い子だと思った?
ごめんなさい…。とっても素敵な本だったから…。
ぼくの名前が出て来るだなんて、ホントにビックリしちゃったから。
それで夢中になってしまって、最後まで一気に読んじゃった…。
ぼくが本の中に入りたい、って言っていたから、ちゃんと入らせてくれたんだね!
ブルー姫のお話、ありがとう!
大事にするよ、って本を抱き締めて御礼を言った。御礼を忘れてごめんなさい、って。
そしたら、パパが「いや…」って口ごもってから。
「人魚姫じゃなくて、勇者の本のつもりだったんだが…」
その本を頼んでおいたんだがなあ、ブルーの名前で。
「そうよ、ドラゴン退治の勇者のお話を注文したのよ」
てっきりそうだと思っていたけど、何処で間違えられたのかしら…。
包装されていたから気付かなかったわ、人魚姫の本になっていたなんて。
ブルーはなんにも悪くないのよ、本屋さんが失敗しちゃったの。
パパとママとがお願いした本を間違えて作っちゃったのよ。
間違って注文されちゃった本。
頼まれた本屋さんが注文する時に失敗したのか、注文された本を作るお店が間違えたのか。
ぼくは人魚のブルー姫じゃなくて、勇者ブルーになる筈だった。ドラゴンを退治して、お姫様を助けて結婚式を挙げるんだ。そういう本が出来て届く予定が、どういうわけだか人魚姫。
パパとママは本を取り替えて貰うって言ったんだけれど。
「この人魚姫の本はどうなるの?」
ブルー姫のお話、どうなっちゃうの?
「返品することになるんじゃないかな」
それをお店に返しに行って、勇者ブルーの本と取り替えて貰うんだ。間違ってました、っていう証拠が要るから、とにかく持って行かなきゃな、ママ?
「ええ、そうね。そして作ったお店に渡して貰って、代わりに勇者ブルーの本を貰うの」
だけど、この本はブルー姫の本になってしまって、使い道が無いわけだから…。
もしかしたら勇者の本と一緒に、それも貰えるかもしれないけれど。
「…返品って、なあに?」
「返すってことだな、さっき言っただろう?」
その本を返して、代わりに勇者ブルーの本を届けて貰うのさ。
「それじゃ、返した人魚姫の本はどうなるの?」
ママが言ったみたいに二冊とも貰えるってわけじゃないなら、人魚姫の本はどうなっちゃうの?
「ブルーの名前になってるからなあ、他の人には売れないしな…」
多分、新しい本に作り替えられるんだろう。材料は紙だし、溶かせばまた紙を作れるからな。
「そんな…!」
やめて、って叫んだ小さかったぼく。
せっかくのブルー姫の本。溶かしちゃうだなんて、とんでもない。
パパとママとに「返さないで」ってお願いした。
本が可哀相だからこれでいいよ、って。
勇者ブルーの本は要らないから、人魚姫の本をぼくにちょうだい、って。
ぼくの名前の人魚姫。本の世界に入ったぼく。
その本が溶かされて無くなっちゃうなんて、酷すぎるから。可哀相すぎるから、ぼくは人魚姫の本を貰っておいた。ブルー姫の本を。
(それにドラゴン退治じゃなくっても…)
充分ワクワクさせてくれた本。
人魚姫のぼく。深い海の底にあるお城に住んでた、人魚姫のぼく。
貝殻の冠を頭に被って、足の代わりに尻尾で泳いで、王子様を助けて運んで行った。海の魔女に薬をタダで貰って、人間の足も手に入れた。
ブルーって名前の人魚姫。ぼくだけが持ってる人魚姫のお話。
本の世界に入れたんだ、って嬉しくて嬉しくて、何度も読んだ。ブルー姫が出て来るお話を。
お気に入りだった、ブルー姫の本。
ぼくだけが入れた本の中の世界、人魚姫になって暮らしていた世界。
(王子様と結婚するんだけれど…)
人間になって、王子様と結婚式を挙げたブルー姫。
特に変だとは思わなかった。悲しい人魚姫の話とは違ってハッピーエンドなんだと喜んでいた。王子様とちゃんと結婚出来たと、幸せに暮らしてゆくんだと。
(ドラゴン退治の勇者だったら、お姫様と結婚するんだよね?)
そっちの話を貰っていたなら、どう思ったかは分からないけれど。
ブルー姫の話を手に入れたぼくは、王子様との結婚式で終わる話がとてもお気に入りで、最後のページを何度も読んだ。王子様の隣に花嫁姿で立ってるブルー姫の挿絵が入ったページを。
今から思えば、あの本は…。
(予言だった?)
いつかお姫様になって結婚するんだよ、って。
まだプロポーズもされてないけど、ハーレイと結婚することが決まっているぼく。
ハーレイのお嫁さんになろうと決めている、ぼく。
お嫁さんだから、ぼくの立場は人魚姫だったブルーと同じ。
ブルー姫の本は予言をしてたんだろうか、ぼくの未来はお嫁さんだと。
予言かも、って思い始めたら気になってくる。
小さかったぼくの所に間違って届いた人魚姫の本。ドラゴン退治の勇者の話が化けた本。
(えーっと、あの本…)
急に会いたくなってきた。ブルー姫の本に。
子供の頃の本は部屋には無いけど、別の部屋に仕舞ってあるけれど。お気に入りの宝物は別。
クローゼットの奥から引っ張り出したぼくの宝箱の中、人魚姫の本も入ってた。
長いこと手にしていなかったけれど、記憶にあるままの装丁のブルー姫の本。貝殻の冠を被った人魚が表紙に刷られた、ぼくだけのための人魚姫の本。
(懐かしい…!)
開いたら、もう止まらない。初めて貰ったあの日みたいに一気に読んだ。ブルー姫が海の上へと泳ぎ始めて、王子様が乗った船を見付けて、嵐が来て…。
気を失っている王子様を浜辺に送り届けて、海の魔女から薬を貰って。人間になったら王子様と出会って、声を失くしていないブルー姫は海の泡になって消える代わりに結婚式で…。
(やっぱりハッピーエンドだよ!)
こうでなくっちゃ、とブルー姫の物語に嬉しくなった。王子様との結婚式で終わる人魚姫の本。悲しい結末になりはしないで、ハッピーエンド。
この幸せな人魚姫の話を書いてくれた人は誰なんだろう、って本の奥付を見てみたら。
(…フィシス?)
そういう名前の人が書いてた。ブルー姫の話の作者はフィシス。
本当はブルー姫じゃなくって、この本を注文した人に合わせて名前が変わるんだろうけど。
ジョミーって人が注文したなら、ジョミー姫の本が出来るんだろうけど…。
(でも、フィシス…)
あまりにも懐かしい名前だから。懐かしすぎる名前の作者だから。
他にも何か書いてないかな、って本の終わりにズラリと並んだ他の本のリストを調べてみたら。
(これもフィシス?)
ドラゴン退治の勇者の本も、作者の名前はフィシスとあった。
パパとママが注文したらしい本。人魚姫のブルーの話の代わりに届けられる予定だった本。
同じ作者の本同士だったら、ちょっとしたミスで入れ替わることもあるだろう。
それにしたって、ぼくの所にブルー姫。勇者ブルーの本じゃなくって、ブルー姫。
王子様と結婚式を挙げてハッピーエンドの、お嫁さんになる話が好きだった、ぼく。
(もしかしたら…)
入れ替わってしまった二冊の本。
勇者ブルーになって本の世界に入る代わりに、ブルー姫になってしまったぼく。それをちっとも変だと思わず、ブルー姫の本を何度も何度も読んで宝物にしていた、ぼく。
勇者ブルーも、ブルー姫の本も、作者がフィシスだったなら。
本が入れ替わったのは間違いじゃなくて、予言だったんだろうか、本物の?
タロットカードでミュウの未来を占い続けていたフィシス。前のぼくがミュウにしたフィシス。青い地球が欲しいと、あの地球を抱く少女が欲しいと、ミュウにして攫って来たフィシス。
(フィシス…)
この地球の上にいるんだろうか?
ぼくとハーレイが生まれ変わって来たのと同じで、フィシスも地球にいるんだろうか?
(この本をフィシスが書いたんだったら…)
ぼくよりはずっと年上だけれど、それでもフィシスだったなら。
本を注文して来た人の未来を占った上で、それに相応しく本を取り替えることもあるだろう。
ブルーがぼくだと、ソルジャー・ブルーだとは気付かなくても、ぼくの未来はお嫁さんだから。
勇者ブルーよりもブルー姫がいいと、この本が似合うと、ブルー姫の本。
間違えたふりをして、ブルーという名の子供にピッタリの人魚姫を。
(やっぱり、フィシス…?)
ぼくが誰かは気付かないままで、人魚姫の本を送ってくれた?
ブルーって名前は前のぼくが大英雄になったお蔭で珍しくないし、本物のぼくだと気付かずに。
ソルジャー・ブルーが生まれ変わった子供のブルーのための本だとは知らないままで。
(…フィシス、記憶は持ってるのかな…?)
前のフィシスだった頃の記憶を持ってるだろうか、今のフィシスも?
もしも記憶を持っているなら、そして占いをしているのなら。
自分が書いた本を注文して来た子供たちの未来を占い、相応しい本を選んで届けているのなら。
(会ってみたいな…)
ブルー姫の本をくれたフィシスに。
ハーレイと結婚するんだよ、って言ったらフィシスは酷く驚くだろうけれど、会って報告をしておきたい。今のぼくはとっても幸せだからと、幸せに生きてゆくんだからと。
でも…。
(何処に行ったら会えるんだろう?)
同じ地域に住んでいるなら、場所によっては一人でも会いに行けるだろうけど。
遠かったりしたら、いつかハーレイと二人で行くしかないんだろうか?
(パパとママに頼んで連れてって貰うのは無理だしね…)
だって、報告に行くんだから。ぼくはハーレイと結婚するよ、って。
そんな報告、パパとママが一緒に居たんじゃ出来っこない。今はまだ秘密なんだから。
(いつ会えるかな…)
ハーレイと結婚しちゃった後?
それとも、もっと早くにバスを乗り継いで会いに行けるかな、フィシスの家まで…?
会えるんなら早く会いたいけれど、と考えていたら、チャイムの音。門扉の脇にあるチャイム。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ぼくは相談することにした。もちろんママが部屋から出て行った後で。お茶とお菓子をテーブルの上に置いてった後で。
「ハーレイ、この本…」
子供の頃の本なんだけど、ってブルー姫の本を差し出した。
「おっ、人魚姫か?」
こういう本も好きだったのか、お前。なかなかに凝った装丁だが…。
「あのね…。ぼくの宝物だった本なんだけどね…」
フィシスなんだよ、って話をした。
この本はフィシスが書いたんだ、って。ぼくの未来を予言していたかも、って。
本が間違ってた話はすっ飛ばして。入れ替わって届いてしまった話は省略しちゃって。
「フィシスだって…?」
これをフィシスが書いたと言うのか、あのフィシスが?
「うん。そうとしか思えないんだよ」
長いこと仕舞ってあった本だし、ぼくも作者までは覚えていなくて…。
さっき出してみたらフィシスなんだよ、ほらね、フィシスと書いてあるでしょ?
「ふうむ…。確かにフィシスとあるな」
だが、本当にフィシスなのか?
フィシスって名前は今じゃ人気で、お前の学校にも一人や二人はいるんじゃないか、フィシス。
俺の知り合いにもいるくらいだしな、似ても似つかんフィシスだけどな。
どれ、ってハーレイは本を調べていたけれど。
ブルー姫の本を手に取ってあちこち開いていたけど、ぼくも大いに期待したけれど。
「こいつは違うな、フィシスというのはペンネームだな」
「えっ?」
ペンネームって…。それでもフィシスって可能性はゼロじゃないって思わない?
自分の名前をそのままペンネームにしちゃっている人、少なくはないと思うんだけど…。
「いや、違う。正真正銘、ペンネームってヤツだ、この場合はな」
此処を見てみろ、書いてあるから。普通は此処まで読まないだろうが…。
本の中身とは無関係だし、他にどういう本があるかっていう広告ってわけでもないからな。
此処だ、ってハーレイの褐色の指で指された本の奥付。
出版社の名前とかが書かれたページに、小さな文字で一緒に載ってる作者の紹介。この本を注文するだろう大人に向けての紹介ってヤツで、子供なら読まずに素通りする場所。
子供の名前を入れて作れる本のシリーズ、作者はどの本も同じ人だと書いてあった。人魚姫も、ドラゴン退治の勇者も、その他に山ほどある本も。
もしかしたら全種類を揃えるかもしれない子供のために、と使い分けた名前。
全部が同じ作者の本だと嘘っぽいから、同じ名前で出す本は二冊。
フィシスの名前で出版している本は、人魚姫の本とドラゴン退治の勇者の本の二冊だけ。
「じゃあ、これの作者がフィシスってことは…」
あのフィシスだってことはないっていうの?
ただのペンネームで、フィシスの名前じゃないっていうの…?
「どう考えても有り得ないってな」
フィシスとは縁もゆかりも無いってトコだな、有名どころの名前ってだけで選んだんだろ。
「でも…」
それは分からないよ、ぼくだってハーレイに会うまではただのブルーだったよ?
本物のソルジャー・ブルーだなんて誰も思わないし、ぼくだって気付いてなかったし…。
この作者だって、あのフィシスじゃないって誰が言えるの?
ぼくの未来を予言したんだよ、この本を書いたフィシスって人は。
フィシスっていうのがペンネームだとしても、予言が出来てフィシスを名乗っているのなら…。
「おいおい、落ち着け、ちゃんと紹介を読んだのか?」
よく読み直してみろ、この本の作者は男だぞ?
最後にちょこっと書いてあるだろうが、小説家としての本当の名前。
「ホントだ…!」
だけどホントに男の人なの、女の人が男みたいな名前で書いてる本だって…。
「これに関しては断言出来る。もう間違いなく男だ、ってな」
俺は古典の教師ではあるが、現代文学ってヤツも少しくらいは把握していないと話にならん。
この小説家の顔写真ってヤツを知っているのさ、何処から見たって男だった。
強いて言うならハロルドに少し似てたかなあ…。とっくに年を止めているがな。
「ハロルドって…。確か、ナスカに残って死んだ…」
ツェーレンのお父さんだった人だね、あのハロルドに似てるんだったら男だね。
フィシスなのかと思っていたけど、男の人なら人違いだね…。
違ったのか、とガッカリしちゃった、ぼく。
フィシスが地球にいるんだったら会いに行きたいと思っていたのに、人違い。
考えてみれば、ぼくがハーレイと出会えただけでも凄すぎる奇跡なんだから。フィシスを探して会いたいだなんて、神様に叱られちゃうだろう。
お前は何処まで欲張りなんだ、って。恋人だけではまだ足りなくって、フィシスまでか、って。
(そうそう奇跡は起こらないよね…)
奇跡ってヤツは大盤振る舞いするものじゃなくて、一生の内に一度起これば幸運なもの。一度も奇跡に出会えないままの人の方がずっと多いんだから…。
フィシスって名前に期待しすぎた、って早とちりをしたウッカリ者の自分を叱り付けていたら。
「それでだ、何処が予言だって?」
この本の何処が予言になるんだ、ザッと読んだ所、人魚姫の話を作り替えた話みたいだが…。
ついでにお前が主人公だが、それ以外に変わった特徴は何も無いようだがな…?
「…その本が人魚姫だからだよ」
ブルー姫って書いてあるでしょ、パパとママが誕生日にくれた本なんだけど…。
子供の名前を入れた本を作って下さい、って注文するのに、ブルー姫を注文しそうだと思う?
いくら女の子と間違えられてばかりの男の子だって、パパとママがブルー姫の本を頼むと思う?
「そういやそうだな、普通は男が主人公の本を頼むよなあ…」
変だとも思わずに読んじまったが、そいつは俺がお前を嫁さんに貰おうと思ってるせいか。
お前、なんだってブルー姫なんかになっているんだ?
「知らないよ! パパとママにも謎だったんだよ!」
注文した本が間違って届いちゃったんだ。パパとママもビックリしてたんだけど…。
取り替えて貰うって言っていたけど、返品されたら、この本、溶かされてしまうから…。
可哀相だから、って止めたんだよ、ぼく。
人魚姫の本でも嬉しかったし、ドキドキしながら一気に最後まで読んだんだもの。
…でもね、パパとママが注文していた元の本だと、ぼくは勇者になる筈だった、って。
なのに勇者の本じゃなくって、人魚姫の本が届いたから…。
どっちも作者がフィシスだったから、予言なのかと思ったんだよ。
ぼくはハーレイと結婚するから、勇者の本より人魚姫の本がいいでしょう、って。
「ははっ、そうか! もう一冊の方と間違えられて作られたんだな、フィシスが作者の」
ドラゴン退治の勇者になる代わりにブルー姫ってわけか、見事に入れ替わっちまったか!
それは確かにフィシスの予言かと思いもするよな、男のお前がブルー姫じゃな。
フィシスは存在しなかったけど。ハロルドに似てるって小説家が書いていたんだけれど。
それでも何故だか、ぼくに届いた人魚姫の本。ドラゴン退治の勇者の代わりに人魚姫。
いつかハーレイのお嫁さんになる、ぼくの未来を予言したような不思議な間違い。
ホントにフィシスがやったことかと思ったんだよ、って繰り返したら。
「予言者がいたとしたなら神様だろう」ってハーレイが笑う。
本の注文を間違えさせたのは神様なんだ、って。
パパとママはきちんと勇者の本を注文したけど、神様が入れ替えちゃったんだ、って。
「そっか、神様なら…」
ぼくの身体に聖痕をくれて、ハーレイと地球で会わせてくれたのが神様だものね。
ハーレイと結婚するって未来も最初から分かっているよね、神様だったら。
「そういうわけだな、神様は何もかも御存知だからな」
当然、予言もなさるってことだ。
お前の所にブルー姫の本を届けるくらいは、神様にとっては簡単なことさ。
俺たちを前の俺たちとそっくり同じに生まれ変わらせる手間を思えば、指も動かさずにチョイと弄れてしまうんだろうな。本の注文の入れ替えくらいは。
それにしても、お前がブルー姫なあ…。人魚のお姫様なんだな。
お前がお姫様なら俺は王子か、って可笑しそうなハーレイ。
そういう柄ではないと思うが、って、挿絵の王子様が着ている服なんかは似合わないぞ、って。
(そんなことないと思うんだけど…)
前のハーレイはキャプテンの制服が似合ってたんだし、王子様の服もきっと似合うと思うんだ。
普段に着てたら変だけれども、結婚式ならいいんじゃないかな、そういった服も。
(うん、ぼくがドレスを着るんだったら、ハーレイの服が王子様でも…)
悪くなさそう、って思った、ぼく。
だって、ハーレイは、ぼくにとっては王子様だから。ブルー姫だったぼくの王子様。
フィシスの予言は無かったけれども、神様の予言。
ドラゴン退治の勇者よりも人魚姫がいい、と神様がぼくにくれた本。
大きくなったら、ぼくは王子様の、ハーレイのお嫁さんになる。
お気に入りだった本の世界に住んでる、人魚姫。
ぼくの名前がついたブルー姫が、王子様と結婚していつまでも幸せに暮らしたように…。
宝物だった本・了
※人魚の「ブルー姫」の本。小さかった頃のブルーの宝物。間違えて届いた本だったのに。
書いた人はフィシスじゃなかったですけど、予言みたいなお話ですよね。
でもって、ハレブル別館の更新ペース。
週2で続けて参りましたが、windows10 で色々と不具合が起こり続けておりまして…。
今後は週1更新にさせて頂きます。それが精一杯です、更新は毎週月曜です。
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