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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

幸運の茶柱

(茶柱…)
 知らなかった、ってハーレイの授業を聞いていた、ぼく。
 正確に言えば雑談だけど。みんなが授業に飽きて来る頃に、絶妙のタイミングで始まる雑談。
 これが人気で、みんな慌てて授業に戻る。聞き逃しちゃったら損だから、って。
(ハーレイ、いつも上手いよね…)
 誰も余所見なんかをしてはいないし、ハーレイの話に夢中って感じ。もちろん、ぼくも。
「いいか、立つと縁起がいいんだぞ?」
 覚えておけよ、って繰り返してからハーレイは授業に戻って行った。教室の前の大きなボード。その隅っこに「茶柱」って書いて、丸で囲んで。



(茶柱、見たことないんだけどな…)
 立ったら縁起がいい茶柱。幸運を呼び込むという茶柱。
 ぼくは一度も見たことが無い。ハーレイが教えてくれた幸運の印を全く知らない。
 家に帰って、おやつを食べながらママに話したら。
 ママは茶柱を知っているの、って訊いてみたら。
「あら、ブルーには教えていなかったかしら?」
 意外な答えが返って来た。ぼくは茶柱、生まれて初めて聞いたのに。
「…常識なの?」
 ママ、茶柱は知らない方がおかしいの?
「そうでもないけど…」
 知っているわよ、って笑顔のママ。
 ママだけじゃなくてパパも知ってるって、立つと縁起がいいってことも。



「だけど茶柱、ぼく、知らないよ?」
 見たことだって無いんだけれど…。うんと珍しいの?
「それもあるけど…。ブルーはあんまり飲まないものね」
 お茶を飲まなきゃ出会えないでしょ、茶柱には。見たことが無くても不思議じゃないわ。
「飲まないって…。お茶、飲んでるよ?」
 今だって、ってカップを指差した。ママが淹れてくれた紅茶のカップ。
 そうしたら、クスッと笑ったママ。
「ブルー。…ハーレイ先生のお話、よく聞いてたの?」
「聞いてないわけがないじゃない! だから茶柱、覚えてるんだよ!」
 お茶を淹れたら立つって聞いたよ、立つと縁起がいいんだぞ、って。
「そのお茶よ。お茶が大切なのよ」
 茶柱を見たいなら、お茶を飲まなくちゃ。そういうお茶をね。



 紅茶じゃ駄目なの、って教えて貰った。
 茶柱が立つのは日本のお茶よ、って。
 SD体制が始まるよりもずうっと昔に、ぼくたちが住んでる地域の辺りにあった島国、日本。
 とても小さな国だったけれど、いろんな文化を持っていた。独特のお茶も。
 マザー・システムに一度は消されてしまった文化。日本のお茶も姿を消した。だけど今では復活していて、色々なお茶が売られてる。茶柱はそういうお茶でないと、って教わったけれど。
「ハーレイ、そんなの言ってなかったよ!」
 お茶を淹れたら立つんだぞ、って聞いただけだよ、授業では!
 ハーレイの説明不足なんだよ、ぼくはきちんと聞いていたもの!
「あらあら…。そうねえ、わざわざ仰らないかもしれないわね?」
 授業と関係の無いお話だったら、お茶としか。
 ブルーみたいに家に帰って「茶柱が立たない」って思っている子がいるかもしれないわねえ…。
「いるってば!」
 何人もいるに決まっているよ。今頃、紅茶で頑張ってる子!



 そうは言ったけど、部屋に戻ったら急に自信が無くなった、ぼく。
 ひょっとして聞き逃しちゃったんだろうか、ハーレイの授業。授業じゃなくて雑談だけれど。
(確かにお茶って言ってた筈…)
 日本のお茶とは言わなかった、と授業中のことを思い出していたら、チャイムの音。門扉の脇についてるチャイム。
 それを鳴らして、ハーレイが寄ってくれたから。
 仕事帰りに来てくれたから、ママが運んで来た紅茶を指差して、訊いてみた。ママが扉を閉めて出て行った後で。ハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせで。
「ハーレイ、茶柱、立たないよ?」
 帰ってからママと飲んだ時にも立たなかったし、今も立ってはいないんだけど…。
「そりゃそうだろ。紅茶じゃそいつは無理ってモンだ」
 日本のお茶でしか立たんぞ、茶柱。紅茶じゃまるで別物だしなあ、元になる葉は同じなんだが。
「そんなの、授業で聞いていないよ!」
「俺はお茶だと言った筈だが?」
「うん、だから…!」
 紅茶のことだと思ったんだよ、お茶って紅茶のことじゃない!
 お茶をどうぞ、って淹れてくれるの、何処でも普通は紅茶だけど!



 前のぼくが白いシャングリラで生きてた時代も、今の時代もお茶と言えば紅茶。
 ママがお茶会をやってる時にも、ポットで紅茶を淹れているから。
 ご近所さんの家とかにお邪魔した時、出してくれるのも紅茶だから。
 茶柱の話を聞かされたぼくが紅茶のことだと思い込んでも、ちっともおかしくない筈なんだ。
 でも、ハーレイは…。
「その後に俺は説明していた筈だがな?」
 茶柱は日本の国の話で、お茶と言ったら日本のお茶だと。
 俺は古典の教師なんだぞ、雑談にだって日本の文化を織り込まないとな、たまにはな?
「嘘…!」
 ハーレイ、お茶って言ったんだ…。
 ちゃんと「日本のお茶だ」、って。



 その部分を聞いていなかった、ぼく。肝心の話を聞き落とした、ぼく。
 茶柱で頭が一杯になって。
 立つと縁起がいいんだと聞いて、幸運を呼び込めると聞いて。
 肩を落としてたら、鳶色の瞳に見詰められて。
「そんなに興味があったのか、お前?」
 たかが茶柱だぞ、聞き逃したって問題は無いと思うがな?
「大事なことだよ、ハーレイの授業だったから!」
「あれは雑談だったんだが?」
 授業とはまるで関係無くてだ、居眠りそうなヤツらを呼び戻すためのだな…。
「でも、大切だよ!」
 ハーレイの話なんだから! ハーレイが話をしてるんだから…!



 大好きでたまらないハーレイ。
 学校では「ハーレイ先生」だけれど、大好きなことは変わらない。会えるだけで幸せ、その上に声を聞くことが出来る素敵な時間が授業中。
 どんなことでも聞いていたいし、聞き逃すなんて、とんでもない。余所見だってしない。
 そういう気持ちで座っていたのに、ちょっぴりショック。
 茶柱がどういうお茶で立つかを聞いてなかった。ハーレイは話をしたらしいのに。
 だけど幸運を呼び込む茶柱、この目で確かめてみたいから。
 どうすれば立つの、って尋ねたけれど。立て方を訊こうとしたんだけれど。
「まあ、運だな」
 運が良ければ茶柱が立つし、悪けりゃ駄目だ。
 だからこそ縁起がいいと言うのさ、茶柱が立った時にはな。
「えーっ!」
 運ってだけなの、コツとかじゃないの?
 それじゃ茶柱、頑張ってみても立てる方法、無いじゃない…!



 茶柱が立つかどうかは運任せ。
 「そんなモンだ」と笑ったハーレイが帰った後で。
 パパとママも一緒に夕食を食べて、「またな」と手を振って車で帰ってしまった後で。
(茶柱…)
 ぼくの頭から消えない茶柱。離れていかない、お茶に立つ茶柱。
 立つと縁起がいいと言うから、幸運が来ると聞かされたから。
 どうにも気になってたまらない。
 しかも日本のお茶でないと立たない、立ってくれないらしい茶柱。
 前のぼくの頃には何処にも無かった日本のお茶で立つというから、なおのこと。
(立ててみたいな…)
 ぼくも、茶柱。幸運を呼び込んでくれる茶柱。
 ハーレイと幸せになれるように。
 うんと幸せな結婚が出来て、二人一緒に暮らせるように。
(茶柱を立てるなら、日本のお茶…)
 今度からハーレイが来てくれた時は、紅茶の代わりに日本のお茶にしてみようか?
 そうすればきっと立つだろうから。
 何度もそういうお茶を出したら、運任せの茶柱だって、いつかは。



 次の日、ママにそう言ったら。
 学校から帰って、おやつの時間に頼んでみたら。
「かまわないけれど…。茶柱は誰に渡せばいいの?」
「えっ?」
 どういう意味、ってキョトンとした、ぼく。
 ママは訊き方を変えて来た。
「茶柱が立っているお茶は、ブルーに渡すの?」
 それともハーレイ先生に渡すの、どっちがいいの?
「ええっ…?」
 そこまでは考えていなかった、ぼく。
 言われてみれば、運が良くないと立たない茶柱、二人分も一度に立つわけがない。
 ハーレイか、ぼくか、どちらか一人。茶柱のお茶は一人分だけ。
(えーっと…)
 どっちに決めればいいんだろう?
 ぼくの分にするか、ハーレイに渡して貰う方にするか。選びかねてしまう、茶柱のお茶。
 決められそうにない、縁起のいいお茶…。



 考え込んでしまったぼくは、よっぽど真剣な顔で悩んでいたんだろう。
 ママがクスクス可笑しそうに。
「それじゃ、ブルーが自分で淹れてみたら?」
 お茶の用意はしてあげるから、ハーレイ先生の分と、ブルーの分と。
 淹れ方はそんなに難しくないのよ、紅茶と同じ。
 ママが葉っぱを入れておくから、お湯を注いで待てばいいのよ、葉っぱがきちんと開くまでね。
「そうしてみる!」
 ぼくが淹れるから、持って来てね。日本のお茶用の、えーっと…。
「急須でしょ?」
「そう、それ!」
 家庭科の授業で一度だけ淹れたよ、だからぼくでも大丈夫だよ。
 ハーレイが家に来てくれた時は、日本のお茶の用意をしてね!



 ママにお願いをしたら、その日にハーレイが寄ってくれたけど。
 昨日と今日とで、二日続けて来てくれたけれど。
 お茶は昨日のとは全く違った。ママが準備した急須と湯呑み。お菓子も日本のお茶によく合う、お饅頭を載せたお皿が二つ。
 ぼくが早速、急須の蓋を取ってお湯を注いだら。
「珍しいな、お前が淹れるのか?」
「うんっ!」
 淹れたことはあるから、任せておいて。んーと…。
 そろそろかな、って湯呑みに緑茶を入れた。ハーレイの分と、ぼくの分との二つの湯呑み。
(おんなじ濃さになるように、って…)
 学校で習った通りに交互に注いでみたけれど。淡い緑のお茶をたっぷり入れたんだけど…。
 立ってくれなかった、幸運の茶柱。
 なんにも入っていない、お茶。
 ハーレイの分にも、ぼくの分にも、茶柱は立っていなかった。



(…茶柱、無理なの?)
 せっかく頑張って淹れたのに、ってしょげてたら。
 お饅頭を食べるのも忘れて、湯呑みの中身を見詰めていたら。
「どうした?」
 美味いお茶じゃないか、お前、淹れるの上手だな。
 しかしだ、早く飲まんと冷めちまうぞ。こういうお茶はだ、熱い間が美味いんだ。
 まあ、夏になったら氷で淹れるっていうのもあるがな、そいつもとびきり美味いんだがな。
「…氷で淹れても茶柱は立つの?」
「そりゃあ、運さえ良ければ立つな」
 淹れ始めてから飲むまでに時間がかかる分だけ、値打ちの高い茶柱かもな?
 なにしろ氷で淹れるには、だ。急須の上に氷を山盛り、それが自然に溶けるのを待つ。すっかり溶けたら出来上がるわけだが、いくら夏でも五分や十分で出来やしないさ、氷のはな。
「氷でやっても立つんだ、茶柱…」
 ぼくが淹れても立たないのに…。もしかして、ぼくは運が悪いの?
「なるほど、茶柱を立てたかったのか…」
 それで日本のお茶だったんだな、やっと分かった。
 どうしても立ててみたいと言うなら、早道ってヤツが無いこともない。
 ちょっとした反則技だがな。



 茶柱が立ちやすいお茶があるんだぞ、って教えて貰った。
 反則技でも、秘密の抜け道。茶柱を立てるための方法、使わないという手は無いから。
 ハーレイが「またな」って帰ってった後で、ママの所へ走って行った。
「ママ、茶柱なら雁金だって!」
 葉っぱじゃなくって茎のお茶だから、普通のお茶より立ちやすいって!
 ハーレイに教えて貰ったんだよ、茶柱を立てる反則技!
「…そんなことまで習ったの?」
「そう! だって茶柱、立ててみたいもの!」
 雁金、ある? それとも買って貰わなくちゃ駄目…?
「あるけれど…」
 ちょっぴりランクが落ちるのよ、って言ったママ。困り顔のママ。
 お客様に出すなら、今日、ぼくが淹れて駄目だった玉露、葉っぱの部分を使ったお茶。そっちの方がいいお茶なのよ、とママは教えてくれたけど。雁金よりいい、って言うけれど。
 別に雁金でかまいやしない。
 緑茶ですらない、ほうじ茶だって出してることがあるんだから。
 ほうじ茶の方が似合うお土産を、ハーレイが持って来てくれた時は。お煎餅とかを貰った時は。
 雁金にして、ってママに強請った。
 次にハーレイが来てくれた時は、急須に雁金、入れておいてね、って。



 そして、土曜日。
 朝から綺麗に晴れた青空で、ハーレイは歩いてやって来た。
 ぼくの部屋で向かい合わせに座って、ワクワクしながら用意したお茶。ママがテーブルに置いて行ってくれた急須の蓋を取って、お湯を注いで、暫く蒸らして。
 もういいかな、ってハーレイの分と、ぼくの分とを交互に淹れていった、ぼく。
 今度もやっぱり駄目だろうか、って心配してたら…。
「あっ、ゴミ!」
 失敗しちゃった、って叫んでしまった。
「ゴミ?」
 何処だ、ってハーレイが覗き込むから。
「これ!」
 お茶の中に茎が入っちゃってた。プカプカ浮いてる、お茶の茎。立ってるみたいにプッカリと。
 大失敗、って、つまみ上げようとしたら。
 道具なんかは持ってないから、ゴミが入ったお茶がぼくのでいいや、って指で拾おうとして突っ込みかけたら…。



「待て。そいつが茶柱だ」
 ゴミじゃないんだ、茶柱ってヤツはそういうモンだ。
「ホント!?」
 初めて見た、って躍り上がった、ぼく。
 茶柱がプカリと立ってる湯呑みは、それがゴミだと思い込んだ時に、ぼくのだと決めてしまっていたから、ぼくのもの。ぼくの湯呑みに立った茶柱。
 お茶は最後の一滴までキッチリ注ぎ分けてから、茶柱の湯呑みをぼくの前に置いた。ハーレイの分もきちんと渡して、それから茶柱をしみじみ眺めて。
「ハーレイ、これって縁起がいいんだよね?」
 茶柱が立ったら幸運を呼び込めるんだものね。
「まあな」
 うんと昔からそう言うんだしな、幸運の印ではあるだろうさ。
「ぼく、幸せな結婚が出来る?」
 結婚出来るに決まっているけど、ぼくが思ってるより、もっと早くに結婚式を挙げられるとか。
 ハーレイのプロポーズがとても早くて、アッと言う間に婚約だとか…。
「どうだかなあ…」
 その茶柱でだ、幸せな結婚となると難しいかもな。
「なんで?」
 ちゃんと立ったよ、これが茶柱なんでしょ?
 なのにどうして難しくなるの、幸運を呼べる茶柱なのに…!



 それって変だ、と湯呑みの中を覗いたけれど。
 茶柱がコロンと横倒しになって、立ってないのかと思ったけれども、プカリと立ってた。
 今もプカプカ立っているのに、何がどう難しいんだろう?
 分かんないや、と首を傾げていたら…。
「お前、喋っちまっただろうが」
「何を?」
「茶柱だ。ゴミと間違えて叫びはしたが、だ…」
 それが茶柱だと分かった後もだ、茶柱、茶柱と大喜びで喋っていたろうが。
 喋っちゃ駄目なんだ、茶柱の幸運を自分に呼び込むためにはな。
 そいつはコッソリ飲むもんだ、って大笑いされた。
 茶柱が立っていることは誰にも内緒で、幸運は知られない内に飲み込むもの。見付からないよう飲んでしまって、素知らぬふりをすべきもの。
 茶柱なんかは無かったですよと、そんなものは立っていませんよ、と。



「嘘…」
 茶柱ってそういうものだったの?
 ぼくの幸運、喋っちゃったから消えちゃったなんて、ホントなの…?
「本当だ」
 お前には気の毒な話なんだが、茶柱はそうして飲み込んでこそだ。
 立った、立ったと触れ回るようなものじゃないんだ、幸運は一人占めってな。
「一人占めって…。だけど、四つ葉のクローバーとかは…!」
 見付けました、って自慢するじゃない!
 鼻高々で見せて回るけど、それで幸運が消えちゃうだなんて聞かないよ!
 前のぼくは一つも見付けられずに終わったけれども、子供たちは見付けて得意だったよ?
 ヒルマンだって「黙っていなさい」って止めなかったし、みんなに知られてもいいんでしょ?
「四つ葉のクローバーはそうなんだが、だ」
 他にも色々と幸運のシンボルってヤツはあるんだが、喋っちまうと幸運が逃げるものもある。
 茶柱はそっちの方なわけだな、逃がしたくなきゃ黙っていろ、と。
 あれだけ連呼しちまったんだし、その茶柱は多分、効かんだろうなあ…。
「うー…」
 そこまで授業で言っておいてよ、茶柱の話をするんだったら!
 ぼくの茶柱、何の役にも立たないじゃない…!



 嬉しくて喋っちゃった、ぼく。茶柱が立ったと喜んだ、ぼく。
 だけど茶柱はコッソリ飲むもの、幸運を逃しちゃっただろうか、とガックリしてたら。
 効き目がすっかり消えてしまった茶柱を見ながら萎れていたら。
「いいじゃないか、これで覚えただろう?」
 茶柱が立った時には黙ってコッソリ飲むもんだ、と。他のヤツらに知られない内に。
「うん…」
 失敗したからもう忘れないよ、茶柱が立ったらどうするか。
 ちゃんと黙って飲むことにするよ、幸運が来ますように、って。
「それで良し、と。…次からはコッソリ飲んでおけ」
 俺と結婚した後にもな。幸運を逃しちゃつまらんだろうが。
「それは駄目だよ!」
 結婚した後に茶柱だったら、ハーレイと二人でお茶を飲む時に立つんでしょ?
 そんなの、コッソリ飲めないよ!
 幸運を呼べる茶柱なのに…!



 ハーレイに黙って飲み込むなんて、って言った、ぼく。
 せっかく茶柱が立ったのに、って。
 幸せになれると、幸運が来ると、茶柱が教えてくれてるのに、って。
「そうでしょ、ハーレイ? ぼくに幸せが来るんだよ?」
 ハーレイがくれる幸せに決まってるんだよ、その幸せって。
 なのにハーレイに内緒で飲むって、酷くない?
 幸せにしてくれてありがとう、って、茶柱が立ったよ、って教えたいじゃない…!
「しかしだな…。茶柱ってヤツはコッソリでないと…」
 知られないように飲み込まないとだ、幸運を逃しちまうんだが?
 俺に喋ったら逃げて行くんだぞ、お前の茶柱がくれる幸運。
「…じゃあ、回す」
「はあ?」
 鳶色の瞳が丸くなったけど、ぼくの心はもう決まってる。だから…。
「茶柱が立った湯呑みを回すよ、ハーレイの前に」
 ぼくの茶柱、ハーレイにあげるよ。こっそりとね。
 ハーレイがそれを飲んだらいいよ。ぼくに喋らずに、黙ってゴクンと。
 そしたら幸運はハーレイのものになるんでしょ?
 ぼくはいいんだ、いつもハーレイから幸せを沢山、貰っているのに決まっているから。
 茶柱の幸運はハーレイにあげるよ、それくらいしか、ぼくはあげられないから。



 湯呑みを取り替えてハーレイにあげる、って宣言したら。
 コッソリ飲み込んで幸せになって、ってニッコリ笑ったら。
「いや、お前のだとバレるぞ、それは」
 いくらコッソリ取り替えたってだ、一目でお前のだと分かるってな。
 そうなりゃ、俺はお前に返すし、お前が黙って飲んでおけ。お前の茶柱なんだから。
「…なんでバレるの?」
 ハーレイがお茶を淹れたんだったら分かるけど…。
 ぼくが淹れたら、バレるわけがないと思うんだけど。はい、って渡すだけだもの。
「結婚した後のことだろう?」
「そうだよ、二人で暮らしてるんだし」
 ぼくの湯呑みをハーレイに渡しても、誰もなんにも言わないよ?
 見てる人だっていないわけだし、黙って渡せばコッソリなんだよ、幸運は逃げて行かないよ?
 ハーレイの所に回した茶柱、どうしてぼくのだと分かるわけ?
 心が零れてバレるんだったら、その内にきっとバレなくなるよ。
 最初の間は直ぐにバレても、慣れたら「はい」っていつも通りに渡せるよ、きっと。



 サイオンの扱いが不器用なぼく。ハーレイに心が筒抜けなぼく。
 嬉しい時とか、はしゃいだ時にはホントに筒抜け、心の中身が丸見えだって聞いてるから。
 茶柱もそれでバレるんだろうと考えたけど。
 ハーレイにあげよう、って弾んだ心がポロリと零れて拾われちゃうんだ、と思ったけれど。
「そうじゃなくてだ、どんなに心をガードしたってバレるってな」
 お前と俺とじゃ湯呑みが全く違うんだから。
 お前専用の湯呑みってヤツが俺の所にやって来たなら、バレない方がおかしいだろうが。
「…どうして違う湯呑みになるの?」
 同じのでいいと思うけど…。ハーレイ、ぼくと同じの湯呑みは嫌なの?
 もしかして、お気に入りの湯呑みがあったりする?
 それは一人で使いたいから、ぼくには別のを使えって?
 …それなら仕方ないけれど……。



 同じ湯呑みが良かったな、って俯いた。
 今度は結婚出来るのに。ハーレイと一緒に暮らしてゆけるのに、違う湯呑みになるなんて。
 お揃いの湯呑みを使いたいのに、まるで別のになるなんて…。
 シュンとしちゃった、ぼくだけれども。
「…お前、勘違いをしてないか?」
 その顔だとどうやらそうみたいだな、ってハーレイの手が伸びて来た。
 ぼくの頭をクシャクシャと撫でて、「知らないのか?」ってポンと軽く叩いたから。
「…知らないって、何を?」
 茶柱、他にも何か意味があった?
 コッソリ飲まなきゃいけないっていうだけじゃなくて、もっと何かあるの?
「茶柱が立つ湯呑みの方さ。そいつをお前は知らんようだな」
「湯呑みくらいは知ってるよ。…ハーレイのと同じのは駄目だってことも」
 ぼくは同じのが良かったけれど…。お揃いになるんだと思っていたけど…。
「それがお前の勘違いってヤツだ。揃いの湯呑みだが、同じじゃないんだ」
 夫婦湯呑みと言ってだな…。名前そのままだ、二つ一組で夫婦用に作ってあるわけだ。
 ただし全く同じじゃない。大きさが違うとか、色が違うとか…。
 何処かで区別が出来る仕組みだ、どっちが誰の湯呑みか、ってな。
 そういう湯呑みを買おうと思っていたんだが…。
 嫌か、お前は夫婦湯呑みは?



「…夫婦湯呑み…」
 知らなかった、って目をパチクリとさせた、ぼく。
 お揃いだけれど、まるでそっくりじゃない湯呑みだなんて。
 ハーレイとぼくと、二人分でセットで、だけど何処かが似ていない湯呑み。大きさが違ったり、色が違ったり、自分専用のを選べるけれども、ちゃんとお揃いになってるだなんて…。
「ん? 嫌なのか、夫婦湯呑みってヤツは?」
 お揃いが好きなお前だからなあ、そういったものも好きじゃないかと思ってたんだが。
「それ、欲しい!」
 欲しいよ、ハーレイの分とセットの湯呑み!
 見た目がそっくり同じでなくても、二つセットの湯呑みだったら欲しいってば!
「ほらな、お前は欲しがるわけで、だ…」
 そうなるとお前の湯呑みが俺の所に来たら一目でバレるってな。
 これはお前の湯呑みじゃないかと、この茶柱はお前のだろう、と。
 当然、俺は送り返すぞ、本物の持ち主の所へな。幸運の茶柱、立っているぞと言わずにな。
「…そっか…」
 ハーレイに幸せをあげたくっても、湯呑みでバレてしまうんだ?
 ぼくの所に立った茶柱だったってこと。
 それじゃハーレイにはあげられないよね、あげても戻って来ちゃうんだものね…。



 夫婦湯呑みは欲しいけど。ハーレイのと、ぼくのと、セットの湯呑みは欲しいけど。
 専用の湯呑みを使っていたんじゃ、ハーレイに茶柱を譲れない。
 幸運を呼び込む茶柱を譲ってあげられない。
 ぼくはハーレイから貰ってばかりで、幸せを贈られるばっかりで…。
 せめてお返しに茶柱くらい、って思ったけれども、あげられない。
 夫婦湯呑みでバレるから。ぼくの湯呑みに立った茶柱だと、ハーレイにバレてしまうから。
(ぼくばかり幸せを貰いっぱなし…)
 それもなんだか申し訳ないし、ハーレイにだってお返しをしたい。
 たまには同じ湯呑みにしようか、ハーレイのと、ぼくの。
 お客様用の湯呑みとかなら、同じのが幾つもある筈だから。そういう湯呑みで、たまにはお茶。
 上手く茶柱が立ってくれたら、それをハーレイに渡せばいい。
 それなら絶対バレないよね、って言ったんだけど。
 ハーレイ、飲んでくれるよね、って譲るつもりで言ったんだけれど。



「ふうむ…。お前の気持ちは嬉しいが、だ」
 そんな時に限って、茶柱は立ってくれないってな。
「…やっぱりそう?」
 ハーレイもそんな気がしちゃう?
 ぼくが頑張っても、夫婦湯呑みを使わずにお茶を淹れても駄目だ、って…?
「まあなあ、狙って立てられるものじゃないからな、あれは」
 あくまで運だし、俺に譲ろうと努力するだけ無駄ってもんだ。
 それにだ、俺はお前に贈ってばかりというわけじゃないぞ、幸せってヤツを。
 お前からもちゃんと貰っているのさ、お前に自覚が無いってだけだ。
 今だって貰い続けているんだ、こうして話していられるだけでな。
 お前は帰って来てくれただろう? 俺の所へ、前のお前と同じ姿で。
 …ちょっぴり小さくなっちまったが、いずれは育って見分けがつかなくなるんだし…。
 そんなお前を嫁に貰える俺は幸せ者なんだ。
 お前から茶柱を貰うどころか、俺の方から「どうぞ」と譲ってやらんとな。
 今度こそお前を守ると決めたし、幸せだってうんと沢山、お前にやろうと決めているしな。



 だから茶柱はお前のものだ、ってハーレイは言ってくれたけど。
 立った時には全部お前が飲むといい、って笑っているけど、その茶柱。
 やろうと思って立てられるものじゃないみたいだから、運の問題だから、難しそう。
 だけど、今度のぼくたちだから。
 四つ葉のクローバーをいくら探しても見付けられなかった、前のぼくたちとは違うから。
「…ハーレイ、茶柱、また立つよね?」
 結婚した後でもきっと立つよね、譲り合いが何度も出来るくらいに。
「うむ、現に一回目で見事に立ったんだからな」
 正確に言えば二回目なんだが、雁金に変えたら一度で立ったくらいだし…。
 お前の運も大したものだな、今度はな?
 四つ葉のクローバーが見付からなかった前のお前とは違うってな。



 幸せになれるに決まっているさ、って片目を瞑ってみせたハーレイ。
 俺が幸せにしてやるからって、茶柱も全部一人占めして幸せになれ、って。
「いいか、コッソリ飲むんだぞ? 今日みたいに失敗しないでな」
「そっちの方も頑張るけれど…。ハーレイに茶柱を譲る方でも頑張るよ」
 バレないように譲る方法、って、ぼくも片目を瞑っておいた。
 幸せを分けてあげたいから。ハーレイにも幸運を沢山掴んで欲しいから。
 茶柱の幸運、今日は失敗して逃したけれども、もう次からは逃さない。
 ハーレイと二人、コッソリ譲って、譲り合ってはコッソリ飲んで。
 飲み込んで幸運を呼び込まなくっちゃ、幾つも、幾つも、うんと沢山。
 ハーレイもぼくも、今度こそ幸せになるんだから。
 幸運の茶柱が湯呑みにプッカリ浮かぶ地球。青い地球の上で、二人で夫婦湯呑みを買って…。




           幸運の茶柱・了

※茶柱が立つと縁起がいい、とハーレイの授業で聞いて、頑張ったブルー。
 幸運の茶柱を一人占めするより、ハーレイに譲りたい未来。二人で夫婦湯呑みを買って。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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