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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

最初の医師

(んーと…)
 金曜日の夜、眠る前にサポーターを着けようとしていたブルー。
 今夜は少し冷えそうだからと、メギドの悪夢を見てしまってはたまらないから、と。ハーレイがくれたサポーター。医療用の薄いサポーター。
 秋の初めに夜中の冷え込みで毎晩のようにメギドの夢を見た。右の手が冷えて冷たくなるから。前の生の最後にハーレイの温もりを失くしてしまって、凍えた記憶が蘇るから。
 それを防ぐための助けになれば…、とハーレイがサポーターを贈ってくれた。右手用に、と。
 自分がブルーの右手を握る時の力加減を再現したと、そのように作って貰ったと。
 着ければハーレイに右手を握られているような感覚になれるサポーター。初めて着けて眠った夜には、メギドの夢にハーレイが現れたほどに。
 幻のハーレイだったけれども、凍えた右手にそっと移してくれた温もり。ハーレイの幻が消えた後にも温もりは残って、悲しくなかった。独りぼっちではないと、もう一人ではないのだと。
 そういう夢を見せてくれたり、悪夢そのものを防いでくれたり。
 なんとも頼もしいサポーターではあったけれども、不意に浮かんで来た疑問。



(ハーレイ、何処で買ったんだろう?)
 激しいスポーツも遊びもしないから、サポーターなどのお世話になったことは無かった。
 生まれつき身体が弱いものだから、馴染みの医師はいるけれど。何度となく近所の病院へ通ったけれども、そこでは多分、こういったものは作らない。
 風邪を引いたの、腹痛だのと、そういった患者を対象に診ている町の医師。ブルーが知っている医師はそういう医師。
(あの病院には怪我をした人は行かないし…)
 当然、医療用のサポーターを貰って帰る患者もいない。だから分からない、サポーターの出処。ハーレイが何処で作って来たのか、何処で注文したのかが。
(…やっぱり怪我のお医者さんだよね?)
 骨折だとか、捻挫だとか。ブルーには縁の無い世界。せいぜい擦り傷、切り傷くらい。わざわざ病院に出向かなくても、家で手当てが出来る怪我しかしたことが無い。
 しかし、ハーレイはスポーツをする。水泳はそうでもないだろうけれど、柔道は身体をぶつけるスポーツだから。投げたり、投げられたりする武道だから、怪我も付き物なのかもしれない。
 もしかしたら、ハーレイも怪我をしたことがあるのだろうか?
 そのせいで馴染みの医師がいるのだろうか、怪我を専門に扱う医師が?



(…骨折しちゃったこともあるとか…?)
 そうした話は一度も聞いてはいないけれども、あったかもしれない。
 今のハーレイの人生では骨折や捻挫の一つや二つや、あるいは日常茶飯事くらいに。
(身体が丈夫でも怪我はするよね?)
 運が悪ければ、自分の技が拙いものであったりすれば。
 プロの選手にならないか、と声がかかったほどの腕であっても、始めた頃には初心者だから。
(…やっぱり、怪我して知り合っちゃった?)
 このサポーターを作ってくれた医師と、捻挫や骨折を切っ掛けにして。
(前のハーレイは骨折も捻挫もしなかったけれど…)
 キャプテンはブリッジで指揮を執るだけだし、キャプテンになる前は厨房にいたし、そういった怪我とは無縁の立場。今のハーレイは違うのだろうか、何度も怪我をしたのだろうか?
(切り傷くらいは前のハーレイもやってたけれど…)
 骨折は無かった。捻挫だって、多分。
 今のハーレイならではの経験かも、と気になってきたから、メモに書き付けた。
 「サポーターとお医者さん」と。
 明日は土曜日だから、訊いてみようと。
 ハーレイが来たら、何処でサポーターを作ったのかと。



 勉強机の上にメモを置いて、一晩ぐっすり深く眠って。朝、目を覚ますと例のメモ。
(訊かなくっちゃ…!)
 ハーレイの武勇伝のオマケもついて来そうな素敵な質問だから。
 朝食を済ませて部屋の掃除もして、待ち受けていたらチャイムの音。門扉の所に立つハーレイに大きく手を振り、部屋まで上がって来てくれるのを待った。
 母がテーブルにお茶とお菓子を置いて去るなり、早速、質問。あのサポーターも持って来て。
「ハーレイ、このサポーターなんだけど…」
 切り出す前にハーレイが「効かなかったか?」と心配そうな瞳になった。昨夜はメギドの悪夢が来たかと、サポーターは役に立たなかったか、と。
「ううん、昨日は夢は見てないんだけど…。夢とは全く関係ないんだけれど…」
 このサポーターは何処で作って貰ったの、と尋ねてみた。医療用だから病院なのかと、何処かの病院で頼んだのか、と。
「そりゃあ、まあ…。いわゆる病院って所だが?」
 薬局とかでも売ってはいるがな、力加減の調整をするなら病院に出掛けて作らないとな?
 俺の握力とかを測ってもらって、それに合わせて。



「病院って…。ハーレイ、怪我をしたの?」
 予想通りの答えだったから、そう問い返せば。
「何故だ? なんだって俺が怪我になるんだ」
「病院だから…」
 その病院、怪我のお医者さんでしょ?
 お腹が痛いとか、風邪を引いたとか、そういう時に行く病院じゃなくて。
「ははっ、そうか! そういう理屈で怪我になったか、なるほどな」
 こいつを作った病院の世話にはなっていないな、と笑ったハーレイ。
 大きくなってからは怪我をしていないと、ガキの頃なら隣町の病院に行っていた、と。
「その怪我って…。骨折もした?」
「そこまではやらんさ、せいぜい捻挫といったトコだな」
 慣れてない間は捻っちまうもんだ、ちょっとしたはずみに手首とか、足。
 放っておいたら癖になるから、早めにきちんと治さないとな。大したことはないと甘く見ないで医者に駆け込む、それが頑丈な身体作りに繋がるんだ。



 故障しやすい身体になってしまわないよう、早めの処置。それが大切だ、と話すハーレイ。
 このサポーターを作った病院もお蔭で馴染みだと、何回となく駆け込んだのだ、と。
「俺の教え子どもの御用達なのさ、この病院はな」
 大したことはありません、と言ってやがっても、俺もプロだし見りゃ分かる。医者に診せる方がいいか、保健室の湿布で済ませておくか。
「そういうものなの?」
 見ただけで分かるの、自分の身体のことじゃないのに?
「慣れていればな。こう動かしたら痛むか平気か、どんな具合に痛むのか、って訊いてやるんだ」
 こいつは駄目だ、と判断したなら、俺の車で病院行きだ。
 俺も学校を幾つも変わっているしな、学校から遠けりゃ別の病院に行くが、近けりゃ其処だな。
 名医なんだぞ、と教えられた。
 この手の怪我にはとても強いと、頼れる医師だと。
 まだハーレイが隣町に住んでいた頃に世話になった医師の友人なのだ、と。



「ふうん…。お医者さん同士で友達なんだね、それも腕のいいお医者さん同士」
 そういえば、ハーレイの従兄弟にもいたんだっけね、お医者さん。
「ああ。怪我を診る医者ではないんだけどな」
「うん、知ってる。ぼくの聖痕を診てくれたお医者さんだし…」
 怪我が専門ってわけじゃないよね、目や身体から血が出ていたって、怪我じゃないから。痛みは確かにあったけれども、怪我したり事故に遭ったわけではなかったものね。
「…お前だから教えてやるけどな。あいつの夢はな、ノルディなんだ」
 ドクター・ノルディだ、シャングリラのな。
「…ノルディ? なんでノルディが出て来るわけ?」
「ノルディだぞ? あいつ、病人も怪我人も診ていただろうが、一人でな」
 もちろん医療スタッフはいたが、ノルディが最高責任者で何でもこなしていただろう?
 あんな風に何でも診られる医者さ。そういった医者になるのが夢なんだそうだ。



 いずれは町の病院へ、と思っているらしいハーレイの従兄弟。
 大病院で専門の診療科に居るより、何でも診られる町の病院の医師になりたい、と。
「病気から怪我まで扱いたいらしい、手広くな」
 それで儲けようってわけじゃなくって、頼りにされる医者になりたいらしいぞ。怪我も病気も、あの先生なら治してくれると、安心して全部任せられる、と言われる医者にな。
「それでノルディが目標なんだね、ノルディは何でも出来たから」
 怪我の手術も、病気の手術も。どんな薬を飲ませたらいいか、塗ったらいいかも分かってたし。
「そういうこった。実に頼れる医者だったよな、あいつ」
 たまに訊かれてしまうんだよなあ、従兄弟にな。どうすればノルディみたいになれるのかと。
「そっか、ハーレイの記憶…」
 前のハーレイの記憶が戻ったってことも、あのお医者さんは知ってるものね。
「うむ。あれ以来、何度も訊かれるんだが…。コツは無いのかと、何か無いかと」
 そうは言われても困っちまうんだ、俺としてもな。ノルディのことは覚えちゃいるが、だ…。
「習うより慣れよ、って感じだったしね、ノルディの場合は」
 ぶっつけ本番、どんな怪我でも病気の人でも、これが最初のケースです、っていうのが必ず…。
 最初は必死でなんとかこなして、だんだん慣れたっていうだけだものね。
「俺もそう言うよりなくってなあ…。要は慣れだと、沢山こなせと」
 なにしろノルディには学ぶ師匠もいなかったしな?
「あえて言うならデータベースだよね、ノルディの先生」
 船のデータベースから情報を貰って、やり方を覚えていっただけだもんね…。



 アルタミラから脱出して間もない頃のシャングリラ。
 薬も色々と載ってはいた。怪我の薬も、病気の時に使う薬も。
 最初の間は、各自が勝手に症状に応じて持ち出しては使っていたけれど。服用したり、塗ったり貼ったり。けれど…。
「シャングリラって名前がついた頃にはあいつがいたな」
 薬と言ったらノルディなんだ、っていう具合にな。
「うん。ノルディに頼めば必要な薬が届く、って。ちょっとした怪我の手当てなんかも」
 包帯を巻くとか、他にも色々…、とブルーはコクリと頷いた。
 あの頃、食料や備品の管理はハーレイがやっていたのだけれど。前のブルーが奪って来た物資を仕分けして倉庫に入れたのだけれど。
 「見当たらないものがあるならハーレイに訊け」と言われたほどの管理人だったハーレイの所へ薬を取りに来る者がいた。何かと言えば、薬を倉庫から出して貰いに。



「病気なんだと思ったんだよな、最初はな」
 見かけの割に身体が酷く弱いらしいと、また何か病気をやらかしたな、と。
「そりゃあ、思うよ。いろんな薬を持って行くんじゃあ…」
 同じ薬なら分かるけれども、効能が違う薬を色々。
 頭痛が治ったら腹痛なのかと、それが治ったら今度は熱が出ちゃったのか、と。
「あいつ、医者向きだったんだよなあ…。面倒見はいいし、几帳面だし」
 具合が悪いと聞かされたら黙っちゃいられなかったようだな、どんな感じかを律儀に訊いて。
 それから薬を貰いに来るんだ、そいつにピッタリ合いそうなヤツを。
 でもって飲ませて、様子を見て。追加で貰うか、もうやめていいか、そんなトコまであれこれと面倒を見たりしてな。
 俺に言わせりゃ、自分の面倒は自分で見ろってモンだったが。
 まだ治らないか、もう治りそうか、それくらいは自分で判断しろと。薬だって他人に頼まないで自分で取りに来いとな。



 倉庫の管理人でもあったハーレイにしてみれば、なんとも不思議だったノルディの行動。
 自分用に薬を貰っているのではない、と気付いた後には余計に謎だと思ったものだが、それでもノルディはせっせと薬を取りに来た。飲み薬や塗り薬、様々な病気や怪我の薬を。
 成人検査で誰もが記憶をすっかり失くしていたけれど。成人検査の前の記憶は無かったけれど。
 そうした中で、病人が出たと聞けば駆け付けるのがノルディだった。怪我人でも同じ。それから薬を貰いに出掛ける。ハーレイが管理していた倉庫へ。
 自分でも何故そうするのか分からないが、とノルディ自身にも掴めはしなかった理由。
 病人や怪我人を放っておけずに、世話をせずにはいられなかったノルディ。
 元々、志していたのだろうか。医師になる道を。
 成人検査でミュウと判断され、記憶を失ってしまう前には、医師を目指していたのだろうか。
 ノルディは何度も薬を取りに来た末に、薬の注文もつけるようになった。
 データベースで情報を調べていたのだろう。
 こういう薬は手に入らないかと、これがあればもっと便利なのだが、と。



「薬を注文されちゃったから…」
 あれとこれと、って幾つも希望を出されちゃったから…。
「お前、山ほど盗って来たよな、薬も、ついでに医療器具も。
「うん。そういう荷物を載せた輸送船を狙って飛んで行ってね」
 食料とかを積んでる船とはまた違うから…。載せている船を探して貰って行って来たよ。これで足りればいいんだけれど、ってコンテナを幾つも持って帰って。
「お前、派手にやらかしてくれたからなあ、シャングリラで病院が開けるほどにな」
 医療用のベッドまで奪って来やがって…、と苦笑するハーレイ。
 その大量の薬や医療器具の類を嬉々として整理したのがノルディだった。
 どうせやるなら、と専用の部屋を一つ貰って、医療用のベッドを設置したのが後のメディカル・ルームの始まり。ノルディはその部屋の責任者となった。



「あいつ、水を得た魚とでも言うか…。めきめきと腕を上げやがって」
 気が付きゃ注射も手慣れたモンで、血液検査だってこなすようになっていやがったし…。
「ハーレイがキャプテンになるよりも先に、ノルディはドクターだったよね?」
 誰が呼び始めたのかは覚えてないけど、お医者さんだからドクターだ、って。病気になったら、ノルディの所。怪我をしたって、ノルディの所。
「うむ。俺よりも先に確固とした地位を築いていたなあ、俺は所詮は厨房だしな?」
 倉庫の管理を任されちゃいても、ただの厨房の責任者ってヤツだ。ドクターはノルディだけしかいないが、厨房だったら、そこそこ料理が上手けりゃなあ…?
「だけどハーレイ、ちゃんとキャプテンになったじゃない」
 元は厨房に居たけれど…。「フライパンも船も似たようなものさ」ってキャプテンになったよ、どっちも焦がしちゃ駄目なんだ、って。
「まあな。そして長老って呼ばれる面子にも入ってしまったわけだが…」
 ノルディは長老にはならなかったんだ、人数制限があったわけでもないのにな。
「資格は充分、あったのにね」
 船の中で誰も代わりになれる人がいない立場で、自分の意見もちゃんと言えたし…。
「そうなんだがなあ…」
 本人が嫌だと言っているのを、どうすることも出来んしな?
 あいつが長老になっていたなら、長老会議のテーブルに席が一つ余計にあったんだが。



 長老になってくれないか、と声を掛けられたノルディは即座に断った。
 のんびり会議に出ている間に急患が出たらどうするのか、と。
 ブラウは「医療スタッフに任せりゃいいじゃないか」と言ったものだし、ヒルマンも「そういう時には会議を抜けてくれれば…」と提案したのに、ノルディは首を縦には振らなかった。
 自分の居場所はメディカル・ルームで、決して会議室ではないと。会議に行くためだけに白衣を脱げはしないと、医者にはそんな暇などは無いと。



「あいつ、見た目もけっこう若かったからな、偉いと知らない仲間もいたよな」
 アルテメシアに来てから救出したヤツら、大人になってもきっと気付いちゃいなかったぞ。
 実は発言権は大きいと、ノルディがこうだと決めたら誰も文句は言えない、ってこと。
「ドクター・ストップだけだったものね、ノルディが決めたら長老でも反対出来ないのは」
 お医者さんが言うのなら守らなくっちゃいけないし…。
 そんなものだと思ってたろうね、後から船に来た仲間たちはね。お医者さんだから、って。
「まったくだ。…本当の所は長老のなり損ないだっただけなのにな?」
 一つ間違えたら、あいつも長老だったんだがなあ、ゼルたちと揃いの制服を貰って。
「しかも断った方だったんだよ、なり損なったって言ってもね」
 誰かが反対してなれなかったってわけじゃなくって、自分で嫌だと断っちゃって。
「なりたいってヤツはいただろうになあ…」
 シャングリラの最高機関だったしな、長老会議。
 もしも自分が長老だったらあれもやりたい、これもやりたいってヤツはいた筈だぞ、きっと。
 欲が無いと言うか、とことん職務に忠実だったと言うべきか…。
 長老になってりゃ、自分の意見も希望も言えただろうにな、メディカル・ルームの設備をもっと充実させたいとかな。



「でも、そのお蔭で長生きしたよね、ノルディはね」
 長老にならなかったお蔭で。
「そうだな、あいつは地球には降りなかったしな」
 人類との会談の席に医者は要らんし、キャプテンの俺も連れて行こうとは思わなかったし…。
 長旅だったら医者も要るだろうが、ほんの一日か二日、留守にするっていうだけだしな。それに医者なら人類の方にだって居るだろうが。
「それはそうだね、えーっと、ユグドラシルだっけ?」
 リボーンの人たちが常駐している施設だったらお医者さんもいるし、きっと設備だって…。
 ハーレイの判断は正しかった筈だよ、ノルディは船に残しておこう、って。
 長老だったら、みんな会談に参加しないと全く話にならないけどね。



 自ら長老になるのを断ったがゆえに、地球に降りずに残ったノルディ。
 グランド・マザーが破壊されて地球が燃え上がった後、シャングリラからは何基ものシャトルが地球へと向かった。逃げ遅れた人類を救うために。
 シャトルに拾われ、命からがら逃げ延びて白いシャングリラに来た人類たち。彼らの多くは傷を負っていて、重症の者も少なくなかった。
 ノルディは彼らを全て手当てし、必要な者には手術もした。人類の船に戻れるレベルに回復するまで治療を続けて、無事に仲間たちの許へと返した。
 ミュウの船でこれだけのことが出来るのか、と人類の医師たちに驚かれたノルディ。
 閉ざされた船の中でしか生きられなかったミュウだというのに、高度な技術を持っていたと。
 そしてノルディは伝説となった。
 病人から怪我人まで何でも診られた凄い医者がいたと、それも独学の医者だったと。



「ノルディだったら、このサポーターも…」
 作れてたのかな、作ってくれって頼みさえすれば。
「そりゃ、作るさ。必要とあらば何でも工夫して技術を編み出していたんだからな」
 ついでに、お前がメギドから戻れさえしていたら…。
 瀕死の重傷を負ってはいてもだ、シャングリラに戻ることさえ出来れば…。
「助かったのかな、あの傷でも?」
 何発も撃たれてしまってた上に、ぼくの体力も殆ど残っていなかったのに…。
「ノルディならきっと治していたさ。何としてもな」
 船中のヤツらから血をかき集めて、輸血をして。その一方で緊急手術だ、飲まず食わずで立ったままでな。あいつならやった筈だと思う。そして必ず成功させたと。
 もちろん右目も元通りだ、と自信たっぷりに語るハーレイ。
 眼球の移植再生手術はシャングリラでは例の無いものだったけれど、ノルディならば、と。
 データベースから引き出した情報を頼りにやったであろうと、赤い瞳も視力も元の通りに。
 残念ながらそうはならなかったがと、そうしようにも肝心の患者が戻って来ないのでは、と。



「ねえ、ハーレイ。もしも、前のぼくを助けていたら、ノルディの伝説…」
 増えてたのかな、今よりももっと?
「間違いなく増えたな、死神の手から一人取り戻したってことになるんだからな」
 それもソルジャー・ブルーをだ。
 ミュウの最初の長の命を救っていたなら、それでお前が地球まで辿り着いたなら。
 キースはそれこそ腰を抜かすし、ミュウの医療技術の凄さを心底思い知らされただろうさ、船の中だけで何もかも出来るヤツらだと。
 …ただなあ、そのシナリオだと、その後の地球がどうなったやら…。
 燃え上がらないで死の星のままで、ノルディの出番は全く無くて。伝説どころかミュウの医者というだけで終わったかもなあ、腕前も独学で仕入れた知識も披露できずに一生を終えて。
「…そっか、そうなっちゃうってこともあるよね」
 前のぼくが生きて地球まで行ったら、いろんなことが変わっただろうし…。
 今でも地球は青い星にはなっていないかもね、あんな荒療治は出来ないままで。
 少しずつテラフォーミングをするにしたって、これほど劇的には回復しなかったかもね…。



「そういうことだな、ノルディの伝説も出来ないままでな」
 お前、知っているか?
 ノルディの写真な、医者たちが大勢集まるようなデカイ建物には必ず飾ってあるらしいぞ。
 写真の代わりにレリーフだとか、そういったこともあるらしい。
「ホント?」
 ノルディの写真って、お医者さんにとっては大事なものなの?
「ああ。ミュウの最初の医者だからな」
 伝説の医者っていうのもそうだが、ミュウと人類では違う部分もあるからなあ…。外見はまるで変わりはしないが、サイオンを持っている分だけな。
「そうだったんだ…。ノルディ、神様みたいなもの?」
「それに近いな。ああなりたいと、あんな医者になろうと志すヤツも多いってわけだ」
 例えば、俺の従兄弟みたいに。
 目標はドクター・ノルディなんだ、という医者は少なくないらしい。何でもやろうと、どういう患者が運び込まれても適切な治療が出来るだけの腕を身に付けようと頑張る医者だな。
 それから、ノルディは凄い大発明をしている。ミュウの最初の医者ならではの…な。
「…どんな発明?」
 前のぼくはなんにも聞いていないよ、ノルディの凄い発明だなんて。
「だろうな、シャングリラではごく当たり前のことだったしな」
 アレだ、サイオンで病室を遮蔽するヤツだ。病人の苦痛が外に漏れたら仲間に伝染するからな。思念波があるから、簡単に同調しちまうし…。
 もっとも、その素晴らしい発明なんだが。
 ナスカでトォニィが生まれた時にはシールドの強度を読み誤ってな、凄い騒ぎになったってな。この俺どころか、ゼルまでが出産の痛みってヤツを体験しちまったんだぞ、男なのにな?
「それ、歴史の本で前に読んだことがあるよ」
 どんなのだったの、ねえ、ハーレイ?
 子供を産んだって実感できた?
「馬鹿! 俺はひたすら痛かっただけだ、子供なんか産んでないのにな!」
 生んだんだな、って充足感は確かにあったが、所詮は男だ。未知の感覚で、かつ痛いだけだ!



 今では常識の病室のシールド。
 病院によっては待合室で簡易シールドの器機を貸し出したりもする。診察待ちをしている患者の苦痛が伝わらないよう、熱が高くて泣きじゃくっている子供などに。
 もちろん急患は最優先で診察だけれど、そういう病人が重なってしまうこともあるから。
 そのシステムを最初に考え出して使ったドクター・ノルディ。
 サイオンを持った患者はただ病室に入れるだけではなくて、苦痛の思念を漏らさないように工夫すべきだと気付いたノルディ。
 ミュウだったからこそ出来た発見、研究熱心だったからこそ開発させて設けたシールド。
 シャングリラでは普通のことだったけれど、その外側に居た人類にとっては驚きであって、次の世代を担ったミュウたちからすれば偉大な発明。
 病人が出たならこうするのだと、病室を作ったらシールドを必ず設置しなくてはならないと。



 伝説と功績を残したノルディ。
 本来だったら長老と呼ばれる立場の所を、生涯、一人の医師として生きたドクター・ノルディ。
 その写真は今もあるというから、医師が集う建物には写真やレリーフがあるというから。
 小さなブルーは首を傾げてこう呟いた。
「…ノルディも何処かにいるのかな?」
 ぼくたちみたいに生まれ変わって、地球か何処かの星にいるかな…?
「いるかもなあ…」
 あの顔は会ったら一目で分かるが、ガキの頃だとどうなんだか…。
 お前みたいなチビのノルディだったら、分からないかもしれないな。
 しかしだ、きっとあいつは医者だぞ。でなければ医者を目指すガキだな、そんな気がする。



 生まれ変わっても、あのノルディならば。
 成人検査で記憶を奪われてもなお、シャングリラで薬の手配をしていたノルディならば。
 相も変わらず医者なのだろう、とハーレイとブルーは頷き合った。
 もしもノルディが何処かにいるなら、きっと医者だと。でなければ医者の卵か、医者を目指して勉強に励んでいる子供。
 そういうノルディがいるに違いないと、生まれ変わっているならば、と。
「会ってみたいね、そういうノルディ」
 何処かにいるなら、会ってみたいと思わない?
「…患者としてか?」
 お前、注射をして欲しいのか、ノルディに会って?
 注射は嫌いだと聞いた筈だと思うんだが…。ノルディの注射は別物なのか?
「それは嫌だよ!」
 ぼくが注射は大嫌いだってこと、ハーレイだって知ってるくせに!
 アルタミラで懲りて嫌いなんだよ、前のぼくの記憶が戻る前から大嫌いだよ!
 いくらノルディと何処かで出会えて、お医者さんと患者だったとしても。
 ぼくは注射は断固拒否するし、ハーレイと結婚した後だったら、ハーレイ、約束したじゃない!
 「こいつは注射が嫌いなんです」って、「注射は無しでお願いします」って頼んでやるって!
「…俺の近所の医者ってヤツはだ、問答無用で打つタイプだとも言った筈だが?」
「ノルディは違うかもしれないじゃない!」
「いいや、違うな。あいつも問答無用でブスリとやってたタイプだからな」
 前のお前の腕にブスリと、「これで治ります」と注射を一発。
 だからだ、何処かで出会って患者だったら諦めろ。これは注射だと、注射をされると。
「酷い…!」
 今度のノルディも注射をするわけ、このぼくに?
 注射は嫌いだって言っているのに、ハーレイも横で「苦手なんです」って言ってくれるのに…!



 ノルディと出会ったらまた注射なのか、と顔を顰めたブルーだけれど。
 注射は勘弁願いたいけども、懐かしいドクター・ノルディの名前。
 白いシャングリラに居た、一番最初のミュウの医者。
 シャングリラがまだ白い鯨にならない頃から、ドクターと呼ばれていたノルディ。
 注射も含めて何度もお世話になったけれども、御礼を言えなかったから。
 メギドに飛ぶ前、十五年ぶりに目覚めた時の治療と、眠り続けていた間にしてくれただろう医療チェックや色々なことの御礼を言いそびれたままで終わったから。
 言えないままで前の自分の命は終わってしまったから…。



(ねえ、ノルディ…。ぼくは地球の上で幸せだよ?)
 ちゃんと元気にしているから、とブルーは窓の向こうの空を仰いだ。
 晴れ渡った秋の高い空。青い地球の色を反射させたような、何処までも澄んだ青い空。
 この空の彼方、今も何処かにドクター・ノルディがいるのなら。
 今も医者として生きているなら、今も患者を診ているのなら。
(大丈夫だよ、ノルディ。…今度こそ本当に大丈夫)
 無茶をするソルジャーはもういないからと、「大丈夫」と嘘をつきはしないからと。
 今度はハーレイの言うことを聞いて、きちんと病院へも行くと。
 問答無用で注射を打たれるのは嫌だけれども、それで病気が治るのならば。
 効くのだったら、我慢する。
 ハーレイに心配をかけるよりかは、早めに病気を治したいから。
 だから今度こそ大丈夫。ハーレイと二人、何処までも幸せに青い地球で生きてゆくのだから…。




              最初の医師・了

※今の時代は、お医者さんたちの目標になっているドクター・ノルディ。偉大な医師として。
 シャングリラでも、実は長老格だったらしいです。意外な一面があるものですね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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