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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

愛情のお茶

「ママ、おやつ!」
「そこにあるでしょ?」
 学校から帰って、着替えをして。
 ダイニングに下りて行ったら、そう答えたママ。テーブルの上に置いてあるケーキ。お皿の上に一人分だけ、ママは一緒に食べないみたい。
「ママはご近所まで出掛けて来るから、紅茶は自分で淹れて飲んでね」
「うんっ!」
 行ってらっしゃい、って手を振った。どうやら用事は焼いたケーキのお裾分け。そういう感じの紙箱を持って出掛けたから。
(何処の家かな?)
 お隣さんかな、それとも向かい?
 ママがケーキを持って行く先はとても沢山、何処の家でもお待ちかね。持って行ったら、其処でお喋り。お茶を御馳走になることも多いから、大抵はぼくが学校に行ってる間に済ませてる。
(今日は通信が入っていたんだよ、きっと)
 お祖母ちゃんとかから。お喋りに夢中になってしまって、お裾分けに行くのが遅れたんだ。遠い地域に住んでるお祖母ちゃん、見た目の年はママとあんまり変わらないけど、お祖母ちゃん。
 ぼくの話もしてたのかな、って考えながらキッチンに行った。飲み物を作りに。



 いつもはママが立ってるキッチンにぼくが一人だけ。
 ママは「ミルクでもいいわよ」って言って出掛けたけれども、どうしよう?
 シロエ風のホットミルクも捨て難い。今日のケーキには合いそうな感じ。マヌカの蜂蜜を多めに入れて、シナモンを振って。
 ミルクパンを手に取ろうとしたけど、ハタと気付いた。
 温めすぎると一気に沸騰しちゃう牛乳。ブワーッと泡が立ってしまって、ミルクパンから溢れて零れる。ママは上手に温めるけれど、ぼくがやったら…。
(早めに止めすぎて温くなっちゃうか、ブワーッと吹きこぼれてしまうか、どっちか…)
 調理実習では習ってないから、自信も無ければコツも知らない。失敗した数が多いだけ。
(ブワッと噴いたら、もう遅いんだよ…)
 ミルクパンは吹きこぼれがついて失敗したのがママにバレるし、キッチンだって汚れちゃう。
 ママは優しいから「あらあらあら…」って眺めるだけで、ぼくを叱りはしないけど…。
(ぼくの自信がまた減っちゃうしね?)
 ホットミルクは失敗するんだ、って変な勲章が増えちゃって。
 それは困るから、紅茶にしよう。お湯を沸かすならケトルにお任せ、牛乳みたいに大変なことになってしまいはしないから。



(えーっと…)
 ケトルに水をたっぷりと入れて、沸かす間にポットを用意した。
 ママもお気に入りの使いやすいポット、お客様用のポットと違って普段用。シンプルな白。
 蓋を開けて紅茶の葉っぱを入れた。このくらいかな、ってスプーンで計って、一人分。
 ミルクと違って目を離してても溢れたりしないし、安心のケトル。沸いたらピーッて音も鳴る。お湯が沸いたら、湯気の力でピーッって音が。
 ポットの用意が出来ても、ピーッと鳴らないケトル。沸いてないお湯。まだ沸かないお湯。
(前のぼくの頃と同じ…)
 ケトルでお湯を沸かすのにかかる時間は、前のぼくが生きてた時代と同じ。
 長い長い時が流れたけれども、死の星だった地球が青くなるほどの時間が経ったけれども。今の時代もお湯を沸かすのにかかる時間は変わらない。
 ちょっぴりシステムは変わっているかもしれないけれど。熱源の仕組みは違うかもだけど。
(でも…)
 ケトルを乗っけてお湯を沸かす間、待つのは同じ。入れたお湯の分だけ、時間がかかる。沢山のお湯なら、時間も沢山。水がブクブクと沸騰するまで待たされる。
 それも楽しみの一つだから。沸くまでの間、のんびり待つのも幸せな気分。



(すぐに沸いちゃうお湯なんてね?)
 あまり有難味が無いものね、ってケトルを見てたら、沸々とお湯が沸き始めた音。まだ沸騰していないけど。この音がもっと大きくなったら、ピーッって音が鳴り出して…。
(沸いた!)
 紅茶を淹れるなら沸騰したお湯、ブクブクと泡を立てて滾ったお湯。
 暫くピーッと鳴らしておいてから、よく沸いたお湯をポットに注いだ。勢いよく。
(後は葉っぱが開いたら…)
 紅茶は飲み頃、ちょうどいい濃さ。おかわりするなら濃くなった紅茶を薄めなくっちゃ、と差し湯の用意も。
 ダイニングに運んで、カップに紅茶を注いで、お砂糖。軽く混ぜてから一口飲んで。
(うん、上出来!)
 ケーキもフォークで切って口へと、こっちも美味しい。ママがお裾分けに持って行くんだから、最高に美味しいに決まってる。
 紅茶を飲みながらのんびりと食べて、紅茶もおかわり。濃くなってたから、お湯で薄めて。
 飲み終えた所へママが「ただいま」って帰って来たから、「御馳走様」って空になったカップとお皿をキッチンに運んで行った。
 「ケーキ、とっても美味しかったよ」って、「また作ってね」って。



 部屋に戻ってから、勉強机に頬杖をついて考えた。
 さっき沸かしてた、お湯のこと。ケトルがピーッと音を立てるまで、待ってたキッチン。
(ホントに変わっていないよね…)
 前のぼくの頃から、キッチンとかは。食器もケトルも、まるで別物になってはいない。
 記憶が戻って来た後のぼくも、あまり驚いたりしない。こんなのじゃない、と思いはしない。
 そのキッチンで出来上がる料理は違うけれども。うんと種類が増えたけれども。
(前のぼくの頃に、和風の料理は無かったしね?)
 お茶だって種類が増えちゃった。
 前のぼくがお茶と言ったら紅茶で、緑茶なんかは何処にも無かった。紅茶も緑茶も、同じお茶の木から出来るのに。同じ葉っぱから作るのに。
 種類がグンと増えたお茶だけれども。
(沸かす手間は同じ…)
 お茶を淹れるためにお湯を沸かすって所は同じ。かかる時間も前とおんなじ。
 それでこそだ、と思っちゃう。
 お湯が沸くのを待ってる時間も、お茶を飲むには大切なんだ、って。



(前のハーレイだって…)
 言っていたっけ、直ぐに出来上がってしまう料理は楽しくないって。
 手間をかけた分だけ美味しくなるって、作る時から楽しんでこそだ、って。
 まだ厨房に立っていた頃に、キャプテンになる前にフライパンとかお鍋を手にしてそう言った。
 ゼルが「一瞬で料理が出来る機械を作ってやろうか」って話を持ち出した時も。
 発明好きだったゼルの提案、何処まで時間を短縮できるかやってみたい、という提案。
 ハーレイは蹴った。その場で「邪道だ」と却下しちゃった。
(一瞬で出来るオムレツなんてね…)
 卵をセットしたらボタン一つでパッとオムレツ、そんなの、ちっとも楽しくない。便利そうでもワクワクしない。フライパンの上で引っくり返して、焼き上げてこそのオムレツだから。
 「ほら、出来たぞ」って、ホカホカのをお皿にポンと移すのがいいんだから。
 お茶だって、お湯を沸かしてこそで。
 ケトルに入れたお湯が沸くまで、沸騰するまで待っていてこそで。
(一瞬でお湯が沸くなんて…)
 邪道だよね、と前のハーレイの台詞を頭の中でなぞってみた。
 そう思ったけど、一瞬でお湯が沸くケトルなんかは味気ない、って思ったけれど。



(…あれ?)
 蘇って来た、遠い遠い記憶。
 一瞬でお湯を沸かしていた、ぼく。
 サイオンを使って、ポットに注ぐためのお湯をケトルで一瞬で。
 ほんの一瞬で沸騰したケトル。待ち時間などはまるで無くって、アッと言う間にブクブクと。
(あれって…)
 前のハーレイと恋人同士になった後。
 ブリッジでの仕事を終えたハーレイが青の間に来て、一日の報告が済んだら二人でお茶を飲んでいた頃。ぼくはソルジャーの衣装の手袋を外して、素手で紅茶を淹れていた。
 青の間の奥にあったキッチン、其処でケトルでお湯を沸かして、ポットに注いで二人分。
 白いシャングリラで採れたお茶の葉から作った紅茶を二人分。
 香り高くはなかったけれど。
 前のぼくが人類から奪っていた頃の紅茶の香りには遠く及ばなかったけれども、立派な紅茶。
 ちゃんと紅茶の色をしていて、味もそんなに悪くはなかった。足りなかったものは香りだけ。
 宇宙船の中で育てていたから、霧が出たりはしなかったから。朝と夜との気温の差だって、外の世界と同じようには出来なかったし、香り高い葉は生まれなかった。
 白いシャングリラの紅茶。香りこそ足りない紅茶だったけど、前のぼくたちの船で作った紅茶。
 それを淹れようとして、ふと思ったんだった。
 ケトルで沸かそうとしていたお湯。
 サイオンで沸かしたら一瞬だよねと、そういうのもたまにやりたいよね、と。
 ちょっとしたぼくの悪戯心。
 前のぼくだったからこそ出来た芸当。



 ケトルを見詰めて、ホントに一瞬。
 沸かそうと頭で考えただけで、魔法みたいに一瞬で沸いた。
 沸騰したお湯をポットに注いで、カップとかと一緒に持って行ったら、驚いたハーレイ。
「早かったですね、私が来る前に一度沸かしてあったのですか?」
 報告をしに来るとお気付きになって、先に沸かしておかれたとか…。そして保温を?
 保温しておいて温め直せば早いですしね。
「ううん、君が嫌がりそうなお湯だよ」
「は?」
 嫌がりそうとは、それはどういう…。
「一瞬で沸かしてしまったからね」
 ケトルで沸くのを待つんじゃなくって、一瞬で。…それじゃ味わいが無いんだろう?
 君の言う邪道というヤツだろう、って微笑んでみせた。
 料理だって一瞬で出来たら邪道なんだし、お湯を沸かすのも同じだろう、と。
「それはまあ…。ゼルが機械を作ったのですか?」
 一瞬でお湯が沸く機械を。
 ゼルならば作りそうですが…。作ってみたんじゃ、と一番に此処に持ち込みそうですが。
「そうじゃなくって…」
 機械なんかは貰っていないよ、ゼルからも、他の誰からも。
 種も仕掛けも無いと言えば無いね、一瞬でお湯を沸かすには。



 こう、ってカップに注いだ紅茶を沸かしてやった。
 二つ並べて置いたカップの片方を。
 指差しただけでボコボコと泡立った紅茶。沸騰してしまった、カップの中身。
 ハーレイが目を剥いたから。
 信じられないという顔で沸いた紅茶と、ぼくの顔とを見比べてるから。
 ぼくは沸騰させるのをやめて、まだ細かい泡がフツフツと沸き上がるカップを手に取った。
「分かったかい? サイオンなんだよ、これなら一瞬で沸いてしまうんだ」
 でもね…。これは美味しくないと思うし、淹れ直すよ。
 沸騰したお湯で淹れたお茶ならともかく、そのお茶をもう一度沸かしたからね。ただでも少ない香りがすっかり飛んでしまって、きっと不味いと思うから。
 キッチンに行って捨てて来る、と言ったんだけれど。
「いえ、頂きます」
 私が飲みます、と止めたハーレイ。
「…君が? この不味そうな紅茶をかい?」
 それくらいなら、ぼくが飲むよ。
 やってしまった責任を取って、ぼくが飲む。そうするべきだと思うけどね…?



 君が飲まなくてもかまわない、とカップをテーブルにコトリと置いたら。
 ぼくの方へと引き寄せようとしたら、「いえ」とハーレイの手がカップを取った。ソーサーごと自分の前に移して、唇に笑み。
「もったいないからではないのですよ」
 私が飲もうと言っているのは、紅茶が無駄になってしまうのを防ぐためではありません。
 もちろん責任の問題でもなくて…。
 要は味わってみたいのですよ、この紅茶を。さて…。
 どんな味でしょうか、と熱すぎる紅茶の湯気を息で飛ばして、一口飲んで。
 「美味しいですよ」と微笑んだハーレイ。吹いて冷ましながら飲んだハーレイ。
 この紅茶はぼくが淹れた紅茶で、ぼくが沸かした紅茶だから、って。
 それが美味しくない筈がないと、不味い紅茶になるわけがないと。



「本当に美味しい紅茶ですよ。…私にとっては」
 どんな紅茶よりも美味しいのですが、他の者が飲んだらどう評するかは分かりません。あなたがお飲みになったとしても、美味しいとは仰らないのでは…。
「それがどうして美味しいということになるんだい?」
 君の言い方だと不味い紅茶だとしか聞こえないけれどね、その紅茶は。
「美味しさに秘密があるのですよ。あなたの愛情入りだと言えればいいのでしょうが…」
 そうではなくて悪戯でしょうね、一瞬でお湯を沸かしてみたのも、カップの紅茶が沸いたのも?
「悪戯だけど…。やったらどんな顔をするかな、と試してみたくて沸かしたけれど…」
 愛情入りというのは何だい、それはどういう意味なんだい…?
「そういう言い回しがあるそうですよ。愛情をこめて作りました、という意味で」
 手料理などを指すようですね、と笑ったハーレイ。
 恋人のためにと作った料理は愛情入り。愛情がこもった料理なんだから、愛情入り。
 このシャングリラでも手料理を作っている恋人たちがいるんですよ、と。
 厨房で材料を分けて貰って、空いた時間に手料理作り。
 そうやって出来た料理やお菓子は愛情入りだと、だからぼくが悪戯で沸かした紅茶も愛情入り。
 ぼくがサイオンで沸かしたから。
 普通に淹れた紅茶と違って、お湯も紅茶も、ぼくのサイオンで沸いたから。



「愛情入りねえ…」
 ふうん、と感心してしまった、ぼく。
 きっと不味いだろう紅茶を美味しいと飲んでくれたハーレイ。
 初めて耳にした「愛情入り」という言葉の響きも、それに例えたハーレイの温かな心も、とても嬉しくて心が弾んだものだから。
 それから時々、お茶を淹れる時にはお湯を一瞬で沸かしていた。ケトルのお湯をサイオンで。
 カップに注いだ紅茶の方は、二度と沸かしはしなかったけれど。
 紅茶の香りが飛んでしまうと分かっているから、それはやらずにお湯の方だけ。ポットにお湯を注ぐ前なら、どんな風に沸こうが、紅茶の味に影響は出ない筈だから。
 このくらい、とケトルに入れた水を一瞬で沸騰させてしまって、ポットに注いで運んでゆく。
 ハーレイの分とぼくの分とのカップを添えて、トレイに載せて。
「はい、ハーレイ。今日の紅茶は愛情入りだよ?」
 そう前置きしてカップに注いで、ハーレイの前に差し出したら。
 褐色の手がそうっとカップを持ち上げ、紅茶をゆっくりと口に含んで。
「美味しいですね」
 やはり一味違いますよ。あなたのサイオンで沸かして下さったお湯で淹れた紅茶は。
「いつもの紅茶なんだけれどね?」
 何も違わないよ、この船で作った紅茶なんだし…。香りが薄くて、色と味しか無い紅茶。
「それでもです。本当に美味しく思えるのですよ」
 あなたのサイオンで沸かして下さったお湯が、味に深みを出すのでしょう。
 文字通りあなたの愛情入りです、あなたのサイオンが無ければ淹れられない紅茶なのですから。



(思い出した…!)
 前のぼくがハーレイのために淹れてた、愛情入りっていう謳い文句の紅茶。
 サイオンを使って一瞬で沸かした、ケトルに入った愛のお湯。愛情入りの沸騰したお湯。
 何度もハーレイに淹れてあげたし、ハーレイも喜んで飲んでくれた。「美味しいですよ」って。
 でも…。
(今のぼくには無理…)
 前と同じにタイプ・ブルーに生まれたけれども、サイオンの扱いが不器用なぼく。思念波さえもロクに紡げないレベルで、とことん不器用。
 そんなぼくには出来ない芸当、逆立ちしたって無理な芸当。
 サイオンでお湯を沸かすなんて。ケトルの水を一瞬で沸騰させるだなんて。
 ボコボコと沸騰させるどころか、泡の一つも立たないだろう。
 いくらケトルを睨み付けても、お湯にもならずに水のまま。温度は一度も上がりやしない。
 そうなることが分かり切ってる、今のぼく。
 愛情入りのお茶は淹れられない。
 紅茶も緑茶も、愛情入りのを淹れられやしない。
 前のぼくなら簡単に出来たことだったのに。愛情入りだよ、って淹れられたのに…。



 どんなに頑張って格闘したって、もう淹れられない愛情入りのお茶。
 悪戯じゃなくて大真面目にやっても、ハーレイのために愛情入りのお茶を淹れられはしない。
 ぼくのサイオンは不器用になってしまったから。
 タイプ・ブルーだなんて名前ばかりで、無いも同然のサイオンだから。
(ハーレイ、忘れているといいんだけれど…)
 前のぼくが淹れてたお茶のことを。「愛情入りだよ」と一瞬で沸かしたお湯のことを。
 もしもハーレイが覚えていたって、あれはもう作れないんだから。
 淹れてあげたいと挑戦したって、ケトルの水はぬるま湯にさえもなってはくれないんだから。
(…ハーレイ、覚えていないよね…?)
 ぼくの家で何度も出してる紅茶。ママが運んで来てくれる紅茶。
 ハーレイにとっては馴染みの飲み物、ぼくの部屋で何度も飲んでいるけど、お湯の話は今までに一度も出ていない。一瞬で沸かしたお湯かどうかも、話題になんかなってはいない。
(忘れているとは思うんだけど…)
 それとも黙っているだけだろうか、今のぼくには出来っこないから。
 忘れているなら、愛情入りの紅茶を二度と淹れられなくても何の問題も無いけれど。
 覚えているなら、「今度はあれは飲めないのか」と思っているなら、大いに問題。
 ぼくの愛情が足りないってことにならないだろうか、ハーレイへの愛が?
 愛情入りの紅茶が淹れられない分、愛情不足ってことになったら…。



(どうしよう…)
 ハーレイが愛情入りのお茶を覚えていたなら、ぼくはどうすればいいんだろう?
 今度のぼくには淹れられないのに、一瞬でお湯を沸かせないのに。
(愛情不足になっちゃうわけ…?)
 どうなんだろう、と心配になってきた所へチャイムの音。
 仕事帰りに寄ってくれたハーレイ、いつものようにママが運んで来た紅茶とお菓子。ハーレイとぼくのために置かれたカップ、ママが注いだ紅茶が入ったカップが二つ。それにポットも。
(前のぼくなら愛情入り…)
 カップの紅茶も、ポットの中身のおかわり用も愛情入り。
 サイオンで一瞬で沸かしたお湯を使って、淹れて。愛情たっぷりの紅茶に出来た。同じ紅茶でも違う紅茶に、ハーレイにだけは味の違いが分かる紅茶に。
 そう、前のぼくには分からなかった。どう違うのかが、いくら飲んでも。
(きっと今だって…)
 サイオンで一瞬で沸かしたお湯でも、ケトルのお湯でも、ぼくに違いは分からないと思う。
 ママはサイオンでお湯を沸かせはしないけど。そこまでのサイオン、持ってないけど。



(同じお湯なら、やっぱりケトル…)
 沸くまで待ってる時間がいい。ゆっくり、のんびり待つのがいい。
 今日だってゆっくり待ってたんだし、と思い出したから、ついついウッカリ。
「ねえ、ハーレイ。一瞬で沸くお湯なんかきっと、つまらないよね?」
「はあ?」
 鳶色の瞳が丸くなったから、付け加えた。
「えーっと…。お茶を飲むなら、お湯を沸かす時間も大切だよね、って」
 まだかな、って沸くのを待ってる間も楽しみの内だよ、お茶を淹れる時の。
 一瞬でボコッと沸いてしまったら、お茶を淹れる楽しみ、減っちゃわない…?
「ああ、あれな…!」
 前のお前の愛情入りな、ってハーレイがポンと手を打ったから。
 失敗した、って気が付いたけれど、もう遅い。そういう話になってしまったら戻れない。きっとハーレイは覚えていたんだ、あのことを。
 今日まで黙っていただけで。今のぼくには無理そうだから、って沈黙を守っていただけで。
 お湯の話を始めたぼくが馬鹿だったんだ、と俯き加減で呟いた。
「…覚えてたの?」
 だけど今まで言わなかったの、あのお茶のこと?
「いや? たった今、思い出したんだが」
 一瞬で沸かした湯じゃつまらない、と聞いた途端に思い出した。前のお前がやっていたな、と。
「えっ…」
 それじゃすっかり忘れていたわけ、ハーレイも?
 愛情入りのお茶ですね、って自分で言い出したくせに、ハーレイも忘れてしまってたんだ…!



 墓穴を掘ってしまったぼく。
 ハーレイは忘れてしまっていたのに、思い出させてしまった、ぼく。
 前のぼくがハーレイのために淹れてた、サイオンで沸かしたお湯のお茶。愛情入りのお茶。
 もうあのお茶は淹れられないのに。
 今のぼくがどんなに頑張ってみても、愛情入りのお茶を淹れることなんか出来はしないのに…。
(…ハーレイ、思い出しちゃった…)
 思い出したからには、愛情入りのお茶が無理なことにも気付くだろう。
 今のぼくには淹れられないって、愛情入りのお茶を飲むことはもう出来ないんだ、って。
(…愛情不足…)
 今度のぼくには愛が足りない。ハーレイにあげられる愛が足りない。
 愛情入りのお茶を淹れられない分、ぼくのハーレイへの愛は足りない。
 ハーレイが好きでたまらなくても、結婚するんだともう決めていても、決定的に足りない愛情。
 だって、淹れられない、愛情入りのお茶。
 ハーレイのためにとサイオンで一瞬でお湯を沸かしてあげられない。
 こんなにハーレイが好きなのに。
 ハーレイのことが誰よりも好きで、愛はいっぱいの筈なのに…。



 それでも愛情不足なんだ、と落ち込んでいたら。
 紅茶のカップに目を落としたまま、何も言えずに項垂れていたら。
「…どうした?」
 何を黙ってしょげているんだ、せっかく懐かしい昔話が出て来たのに…。
 前のお前の愛情入り。何度も飲ませて貰ったよなあ、仕事が終わって一日の報告を済ませたら。
 お前がいそいそとトレイを手にして持って来た日は愛情入りなんだ、同じ紅茶でも。
 あれは不思議に美味い気がしたな、お前がサイオンで沸かしたってだけで。
 一瞬で出来る料理はつまらん、と言った俺だが、あれに関しては話は全く別だってな。
「…ごめん、ハーレイ。ぼく、あのお茶はもう…」
 ぼくのサイオン、不器用になってしまったから…。
 ケトルをどんなに睨んでも、きっと…。
「うんうん、淹れられないってな」
 分かるぞ、お前には無理だってこと。あんな芸当、今のお前には出来ないんだろう?
 淹れられなくても当たり前だな、サイオンが上手く扱えないんじゃな。
「…ごめん…」
 ごめんね、愛情不足なぼくで。愛情入りのお茶も淹れられないぼくで…。
 ハーレイのことは大好きだけれど、今度は愛が足りないみたい。
 愛情入りのお茶が淹れられない分だけ、ぼくの愛、今度は足りないんだよ…。
「何を言うんだ、この馬鹿者が」
 前のお前よりも愛情が足りていないってか?
 そんなことがあるか、今のお前も愛情ってヤツはたっぷりだろうが。
 足りてないのはサイオンだけだな、それでかまわないと俺は何度も言った筈だが?
 今度のお前はそれでいいんだと、その分、俺が守るから、と。
 もっとも、前のお前と違って。
 命の危機ってヤツから守るのは無理な世界になっちまったがな。
 敵なんかは何処にもいないからなあ、うんと平和に暮らせる世界を前のお前が作ったお蔭で。
 お前は違うと言うんだろうが、前のお前がメギドを沈めて、そのお蔭で今の世界がある。
 ミュウが主役になった世界も、青い地球もお前が作ったんだ。
 ソルジャー・ブルーが大英雄なことは、お前だって学校で習うんだろうが…?



 不器用なお前でかまわないのさ、ってハーレイはウインクしてくれた。
 その方が俺にも守り甲斐があると、今度こそ守ってやるからと。
「いいな、俺はお前が居てくれるだけで充分なんだ」
 不器用だろうが、愛情入りのお茶が淹れられないレベルのサイオンだろうが、俺は気にせん。
 俺の嫁さんになってくれるんだろう?
 今度のお前は、俺の嫁さんに。
「そうだけど…。だけど、愛情不足だよ?」
 愛情入りのお茶が淹れられなくても、ハーレイ、残念だと思わない?
 前のぼくの方が愛情たっぷりで良かったのに、って心で溜息ついたりはしない…?
「まったく、もう…。お前、なんだって愛情入りのお茶にこだわるんだか…」
 思い出したんなら、こだわりたい気持ちも分からないではないんだがな。
 しかしだ、今じゃ出来ないことをだ、振り返って嘆いてみたって何にもならんだろうが。
 前のお前と今のお前は繋がっちゃいるが、出来ないことまでやれとは言わん。
 それで愛情が不足してるとも、足りないとも俺は言わないぞ。
「…本当に?」
 あのお茶が飲みたい、って思ったりしない?
 前のぼくなら淹れられたのに、ってポットを眺めてガッカリしない…?



 愛情入りのお茶を淹れられないことは本当だから。
 これから先だって、きっと進歩はしそうにないから、何度も念を押してたら。
 大丈夫なのかと、それでいいのかと訊き続けてたら、「大丈夫さ」と髪を撫でられた。大好きな褐色の手でクシャリと髪を。そして笑っている鳶色の瞳。
「そんなに心配しなくってもなあ…?」
 心配無用だ、愛情入りのお茶なら俺が淹れてやるから。
 紅茶だろうが、緑茶だろうが、今度は俺が淹れる番だな、愛情入りで。
「愛情入りって…。ハーレイ、出来るの!?」
 今度のハーレイは愛情入りのお茶を淹れられるの?
 一瞬でお湯を沸かせるっていうの、ハーレイはタイプ・グリーンなのに…?
「落ち着け、愛情入りって言葉の本当の意味を覚えているか?」
 シャングリラにタイプ・ブルーは何人いたんだ、あれが流行っていた頃に?
 お前の他には誰一人としていはしなかったろうが、なのにどうして愛情入りって言葉を前の俺が知っていたんだっけな?
「…え? えーっと…。確か、手料理…」
 愛情をこめて作りました、っていう意味だった…んだよね、元々は…。
「そうさ、そいつが本来の意味だ」
 前のお前の愛情入りってヤツが少々ズレてしまっていたんだ、言葉自体の持つ意味からな。
 でもって、シャングリラで流行っていた方の愛情入りなら、俺でも出来る。
 お前のためにと愛情をこめてお茶を淹れれば、立派に愛情入りだってな。
「それだったら、ぼくにも淹れられそう…!」
 愛情入りのお茶は、今度のぼくでも淹れられるよ。
 ハーレイのために淹れるんだ、って心をこめてお茶を淹れたら愛情入りになるんだね。
 サイオンで一瞬でお湯を沸かさなくても、愛情入り。
 そっちの方のお茶で頑張ってみるよ、うんと美味しく淹れられるように…!



 今度のぼくでも、ちゃんと淹れられそうなお茶。
 前のぼくが淹れてた愛情入りのお茶は無理だけれども、本当の意味での愛情入り。
 ハーレイのために、って心をこめて淹れるお茶。
 サイオンじゃなくてケトルでお湯を沸かして、一瞬じゃなくて時間をかけて。
 ハーレイを少し待たせちゃうけど、前のぼくみたいに「はい」って直ぐには出せないけれど。
(…だけど、愛情入りだしね?)
 愛をこめてきちんと淹れてる分だけ、時間だってかかる。
 前のぼくと違って不器用な分だけ、お湯が沸くまでの分だけ、時間がかかる愛情入りのお茶。
 ハーレイに「美味いな」って言って欲しいから。
 「今度のお前の愛情入りのお茶も実に美味いな」って、顔を綻ばせて欲しいから。
 お茶の淹れ方、ママに頼んで習っておこう。
 今は適当に淹れているけど、まずは紅茶の淹れ方から。
 なんだったっけか、ポットの分にもお茶の葉をスプーンに一杯分?
 それからポットにお湯を注ぐ時には、葉っぱが中で動き回れるように充分、勢いをつけて。
 他にも色々、何かあるかもしれないから。
 ママが変だと思わない程度に少しずつ。
 習って、覚えて、うんと美味しい紅茶の淹れ方、マスターしなきゃ。
 不器用なぼくでも気にしない、って言ってくれてるハーレイのために。
 「愛情入りのお茶なら俺が淹れるさ」って、約束してくれたハーレイのために。
 ぼくからも愛情入りのお茶。
 お湯をケトルでしっかり沸かして、愛情入りのお茶をハーレイのカップに注ぐんだ。
 心をこめて淹れたお茶。
 ハーレイのことが大好きだよ、って愛情をこめて、丁寧に淹れたお茶をカップにたっぷりと…。




           愛情のお茶・了

※前のブルーなら、一瞬で沸かせたケトルのお湯。それで淹れていた愛情入りの紅茶。
 今度は淹れられないことに気付いたブルーですけれど…。心をこめればいいんですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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