シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ぽっかりと夜中に目が覚めた。
メギドの悪夢を見てしまったわけではなくて、単にぽかりと。何かのはずみで。
横になったままキョロキョロと部屋を見回したけれど、時計も眺めてみたけれど。
本当に真夜中、朝までは数時間もある。夜更けと言ってもいいほどの時刻。
(…変な夢でも見たのかな?)
欠片も覚えていないけれども、意識が浮上するような夢。きっと、そう。
部屋の中、しんと静まり返った夜気。常夜灯だけがぼんやり照らし出す部屋。
(えーっと…)
こんな時には目が冴えてしまって眠れないから。
眠気が再びやって来るまで、明かりを点けて本でも読もうかと思ったけれど。
あまりワクワクしない本。続きが気になって眠れなくなる本は困るし、パタンと閉じたらそこでお別れ出来る本。
そういった本はどれだったか…、とベッドの中で考えていて。
(なんだか…)
何処かで感じた、という気がした。同じ空気を。
今の自分と似たような感覚を確かに覚えた、何処かで、いつか。
(パパもママも家にいるんだけれど…)
同じ二階の別の部屋にいると分かっているのだけれど。
二人ともぐっすり眠っているから、何の気配も伝わって来ない。足音も、扉を開ける音も。耳を澄ませても聞こえない音。自分の息しか聞こえては来ない。
(ぼく一人しかいないみたいだ…)
けして一人ではないのだけれども、一人だという夜。一人だと感じてしまう夜。
こんな夜に出会った記憶がある。一人にされたわけではないのに、一人きりの夜に。
(いつ…?)
幼い頃の出来事だろうか、と今よりもずっと小さかった頃を思い浮かべた。
両親と一緒に眠っていたのは、幼稚園の頃までだっただろうか?
それとも下の学校に入ってからも、暫くはそっちに居たのだろうか?
昼間は自分の部屋で過ごして、夜は両親の部屋で眠った幼かった時代。庭に来たフクロウの声が怖くて、オバケの声に聞こえて泣いた。あれはオバケに違いないのだと両親を起こして笑われた。
フクロウのオバケが最初に出た時、まだ両親の部屋に居たのかどうか…。
(どうだったっけ?)
今一つハッキリしていない記憶。定かではない、フクロウのオバケの記憶。
両親の部屋まで駆けて行ったのか、ベッドで揺り起こしただけなのか。
それさえも曖昧になっているほど幼かった頃に、子供部屋にベッドが置かれたろうか?
一人そちらで眠ることになって、一人だと思っていたのだろうか…?
(そうかも…)
一人ではないけれど、一人きりの夜。
子供時代の自分が覚えた感覚なのかも、とフクロウのオバケの鳴き声の怖さにブルッと震えた。前にあの声がメギドの悪夢を連れて来たほど、フクロウの声が怖かった。
ハーレイのお蔭で前ほど怖くはなくなったけれど。フクロウはトトロに変わったけれど。
きっと子供の頃の夜だ、と一人きりの部屋の静けさに自分を合わせてみた。
(小さい頃なら、もっと天井が高くて…)
子供用のベッドも今より大きく感じていたのだろう、と想像するけれど。
何故だか、しっくりこない感覚。
それは違う、と。子供時代のものではない、と。
(じゃあ、いつの話…?)
確かにこういう夜があった、と目を閉じてみたり、開いてみたり。
パチパチと瞬きしたりもしてみた。
そうする内に…。
(あ…!)
思い出した、と浮かび上がった一人きりの記憶。一人ではないのに、一人の記憶。
白い鯨の夜だった。前の自分がそう感じた。
長くかかったシャングリラの改造が全て完成した夜に。
ソルジャーの私室として作り上げられた青の間に一人、移った夜に。
あの夜、確かに一人きりだった。今の自分と同じに、一人。
白い鯨には大勢の仲間が乗っていたのに、暮らしていたのに、青の間に一人。
青の間に移る日、ハーレイに案内されたけれども。
移った先には全ての設備が整えられていて、部屋付きの係も何人も紹介されたけれども。
それまでの部屋とは比べ物にならない広さの青の間。一人で住むには広すぎる部屋。
建造する途中で何度も見に来て、ちゃんと分かっていた筈なのに。
そういう部屋だと分かっていたのに、いざ移ってみると心細いほどに大きな部屋。移る直前まで使っていた部屋が幾つ入るのか、まるで見当もつかない青の間。
引越しは係がやってくれたから、ブルーは指示をしていただけ。これはこちらに、それは自分で片付けるから、などと荷物の仕分けを見ていただけ。
引越しが済めば後は一人で、それでも昼の間は良かった。
シャングリラ中に張り巡らせていた思念の糸。部屋を移ったから、一本ずつ辿って先を確認してみたり、感度はどうかと探ってみたり。
そうこうする内に夕食の時間、係が運んで来て奥のキッチンで仕上げてくれた。食べる間も給仕してくれ、終わったら食器を洗って片付け、「おやすみなさいませ」と帰って行った。
やがてハーレイが一日の報告をしに訪れて、「では」と言うから。
「おやすみなさいませ」と一礼して帰ってゆこうとするから。
「待って。こんな広い部屋にぼく一人かい?」
もったいなさすぎるほどに広いのだけど、と広大な空間を指し示したのに。
「もちろんです。此処はソルジャーのお部屋ですから」
他の部屋とは違うのです。どうぞご自由にお使い下さい、ソルジャーのためのお部屋ですから。
青の間はそういう所なのだ、と誰もが承知しております。この船の者たちは一人残らず。
それではおやすみなさいませ、と帰って行ってしまったハーレイ。
テーブルや椅子や天蓋つきのベッドが置かれたスペースにブルーを残して、スロープを下りて。扉が開いて閉まった後には、ブルーだけしかいない空間。青の間に一人。
(明日の朝まで、ぼく一人だけ…)
朝には朝食の用意をするために係がやって来るのだけれど。
「何をお召し上がりになりますか?」と訊かれて答えもしたのだけれども、その係が来るまでは部屋に一人きり。誰も青の間を訪ねては来ない。
(おやすみなさい、と言われたんだし…)
することもないし、眠るのが一番いいのだろうか、とバスルームに行った。今までの部屋のものとは違って、ゆったりと広いバスルーム。これは気に入ったから、バスタブに湯を張り、ゆっくり浸かって寛いだ時間を楽しんだ。
それからフカフカのバスタオルで水気を拭って、パジャマに袖を通したけれど。
バスルームの扉から外へと出れば、昨日までとは違う部屋。大きすぎる部屋。
(ぼくのためだけに、こんな部屋…)
要らないと言ったのに、押し付けられた。ソルジャーだから、と。
設計図の段階でも、建造中にも目を見開いたけれど、完成品は思った以上のとんでもなさで。
(何の役にも立たないんだけれど…)
この部屋の大部分を占める巨大な水槽。ブルーのサイオンと相性がいいらしい大量の水を湛えた水槽。表向きはサイオンの補助だけれども、実は演出だと知っている。水など無くてもサイオンに影響したりはしないし、あってもサイオンは増幅されたりしないのだと。
(ただのこけおどし…)
そう思いつつも、あちこちを歩き回ってみた。パジャマ姿で。
昼間やっていたように、一通り。スロープの下まで一度下りてみて、上り直して。ベッドなどのあるスペースの奥に隠されたキッチンやバスルームも扉を開けては中を覗いて、入ってみて。
そこから外へと出て来てみれば、夜も昼も変わらない照明に照らされた部屋。
天井や水槽は青く沈んで、海の底のよう。
ベッドやテーブルが置かれた辺りだけが、ほんのりと白く輝くだけの暗い海の底。
(独りぼっちだ…)
この海の底に、一人きり。独りぼっちで取り残された。
皆の思念は感じ取れるけれど。
シャングリラ中に張り巡らせてある思念の糸も辿れるけれども、感じる孤独。
一人だと、独りぼっちだと。
(広すぎるんだよ…)
この部屋は、と零した溜息さえもが響いた気がした。
大きな水槽の水面を揺らして。波紋のように、さざ波のように。
(どうしよう…)
こんな部屋に一人。広すぎる部屋に一人きり。
けれども誰も来てはくれないし、係が来る朝まで眠ろうとベッドに潜り込んだけれど。ベッドを上から照らす照明も消してみたけれど。
ますます暗くなってしまった海の底。本当に海の底にいるよう。
独りぼっちで夜の海の底、あるいは光も届かないほどの深い海の底に一人きり。これではとてもたまらない。寂しくて眠れたものではない。
(やっぱり点けよう…)
一度は消した照明を点けた。ベッド周りの青い玉の形の明かりも灯した。
その方がマシ。同じ海の底でも、周りが明るい分だけマシ。
ベッドを照らし出す照明は快適に調整されているから、点いたままでも眠れるから。
でも…。
(本当に一人だ…)
一人きりだ、とコロンとベッドで寝返りを打った。
上掛けを被っても訪れない眠気。却って冴えてゆく意識。
この広大な青の間の周りに居住区は無い。仲間の思念は感じるけれども、横たわる距離。
ハーレイの部屋もぐんと遠くなった。遠い所に行ってしまった。
前の部屋なら、気軽に遊びに行ける所にあったのに。先日までハーレイが使っていた部屋。
そう、ハーレイも引越しをした。一足先に、キャプテン用にと作られた部屋に。
愛用している木の机は今も変わらないけれど、部屋の主役を務めるけれども、キャプテンだけが使う部屋。航宙日誌や蔵書を並べる棚が設けられた、落ち着いた部屋。
引越して直ぐに覗きに行ったから知っている。どんな部屋かも、何処に在るかも。
(…ハーレイ、今は何をしているんだろう?)
ハーレイももう眠ったろうか、とサイオンを使って覗き込んだら、航宙日誌を書いていた。木の机の前の椅子に座って、これも愛用の白い羽根ペンで。
終わればベッドに入るのだろう。キャプテンの制服を脱いで、シャワーを浴びて。あの部屋にもバスタブが備えられているから、のんびりと浸かるかもしれない。
バスルームから出たらパジャマを着込んで、大きなベッドへ。ハーレイの逞しい身体に見合ったサイズの広いベッドへ。
(ハーレイの部屋は普通なんだよ…)
他の仲間たちが住む居住区の部屋よりは広いけれども、まだ普通の部屋。青の間のように巨大な水槽がありはしないし、高すぎる天井があるわけでもない。
照明だって暖かい色。暗くて深い海の底のような、この青の間とは全く違う。
いっそハーレイの部屋に瞬間移動で移ろうか、と考えてから。
(逆がいいかも…)
ハーレイはあの部屋で何の不自由もしていないのだし、孤独も感じていそうにないから。
居心地の良さそうな部屋なのだから、この青の間を味わわせるのも悪くない。
よくもこんな部屋を押し付けてくれたと、もっと普通の部屋にしてくれれば良かったのに、と。
(うん、その方が…)
出来てしまった部屋は仕方ないけれど、せめて意趣返しをしておきたい。青の間を作らせた犯人たちは他にもいるのだけれども、仕返しするならハーレイがいい。
(一番古い友達だしね?)
ハーレイ自身がそう言った。アルタミラからの脱出直後に、ブルーを紹介する時に。船で出来た友人たちに紹介する時は必ず、「俺の一番古い友達だ」と。
(友達を青の間に連れて来たって、誰も文句は言わない筈だよ)
瞬間移動で引っ張り込んだら、ハーレイも逃げられないだろう。逃れることは出来ないだろう。
ましてパジャマでは船内を走って帰れはしないし、実行するならパジャマに着替えてから。
航宙日誌を書き終えたハーレイがシャワーを浴びて、パジャマを着るのを待った。
そして…。
「これは一体、何事です!?」
瞬間移動で連れて来られて、大慌てしているパジャマのハーレイ。パジャマ姿で靴さえも履いていないハーレイ。裸足で立っているハーレイ。
ソルジャーの衣装ではなくてパジャマだったけれど、大真面目な顔で命令した。ベッドから出て偉そうに立って、「今夜は此処に」と。自分も裸足で。
「君も今夜は此処で眠るんだよ、この青の間で」
「何故です?」
私の部屋は他にありますし、第一、此処はソルジャーのお部屋なのですが…!
「理由を言えと言うのかい? だったら、此処は広すぎるから」
独りぼっちになった気分がするんだ、まだこの部屋に慣れていないから。
みんなの思念は感じ取れるけれど、今までの部屋よりもずうっと遠くて落ち着かない。
おまけに照明が妙に暗いし、まるで海の底みたいじゃないか。
一人きりで深い海に沈められたようで、どうにも気分が良くないんだよ。
ぼくに合わせて調整してはあるんだろうけれど、今までの部屋と何もかもが違いすぎるんだ。
これじゃ、たまったものじゃない。慣れない間は不眠症になってしまいそうだよ…!
ソルジャーを神経衰弱にしたいのか、と詰め寄った。
慣れるまでこの部屋で過ごしてくれと。このままでは眠れそうにもないと。
「し、しかし…!」
私はキャプテンで、明日も朝食を終えたら直ぐブリッジに行かねばなりません。此処でのんびりしていられるほど、暇なわけではないのですが…!
「大丈夫。朝には君の部屋まで送り届けるから」
パジャマで走って帰らなくても、瞬間移動で送ってあげる。ほんの一瞬だよ、ぼくにかかれば。
明日の朝は何時に目覚ましをセットしておけばいいんだい?
ぼくも君に合わせて起きることにするよ、目覚まし時計のアラームは何時?
「ソルジャー…!」
「ブルーでいいよ。ソルジャーは要らない」
友達だからね、と微笑んだ。「君の一番古い友達」と。
その友達を見捨てないで欲しいと、今夜はこの部屋に泊まって欲しいと。
「ですが、ベッドは…!」
何処かから簡易ベッドでも運ぶと仰るのですか、ソルジャー……いえ、ブルー?
「ベッドだったら、充分広いよ」
二人分のスペースはあると思うんだ、と天蓋つきのベッドを指差した。
枠にミュウの紋章が刻まれたベッドを、さっきまで一人で潜っていたベッドを。
押し問答にはなったけれども、なんだかんだでハーレイも折れた。
パジャマ姿で船の中を走って逃げられはしないし、靴さえも履いていないのだから。
ブルーが目覚まし時計をセットし、二人並んでベッドに横になって…。
「ハーレイ。…こうしていると脱出した直後みたいだね」
アルタミラから、この船で。まだ改造の話さえ無かった頃だけれども。
「ああ、あの頃はたまに二人で眠っていましたね」
今よりもずっと小さかったあなたと、私と二人で。
思い出しますね、あの頃のことを…。
脱出直後のシャングリラ。最初はコンスティテューションという名前だった船。
人類が捨てて行った船に乗り込み、燃え上がり崩れるアルタミラから逃げ出した。その船の中に部屋は沢山あったから。皆に行き渡るだけの数があったから、ブルーもハーレイも自分用の部屋を貰って一人で使っていたのだけれど。
ベッドもそれぞれの部屋にあったのだけれど、ハーレイの所にブルーが泊まりに出掛けていた。枕だけを抱えてハーレイの部屋へ、ハーレイが眠っているベッドへ。
アルタミラの夢を見て怖かった夜に。
人体実験の夢や、檻に閉じ込められていた頃の夢。
そうした夢に出会った夜には一人が怖くて、ハーレイの隣に潜り込んだ。
さほど大きなベッドでもないのに、ハーレイの身体にピッタリとくっついて、落ちないように。ハーレイも腕を回してくれた。ブルーが落っこちないように。
「ブルー、最近はもうあの夢は?」
アルタミラの夢は見ないのですか、もうすっかり…?
「見ないね、こっちの生活の方が長いから」
みんなと暮らし始めて長いし、そういう夢を見ているよ。いつも誰かが夢に出て来る。
ハーレイは大抵、出て来るかな。キャプテンだったり、厨房にいたり、いろんな夢でね。
でも、アルタミラの夢は見ないよ。見ても脱出する時の夢で、ぼくは一人ぼっちじゃないんだ。
ハーレイと二人で走っている夢。だから怖くはないんだ、あれは。
「それは良かったです。アルタミラの夢があなたを脅かしていないのなら」
「そう思うのなら、ぼくが気持ちよく眠れるように君も協力してくれないとね」
こんなガランとした部屋を押し付けるなんて論外だよ。
いくら上等の部屋であっても、使う方の気持ちがついていかなきゃ意味が無い。
「そうは仰いますが、この部屋は本当にあなたのお身体に合わせた部屋で…」
「こけおどしの水槽も含めてね」
まさか本気で作るだなんて…。
ぼくのサイオンと水との相性、誤差の範囲内だとヒルマンたちだって知ってるくせにね…?
他愛ないことを話している間に、いつの間にか眠ってしまっていた。
多分、自分が先に眠った。ハーレイよりも。
夢見心地でハーレイの声を聞いていたような気がするから。「聞いているよ」と半ば眠りながら相槌を打って、呆れられていたと思うから。
それにハーレイが掛けてくれた上掛け。肩まですっぽり掛け直してくれた。「良い夢を」という優しい言葉も耳に届いた、眠りに落ちる前に。
そうして一晩ぐっすり眠って目覚まし時計の音で起き出し、約束通りにハーレイを送った。瞬間移動でキャプテンの部屋まで。パジャマ姿も裸足の足も、誰にも見られないように。
ハーレイは顔を洗ってキャプテンの制服に着替え、朝食を摂りに食堂へと。
青の間の方にも係が食事を運んで来た。昨日注文しておいた通りのものをトレイに載せて。
トーストを焼くのと、料理の仕上げは青の間の奥のキッチンで。
満足のゆく朝食だったけれども、何も文句は無かったけれど。
やはり慣れない、広い青の間。海の底に沈んでいるような孤独。それに囚われてしまう夜。
だから、その夜もハーレイを呼んだ。パジャマに着替えてしまうのを待って、瞬間移動で。
呼び付けられたハーレイの方は、青の間を見回し、眉間に皺を刻んだものだ。
「…またですか?」
今夜も眠れないと仰るのですか、それで私をお呼びになったと?
「これしか仕方ないだろう。実際、眠れないんだから」
君には分かっていないんだ。この部屋で一人で眠るというのが、どれほど寂しいことなのか。
いずれ慣れれば、そんなことなど笑い話になるだろうけれど…。
一人の方が良く眠れる、と思う日が来ると分かってはいるのだけれど。
今はまだ一人じゃ無理なんだ。少しでも早く部屋に慣れるよう、君に協力して欲しい。
君がいなくても眠れるくらいに慣れるためには日数がかかる。
ちゃんと眠れる部屋とベッドだ、と納得するまで、ぼくの側で眠ってくれないとね。
キャプテンがいないと眠れないソルジャーでは話にならない、とハーレイを何度呼んだことか。
パジャマで裸足のハーレイを。
瞬間移動でヒョイと攫って、あの青の間に慣れるまで。
一人で眠るのに慣れる頃まで、何度も、何度も。
(そっか、あのベッド…)
最初からハーレイと使ったのだった。青の間に移った、暮らし始めたその日から。
ハーレイを呼んで、二人で眠った。大きなベッドで寄り添い合って。
恋人同士ではなかったけれど。一番古い友達だと思っていたのだけれど…。
(ハーレイ、覚えているのかな…?)
前の自分たちが恋人同士になるよりも前に、あのベッドで一緒に眠っていたこと。
青の間を使い始めた最初の夜から、ハーレイが其処に泊まっていたこと。
(…忘れちゃってるかな、どうなのかな…)
覚えていたら訊こう、と欠伸をした。
明日は土曜日なのだから。ハーレイが来てくれる日なのだから。
(んー…)
眠い、と急に襲って来た眠気。
明かりを点けてメモを書こうとは思わなかった。眠い、と丸くなっただけ。上掛けを引っ張り、コロンと丸く。
欠伸を漏らして、スウッと息を吸ったらもう眠っていた。メモを、と思う暇さえも無く。
メモを書き損ねたブルーだけれど。
書かずに眠ってしまったけれども、幸いなことに、朝、目が覚めたら、夜中の出来事を忘れずに覚えていたものだから。
前のハーレイと青の間で初めて眠った日のことが記憶に残っていたものだから。
(これは訊かなきゃ…!)
ハーレイも覚えているのか訊こう、と胸を弾ませて来訪を待った。
顔を洗って朝食を食べて、部屋を掃除して、ワクワクと。
早くハーレイが来てくれないかと、チャイムを鳴らしてくれないかと。
待ち焦がれていたハーレイが訪れ、ブルーの部屋で二人、向かい合わせ。
お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、ブルーは早速、例の質問を持ち出した。
「あのね、ハーレイ…。青の間のこと、覚えてる?」
前のぼくの部屋。ハーレイたちが勝手に大きくしちゃった部屋だよ、水槽までつけて。
「…あの部屋のことなら忘れないが?」
誰が忘れると言うんだ、アレを。あんな部屋は二つと無いんだからな。
「部屋もそうだけど、最初の夜だよ。青の間で最初に過ごした日の夜」
「そういう話は断らせて貰うが」
チビのお前にゃ、まだ早すぎだ。ちゃんと育ってからにするんだな。前のお前と同じ姿に。
「そっちの最初の方じゃなくって…!」
違うんだってば、青の間そのものの最初だってば!
前のぼくが、あの部屋に引越しした日。その日の夜の話だってば…!
本当に本当の使い始め、と説明をした。
白い鯨が完成した後、ソルジャーが青の間に移った日のこと。
その日の夜からハーレイが青の間のベッドに泊まっていたよ、と。
部屋に馴染めないソルジャーにパジャマ姿で呼ばれて、命令されて泊まっていたよ、と。
「ハーレイ、すっかり忘れちゃってる? 瞬間移動で呼んだんだけど…」
ぼくの命令、って泊まって行くように言ったんだけど。
「…そういえば…。そういうこともあったな、俺はお前に拉致されたんだ」
おやすみなさい、と挨拶して部屋に帰った筈だが、青の間に逆戻りしちまった。制服どころか、パジャマに裸足で。このベッドで寝ろ、と言われたっけな。
「思い出した? それから何度も呼んでいたでしょ、ぼくが青の間に慣れるまで」
「うむ。お前、遠慮なく呼んでくれるんだよなあ、俺の都合も考えずにな」
パジャマに着替えたら一杯やるか、と思っていたって、その前に攫われちまうんだ。
もういいだろうと、着替えは済んだと、瞬間移動でアッと言う間にな。
「その文句…。言われたっけね、何回も」
俺の酒をどうしてくれるんだ、って。ちゃんと取り寄せてあげた筈だよ、ハーレイのお酒。
これだよね、って瞬間移動で運んであげたよ、前のぼくは。
「そりゃまあ…なあ? そのくらいはして貰わんとな」
俺は夜な夜な攫われてたんだ、酒くらい飲んでもいいだろうが。
お前も安眠したかったろうが、俺だって酒を一杯やってだ、気分良く眠りたいんだからな。
「ハーレイには迷惑かけちゃったけど…。あれって、運命だと思わない?」
青の間に引越した日の夜からだよ、その夜から一緒に眠ってたんだよ?
恋人同士になるよりも前に、あのベッドを二人で使ってたなんて…。運命だよ、きっと。
前のぼくたち、恋人同士になるって決まっていたんだよ、もう。
「お前、いつでも最初からだと言ってるだろうが」
出会った時から特別なんだと、俺たちの仲は最初からだ、と。
「そうだっけね…。ハーレイはぼくの特別だっけ…」
アルタミラで初めて出会った時から、ハーレイとは息がピッタリ合ったし…。
ぼくに声を掛けてくれたのもハーレイだっけね、ぼくがシェルターを壊した後に。
二人で幾つも、幾つもシェルターを開けて回ったね、仲間を助けに。
あの時からもう始まってたんだね、ぼくとハーレイとは一緒に生きて行くんだ、って道が…。
メギドに滅ぼされたアルタミラで。
崩れてゆく星の炎の中で、出会って二人で必死に走った。生きようと、仲間を救い出そうと。
飛び立った船で、二人で眠った。ブルーがアルタミラの悪夢に襲われた夜に。
その船が白い鯨になった後にも、また二人で。
青の間が完成してブルーが引越した夜に、大きなベッドで寄り添い合って眠った。恋人同士にはなっていなかったのに。
そういう仲になる日が来るなど、二人ともまるで思っていなかったのに…。
「ハーレイ、やっぱり運命なのかな?」
ぼくたちが出会って、ずうっと二人で生きていたこと。
恋人同士じゃなかった時から、一緒のベッドで眠っていたこと…。
「うむ。今も一緒な所を見るとな」
運命だろうさ、間違いなく。前の俺たちが出会った時から、この地球で再会したのも全部。
そいつが運命ってヤツでなければ、運命って言葉を何処で使えばいいのやら…。
それともお前は運命じゃなくて、腐れ縁って言われた方がいいのか?
どうなんだ、と訊かれたから。
「運命だよ!」と即座に返した。きっと運命に決まっているから。運命の恋人同士だから。
青の間が出来て引越した日の夜から、同じベッドで眠った仲。
あの部屋に慣れてハーレイの添い寝が要らなくなるまで、何度も何度もハーレイを呼んだ。
今度は別々の家に住んでいるだけに、添い寝は無理そうなのだけど。
いつになったら眠れるだろうか、同じベッドで。
ハーレイの大きな身体にくっついて眠れる日はいつのことなのだろうか…。
「ねえ、ハーレイ…。今度、ハーレイと一緒に寝られるのは、いつ?」
本物の恋人同士にならなきゃ駄目なの、前みたいに添い寝はしてくれないの?
「さあなあ…? チビのお前が嫁に来たなら、添い寝だろうな」
それにだ、添い寝なら一度は経験済みだろうが、お前。
メギドの夢を見ちまった夜に飛んで来ただろ、俺のベッドに瞬間移動で。
あれっきり二度と飛んでは来ないが、あれも運命の出会いだろうさ。
一度くらいは添い寝をさせてやろう、と神様が運んで下さったってな、あの夜だけな。
だからだ、背伸びなんかはせずに、だ…。
ゆっくり大きくなるんだぞ、と頭をクシャリと撫でられた。
急がなくていいと、ゆっくりでいいと。時間はたっぷりあるのだから、と。
「うん…。うん、ハーレイ…」
分かってるよ、と頷いた。焦らないよ、と。
出会えたことが運命だから。
今の生でも、ハーレイと出会えたことが運命なのだから。
いつか一緒に眠れるだろう。
今度も添い寝で始まったのだし、いつかは本物の恋人同士。
ハーレイと同じ家で暮らして、ベッドも二人で同じのを使う。大きなベッドで二人で眠る。
生まれ変わって来た青い地球の上で、今度こそ何処までも恋人同士で…。
初めての青の間・了
※前のブルーが一人で眠るには、広すぎたのが青の間という部屋。それに慣れるまでは。
「不眠症になりそうだから」と、前のハーレイと眠っていたようです。微笑ましいお話。
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