シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
大好きなお風呂。ブルーはお風呂が好きでたまらない。
体調を崩してしまった時でも、熱が無ければ入ろうとするほどのお風呂好き。バスタブに入ってゆったり浸かって、寛ぎの時間。
今夜もゆっくりと身体を温め、心地良いバスタイムを楽しんだ後で、バスタオルをふわりと。
(ふふっ、幸せ…)
お日様の匂いのバスタオルが。
今日は朝から良く晴れた一日だったから。母がバスタオルも外に干して乾かしたのだろう、陽の光をたっぷり吸い込むように。ふわふわのタオルになるように。
機械でも充分乾かせるけれど、仕上がり具合は同じだけれど。
陽に当てたタオルはやっぱり違う。機械では出せない太陽の匂い、陽の光を吸うから漂う匂い。
ふわふわのフカフカに乾いたタオルは肌に気持ち良く、鼻でも感じる幸せの香り。
こういうタオルに出会えた時には、特に幸せになるけれど。いつも以上に幸せなお風呂上がりになるのだけれども、今日の幸せはもっと大きくて。
心の底から湧き上がる喜び、なんて幸せなのだろうかと。
ふわふわのタオルだと、ふかふかのタオルだと跳ねている心。弾んだ心。
バスタオルを羽織っただけだというのに。お日様の匂いの大きなタオルを一枚羽織って、水気を拭おうとしただけなのに。
(…なんで?)
何故そんな風に思ったのか。特別な気持ちになったのか。たった一枚のバスタオルで。
不思議でたまらない、お風呂上がり。
お日様の匂いのバスタオルならば、天気のいい日には必ず出会えるものなのに。母が出掛けたりしない限りは、ほぼ間違いなく出会えるのに。
(どうして今日は特別なの?)
身体を丁寧に拭いてみたけれど、分からない。ふかふかのタオルが水気を吸うだけ、濡れた肌が乾いてサッパリするだけ。お湯の温もりを残したままで。バスタブで身体を隅々まで包んだ、熱いお湯の名残を留めたままで。
拭き終わったバスタオルを専用の籠へと放り込む前に、顔だけを埋めてみたけれど。
何か分かるかとパジャマ姿でバスタオルに顔を埋めたけれども、掴めない理由。幸せの理由。
バスタオルは水気を吸ってしまって、もうフカフカではなかったから。
ふわふわの幸せも、お日様の匂いも、何処かへ消えてしまったから。
仕方ないから、湿ったバスタオルに別れを告げた。専用の籠へと放り込んで。
温まった身体で部屋に戻って、腰を下ろしたベッドの端。
パジャマだけでも寒くはないから、そのまま其処で考え事。お風呂上がりからの考え事の続き。
(バスタオル…)
どうしようもなく幸せだった。バスタオルを肩に羽織っただけで。
ふかふかのタオルが濡れた身体を包み込んだだけで。
(それはいつもと変わらないのに…)
お日様の匂いのバスタオルが気持ちいいのは、普段と同じ。幸せだけれど、当たり前のこと。
幸せなのだと感じるけれども、ふわふわでお日様の匂いだから。太陽の光を浴びたバスタオルで昼間の幸せが蘇るから。今日は天気のいい日だったと、こんな幸せな出来事があった、と。
けれども今日は違っていた。いつもの幸せとは違っていた。
もっと大きな幸福感。満ち足りた気持ちとは少し違って、身体中に幸せが広がった。
ふかふかのタオルだと、ふわふわのバスタオルに包まれたと。
自分にとっては当たり前の小さな幸せなのに。湯気を立てているホットミルクやココアを喉へと落とし込む時、ホッとするのと変わらない程度の小さな小さな幸せなのに。
なのに特別に思えた幸せ、心が弾んだほどの幸せ。
では、あの気持ちは…。
(…ぼくじゃない?)
今の自分とは違う自分が連れて来たろうか、あの幸せを?
たった一枚のバスタオルだけで、太陽の匂いのバスタオルだけで。
(今のぼくとは違うとしたら…)
それならば分かる。前の自分の記憶が心を掠めたのなら、違う幸せにも出会うだろう。
前の自分は、今の自分とは全く違った人生を生きていたのだから。
違う人生ならば幸せの記憶もまるで違うし、同じバスタオルでも見る目が異なる。
(シャングリラにはお日様、無かったしね…)
白い鯨の公園などを照らした光は人工のもので、洗濯物など干してはいない。乾かしていない。
そのせいで幸せだと思っただろうか、地球の太陽の光の匂いがするタオルだと。
(…そうなのかな?)
前の自分も太陽の光は知っていたから。白い鯨の外に出た時は、アルテメシアの太陽の日射しを浴びていたから、それが幸せの記憶なのかと考えた。
前の自分は眺めるだけしか出来なかった太陽、洗濯物を乾かすことなど出来なかった光。
きっとそうだと、そういう記憶が幸せを運んで来たのだろうと、遡ってみた前の自分の記憶。
太陽の記憶は何だったろうかと、バスタオルの幸せと繋がらないかと手繰り寄せていて…。
(アルタミラ…!)
それだ、と気付いた幸せの意味。バスタオルで感じた幸福の理由。
アルテメシアの太陽の記憶では無かった、あの幸せを連れて来たものは。バスタオルに包まれて幸福感を覚えたことの引き金、それは前の自分の辛く惨めな時代の記憶。
(…あの頃は何も無かったんだよ…)
狭い檻と幾つもの実験室。檻から引き出されて歩いた通路といったものしか無かった時代。
自分の意志では何も出来なくて、持ち物さえも何も無かった。自由に使えるものなどは無くて、心も身体も成長を止めた。
自分では意識しなかったけれど、育っても未来がありはしないから。何処までゆこうが檻の中が全て、其処から自由に外に出られはしないから。
(バスタオルなんて…)
何処にも無かった、ただの一枚も。
お日様の匂いのタオルどころか、くたびれて湿ったバスタオルさえも貰えなかった。そういった物は不要だったから。実験動物にお風呂など要りはしなくて、バスタオルも同じ。
実験や日々の暮らしで汚れてしまった身体は洗浄用の部屋で洗われた。四方八方から吹き付ける水で洗われ、それが終われば乾燥用の風が壁から吹き出した。
実験で傷ついた身体が、肌がひび割れようとも、実験動物は乾かされるだけ。
柔らかいタオルを貰えはしなくて、自分の身体を拭くことも出来ずに乾かされていた。どんなに痛くて転げ回ろうが、悲鳴を上げて蹲ろうが、乾燥用の風は止まらなかった。
実験動物に優しくしてやる必要は無いと、バスタオルも風呂も、何もかも要りはしないのだと。
あまりにも惨い時間を、日々を長く過ごしたから、研究所の檻で生きていたから。
アルタミラから脱出した直後に浴びたシャワーが嬉しかった。燃え上がり崩れゆく星を走る内に汚れてしまった身体を清めてくれたシャワーが、冷水ではなくて熱かった湯が。
それにシャワーを浴びに行く時、「ほら」と渡されたバスタオルも。
ハーレイが貰って来てくれたバスタオル。ふわりと乾いていたタオル。
「要るだろ」と褐色の手が差し出した。
シャワーを浴びるならタオルが無いと、と大きなバスタオルを渡された。これを使えと。
(あの時のタオル…)
成人検査を受けるよりも前の記憶は全て失くしてしまったけれど。
シャワーを浴びたり、バスタブに浸かったり、そうした記憶も微塵も残っていなかったけれど。
辛うじて覚えていた使い方。シャワーも、ふかふかのバスタオルも。
熱いお湯で身体中の埃を洗い流して、サッパリした後にくるまったタオル。ふかふかのタオル。乾燥用の風とは違って、身体を優しく包み込んだタオル。何の痛みも感じさせずに、ただ心地良さだけを与えてくれた。肌に残った水気を吸い取り、乾かしてくれた。
その時に感じた幸福感。ふかふかの手触りが幸せだったバスタオル。
実験動物から人になれたと、バスタオルを使える人間の世界に戻れたのだ、と。
後にシャングリラと名を変えた船に乗り込んでからは、当たり前に使えたバスタオル。
シャワーを浴びに行きたい時には一枚、いつでも自由に使って良かった。様々なものを洗濯する役目を選んだ者たちが、毎日洗ってくれていたから。洗って乾かし、所定の場所に置いたから。
そこから一枚、好きに取ってはシャワーを浴びに出掛けていた。
人間だからこそ出来た贅沢、シャワーも、それに乾かすための大きなバスタオルも。
最初の間は船に備え付けられていたバスタオルを使っていたのだけれども、人類の船から物資を奪うようになると、バスタオルの質はぐんと上がった。専用に運ぶ輸送船から失敬したから。同じ奪うなら上質なものをと、高級品を狙ったから。
そうして良いものを使っていたから、白い鯨が出来上がった後も。
(タオルはふかふか…)
青の間のタオルも、仲間たちが使ったバスタオルも。
肌触りの良いタオルに慣れたら手放せないから、作る者たちも妥協しないで本物を目指した。自給自足の船の中でも良いものは出来ると、作り出せると。
(うん、本当にふかふかだったよ…)
アルタミラから脱出した直後に使ったバスタオルも、白いシャングリラのバスタオルも。
乾いた空気をたっぷりと含んでふかふかしていた、お日様の匂いはしなかったけれど。船の中に本物の太陽は無いから、日射しは存在しなかったから。
(だけど、ふかふか…)
幸せだった、と思い出したから。あのバスタオルが幸せな日々だったのだ、と気付いたから。
明日、ハーレイに話してみようと思った。自分が見付けた幸せのことを、記憶の彼方から届いたバスタオルの幸せのことを。
明日は土曜日だから、ハーレイが訪ねて来てくれる日だから、バスタオルのことを。
忘れないよう、メモを取り出して「バスタオル」と書き、勉強机の真ん中に置いた。こうすれば朝には気が付くだろうし、忘れていても思い出せるから。
翌朝、目覚めてメモを目にして。
(バスタオルだっけね)
もう忘れない、と顔を洗いに行ったら、其処でもタオル。ふかふかの感触、お日様の匂いがするタオル。一度戻った記憶は鮮やかで、そのタオルも昨夜の幸福感を届けてくれた。
ふかふかのタオルは幸せなのだと、こうしたタオルを使える幸せな日々を自分は手に入れたと。
顔を拭いて、それから朝食を食べて。部屋の掃除を終えて待つ内に、鳴らされたチャイム。待ち人が部屋にやって来たから、テーブルを挟んで向かい合わせに座ったから。
母が置いて行ってくれたお茶を飲みながら、早速、タオルの話を始めた。
「ねえ、タオルって幸せだよね。…バスタオルとか」
「はあ?」
意味が掴めていないハーレイ。怪訝そうな顔をしているハーレイ。
それはそうだろう、いきなりタオルの話では。しかも「幸せ」などと言われたのでは。
だから慌てて続きを話した。「アルタミラの後」と。
初めてシャワーを浴びに行く時、ハーレイにタオルを貰ったよ、と。
バスタオルを「ほら」と渡してくれたと、「要るだろ」と持って来てくれたと。
「ああ、あれな。…お前、ボーッとしていたからな」
シャワーの順番、もうすぐだぞ、と言ってやってもボーッとしてて…。
どうすりゃいいのか分からない、って顔をしてたから、バスタオルを貰いに行って来たんだ。
「そうだった…?」
覚えていないよ、シャワーがとっても嬉しかったことは覚えているけど…。
ハーレイがバスタオルをくれたってことも、ちゃんと覚えているんだけれど。
「そのシャワー。…バスタオルもだが、使い方から教えなくちゃいかんのかと思ったぞ、俺は」
何もかもすっかり忘れちまって、シャワーの浴び方も分からないかと…。
バスタオルの意味も分かってないかと、一瞬、本気で心配したな。
「いくらなんでも、そこまでは…。ううん、ちょっぴり危なかったかも」
シャワーの使い方、絵で書いてあったから分かったけれど…。あれが無かったら、お湯と水との切り替えなんかは気が付かなくって、頭から水を浴びていたかも…。うんと冷たいのを。
それで身体が凍えちゃっても、お湯にすればいいって知らずに最後まで浴びて。
バスタオルだって、身体を拭く代わりにくるまって震えていたかも、そういう使い方だ、って。
シャワーを浴びたら寒くなるから、暖かくなるように羽織るんだ、って。
「お前なあ…。やはり危険はあったわけだな、あの時のシャワー」
ボーッとしていただけじゃないんだな、半分、分かっていなかったんだな。
シャワーって言葉を覚えてはいても、記憶は曖昧になっていた、と。
その日の気分で熱い湯にしたり、冷たい水でスッキリしたりといった部分は忘れてたのか…。
記憶が危うくなっていたなら付き添ってやれば良かったな、とハーレイはフウと溜息をついて。
「…それで、バスタオルだかタオルだかの何処が幸せだと言うんだ、お前は?」
使い方を間違えそうだったらしいが、どの辺が幸せに繋がるんだ…?
「そっちは今のぼくとも繋がっているんだよ。ふかふかのをいつでも使えるもの」
お日様の匂いがしているタオルとか、バスタオル。ふかふかのフワフワのタオルのこと。
前のぼくもタオルを使う時には幸せな気分がしたけれど…。
今のぼくだと当たり前になってしまっているよね、ほんのちょっぴりだけの幸せ。バスタオルの使い方も危なかったような前のぼくだと、もっと幸せだったのに…。
お日様の匂いのバスタオルだったら、幸せどころか感激だろうと思うんだけど…。
「なるほどなあ…。それがタオルの幸せってヤツか、やっと分かった」
お前、青の間でも言っていたしな。ふかふかだ、って。
「やっぱり話していたんだね、ぼく。…前のぼくのタオルの幸せのこと」
「毎日ってわけではなかったがな」
たまに思い出したように話していたなあ、こういうタオルが使える毎日は幸せだ、とな。
そういや、前のお前のタオルの幸せ。
バスタオルだとかタオルだけじゃなくて、もっと他にもあったっけなあ…。
ふかふかになったタオルの幸せ。それを使える日々の幸せ。
前のブルーはバスタオルやタオルの他にも幸せを感じていた、と言われたけれど。
それが何なのか、どういったものでタオルの幸せを噛み締めていたのか、考えてみても欠片さえ思い出せなくて。何処にタオルの幸せがあったか、手掛かりさえも見付からなくて。
「…ハーレイ、それって何処にあったの? 前のぼくが言ってたタオルの幸せ」
バスタオルとかタオルじゃないなら、何処からタオルの幸せになるの…?
「ん…? タオルそのものではなくてだな…。タオル地ってヤツだ、バスローブだ」
あれはタオル地で出来ていただろ、風呂上がりにしか着ないわけだが。
「あったね、そういうバスローブ…。お風呂上がりにしか使わないから、贅沢だって?」
そう言ったのかな、前のぼく。こんなに贅沢な使い方をしているタオルだよ、って。
お風呂上がりにしか着られない服を作れる生活が出来るんだよ、って。
「いや、そうじゃなくて…。お前が幸せを感じていたのは俺のバスローブだ」
「ハーレイの…?」
普通のより多めに生地が要るからかな、ハーレイのためのバスローブだと。
うんと贅沢に作れる時代になったんだ、って眺めていたかな、前のぼくって…?
「うーむ…。その様子だと、お前、忘れたんだな。せっせと運んでくれていたのに」
「え…?」
何のことかとブルーは首を傾げたけれど。思い出せないタオルの幸せ、ハーレイのバスローブを運んだ自分。何処から何処へと運んでいたのか、何故バスローブを運んだのか。
まるで全く記憶には無くて、「どういう意味?」と尋ねてみたら。
「そのままの意味だ、前のお前がやっていたんだ。…流石にアレは隠しておけないからな」
瞬間移動で運んでくれたぞ、俺の部屋から。戻す時にも瞬間移動で。
忘れちまったか、俺のバスローブをお前が運んでいたことを?
「ああ…!」
分かった、とブルーの脳裏に蘇った記憶。
確かに自分が運んでいた。前の自分が瞬間移動で、タオル地のハーレイのバスローブを。
白いシャングリラで暮らしていた頃、ハーレイと秘密の恋人同士だった頃。
毎夜のように青の間に泊まっていたハーレイ。ブルーのベッドで眠ったハーレイ。
朝まで青の間で過ごすからには、シャワーも浴びるし、バスタブにも浸かる。そうなってくると必要だったバスローブ。風呂上がりにだけ纏う、タオル地で出来たバスローブ。
バスタオルやタオルはハーレイが使っても誤魔化せたけれど。ブルーが多めに使ったらしい、と部屋付きの係は納得して洗濯しに行ったけれど。
バスローブの方はそうはいかない。数は誤魔化せてもサイズという壁が立ちはだかった。
「ハーレイのバスローブ、大きかったものね…」
「そういうこった。お前のを借りて着るってわけにはいかなかったんだ」
俺の身体には小さすぎるし、どうにもならん。
丈は短めで済ませるにしても、肩幅からして違うヤツをだ、無理に着られはしないだろうが。
大は小を兼ねるって言葉はあっても、逆の言葉は無いんだからな。
ハーレイが青の間に泊まるからには、バスローブが欠かせないのだけれど。ブルーのサイズでは役に立たないし、ハーレイ用のものを纏うしかない。シャングリラで一番サイズの大きなハーレイ用のバスローブを。
けれども、替えの下着などと同じで、ハーレイが青の間に持っては来られないバスローブ。船の中を持って歩けはしない。替えの下着やバスローブといった、明らかに泊まりのための荷物を。
だからブルーが運んでいた。瞬間移動で、バレないように。誰にも見付からないように。
ハーレイが泊まるための荷物を、大きなサイズのバスローブなどを。
「…忘れちゃってたよ、ハーレイのバスローブを運んでいたこと…」
あれも一種のタオルだよね、とハーレイを見れば「うむ」と返って来た返事。
「それでだ、お前のタオルの幸せってヤツは、運んでいたって話じゃないぞ」
お前が俺の部屋に泊まる時には、お前、俺のを使っていたろう。
大きすぎると、袖は余るし丈も長すぎると言ってはいたがだ、自分のは持って来ないんだ。
俺のヤツがいいと、これを着るんだと、いつもブカブカのを着て御機嫌だったぞ。
「そうだっけね…」
そっちもすっかり忘れちゃっていたよ、ぼくがハーレイのを着てたってこと。
とても大きなバスローブだよね、って思いながら借りていたのにね…。
大きかったハーレイのバスローブ。袖丈は余ったし、着丈もブルーには長すぎたけれど。身幅も余っていたのだけれども、幸せだった、という記憶。
ハーレイの身体の大きさを感じて、幸せに浸っていた記憶。
あのバスローブをまた着てみたい。タオル地で出来た、ハーレイのためのバスローブを。
だから…。
「ハーレイ、今もバスローブを使ってる?」
お風呂上がりには着ていたりするの、バスローブを?
「まあな。直ぐにパジャマ、って気分じゃない日はバスローブだなあ…。しかし、お前は…」
使っていそうにないなあ、チビだしな?
バスローブなんぞは着る暇も無くて、風呂上がりは直ぐにパジャマだろうが。
「うん…。バスローブなんかは持っていないよ」
でも、ハーレイが持っているなら、またハーレイのを着たいんだけど…。
ぼくには大きすぎるバスローブ、今度も着させて欲しいんだけど…。
着せてくれる? と小首を傾げたけれど。
ハーレイは首を縦には振らずに、「駄目だ」とすげなく断った。
「駄目だな、結婚するまでは駄目だ」
お前がどんなに頼み込もうが、強請っていようが、結婚するまで着せてはやれん。
「やっぱり…?」
駄目なの、ハーレイのバスローブ?
ぼくが育ってキス出来るようになっても、ハーレイの家へ行けるようになっても、バスローブは着せてくれないの…?
「当然だろうが。けじめだ、けじめ」
何度も言っているだろうが、と額を指で弾かれた。
バスローブを着るような状況を先走って作りはしないと、そういったことは結婚式を挙げるまで我慢しておけと。
まずはプロポーズでそれから婚約、ブルーが待ち望む関係になれるのは結婚してから。
何処へ行っても後ろめたい思いをせずに済むよう、正しい付き合いをしなくては、と。
「…前のぼくたちには、誰もなんにも言わなかったのに…」
けじめなんて言葉はハーレイだって一度も言わなかったよ、ぼくは一度も言われていないよ。
「そもそも誰も知らなかっただろうが、前の俺たちの関係のことは」
知られていなかったし、知らせるつもりも全く無かった。けじめも何もあるもんか。
前のお前と結婚出来ると言うんだったら、俺もあれこれ考えて動いていただろうがな。
しかし今度はそういうわけにはいかないのだから、と諭された。
いつか結婚して共に暮らそうと思うからには、そこに至る道筋を外れないように。けして前後を間違えないよう、後ろめたい気持ちにならぬように、と。
おまけに、今の互いの立場は教師と生徒。ブルーの守り役でもあるハーレイ。
そういう関係の二人だからこそ、けじめが大切。正しく、と。
「親父にも厳しく言われてるんだ。俺の顔を見たら注意するんだ、親父はな」
あんな小さい子に手を出しちゃいかんと、結婚するまで我慢しろと。
いくら将来を誓ってはいても、それとこれとは別物だってな。
「…キスしてもいいよ?」
ぼくはちっともかまわないから、キスしてくれてもいいんだけれど。
ハーレイのお父さんに言い付けやしないし、ちゃんと一生、内緒にするから。
「キスも駄目だと何度も言ってる筈だがな?」
前のお前と同じ背丈になるまでは駄目だと言った筈だが?
タオルの幸せとやらを綺麗サッパリ忘れていたついでに、そっちも忘れてしまったか、お前…?
絶対に駄目だ、と鳶色の瞳に睨まれた。キスも大きくなるまで駄目だと。
キスさえも駄目では、いつになるやら見当もつかないハーレイのバスローブを借りられる日。
ブルーの身体には大きすぎるそれを、借りて幸せに浸れる日。
ガックリと項垂れたブルーだけれども、髪をクシャリと撫でられた。伸びて来た手に。
「そうしょげるな。前のお前もお気に入りだった、俺用のでっかいバスローブだが…」
いつかお前と揃いで買えるさ、いつかはな。
「お揃い?」
「そうだ。お前、お揃いが大好きだろうが。バスローブも揃いにしようじゃないか」
前の俺たちでは、そういうわけにはいかなかったが…。
ある意味、揃いのバスローブではあったがな。シャングリラではバスローブのデザインは一種類だけで、誰でも同じのデザインだったし…。
男用のと女用の違いは胸の刺繍の色だけだったろ?
男用が水色で女用がピンクだったかなあ…。ミュウの紋章の形の刺繍。
しかし今度は色々なデザインのを選べるぞ、と微笑まれた。
サイズさえあれば気に入ったものをと、色も形も選び放題だと。
「…じゃあ、ぼくのとハーレイのと、両方のサイズがあるヤツを?」
これがいいな、と思うのがあったら、サイズは色々あるんですか、って訊いてみるわけ?
「そうさ、楽しい買い物だろう?」
お前がこれにするんだ、と思うのを選べばいい。まずは選んで、それから店員さんの出番だ。
俺のとお前の、両方のサイズがあるかどうかを調べて貰って、あったら二人で買って帰ろう。
お前の好みで選んじまって、俺にはまるで似合わなくても、俺はそいつにしておくから。
「うんっ! ハーレイと二人で買いに行くんだね」
大丈夫だよ、ぼくの好みを押し付けたりはしないから。
それよりハーレイが選ぶのがいいよ、自分に似合いそうなのを。ぼくがそっちに合わせる方。
だって、ハーレイのを借りたいんだから。
また借りて着ようと思ってるんだし、ハーレイに似合うのを選んで買おうよ、お店に出掛けて。
「ふうむ…。お前が借りて着たいと言うなら、そうなるか…」
俺の好みで選んじまってもかまわないんだな、どうせお前は俺のを借りて着たがるんだから。
…そうすると俺のは二着要るなあ、そのバスローブ。
俺が着ようと思っているのに、お前が横から持って行くんだしな…?
もっとも、脱がせりゃ済むわけなんだが、お前が俺のを着ていたとしても。
ただなあ、それだと二人揃ってバスローブを着ている時間が無いしな…。
やっぱり二着か、買う時には。…俺はすっかり忘れてそうだが、二着要るんだということを。
いつかは揃いのバスローブ。それを二人で買いに出掛ける。
だからそれまではけじめだな、と念を押されてしまったけれど。バスローブは貸してやらないと言われたけれど。
アルタミラの檻で生きていた頃には、思いもよらなかった幸福すぎる未来だから。
白いシャングリラでさえ、夢にも見なかった結婚生活だから。
文句を言っては駄目だと思うし、膨れもしない。いつか必ず、そういう未来が来るのだから。
「ねえ、ハーレイ。今度はハーレイが泊まるための荷物、運ばなくてもいいんだね」
今のぼくは瞬間移動も出来ないけれども、運べなくても大丈夫だよね?
「ああ、堂々と同じ家で暮らしているんだからな」
荷物なんかを運ぶ必要は微塵も無いなあ、家の中で移動するだけだしな?
二人一緒に暮らしてる家で、誰も文句を言いやしないさ、俺たちだけしかいないんだからな。
そんな生活だから夜も長いぞ、とパチンと片目を瞑られた。
土曜日は特に、と。いくら夜更かしをしてもいいのだから、と。
「…うん…」
意味を考えて、頬が真っ赤に染まったけれど。耳まで赤いかもしれないけれど。
今度は揃いのバスローブ。二人で選んだバスローブ。
バスタオルをふわりと身体に巻き付ける時の幸せにしても、前の生より、もっと、きっと…。
そう考えた心が零れていたのだろう。ハーレイがニヤリと笑みを浮かべた。
「うんうん、バスタオルの幸せだっけな。お前の幸せの記憶の始まり」
なんなら風呂上がりには俺が拭いてやろうか、バスタオルで?
そしてバスローブを着せてやる、と…。
お前のその日の気分に合わせて、お前のサイズのや、俺用のヤツを。
「えーっと…。それってちょっぴり恥ずかしいかも…」
「恥ずかしい? チビのお前はそうかもしれんが…」
結婚する頃には言わないんじゃないか、その台詞。
なにしろ俺の嫁さんなんだし、大切に拭いてやるくらいはなあ…?
前の俺たちならやってたろうが、と指摘されてみれば、そうだった。
そんな日もあった、ハーレイがブルーの身体をバスタオルでくるんで拭いていた日も。
「いいな、そういう日が来るまでは、だ…。それまでは正しく、けじめだな」
結婚した後にはけじめは要らんし、楽しみにしとけ。
俺のバスローブを借りるってヤツも、俺にバスタオルで拭かれる方も。
「うん…」
今は我慢するしかないんだね?
ハーレイのバスローブを借りたくっても、結婚まで我慢。
けじめだなんて言われちゃったら、貸してって頼んでも無駄みたいだしね…。
「うむ」と大きく頷いたハーレイ。「けじめってヤツが大切なんだ」と。
言い聞かされるとちょっぴり不満で、けれど、とびきり待ち遠しい。
その日が来るのが、けじめとやらが要らなくなる日が。
結婚したなら、ハーレイとお揃いのバスローブ。
それを着せて貰う、その日の気分で自分のを着たり、ハーレイのを貸して貰ったり。
お風呂上がりにバスタオルで優しく拭いて貰って、「また後でな」とハーレイはバスルームへ。
そしてハーレイがバスローブ姿で戻って来たら。
温まった身体をバスローブに包んで、ブルーの所へやって来たなら。
二人きりの甘くて長い夜が始まる、この地球の上で。
生まれ変わって再び出会えた、青い地球の上にあるハーレイの家で…。
タオルの幸せ・了
※ブルーがバスタオルから感じた幸せ。前の生でのアルタミラの記憶と、その後に得た自由。
けれど、それだけではなかったのです。前のハーレイのバスローブ。さて、今度は…?
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