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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

毬つき

(いいな…)
 羨ましいな、とブルーは小さな溜息をついた。
 学校から帰って、おやつの時間の最中だけれど。羨ましいものはお菓子などとは全く違った。
 帰り道に出会った微笑ましい光景。バス停から家まで歩く途中で見たキャッチボール。
 下の学校に通う男の子、確か二年生か三年生。その子と、ブルーも顔馴染みの父親。その二人がキャッチボールをしていた、家の前の道路で楽しそうに。
 今日は父親の仕事が休みで、遊ぶ時間が取れたのだろう。親子で仲良くボール遊び。
 それが羨ましいと思ってしまう。ボールのやり取り、点数などとは関係無しに。



(ぼくもハーレイと…)
 あんな風に遊んでみたい、という気になった。遊ぶ親子を見ていたら。飛んでゆくボールや弾むボールを眺めていたら。
 ボールを使ったコミュニケーション、投げて、受け止めて、受け止め損ねて笑い合って。
 父とではなくて、ハーレイとボール遊びをしてみたい。さっきの親子がしていたように。
 キャッチボールもいいし、サッカーだって。
 大勢でボールを奪い合うサッカーは疲れるけれども、一対一なら、きっと楽しい。そう思える。ハーレイは手加減してくれそうだし、ボールの扱いも上手そうだから。



(明日はサッカーする子だって…)
 いるんだけどな、と壁のカレンダーに目を遣った。
 今日は金曜、明日は土曜日。学校も仕事も休みの週末、父親と遊ぶ予定の友人も少なくはない。現に一人はサッカーだと言った、近くに住んでいる従兄弟たちも一緒にサッカーだと。
(近所の公園でやるんだぜ、って…)
 チームの人数は少ないけれども、父や従兄弟や叔父たちとサッカー、頑張るんだと声を弾ませていた友人。試合の後には家に帰ってバーベキューだとも。
 バスケットボールを父に教わるという友人もいた。家の庭に作って貰ったゴールを目指して父と練習、教える父は学生時代にバスケットボールのクラブに所属していたから、と。



(ボール遊び…)
 明日は友人の他にも多くの同級生たちがやるのだろう。父親と遊ぶ予定の子も何人も。
(ぼくだって…)
 幼い頃には父とボールで遊んだ。生まれつき身体の弱い子ではあっても、少しくらいは。
 けれども学校の友人たちがやるような激しい遊びはとても出来なくて、ほんの真似事。サッカーボールは蹴ると言うより転がす程度で、それを追い掛けて遊んでいた。庭の芝生で。
 キャッチボールもして貰ったけれど、ボールが行き交う距離は短く、すぐに休憩時間になった。何度か投げたら、キャッチ出来たら「休もうか」と。
(あんまり頑張ると疲れちゃうから、って…)
 サッカーも、それにキャッチボールも、満喫する前に「このくらいにしよう」と父が宣言した。ボール遊びは終わってしまって、家の中へと促された。
 半時間も遊んでいなかったろうか、それでもはしゃいで熱を出すことが多かった。父は加減していたのだけれども、ブルーは全力だったから。身体中でボールを追っていたから。



 幼かった頃には熱を出そうが、懲りずに父にボール遊びを強請ったけれど。
 分別というものが身に付いて来たら、ボール遊びと発熱の関係も分かってくるから、無理を言うことも少なくなって。
 自然とやらなくなってしまった、庭での父とのボール遊び。
(それをハーレイとやろうだなんて…)
 絶対に無理、と首を振った。
 ハーレイが手加減してくれていても、きっと自分には強すぎる。投げられるボールが、ボールの飛んで来る強さが。
 第一、ボールを持ってはいない。遊ばないから、家には一つも。



(でも、ボール遊び…)
 やってみたい、と心で思い描く。
 幼い頃に父とやっていたように、ハーレイと二人でボール遊びを。
(キャッチボールでもいいし、サッカーだって…)
 うんと遅めに投げて貰えば、キャッチボールも出来そうで。転がすだけならサッカーだって。
 出来たらいいな、と思うけれども、自分の家には無いボール。
 ハーレイの家には大勢の生徒が遊びに行くから、持っているかもしれないけれど。庭でボールを使って遊ぼう、と置いているかもしれないけれど。
(頼んだら持って来てくれそうなんだけど…)
 出来るだろうか、ハーレイと何かボール遊びが。
 今までに一度もしていないけれど、ハーレイは付き合ってくれるだろうか?
 柔道だの水泳だのをやる子たちとはまるで違って、弱々しい自分とのボール遊び。家にボールを持っていたとしても、持って来た上で手加減してまで、我儘に付き合ってくれるのだろうか…?



 自分の部屋に戻った後にも考え込んでいたら、チャイムが鳴った。
 ボール遊びをしてみたくなった、そのハーレイがやって来たから。仕事帰りに訪ねて来たから、ついつい口から零れた言葉。テーブルを挟んで向かい合わせで座った途端に。
「…ボール遊び…」
「はあ?」
 怪訝そうな顔になったハーレイ。
 「ボール遊びがどうかしたのか?」と尋ねられたから、学校の帰りに見かけた親子の話をした。キャッチボールをしていた親子。とても羨ましかったのだ、と。
 それに友人たちの明日のボール遊びの予定も話した、幼い頃には父と遊んでいたことも。
 だからハーレイと何か出来たらと、ボール遊びをしてみたい、と。
「ボール遊びか…。お前、身体が弱いしなあ…」
「やっぱり駄目? ぼくの家、ボールも無いんだよ」
 遊ばないから無くなってしまった、とボールが無いことも打ち明けた。ボール遊びに欠かせないボールを持っていないと、ハーレイの家にはあるだろうか、と。
「ボールなあ…。そりゃあ、無いこともないんだが…」
 クソガキどもを遊ばせるんなら、庭でボールは定番だしな?
 しかし、お前とボール遊びか…。そいつは思いもよらなかったな。



 考えてはおく、と言ったハーレイ。
 頭から駄目だと断られたわけではなかったから。
(ボール遊び…。してくれるのかな?)
 キャッチボールでも、サッカーでもいい。手加減だらけで、転がるボールを拾うだけでもきっと楽しい、ハーレイとなら。ハーレイとボールで遊べるのなら。
 明日の土曜日には出来るのだろうか、ボール遊びが?
(出来たらいいな…)
 幼稚園児並みの扱いをされてもかまわないから。
 ハーレイが転がしてくれるボールを拾うだけでも充分だから。



 そして迎えた土曜日は晴れ、庭で遊ぶには最高の天気。
(ボール遊びが出来るといいのに…)
 やってみたいよ、と首を長くして待つ内、訪れた待ち人。二階のブルーの部屋でハーレイが荷物から出して来たボール。サッカーボールよりも小さなボール。
「持って来てやったぞ、ご注文のボール」
「ボール遊びをしてくれるの?」
「うむ。外へは出ずにな」
「えっ?」
 ボール遊びなのに、と目を丸くしたら、「お母さんたちには言っておいた」とウインクされた。心配無用だと、今日は二人でボールで遊ぼうと。
 外へは出ないというボール遊び。ハーレイが手にしたボールが何かも分からない。
(バレーボールとも違うよ、あれ…)
 真っ白なボール、艶のあるボール。見た目にはよく弾みそうなボール。
(何をするわけ…?)
 しげしげとボールを見詰めていたら、ハーレイはボールを床へと置いた。転がらないよう、手を添えてそっと。その場に落ち着いてしまったボール。
「まあ、食っちまえ、菓子」
 ついでにお茶も飲むんだな。腹が減っては戦が出来ん、と言うだろうが。
「うん…」
 そう答えてはみたけれど。やはり気になる、謎のボールと外へは出ないボール遊びなるもの。
(どんなのか想像つかないんだけど…!)
 けれど、お菓子を食べてしまわないと教えて貰えそうもない遊び。ボールの正体。仕方ないからフォークでケーキを口へと運んだ、ボールを横目で眺めながら。



 ボールの話はして貰えないまま、それでも二人で色々話して。ケーキのお皿が綺麗に空になり、一杯目の紅茶も無くなった所でハーレイが「さて」と椅子から立ち上がった。
「そろそろ始めてみるとするかな、ボール遊びを」
 お茶をおかわりする前に、とポットから二杯目の紅茶は注がず、「此処はシールド」と包まれたテーブル。ハーレイのグリーンのサイオン・カラーを纏って淡く輝くテーブル。
「シールドって…。何をするの?」
「こうするのさ」
 ハーレイが手に取った、さっきのボール。床に投げられ、ポンと跳ね上がったそれをハーレイの手が叩き落として、また跳ねたのを叩くから。
「えっと…。ドリブル?」
「そう見えるか? いいか、見てろよ」
「わあ…!」
 凄い、とブルーは歓声を上げた。ただのドリブルとは違っていたそれ。
 床から跳ねたボールに当たらないよう、ヒョイと片足を上げて下をくぐらせたり、跳ねるまでの間に身体をクルリと一回転させて何事も無かったかのようにポンと再び叩いたり。
 ボールをつきながら動くハーレイ、つく手を交差させたりもする。床で弾むボールを手で受けるけれど、叩いて床へと戻すけれども、それに合わせて様々なことをしてみせるハーレイ。
 それはさながらボールと戯れているかのようで。



「なあに、それ?」
 何と言う名前のスポーツなの、とブルーは尋ねた。見たこともない遊び方だから。ドリブルとはまるで違うから。
「毬つきさ」
「まりつき…?」
 聞いたことさえ無い言葉。毬という単語は知っているけれど、毬つきは初めて聞く言葉。
「毬は分かるだろ、ボールだな。そいつをつくんだ、こうして叩く、と」
 この辺りに日本って国があった時代の古い遊びだ、俺はおふくろに教わったんだ。
 本当はこうだ、と歌がついた。下手なんだがな、と苦笑いしながら。
「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ…」
 ボールを叩いてはクルリと回って、足の下をくぐらせたりしつつ歌うハーレイ。けして下手とは言えない歌。上手な歌。ブルーにも歌は聞き覚えがあって。
「その歌、それの歌だったの?」
 古い歌だっていうのは知っていたけど、えーっと、毬つき? それに使う歌?
「そうだ、本当はな。毬つきに使うから手毬唄と言うんだ」
 他にも色々あるんだが…。おふくろは幾つも歌えるんだが…。
 俺はこいつしか覚えてないなあ、歌よりも技の練習の方に夢中になっていたからな。



 やってみるか、と渡されたボール。ハーレイが意のままに操っていたボール。
 白いボールをポンとついてみて、床で弾んで戻って来たのを、またポンと床へ戻してやって。
「よし、その調子だ。基礎はきちんと出来るようだな」
 そこで片足、と合図されたから、右足を上げてみたけれど。ボールはその足をくぐる代わりに、足にぶつかって別の方へと飛んでしまった。もちろん追い掛けて叩けはしないし、好きにポンポン跳ねて転がってしまったボール。壁に当たってコロコロと。
「…失敗しちゃった…」
 ボールを拾って元の位置に戻ると、「コツが要るんだ」と教えられた。ボールが跳ね返るまでの時間を見定め、それに合わせて足を上げろ、と。
 理屈は理解できるけれども、上手くいかないのが毬つきで。
「違うな、手本を見せてやるからよく見ておけよ?」
 こうだ、とハーレイにかかれば何でもないこと、ボールを足にくぐらせること。あんな風に、と返して貰ったボールに挑戦してみるけれど。
(今かな?)
 これで出来る筈、と足を上げてもぶつかるボール。くぐってくれずに足に当たるボール。
 上手く出来ない毬つきの基本らしい技。足の下をくぐってくれないボール。



 ブルーがせっせと頑張っていたら、「一休みしろ」と解かれたテーブルのシールド。あらぬ方へ飛んだボールがカップやお皿を割らないように、とハーレイが張っていたシールド。
 そのテーブルを挟んで座って、お茶のおかわりをカップに注いでハーレイの昔話を聞いた。今はまだブルーは遊びに行けない、隣町のハーレイが育った家。庭に大きな夏ミカンの木があると聞く家。その家でハーレイが母に習った毬つきの話。
「おふくろは昔の遊びも好きなんだ。毬つきもその中の一つだな」
 ガキだった頃の俺には曲芸みたいに見えたんだ。覚えてやろう、と頑張ってたなあ、おふくろは笑っていたけどな。元は女の子の遊びなのに、と、そりゃあ可笑しそうに。
「女の子の遊びだったんだ…」
「うむ。男の方は同じ毬なら蹴鞠だ、蹴鞠」
「蹴鞠?」
「毬を蹴るんだ、しかし地面に落としちゃいかん。落とさないように蹴り続けるのさ」
 こう輪になって、と聞かされた蹴鞠は毬つきよりも遥かに難しそうだった。蹴り上げられた毬が自分の所へ落ちて来たなら、地面につく前に上へと蹴る。次の人へとパスを送る蹴鞠。
(…毬つきの方がよっぽど簡単…)
 一人で練習すればいいのだし、遊ぶ時にも一人だけ。自分のペースで遊べる毬つき、他の人からパスされはしない。それに何より、ハーレイに習った。ハーレイに教えて貰った毬つき。
 古い遊びでも、女の子向けの遊びであってもかまわない。ハーレイと同じ技を持てるのならば。



「毬つき、ぼくも上手になりたいな…」
 ハーレイがやってるみたいに、上手に。足の下をくぐらせるだけじゃなくって、他にも色々。
「ふうむ…。お前にピッタリのボール遊びかもしれんな、毬つきってヤツは」
「なんで?」
 どうしてぼくにピッタリだって言うの、ちっとも上手に出来ないのに。
「そこだ、上手に出来ないって所だ。毬つきはサイオン抜きでやるのが決まりだからな」
 サイオンを使っちまえば、俺がやってたような技だって誰でも出来る。毬の動きを操れるしな。しかし、そいつは反則ってヤツで、毬つきはサイオンを使っちゃいかん。
 つまりだ、お前みたいにサイオンが不器用なヤツでも、頑張り次第で上手に出来る、と。
「そっか…」
 ぼくだとズルをしたくなっても、サイオン、上手く使えないしね…。
 練習さえすれば、サイオンが使える人よりも上手に毬つき出来るかもしれないんだね。



 頑張れば自分だってハーレイのように毬つき出来る筈、と休憩を挟んで、また毬つき。
 白いボールと格闘する間、ハーレイはテーブルにシールドを張っていてくれた。それに毬つきの手本も何度も見せてくれたし、「今だ」とタイミングも声で知らせてくれた。
 「休めよ」と言うのも忘れずに。少し休めと、椅子に座れと。
 そうして二人で練習する内、母が運んで来た昼食。「上手になった?」と微笑んだ母。
 昼食を食べる間は毬つきは休憩、食後のお茶が運ばれて来るまで休んだけれど。
「ハーレイ、毬つき、またやろうよ」
 もうたっぷりと休んだから。一時間くらいは休んでいたから、さっきの続き。
「疲れちまうぞ。お前、俺が来てからずっと毬つきばかりだろうが」
 休む時間を取らせてはいるが、やりすぎはいかん。おやつを食べてからにしておけ。
「でも、覚えたいよ…!」
 休みすぎたら勘が狂うよ、ぼくは覚えていないんだから!
 足の下をヒョイとくぐらせるヤツ、まだ一回も出来ていないんだから…!



 あれを覚えるまで練習させて、とハーレイにせがんで、頑張って。
 続け過ぎると疲れるぞ、と渋るハーレイに「じゃあ、歌に合わせてつく練習」と言い訳をして、足は上げずにボールだけをついた。ボールが床から戻って来る時間を掴めるように。
「あんたがたどこさ、肥後さ…」
 そう歌いながらボールをついたり、足の下をくぐらせる練習をしたり。
 午後のおやつを母が運んで来るまで、休み休みで頑張った毬つき。歌に合わせてつく方は上手になったけれども、くぐらせられない足の下。
 おやつを食べ終えて、またやろうとしたら、「そのくらいにしておけ」と止められたけれど。
「もうちょっと…!」
 あと少しだけ頑張れば出来そうなんだよ、もうちょっとだけ…!



 結局、何度も休憩をさせられながらも、夕食前まで続けた練習。
 なんとかボールは足の下をくぐってくれるようにはなったけれども。
「…持って帰っちゃうの?」
 ボール、とブルーは帰り支度を始めたハーレイの手元を見詰めた。白いボールは荷物の中。出て来た時とは逆のコースで入れられてしまった、荷物の中へと。
「置いて帰ったら、お前、絶対、無理するからな」
 一人で練習なんかしてみろ、夢中になって時計なんか見ないに決まってる。
 俺がついてても「もうちょっと」ばかり言っていたんだ、見てなきゃ無茶な練習をする。
 そうならないように持って帰るさ、ボールが無ければどうにもならんし。



 「また明日な」と手を振ったハーレイと一緒に帰って行ってしまったボール。練習したくても、ブルーの家には無いボール。
 仕方がないから、あの歌を歌うことにした。毬つきの歌を。
「あんたがたどこさ…」
 歌に合わせてボールをついているつもりで上げてみた足。このタイミングならば、ボールは足に当たることなく上手にくぐってくれただろう。
(うん、こうやって練習すれば…!)
 ボールが無くても、弾む姿は覚えているから。本物のボールが跳ねていないから、どんな技でも練習出来そうな気さえしてくる。床で弾んで戻って来る前にこういう技を、と。
(クルリと回るの、やっていたよね…)
 弾むボールに背を向けるようにクルリと回転、そんな技さえ今なら出来る。ポンと叩いて、幻のボールが弾む間に身体をクルリと、ハーレイがやっていたように。
(こうして練習しておけば…)
 明日は上手につけるだろう。足をくぐらせる技を復習したなら、その次はこれ。
(きっとハーレイ、ビックリするよ)
 頑張らなくちゃ、と幻のボールを何度も何度もつき続けた。母に「お風呂よ」と呼ばれるまで。お風呂に入ってパジャマを着た後も、ベッドに入る時間になるまで、何度も何度も。



 満足するまで練習してからベッドに入ったブルーだけれど。
 心地良い疲れに引き込まれるように、ぐっすり朝まで眠ったのだけれど。
 日曜日の朝、目覚ましの音で目を覚まして起きようとした途端。
(えっ…?)
 クラリと軽い眩暈が襲った。枕に逆戻りしてしまった頭。
 一瞬だったから、天井が回りはしないけど。身体も重くはなかったけれど。
(いけない…!)
 昨夜、頑張り過ぎた毬つき。幻のボールで続けた練習。
 そうならないよう、ハーレイはボールを持って帰って行ったというのに。「無茶をしそうだ」と言われていたのに、本当に無茶をした自分。ありもしないボールをついているつもりで。
(…失敗しちゃった…)
 けれど眩暈はほんの一瞬、それきり起こらなかったから。
 何食わぬ顔をして顔を洗って、ダイニングで朝食を食べる時にも両親には言わずに隠し通した。今日も毬つきの練習をしたいし、新しい技も試したいから。
 眩暈を起こしたと告げてしまえば、母はハーレイに報告するに決まっている。そうなれば練習はさせて貰えず、ボールに触れられもしないのだから。



 幸い、二度目の眩暈は起こらず、顔色だって悪くはなくて。
 もう大丈夫だと、平気なのだと思っていたのに、訪ねて来てくれたハーレイは椅子に座るなり、ブルーの顔を覗き込むと。
「毬つきの練習、今日は駄目だな」
「えっ?」
 何故、とブルーは瞬きをした。新しい技にも挑みたいのに、何故駄目なのか。
「お前、具合が悪いんだろう?」
「そんなこと…!」
 ない、と反論したけれど。「顔に書いてある」と指摘された。それは隠し事をしている顔だと、具合が悪いに違いないと。
「寝てなきゃいけないほどでもない。…軽い眩暈を起こしたってトコか」
「なんで分かるの!?」
「後ろめたそうな目つきだからだ。バレませんように、と俺を見ているってことは、バレたら困る何かがあるってことで…。考えてみれば直ぐに分かるさ、お前は毬つきがしたいんだしな」
 具合が悪けりゃ、毬つきなんかはさせられん。そう言われるのが嫌で黙っていたんだろうが…。
 この俺に嘘をつこうだなんて、チビには百年早いんだ。
 前のお前の時にしたって、俺にだけはバレていたろうが。具合が悪いのに「大丈夫だよ」と嘘をついてたな、前のお前も。俺には呆気なくバレていたがな。



 今日は毬つきはさせられないな、と言い渡された。
 身体を動かす遊びは駄目だと、今日は大人しく過ごすようにと。
「…ボール…。ハーレイ、持って来ているんでしょ?」
 ほんのちょっとだけ、触っちゃ駄目? 一回か二回、ポンとつくだけ。椅子に座って。
「ボールは持っては来ているんだが…。こういうオチだと思っていたしな」
 俺が帰った後に何をしたかは知らないが…。お前のことだし、ボール無しでも何かやったな。
 無茶をするなと注意したって、この有様だ。今日はボールは禁止だ、禁止。
 これにしておけ、と荷物の中から出て来た小さなボール。そう見えたそれは、本物の手毬。
 色とりどりの糸でかがられ、美しい模様がついた手毬で。



「手毬…?」
 テーブルに置かれた手毬をブルーがまじまじと見詰めていると。
「毬つきってヤツは、元々はこういう手毬を使っていたんだ」
 今じゃ手毬は毬つきと言うより、飾り物になってしまっているがな。…もっとも、そいつはSD体制が始まるよりも前の時代から既にそうだった。実用品じゃなくて飾り物だ。
 同じ飾るなら凝った模様を、と色々な手毬が作られていたんだ、手間暇かけてな。
 この手毬は俺のおふくろの手作りの手毬だ、こういうのを作るのも大好きだからな。
「ホント…?」
「うむ。飾りだけあって、そんなに弾みはしないんだが…」
 やってみてもいいぞ、と促されたから、ブルーは手毬を床に向かって投げてみた。昨日ボールでやっていたように、跳ね返って来たらついてみようと。
 それなのに弾まない手毬。床に落ちても僅かしか跳ねず、コロンと転がってしまった手毬。
「…手毬なのに跳ねてくれないの?」
 床に屈んで拾い上げると、ハーレイが「うむ」と頷いた。
「さっきも言ったろ、飾り物だと。今じゃ毬つきはボールだってな」
 よく弾むボールがちゃんとあるんだ、こういう跳ねない手毬よりかは断然そっちだ。
 こんな手毬じゃ、出来る技も限られてくるからなあ…。
「そうだね、ハーレイがやっていた技、こういう手毬じゃ出来ないね…」
 どんなに上手についていたって、毬が高くは跳ねないんだもの。
 跳ねてる間にクルッと回ったりしている暇が無いよね、毬が落っこちちゃうものね…。



 飾りなんだ、とブルーは手毬を観察してみた。模様も地色も糸で出来ていて、幾重にも巻かれて毬の形になっている。芯になるものはあるのだろうけれど、それを一面に取り巻いた糸。中の芯が全く見えなくなるまで重ねて巻かれた細い細い糸。
(なんだか凄い…)
 どれほどの手間がかかるものなのか、どれほど根気が要るものなのか。細い糸だけで模様を描き出すなど、地色まで糸で埋め尽くすなど。
「気に入ったのか、それ? プレゼントしてやるわけにはいかんが…」
 大人しくするなら、そいつを貸しておいてやる。暫くベッドに横になっておけ。
「…寝るの?」
 寝なくちゃ駄目なの、ハーレイが来てくれたのに…?
「ぐっすり寝ろとは言ってないだろ、横になれと言っているだけだ。身体を休めた方がいい」
 疲れすぎたんだ、昨日の毬つきを頑張り過ぎて。それと、その後の自主トレーニングだな。
 明日、学校を休みたくなきゃ、しっかり疲れを取っておくんだ。
 横になるだけでも違うからなあ、座っているよりその方が早く治るってな。



 パジャマには着替えなくてもいいから、とベッドの方を指差された。
 言われるままに横になったら、ふわりと掛けられた薄い上掛け。
「ウッカリ寝ちまうってこともあるしな、これは掛けておけ」
「…うん…」
 寝たくないけど、と返したら「ほら」と置かれた手毬。枕の側に。ブルーからよく見える所に。
「眠気覚ましだ、さっき貸してやると言っただろう」
 触っていてもいいし、見るだけでもいい。退屈しのぎに持っておくんだな。
 もっとも、退屈している暇があるかは分からんが…。
 今から昔話をしてやる、この俺の昔話だぞ?
 それとも本物の昔話の方がいいのか、いわゆるお伽話ってヤツが。
「…ううん、ハーレイの昔話がいいよ」
 うんと昔の話がいい。ハーレイがぼくより小さかったくらいの、うんと小さな子供の頃の。
 そういう話を聞かせて欲しいな、せっかくだから。
「よしきた、俺のガキの頃だな」
 柔道と水泳はやってたんだが、そういうのは抜きで話してやろう。
 ネタだけは山ほど持っているんだ、武勇伝から失敗談まで、それこそ星の数ほどな。



 昔々、隣町の大きな夏ミカンの木がある家に…、と始まったハーレイの語る昔話。
 王子様の代わりにクソガキが主人公の物語。
(…ふふっ、クソガキ…)
 ブルーの知らない今のハーレイ、出会うよりも遥かに前のハーレイ。
 そのハーレイが、少年のハーレイが駆け回る姿が見える気がした、隣町の家で。夏ミカンの木がある家の庭を走って、あちこちに顔を突っ込んで回って。
 毬つきの練習は家の中で母と一緒にしたという。二人並んでボールをついて。
 弾むボールに猫のミーシャがじゃれついたことや、ミーシャにボールが当たったことや。
(痛かったよね、ミーシャ…。クソガキのボール)
 ミーシャの尻尾に当たったボールは、ハーレイがついたらしいから。ポンと叩いて弾んだ先に、ミーシャの真っ白な尻尾があったらしいから。
 暫くは御機嫌斜めだったミーシャ。ハーレイがミルクを御馳走するまで拗ねていたミーシャ。



(ハーレイがクソガキ…)
 その頃のハーレイを見てみたかった、とクスクスと笑う。
 毬つきの練習は出来なかったけれども、それは幸せな日曜日。
 ハーレイの母が作った手毬を見ながら、触りながらクソガキの昔話を聞いている自分。
(…毬つきだけでもネタが山盛り…)
 クスッと笑ってしまう話や、ミーシャが気の毒になる話。ハーレイの思い出が詰まった毬つき。
 いつかまた、ハーレイと毬つきをしたい。
 疲れさせてしまった、とハーレイが心配しなくても済むようになったなら。
 焦らずにゆっくり練習出来るよう、同じ家で暮らすようになったなら。
 そして毬つきの思い出を増やそう、今はまだ一つしか持っていないから。
 昨日の分しか持っていないから、毬つきの思い出をハーレイと二人で、二人分で…。




             毬つき・了

※ブルーがハーレイとやってみたくなった、ボール遊び。教えて貰った遊びは毬つき。
 夢中になって練習しすぎた結果、寝込んでしまいましたけど…。それでも幸せ一杯の日。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





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