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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

船を継ぐ者

 ブルーの家に寄れなかった日の夜、ふと取り出してみた写真集。
 夕食の後片付けをしてからコーヒーを淹れて、湯気を立てるマグカップを持って移った書斎で。
 小さなブルー曰く、「ハーレイとお揃いの写真集」。
 書店で見付けて一目で気に入り、小さなブルーに教えてやった。「少し高いが、懐かしい写真が沢山あるぞ」と。豪華版だから、ブルーが自分で買うには高い。父に強請って手に入れたらしい。
 以来、お揃いなのだと主張している。ハーレイとお揃いの写真集だ、と。
(お揃いなあ…)
 一緒に買ったわけでもないのに、とブルーの愛らしい発想に頬を緩めた。お揃いが好きな小さなブルー。食べれば無くなるものであっても、同じものを貰えば「お揃いだ」と喜ぶ。
(おふくろのマーマレードだって…)
 ブルーにかかれば、お揃いの味。朝の食卓がお揃いということになるらしい。
 そんなブルーが大切にしている写真集。白いシャングリラの姿を収めた豪華版。船体そのものの写真も多いが、青の間やブリッジ、公園などの内部の写真も何枚もあった。
 開く度に蘇る、遠い遠い記憶。この船で過ごした前の生の自分。



 熱いコーヒーを口にしながら、気まぐれにページをめくっていて。
 シャングリラの内部を見て回ったり、宇宙空間を飛んでゆく姿を眺めたりしていて。
(そういえば…)
 何枚も載っているシャングリラの写真。あらゆる角度から写されているし、同じ角度でも背景がまるで違っていたりと、一枚ごとに変わる表情。白い鯨の様々な姿。
 どれも懐かしく、こうであったと心が温かくなるけれど。自分はこの船に乗って旅をしたのだと思うけれども、この写真集に収録された写真の中には、その頃の時代のものは無い。白い鯨の姿は同じでも、其処に自分が乗ってはいない。
 何処を飛んでいるシャングリラにも。漆黒の宇宙空間であっても、惑星の側を飛んでいても。



(俺じゃないんだ…)
 写真集の主役の白いシャングリラのキャプテンは。
 前の自分がキャプテンだった時代のシャングリラの写真も残ってはいるが、この写真集の写真は違う。平和な時代にトォニィが撮らせた写真たち。白い鯨を後の世までも伝えるために。
 そのシャングリラのキャプテンと言えば、今の時代もハーレイだけれど。
 誰に訊いても「キャプテン・ハーレイ」と答えが返るだろうけれど、写真集の中を飛ぶ白い鯨のキャプテンは前の自分ではなくて。
(シドだな…)
 シャングリラの舵を握っているのは。白い鯨を飛ばしているのは。
 トォニィの時代を担ったキャプテン、それがシドだった。キャプテン・シド。



 シドの指揮で飛んだシャングリラ。
 燃え上がる地球を後に旅立ち、宇宙をあちこち回ったと聞く。ノアへも、アルテメシアへも。
 キャプテン・シドが舵を握った白い船。主任操舵士は誰だか知らない。
 前の自分がそうだったのと同じで、四六時中、シドが操舵したわけではない筈で。主任操舵士も誰かいた筈なのだが、全く心当たりが無かった。主任操舵士に任命されそうな者。
(多分、調べりゃ分かるんだろうが…)
 データベースには入っていると思うが、調べてみても自分が知らない名前だということもある。後に乗り込んだ者であったら、まるで知りようがないのだから。



(そしてだ、次のキャプテンは…)
 シドの次のキャプテンは、もういなかった。シドが最後のキャプテンとなった。白い鯨の。
 トォニィがシャングリラの解体を決めた時点で、シドはまだ充分に若かったろう。その若さでは自分の後継者も多分…。
(決めてはいないな)
 候補者さえも頭に無かったことだろう。脂の乗り切った時期のキャプテンには不要だから。跡を継ぐ者を選ぶ暇があったら、一人でも多く操舵を教えて、船のあれこれを教えてやって…。
 前の自分でさえ、後継者などは考えてさえもいなかった。
 シャングリラの操舵を教えた者は多かったけれど。万一に備えて、何人もに伝授したけれど。
 そうしてはいても、決めていなかった後継者。自分の次の代のキャプテン。
(俺が地球まで運ぼうってつもりでいたからな)
 白いシャングリラを青い地球まで。
 ブルーを乗せて、いつかシャングリラで地球へ行こうと思っていた。
 時が来たなら。青い地球がある座標を掴んで、其処へ行く準備が整ったなら。
 けれど…。



(あいつの命が…)
 寿命が尽きる、と泣き出したブルー。
 自分の命はもうすぐ終わると、ハーレイと別れて死の世界へと旅立つのだ、と。
 離れたくない、とブルーは泣いた。地球を見られないことよりも別れが辛いと、この腕の中から去らねばならないことが何よりも悲しくてたまらないと。
 涙を流して胸に縋ったブルー。別れが来るのだと訴えたブルー。
 とても放っておけなかった。ブルーの悲しみもそうだけれども、自分だって辛い。大切な恋人がいなくなるなど、黙って見てはいられない。
 だから誓った、一緒にゆくと。ブルーの命が尽きる時には、自分も共に旅立つからと。
 何度も誓って、慰めてやって。
 本当にブルーを追おうと決めた。死の世界までも追ってゆこうと、ブルーと二人で逝くのだと。



(そう決めたから…)
 ブルーを追おうと決意したからには必要なこと。
 死ぬための薬も用意したけれど、自分がいなくなった後。
 シャングリラを地球まで運べるようにと、後継者を探すことにした。自分の次のキャプテンを。
(キャプテンがいなけりゃ、船はどうにもならんしな…)
 動かせるだけでは話にならないシャングリラ。船を纏めてゆける者が要る。
 自分もそういう理由でキャプテンに推された、操舵など出来なかったのに。厨房で料理しながら倉庫の備品を管理していただけだというのに、適任だからと。



 次のキャプテンを選ぶのであれば、年若い者にするのがいい。
 若すぎるくらいで丁度いい。
 ブルーを継ぐ者も、きっと若いだろうから。ソルジャーの称号を受け継ぐ者。
 そういう者がいるとしたならば、だが。
 今の時点では有望な者など見付かってはおらず、タイプ・ブルーはただ一人だけ。見付かるとは限らない次のソルジャー。
 けれど見付かるとしたら、これから先。未来に生まれてくるだろう者。
 まだ生まれてもいないソルジャーを支えるキャプテンの年は若いほどいい、息が合うように。



(誰にする…?)
 操舵が出来る者は何人もいたが、一番若いのがシドだった。
 責任感に溢れ、真面目な若者。彼ならばきっと、いいキャプテンになるだろう。
 そうは思っても、急に後継者を育て始めたら怪しまれる。どういうつもりかと、ゼルやブラウが訝り、問い詰め始めるだろう。何を考えているのかと。
(不審がられないように継がせるならば…)
 一足飛びにキャプテン候補ではなくて、その前段階。準備段階だと言い訳すること。
 キャプテンの職が務まる人間を探し出すことが如何に難しいか、ゼルたちは充分承知している。今のシャングリラでは皆の役目が細分化された分、更に困難になっていることも。
(船全体を把握出来てるヤツなんぞ、何人いるんだか…)
 アルテメシアに来てから加わった若い者たちの中には恐らくいない。ただの一人も。
 だから育成を始めるのだ、と説明すればゼルたちも納得する筈。
 今から育てておかなければと、長い時間がかかるのだからと。



(ただの操舵士とは違うんだ、と自覚して貰わなきゃいかんしなあ…)
 どうするべきか、と思案を巡らせ、考え出したのが主任操舵士。
 それまでは無かった役職を一つ。
 操舵が出来る者は多いが、彼らの中でもトップに立つのだ、と思えば自覚も芽生えるだろう。
 年若くても、一番の若手であっても、頑張らねばと。
(キャプテンの候補なんだしな?)
 それらしく制服も変えねばなるまい。他の者たちと同じ制服では責任感に欠けるから。
 こういう服を纏うからには相応しく振舞わなければならない、と思わせなくてはいけないから。
(服ってヤツも大切なんだ…)
 自分が着ているからこそ分かる。制服が持つ力というもの。
 キャプテンの制服に袖を通せば気が引き締まるし、表情までもが変わるほどで。
(かといって、皆の制服と違いすぎてもなあ…)
 他のブリッジ要員たちとの兼ね合いというものがある。プレッシャーを与えすぎてもいけない。
 かつて皆の制服をデザインした服飾部門のデザイン係に相談をしたら、提案された上着。制服の上から羽織る形にしてはどうか、とデザイン画も描いてくれたから。重々しすぎず、主任操舵士の肩書きに似合いそうな服に思えたから。
 早速、採用することにした。このデザインでよろしく頼む、と。



 主任操舵士の制服が決まれば、その採寸もせねばならないから。
 自分の部屋に夜、シドを呼んだ。青の間のブルーに一日の報告に行って、「今夜は一度戻らせて頂きます」と断ってから。先に眠っていてくれていいと、来るのが遅くなりそうだから、と。
 そうした夜も少なくないから、ブルーは「ご苦労様」と見送ってくれて。
 キャプテンの部屋に戻って間もなく、呼ばれたシドがやって来た。
「御用ですか?」
「うむ」
 入れ、と招き入れ、よくヒルマンやゼルと飲むテーブルに案内して。
 飲むか、と酒を差し出した。部屋に置いている合成の酒。それとグラスを二人分。
 頂きます、とは返事したものの、注がれた酒を飲まないシド。口をつけようとしないシド。
 この辺りも自分の見込み通りだ、と嬉しくなった。
 勧められても酒を飲まない生真面目さ。キャプテンに欠かせない資質。
 しかし、それだけではまだ足りない。生真面目なだけではキャプテンになれない。皆の心を掴むためには、大らかさもまた必要だから。臨機応変、砕けた口調も場合によっては要るのだから。
 それを教えてやらないと…、とシドの分のグラスを指で弾いた。飲むといい、と。



「遠慮していないで、まあ飲んでみろ」
 俺の秘蔵の酒なんだ。その辺の酒とはちょっと違うぞ、合成だがな。
「お気持ちは有難く頂きますが…」
「明日の操船に差し支えるか?」
「はい」
 あくまで生真面目な顔だから。酒席に似合わない顔だから。
 そんなことでは話にならんぞ、と笑ってやった。いつでも素面とは限らない、と。
「今の所は平穏無事だが、人類軍の船と出くわした時に酒が入っていたらどうする」
 寝酒を一杯やった後でだ、ヤツらが来ないとは限らんのだがな?
「そういうことなら、最初から飲まないことにします」
 非番の時でも飲まないように心掛けます、万一ということがあるのでしたら。
「それでは人生、面白くないぞ。皆とも上手く付き合えないしな」
 飲む時は大いに飲んでいいんだ、今夜の酒は俺のおごりだ。まあ飲め、美味い酒だからな。
「は、はい…。頂きます」
 おっかなびっくり、飲んだシド。琥珀色の酒に「美味しいですね」と顔を綻ばせたから。
 それを見届けて、「よし」と改めて切り出した。
 今のは前祝いの酒なのだと。祝いのための一杯なのだ、と。



「前祝い…ですか?」
 何の、と怪訝そうなシド。祝う理由など無さそうなのに、という顔をしているシド。
 そうだろうな、と心で呟きつつも、穏やかに微笑んでみせて。
「主任操舵士に任命しようと思っている」
「えっ…?」
「主任操舵士だ、操舵士のトップだ」
 そういう者も必要なんだ、と何気ないふりを装った。先は長いし、次の世代も育てねば、と。
「いずれはキャプテンにもなって貰わないとなあ、このシャングリラの」
「キャプテンって…。そんなに先の話ですか?」
「当たり前だろう。俺がいつからキャプテンだったと思っている」
 遥かに前だぞ、この船が全く違う形をしていた頃から俺はキャプテンをやっていたんだ。
 ブリッジだって今とは別物だったが、そんな時代からのキャプテン稼業だ。
 お前がキャプテンになるだろう年と、俺がキャプテンを始めた年と。
 比べてみりゃあ、きっと俺の方が十年単位で若いだろうな。



 ゆくゆくは引退もしてみたいしな、とおどけてみせた。
 第一線に立ち続けるのは年寄りにはキツイ、と。
「そう仰いますが、キャプテンはまだ…」
「ああ、当分は現役だろうさ。元気ってヤツは充分にある。だがな…」
 潮時というものはあるもんだ、と誤魔化しておいた。決めた心は隠しておいた。ブルーを追って逝くのだと決めた、その決意は心に秘めたままで。
 何も知らないシドに語り掛けた、「腕が鈍ることもあるだろう」と。
 そんな時が来たなら現役引退、キャプテンの座を譲ることにする、と。
 シャングリラを最良の状態に保つためには、鈍った腕では駄目なのだと。



「引退しても補佐はしてやる。必要だったら相談にも乗るが…」
 キャプテンたる者、他人に頼って決めていたんじゃ話にならん。
 必要なことは会議にかけても、いざという場面で決断するのはキャプテンだろうが。
 それが出来る人材を育てておきたい、俺が元気でいる間にな。
 何年かかるか分からないんだ、俺のやり方を今から勉強しておけ。俺を継ぐつもりで。
「…私にキャプテンが務まるでしょうか?」
 もっと適任の者がいるのでは…。私では年も若すぎますから。
「分かっていないな、俺はその若さを買ったんだ」
 先は長いと言った筈だぞ、年寄りを据えるより若者がいい。それだけ長く仕事が出来る。現役で働ける期間が長けりゃ、後継者だってゆっくり育ててゆけるしな?
 俺みたいに引退なんて道も選べる、後進に道を譲って隠居生活というわけだ。
 若い内から始めればこそだ、お前も未来の隠居生活を夢見て努力してくれ。



 隠居生活をするというのは嘘だったけれど、他のことは本当だったから。
 良心が痛むということも無くて、スラスラと嘘をつき通した。いずれ引退するのだから、と。
「いいか、少しずつ覚えていけばいいんだ、いろんなことをな」
 お前は俺より恵まれているぞ、最初からブリッジ勤務だろうが。しかも操舵の担当だ。
 俺なんかは厨房出身だったしなあ、最初は操舵も出来ないキャプテンだったってな。
「あの話は本当だったんですか!?」
 キャプテンが厨房にいらっしゃったという話。聞いてはいますが、ただの噂かと…。
 てっきり噂だとばかり思って、調べてみたことも無いのですが…。
「知らないヤツらが増えたからなあ、あの頃の俺を。そいつは噂じゃないんだ、シド」
 フライパンも船も似たようなものさ、と言ってたな、俺は。
 どっちも焦がしちゃ駄目だってな…、とかつての自分の気に入りの台詞を教えてやった。
 そう言って船を操っていたと、シャングリラの操舵を覚えたのだと。



「フライパンですか…!」
 驚きで目を丸くしているシド。
「うむ、フライパンだ。舵の前には俺はフライパンを握っていたんだ」
 厨房にあるだろ、フライパンが幾つも。俺が使っていた頃のフライパンは代替わりしちまって、愛用のヤツはもう無いんだが…。フライパンも鍋も手に馴染んでたな、料理人だしな?
「本当にキャプテンがフライパンを…?」
「そうさ、キャプテンになろうと決心した時もフライパンで料理をしていたな」
 新しい炒め物を試作しながら考えていたんだ、キャプテンになるかどうかをな。
 考え事に気を取られていて、ウッカリ焦がすトコだった。まずい、とフライパンを振った拍子に船がガクンと揺れたんだ。…障害物でも避けたか何かだ、まるでタイミングを合わせたように。
 それで閃いたわけだ、フライパンも船も似ているな、と。
 どっちも扱いを間違えば焦げるし、上手に使えば命を守れる。生きて行くには船も料理も不可欠だろうが、俺たちの場合は。
 船が無ければ生活出来んし、料理が無ければ飢え死にしちまう。
 フライパンも船も同じなんだな、と気付かされたから、俺はキャプテンになったってわけだ。
「…キャプテンの仰る通りですね…」
 フライパンも船も、どちらも欠かせないものですね。それにどちらも、焦げてしまったら駄目になりますし…。
「名文句だろ? 今じゃ言わなくなったがな。フライパンも船も理屈は同じだ」
 そんな台詞を言ってた俺がだ、今じゃ厨房にいたというのが噂だと思われるレベルだぞ?
 お前なら立派なキャプテンになれるさ、俺よりも遥かに凄腕のな。



 フライパンの話はシドの心を見事に掴んだ。
 厨房からでも転身出来たというのが大いに心強かったのだろう、頑張らねばと決意したようだ。主任操舵士としてキャプテンの仕事を学んでゆこうと、一人前のキャプテンになろうと。
 この調子ならば大丈夫だろう、シドが本当のことを知らなくても。
 キャプテン・ハーレイは引退する代わりに消えてしまうのだと、ブルーを追って死に赴くのだと気付かないままで過ごしていても。
 ある日、自分がいなくなっても、シドならば務めを果たしてくれる。若くしてキャプテンの任に就いても、このシャングリラを地球まで運んでくれることだろう。
(これでいい…)
 シャングリラの未来はシドに任せた、と肩の荷が下りたような気がした。
 これでブルーを追ってゆけると、約束通りにブルーと離れることなく旅立てると。



 その夜は、シドと酒を飲みながら語り合って。
 頃合いを見てシドを帰して、自分は青の間に再び戻った。ブルーが待っている部屋へ。
 愛おしい人はもう眠っていたから、ベッドに入って華奢な身体をそっと抱き寄せ、口付けた。
 ひと仕事終えて来ましたよ、と。遅くなってしまってすみません、と。



 翌日、シドと二人で服飾部門まで採寸に行った。主任操舵士の上着を作るための採寸。
 白いシャングリラに一人しかいない、主任操舵士。一人だけしか着ない上着を作るために。
 そして替えの分も含めて上着が出来上がって。
 主任操舵士という役職を作ると、将来のキャプテン候補なのだと、ゼルたちにも既に話は通してあったから。
 ブリッジの仲間たちを非番の者まで呼び集めてから、シドを自分の隣に立たせて宣言した。
 主任操舵士の就任を。いつかはシドがキャプテンになる日が来るだろう、と。
 それからシドに上着を着せ掛けてやった、完成したばかりの主任操舵士の制服を。
 キャプテン手ずから着せて貰って、緊張しながらも頬を紅潮させたシド。
 祝いの雰囲気が溢れたブリッジ。
 シドは主任操舵士となって初めての操舵を難なくこなした。上着は邪魔にはならなかった。服飾部門の者たちの仕事は確かなもので、デザインも良いものであったから。
 主任操舵士の誕生に華やぐブリッジ、他の部署からも仲間たちが祝いに顔を出した。
 ブルーも後から祝いの言葉をシドに贈りにやって来た。
 「おめでとう」と、それは嬉しそうに。
 今まで以上にハーレイの助けになって欲しいと、キャプテンは激務なのだから、と。
 ブルーでさえも信じたキャプテン候補。シドを育成する理由。
 もうバレはしない、と確信した。誰も自分の真の目的に気付きはしないと。



 シャングリラに主任操舵士が生まれた日の夜、青の間で一日の報告をした後、ブルーに告げた。
 これで準備は整いました、と。
「準備…?」
 不思議そうに首を傾げたブルー。今の報告では何も気付かなかったけれど、と。
「あなたと行くための準備ですよ」
「…何の話だい?」
 行くって、何処へ…?
 明日は視察の予定があるとは聞いていないけれど…。もっと先かな、何日か先の予定なのかな?
「そうですね。…いつになるかは分かりませんが…」
 あなた次第と申し上げればいいのでしょうか?
 シドは私の後継者です。このシャングリラから私が消えたら、シドがキャプテンになるのです。
 …お分かりですか?
 私はあなたと共に参ります、キャプテンの仕事をシドに任せて。
 いつかあなたの命が尽きたら、私も一緒に行くのですよ。あなたの側を離れることなく。



 ハッと息を飲んで顔色を変えたブルーだけれど。
 赤い瞳がみるみる潤んだけれども、唇から零れた「ありがとう」という小さな声。
 これでハーレイと一緒に行ける、と。
「ええ、何処まででもご一緒させて頂きますとも」
 そのためにシドを選びました、とブルーの身体を強く抱き締めた。
 誰一人気付いていないけれども、シャングリラを託す準備をしました、と。シドならばきっと、遠い地球までシャングリラを運んでくれるでしょう、と。
「うん…。そうだね、ハーレイ。…シドならば、きっと…」
 ぼくとハーレイがいなくなっても、シャングリラをきちんと守り続けてくれるだろうね。
 人類軍の船に見付からないよう、見付かっても上手く躱せるように。
 この船はきっと地球まで行けるね、キャプテン・シドが運んで行ってくれるんだね…。
 ぼくは地球へは行けないけれど。
 ハーレイと二人で、別の世界へ行くんだけれど…。



 二人で行こう、と交わした口付け。何処までも共に、と。
(なのに、あいつは…)
 逝っちまったんだ、と唇を噛んだ。
 自分がシドを選んだように、ブルーが選んだ後継者。太陽のようだった少年、ジョミー。
 彼にソルジャーの座を譲るだけでなく、彼の未来を守って逝った。
 ミュウの未来を、ミュウを導けとジョミーに全てを託して、メギドで。たった一人きりで。
 ブルーを追ってはゆけなかった自分。
 追ってゆく代わりに取り残された。独りぼっちでシャングリラに。
 ブルーが遺した言葉に縛られ、ジョミーを支えるためにだけ生きた。
 心はとうに死んでいたのに、ブルーを失くして屍のようになっていたのに、キャプテンとして。
 キャプテン・シドは生まれてはくれず、キャプテン・ハーレイの代が続いた。
 死の星だった地球に辿り着くまで、地球の地の底で全てが終わってしまうまで。



 赤いナスカが砕けたあの日に、追えずに失くしてしまったブルー。
 周到に準備をしたというのに、自分を置いて逝ってしまったブルー。
 どれほどに辛く苦しい日々だったろうか、地球までの道は。
 自分の代わりはいるというのに、そのためにシドを育てていたのに、任命出来ずにキャプテンのままで地球まで行った。シドをキャプテンには出来なかった。
 ブルーがそれを望んだから。キャプテンでいてくれと願ったから。
(…俺はジョミーの時代に役立つキャプテン候補を選んだのに…)
 ブルーの跡を継ぐ者がいるなら、それに相応しく若い者を、とシドを選んで育てたのに。
 そのことをブルーは知っていたのに、自分に任せて逝ってしまった。
 「ジョミーを頼む」と、「君たちが支えてやってくれ」と。
 自分を選んだブルーは多分、間違ってはいなかったと思う。
 地球までの道は、戦いに次ぐ戦いの道は、シドには荷が重すぎたことだろう。あそこで自分までいなくなったら、シャングリラは地球まで行けたかどうか…。
(…ジョミーやトォニィだけなら行けたんだろうが…)
 他の仲間たちを乗せたあの船が無事に着けたかは分からない。
 熟練のキャプテンだった自分でさえも、これでいいのかと手探りの航路だったのだから。



(…せっかくシドを育てていたのに、出番が来ないままだったよなあ…)
 最後までキャプテンのままだった自分。キャプテン・ハーレイとして終わった自分。
 ブルーを失くして、追ってもゆけずに独りぼっちで生きるしか無かった地球までの道。意味さえ無かったキャプテン候補。主任操舵士に任命したシド。
 けれども、今はブルーがいるから。
 青い地球の上に二人一緒に生まれ変わって、小さなブルーが帰って来たから。



(もういいんだ…)
 ブルーとは地球で出会えたから。今度こそ二人で生きてゆけるから。
 文句は言うまい、前の生でシドの出番が来なかったことについては何も。
 前のブルーが遺した言葉を守って、キャプテンのままで歩んだ地球までの道の苦しさも。
(ブルーと会えればそれでいいんだ、あいつと巡り会えたんだから…)
 それに、シド。前の自分が選んだシド。
 シドは立派にキャプテンになったし、トォニィの補佐も見事に務めた。白いシャングリラの舵を握って宇宙をあちこち旅して回った、ミュウの時代を築くために。
 キャプテン・シドは確かに居たのだ、自分が任命しなかっただけで。
 白いシャングリラのブリッジには確かにキャプテン・シドが立っていた。前の自分とデザインが少し違ったキャプテンの制服をカッチリと着て。
 シャングリラが役目を終えたその日まで、キャプテン・シドはブリッジに居た。
 前の自分が座った席に。キャプテンだけが座れる席に。



 あの日、ブルーを追おうと決めなかったら。
 ブルーを追ってゆこうと決意し、シドを選ばなかったなら。
(シャングリラは暫く、キャプテン不在だったかもしれないなあ…)
 キャプテンもソルジャーも、長老たちも、皆が地球で死んでしまったから。
 新しいソルジャーのトォニィはいても、トォニィは身体だけが大人で精神は子供だったから。
 トォニィだけではシャングリラの秩序を保てたかどうか分からない。
 現に、最後のキャプテンとなったキャプテン・シド。
 燃え上がる地球を後にした船で、最後のキャプテンが航海長や機関長を決めたと伝わるから。
(…シドだったからこそ、出来たんだ…)
 次のキャプテンはシドなのだ、とシャングリラの誰もが知っていたから就けたキャプテンの任。反対する者は一人も無かったことだろう。
 キャプテン・ハーレイがいなくなった今はシドをと、シドがキャプテンになるべきだと。
 船の秩序はキャプテンがいてこそ守れるもの。キャプテンさえいれば何とかなる。慣れぬ仕事に途惑う者が多い船でも、キャプテンが毅然と立ってさえいれば。
(…キャプテン候補を決めておいて良かった…)
 前の自分の選択は誤ってはいなかった。
 シャングリラはキャプテン不在の船にならずに、無事にトォニィの代に継がれた。
 そういうつもりで選んだわけではなかったけれど。
 シドをキャプテン候補に決めた理由は、トォニィのためではなかったけれど。



(キャプテン・シドか…)
 いいキャプテンになってくれた、と冷めたコーヒーの残りを飲み干した。
 ブルーとお揃いの白いシャングリラの写真集。
 それをパタリと閉じ、表紙に刷られたシャングリラに見入る。
 キャプテン・シドが乗っている船に、キャプテン・シドが舵を握っている船に。
(…うん、シドが動かしているシャングリラなんだ…)
 明日は仕事を早めに終わらせ、ブルーの家に寄って話してやろう。
 お揃いだという写真集を持って来させて、二人で開いて。
 「このシャングリラはシドが舵を握っているんだよな」と。
 前のブルーを追うために決めたキャプテン候補が、主任操舵士に選ばれたシドが。
 キャプテン・シドには会えなかったけれど、遥かな時の彼方の彼に向かって伝えてやりたい。
 シャングリラをよくぞ守ってくれたと、お前は立派なキャプテンだった、と…。




           船を継ぐ者・了

※ハーレイが選んだ後継者、シド。本当の理由は誰にも明かさず、キャプテン候補として。
 引継ぎは出来ずに終わりましたが、選んでおいた価値はあったのです。次の世代のために。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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