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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

攫って来たい

(うーむ…)
 実に羨ましい男だな、とハーレイは手元の本を見詰めた。
 夕食の後で入った書斎。愛用のマグカップに熱いコーヒーをたっぷりと淹れて。
 今日はブルーの家に寄り損ねたから、時間が余っているほどの夜。仕事帰りにジムに寄ろうかと思ったのだが、たまには家でのんびり無為な時間を過ごすのもいい。
 そうしたわけで、明日の授業で使う予定の資料を見てみた。何の気なしに、鞄から出して。
 小さなブルーのクラスも含めて、幾つかのクラスで話す予定の源氏物語。
 開いた本のページに載っていたのが、光源氏が幼い紫の上を見初める場面を描いたもので。



(こんな時点から目を付けやがって…)
 子供じゃないか、と眺めた絵。紫の上はどう見ても子供、覗き見している光源氏は立派な大人。
 どうかと思うが、これはそういう物語。
 SD体制が始まるよりも前の遥かな昔に、自分たちが住んでいる地域にあった小さな日本という名の島国、そこで書かれた長編小説。古典の授業では必ず教わる、教える源氏物語。
 とても全部を語れはしないし、抜粋する形になるのだけれど。避けて通れないのが光源氏と紫の上の出会いの場面で、生徒が持っている資料の本にも図版が入る。
 見るからに幼い紫の上。それを垣間見る光源氏。



(いくらなんでも早すぎだろうが…!)
 おまけに攫って自分好みに育てるんだ、と毒づいた。
 物語の中ではもう少し先になるけれど。出会った途端に攫ったわけではないけれど。
 それをやってのけた光源氏が羨ましくてたまらない。羨ましすぎる男に思える。
 以前だったら羨ましくもなかったけれど。半ば呆れたものだけれども、それが今では…。
(俺の事情が変わったってな)
 小さなブルー。まだ十四歳にしかならないブルー。
 前の生から愛した恋人、この地球の上に生まれ変わったブルーとバッタリ出会ってしまった。
 さながら奇跡のような再会、ブルーと頻繁に会うことが出来る大義名分まで手に入れた。
 ところがどっこい、ブルーは子供。結婚出来る年の十八歳にもまだ遠い子供。
 せっかく巡り会えたというのに、一緒には暮らせないブルー。
 何ブロックも離れた家で両親と暮らしているブルー。



(こんな風に攫って来られたならなあ…)
 資料の本に光源氏が紫の上を攫う場面は無いけれど。一足飛びに光源氏の家で暮らしている紫の上の図版になるのだけれど。
 その間に何が起こっていたのか、授業では無論、簡潔に話す。ついでに自分は授業で教える内容よりも深く物語を知っているから、二つの図版を見比べてみては光源氏を羨んでしまう。
(攫って来た上に、自分好みに育て上げると来たもんだ)
 金も権力もある男ならでは、遠い昔の貴族の我儘。光源氏は虚構の人物だけども、これに憧れて似たようなことをしでかした男もいたかもしれない。暇を持て余した貴族の中には。



(…なんて羨ましい男なんだ…)
 未来の妻を、恋人を、幼い頃から攫ってしまって手元に置く。自分の家で一緒に暮らす。
 小さなブルーを攫えたならば、と光源氏が羨ましくなる。未来の恋人を攫った男が。
 もっとも、ブルーを攫ったとしても、自分好みに育てることは出来ないけれど。
 元々が自分の好みなのだし、前の生から非の打ち所が無かった恋人。小さなブルーの中身は前と同じにブルーそのもの、ただ幼いというだけのこと。
 自分好みに育てなくとも、ブルーは勝手に育ってゆく。前の生で愛した人そのままに。



(…俺の好みでどうこう出来はしないんだよなあ、ブルーだしな?)
 ブルーが育つであろう姿を変えてみようとも思わない。そんな必要は何処にも無い。自分好みに育て上げるために攫いたいとは思わないけれど、もしもブルーを攫えたならば。
 きっと気分が違うだろう。毎日が変わってくるだろう。
 この家に小さなブルーがいたなら。
 ブルーを攫って、この家に住まわせておいたなら。
(帰って来たら、チビのあいつがいて…)
 前のブルーが青の間で迎えてくれた時の顔とは違うだろうし、「ただいま」と唇を重ねることも出来ないけれど。唇へのキスは小さなブルーとは交わせないけれど。
 それでも小さなブルーが居たなら、チビはチビなりに、きっと笑顔で迎えてくれる。
 おかえりなさい、と。



(でもって、添い寝…)
 眠る時には同じベッドで、寄り添い合って。何もしないで、ただ眠るだけ。
 光源氏は踏み外した道だが、自分は踏み外しはしないと思う。添い寝するだけ、横で眠るだけ。
 小さなブルーに誘われても。「本物の恋人同士になりたい」と強請られても。
(チビの間は絶対に駄目だ)
 光源氏が紫の上に手を出した時の、紫の上よりは年上だけれど。年上になる筈、ブルーは十四歳だから。源氏物語の時代の年の数え方でいけば十五歳になるし、年齢不詳の紫の上も十五歳までも育っていたなら、光源氏が道を踏み外した夜もさほど劇的とは言えなくなる。
 そう、あの時代ならば十四歳でも問題はない。人間の寿命は短かったし、結婚もまた早かった。
 けれども、今の時代は違う。事情がまるで全く違う。
 十四歳にしかならないブルーは、あまりに小さな子供だから。
 まだ幼いから、添い寝するだけ。眠りを守って抱き締めるだけ。
 そう出来るだけの自制心もきっとあるだろう。
 以前、メギドの悪夢を見てしまったブルーが瞬間移動でベッドに飛び込んで来てしまった夜は、心が騒いで一睡も出来ずに終わったけれど。
 小さなブルーに慣れた今なら、そっと抱き締めて心地良く眠りに就ける筈。
 その温もりを確かめながら。帰って来てくれたブルーの命の温かさに酔いながら。



(チビのあいつが育ち始めたら…)
 出会った時から少しも育たず、チビのままのブルー。小さなブルー。
 それが成長し始めたならば、危ういかもしれない、自分の理性も。
 光源氏の轍を踏まぬよう、懸命に踏み止まる夜が続いてゆくかもしれない、ブルーが結婚出来る十八歳を迎えるまでは。
 とはいえ、理性との戦いも楽しいことだろう。
 ブルーと同じベッドで眠って、何処まで自分が耐え抜けるのか。
 結婚式を挙げる時まで耐えられるか否か、ある意味、ゲーム。
 理性が崩れて腕の中のブルーに手を出したならばゲームオーバー、弱すぎた自制心の負け。
 結婚式まで耐え抜けたならば、それは感動的な初めての夜を迎えられる筈で。
 我慢したからこそ得られる御褒美、我慢しないと貰えない御褒美。
 そういうゲームも悪くない。自分自身と戦うゲーム。



(あいつを攫って来られたら…)
 ブルーを攫って、この家に閉じ込めておけたなら。
 学校へも行かせず、ただ可愛がって。
 家にいる時はいつもブルーと一緒で、それこそ離れる暇さえも無い暮らしぶり。ブルーの家まで会いに出掛けずとも、家に帰ればブルーがいる日々。
(理想だな…)
 自分好みに育てる代わりに、勉強を教えて、面倒を見て。
 ブルーのためにと食事を作って、買い物も何もかもブルーのために。ブルーだけのために過ぎてゆく日々、ブルーとの暮らしに酔いしれる日々。
 誰にもバレずにそれが出来たら、どんなにか…。



(まさに夢物語というヤツなんだが…)
 そんな風にブルーと過ごせたら。
 結婚までの日々を、ブルーの毎日を自分と共にいる時間だけで染め上げることが出来たなら…。
 きっと幸せに違いない、と夢の暮らしを思い描いていて。
(…いかん、いかん)
 駄目だ、と自分を叱咤した。
 前の自分よりも、ずっと幸せになれるというのに。
 ブルーを花嫁に出来るというのに、それ以上のことを望むなど。
 結婚までの日々が長すぎるから、とブルーを攫ってしまおうだなどと、欲張りにもほどがあるというものだ。自分本位に過ぎる欲望、光源氏と大差無い。
 しかし…。



(こんな時代だから、とんでもない夢を見ちまうんだな)
 白いシャングリラの中だけが世界の全てだった、前の生の自分。ミュウが虐げられた時代に生を享け、その時代の終わりに死んでいった。ミュウが主役となる時代の扉だけを開けて。
 前のブルーと暮らした船には、思い出も沢山あるけれど。幸せな恋をしていたけれど。
 世界は狭くて、いつ突然に終わりがくるかも分からなかったシャングリラ。
 明くる日の夜明けを迎えられることが、当たり前ではなかった船。
 そういう時代に恋をした人と、平和な時代に青い地球の上でまた出会えたから。
 これから育つブルーの姿を、毎日のように見ていられるから。
 そのせいで夢を見たくなる。育ってゆくブルーを自分の手元に置いてみたいと、攫いたいと。
 してはならないし、出来ないこと。叶わない夢。
 小さなブルーを攫って来ること。
(…本当に幸せな男だ、こいつは)
 光源氏め、と睨み付けておいた。
 物語の中の人物だけれど、夢を叶えた幸せな男を。恋人を手元で育てた男を。



 書斎で光源氏を睨んだ次の日、ブルーのクラスでの授業。
 昨夜、資料の本で見ていた図版を開かせて教える源氏物語。光源氏の恋の物語。
 紫の上を見初めて、攫って、ついには妻に。それだけではなくて、他にも色々と話したけれど。
(気付くなよ…?)
 熱心に授業を聞いているブルー。赤い瞳で自分を見詰めているブルー。
 ノートに書く時は下を向くけれど、それ以外は常に自分を追い続けているブルーの瞳。赤い瞳。
 小さなブルーに気付かれないようにと、ただ願うだけ。
 自分が何を思っていたか。
 光源氏の物語の向こう、同じことをしたいと夢見た自分に、どうかブルーが気付かぬようにと。



 授業をした日はブルーの家には寄れなかったけれど。
 翌日の土曜日、そんな授業をしたことも忘れてブルーの家に出掛けて行ったら。
 ブルーの部屋で二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせで座ったら。
「ハーレイ、昨日の授業だけど…」
「ん?」
 小さなブルーが「授業」と言うから、「質問か?」と尋ねてやった。そうしたら…。
「ねえ、ハーレイは憧れない?」
「何にだ?」
 俺が何に憧れるというんだ、昨日の授業と全く繋がらないんだが…?
「そう? 憧れていないの、光源氏に?」
「はあ…?」
 見抜かれたのか、とドキリとした。
 すっかり忘れてしまっていたけれど、一昨日の夜に囚われた考え。昨日の授業中はブルーの瞳を恐れていた。気付いてくれるなと、自分が抱いた考えに気付かないように、と。
 それをブルーは知っていたのか、と焦ったハーレイだったけれども。



「…ハーレイ、光源氏には憧れないんだ…?」
 ぼくは紫の上に憧れるよ、と瞳を輝かせたブルー。無邪気なブルー。
 気付いたわけではなかったらしい、授業をする前に自分が夢見た、甘いけれども物騒な夢に。
 ブルーを攫って育ててみたいという考えに。
 ところがブルーが言い出したことは、ハーレイの目を丸くさせるには充分なもので。
 攫って欲しいと、ハーレイの家で暮らしてみたいと小さなブルーは笑顔で言った。
 光源氏が紫の上にそうしたように、自分を攫って欲しいのだけど、と。
「攫うって…。お前なあ…!」
 後ろめたい所があったものだから、ついつい声が少し大きくなったけれども。
「駄目…?」
 攫って欲しいよ、と小首を傾げる小さなブルー。怖がりもせずに。
「俺を犯罪者にしたいのか、お前?」
 今はその手の犯罪は無いが、前のお前は知っているよな?
 キースもフィシスを人質に取って攫って逃げたし、あの時代にはあった犯罪だが…。
 今の平和な世の中ってヤツじゃ、そういった罪で捕まるヤツは何処にもいないんだがな?
「やっぱり駄目…?」
「当たり前だ!」
 俺が犯罪者になってしまうのもそうだが、攫われるお前。
 お前も無事では済まないんだぞ、攫われちまうっていうことはな。



 いったい何を考えているのだ、とブルーを叱った。
 攫われたら最後、
お前に自由は無いんだぞ、と。
 なのに…。
「でも、ぼくはそれでもかまわないよ?」
「ブルー…?」
 何故、と問う前にブルーの桜色の唇が紡いだ、歌うように。
「自由が無くても、ぼくは幸せ。前のぼくより、ずっと幸せ」
 攫われてもいい、とブルーは笑みを浮かべた。
 ハーレイしかいない世界で充分だからと、自分はそれで幸せだからと。



「そうでしょ、ハーレイ? 毎日、ずっとハーレイと一緒」
 前のぼくだと、そんなことは出来なかったから…。
 朝になったらハーレイはキャプテンの制服を着込んで行ってしまって、夜になるまで恋人同士に戻れる時間なんかは無くて。
 たまに通路でハーレイの背中を追い掛けたけれど、飛び付いてキスを強請っていたけど…。
 たったそれだけ、夜になるまでは恋人同士の時間はそれだけ。
 それでもぼくは幸せだったよ、ハーレイと夜に会えるってだけで。
 もしも一日中、朝から晩までハーレイの側にいられるのなら。
 …自由なんかは無くても幸せ、前のぼくより、ずっと幸せ。攫われて閉じ込められていても。
 ハーレイの家から一歩も出られなくても、ぼくの周りにはハーレイだけ。
 まるで夢みたいな世界なんだよ、ハーレイしかいない幸せな世界。
 そういう世界に住めるんだったら、自由なんかは無くなっちゃってもいいんだけれど…。
 自由になりたいと思いもしないし、毎日、幸せ一杯だよ、きっと。
 だから攫って欲しいんだけどな、光源氏が紫の上を攫ったみたいに。



「ふうむ…。実は、俺もそいつを夢見はしたが、だ…」
 憧れないでもなかったんだが、と素直にブルーに白状した。授業をしに行く前の日の夜、資料の中の光源氏が羨ましかったと、ブルーを攫いたいと思っていた、と。
「ホント!?」
 それじゃ攫ってよ、ハーレイの家に連れてってよ。
「いや。お前の話を聞いている間に気が付いた。慌てなくてもいいってな」
 俺が攫ってしまわなくても、いずれお前はそうなるんだ。
 お前の周りには俺しかいなくて、俺しか見えない世界ってヤツに。
「え…?」
 それってどういう意味なの、ハーレイ?
 どうしてぼくにはハーレイしか見えなくなっちゃうの…?
「分からないか? 俺と結婚しちまった後だ」
 俺の家に嫁に来ちまった後。
 寝ても覚めても俺しかいなくて、お前の他には俺しか住んではいない家だぞ…?



 お望みとあらば閉じ込めてやろう、と笑ってみせた。
 仕事にゆく時には外から鍵をかけてしまって、ブルーは庭へも出られない生活。家の合鍵さえも持たせて貰えず、一日中、家の中だけで暮らす。
 ハーレイが帰宅して鍵を開けるまで、独りきりでの留守番の日々。
 誰とも顔を合わせることなく、買い物にも行けない囚われ人。ハーレイだけしかいない人生。
「…それもいいかも…」
 ホントにハーレイだけの世界で、ハーレイにしか会わずに暮らすんだ…?
 前のぼくだと無理だけれども、今のぼくなら出来るよね、それ。
「お前、困るぞ?」
 家から一歩も出られないんだぞ、庭にも出られないんだが?
 急に何かを食いたくなっても、近所まで買いにも行けないわけだが…?
「困らないよ」
 ぼくはちっとも困りはしないし、外へ出たいとも思わないよ。
 だって、ハーレイと住んでる家なんだもの。ハーレイとぼくと、二人きりの世界なんだもの。
 そんな幸せな世界があるのに、壊したいなんて思わない。
 ハーレイがぼくを閉じ込めるんなら、その世界だけでぼくは幸せ…。



 充分に幸せ、と小さなブルーが微笑むから。
 ハーレイさえいれば、と笑顔になるから。
 思わず攫ってしまいたくなる、光源氏が紫の上を攫ったように。一昨夜に思い描いたように。
 駄目だと分かっているのだけれども、小さなブルーを。
 まだ十四歳にしかならないブルーを攫って、閉じ込めて、自分だけのものに。
 結婚出来る年になるまで閉じ込め続けて、隠し続けて、ブルーの世界には自分一人だけ。
 何処へも行かせず大切に隠して、宝物のようにブルーを育てて。
 いつか美しく成長したなら、前のブルーと同じに気高く育ったなら。
 花嫁衣装を誂えてやって、結婚式を挙げて、本当に自分のものにする。ブルーの心も身体も全て手に入れ、今度こそ自分一人のものに。
 前のブルーはソルジャーだったから、叶わなかった一人占め。
 それが今度は堂々と出来る、攫っても世界が壊れはしない。シャングリラが沈むわけではない。
 小さなブルーを攫ったとしても、ただ犯罪者というだけのこと。
 流石にマズイから攫えはしないが、いつかはブルーを一人占めだ、と考えていたら。



「ハーレイ、ぼくを攫って帰らない?」
 攫っていいよ、と小さなブルーが自分の顔を指差した。攫ってもいいと。
「おいおい、そいつは犯罪だと言っているだろう…!」
 今どきお目にかかれないような極悪人だぞ、お前を攫って逃げようだなんて。
 その手の犯罪が消えちまってから、どのくらい経ったと思ってる?
 俺はたちまち、名前を知らないヤツが無いほどの有名人になってしまいそうだが…?
 悪い意味での有名人だな、前の俺とはまるで逆の意味で宇宙に名前が広がっちまうぞ。
「平気だってば、合意の上なら」
 ぼくが頼んで攫われました、って証言するから大丈夫。
 攫われたくって攫われたんなら、ハーレイは犯罪者じゃないよ。
 被害者と言ってもいいんじゃないかな、ぼくの頼みを断れなくって攫うんだから。
 みんな気の毒がってくれるよ、駄々をこねられて攫ったんだな、って。
 だから攫って帰ってみない?
 上手く行ったらハーレイのものだよ、ぼくはこのまま。
 ハーレイの家に閉じ込めちゃったら、ハーレイだけのものになるんだよ…?



 攫ってくれるんなら窓からだって抜け出しちゃうよ、とブルーは乗り気で。
「ね、ハーレイが帰る時、少し行った何処かで待っててよ」
 ハーレイを見送って部屋に戻ったら、ママたちの隙を見て一階に下りて。
 何処かの窓から外に出るから、暫く待ってて。
 ぼくが追い付いたら、二人でハーレイの家に行こうよ、人通りの少ない道を通って。
 本当はバスに乗りたいけれども、それだと目撃されちゃうものね…。タクシーにも乗れないし、ぼく、頑張って歩くから。
 何時間かかっても歩いて行くから、ぼくを攫って帰ってくれない…?
「そこまでして俺に攫えってか?」
 お前、学校まででも歩けないからバス通学にしているくせに。
 俺の家までどのくらいあると思っているんだ、そいつを歩いて攫われる気か?
「うん。…だって、ハーレイの家に行けるんだよ?」
 大きくなるまで来ちゃ駄目だ、って言っていたけど、ハーレイはぼくを攫いたいんでしょ?
 それならハーレイの家に行けるし、ハーレイの家で暮らせるし…。
 誰にも発見されなかったら、ぼくの世界にはハーレイだけだよ。
 そういう世界が手に入るんなら、何時間だって歩いて行くよ。
 疲れたなんて言わないから。もう歩けないなんて言いやしないから、ぼくを攫って帰ってよ。



 お願い、と小さな恋人は大真面目で。
 上手く行くのだと決めてかかっていて、攫われるつもりのようだから。
 自分の家の窓から抜け出し、夜道を歩いてハーレイの家に行き、閉じ込められて暮らすつもりのようだから。
(いじらしいとは思うんだがな…)
 それに愛らしい、こういうブルーも。攫われたいと願うブルーも。
 本当に攫いたくなってしまうし、閉じ込めたいとも思うけれども、甘くはないのが現実の世界。
 ブルーが家から消えてしまったら、捜索するための手段はいくらでもある。ブルーの両親が早く気付けば、まだハーレイの家に着かない内に見付かり、連れ戻されてしまうのがオチ。
 首尾よく家まで辿り着いても、夜が明けて日暮れを迎えるまでには探し当てられることだろう。
 だから出来ない、攫えはしない。
 どんなにブルーが協力的でも、攫われたいと願っていても。
 けれど、せっかくの恋人からの申し出、恋人が思い描いている夢。
 現実などというつまらないもので打ち消したくはないから、壊してしまいたくはないから。
 別の方向から攻めることにした、諦めるように。
 小さなブルーが自分の方から、攫われたくないと考えるように。



「…いいか、お前が攫われたいというのは分かるが…」
 俺と一緒に暮らしたいという気持ちも分からんではない。俺も夢見たくらいだからな。
 しかしだ、お前、大切なことを忘れていないか?
 俺に攫われてしまったが最後、お父さんやお母さんとも会えなくなってしまうんだが…?
「えっ…?」
 キョトンとしている小さなブルー。案の定、分かっていなかったブルー。
 苦笑しながら続けてやった。お父さんたちに会えなくなるぞ、と。
「攫って帰ったら閉じ込めるんだからな、俺の家の中に」
 お前が俺の家にいるとバレたら元も子も無いし、お前は庭にも出られない。窓から外を覗くのも駄目だな、誰かに見られたらおしまいだしな?
 攫われるというのはそういうことだ。お前が何処に消えちまったか、誰も知らない。気付いちゃくれない。
 もちろん、この家に帰れはしないし、お父さんやお母さんにも会えなくなるんだ。
 通信を入れて声さえ聞けんな、何処にいるのかバレちまうからな。
 そういう暮らしが待っているのさ、俺に攫われて閉じ込められたら。
 お前の世界には俺しかいなくて、お父さんとお母さんは何処にもいない。会いたくなっても家の外には出られやしないし、独りで泣くしかないってこった。
 俺が仕事に行ってる間に、「会いたいよ」って、独りぼっちでな。



 それでもいいのか、と赤い瞳を覗き込んだら。
 俺と一緒に歩いて帰って攫われるか、と念を押したら。
「…パパとママ…」
 ぼくがいなくなったら心配するよね、パパもママも。
 …それにハーレイに攫われちゃったら、パパにもママにも会えないんだね…。
「ほら見ろ、お前、困るんだろうが?」
 俺だけしかいない世界でいい、と言っていたくせに、お父さんとお母さんがいないと困る、と。
 そうなんだな、チビ?
「……うん……」
 ハーレイさえいれば幸せなんだ、って思っていたけど、違ったみたい…。
 前のぼくと違ってパパとママがいるし、会えなくなったら寂しいみたい…。
 やっぱり攫って貰うのはやめる、ハーレイが仕事に行ってる間にシクシク泣いていそうだから。
 パパやママに会いたくなってしまって、寂しくて帰りたくて泣きそうだから…。
「それが分かっているならいい」
 お前の世界には俺一人だけじゃ駄目なんだ。
 うんと素晴らしい世界なんだと思っただろうが、もう分かったな?
 俺だけじゃ駄目だと、もっと他にも大切な人たちがいるんだってことが。



 馬鹿め、と額を軽く小突いてやった。
 チビには早いと、攫われるにはまだ早すぎると。
「もっと大きくなってからだな、お父さんやお母さんと離れてしまっても困らないくらい」
 そのくらいに大きく育った時には、お前の世界には俺一人だけだ。
 嫁に来て、俺の家に一緒に住んで。
 俺しか見えない生活ってヤツを、嫌というほど堪能出来るさ、来る日も来る日も。
 なにしろ俺の家なんだしなあ、お前の他には俺しか住んではいないってな。
「ハーレイ、それ…。結婚して、ぼくがハーレイの家に行っちゃった後も…」
 パパとママには会わせてくれる?
 …しょっちゅうは駄目でも、ぼくが会いたくてたまらなくなったら、パパとママに。
 ほんの少しの間でいいから、パパとママに会って話してもいい…?
「お前、俺を誰だと思ってるんだ?」
 会ったらいけないなんて言わんぞ、お前のお父さんとお母さんだろうが。
 お前が会いたいと言っているのに、どうして止めなきゃいかんのだ。
 駄目とは言わんし、叱ったりもしない。会いたければ会いに行けばいいのさ。



 俺は悪い怪物などではないのだから、と苦笑いした。
 ブルーを家の中に閉じ込めもしないし、外へ出るなと叱りもしないと。
 両親に会いたいと思うのだったら、毎日でも会いに出掛けていいと。
「…そうだな、毎日、お父さんたちに会いたくなると言うんだったら…」
 もしも、お前がそうしたいのなら、俺がこの家に住んでもいいが。
 お前を嫁に貰う代わりに、俺が婿に行くってヤツでもいいぞ?
 俺の家は空家になっちまうんだが、たまに別荘代わりに使うってことにすればいいしな。週末は俺の家で過ごすことにするとか、長い休みにはそっちに行くとか。
「それは無し…!」
 ハーレイがこの家に来るのは無しだよ、パパとママが住んでいるんだよ?
 そんな所で結婚して一緒に住めやしないよ、ぼくたちのベッドを置くなんて…!
 パパとママがいる家で暮らすなんてこと、ぼくには絶対、出来ないってば…!



 恥ずかしいから、と頬を染めているブルー。染まった頬で反対するブルー。
 両親のいる家で結婚生活を送れはしないと、それは恥ずかしすぎるから、と。
(ベッドを置けない、とは言っているがなあ…)
 結婚してベッドで過ごす時間の意味を分かっているのか、いないのか。
 何かと言えば「早く本物の恋人同士になりたい」が口癖のブルーだけれども、まだ幼い。
 まだまだ子供で、きっと半分も分かってはいない。自分の口癖の中身のことを。
 前の生の記憶を持っているから言っているだけ、不満なだけ。
 本当は小さな子供なのに。
 攫って欲しいと言い出すくらいに、閉じ込めて欲しいと願うくらいに。
 けれど両親と会えなくなるのだと聞いた途端に前言撤回、攫われるのはやめたらしいから。



(…やっぱりチビには違いないってな)
 紫の上に憧れはしても、チビはチビ。十四歳にしかならないブルー。
 小さな恋人は、まだ攫えない。
 幼すぎるから、連れてはゆけない。
 自分と二人きりの世界で幸せに暮らせるほどには、心が育っていないから。
 二人きりがいいと、それが幸せだと思えるほどには、大きく育っていないから。
(…うん、当分は駄目だってな)
 小さなブルーには家が必要、両親に守られる温かな家が欠かせない。
 けれど、いつかは連れて帰ろう。
 結婚したなら、攫って帰ろう。
 この家に二人で遊びに来た後、名残惜しげな顔のブルーを「帰るぞ」と車の助手席に乗せて…。




            攫って来たい・了

※ハーレイが憧れた、光源氏。ブルーを攫って、大切に育てられたらいい、と。
 けれど出来ない相談なのです、たとえブルーが乗り気でも。チビのブルーには、家が必要。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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