忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

可愛い黒歴史

「いいか、忘れずに覚えておけよ?」
 此処が大事な所だから、というハーレイの声。
 古典の授業中の教室、居眠りかけている生徒もいたりするのだけれど。
 一気に前へと集中する視線、ハーレイの方へと集まる視線。眠りかけていた生徒までもがハッと顔を上げ、パッチリと目を覚ましている。
 このハーレイの決まり文句で前を見ないと損だから。雑談の始まりの合図だから。
 授業はひとまず置いておいて、とハーレイが語る様々な話、聞き逃してしまうと損をする。後で後悔する羽目になる。愉快だったり、驚きだったり、それは新鮮な中身の雑談。
 生徒の心を引き付けるためのハーレイの技で、もう居眠っている生徒はいない。退屈そうな顔をしている生徒も。ハーレイが何を話してくれるかと、誰もが胸を躍らせる時間。



「さて、今日は…」
 これだ、と前のボードに書かれた言葉。「黒歴史」という不思議な言葉。
 遥かな昔の日本の俗語。SD体制が始まるよりも前に、この地域にあった小さな島国で生まれて消えていった俗語なのだ、とハーレイはボードをコツンと叩いた。
「歴史とは言うが、歴史の知識は必要ないぞ? 歴史の先生に訊いても無駄だな」
 こいつが指すのは歴史的な出来事というわけじゃない。
 無かったことにしたいようなもの、あるいは無かったことにされている過去の出来事だ。
 個人的なものから、もう少し広い範囲までといった所か…。
 例えば連続もののドラマで、この話だけは無かった方が良かったんじゃあ、と思うようなもの。誰もがそういう評価をするなら、その話は一種の黒歴史だな。
 個人的なものなら、消してしまいたいようなテストの点などが黒歴史扱いってトコだろう。
 どうだ、面白い言葉だと思わんか?
 ずうっと昔の俗語でもな。



 黒歴史、とハーレイが繰り返した遠い昔の日本の言葉。
 元々は当時のアニメ作品の中で語られた言葉だったという。たった一つの作品の中の。
 それが何故だか一気に広まり、元のアニメを知らない人までが使っていたらしい有名な俗語。
「お前たちの年では黒歴史なんぞはまだ無いだろうが、作るなよ?」
 俺の授業で作るんじゃないぞ、と念を押すハーレイ。
 古典の成績の黒歴史。テストで赤点を取ってしまうとか、最悪な評価を貰うだとか。
「質問でーす!」
 サッと手を挙げた男子生徒。ハーレイが「なんだ?」と言い終わらない内に質問を投げた。
「先生の黒歴史は何ですか!」
「多すぎて言えん」
 授業時間が終わっちまう、と返したハーレイ。
 たちまち爆笑の渦に包まれた教室、「授業に戻るぞ」とハーレイは教科書をトンと叩いた。
 このページからだ、と。



 そうして切り替えられた雰囲気、皆が目を覚まして授業の続き。
(流石、ハーレイ…)
 凄い、とブルーは目を瞠った。
 いつものことながら、惚れ惚れとするハーレイの手腕。生徒たちの集中力を取り戻す必殺技。
 感心もしたし、黒歴史という初めて耳にした言葉も面白かったから。
 学校が終わって帰宅するなり母に話した、おやつの時間に。
 ダイニングのテーブル、母と二人でお茶とケーキをお供にあれこれ語り合う時に。
 古典か歴史の授業で習いそうな言葉だけれども違うんだよ、と。
 黒歴史というものの正体はこうで、由来はこう、と得意で話して。
 今日のハーレイの雑談の受け売り、それを披露して、母に訊いてみた。紅茶を飲んでいる母に。



「ママの黒歴史は?」
 どんなのがあるの、ママの黒歴史って?
「無かったことにしたいものでしょ、言わないわよ」
「えーっ!」
 知りたいのに、と唇を尖らせたけれど、母は「授業でもそう教わったでしょ?」と涼しい顔で。
「だからママのは話さないけれど、ブルーには色々ありそうね?」
 ハーレイ先生が言ってた黒歴史。幾つも持っているんじゃないの?
「…ぼく?」
「そうよ、ブルーは小さい頃にはウサギになりたかったんでしょう?」
 ウサギさんになるんだから、って言っていたわよ。大真面目で。
 だけどブルーはウサギさんにはなっていないし、なれるわけもないし。
 …そういうのを黒歴史と言うんじゃないの?
 お友達に話したら大笑いされるし、言おうとは思わないでしょう?
 ネズミの国にも行こうと思って頑張ってたわね、おにぎりを持って庭に座って。
 「おにぎりでなくっちゃいけないんだよ」って、ネズミさん用に頼んでいたでしょ?
 何度作ってあげたかしらねえ、おにぎりが入ったお弁当を。



(…藪蛇…)
 忘れたい過去を掘り起こされた、と小さなブルーは頭を抱えたい気持ちになった。
 ウサギの話もネズミの話も、とうの昔にハーレイに話してしまったけれど。もう隠してはいないけれども、どちらも多分、黒歴史。ハーレイが言った黒歴史。
 積極的に話題にしたいものではないし、と考えていたら。
「そうそう、王子様にもなろうとしたわね」
「王子様?」
 なにそれ、とキョトンと見開いた瞳。
 王子様には覚えが無い。王子様になろうとした記憶は全く無いのだけれど…。
「あらあら、本物の黒歴史だわ」
 無かったことになっているのね、と可笑しそうな母。これが本物の黒歴史よね、と。



 楽しげにクスクス笑っている母。ブルーには覚えの無い話。
「王子様って…?」
 どうしてぼくが王子様なの、王子様になろうとしていたの?
「頑張ってたわよ、お花の国の王子様を目指して」
 お花の国よ、と言われたけれども、ますますもって謎だから。
 王子様になるための国まで決めていた理由もサッパリ分からないから。
「…なんで花の国?」
 他にも国は色々あるのに、花の国だって言っていたわけ?
 お菓子の国とか、魔法の国とか、そういう国も沢山あるのに。
「本当に忘れちゃったのねえ…。お花の国なら親指姫よ」
 親指姫が最後に行くでしょ、お花の国の王子様の所へ。その王子様よ、ブルーの夢は。



(…親指姫…!)
 言われた途端に思い出した記憶、本当に幼かった頃。童話の世界を信じていた頃。
 母の花壇のチューリップ。色とりどりに植えられたチューリップの花壇。
 チューリップの花を端から覗いて中を探した。
 小さなお姫様が眠っていないか、親指姫が入っていないか。
「どう、思い出した?」
「うん…。ママの花壇のチューリップ…」
 探してたんだっけ、親指姫を。この花に入っているのかな、って…。
「ほらね、王子様になろうと頑張ってたでしょ?」
 花が傷むわ、って言っても聞かないの。チューリップの中にきっといるよ、って。
「…ごめんなさい、ママ…」
 チューリップの花、傷んじゃった?
 ぼくが端から開けちゃっていたし、花びらが駄目になっちゃった…?
「いいのよ、それでこそ黒歴史でしょ?」
 無かったことになってるんだし、チューリップのことももういいの。
 小さな子供がやったことまで叱りはしないわ、ママも充分、楽しい気分だったから。
 ブルーにとっては黒歴史でもね、ママには素敵な思い出なのよ。小さかった頃のブルーの可愛い思い出、アルバムに貼っておきたいくらいよ。



 ママにとっては宝物なの、とキッチンに去って行った母。
 食べ終えて空になったケーキのお皿や、飲み終えた紅茶のカップやポットをトレイに載せて。
(…黒歴史だけど、ママの宝物…)
 どうやら母の中からは消せないらしい黒歴史。母にとっては宝物の記憶。
 複雑だけれど、嬉しくもあった。
 チューリップの花を端から開けていた自分。親指姫を探していた自分…。



 部屋に戻って、振り返ってみた黒歴史。綺麗に忘れていた記憶。
 勉強机の前に座って、頬杖をついて。
(ぼくが王子様…)
 花の国の王子様になろうと夢見た自分。幼かった自分。
 きっと真剣だったのだとは思う。お姫様を見付けて王子様に、と。
 親指姫を見付け出せたら、花の国の王子様になれるのだと。
 でも…。



(ぼく、お姫様になるんだった…)
 王子様ではなくて、お姫様になる予定の自分。お姫様になろうと決めている未来。
 一日限りのお姫様。
 いつか結婚式を挙げる日、その日だけはお姫様になる。
 ウェディングドレスを選んだとしても、白無垢の方を選んだとしても、花嫁と言えばお姫様。
 結婚式という晴れの舞台で、お姫様になれる筈なのに…。
(こんなの、ハーレイに言えないよ…)
 お姫様の道を選ぶ代わりに、王子様になろうとしていただなんて。
 ハーレイを裏切ろうとしていただなんて。
 親指姫を探していた頃、ハーレイはとっくに生まれていたのに。
 隣町からわざわざ引越ししてまで、この町で暮らしてくれていたのに。
(…これがホントの黒歴史だよ…)
 ハーレイには一生、黙っておこうと決心した。
 お姫様になる未来ではなくて、王子様になろうとしていた過去。幼かった頃の自分の夢。
 とても言えないから、もう間違いなく黒歴史。
 ハーレイには内緒にしておかなければ、と決めたのだけれど。



 それから本を読んだりする間に、過ぎて行った時間。門扉の脇のチャイムが鳴らされ、窓の側に行けば手を振るハーレイ。恋人の姿に心が弾んだ。来てくれたのだ、と頬が緩んだ。
 ついでに心も緩んだらしくて、ハーレイと部屋で向かい合わせに座るなり口にした言葉。
「今日の雑談、面白かったよ」
 あんな言葉は初めて聞いたよ、ママにも教えてあげたんだ。ママはやっぱり知らなかったよ。
「ほほう…。お前にもあったか、黒歴史ってヤツが?」
 それだけ楽しそうな所を見るとだ、あったってわけか、黒歴史?
「うっ…」
 しまった、と言葉に詰まったブルーだけれど。ハーレイに瞳を覗き込まれた。
「あったのか、うん?」
「…え、えーっと…」
 何と答えを返せばいいのか、目を白黒とさせていたら。
「まあ、あるだろうな、山ほどな」
 なにしろ、三百年だしな?
 あれだけ生きてりゃ、一つや二つじゃないだろうさ。
 俺としては知ってるつもりなんだが、知らないヤツだってあるかもなあ…。
 四六時中お前と一緒にいたわけじゃないし、そういうのも充分ありそうだよな。前のお前が今も隠している黒歴史。知りたい気持ちもあるんだがなあ、黒歴史だしな?
 聞き出そうとして嫌われちまったら、俺は恋人失格だよなあ…。



(前のぼくだと思ってるんだ…)
 そっちの方か、とホッとしたけれど。
 それならば自分は無関係だ、と安心したのが悪かった。
 口から零れた安堵の吐息。肩の力が抜けた瞬間、ハーレイに感づかれてしまったらしく。
「…おい。まさか黒歴史、今のお前の方なのか?」
 前のお前の話じゃなくって、チビのお前の黒歴史か?
 まだチビのくせに持っていたのか、黒歴史なんていう一人前の代物を…?
「違うよ!」
 ぼくじゃないってば、前のぼくだよ!
 黒歴史なんかは持っていないよ、ぼくは!
「ふうむ…。むきになって否定されるとなあ…」
 こいつはどうやら、本当に持っていそうだってな、黒歴史。
 チビのくせして、何処で作って来たのやら…。
 今のお前の黒歴史だったら、俺が聞き出しても特に問題無しってトコか。
 恋人ではあるが、お前に言わせりゃ、本物の恋人同士じゃないらしいしな?
 俺が少々意地悪したって、恋人失格にはならんだろうが。



 まあ喋ってみろ、とハーレイに促されたから。
 鳶色の瞳に捕まってしまって、誤魔化せそうではなかったから。
 渋々、口を開いて答えた、今の自分の黒歴史を。ハーレイも承知している分を。
「ウサギとネズミ…」
「はあ?」
 なんだ、そいつは?
 ウサギとネズミが何をしたんだ、今のお前に?
「えっと…。ウサギはぼくがなりたかったもので、ネズミは行きたかった国…」
 ネズミの国に行こうと思ってたんだよ、小さかった頃に。ウサギになろうとしたのも、その頃。
「ああ、あれか。…チビだった頃のお前の夢だな、どっちもな」
 黒歴史と言えば黒歴史の内か、ウサギとネズミ。チビにはありがちな夢だと思うが…。
 他にも何か隠してるだろう、黒歴史。チビのお前の、とんでもない過去。
「なんで分かるの!?」
 ハーレイ、ぼくの心を読んだの、それってルール違反じゃない!
 ぼくの心が零れてたんなら仕方ないけど、勝手に読むのは今の時代はルール違反で、マナー違反だと思うんだけど!
「…まさに語るに落ちる、ってな」
 お前、他にも持ってたんだな、黒歴史。
 ウサギとネズミも立派なんだが、もっと凄いのを持ってました、と自分で白状するとはなあ…。



 鎌をかけただけだ、と片目を瞑ったハーレイ。
 引っ掛かるとは思わなかったと、心など少しも読んではいない、と。
「ハーレイの意地悪!」
 ぼくがチビだからって、からかわなくてもいいじゃない!
 隠したいから黒歴史なのに、それをせっせと掘り起こすなんて!
「間違えるんじゃないぞ、お前が自分で喋ったんだ。ウサギとネズミの他にもあります、と」
 それで、お前は何をしたんだ?
 必死になって隠したいほどの黒歴史ってヤツを知りたいもんだが、それはどういうものなんだ?
「…王子様…」
「王子様だと?」
 なんでそいつが黒歴史なんだ、王子様と言えば輝かしい歴史になると思うが…。
 それとも、お前。
 幼稚園か下の学校の劇で、王子様の役でも貰ったのか?
 でもって肝心の発表会の日に、舞台で見事にすっ転んだとか、違う台詞を言っちまったとか。
 その手の失敗が黒歴史なのか、王子様の役までは素晴らしいんだが。
「…ううん、そっちの方がまだマシ…」
 ホントに本物の王子様を目指して頑張ったんだよ、小さかった頃に。
 お花の国の王子様になろうと思って、ママの花壇のチューリップを全部…。



 チューリップの花を端から覗いて、探し回った親指姫。
 小さなお姫様が入っていないか探していた、と説明をしたら散々に笑われてしまったけれど。
 肩を揺すって笑ったハーレイだけれど、黒歴史の感想はこうだった。
「まあ、お前、フィシスの王子様だしな? …前のお前だが」
 お姫様を見付けて攫って来た上、王子様になっていたのが前のお前だ。
 そいつを思えば、親指姫を探すというのは、あながち間違ってもいない。
 水槽を探しに潜り込んでたか、チューリップの花壇で家探ししたかの違いだけだな。
 …前のお前の記憶が影響したってわけではないんだろうが…。
 いいんじゃないのか、王子様を目指していたというのも。
 その頃のお前は俺を知らんし、仕方ないよな、嫁さんを貰うつもりでいたって。
「…許してくれるの?」
 ぼくはハーレイを裏切ってたのに、仕方ないって言ってくれるの…?
「当たり前だろうが、黒歴史だろ?」
 お前にとっては黒歴史という扱いなんだろ、その話。親指姫を探していたっていうことが。
「うん…。だから一生、黙っておこうと思ってたのに…」
 ハーレイが全部喋らせたんだよ、ぼくは内緒にしたかったのに…。
「そういう消したい過去だからこそ、黒歴史ってことになるわけだ」
 無かったことにしたいくらいの、消してしまいたい過去の汚点だな。
 黒歴史だという自覚がある上、今よりもずっとチビのお前が挑んでいたお伽話の世界だ。
 小さな子供の夢を捕まえて、怒鳴って頭から叱り付けるほど、俺は心が狭くはないぞ。
 可愛らしいと思いはしてもだ、怒ろうって気にはなれないなあ…。



 それに…、と穏やかに微笑むハーレイ。
 いくら探しても親指姫は見付からなかったのだし、それでいいと。
 花壇に植えられたチューリップの中、見付からなかった小さなお姫様。親指くらいのお姫様。
 見付かっていたなら大変だから、と。
 幼かったブルーは花の国の王子様になってしまって、親指姫と結婚するのだから、と。
「そうなっていたら、俺は王子様を盗み出さねばならん」
 花の国まで出掛けて行ってだ、その国の王子様ってヤツを。
 盗んで連れて帰って来ないと、俺の嫁さんがいなくなるんだからな。
「…王子様を盗むの、お姫様を盗み出すんじゃなくて?」
「うむ。王子様の方だ、俺が盗みに行くのはな」
 お姫様の方には用が無いんだ、俺が結婚したい相手は親指姫じゃないんだし…。
 嫁さんにしたいのが王子様なら、そっちを盗むしか無いだろうが。



 そんな童話は聞いたこともないが、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 お姫様を盗む話や攫う話は多いけれども、王子様を盗んで結婚式を挙げる童話は知らないと。
「それでも王子様を盗まないとな、花の国から」
 親指姫と二人仲良く暮らしていようが、とにかく盗み出さないと…。
 お前が其処の王子様なら、俺は盗むしかないってな。
「王子様を盗んで行こうだなんて…。ハーレイ、凄い悪者だね」
 親指姫の話がメチャメチャになるよ、王子様がいなくなっちゃったら。
 お金持ちのモグラよりも酷いよ、モグラは親指姫と結婚出来ずに終わったんだし…。
 王子様は盗まれてしまいました、なんてお話、めでたし、めでたし、って終わりっこないよ。
「いいや、めでたし、めでたしになるさ」
 親指姫の童話の世界はどうなっちまうか分からないがな、王子様の方はそれでいいんだ。
 花の国に来た悪者だろうが、金持ちのモグラになっていようが、王子様を盗んで結婚式だ。
 そいつでハッピーエンドになるんだ、花の国の王子様の物語はな。
 俺にはお前が必要なんだし、お前だって俺に出会えば気付く。
 こっちが本物の恋人なんだと、自分は王子様になったけれども、本当はお姫様だった、とな。



 気付いたお前を盗んでゆくさ、とハーレイは自信たっぷりで。
 花の国の王子様を花嫁にすると、ハッピーエンドの童話なのだと主張していて。
「そうなるだろうが、王子様がそれで幸せならば」
 結婚して幸せに暮らしました、という終わり方ならハッピーエンドだ、間違いない。
 王子様の結婚相手が悪者だろうが、モグラだろうが、王子様さえ幸せならな。
「…親指姫はどうなっちゃうの?」
 ぼくが見付けた親指姫。…結婚していた親指姫は?
「さあなあ、ツバメがなんとかするんじゃないか?」
 親指姫を花の国まで連れて行くのは童話の中ではツバメなんだし、お前が見付けた親指姫だってツバメが何処かへ連れて行くとか…。
 花の国と言っても一つだけとは限らないしな、花の王子様は他にもいるかもしれん。
 お前が王子様をやっていたなら、それに相応しい親指姫の童話が出来るさ。
 王子様が盗まれちまった後にも、親指姫が幸せになれる話が。
 そもそも、お前が王子様になっていたのが間違いなんだ。
 王子様になろうとしていた話は、お前にとっては黒歴史だろ?
 消しちまいたい過去で、無かったことにしたいくらいの過去なんだからな、親指姫が見付かっていたら、それも含めて黒歴史ってな。
 親指姫と暮らしていたことは忘れちまって、俺の嫁さんになればいい。
 お前はそうして幸せになるし、親指姫だって、お前とのことを黒歴史にして別の人生。
 要は幸せに暮らしていればいいんだ、黒歴史ってヤツがあってもな。
 …有難いことに、チビのお前の黒歴史。
 親指姫を見付けられずに終わっているから、俺は盗っ人にならなくて済む。
 花の国の王子様を盗みに冒険の旅に出掛けなくても、嫁さんはちゃんと手に入るんだ。
 親指姫に感謝せんとな、お前の家の花壇に咲いてたチューリップに入っていなかったことを。



 良かった、良かった、とハーレイが嬉しそうな顔をしているから。
 王子様を盗み出した悪者にもモグラにもならずに済んだ、と紅茶で喉を潤しているから。
 黒歴史を喋らされる羽目に陥ったブルーの方では些か不満で、面白くなくて。
「…じゃあ、ハーレイの黒歴史は?」
 ぼくのだけ聞いて、それでおしまいって酷くない?
 鎌をかけてまで喋らせたんでしょ、ハーレイの分も教えてよ。ハーレイが持ってる黒歴史を。
「授業中にも言っただろう。ありすぎて話し切れないとな」
 お前よりも長く生きているんだ、どれほどあると思っている?
 チビのお前でさえ、ウサギにネズミに王子様だ。俺だと、いったい幾つあるやら…。
 きちんと数えたことは無いがだ、指を折ったくらいで足りる数ではないってな。
 お茶を飲みながら話せるような数じゃないんだ、今日の所は諦めておけ。
「ずるいってば!」
 時間が足りないって言うんだったら、何回かに分けて話すとか…。
 今日は始まりのトコだけ話して、次に会ったらその続き。そんな感じで教えてよ。
 ぼくだけ三つも喋らせておいて、ハーレイは一つも無しなんてずるい!
 ほんの少しだけ、小さな黒歴史の始まりだけでも一つ教えて、何でもいいから!



 お願い、と強請ったブルーだけれど。
 教えて欲しいとせがんだけれども、「いずれな」と軽く躱された。
 本当に山ほどあるのだからと、いつか結婚したなら、と。
「結婚して一緒に暮らし始めたら、時間もたっぷりあるからなあ…」
 それからゆっくり聞けばいいだろ、俺の黒歴史を知りたいのなら。
 細切れの話を聞いているより、纏めて聞くのが一番じゃないか。続き物にするより、纏める方がお得だぞ?
 話の続きが気になってしまって、夜も眠れないってことも無いしな。
「…なんでそこまで内緒にするの?」
 結婚するまで秘密にしなくちゃいけないの?
 少しくらい聞いても、ぼくは寝不足にはならないけれど…。続きを聞くまで待てるんだけど。
 それでも駄目なの、どうしてなの?
 ちょっとくらいは教えてくれても良さそうなのに…。
 ぼくに言えないくらいに酷いの、ハーレイが持ってる黒歴史は?



「そういうわけでもないんだが…」
 酷いわけではないのだが、とハーレイは肩を竦めてみせた。「とても言えん」と、「黒歴史とはそういうものだ」と。
 無かったことにしておきたいから、黒歴史。消してしまいたいから黒歴史だ、と。
「ぼくの王子様の話だってそうだよ、黒歴史だよ!」
 だけどハーレイ、喋らせたじゃない!
 ぼくは無かったことにしておきたくって、一生言わずにおこうとしたのに…!
「それだ、それ。…恋人だからこそ、今は黙っておきたいってな」
 お前が考えていたのと同じだ、俺はお前のためを思って結婚までは黙っておこうと…。
 迂闊に話すと、お前、眠れないどころじゃないぞ?
 黒歴史だからと説明したって、お前はまだまだチビなんだ。
 俺みたいに笑って流せるかどうか、その辺がなんとも分からんからなあ…。
 嫉妬するとか、怒り出すとか。
 そうなったとしても、とっくの昔に終わってしまった話なんだ。今更取り返しがつかん。
 お前の器が大きくなるまで、黙っておくのが吉ってことだな。
 ついでに、お前が怒っちまっても、「すまん」と謝ってキスを贈ってやれる頃まで。
 結婚していたら簡単なことだろ、キスして仲直りをするくらいはな…?



 仲直りの方法はキスの他にも色々あるし…、と深い色になる鳶色の瞳。
 ブルーを見詰めている瞳。
 その瞳の奥に熱い光が見え隠れするから、仲直りの方法とやらは分かった。キスを交わした先にあること、チビの今では出来もしないこと。
 ブルーの頬が染まったけれども、そこで気付いた黒歴史。ハーレイが隠しておきたい過去。結婚するまで話す気は無くて、聞けば自分が嫉妬するとか、怒り出すとか言うのなら…。
「…ハーレイ、もしかして、恋人を募集してたとか?」
 黒歴史ってそういうヤツなの、だからぼくには話せないの…?
「さあな?」
 恋人募集か、デートでもしたか。
 まさかお前が嫁に来るとは、俺は夢にも思わなかったし…。
 お前に会うまで気付かなかったし、俺はこういう年なんだしな?
 お前よりも長く生きている分、人生、色々あるってもんだ。もちろん出会いの数ってヤツも。
 だがな、俺にはお前だけだ。
 花の国から王子様を盗み出す羽目になっても、お前以外を嫁に欲しくはないってな。



(……黒歴史……)
 学生時代はモテていたと聞くハーレイだから。
 柔道も水泳もプロの選手にならないかという誘いが来るほど、女性ファンだって大勢いたのだと聞いているから、もしかしたら。
 わざわざ募集をするまでもなくて、恋人の一人もいたかもしれない。一人どころか二人、三人、それこそ何人もハーレイの周りを取り巻くほどに。
 食事に行くならこの人と、ドライブするならこの人と、とシーンに応じて選べるほどに。
(…ハーレイとデートをしたい人たちが順番待ちとか…)
 絶対に無いとは言い切れない。プロのスポーツ選手は引く手数多の花形職業、ハーレイはその卵だったのだから。
 プロでなくても学生時代は大会で優勝するような選手、きっと素敵に見えただろう。一際輝いていたに違いないし、デートしてみたいと願う女性も少なくはなくて…。



(…ハーレイ、ホントにデートしてたの…?)
 車の助手席に女性を座らせて、ドライブなんかもしたのだろうか。
 何処かの店で二人きりの食事や、お茶を楽しんだりもしていただろうか…?
 けれどその頃、自分は生まれてもいなかったから。
 生まれて来た後も、ハーレイの存在などは知らずに、親指姫を探していたから。
 花の国の王子様になって結婚しようと、チューリップの花を端から覗いていたのだから。



(…お互い様…)
 未来の結婚相手を巡る話は黒歴史ということにしておこう、とブルーは思う。
 親指姫を探した自分も、ハーレイが話してくれない過去の話も。
 どちらも今は黒歴史。無かったことにしておく話。
 いつか笑いながらハーレイの黒歴史を聞ける時が来るまで、二人で暮らせる日が来るまでは。
 そう、その日までは黒歴史。
 結婚してお互い、お互いのものになる時まで。
 ハーレイの黒歴史を聞いて嫉妬したって、怒ってみたって、ただキスだけが降ってくる。
 そうしてキスで溶けてゆく過去、溶けてなくなる黒歴史。
 甘く溶け合うための相手は、お互い、一人しかいないのだから…。




           可愛い黒歴史・了

※ブルーが教わった「黒歴史」という言葉。ついでに、ブルーにもあった黒歴史。
 もしも親指姫が見付かっていたら、とんでもないことになっていたかもしれませんね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]