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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

焼きそばパン

(たまには店で買うのもいいもんだしな)
 これがまたいい、とハーレイは食料品店に立ち寄っていた。ブルーの家に寄れなかった日、何か買おうと店の駐車場に車を停めて。
 欲しいものは夜食、夕食の後にコーヒーを淹れて食べるもの。自分で作るのも好きだけれども、こうして買いたくなる日もある。食料品を買い込むついでに、一人分を作るには向かないものを。
 たとえばタコ焼き、軽くつまめて手軽な割に意外とかかってしまう手間。
(夜食じゃないなら作るんだがな…)
 夜食の分だけ作るとなったら難しい。たかが十個ほどを作るためにだけ、材料を揃えてタコ焼き器までも出してこなければいけないのだから。タコ焼き器を出せば当然、片付けだって。
 そういった食べ物は色々とあって、今日は買いたい気分になった。夜食用に何か、と。



(何にするかな…)
 店に備え付けの籠を手に提げ、野菜や肉を入れてゆきながら思案していて。
 やはりタコ焼きを買うべきだろうか、などと考えていたらパンのコーナーが目に付いた。普通の食パンやバゲットと一緒に菓子パンや調理パンなども置いている。この店の中で焼いてもいる。
 行きつけのパン屋もあるのだけれども、この店のパンも気に入っていた。時間によっては焼けたばかりのパンがズラリと並ぶし、品揃えも豊富だったから。
(サンドイッチでも買うとするか)
 カツサンドもいいな、と入って行ったパンのコーナー。店でわざわざ焼くくらいだから、他とは区切られているスペース。食料品店の中にパン屋があるような具合。
 カツサンドはカツから用意しないと作れないのだし、丁度いいな、と思ったものの。
 いざ入ってみるとサンドイッチの他にも菓子パン、調理パン。夜食に一個だけは作れそうもないパンが色々、あちこち目移りしてしまう。
 キツネ色に揚がったピロシキもいいし、ピザ風になった調理パンも…、と眺めていく内に。



(おっ、懐かしの焼きそばパンか…!)
 美味いんだよな、と頬が緩んだ。焼きそばを挟んだ調理パン。赤い生姜がアクセント。
 此処のは店で作っているから、少し値段が張るけれど。仕上がり具合もお洒落だけれども、これよりも安い焼きそばパンをよく食べていた。子供の小遣いで気軽に買える値段のものを。
(学校でも買っていたっけなあ…)
 食堂にあったパンのコーナー、外から仕入れて売っていた場所。
 今のブルーの年の頃には、焼きそばパンが定番だった。人気の高いパンだっただけに、奪い合うように買っては食べた。昼休みではなくて、クラブに出掛ける前の時間まで取っておいて。
 腹ごしらえにと頬張っていた思い出の味の焼きそばパン。此処のものより安かったパン。今でも店で売られている。焼き立てパンが並ぶ場所とは違うスペースに、安い値段で。



(どうせだったら…)
 そっちにするかな、と安価なパンのコーナーの方へ移動した。店で焼いた味にこだわらなくても安く買えれば、という客向けのコーナー。同じパンでも値段が違う。大量に焼いて作る強みで安く上げる単価、食パンでも調理パンなどでも。
(ふうむ…)
 俺は運がいい、と顔が綻ぶ。この時間ならば完売かも、と心配だった安い焼きそばパン。今でも子供たちに大人気のパンが一個だけ棚に残っていてくれた。学生時代と変わらないものが。
(うん、こいつで)
 これを今夜の夜食にしよう、と籠の中へと突っ込んだ。他に買うものは何があっただろうか、と店を一巡、それからレジへ。会計を済ませて、車で家へと。



 自動で門灯が灯った家。迎えてくれる人は誰もいなくて、鍵を開けて入る一人暮らしの家。
 いつかはブルーがこの家に住んで、「おかえりなさい」と笑顔を向けてくれるのだろうが、今はまだ一人きりの家。
(…今日は寄ってはやれなかったなあ…)
 小さなブルーが暮らす家。両親と一緒に住んでいる家。
 仕事が早く終わった時には寄って夕食を共にするけれど、今日は会議で行けなかった。寄れずに帰って来てしまった。
 夜食用にと焼きそばパンを一個、野菜や肉なども買い込んで家へ。ブルーのいない家へ。
 買い出しの成果を棚へ、冷蔵庫へと入れてゆきながら、焼きそばパンをダイニングのテーブルに置いた。今夜の夜食、とテーブルの端に。
(あいつも、これが好きなんだろうか?)
 子供に人気の焼きそばパン。おやつ代わりに食べる子供も多いパン。
 小さなブルーも好きなのだろうか、この味が。買って食べたりするのだろうか?
 ブルーが通う学校にもパンを売っているコーナーはあるし、焼きそばパンもあった筈。とはいえブルーが奪い合いになる人気商品の争奪戦に勝ち抜けそうな気は全くしないし…。



(好きでも食ってはいないかもなあ…)
 昼休みに焼きそばパンを目指して一目散に走ってゆくほど、ブルーは活発な子供ではない。争奪戦を繰り広げるより、売れ残りでよしとするタイプ。ついでにランチ派、パンよりもランチ。
(きっと栄養バランスってヤツだ)
 身体が弱い分、栄養が偏るとロクなことにはならないから。
 両親の方針でランチを選んでいるのだろう。健康作りには食事からだ、と。
(前と同じで弱いからなあ…)
 虚弱な身体に生まれたブルー。前のブルーとそっくり同じに。
 そんなブルーを思い浮かべながら夕食を作る、夜食と重ならないように。焼きそばパンを充分に楽しめるよう、似た味付けのものは避けなければ。
 買って来た魚の切り身を焼いて、それをメインに献立を組んだ。手早く作れて美味しいものを。栄養のバランスが崩れないよう、きちんと野菜も摂れるものを。



 自分一人の食卓であっても「いただきます」と合掌は忘れない。子供の頃から叩き込まれたし、学生時代もクラブの先輩たちに厳しく指導をされた。忘れるな、と。
 食べ終わったら「御馳走様でした」と同じく合掌、器などをキッチンへ運んで洗って、片付けが済んだらコーヒーの用意。
 愛用の大きなマグカップにたっぷり淹れると、焼きそばパンも持って書斎に移った。本が並んだ寛ぎの場所。リビングも好きだが書斎も好きだ。
 机の上には白い羽根ペンと、小さなブルーとお揃いの持ち物のフォトフレームと。飴色の木枠のフォトフレームの中、並んで写った自分とブルー。
(おい、焼きそばパン、お前も好きか?)
 買って食べたりしているか、と写真のブルーに語り掛ける。笑顔のブルーに。自分の左腕に抱き付いたブルーに。
 食堂に向かって駆けてゆくとは思えないブルー。焼きそばパンの奪い合いには参加しそうもないブルー。



(奪うと言えば…)
 前のブルーの得意技だった、何でも奪った。人類の船から様々なものを。食料品から物資まで。自給自足の日々になってからも、たまに奪いに出掛けていた。
 シャングリラに何かが必要になれば、他の仲間たちでは奪えないようなものならば。
 それの最たるものがフィシスで、よりにもよってマザー・システムが無から作った少女を攫って船に連れて来た。文字通り奪い取って来た。
 処分されそうになったフィシスを救ったと言えば聞こえはとてもいいのだけれども、その原因はブルーがフィシスを欲しがったからで、サイオンを与えてミュウにしたからで。
(焼きそばパンの争奪戦どころの騒ぎじゃないぞ)
 大胆すぎだ、と苦笑いした。
 マザー・システムから奪い取るなど、横から見事に掻っ攫うなど。
 あの頃のブルーの勢いだったら、焼きそばパンも…。



(きっと一番に手に入れるんだ)
 昼休みの始まりのチャイムが鳴るなり走り出す大勢の生徒たち。焼きそばパンが目当ての生徒。それを涼しい顔で出し抜き、一番最初に「これ」と手に取り、差し出して。
 争奪戦など見たこともない、と言わんばかりに悠然と去ってゆくのだろう。焼きそばパンを手にして食堂に入るか、あるいは教室で食べるのか。
(目に見えるようだな)
 あのブルーなら、と想像してみたら可笑しくなった。
 奪うことを得意としていたブルー。前のブルーが焼きそばパンに挑んだならば、と。
 挑むからには相手は人類、アルテメシアの学校の食堂で奪うのだろうか、と思ったけれど。
 ジョミーが通っていたような学校、あそこの食堂へ行くのだろうか、と考えたけれど。
(…無かったんだった…)
 焼きそばパンという食べ物は。
 白いシャングリラがあった頃には、焼きそばパンはおろか、焼きそばさえも。
 今でこそ当たり前に店に並ぶし、今日のように選べもするけれど。パンを焼いている店で作った値の張るものを買うか、大量生産の安価なものか、と好みで自由に選べるけれど。
 前の自分たちが生きた時代に、焼きそばパンは何処にも無かった。奪い取ろうにも、存在しない食べ物などは奪えない。前のブルーの腕をもってしても。
 だから…。



(おい、珍しいものを食わないか?)
 前のブルーに心でそう呼び掛けて、引き出しから出した写真集。
 憂いと悲しみを秘めた瞳で正面を見詰めるブルーが表紙に刷られたもの。『追憶』という名の、前のブルーの写真集。それを机の上へと置いた。表紙のブルーと向かい合うように。
(どうだ、お前は知らんだろう?)
 こんなパンは、と語り掛けた。
 今の俺には馴染みの味だが、前の俺たちには珍味なんだぞ、と。



(焼きそばパンと言うんだ、こいつは)
 そういう名前がついたパンだな、文字通り焼きそば入りのパンだが…。
 ん?
 焼きそばも知らんか、お前…。焼いた蕎麦だな、こんな風に…、って、蕎麦も知らんか。
 いわゆる本物の蕎麦ってヤツはだ、これとはまるで違うんだが…。
 蕎麦粉で出来てて、こう、ザルみたいなのに盛られてるヤツを蕎麦つゆで食ったり、たっぷりの出汁に浸かっているのを啜ったり…。
 それもお前には全く想像出来ないかもなあ、蕎麦からしてな。
 その本物の蕎麦とは違って、こいつは焼きそば。蕎麦粉で出来てるわけじゃない。それを焼いて好みで味をつけてだ、熱い間に食うものなんだが…。
 こうして冷めてしまったヤツでも、パンに挟むと格別なんだ。温めなくても、このままでな。
 まあ、食ってみろ。美味いんだから。
 今の俺はガキの頃から食ってたんだぞ、焼きそばパンを。学校で買う時は奪い合いでな。
 そうさ、学校でも買ったんだ。クラブの前には腹が減るから、これとか、他にも色々なパンを。
 いつでも一番人気があるのがこいつだったな、焼きそばパンだ。



 遠慮しないでお前も食え、と前のブルーと二人で食べた焼きそばパン。
 写真集の表紙に刷られたブルーと。
 一個しか買って来なかったけれど、お互い、一個ずつ手にしたつもりで。
 写真集の表紙のブルーは幻なのだし、焼きそばパンも前のブルーと同じに幻影、ハーレイだけに見える幻。それをブルーに分けてやった。お前の分だ、と。
 前のブルーと語り合いながら、焼きそばパンを食べたけれども。
(今のあいつはどうなんだろうなあ…)
 好物だろうか、焼きそばパンが。今よりももっと幼い頃から食べた思い出のパンなのだろうか。
 学校で争奪戦はしそうになくても、好きかもしれない。学生時代の自分がそうだったように。
(なんたって人気のパンなんだしな?)
 明日は土曜日だから、ブルーの家に行く日だから。
 持って行ってやろうか、焼きそばパンを。
 あの店で作っているお洒落な焼きそばパンとは違って、仕入れている方の焼きそばパンを。
 小さなブルーも好きだったならば、きっとそちらの方だから。
 子供たちばかりで店に行っても充分に買える値段で、子供の御用達だから。



 次の日は朝から晴れていたから、歩いてブルーの家まで行く途中で昨日の食料品店に寄った。
 他の棚には目もくれないで、ただ真っ直ぐにパンが並んだコーナーへ。
 早い時間だから充分な数が置かれた焼きそばパン。大量生産の安い焼きそばパン。二つ掴んで、それだけをレジに出し、小さな袋に入れて貰った。
 後は焼きそばパンとの道中、秋晴れの空の下を颯爽と。
 生垣に囲まれたブルーの家に着いて門扉の脇のチャイムを鳴らせば、二階の窓からブルーが手を振る。応えて大きく手を振り返して、門扉を開けに来たブルーの母に焼きそばパンの袋を渡した。
 「昼食にこれをお願いします」と。
 ブルー君にこれを食べさせたいので、他の料理と合わせて下さい、と頼んでおいた。
 そうしてブルーの部屋に行ったら…。



「ハーレイ、お土産は?」
 何処へ消えたの、と見回すブルー。焼きそばパンの袋に気付いていたのだろう。何処かへ隠れてしまった袋。ハーレイが持たずに現れた袋。
 もしも中身がお菓子だったら、それが反映される筈のテーブル、其処にはブルーの母の手作りの菓子が載せられた皿だけで。袋の中身は何処にも無いから、ブルーの疑問はもっともなもの。
「まあ、待ってろ」
 土産はお母さんに預けて来たから、その内に出る。
 昼飯の時間に登場するから、それまで大人しく待つことだな。
「お弁当!?」
 ハーレイお勧めのお弁当とか、そういうの?
 お昼御飯ならお弁当だよね、いつものお店で何かいいもの売っていたの…?



 食料品店の存在を知っているブルー。お弁当だと思い込んでしまった小さなブルー。
(…弁当代わりに食うヤツもいるしな?)
 訂正することもないだろう、と放っておく内に昼食の時間になったけれども。
 「お昼をどうぞ」とブルーの母が運んで来た二人分の食事、手作りのサンドイッチが載せられた皿とは別に焼きそばパンだけが乗った皿。それにサラダとポタージュスープ。
 何処から見ても、ブルーが思ったお弁当らしきものは見当たらないから。
「えーっと…?」
 他にも何か出るのだろうか、と扉の方を見ているブルー。母が閉めていった扉の方を見るから、不思議そうな顔をしているから。
 これが土産だ、と教えてやった。
 焼きそばパンを買って来たのだと、皿に乗る前には透明な袋に入っていたが、と。



「見れば分かるだろ、ごくごく普通の焼きそばパンだ」
 店で作ったパンを売ってる方に行ったら、もっとお洒落な焼きそばパンもあるんだが…。
 その店で焼いたパンを使って、焼きそばだって店で作って挟んであるヤツ。
 だがなあ、お前くらいの年で焼きそばパンと言えばコレだろ、学校でも売ってるパンだしな?
「焼きそばパンって…。なんで?」
 どうしてそんなのがお土産になるの、お洒落な方なら分かるんだけど…。
 他のお店では売ってないとか、特別な材料を使っているとか、ハーレイお勧めのパンだったら。
「お前、嫌いか? 焼きそばパンは」
 何処の学校でも人気商品だが、お前は好きじゃないのか、これは?
「好き嫌いが無いこと、知ってるくせに」
 前のぼくが酷い経験をしちゃったせいなのか、ぼくは好き嫌いをしないってこと。
 だけど好きだよ、焼きそばパンは。
 美味しいんだもの、ぼくが嫌いになるわけないじゃない。



 焼きそばも好きだし、焼きそばパンも…、とブルーが無邪気に微笑むから。
 これは好きだと嬉しそうだから、ふと気になって訊いてみた。
「好きだというのはよく分かるが…。お前、焼きそばパンはいつ食ってたんだ?」
 今の学校じゃ昼休みになったら奪い合いだろ、お前が必死に買いに行くとは思えんが…。
 それとも誰かに頼んで買うのか、焼きそばパンを?
 お前のランチ仲間の中には足の速いヤツだっているだろうから、食いたい時には頼むとか。
「違うよ、今の学校じゃなくて…」
 下の学校に行っていた頃。お昼御飯じゃなくって、おやつ。



 友達と遊んでいた時に買って食べた、と返った答え。
 そういえば下の学校に通う間は昼食は給食、焼きそばパンなど売られてはいない。争奪戦だってあるわけがない。
 ブルーが言う通り、欲しければおやつ。遊びの合間に買いに行くおやつ。
 自分が子供だった頃にもそうだったけれど、自分はともかく、小さなブルー。今よりも小さくて幼かったブルーがおやつにするには、焼きそばパンは大きすぎないだろうか?
 いくら美味しくても、子供の御用達のパンでも、相手が小さなブルーでは…。



「おやつって…。食い切れたのか、お前?」
 俺がガキだった頃からこうだぞ、焼きそばパンは。小さいサイズは無かったんだが…。
 それとも、お前が買ってた店にはもっと小さいのがあったのか?
「ううん、これだよ。この焼きそばパン」
 美味しかったし、買ったら最後まで全部食べたよ。
 その代わり、その日の晩御飯…。入らなくなって、パパとママによく叱られたけど。
 焼きそばパンを買っちゃ駄目とは言わないけれども、晩御飯が入る分だけ食べなさい、って。
 食べ切れないなら持って帰ればいいんだから、って。
 でも…。いつもすっかり食べてしまって、晩御飯の時に叱られるんだよ。
 焼きそばパンだけでは身体に悪いし、サラダくらいは食べておきなさい、って。
「そうだろうなあ…」
 食っちまっていたお前の気持ちも分かるし、お母さんたちの言い分も分かる。
 晩飯を焼きそばパンだけで済ませちまったら、野菜が足りなくなるからな。頑丈な身体を持ったガキならともかく、お前では…。食生活ってヤツも大事だからなあ、身体を丈夫にするにはな。



「…そういう話で焼きそばパンなの?」
 ぼくの思い出話を聞きたくて買って来たわけ、この焼きそばパン?
「いや、違う。俺も昨日の夜食に買うまで気付かなかったが…」
 前の俺たちがまるで知らなかった食い物なんだ。…そう思わないか、焼きそばパン?
「ホントだ…!」
 この味もそうだし、焼きそばパンだって…。
 前のぼくたちは知らなかったね、見たことも聞いたことも一度も無かったよ。
 こういう形のパンはあったけど、ソーセージとかを挟んだけれど…。
 焼きそばを挟んだことは無かったね、パンに挟むっていうだけなのにね。



 焼きそばパンが無かったシャングリラ。白い鯨には無かった食べ物。
 時代そのものが焼きそばなどは無かった時代で、焼きそばパンは作られなかった。外の世界にも焼きそばは無くて、もちろん焼きそばパンも無かった。
 今では店で売られているのに、学校の売店では人気商品なのに。
 小さなブルーは焼きそばパンを頬張り、モグモグと噛んで味わってから。
「…焼きそばパン、とても美味しいのにね?」
 こんな食べ物を知らなかったなんて、なんだか残念。前のぼくたち。
「まったくだ」
 あの時代だから仕方ないんだが…。
 誰も食ってはいなかったんだが、なんとも惜しい人生ってヤツを送ったなあ…。
 たかが焼きそばパンと言うには惜しいぞ、この美味さは。
 パンに焼きそば、ただ挟むだけで格別な美味さになるんだがなあ…。



 前の俺も思い付かなかっただなんて、と軽く両手を広げてみせた。お手上げのポーズ。
 厨房であれこれ工夫したのに、このパンは作りもしなかったと。
「仕方ないよ、焼きそばが無かった時代なんだから」
 無いものを使って作れやしないよ、いくらハーレイが頑張ったって。
「それはそうだが…」
 自分の発想の貧困さってヤツだ、パンがあるなら思い付け、ってな。
「でも…。スパゲティでやってもこれほど美味しくなかったよ、きっと」
 パンに挟んでも、焼きそばパンとは全く違う味になっちゃうんだし…。
「そこなんだよなあ…」
 スパゲティは前の俺たちの頃にもあったし、シャングリラにだってあったわけだが。
 パンもスパゲティも揃っていたのに、挟んで食おうと思わなかった。
 そいつが実に情けないんだ、もっと発想の豊かさってヤツが必要だったな。
 焼きそばパンは無理だとしてもだ、スパゲティを挟んでみるとかな。



 知ってるか? と小さなブルーに話してやった。
 遠い遠い昔、SD体制が始まるよりも前。この地域にあった小さな島国、日本で焼きそばパンが流行っていた頃、スパゲティを挟んだパンはそれほど流行っていなかったと。
 けれども、日本から遠く離れたスパゲティが誕生した地域。其処の近くにもスパゲティを挟んだパンがあったと、こういうパンではなかったのだが、と。
「…そうなの?」
 スパゲティのパン、あったんだ…。焼きそばパンと似ているヤツの他にも。
「らしいぞ、トースト用のパンを使って作るんだ」
 それならたっぷり挟めるからな。ひと手間かけるならホットサンドだ、美味かったらしい。
 日本じゃ焼きそばパンの中身がスパゲティに化ける程度だったが、スパゲティに馴染んだ連中は工夫を凝らしたようだ。
 そういう食い方、前の俺たちの頃には無かったんだが…。
 今じゃ復活してるって言うし、前の俺はどうして気付かなかったかと思いもするな。
 ほんの少しの発想の転換、そいつがあれば…。
 焼きそばパンは作れなくても、スパゲティのパンは出来たんだ。
 もっとも、今の俺にしてみれば、断然、焼きそばパンだがな。うんと小さなガキの頃から食って来たんだ、選ぶんだったら焼きそばパンだ。



 今のハーレイとブルーが生まれた地域では、焼きそばパンが馴染みの食べ物。学校の昼休みには争奪戦になるほど子供に人気で、大人も食べる。大人用にとパンから焼いて作る店もあるほど。
 スパゲティに慣れ親しんでいる地域の方では、スパゲティをパンに挟むという。トーストに使うパンを使って、時にはホットサンドにもして。
 焼きそばとスパゲティ、それぞれとパンとの組み合わせ。今では普通の組み合わせ。
 そんな食べ方を思い付きさえしない時代がSD体制が敷かれていた時代。
 多様な文化の存在を認めず、統一された文化が一つだけ。それ以外は全て消されてしまった。
 マザー・システムが消してしまった、人間を統治しやすいように。
 美味しい食べ物もゴッソリと消えた、美味しい食べ方も失われていた。
 スパゲティとパンはあったというのに、誰も挟もうとしなかったように。
 人類の世界から弾き出されて生きたミュウでさえもが、それを思い付きもしなかったように。



「…考えようってヤツによっては、だ…」
 シャングリラの中でしか生きられなくても、不自由しない程度の食文化の時代で良かったな。
 今みたいに色々な食い物があると、そいつが手に入らなくなっちまったら辛いぞ、きっと。
 船の中でだ、焼きそばパンが恋しいヤツらがいたらどうする?
 買って来るってわけにはいかんし、作らねばならん。焼きそばからな。
「そうかもね…」
 それを作る手間もそうだけど…。
 前のぼくたち、成人検査よりも前の記憶が消えちゃってたから、焼きそばパンの記憶も無いよ。
 何か美味しいものを食べていたんだ、って漠然と覚えていたなら、それだけでラッキー。
 でも、思い出せないんだ、焼きそばパンを。そういう名前の食べ物だった、って。
 調べてみたって手掛かりが無くて、どうにもこうにもならないんだよ。
 シャングリラの誰かが偶然それを作り出すまで、食べて気付くまで忘れたままだよ…。



 SD体制の頃には、皆が統一された文化で育っていたから。
 成人検査よりも前の記憶を失くしてしまった前の自分たちでも、何とかなった。
 思い出の味が見付け出せないと騒ぐまでもなく、忘れたままでも誰も困りはしなかった。
 何かの切っ掛けで思い出せる機会もまた多かった、料理の種類も味も多くはなかったから。
 失われた記憶の彼方の味に出会える確率というものが高かった。
 この料理だったと、この味だったと気付ける機会。自分の好物はこれだった、とか。
 けれども、それが今だったら。
 ありとあらゆる食文化が復活を遂げてしまった時代に記憶を失ったなら…。



「…俺は何の味を探すんだろうな、美味いものの味で」
 あれが食いたいと、確かに食った筈だったんだと、何を探そうとするんだろうなあ?
 何の手掛かりも無しに端から探して、出会えたら感動しそうな食い物。
「パウンドケーキじゃないの?」
 ぼくのママのが大好きなんでしょ、お母さんのと同じ味だ、って。
 もしもハーレイが今から必死に探すんだったら、パウンドケーキじゃないのかなあ…。
「なるほど、あれか…」
 おふくろの味だし、しかも二ヶ所で食ってるし…。おふくろが焼くのと、お前のお母さんが焼く分と。二ヶ所で食えたおふくろの味なら、確かに探そうとするかもしれんな。
 ケーキなんだと気付きもしないで、あちこちの店で飯を食いながら探しているとかな。
「あははっ、御飯を食べていたんじゃ出会えないよね、パウンドケーキ」
 デザートで出るまで分からないよね、これだったんだ、って。
「うむ。…ついでに味が同じでないとな」
 おふくろと、お前のお母さんと。その味のパウンドケーキを食わんと思い出せんぞ。
「…ぼくだと、何になるんだろ?」
 忘れちゃったら探そうとする味、そういう食べ物。焼きそばパンもそうなのかな?
 ママの料理が入らなくなるほど詰め込んだんだし、あれも思い出の味なのかも…。
「お前なあ…。まだ、おふくろの味って言い出すような年じゃないだろ」
 十四歳にしかならないチビなんだからな、思い出の味はこれからだ。おふくろの味も。
 これから色々と出来ていくのさ、おふくろの味が。
「…そうだけど…」
 多分、ハーレイの言う通りだけど、おふくろの味…。
 ぼくのママの味、絶対これだ、っていうのがいつかは出来るのかなあ…?



 どうなんだろう、と考え込んだ小さなブルーだけれど。
 突然「あっ!」と叫んだかと思うと、困ったような顔をした。
「…ぼく、おふくろの味が出来るよりも先にお嫁さん?」
 ママのあの味が食べたいよ、って思う年になるよりも先にハーレイと結婚しちゃうのかも…。
 どうしよう、おふくろの味、ぼくは頑張って探すどころか最初から一つも無かったとか…。
「その可能性は大いにあるなあ…」
 お前、今ですら、俺と一緒に飯を食ったりしているし…。
 お母さんの味を覚える代わりに、俺との思い出の味になっちまってるということもあるか。
 これはあの時に食べた味だと、この味にはこういう思い出が、とな。
「…そうなのかも…」
 ぼく、おふくろの味っていうのは一生、無いかも…。
 あれが食べたい、って思う食べ物、ずうっと出来ないままなのかも…。



「そうかもしれんが…」
 まあいいじゃないか、とハーレイはブルーの肩をポンと叩いてやった。
 家が恋しくならなくていいぞと、帰りたい気分に捕まりにくい、と。そうしたら…。
「恋しくなんかならないよ」
 ママが作る何かが食べられなくなっても、家は恋しくならないよ、きっと。
「本当か?」
 おふくろの味だぞ、懐かしくなって帰りたい気分になりそうだがな?
 特にお前は甘えん坊だし、家に帰ると言い出しそうだが…。
「言わないよ、ぼくは」
 だって、ハーレイと一緒だもの。
 ハーレイと二人で暮らしてるんだし、食べるためだけに帰りやしないよ。
 ずうっと、ハーレイの家でハーレイと一緒。いつかハーレイと結婚したら。



 そしてハーレイが作ってくれる食事を食べるんだもの、とブルーは笑顔だから。
 おふくろの味よりもハーレイの家、と心待ちにしているブルーだから。
 そんなブルーと結婚したなら、せっせと料理を作ってやろう。
 この味が好きだと、ハーレイが作るこれでないと、と言ってくれる料理を沢山、沢山。
 そういう日々も素敵だけれども、たまにはこういう焼きそばパン。
 家で作った料理ではなくて、店に行けば買える思い出の味。
 前の自分たちは一度も食べていないけれど、今は馴染みの味なのだと。
 あの頃には何処にも無かった食べ物、それを気軽に買えるのだと。
 ブルーと二人、生まれ変わって青い地球までやって来た。
 だから一緒に買い物に行こう、今だからこそ食べられるものを。
 今日はおやつに焼きそばパンだと、子供の頃から大好きな味のパンだったのだ、と…。




           焼きそばパン・了

※シャングリラには無かった焼きそばパン。今ではお馴染み、学校の昼休みには争奪戦も。
 そして焼きそばパンの他にも、「おふくろの味」があるのです。いい時代ですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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