シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あ…)
引越しの車、とブルーは乗っていたバスの窓から覗いた。
学校からの帰り、いつもの路線バスの中。信号待ちで止まった所へ横に並んだトラックが一台。さほど大きくはないのだけれども、引越し用の荷物を専門に運ぶトラック、そうだと分かる。
(ふうん…)
引越し用だと何が載せられているのだろう。それとも荷物を下ろした帰りで空っぽなのか。興味津々、気になる中身。けれども透視は出来ない車。ブルーでなくても、他の誰でも。
(プライバシー…)
今の時代は、人間はみんなミュウだから。サイオンを持った者ばかりだから、透視能力を備えた人も多くて、そういう人ならトラックの荷台くらいは覗き放題、見放題。
トラック以外の車でも。普通に走っている乗用車でも中を見られるのが透視能力者で、それでは誰もが落ち着かない。いくら見ないのがマナーと言っても、幼い子供の能力者もいる。
ゆえに車には透視出来ない仕組みが施され、タイプ・ブルーでも覗けないらしい。小さい頃からそう聞いているし、社会の常識。
サイオンの扱いがとことん不器用なブルーでなくても、引越しトラックは覗けない。中に荷物が載っているのか、空で走っているのかさえも。
(でも、例外…)
透視が出来る引越し用の車があるのだという有名な話。誰もが知っている話。透視しようとするサイオンを遮る仕組みを無効に出来る引越しトラック。一時的に仕組みを解いたトラック。
それが来たなら、誰でも中身を透視していい。荷台に何が載っているのか、覗いても誰も咎めはしない。むしろ覗き見大いに歓迎、そんなトラックにはマークがつく。
どうぞ中身を見て下さいと、透視出来る人は覗いて下さい、と知らせるマークが。
(花嫁さんの引越しの車…)
引越しと呼ぶのかどうかは知らないけれども、結婚して新しく住む家へ荷物を運びたい時に頼む車で、結婚式よりも前に走るのが普通。結婚したら直ぐに使えるようにと運んでおく荷物。
新しく買った様々な家具や、新居で使うための道具や、それは沢山の花嫁の荷物。幸せの荷物。
それを大勢の人に見て欲しいから、見て祝福をして貰いたいから、透視歓迎、覗き見歓迎。
気付いたら中を見て下さいね、と専用のマークをつけて走ってゆく引越しトラック。
(四つ葉のクローバーなんだよね…)
そういう時だけ、引越しトラックにつけられるマーク。目立つ所にペタリと貼って。
幼い頃から何度も出会った、父と母とに教えて貰った。あれは花嫁さんの車のマーク、と。
ところがブルーには透視能力など無いものだから、無いに等しいものだから。
中を覗けると教えられても、トラックの荷台は透けてくれない。前の自分の記憶が戻る前だし、どんな具合に透けて見えるのか、イメージさえも掴めなかった。
けれど、お祝い事の車なのだとは分かったから。幼いなりに理解したから、手を振っておいた。花嫁さんが幸せになれますように、とマークをつけたトラックに向けて。
(あんまり走っていないんだけど…)
どうせ透視は出来はしないし、と思っていたから、気付いていないだけかもしれない。引越しの車が走って来たな、と横目で眺めているだけで。
花嫁の荷物を載せているマーク、四つ葉のマーク。しかも四枚の葉っぱの内の一枚だけがハートらしくピンク色になっていたりする。四つ葉の緑にピンクのハート。
(とっても幸せそうなんだよ…)
これから結婚するんです、という花嫁の幸せに溢れた心をそっくり表しているようで。ピンクのハートに幸せが詰まっているようで。
幸せの四つ葉のクローバーのマーク、花嫁の荷物を載せている印。
このトラックにはついていない、とバスの窓から観察した。普通の引越しトラックなんだ、と。
赤だった信号が青になったら、引越しトラックはバスよりも先に走って行った。バス停で止まる間に行ってしまって、見えなくなった。
それきり追い付くことも無いまま、家の近所のバス停に着いて。バスを降りたら、歩いて家へ。
母に「ただいま」と挨拶を済ませ、部屋で着替えて、ダイニングでおやつ。引越しのトラックを目にしたことなど綺麗に忘れて、ケーキを食べてホットミルクも飲んで。
キッチンの母に「御馳走様」とお皿やカップを返して、部屋に戻って勉強机の前に座った。何をしようか、本でも読もうかと考えていたら、頭を掠めた引越しトラック。帰りのバスで見た車。
(引越しの車…)
なんとなく見ていただけだったけれど。
どうせ荷物は見えはしないと、透視能力があったとしても無理な車だと見ていたけれど。花嫁の荷物の車でもない、と眺めたけれども、今頃気付いた。
いつか自分もお世話になるのだと、引越しトラックを頼むのだった、と。
(だって、ハーレイのお嫁さん…)
結婚した後はハーレイの家に住もうと決めていた。ハーレイは「俺がこの家に来たっていいぞ」などと冗談めかして言うのだけれども、それはちょっぴり恥ずかしい。
(パパとママがいる家でお嫁さんなんて…)
本物の恋人同士の時間をハーレイと過ごすのが結婚生活、両親と一緒だと恥ずかしすぎる。頬が真っ赤に染まってしまう。それは困るし、結婚するならハーレイの家へ。
そうなってくると必要な引越し、ハーレイの家まで荷物を運ぶのに引越しの車を頼まなければ。
花嫁の荷物を載せています、という四つ葉のマークをつけた車を。
道ゆく人々が祝福してくれる、ピンクのハートが一枚混じった四つ葉のマークがついた車を。
(だけど、引越し…)
車を頼むのはいいけれど。花嫁になって引越すからには、引越し用の車だけれど。
自分の部屋をぐるりと見回し、小さなブルーは首を傾げた。
(何を載せて行くの?)
引越し用の車に載せる荷物は、何を選べばいいのだろう?
家具も道具も、ハーレイの家には色々揃っている筈だから。一人暮らしが長い分だけ、持ち物も充実しているだろうし、足りないものなど無さそうで。
(子供部屋まであるような家…)
遊びに出掛けた時に見せて貰った家の中。ガランとしていた印象は無い。つまりは家具も揃っているということ、あの家に見合った大きさの家具が。ハーレイが使っても余るほどの家具が。
クローゼットにしても、食器棚にしても、きっと余裕はたっぷりとあって。
ブルーの分の荷物が増えても、溢れずに仕舞えるに違いない。
大抵のものは今ある分だけで充分間に合う、買い足さなくても問題無い筈。
ハーレイの家に何でもあるというなら…。
(もしかして、要らない?)
引越し用のトラックなどは。花嫁の荷物のマークの車は。
載せてゆくだけの荷物が無いから、運んで貰うような荷物を持っていないから。
(なんだか残念…)
せっかくお嫁に行くというのに、荷物無しだなんて。
見かけた人たちが祝福してくれる、幸せのマークの引越しトラックを頼めないなんて。
(ぼくの荷物も、少しはあるけど…)
服や身の回りのこまごまとしたもの、後はせいぜい本くらい。トラックを頼む量ではない。箱に詰めたら、普通の車で運べる程度のささやかな荷物。
(ハーレイの車で運べばおしまい…)
一度に全部は運べなくても、何往復かすれば充分。たったそれだけしかない荷物。引越しの車を頼めない荷物。
(…それって、とっても寂しいんだけど…)
花嫁の荷物を運ぶ車の出番が無いまま、結婚式。
ピンクのハートが一枚混じった、四つ葉のマークをつけた車で荷物を運んでゆけないなんて。
大好きなハーレイと結婚するのに、今度は結婚出来るのに。
(引越しの荷物…)
ハーレイの車に載せてゆくには大きすぎる荷物が何か無いか、と考えていて。
部屋にある家具などを端から眺めて、クローゼット、と思い付いた。ハーレイの家には代わりの家具があるだろうけれど、このクローゼットは特別だから。秘密の印がついているから。
ハーレイもきっと気付いてはいない、鉛筆で微かに引いた線。前の自分の背丈と同じ高さの所に引いた線。それが目標、そこまで自分の背丈が伸びたら…。
(ハーレイとキスが出来るんだよ)
その日が来るまで、何度見上げることだろう。鉛筆で微かに引いてある線を。ハーレイとキスが出来る背丈を教えてくれる小さな印を。
このクローゼットは持って行ってもいいかもしれない。印のことをハーレイに話せば、賛成してくれることだろう。「お前の思い出の家具なんだな」と。持って来ればいいと、きっと笑顔で。
(他に何か…)
クローゼットだけではトラックの荷台が余るだろうから、かさばりそうな思い出の荷物。他にも何か、と部屋のあちこちに視線を投げ掛ける内に目に入った窓。いつもハーレイに手を振る窓。
その窓を見て気が付いた。窓から見下ろせる庭に置かれた大切な家具に。
(テーブルと椅子…!)
庭で一番大きな木の下、据えられた白いテーブルと椅子。出しっ放しにしておける家具。雨風に強くて丈夫な存在、軽く拭くだけで汚れも落ちる。買った時と同じに真っ白なまま。
あれを持って行こう、引越しの車に載せて貰って。
ハーレイと初めてのデートをした場所、忘れられない思い出の場所。何度も二人でお茶を飲んだ場所、今でも晴れた休日の午後には外でティータイムをすることもあるし…。
(うん、あのテーブルと椅子は持って行かなくちゃ!)
頑丈に出来た屋外用だから、結婚する頃にも新品同様、剥げていたりはしない筈。小さな傷なら出来ているかもしれないけれども、その傷にも思い出が詰まるのだろう。
いつの間に出来た傷なんだろう、とハーレイと二人で指でなぞったり、眺めたりといった。
(でも…)
白いテーブルと椅子は引越しの車に載せられるけれど、梱包して載せて貰えるけれど。
お気に入りの場所ごと持っては行けない。あのテーブルと椅子が置いてある場所、その場所ごと車に載せてはゆけない。
(あの木はトラックに載せられないよ…)
庭で一番大きな木。運ぶとしたなら、それこそ専用の大きなトラックが要ることだろう。花嫁の荷物を運ぶ車とは別に、庭木の手入れを専門に手掛ける業者の車が。
そこまでして家から運んでゆけない、ハーレイの家の庭に植え替えることも出来ない。あの木はこの家の庭が居場所で定位置なのだし、知らない家に連れてゆかれても困るだろう。それに根付くとも限らないから、枯らしてしまったら可哀相だし…。
(ハーレイの家に…)
白いテーブルと椅子を置くのにピッタリの場所はあるのだろうか?
あの木の代わりに木陰を提供してくれるような、頼もしい木はあっただろうか?
(どうだったっけ…)
ハーレイの家の建物に夢中で、ろくに見ないで帰って来た庭。広さは充分あったけれども、木も何本もあったけれども、白いテーブルと椅子を置いても大丈夫な場所の記憶が無い。
(木の大きさを覚えていないよ…)
より正確に言うなら、枝ぶり。枝を周囲に広げない種類の木も色々とある。そういった木なら、いくら大きくても木陰を作り出してはくれない。真っ直ぐに上へと伸びるだけの木。
ハーレイの家の庭はどうだったろうか、と考え込んでいたら、チャイムが鳴った。窓から覗けば手を振るハーレイ。門扉の前で、こちらに向かって。
これはハーレイに訊かねばなるまい、庭の持ち主なのだから。
部屋に来てくれたハーレイと二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせ。
早速、窓を指差して訊いた。あそこの白いテーブルと椅子はハーレイの家の庭に置けるか、と。
「あれか? もちろん置けそうな場所ならあるが…」
なんだ、突然、どうしたんだ?
あのテーブルと椅子をどうするつもりだ、俺の家の庭に置けるか、って…。
「…お嫁さんの車…」
「はあ?」
鳶色の瞳が丸くなった。全く意味が分からない、と言わんばかりの表情だから。
「えっとね、引越しの車のことだよ。あるでしょ、花嫁さんの荷物を運ぶ車が」
四つ葉のマークをつけたトラック。中を透視したってかまわない車。
「あるな、お前には透視は出来そうもないが…。見たのか、花嫁さんの車を?」
あのマークをつけて走ってる車、行きか帰りのバスから見たのか?
「ううん、普通の引越しトラック…」
帰りに乗ったバスの隣に止まってたんだよ、信号待ちの間。
その時は花嫁さんの荷物の車じゃないな、って思っただけで帰って来たけど…。
でも、とブルーは説明した。
花嫁の荷物を運ぶ車には、自分もいつかはお世話になるから、荷物を考えていたのだ、と。同じ引越すなら花嫁の荷物だと示すマークをつけた車を頼みたい、と。
「ぼくの荷物は少しだけだし、ハーレイの車で運べないこともないんだろうけど…」
それじゃ、やっぱり寂しいよ。お嫁さんらしく、あの車で荷物を運びたいよ…。
「気の早いヤツだな、今から引越しの算段なのか?」
でもって、荷物が少なすぎるからと、かさばる荷物を探している、と…。
「駄目…?」
引越しトラックを頼みたいからって荷物を増やすというのは駄目?
「駄目とは言わんが…。嫁に来るなんて、一生に一度のことなんだからな」
特別なトラックを頼みたい気持ちは分からんでもない。無理やり荷物を増やしてでもな。
それで、あそこのテーブルと椅子がどうしたって?
あれも荷物の候補だと言うのか、お前の嫁入り道具ってヤツの?
ハーレイの口から「嫁入り道具」という言葉。ブルーの心臓がドキリと跳ねた。花嫁の荷物だと思っていたのだけれども、そういう言葉もあったのだった。嫁入り道具。
なんて素敵な響きだろう、と胸を高鳴らせて、嫁入り道具にしたい白いテーブルと椅子を置ける場所があるかをもう一度訊いた。
「えっと…。あのテーブルと椅子を持って行きたいけど、置ける場所、ある?」
ハーレイの家の庭にあるかな、あれを置ける場所。
「そりゃあ、あるが…。さっきも言った通りにな」
いくらでもあるぞ、置けそうな場所は。俺の家の庭は無駄に広いし。
俺が最初の頃に持って来ていた、キャンプ用のテーブルと椅子があっただろう?
あれは俺の家の庭で使うヤツだぞ、置き場所に困ったことは一度も無いな。
「それじゃ、大きな木とかはある?」
ぼくの家であれを置いているような、いい具合に木漏れ日が射し込む所。
そんな風に枝を広げている木は、ハーレイの家の庭にもあるの?
「なるほどなあ…。置き場所というのは、そういう意味か…」
お前がのんびりお茶を飲むのに向いている場所、と言いたかったのか。
あのテーブルと椅子を持って来るだけの価値がある場所の有無ってわけだな。そういうことなら俺も悩むな、場所はいくらでもあるんだが…。
実は試してみたことがない、とハーレイは苦笑交じりに答えた。
「あの家に住んで長いんだが…。庭とも長い付き合いなんだが、一人でお茶は飲まんしな?」
俺が女性なら、そういった気にもなったんだろうが、生憎と男の一人暮らしだ。庭にテーブルを出して一人でお茶と洒落込むよりかは、書斎でコーヒーなんだよなあ…。
ついでに、俺の家でキャンプ用のテーブルと椅子を持ち出す時には太陽の下だ。柔道部員だの、水泳部員だのが押し掛けるんだぞ、木陰でお茶ってわけじゃない。ヤツらにお茶は似合わんさ。
バーベキューとかだ、と語るハーレイ。眩しい日射しが似合いなのだと。
だからハーレイは知らないらしい。白いテーブルと椅子を置けそうな木陰というものを。
「…じゃあ、あのテーブルと椅子を持って行っても…」
置けそうな場所は無いかもしれないの?
ハーレイの家の庭にも木はあるけれども、ぼくが気に入りそうな木陰は?
「いや、そうと決まったわけでもないぞ。まるで木陰が無いわけじゃないし…」
あれが置けるような場所を探せばいいだろ、きっと何処かにあるだろうさ。
お前の好みにピッタリの場所、と微笑まれた。
白いテーブルと椅子にお似合いの木陰、そういった場所が庭の何処かに隠れているぞ、と。
「…隠れているの?」
「うむ。俺が今まで気付かないんだ、それは隠れているからだろう?」
木は何本も植えてあるから、もちろん木陰だってある。俺が気にしていなかっただけで。
お前の気に入る場所が見付かるまで、あちこち探して移動はどうだ?
今日はこっちで、次はあっち、と。テーブルと椅子を俺が運んで。
「…お茶の度に場所を変えるわけ?」
「そうさ、テーブルと椅子を運ぶくらいは俺には何でもないからな」
ヒョイと持ち上げて移動するだけだ、お茶の時間の途中でも。
思った以上に眩しすぎるぞ、なんて時には、ティーセットとかを避難させてから移動だな。
場所を変えたら、またセッティングをすればいいんだ。それからお茶を続行する、と。
今から俺が探しておくという手もあるが…、とハーレイは鳶色の瞳を片方瞑って。
「どうせだったら、お前も一緒に探したいだろ?」
なんと言っても、お前が住むようになる家にくっついている庭なんだ。
その庭にどんな場所があるのか、どういう風に陽が当たるのか。そいつを自分の目で確かめたいとは思わんか?
俺に任せてしまうよりかは、二人で一緒にお茶にピッタリの場所を探してみるのが。
「そうだね、その方が楽しそう!」
此処だから、って案内されても嬉しいけれども、まだ見付かっていないなら…。
ハーレイも見付けていないんだったら、その場所、二人で探したいな。
「よし、それだったら決まりだな。俺と二人で庭を回って木陰の旅だ」
これからよろしく、っていろんな場所に挨拶をして回るといい。俺と二人でお茶を飲みながら。
あのテーブルと椅子を持って来るなら、庭のあちこちでお茶にしようじゃないか。
「うんっ!」
お茶の途中で移動するなら、ぼく、ティーセットくらいは運んで行くよ?
ハーレイがテーブルと椅子を運んで、ぼくはティーポットとカップとお菓子。
「ほほう、そいつは頼もしいな。まあ、その程度ならお前でも充分、持てるだろうし…」
お前のお母さんだって二階まで運んで来るんだからなあ、お茶とお菓子を。
だったら、そっちはお前に任せておくことにするか。だが…。
この家に残しておくのも一つの手だぞ、とハーレイに言われた白いテーブルと椅子。
今の木の下に、お前の居場所に、と。
「え…?」
居場所ってなあに、どういう意味なの?
「そのままの意味だ。お前がたまにこの家に帰って来た時、居場所が無いと困るだろう?」
お前が住んでた部屋は荷物ごと引越しちまって空っぽ、庭も空っぽ。…寂しくないか?
せっかく家に帰って来たのに、自分の居場所が無いんじゃなあ…。
「そっか…。言われてみればそうかもね…」
お気に入りの本とか、丸ごと引越しちゃうんだし…。この部屋もガランとしちゃうんだね。
「分かったか? お前の部屋の家具だけは残しておく手もあるが…」
それでも中身は空っぽだしなあ、やっぱり寂しくなると思うぞ。
「ぼくの家具…。クローゼットは持って行きたいんだけど…」
「あれをか? 確かに服とかを入れたままで運べるサービスもあるし、便利ではあるか…」
ブルーが書いた背丈の印を知らないハーレイは、勝手に納得したようで。
一人で使えるクローゼットもいいかもしれないと、持って来るといいと頷いた。
「ホント? クローゼットは持って行ってもいいんだね?」
「もちろんだ。…しかし、あれが無くなると部屋が一気に寂しくなるなあ…」
ベッドは残しておくにしたって、見慣れた景色が変わっちまうぞ。
勉強机も多分、置いては行くんだろうが…。
それでも部屋の印象がかなり…、と見回すハーレイの視線を追っている内にブルーの目に付いたもの。まるで気付いていなかったもの。
「あっ、そうだ!」
いきなりブルーが声を上げたから、ハーレイが「どうした?」と問い掛けて来た。
「どうかしたのか、何か用でも思い出したか?」
「そうじゃなくって…。このテーブルと椅子も持って行かなくちゃ!」
今、ハーレイと使っているヤツ。これは絶対、持って行かなきゃいけないんだよ。
いつもハーレイと使ってるんだし、持って行きたいよ。ぼくとハーレイとの思い出の場所。
「忘れていたのか、こいつの存在?」
置いて行くとか、持って行くとか、そういう以前に忘れていた、と…。
そんな所か、今の様子じゃ?
「…うん…」
ホントにすっかり忘れちゃっていたよ、その椅子、ハーレイの指定席なのに。
こっちの椅子がぼくの指定席で、それとテーブルとでセットのもの。
とても大事なテーブルと椅子なのに、頭に浮かびもしなかったなんて…。
庭の白いテーブルと椅子に気を取られちゃってた、と白状した。
同じテーブルと椅子ならこっちの方が遥かに思い出深くて、絶対に持って行きたいのに、と。
「だけど…。これも持って行っちゃうと、ぼくの部屋、ホントに寂しくなるね」
クローゼットが無くなっちゃって、此処のテーブルと椅子も無くなって…。
本棚は殆ど空っぽだろうし、ぼくの部屋だって感じがしなくなるかも…。
ベッドと机は置いてあっても、ハーレイが言う通りに寂しい感じ。ぼくの部屋なんだけど、ぼくらしい感じがしないって言うか…。
「ほらな、そういうものなんだ。俺にも経験が無いこともない」
「…経験?」
「隣町の親父の家のことさ。あそこにも俺の部屋があるんだ、俺が使っていた部屋が」
この町に引越ししてくる時にな、家具はそっくり新しくしたが…。
たまに帰った時に使えばいいさ、とベッドも机も置いて来たんだが、やっぱり何かが違うんだ。俺の気に入りの本とかがゴッソリ消えちまっただけで、気分は他人の部屋ってトコか。
親父の家に泊まる時には使っちゃいるがだ、昔のようには落ち着かん。元の俺の部屋でのんびり過ごす代わりにリビングにいたり、ダイニングやキッチンに居座ってたり…。
要は昔のまんまの場所がいいんだな、家具とかは多少変わっていても。
親父とおふくろが前と同じに生活していて、同じような匂いがする場所がな…。
だから、とハーレイは窓の向こうの庭に目を遣って。
「お前も寂しくならないようにだ、あそこのテーブルと椅子は置いといちゃどうだ?」
そうすりゃ、あそこは変わらないままだ。今と同じにお前の居場所だ、花壇の花とかが違う花になっても。お前があそこに座った時には、前と同じに迎えてくれるぞ、テーブルと椅子が。
「…どうしようかな…」
ハーレイが話してくれた経験、分かる気がするよ。
あのテーブルと椅子を持って行きたいな、って思った時にね、木は運べないって気が付いて…。
あそこに生えてる庭で一番大きな木。庭のテーブルと椅子はあの木とセットで、あれごと持って行きたいんだけど…。
それがハーレイの言ってる昔のまんまっていうヤツなんだね、あの木の下が。
「そういうことだな、あの木の下がお前の居場所ってわけだ」
あの木を俺の家の庭に持って来たって、お前の居場所にはならんと思うぞ。
たとえ上手に植え替えられても、お前は「違う」と思うだろう。あそこにあるからこそなんだ。この家の庭にどっしりと立って、お前の居場所を作っているのがあの木なんだな。
そこに気付いたなら、テーブルと椅子は残しておくのがお勧めだ。お前が此処に帰って来た時、庭に出るだけで昔と変わらない居場所があるっていうわけだからな。
あちこちウロウロ探さなくても庭に出るだけで落ち着くぞ、と言われたけれど。
一理あるとは思うのだけれど、白いテーブルと椅子をハーレイの家に持って行けたら、また別の居場所が見付かるのだと聞いていたから。
ハーレイと二人で似合う木陰を探して回って、庭に挨拶したい気持ちもあったから。
「テーブルと椅子…。置いておきたい気もするけれども、持って行きたい気もするし…」
あれを持って行ってハーレイの家の庭にも挨拶したいよ、これからよろしく、って。
あのテーブルと椅子が似合う場所を探しに、ハーレイと庭をあちこち回って。
「なら、それ用に新しく買って持って来たらどうだ?」
花嫁さんの荷物ってヤツは新品の家具が多いんだ。しかし、お前はクローゼットだの、この椅子だのと言ってるし…。新品どころか馴染みの家具ばかり積み込む気だろ?
庭用のテーブルと椅子くらいは新品でどうだ、値段も大して高くはないしな。結婚祝いに、って頼まなくてもお父さんが買ってくれると思うぞ、あれとそっくり同じヤツを。
俺の家は新しい家じゃないがだ、庭に新品の白いテーブルと椅子が来たなら立派に新居だ。
新しいのを買って持って来い、今のはそのまま残しておいて。
「そっか、同じのを買って貰えばいいんだよね…!」
パパとママに頼んで、あれと同じの。
結婚する頃にもきっと同じのを売っているよね、それがあったらハーレイの家の庭でもお茶。
庭に挨拶して回ってから、ハーレイの家にもぼくの居場所を作れるよね。ぼくの家のテーブルと椅子はそのまま残して、ぼくの居場所に取っておいて。
花嫁の荷物を運ぶ車に、四つ葉のマークをつけた車に、新しい白いテーブルと椅子。
載せてゆくのもいいかもしれない、ハーレイの家の庭の木陰に置くために。
ハーレイと初めてのデートをした場所、それはこの家にそのまま残して、思い出の場所を新しく探して作り出すために。ハーレイの家の庭でお気に入りの場所を見付けて、据えて。
(それもいいよね…)
庭で使うための白いテーブルと椅子。それを引越しの車に載せる。
この部屋に置いてある、今、ハーレイと向かい合わせでお茶を飲んでいるテーブルと椅子も。
(やたらテーブルと椅子だらけだけど…)
それにクローゼット、それだけあったら引越し用の車。一番小さなサイズの車には充分お世話になれそうだから。
ハーレイの車で何回か往復、それで終わりの引越しには決してならないから。
花嫁の荷物を運ぶ車で引越しが出来る、ハーレイの家へ。四つ葉のマークをつけた車で。
(テーブルと椅子…)
部屋のと、庭用の白いテーブルと椅子と。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと初めてのデートで座った場所。その白いテーブルと椅子とをどうしよう?
庭にあるのを車に載せるか、新しく買って積んで貰うか。
(ぼくの居場所を残すんだったら、庭のはそのまま…)
今日はそういう気分だけれども、明日になったらどうなっているか分からない。持って行きたい気分かもしれない、今ある白いテーブルと椅子を。
(…最初はあれを持って行こうと思ってたんだし…)
どうしようかな、と悩ましいけれど、まだまだ考える時間はたっぷりとある。結婚出来る十八歳までは何年もあるから、まだ来ないから。
けれど、その日が待ち遠しい。
新しいテーブルと椅子を買うにしても、今のをそのまま積み込むにしても。
花嫁の荷物が載っているのだ、と周りに知らせる四つ葉のマーク。
それをつけた引越し用の車を頼んで、荷物を運んで貰える日が。
ハーレイの花嫁になるための荷物をトラックに積んで、この家から送り出せる日が。
その日が来たなら、結婚式はすぐそこだから。ハーレイと結婚出来るのだから…。
花嫁の荷物・了
※ブルーが見かけた、花嫁さんの荷物のトラック。いつか自分もお世話になるんですけど…。
庭にある白いテーブルと椅子を、ハーレイの家に持って行くべきか。悩む時間はたっぷり。
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