シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「赤い糸?」
なに、とキョトンとしちゃった、ぼく。
学校のお昼休みで、ランチの時間。食堂で初めて聞いたんだけど…。赤い糸って何だろう?
わざわざ話を持ち出すからには、きっと特別な糸だろうけど。
「噂だぜ、噂。ウチの学年、なんか端から」
「いつものハーレイ先生だよ」
噂の出処はハーレイの古典の授業なんだって。授業中に生徒が飽きて来たな、と思ったら始めるハーレイの雑談、そこから出て来た赤い糸。今は学年中で噂になってるみたい。
赤い糸は普通の糸じゃなかった、特別すぎる糸だった。いつか結婚する人と人との間を繋いだ、赤い糸。小指と小指を結んでいる糸、それが赤い糸。
「そんなの、あるんだ…?」
「らしいぜ、ウチのクラスではまだ聞かねえけどよ」
ハーレイ先生が喋ってくれねえもんな、とランチ仲間が言う通り。ぼくのクラスで赤い糸の話は披露されていなくて、きっとこれから。
「小指に赤い糸なんだよね?」
「うん、小指。でもなあ…」
見えねえ糸だって話だけどな、って笑い合ってた仲間たち。
赤い糸は目には見えはしなくて、サイオンを使っても見えないらしいと。
それでも小指に赤い糸はあって、いつか結婚する何処かの誰かと繋がっていると聞いたけど…。
(赤い糸…)
小指と小指を結んだ糸。結婚相手の小指に繋がる運命の糸。
赤い糸はきっと、ぼくの小指にもあるんだろう。ハーレイの小指に結んである糸と繋がっている筈の赤い糸。そう考えただけで心がじんわり温かくなるし、小指を眺めてしまうけど。
もちろん学校でやりはしなくて、家に帰ってからなんだけど。
(此処に赤い糸…)
どっちの手かな、と右手と左手、交互に眺めて考えた。おやつを食べた後で部屋に戻って、勉強机の前に座って。
だけど分からない、見えない糸。赤い糸は目には見えない糸で。
(んーと…?)
せめてどの辺りにあるのか知りたい、と小指を片方ずつ引っ張ってる内に気が付いた。
赤い糸をぼくは覚えていない。前のぼくは赤い糸を知らない。
(…前のぼく、その話、聞かなかったの…?)
白いシャングリラにも恋人たちは何人もいたのに、カップルが何組もあったのに。
前のぼくとハーレイ、誰にも仲を明かせなかった秘密の恋人同士。堂々と手を繋いだカップルを見ると心がツキンと痛んだりしたし、出来るだけ見ないようにした。幸せを羨んでしまうから。
ぼくの心が辛くないよう、痛くならないよう、避けてばかりいた恋人たちの話題。
そのせいでぼくは知らないんだろうか、赤い糸の話。小指と小指の赤い糸の話。
(きっと、そう…)
前のぼくはそれで良かったんだろうし、知らない方が幸せでいられただろうけど。
今のぼくには耳寄りな話、ハーレイとの間の運命の糸。
もっと知りたい、詳しく知りたい。どっちの手なのか、赤い糸はどんなものなのか。
(ハーレイの雑談…)
ぼくのクラスで話してくれるのを待つしかない、って思ったのに。
古典の授業の度に心をときめかせてたのに、聞けない雑談、赤い糸の話。ハーレイの雑談は別の話で、赤い糸の話は出て来ない。
(今日のも違うよ…)
これはこれで面白い雑談だけれど、クラスの生徒も熱心に聞いているけれど。ぼくが待っている話じゃなくって、ぼくは不満で一杯になる。赤い糸の話は何処だろう、って。
いくら待っても話してくれない赤い糸の話、他のクラスの生徒は直接聞いたのに。ぼくみたいに噂で聞くんじゃなくって、生の話を聞いたのに。
(…ぼくのクラスじゃしてくれないの?)
どうにも気になる赤い糸。
ハーレイが仕事帰りに寄ってくれた時に訊きたいけれども、時間が惜しい気もするし…。
授業中に聞けるチャンスを待とう、って思ってる間に、結局、週末。それも二回目の。
もう待てない、って心が叫んで時間切れ。好奇心に勝てない、ぼくの負け。
訊いてやろうと決心した。ハーレイが訪ねて来てくれたら。
いい天気だから、歩いてやって来たハーレイ。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、お茶もお菓子も放り出してしまって、ぶつけた質問。抱え続けていた疑問。
「ハーレイ、赤い糸ってなあに?」
どんなものなの、小指と小指を結んでる糸だ、って聞いたけど…。
「何処で聞いた?」
「友達にも聞いたし、学年中で噂になってるよ。ハーレイが授業でやった雑談」
でも、ぼくのクラスじゃ全く話してくれないし…。待っても待ってもしてくれないから、今日は訊こうと思ったんだよ。
どうしてぼくのクラスで赤い糸の話をしてくれないのか、それも気になってきたけれど…。
「話さなかった理由ってヤツか? もう充分に広まってるなら、話す必要も無さそうだが…」
俺がお前のクラスで話すのを避けて通った理由は、だ。
ウッカリ話すと、本気で小指を眺めそうなヤツがいるからだな。
「…ぼく?」
「まあな」
お前、聞いたら絶対見るだろ、自分の小指。
俺との間を結んでる糸がくっついてないか、赤い糸は何処にあるんだろうか、と。
何処のクラスでも、赤い糸の話を聞いた生徒は小指を見ていたらしいけど。自分の小指をじっと眺めたり、引っ張ってみたり、触ったり。
だけどそこまで、興味があるのは自分の小指。其処にくっついているらしい赤い糸。
ところが、ぼくだと繋がった先を見ちゃうから。ぼくの小指にくっついた糸が繋がっている筈のハーレイの小指、それを見ちゃうに決まっているから。
「危ない話は避けるに限る。…俺とお前が赤い糸で繋がっていたら大騒ぎだしな」
授業どころじゃなくなっちまうぞ、クラス中がたちまち野次馬だ。赤い糸だと、俺とお前は結婚する予定の二人らしい、と。
「でも…。赤い糸は見えない糸なんでしょ?」
そういう糸だと話を聞いたよ、見えるなんてことはないと思うけど…。
「万一ってこともあるからな」
お前はタイプ・ブルーだろうが、って肩を竦めてみせるハーレイ。
サイオンを使って赤い糸を描けないこともないだろう、と。
「無理だってば!」
出来やしないよ、そんなサイオンの使い方!
ぼくのサイオン、とことん不器用なんだから!
「分からんぞ? 意識して使うことは出来なくても、無意識ってヤツもあるからなあ…」
一度は俺の家まで瞬間移動で飛んで来ただろうが、と挙げられてしまった、無意識にサイオンを使った例を。たった一度しかやってないけど、二度目は未だに無いんだけれど。
ハーレイの家まで瞬間移動をしたのはホントで、意識してなかったのも本当だから。
「…そっか、無意識…」
ぼくにその気がまるで無くても、赤い糸、作れちゃうかもしれないんだ…。
「な、万一は有り得るだろう?」
俺とお前の小指が赤い糸なんかで繋がってみろ。もう大変だぞ、アッと言う間に学校中の噂だ。
そいつはマズイし、お前のクラスは避けたわけだが…。
赤い糸があるに違いない、と思い込んだお前の無意識のサイオンは実に怖いからなあ…。
ハーレイが言う通り、やってしまうかもしれない、ぼく。
赤い糸の話を聞いた途端に、ハーレイとぼくとを赤いサイオンの糸で結んでしまいそうなぼく。
それは確かにマズイだろうから、雑談をして貰えなかった理由は納得するしかなくて。
「…分かったよ。それで、赤い糸っていうのは何なの?」
どういうものなの、その赤い糸。
「お前、話を聞いたんだろ?」
知ってたじゃないか、小指と小指を結ぶ糸だと。赤い糸はそういうものなんだが?
「…ぼくが聞いたのは、糸ってトコだけ…」
赤い糸が小指にくっついてる、って噂話を聞いただけだよ。詳しい話は聞いていないし…。
それに、小指の赤い糸の話。前のぼくは全然知らないんだけど…。
赤い糸の話は聞いていなくて、何の記憶も無いんだけれど…。
忘れたんじゃなくて全く知らない、って説明した。
そんな話は聞いたことが無いと、白いシャングリラで耳にしたりはしなかったと。
「前のぼくが避けてたせいかもしれないけれど…。幸せそうなカップル」
みんなに祝福されてるカップル、見たらやっぱり辛かったし…。
赤い糸の話を聞きもしないで逃げていたのか、ホントに少しも知らないんだよ。
「そうだろうなあ…」
シャングリラに赤い糸の話なんかは無かったからなあ、お前が知ってた筈が無い。
ヒルマンやエラは知っていたという可能性もあるが、少なくとも俺は聞いてはいないな。
「えっ?」
赤い糸の話、シャングリラには最初から無かったの?
前のぼくが知らずに終わったんじゃなくて、誰も話していなかったわけ…?
有名な話じゃなかったの、って訊いてみたら。
赤い糸の話はSD体制よりも前の時代からあった伝説じゃないの、って確かめてみたら。
伝説には違いなかったけれども、日本の伝説。ぼくたちが住んでる地域にあったと教わる島国、小さな小さな日本の伝説。
それじゃ白いシャングリラで暮らした時代にあるわけがない。日本の文化はマザー・システムに消されてしまって、データだけだった時代だから。文化が生きてはいなかったから。
赤い糸の伝説も消えてしまって、それっきり。
いつか結婚する二人の小指と小指を結んでいた糸は消されてしまった、人の世界から。
ロマンチックな伝説なのに。
思わず小指を見てしまうほどに、目には見えない赤い糸を其処に探してしまうほどに。
とても素敵な日本の伝説、小指と小指の赤い糸。前のぼくは知らなかった運命の糸。
「元々は日本の話じゃないぞ」って、ハーレイがぼくに教えてくれた。授業中の雑談の時間には話していないという赤い糸の由来、赤い糸は何処からやって来たのかを。
日本に来る前は中国の伝説、其処では小指の糸じゃなかった。糸よりも太い縄だった。赤い縄で結ばれた足首と足首、月下老人っていう神様が結んで回る。お爺さんの姿の神様が。
「足に縄なの…?」
なんだかイメージが違うんだけど…。まるで縛られてるみたいだよ、それ。
「ロマンチックじゃないってか?」
見た目が悪いと言いたいわけだな、赤い縄だと。
「うん。…縄って普通は縛るものでしょ?」
糸だと結んで貰ったんだ、って嬉しくなるけど、足首に縄って…。
いくら未来の結婚相手と繋がっていても、複雑な気分。悪いことをして縛られてるみたいで。
「それはそうかもしれないが…。そっちの方が本家だからなあ、伝説の」
日本に伝わってから赤い糸に変わってしまったってだけで、本来は赤い縄なんだ。縄は糸よりも丈夫なものだし、切れない絆っていう意味だったら、考えようによっては頼もしいだろ?
糸はハサミでチョキンと切れるが、縄だとそうはいかないからな。
もっとも、中国の文化ってヤツも、前の俺たちが生きた時代には無かったが…。
マザー・システムが選んだ文化の中には、中国も入っていなかったんだし。
「…中国の文化も無かったってことは、前のぼくたちが生きてた頃には…」
赤い糸の元になった縄も消えちゃってたわけ?
足首と足首を結んでくれる神様も、いなかったことになっていたわけ…?
「そうなるな。そういう伝説も含めて丸ごと、文化ってヤツが無いんだからな」
赤い縄を持った月下老人は出番が無い時代だった。結婚する二人を結んで回ろうにも、そうして欲しい人たちがいない。月下老人も赤い縄もだ、誰一人として知っちゃいないんだからな。
データベースに資料はあっても、出て行く場面が全く無い。誰も知らない神様なんだし、結んで欲しいと願いをかける人が一人もいないんではなあ…。
「だったら、前のぼくとハーレイには…」
赤い糸はついていなかったんだね、小指と小指に。…足首の赤い縄だって。
「うむ。赤い糸も縄も、あるわけがないな」
誰の小指にも足にも無いんだ、前の俺たちにだってついていたわけがないだろう?
月下老人は仕事をしていなかったし、赤い糸も何処にも無かったんだからな。
ついでに…、とハーレイに念を押された。
赤い糸も縄も、結婚相手との間を繋ぐものなんだぞ、って。
中国で月下老人に会った人の伝説、赤い縄の伝説の始まりの話。一人の青年が運命の相手を月下老人に訊いたら、今の縁談の相手ではなくて三歳の女の子だと言われてしまう。赤い縄で結ばれた相手はその子で、決まったことは変えられないと。
でも、三歳の女の子。おまけに市場で野菜を売っている老婆が背負っている子。
身分も年も釣り合わないから、殺してしまえばいいと思って召使いに命令、眉間を刀で刺させて逃げた。これで自分は自由になった、と。
けれどもそれから何年経っても、少しも上手くいかない縁談。どれも破談で、十四年が経った。そこで出会った十七歳の美女、眉間に残った微かな傷。美女はあの時の三歳の子供で、野菜売りは子供の乳母だった。身分違いじゃなかった二人。運命の二人。
そんなわけで決まった結婚だけれど、二人は結婚したけれど。
つまりは赤い縄というのは、いつか結婚する二人にしかついていないもの。どんなに気に入った人がいたって、赤い縄がなければ結婚出来ない。赤い縄で結ばれていなければ。
赤い糸だって縄とおんなじ、結婚相手との間を結ぶものだというから…。
「それじゃ、前のぼくたち…」
赤い糸や縄があったとしたって、それで結ばれてはいなかったんだ?
ハーレイのことは好きだったけれど、ずうっと一緒だと思っていたけど…。
誰にも言えない恋人同士じゃ、赤い糸も縄も無かったんだね…。
「そういうことだな、結婚することは出来なかったからな」
俺にはお前しか見えなかったし、お前の方でも俺しか見てはいなかったんだが…。
二人一緒だと何度も言ったが、それは俺たちの間だけのことで、誰にも言えやしなかった。結婚しようにも許されなかった、ソルジャーとキャプテンでは恋を明かすのも無理だった。
たとえ月下老人がいたとしたって、赤い糸の文化があったって…。
結婚出来ない人間同士じゃ、誰も繋いじゃくれないさ。小指の糸も、足首の縄も。
前の俺たちには夢のまた夢で、どんなに欲しいと願ったとしても、赤い糸も縄も、決して結んで貰えなかった。結婚相手との間を繋ぐものでは、結んで貰えはしないよなあ…。
いつか結婚する人との間を結んでいるのが赤い糸。伝説の元になった赤い縄も同じ。
前のぼくがハーレイをどんなに好きでも、ハーレイもぼくのことが好きでも、前のぼくたちには赤い糸はついていなかった。結婚出来ない二人の間を赤い糸が結びはしないから。
前のぼくたちが生きた時代に、赤い糸は存在しなかったけれど。赤い糸の文化は消えてしまっていたけど、赤い糸の文化が残っていたって、ある筈が無かった赤い糸。前のぼくたちの小指に赤い糸は無かった、結婚する二人じゃなかったから。
本当に本物の恋人同士で、生まれ変わってまで出会えたほどの強い絆で結ばれていても、小指と小指を結んだ糸は何処にも無かった、結婚相手との間を結ぶという糸は。赤い色の糸は。
前のぼくたちには無かった糸。小指に結ばれた赤い糸。
「…赤い糸、今はあるのかな?」
今度はハーレイと結婚出来るし、赤い糸、小指にくっついてるかな…?
「そりゃあ、今度はもちろんあるだろ」
赤い糸の文化は復活してるし、俺たちは結婚するんだし…。
お前の小指と俺の小指を繋いでいる糸、無い筈がないと思うがな?
「…赤い糸、見えてこないんだけど…」
見えないんだけど、って小指を指差した、ぼく。
いくら見詰めても赤い糸は無くて、ぼくの小指は真っ白なまま。肌の色だけ。
「そう簡単に見えると思うか、赤い糸が?」
見えるんだったら、この世の中は赤い糸だらけになっちまうぞ。町も道路も、学校だって。赤い糸があちこち溢れ返って、踏まないように歩くだけでも苦労しそうだ。
やっぱり踏んだら申し訳ないしな、赤い糸は大事な糸なんだしな?
見えないからこそ平気でズカズカ歩いてゆけるし、踏んじまっても気にせずに済む、と。
「そうかもね…。でも、赤い糸はくっついてるよね?」
ぼくとハーレイとを結んでる糸、ちゃんとあるよね…?
「決まってるだろうが」
赤い糸が今はあると言うなら、もう間違いなく結んであるさ。
俺はお前しか結婚相手に欲しくはないし、お前だって俺の嫁さんになると決めているんだし…。
目で見て確かめられはしなくても、赤い糸は必ずある筈だってな。
今のぼくたちの小指には、くっついているらしい赤い糸。目には見えない赤い糸。
くっついてるならこの辺りかな、と小指を眺めたぼくだけれども。
肝心のことを訊き忘れていた、赤い糸がある手は右か左か、どっちなのかを。
「えーっと、ハーレイ…。赤い糸がある手は、どっちの手なの?」
左手か、それとも右手か、どっち?
左のような気もするんだけれど…。
きっと左だ、と思ったぼく。結婚指輪を嵌める手は左手なんだから。なのに…。
「知らん」
「えっ?」
いともあっさり「知らん」と返って来た答え。赤い糸に詳しいハーレイの答え。
そこまでは調べてないんだろうか、と思ったけれども、そうじゃなかった。赤い糸の手がどちらなのかに正解は無くて、右とも左とも決まってなんかはいなかった。
ずうっと昔から無かった正解、日本という国があった頃から無かった答え。
赤い糸は小指にあるというだけ、どっちの手なのか分かる伝説は一つも無かった。
「…じゃあ、赤い糸がくっついてる手は…」
右か左かも分からないわけ、糸が見えないだけじゃなくって…?
「ものの見事に謎だってな」
赤い糸の伝説の元になった縄も、どっちの足かは謎なんだ。元の話でも謎なんだしなあ、日本で糸に変わっちまったら、もう右なんだか左なんだか…。
「それなら、ぼくは右手がいいな」
どっちの手なのか決まってないなら、ぼくは右手がいいんだけれど…。
「はあ?」
なんで右手だ、さっき左だと言わなかったか、お前、自分で?
「それは左かと思ってただけで…。分からないのなら、右手がいいよ」
ぼくの右の手、メギドで凍えちゃったから…。
ハーレイの温もりを失くした手だから、そっちに欲しいな、赤い糸。
結んで貰える手を選べるなら、右手がいい。…右手の小指に赤い糸があると嬉しいんだけど…。
赤い糸が小指に結んである手。ハーレイの小指と繋がってる糸が結んである手。
選べるんなら右手がいい、って言ったんだけど。
どっちの手なのか謎なんだったら、右手がいいな、と思ったんだけど…。
「右手と来たか…。赤い糸の指はな、左手説が有力なんだぞ」
お前じゃないがな、どっちの手なのか気になるヤツはいるもんだ。
日本が存在していた頃から、右か左かとあれこれ言われて、左手という説が有力だった。
さっきお前が言ってたみたいに、結婚指輪が左手だろう?
だから左だと主張したヤツや、心臓に近い手だから左手なんだ、と主張するヤツや。
赤い糸の伝説が生まれた時代の日本に結婚指輪は無かったからなあ、結婚指輪は少し弱いが…。心臓の方は説得力があるよな、心臓ってヤツは文字通りハートで心だからな。
「…右手だって言っていた人は?」
その説は無いの、少数派でもいいから右手というのは?
「さてなあ…。決まってないから、右手なヤツもいたかもしれんが…」
いたんだろうが、こういう理由で右手なんです、という根拠を知らん。左手の方なら結婚指輪と心臓なんだと言えるんだがなあ…。
生憎と右手は一つも聞いたことがない。探し回れば何処かにあるかもしれないが…。
「それなら、ぼくは右手にするよ」
右手は絶対ダメってわけでもなさそうなんだし、ぼくの赤い糸の小指は右手。
誰も右手だと言ってなくても、ぼくは右手にしておきたいな。
ぼくの右手は運命の手だから、って差し出した。
前のぼくがメギドに飛び立つ前に、ハーレイの腕に触れていった手。
ジョミーを頼む、って最後の言葉を伝えてゆくために触れたけれども、言葉だけなら思念で充分残してゆけた。わざわざ手なんか当てなくっても、思念波を飛ばしさえすれば。
そうする代わりに触れていったのは「さよなら」の印。
これで最後だと、別れのキスを交わす代わりに触れて伝えた、ぼくの想いを。
「ありがとう」と、そして「さようなら」と。
そうしてハーレイの腕から温もりを貰った、この温もりを最後まで持ってゆこうと。ハーレイの温もりとずっと一緒だと、そうすればぼくは一人じゃないと。
なのに失くしてしまった温もり、撃たれた痛みで消えた温もり。
ぼくの右手は冷たく凍えて、独りぼっちになってしまった。ハーレイの温もりを失くしたから。
もう会えないと、独りぼっちだと泣きじゃくりながら、一人きりで死んでいった、ぼく。
だけど、もう一度ハーレイに会えた。青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた。
ぼくの右手に温もりをくれるハーレイに。
前の生の終わりに冷たく凍えた右手を、何度も何度も温めてくれるハーレイに。
ぼくの右手はハーレイと繋がって、離れて、また繋がることが出来た手だから。
本当の本当に運命の手だから、赤い糸があるなら右手がいい。右手の小指に赤い糸が欲しい。
だから右手、ってハーレイに言った。
ぼくとハーレイの小指を繋いでる赤い糸は右手にあるのがいいよ、って。
「ふうむ…。右手か、本当にそうかもしれんな」
これという説を俺は知らんが、俺たちの糸は右手に結んであるかもしれん。
「ハーレイにも右手だと思う理由があるの?」
ぼくは運命の手が右手だけれども、ハーレイは左手じゃないの?
前のぼくが最後に触れていったの、左の腕だったんだから…。
「いや、前の俺たちとは関係なくて、だ…」
俺たちは男同士だからな。赤い糸があるなら右手かもしれん、と思ったわけだ。
なにしろ赤い糸っていうのは、ずうっと昔は男性と女性を繋ぐためにあった糸だしな…?
今は男同士のカップルもいるけど、遠い昔には結婚と言ったら男性と女性。
月下老人が繋いでいたのも、赤い糸が結んでいた運命の二人も、昔は男性と女性だけ。
本来は男性と女性を結ぶためにあるのが赤い糸だから。
その赤い糸が左手だったら、それよりも後に生まれた男同士のカップルを繋ぐ小指の糸は右手になってもおかしくはない。男同士のカップルの赤い糸は右手かもしれない、と微笑むハーレイ。
こればっかりは分からないぞ、って。
見えない糸だし、右手に結んであるんじゃないか、って。
「本当に右手だったらいいな…」
ぼくの赤い糸、右手の小指についてたらいいな。ハーレイの小指に繋がってる糸。
この辺りに、って右手の小指の付け根を左手の親指と人差し指でつまんでみていたら。
「お前の右手は、しょっちゅう凍えてばかりだが?」
冷たくなったと、凍えて冷たいと何度お前に言われたことやら…。
運命の手には違いないんだが、その手でいいのか、赤い糸を結んで貰える手は?
幸せ一杯の手にしたいんなら、左手の方がいいんじゃないか?
「凍えちゃうから、余計に右手がいいんだよ」
ここにハーレイと繋がってる糸があるよ、って思えば温かい気持ちになるから。
心が温かくなってくれたら、手だって一緒に温かくなるよ。
「なるほどなあ…。俺の手が側に無いって時でも、気分だけでも温かいわけか」
それは確かにいいかもしれん。ここに赤い糸、と小指を触れば温かくなる、と。
「でしょ? きっとそうだと思うんだよ」
メギドの夢とかで飛び起きちゃっても、赤い糸があるって思えば落ち着くよ、きっと。
「ふむ…。なら、赤い糸が小指に結んであるってことで、もう冷たくはならないか?」
俺に「温めてよ」と強請らなくても、自分で小指をキュッと握れば。
「それは別だよ!」
ハーレイが側にいる時だったら、断然、ハーレイの温もりがいいよ!
見えない糸よりハーレイなんだよ、ハーレイの手の方がいいに決まっているじゃない…!
赤い糸より、ハーレイの手で温めて欲しい右手だけれど。
メギドで凍えた悲しい思い出が消えてくれない、ぼくの右の手なんだけど。
でもきっと、いつか。
ハーレイの小指とぼくの小指を繋いでる糸で、赤い糸で結び合わされたなら。
赤い糸の向こうで待ってるハーレイと結婚出来たら、ぼくの右手は、もう二度と…。
「ほほう…。二度と冷たくならないってか?」
俺と一緒に暮らし始めたら、もう冷たくはならないんだな?
「うん、ハーレイと一緒だもの」
右手はいつでも温かいままだし、左手には結婚指輪なんだよ。うんと幸せなら凍えはしないよ、ぼくの右の手。ハーレイのお嫁さんになったなら。
「そうだったな。今度は二人で結婚指輪を嵌めるんだったな」
俺とお前と、お揃いの指輪。
前の俺たちには嵌められなかった薬指の指輪、今度は堂々と嵌めて暮らすんだっけな…。
同じ結婚指輪だったら当たるといいな、ってウインクされた。
何が当たるんだろうと思ったぼくだったけれど、シャングリラ・リングのことだった。結婚するカップルが一回だけ申し込めるらしい、シャングリラ・リング。抽選で当たる結婚指輪。
遠い昔にトォニィが解体を決めた、懐かしい白いシャングリラ。
そのシャングリラの金属の一部が今も残っていて、シャングリラ・リングが作られる。白い鯨で出来た指輪が、シャングリラの思い出が残る指輪が。
ハーレイが見付けて来た情報。結婚する時は申し込もう、って決めていたのに…。
また忘れていた、チビのぼく。
ハーレイはきちんと覚えているのに、もう何回目だか分からない。
こんな調子でシャングリラ・リングは当たるんだろうか、抽選は一回きりなのに。一度だけしか申し込めなくて、抽選もたった一度だけ。年に一回、外れたら終わり。
でも…。
「そう落ち込むな。忘れるくらいが当たりやすいらしいぞ」
ハーレイがぼくの頭をクシャリと撫でた。
「なんの話?」
シャングリラ・リングは、忘れちゃったら申し込めないと思うんだけど…。
「宝くじってヤツさ、そいつはそういうものだったらしい」
買ったことさえ忘れちまったヤツが当たりやすい、と言われてたそうだ。
宝くじ、今の時代はもう無いんだが…。SD体制に入る前に無くなってそれっきりだが…。
要はクジだな、クジは分かるだろ?
そいつで大金が当たる仕組みのヤツだったんだな、宝くじは。
一発当てれば大金持ちで…、って雑談の時間が始まった。
授業中ではないけれど。ぼく一人しか聞いていないけど、ハーレイお得意の楽しい薀蓄。
お茶とお菓子で幸せな時間、テーブルを挟んで向かい合わせで。
前のぼくだった時から好きだったハーレイ、今も恋人同士のハーレイ。
チビのぼくでも、ハーレイはちゃんと恋人扱いしてくれるから。
ハーレイとぼくの小指を繋いだ赤い糸。
前のぼくたちの指には無かった、運命の糸。
今度はあるに決まっているから、同じ糸なら右手に欲しい。
ぼくの右手に、前の生の終わりに凍えてしまった運命の手に。
そうして早く結婚したいな、ハーレイとぼくの間を繋いだ赤い糸は目には見えないけれど。
きっとあるから、出来るだけ早く。
ハーレイとぼくとを結んでくれてる、赤い糸。
それが約束している通りに、一日でも早く、お嫁さん。
ハーレイのお嫁さんになるんだ、小指と小指を繋いでる糸を辿って、お嫁さんに…。
赤い糸・了
※今のハーレイとブルーの小指を結ぶ、赤い糸。左手なのか右手なのかは、謎なのです。
けれど右手の方がいいと思ったブルー。前の生の最期に凍えた右手は、二度と凍えないから。
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