シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(おっ…?)
ハーレイの目に留まったシュークリーム。
ブルーの家には寄れなかった金曜日の帰り道、いつもの食料品店で。パンと一緒にちょっとしたケーキやシュークリームを置いている場所もあるのだけれども、それとは別の特設売り場。
店の入口から近い所にショーケースが据えられ、それは色々なシュークリームたちが出番待ち。声を掛ければ専用の箱に詰めて貰える、人気の店のシュークリーム。
中のクリームの味も様々なら、形の方もバリエーション豊か。小さなものから大きなものまで、白鳥の形に仕上げたものも。焼き色はとても美味しそうだし、中から覗いたクリームだって。
店の名前もよく耳にする。素材にこだわる評判の店。特設売り場は今週末まであるそうだから。
(ブルーに…)
小さなブルーへの土産にいいな、と覗き込んだ。
ブルーの母もシュークリームを焼いたりするから、重なってしまうかもしれないけれど。それに手作りの菓子と比べてしまうようで悪い気もするけれど、これは特別。
(人気の店です、って言えばいいしな?)
話題作りに持ってゆくなら、きちんと断れば問題無いから。小さなブルーに買ってやろうと決心した。明日の朝に寄って、買ってゆこうと。
そうと決めたら、試食もしておくべきだから。一番人気だというカスタードと生クリーム入りのシュークリームを買って、パンフレットも貰って帰った。何を買って行くか検討しようと。
夕食の後で片付けを済ませて、愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー。シュークリームの皿と一緒に書斎に運んで、コーヒー片手に、早速、試食。
(これはなかなか…)
絶妙な焼き加減のシュー皮、中のカスタードも生クリームも評判どおりに美味なもの。甘いのに少しもくどくない。幾つでも食べられそうな味。コーヒーのお供に、三つも四つも。
(もっと買っても良かったなあ…)
他の味のものを。チョコレートだとか、イチゴが入ったものだとか。
こうなってくると、ブルーへの土産に何を買うかも悩ましい。大きさや形で決めればいいか、と単純に考えていたのだけれども、味も考慮に入れなくては。ブルーが喜びそうな味。
もっとも、ブルーは好き嫌いなど無いのだけれど。弱い身体や年齢からして、如何にも多そうな好き嫌い。それが全く無いのがブルーで、その点に関しては自分も同じ。
幼い頃から、まるで無かった好き嫌い。前の生で食料事情に悩まされたからか、アルタミラでの餌があまりに酷すぎたのか。多分、そういったことが今も影響しているのだろう。
好き嫌いの無いブルーだからこそ、何を買おうか迷ってしまう。一番人気のものを選ぶか、他の味のにしてみるか。それとも形や大きさで選ぶか、なんとも決め難いシュークリーム。
(どれにするかな…)
普通の形のシュークリームもいいし、白鳥の形もブルーが喜びそうではある。可愛らしいと。
専門店ならではの大きなシュークリームもいい。普通のものなら三個くらいになりそうなのも。中のクリームの味になったら本当に色々、どうしようかとパンフレットを眺めていたら。
ふと目についた、クロカンブッシュ。小さなシュークリームを円錐形に積み上げたもの。それは本店のみでの販売、注文して作って貰う品。店に行っても並んではいないクロカンブッシュ。
好みの味と、積み上げるシュークリームの数とを決めてご注文下さい、と書かれてあった。
(ほほう…)
SD体制が始まるよりも遠い遥かな昔の地球。
クロカンブッシュは、フランスという国の伝統的なウェディングケーキだったという。結婚式の他にも誕生日や祝い事のためにと作られていた、小さなシュークリームを積み上げたタワー。
積んだだけでは崩れてしまうから、飴などで固めて高くしてゆく。シュークリームの塔の高さが高いほど幸せがやって来るから、高く積み上げるものだとも。
円錐形の塔の天辺には、新郎新婦の像を据えたり、飴細工の薔薇やドラジェを飾ったり。
結婚式では、新郎新婦がクロカンブッシュを小さな木槌で割ってゆく。結婚式に出てくれた人にシュークリームを一つずつ配り、皆に祝福して貰えるように。
今の時代も、かつてフランスがあった辺りの地域では結婚式用に人気が高いクロカンブッシュ。誕生日などの祝い事にもよく使われる、と書かれたパンフレット。
伝統のお菓子は如何ですかと、ご注文に応じてお作りします、と。
小さなシュークリームを積み上げて出来た、円錐形の食べられるタワー。遥かな昔のフランスで生まれたウェディングケーキ。
(クロカンブッシュなあ…)
食べたことは無いけれど、写真は何度も見たことがあった。そういう菓子だと思っていたから、由来を考えもしなかった。シュークリームで作った塔だと、幾つも積み上げてあるのだと。
白鳥の形のシュークリームと同じで、シュークリームの形のバリエーション。そうだと今日まで思い込んでいたのに、伝統あるウェディングケーキだったとは。
(菓子の歴史までは、俺の守備範囲じゃないからなあ…)
気が向いたら調べてみる程度。クロカンブッシュは自分のアンテナに引っ掛からずに来たから、知らずに過ごしていたらしい。由緒あるケーキだったのに。
(俺が出席した結婚式のケーキは、どれも普通のケーキだったしな…)
何段にも重ねた真っ白なウェディングケーキや、新婦の手作りの大きなケーキや。結婚式の度にウェディングケーキを見て来たけれども、クロカンブッシュは見なかった。
地味だからだろうか、純白の生クリームで飾ったものやら、細かい細工が美しいシュガーケーキなどとは違って。シュークリームを積んだ塔では、飾り立てるにしても限度があるし…。
けれどもパンフレットのクロカンブッシュに妙に惹かれる。写真よりも、その由来の方に。
新郎新婦が木槌で割るとか、参列者に配るものだとか。
このパンフレットで初めて知った筈なのに。ウェディングケーキだとも思っていなかったのに。
(…何処かで見たのか?)
結婚式で一度も見ていないからには、映画かドラマ。自分でもすっかり忘れているだけで、その手のもので見たかもしれない。結婚式とパーティーの区別もついていないような子供の頃に。
そんなものかと思ったけれど。他に心当たりは全く無いから、記憶に残らないほど遠い昔。幼い自分が見たのだろうと、両親と一緒に映画かドラマだと考えたけれど。
(それにしては…)
心に引っ掛かり過ぎる。ただ掠めてゆくだけの欠片とは違う、ただの記憶の断片とは。
クロカンブッシュを木槌で割るのも、集まった人々にシュークリームを配るのも。式の参列者に一つずつ。クロカンブッシュを割って外した、小さなシュークリームを一人に一つ。
(味まで思い出せそうな気が…)
配られたシュークリームの味を。中のクリームや、皮にくっついた塔を固めていた飴の味やら、クロカンブッシュを形作っていた小さなシュークリームの味を。
自分は出会ったことも無いのに、映画かドラマでチラと目にしただけなのに。
(食い意地が張っているにしたって、程があるぞ)
子供だった頃の自分の瞳には、クロカンブッシュが魅力的に映ったというのだろうか。あの塔を壊して食べてみたいと、きっとこういう味がするのに違いないと。
(三つ子の魂百まで、と言うにしたってなあ…)
意味合いは少し違うけれども、子供時代の鮮烈な体験だったら、記憶に残りもするだろう。苦笑するしかないけれど。なんと食い意地の張った子供かと、味まで想像していたのかと。
(おふくろに強請ればよかったのにな?)
頼めば作って貰えたと思う、子供でも食べ切れそうなサイズのクロカンブッシュを。菓子作りが得意な母のことだから、強請りさえすれば数日の内に。早ければ次の日にでも出来ていそうな母の手作りのクロカンブッシュ。
(…なんで頼まなかったんだ?)
頼めない理由でもあったのだろうか、父に叱られた直後だったとか。それとも母につまみ食いがバレて、おやつ抜きの刑でも食らっていたというのだろうか?
それにしたって、ほとぼりが冷めれば頼めそうな気がするクロカンブッシュ。この年になっても思い出せるのだし、どうして頼まなかったのだろう。作って欲しいと、母に一言。
味まで思い出せそうなのに。中のクリームも、皮にくっついた飴の味も…、と思った途端。
(シャングリラか…!)
知っている筈だ、と鮮やかに蘇って来た記憶。小さなシュークリームの味。
前の自分が暮らしていた船、あの船にあった、クロカンブッシュが。シュークリームを高く積み上げた塔が、飴で固めて作られた塔が。
自分はそれを食べたのだった。木槌で割られて、配られた小さなシュークリームを。シュー皮についた飴の味の記憶も、クリームの味も本物の記憶。前の自分が食べたのだから。
(これはブルーに…)
買わねばなるまい、クロカンブッシュを真似られるような小さなシュークリームを。本物よりは小さいけれども、積み上げて見せられるシュークリームを。
土産に何を買ってゆくかは、もう決まった。大きなカップに幾つも詰められたシュークリーム。味は色々あるようだけれど、一番人気のもののミニサイズでいいだろう。試食用にと買って帰った生クリームとカスタード入りの、これと同じ中身のシュークリームで。
翌日、クロカンブッシュの記憶を大切に抱いて、ブルーの家へと歩いて出掛ける途中に、昨日の食料品店へ。シュークリームの特設売り場の前に立ち、ショーケースの中を指差した。
「一つ下さい」と、小さなシュークリームが詰まったカップを。ブルーと二人で食べるには量も丁度いいサイズ、目的のものも充分に作れるサイズ。シュークリームを積み上げた塔を。
店のロゴ入りの紙袋に入れて貰ったそれを提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて。門扉の脇のチャイムを鳴らして、出て来たブルーの母に紙袋を渡した。「買って来ました」と。
人気の店が来ていたので、と詫びを言うのも忘れなかった。菓子作りが得意なブルーの母には、菓子の手土産は失礼だから。
「それから、出して頂く時なんですが…。取り皿の他に、大きな皿をつけて頂けますか?」
このシュークリームを積み上げたいので、そのための皿が欲しいんですが。
「あら、クロカンブッシュになさるんですか?」
よろしかったら作りましょうか、と訊かれたから。
実はシャングリラの思い出なのだ、と正直に答えた。前の自分とブルーが生きていた船にあった菓子だと、だから自分の手で積みたいと。
ブルーは忘れているだろうから、目の前で積んで見せたいのだと。
「それもあって、買って来たんです。ご面倒をおかけしますが…」
「いいえ、きっとブルーも喜びますわ」
お気遣い下さってありがとうございます。大きなお皿、持って行きますわね。
それから間もなく、二階のブルーの部屋に運ばれて来た紅茶とシュークリーム。テーブルの上にティーポットとカップ、シュークリーム用の取り皿と、それとは別に大きな皿が一つ。
ブルーの母が「ハーレイ先生のお土産よ」とシュークリーム入りのカップを置いて行ったから。
「買って来てやったぞ、いつもの店で売ってたからな」
日曜日までの出店なんだ。昨日、試食用にと買ってみたんだが、美味かったぞ。
「ホント? ここのシュークリーム、人気なんだってね!」
お店の名前を聞いたことがあるよ、ぼくは食べたことが無いんだけれど…。
ハーレイが食べて美味しかったんなら、もう絶対に美味しいよね!
でも、なんでお皿が余計にあるの?
取り皿があれば充分なように思うけど…。先にそっちのお皿に入れるの、カップの中身を?
「そのデカイ皿か? そいつにはちゃんと意味があるのさ、だから頼んだ」
お前のお母さんには直ぐに通じたが、お前の方はどうだかなあ…。
まあ、見てろ。この皿はこう使うんだ。
シュークリーム入りのカップの蓋を開け、中から一つ取り出して皿へ。その隣へと、また一つ。
幾つか使って小さな円が出来たら、その上へ次のを積んでゆく。二段目が出来たら、三段目を。
カップの中身は沢山あるから、四段目も五段目も作れそうで。
バランスが崩れないよう、三段目を均等に積み上げていたら、ブルーが首を傾げて尋ねた。
「それ、なあに?」
シュークリームを積み上げて行ったら何か出来るの、そうなの、ハーレイ?
「出来るとも。本当はこんな風に積むだけじゃなくて、崩れないように工夫するんだが…」
飴なんかで固めてやるんだがなあ、知らないか?
クロカンブッシュって名前の菓子でな、シュークリームで出来た塔なんだが。
「んーと…」
そういう名前は知らないけれども、言われてみたら見たことあるかも…。
お菓子屋さんに飾ってあったよ、本物かどうかは分からないけど。シュークリームは砂糖菓子と違って長持ちしないし、作り物だったかもしれないけれど…。
ちょっと美味しそうって思ったんだっけ、シュークリームの塔だったから。
見掛けただけで食べたことはない、と答えるから。
クロカンブッシュという名前の方も初耳だった、と積まれたシュークリームを見ているから。
「本当にそうか? お前、知らないのか、クロカンブッシュを?」
これから四段目を積むんだが…。食ったことも無ければ、名前も知らん、と。
「うん。だって、お店で見ただけだもの」
飾ってあったけど、お菓子の名前は無かったし…。買って貰ったわけでもないし。
ずいぶん高く積んであるよね、ってシュークリームを見ていただけだよ。
「なるほどなあ…。だったら、前のお前はどうだった?」
「えっ?」
前のって…。前のぼくのこと?
「他に誰がいるんだ、前のお前というヤツが。ソルジャー・ブルーだったお前の他に」
前のお前は知ってた筈だぞ、クロカンブッシュの名前も、味も。
シャングリラで作っていただろうが。これよりはデカいシュークリームだったが、普通のよりは小さめのヤツを塔みたいに高く積み上げて。壊れないよう、飴で固めて。
結婚式と祝い事の時に作った菓子だが、お前、やっぱり忘れていたのか…。
「ああ…!」
そういえばあったね、クロカンブッシュ。
だからハーレイ、シュークリームを買って来てくれたんだ?
「そういうことだ。…もっとも、俺も忘れてしまっていたがな」
土産にシュークリームを買って行くか、と試食用のを買って帰って…。パンフレットを見ながら何を買おうかと考えていたら、クロカンブッシュが載っていてな。
注文して作って貰うらしいが、そいつが気になって仕方なかった。食った覚えも無いのにな。
どういうことだ、と不思議だったが、前の俺が食っていたってわけさ。
白いシャングリラで一番最初に結婚式を挙げた恋人たち。アルタミラからの脱出組で、長い時をかけて育んだ恋。
シャングリラの改造も無事に終わって、ミュウの楽園が出来たから。自給自足の白い鯨で暮らす限りは、何の心配も無くなったから。
結婚したい、と言い出した二人。華やかな式は要らないけれども、二人で生きてゆきたいと。
反対する理由は何も無かったし、白い鯨には二人用の部屋も出来ていたから、其処へ移れば結婚生活が始まるけれど。直ぐにでも結婚出来るのだけれど、祝福したいと誰もが思った。せっかくの結婚なのだから。本当だったら、ウェディングドレスも要るのが結婚式だから。
けれど、シャングリラではウェディングドレスは作れない。たった一度しか袖を通さない贅沢な衣装は流石に無理で、次のカップルのために残しておいても、サイズが違えば役に立たない。白いドレスは諦めざるを得ず、結婚式は普通の制服で。
そんな調子だから、出来る範囲で二人の結婚を祝う何かを、と皆が声を上げた。何かしたいと、二人のために特別な何かをして祝福を、と。
自給自足の船の中では、工夫出来そうなものは食べる物。
結婚式にはウェディングケーキが登場するから、とケーキを作ろうという話もあったけれども。それが一番良さそうだ、と決まった所で、ヒルマンとエラがクロカンブッシュを持ち出した。遠い昔のフランスのウェディングケーキだったらしい、とデータベースで調べて来て。
「高く積み上げるほど幸せが来ると言うのだよ。クロカンブッシュは」
船の人数分を積み上げれば高くなるじゃないかね、とヒルマンが言って、エラからも。
「ケーキを作れば、均等に分けるのに困りそうですが…。クロカンブッシュなら簡単です」
同じ大きさのシュークリームを積むのですから、一人一個ずつ。とても公平だと思います。
それに、祝福の気持ちも溢れるでしょう。結婚する二人が一つずつ割って配るのですから。
「いいねえ、そいつは楽しそうじゃないか」
うんと賑やかな結婚式になるよ、とブラウが賛成、ゼルも「そうじゃな」と頷いた。
「皆に一つずつじゃ、割るのも時間がかかりそうじゃぞ。その間は式が続くんじゃからな」
結婚式にはピッタリじゃわい、と長老たちの意見が揃って、作ると決まったクロカンブッシュ。人数分の小さなシュークリームを積み上げ、飴で固めて作ったタワー。
結婚式の日に新郎新婦が二人一緒に木槌を手にして、割って配って、皆が二人を祝福した。一つずつ配られたシュークリームを頬張り、二人の未来が幸福なものであるように、と。
クロカンブッシュの評判は良くて、それからは結婚式の度に作った。結婚式は滅多に無いから、他の祝い事の時にも作られていたクロカンブッシュ。皆で賑やかに祝いたい時に。
「そうだったっけ…」
これはみんなでお祝いしなくちゃ、ってことになったら作っていたね。
普通のケーキの時もあったけど、クロカンブッシュは特別だっていう感じがしたものね…。
「俺が作るって話は覚えているか?」
「ハーレイが?」
クロカンブッシュを作るって言うの、そんな話があったっけ…?
「あったぞ、そいつも是非とも思い出して欲しい所なんだが…」
前のお前と話していたんだ、クロカンブッシュを作ろうとな。
いつかシャングリラで地球に辿り着いて、人類がミュウの存在を認めてくれたら。もうあの船の中だけで生きなくてもよくて、ミュウが地上で暮らせる時がやって来たなら。
その日が来たなら、ソルジャーもキャプテンも要らなくなるから、もう俺たちは必要無い。
実は恋人同士だったと明かしてもいいし、それを明かせる日が来たら…。
「作るんだっけね、クロカンブッシュ…」
ぼくとハーレイの結婚式のための、うんと大きなクロカンブッシュを。
「そうだ、俺がまた厨房に戻ってな」
俺たちのためのクロカンブッシュを作れる頃には、仲間だってぐんと増えてるんだろうが…。
たとえ何人に増えていようが、俺が一人で作るんだ。シュー皮も、中のクリームも。
固めるための飴もたっぷり鍋で作って、ついでに飾りの飴細工もな。
ソルジャーもキャプテンも要らなくなったら、前の自分たちの仲を明かして。
そうして二人で積もうとしていた、仲間の数と同じだけの小さなシュークリームを。ハーレイが作ったシュークリームを二人で積み上げ、ハーレイが作った飴で固めながら。
クロカンブッシュは高く積むほど幸せが来るというから、公園の天井にまで届いたとしても。
空を飛べた前のブルーはともかく、ハーレイは梯子をかけて登って積まねばならない高さでも。
そんなクロカンブッシュを夢見た、いつか二人で作りたいと。
地球に着いたら、ずっと恋人同士だったと明かしてもいい日が訪れたなら、と。
白いシャングリラでクロカンブッシュが配られる度に。
祝いの小さなシュークリームが一個、青の間やブリッジに届く度に。
何を祝うためのものであっても、ソルジャーとキャプテンには必ず届けられた祝福のための菓子だったから。
ほんの内輪の祝い事で作られたクロカンブッシュでも、必ず一個、届いていたから。
「ハーレイとぼくのクロカンブッシュ…。作れなかったね」
いつか作ろうって言っていたのに、作れないままで終わっちゃったね…。
「お前がいなくなっちまったしな」
俺が思ってたのとは違う形で逝っちまった。
お前を見送るつもりだったのに、その後で俺も追い掛けていくつもりだったのに…。
クロカンブッシュは作れなくても、俺たちは何処までも一緒だってな。
ブルーの寿命が尽きてしまうと分かった後には、とても辛かったクロカンブッシュ。
作りましたから、と木槌で割られて、それぞれに一個ずつ届けられる度に。
小さなシュークリームが配られる度に、悲しみが心に溢れてきた。
自分たちはこれを配れはしない、と。二人で夢見たクロカンブッシュを作れる日は来ず、割って配れる日も来ないのだと。
「お前の寿命が尽きちまう、って分かっちまったら、もう夢なんかは見られないしな…」
クロカンブッシュは作れないんだ、って分かっているのに、祝い事があったらシュークリームが届くんだ。あれが辛かったな、見る度に悲しくなっちまったが…。
それでも祝福の菓子だったからな、悲しんでいないで祝ってやるのがキャプテンだしな?
「うん、ぼくたちには届くんだよ。どうか祝福して下さい、って」
ぼくはソルジャーだし、ハーレイはキャプテンだったんだし…。
誰だって祝福して欲しいものね、他の誰よりも前のぼくたちに。
そうなんだ、って分かっていたから、「おめでとう」ってお祝いしていたけれど…。
ちゃんと幸せを祈っていたけど、あれはホントに辛かったよね…。
白いシャングリラの仲間たちは誰も、本当のことを知らなかったから。
ハーレイもブルーも、クロカンブッシュの小さなシュークリームを貰いたいのではなくて、配る方になりたかったのだ、ということに気付きもしなかったから。
クロカンブッシュが作られる度に、ハーレイにもブルーにもシュークリームが一つずつ。祝福を願う小さなシュークリームが。
「お前、いつでも残していたよな、俺が行くまで」
いつも食べずに取っておくんだ、クロカンブッシュのシュークリームが届けられる度に。
「うん…。ハーレイと一緒に食べたかったから」
でも、ハーレイの分のシュークリームは青の間には届かなかったしね…。当たり前だけど。
ハーレイの分はブリッジに届くか、お祝いの席で貰って食べるか、どっちかだもの。
「お前の分を二人で食ってたっけな」
小さいのをナイフで二つに切って。俺が半分、お前が半分。
「ハーレイと一緒にお祝いに出席できない時にはね…」
出席したくても、身体が言うことを聞かなくなっちゃった後は、いつも半分ずつだったよね。
だけど、その方が嬉しかったよ、ハーレイと二人きりだから。
ハーレイと二人でクロカンブッシュのシュークリームを食べられるんだから。
ぼくたちは配れないんだけれど…。
配れないままで、クロカンブッシュを作れないままで、ぼくの寿命は尽きちゃうんだけど…。
「作れなかったことは仕方ないんだが…。それは俺にも分かってたんだが…」
お前の寿命は尽きちまうんだ、って覚悟はしてたというのにな。
その後のことも決めていたのに、お前だけ先に行きやがって。
俺をシャングリラに一人残して、追い掛けていくことも出来ないようにしやがって…。
「ごめん…」
本当にごめん。でも、あの時は仕方なかったんだよ。
ハーレイまでいなくなってしまったら、シャングリラは地球まで行けやしないから…。
「いいさ、そいつが前のお前の生き方だしな」
寿命が尽きると泣いていたくせに、俺と離れて死んでしまうと泣きじゃくってたくせに、いざとなったら一人きりで飛んで行っちまったんだ。
右の手が凍えて冷たかった、と言っていたって、あの時、お前は俺と別れる方を選んだ。
シャングリラに残れば、俺と一緒に死ねていたかもしれないのにな。
自分のことより、ミュウの未来を大事にしたのが前のお前だ。
俺はそいつを恨んじゃいないし、お前を責めようとも思いはしないさ。
それで、だ…。今度は作るか?
「何を?」
「決まってるだろうが、クロカンブッシュだ」
前の俺たちが作れなかったクロカンブッシュ。今度は作ってもかまわんだろうが、俺もお前も、ソルジャーでもキャプテンでもないんだからな。
ウェディングケーキはそれにするか、と片目を瞑った。
土産に買って来たシュークリームを積み上げた塔の、一番上に乗った小さなシュークリーム。
それをつまみ上げて、そっと戻して、出来上がった塔を指差しながら。
こんな具合に俺が作ろうかと、シュークリームも前からの約束通りに俺が作って、と。
「何人分のシュークリームになるのか知らんが、シャングリラの頃に比べればなあ?」
とんでもない数になりはしないし、俺の家のオーブンを使ってコツコツ焼いても間に合うさ。
クリームだって出来ると思うぞ、俺の家のキッチンで充分にな。
シャングリラのヤツらの人数分だと、あの船のデカい厨房が無ければとても無理だが。
「クロカンブッシュを作るんだったら、シュークリーム作り、ぼくも手伝う!」
ママに教わって、ぼくも作るよ。シュー皮を焼いて、クリームを作って…。
ハーレイと一緒に頑張って作るよ、今のぼくなら作り方をママに習えるんだもの。
前のぼくだったら、厨房で見てるだけしか出来なかったけど、今のぼくなら手伝えるよ!
「作りたいと言うなら、止めはしないが…」
お前、シュークリームなんかは作ったことも無いんだろうが。
そうでなくても料理は調理実習だけだろ、シュークリームはあれでなかなか難しいんだぞ?
失敗しちまったら目も当てられんし、作るよりも積む方でいいんじゃないのか?
元々、二人で積み上げる予定だったんだ。
前の俺たちの頃に決めてたとおりに、俺が作って、二人で積んで。
無理しなくっても、それでいいと俺は思うがな?
「そうかも…」
ハーレイの足を引っ張っちゃうより、出来上がったのを二人で積む方がいいのかも…。
今日のはハーレイが積んでくれたけれど、本物のクロカンブッシュを作る時には、二人で一緒にシュークリームを積んで、飴で固めて。
小さなブルーへの土産にと買った、シュークリームを積み上げた塔。
それを二人で崩しながら食べた、上から一個ずつ外していって。
飴で固めたわけではないから、木槌で割る代わりに指でつまんで。
「美味しいね」と顔を綻ばせるブルーに、「美味いだろ?」と微笑み掛けながら。
「結婚式の時には、これに負けないのを作れるように頑張らんとな」と。
前の自分たちは作れないままで終わったけれども、今度は作れる、クロカンブッシュを。
結婚式に来てくれる人たちの数が白いシャングリラの仲間たちの数には及ばないから、凄い高さにはならないけれど。ほどほどの高さになるだろうけれど。
クロカンブッシュを結婚式まで覚えていたなら、ブルーと二人で手作りしよう。
シュークリームを自分が作って、ブルーと二人でそれを積み上げて。
やっと配れると、約束してから長い長い時が経ってしまったけれど…、と。
幸せになろう、ブルーと一緒に。
青い地球の上で二人、結婚式を挙げて。
祝福してくれる人たちに一人一つずつ、クロカンブッシュの小さなシュークリームを配って…。
シュークリーム・了
※シャングリラにあった、クロカンブッシュ。結婚式やお祝い事で配られたシュークリーム。
前のブルーたちも配る時を夢見て、配れないまま。今では配れるお菓子なのです、結婚式に。
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