シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(届かない…)
まだまだ無理、とブルーが見上げたクローゼット。
学校から帰って、おやつを食べて。自分の部屋に戻った後で、クローゼットが目に入ったから。見た目は普通のクローゼットで、ずっと前からあるのだけれど。部屋に馴染んだ家具だけれども。
この春から一つ、秘密が出来た。特別になったクローゼット。
正確に言うなら春ではなくて初夏かもしれない。鉛筆で微かな印をつけた時から、秘密が一つ。前の自分の背丈の高さに引いた線。クローゼットに書いた目標、こうして見上げて溜息をつく。
五月の三日に出会ったハーレイ、再会を遂げた前の生からの自分の恋人。
直ぐにでもキスをしたかったのに。抱き合ってキスして、それから、それから…。
恋人同士の絆を確かめ、前とすっかり同じように。離れていた時を取り戻すように、ハーレイと愛を交わしたかったのに。
キスさえも駄目と言われてしまった、今の自分は子供だから。十四歳にしかならない幼い子供。
そんな子供にキスは早いと、前の自分と同じ背丈に育つまでは駄目だと叱った恋人。それまではキスは頬と額だけ、唇へのキスはしてやらないと。
そう言われたから、クローゼットに印をつけた。前の自分の背丈の高さを床から測って。
母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに引いておいた線。床から百七十センチの所に。
(あと二十センチ…)
今の自分の背丈はたったの百五十センチ、百七十センチまではまだ遠い。二十センチもの大きな違いで、それに加えて問題が一つ。前の自分の背丈との差の二十センチ。
これが少しも縮んでくれない、一ミリさえも縮みはしない。春はとっくに過ぎてしまって、夏も終わって秋なのに。草木も子供もよく育つ夏が、育ち盛りの年の夏休みがあったのに。
(ちっとも縮まらないんだけれど…)
伸びてくれない自分の背丈。百五十センチから伸びない背丈。
ハーレイと再会した日から全く変わらないままで、ハーレイにかかれば「チビ」の一言。チビはチビだと、お前はほんの子供なんだ、と。
クローゼットに秘密の印をつけた時には、直ぐに育つと思ったのに。二十センチの差はみるみる縮んで、前の自分の背丈になる日が順調に近付くと思っていたのに。
そうだと思って浮かれていたのに、まるで伸びてはくれない背丈。未だに卒業出来ないチビ。
一ミリずつでも育ってくれたら、チビと笑われはしないのに。
「キスは駄目だ」と叱るハーレイも、子供扱いをやめてくれるだろうに。
それなのに一ミリも伸びない背丈。チビで子供の姿の自分。
縮まらない差も問題だけれど、それに加えて。
(あの高さの視点…)
前の自分の背丈になったら、この部屋がどう見えるのか。二十センチ伸びたら、部屋の見え方はどう変わるのか。チビの自分の視点ではなくて、前の自分の視点で見た部屋。
あの線を引いた日、ちゃんと確かめた。こんな感じ、と見回した部屋。
床から二十センチ離れて、今の背丈に二十センチをプラスして。
背伸びしたわけでも、爪先立ちしたわけでもなくて、フワリと床からサイオンで浮いた。自分の身体を浮き上がらせて、印の高さに頭を合わせた。前のぼくの背はここまでだった、と。
まるで違って見えた部屋。二十センチも背が高くなると、普段は見えないものまで見えた。棚の上に置いた物の角度も違って見えたし、他にも色々。
いつかはこんな風に見えるようになるのだから、と何度も浮いたり、床に下りたり。
今の自分との違いを楽しみ、そこまで育つ日を夢見て浮いた。この高さまで育つのだから、と。
心を弾ませて何度も浮いてみた高さ、前の自分と同じ視点で眺めた部屋。こう見えるんだ、と。前のぼくの目でこの部屋を見たら、こんな感じに見えるんだよ、と。
楽々と浮いて、身体を浮かせて、また下りてみて。
高揚した気分で味わった世界、前の自分と同じ背丈に育ったら見えるだろう世界。
けれど…。
全然無理、とクローゼットの印を見上げて溜息をついた。
二十センチの差が縮まらないことも問題だけれど、あの日、自分が見ていた世界。いつか育てば見える筈の世界。
それが見えない、どう頑張っても。いくら睨んでも、少しも近付かない印。
(やっぱり浮けない…)
あれ以来、浮けた試しがない。前の自分の背丈の高さに並べられない、自分の頭。床から浮いて並べはしなくて、両足は床についたまま。ほんの一ミリも浮いてはくれない。
前と同じにタイプ・ブルーに生まれたけれども、今の自分はとことん不器用。サイオンの扱いが上手くいかない、思念波さえもろくに紡げないレベル。
空は飛べないし、身体も浮かない。どう頑張っても、自分の意志では浮き上がれない。
クローゼットに印をつけていた日は、前の自分が現れたのか、と思うくらいに浮かない身体。
今日も印を睨み付けるけれど、床から離れてくれない足。印の高さまで浮けない身体。
(いつもそうだけど…)
クローゼットの印を見る度、努力するけれど何も起こらない。今の自分の身体は浮かない。
元々、不器用だったサイオン。
ハーレイの家まで無意識の内に飛んでしまった瞬間移動も、たった一度きり。
(あれって、前のぼくだった…?)
瞬間移動の件はともかく、クローゼットに印をつけた日。
前の自分の背丈はこれだけ、と身体を浮かせて、この部屋を眺めていた自分。小さな自分の目で見る部屋との違いに感動していた自分。
浮いたり下りたり、何度も何度も試して遊んだ。いつかここまで育つんだから、と。
あの日の自分は、自分には違いなかったけれど…。
(前のぼくかと思っちゃうよ…)
遠く遥かな時の彼方から、前の自分が来たのかと。今の自分の身体を使って遊んだのかと。
そういうこともあるかもしれない、今の幸せを味わいたくて前の自分が現れることも。自分でも意識しない間に、ヒョイと現れて小さな身体を好きに使ってゆくことも。
(どうせだったら、ぼくに尋ねてくれればいいのに…)
使っていいかと訊いてくれれば、もちろん「うん」と元気に答える。そして、自分も前の自分に頼んでみる。少し力を貸して欲しいと、サイオンを使ってみたいんだけど、と。
(そしたら身体も浮かせられるし、空も飛べるし、瞬間移動も…)
出来るんだけど、と思うけれども、自分は二人もいないから。自分同士で会話が成り立つわけがないから、無理なものは無理。前の自分の力を借りることなどは夢物語。
今日も浮けない、と諦めた末にトンと床を蹴った。
この高さまで、と飛び上がってみた、百七十センチの所につけた印の高さまで。
ほんの一瞬だけ目に入った世界、前の自分の視点から見た自分の部屋。これだ、と大きく弾んだ心。育ったら部屋はこう見えるんだ、と。
けれどもストンと落っこちた身体、床へと戻ってしまった両足。もう見えはしない、前の自分と同じ背丈で眺める世界。今よりも二十センチ育って大きくなったら、見える筈の世界。
ずっと眺めていたいけれども、ジャンプしないと届かない高さ。それも一瞬だけ、すぐに身体は床へと落ちてしまうから。
また見たいのなら、床を蹴るしかないけれど。ジャンプするしかないのだけれど…。
(何度も飛べない…)
床に落ちたら音がするのだし、階下の母にもきっと聞こえる。一度くらいなら気にもしないし、何か落としたのか転びでもしたかと、首を傾げるくらいだろうけれど。
何度も繰り返し飛んでいたなら、何をしているのかと部屋まで様子を見に来そうだから。「何の音なの?」と尋ねられるだろうから、何度もジャンプは繰り返せない。
クローゼットの印の高さに自分の頭を合わせたくても。前の自分の背丈で眺める、まるで違った部屋の景色を心ゆくまで見てみたくても。
(あと二十センチ…)
今の自分には届かない世界、そこまで伸びてくれない背丈。いつ育つのかも分からない背丈。
さっき一瞬、ジャンプしてそれを体験したから。こう見えるのだ、と部屋を見てしまったから。
今日はどうしても味わってみたい、前の自分と同じ背丈で眺める世界。
クローゼットに印をつけた日、何度も試していたように。この高さだと何度も眺めたように。
けれども自分は浮けはしないし、ジャンプも何度も出来はしないから。
(えーっと…)
椅子に乗ったのでは高すぎる。二十センチどころか、もっと高さがあるのが椅子。
本を積んだら上手い具合にいきそうだけれど、本を踏むのは行儀が悪い。積み上げた上に立ってみるなど、とんでもない。一番良さそうなものではあるのだけれど。
(いい高さのもの…)
二十センチくらいの高さで、乗ってもペシャンと潰れないもの。何か無いかと見回したけれど、生憎と何も見付からないから。丈夫な箱なども何も無いから。
(大は小を兼ねる、って…)
そう言うものね、と勉強用の椅子をクローゼットの側まで運んで行った。二十センチよりも高いけれども、無いよりはマシ、と。
クローゼットの隣に置いた椅子。その上に上がってみたけれど。
座面の上に両足で立ってみたけれど、椅子の高さは二十センチより高いから。前の自分の背丈の印は目の高さよりも下になってしまって、それに合わせるなら屈むしかなくて。
(やっぱり違うよ…)
これじゃハーレイみたいだし、と高くなりすぎた自分の視点を嘆いた所で気が付いた。
(そうだ、ハーレイ!)
前の自分よりも背が高かったハーレイ、今ほどではなくても充分にあった背丈の差。前の自分が背伸びしてみても、ハーレイの背には敵わなかった。
それほどに背丈の高いハーレイだけれど、この椅子があれば、そのハーレイの視点で見られる。この部屋がハーレイにはどう見えているか、どんな景色を見ているのかを体験できる。
前の自分の背丈の視点も気になるけれども、それよりも高く出来るのだから。椅子が高い分だけ上へと視点を移せるのだから、ハーレイの世界を見てみたい。
あの鳶色の瞳が見ている部屋を。ハーレイの視点から眺めた自分の部屋を。
そう考えたら、もう止まらない。それが見たくてたまらない。
(んーと…)
椅子の高さが足りるかどうかが気になったけれど、どうやら足りてくれそうだから。ハーレイと今の自分の背丈の違いを、ちゃんと補ってくれそうだから。
(よし!)
やろう、と勉強机から取って来た物差し。それと透明な接着用のテープ。
前の自分の背丈の高さを書いた印の上、ハーレイとの身長の差を物差しで測った。今でも忘れていないから。二十三センチ違った背丈。ハーレイの背丈は百九十三センチ、前も、今でも。
流石に印はつけられないし、と持って来ていた透明なテープ。五センチほどの長さに切って来たそれを、クローゼットにペタリと貼り付けた。ハーレイの背丈はこの高さ、と。
(出来た!)
ハーレイの頭の高さは此処、と大きく頷いて、椅子からピョンと飛び下りて。物差しを勉強机に返して、それから椅子の上へと戻った。ハーレイの世界を味わうために。
透明なテープを貼った高さに、自分の頭を合わせてみて。椅子の上で慎重に姿勢を整えて。
こうだ、と固定したハーレイの視点と同じ筈の高さ。その高さから部屋を見回して大満足で。
(そっか、ハーレイにはこう見えてるんだ…)
勉強机や、いつも二人で使うテーブルと椅子や、本棚などが。
いつも自分が見ているのとはまるで違った、その見え方。前の自分の背丈以上に高い場所から、ハーレイはこういう風に見ている。今の自分が住んでいる部屋を。今の自分の小さなお城を。
新鮮な景色に驚いていた間は良かったけれど。
キョロキョロしていた間は幸せだったのだけれど、ふと目に入ったクローゼットに書かれた印。鉛筆で微かに引いた線。前の自分の背丈の高さに。
それはずいぶん下の方にあって、二十三センチの差はとても大きい。そして今の自分の方だと、その印よりも更に二十センチも下に頭があるわけで…。
(すっごくチビ…)
今の自分の背丈の印は無いけれど。クローゼットに書いてはいないけれども、二十センチの差と二十三センチの差は、それほど大きく違わないから。
ハーレイの背丈の高さで見ている自分が見下ろした印、そこまでの差が二十三センチ、そこから下へと同じくらいに見下ろした所が今の自分の頭の高さ。頭の天辺。
ハーレイはいつもそれを見ている、この高さから。今の自分の小さな頭の天辺を。
(…四十三センチ…)
見上げるように背の高いハーレイ、その差は分かっていたけれど。四十三センチも違うと何度も思ったけれども、こうして見たことは無かったから。
小さな自分が見上げるばかりで、ハーレイの視点から眺めた自分がどんな風かは、まるで考えもしなかったから。
(…ぼくって、こんなにチビだったんだ…)
ハーレイがキスもしてくれないわけだ、と肩を落として椅子から下りて。
改めてテープの高さを見上げた、ハーレイの背丈はあんなに高い、と。あそこから見れば自分は本当にチビで子供で、どうしようもなくて。
キスしようにも腰をどれほど屈めればいいのか、ハーレイにすれば笑い事かもしれないわけで。とんでもないチビが一人前にキスを強請ると、笑っているかもしれないわけで…。
子供扱いされるわけだ、と納得せざるを得ない状況。
ハーレイの視点が分かったら。椅子の上に上がってそれを見てみたら、ハーレイの瞳が見ている世界を自分で確認してみたら。
(ホントのホントに、チビで子供で…)
キスが駄目でも仕方ないかも、と項垂れていたら、チャイムが鳴って。窓に駆け寄れば、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
(ハーレイ、来ちゃった…!)
仕事帰りに来てくれたことは嬉しいけれども、とんだ不意打ち。大慌てで椅子を抱えて運んで、勉強机の所に戻したから。剥がし忘れた透明なテープ。クローゼットに貼り付けたテープ。
ハーレイの背丈はこの高さ、と自分がペタリと貼り付けたテープ、それを剥がすのを忘れていたことに気付いた時には既に手遅れ。もうハーレイの声がしていて、母の声もして。
(…剥がしに行けない…)
今から椅子を運んで行っても間に合わない。なんとかテープを剥がせたとしても、椅子を抱えて戻る途中で二人が入って来るだろう。扉を軽くノックして。「入るわよ?」と母が扉を開けて。
その時に椅子を運んでいたなら、大ピンチだから。運ぶ途中ならまだいいけれども、椅子の上に上がってテープを剥がしている時だったら、ピンチどころかアウトだから。
(…バレませんように…)
どうかハーレイが気付かないでいてくれますように、と心で祈った。
もしもバレたら、子供っぽさが倍になるから。笑われてしまうに決まっているから。
そのハーレイが部屋に来てくれて、テーブルを挟んで向かい合わせに腰掛けて。お茶とお菓子をお供に話す間も、気になってしまうクローゼット。
貼ったままのテープも心配だけれど、それを使って体験していたハーレイの世界。高い視点から眺めた部屋。とても小さいのだろう自分。
こうして腰掛けていたら、それほど酷くは違わないけれど。四十三センチの差は無いけれど。
(…だけど、チビ…)
やっぱりチビ、とクローゼットを見てしまうから。ついつい視線を遣ってしまうから。
「なんだ、あそこに何かあるのか?」
クローゼットに、とハーレイの視線もクローゼットに向けられた。透明なテープがある方に。
「ううん」
なんでもないよ、ちょっと見ただけ。
「そういうわけではなさそうだがな? お前、何度もチラッと見てるぞ」
何か隠してあるのか、中に?
隠し事は直ぐにバレるもんだぞ、隠そうとすればするほどにな。
「中じゃないよ!」
「ほう…?」
中じゃないと来たか、ならば外だな、クローゼットの?
語るに落ちるとはこのことだな、と笑ったハーレイ。
自分で白状したようだが、と。クローゼットの外に何があるんだ、と鳶色の瞳が覗き込むから。
「何も…」
何も無いってば、外側にも!
中にも外にも何も無くって、ホントに見ていただけなんだってば…!
「むきになる辺りが、ますますもって怪しいってな。そう思わないか、自分でも?」
本当に何も無いんだったら、キョトンとしてると思うがな。「何かあるの?」と逆に訊くとか。
それをしないで慌ててるトコが、何かあるんだという動かぬ証拠というヤツだ。
クローゼットの外側なあ…。お前が見ていた感じからして…。
おっ、あのテープか。普通、クローゼットにテープは貼らないよな?
ポスターでも貼ろうというならともかく、透明なテープだけっていうのは。
ふむ、とハーレイが椅子から立ち上がって出掛けて行って。
クローゼットに貼られたテープを「俺の背の高さだ」と眺めているから。この高さに貼ることに何の意味が、と指でテープに触れたりするから。
隠すだけ無駄だと観念した。きっとハーレイにはバレるんだから、と。
「…ハーレイの背の高さを体験したくて…」
ぼくの部屋がどんな風に見えてるのかな、って気になっちゃって…。
それで貼ったんだよ、そのテープ。椅子に上がってその横に立って、ぼくの頭を合わせてみて。
ハーレイになったつもりで見ていたんだよ、この部屋の中を…。
「そういうことか…。俺の背の高さを真似たってことは、だ」
椅子に上がってまでやってたんなら、椅子に上がらないと届かないことも分かっているな?
そうまでしないと俺の背まではとても届かない、今のお前の背丈ってヤツも分かっただろう。
自分が如何にチビなのかってことも、よく分かったか?
「うん…」
情けないほど小さかったよ、今のぼく。
ハーレイから見たら本当にチビで、うんと子供で。頭の天辺、ずうっと下にあるんだもの…。
「分かったようだな、今のお前のチビさ加減が」
こいつを貼っただけの甲斐はあったというわけだ。
俺の背丈を体験しようと、頑張って椅子の上に上がって、高さも測って。
用が済んだならもう要らないな、と軽々と剥がされてしまったテープ。
ハーレイはそれを指先で丸めて屑籠に捨ててしまっただけ。ポイと放り込んだら自分の椅子へと戻って来たから、背丈の印は気付かれなかった。
透明なテープを貼った場所から二十三センチ下に、鉛筆で引いてあった線。一日も早くその高さまで、と何度も見上げている目標。
そっちの方はバレずに済んだ、とホッとしていたら、問い掛けられた。
「お前、俺の背なんかが憧れなのか?」
前の俺と少しも変わりはしないが、お前、この高さに憧れてるのか?
「…ほんのちょっぴり…」
凄いよね、って思っちゃったよ、ハーレイの背の高さ。
ぼくなんかホントにチビでしかなくて、ぼくの頭はハーレイから見たら、ずっと下にあって…。
「憧れるのはお前の勝手だが…。体験してみるのも勝手なんだが…」
そんなにデカくなってみてどうするんだ、馬鹿。
憧れと体験するのはともかく、お前が本当に俺と変わらない背丈に育っちまったら。
俺と釣り合いが取れなくなるぞ、と弾かれた額。
普段はそれほど困らないにしても、結婚式はどうするつもりなんだか、と。
「白無垢ならいいが、ウェディングドレスを着るとなるとなあ…」
それに似合う靴を履くことになるし、そうなれば踵の高い靴だし、俺より背が高くなっちまう。
俺にも踵の高い靴を履いてくれってか?
その手の靴も無いことはないが、まさか俺の背でそいつを履くことになるとはなあ…。
しかし、本当になるかもしれん。今度のお前はデカくなるかもしれないからな。
「えっ?」
デカくなるって、もしかして、前のぼくよりも?
ハーレイと同じくらいに育つって言うの、今度のぼくは?
「そうならないとも限らないな、と可能性ってヤツを言ってるまでだ」
あまりにもチビの間が長いし、今は一ミリも伸びないままだし…。
少しも育たずに止まっている分、伸び始めたら派手に伸びるかもしれん。見る間にぐんぐん背が伸びていって、気付いたら俺と変わらんくらいになっているとか。
「そんな…!」
ハーレイと同じくらいに育つなんて嫌だよ、ぼくはそこまで育たなくてもいいんだよ!
結婚式の時に、ハーレイが背を高く見せる靴を履くようなことになるなんて…!
前のぼくと同じ背丈がいい、と叫んでしまった。
そうでないと困る、と。
「でないと、ハーレイと並んで歩く時だって困るよ…!」
ハーレイに手を繋いで貰って、「こっちだぞ」って連れてって貰おうと思っているのに…。
まるで背丈が変わらないんじゃ、引っ張って貰っても頼もしさが全然無いじゃない…!
それに手だって、ハーレイの手と大きさが変わらなくなっちゃうんだよ?
大きな手だな、って思えなくなって、ぼくは寂しくなっちゃうんだけど…!
「俺も大いに困るんだが…」
前とそっくり同じお前がいいんだがなあ、俺だって。
お前が言ってる通りのことだな、俺の方にしても。
今度はお前を守ってやる、って言っているのに、お前が俺と変わらないほどデカいんじゃあ…。
守るも何も、お前は充分、一人でやっていけそうじゃないか。デカいんだから。
そいつは俺も御免蒙りたいもんだ、俺と同じくらいにデカいお前は。
チビのお前が育たないのは、可愛いから全く気にならないが…。
育ち始めるのも楽しみではあるが、俺と変わらない背まで育つのは勘弁してくれ。
やっと育って前のお前と同じになったと思った途端に、それよりデカくなられたんじゃなあ…。
俺の立場はどうなるんだ?
一瞬でお前を失くしちまう、とハーレイが浮かべた苦笑い。
前のお前が戻って来たと思った途端に、お前はいなくなっちまうんだ、と。
「お前はちゃんと生きてるんだが…。俺の前にお前はいるんだが…」
俺の知ってるお前はアッと言う間に育っちまって、いなくなる。
代わりに前の俺の知らないデカいお前がいるってわけだな、俺と変わらないほどデカいお前が。
「そこまで大きくならないよ!」
前のハーレイが知らないぼくになったりしないよ、ぼくはぼくだよ!
「そればっかりは分からんぞ?」
育ち始めてみないことには、何処で止まるかは誰にも分からん。
お前のサイオンが器用だったら、これはマズイと思った所で成長を止めれば済むんだが…。
前のお前の背丈を越えてしまいそうだ、と気付いたら止めりゃいいんだが。
そしたら見た目にそれほど変わりはしないんだろうが、お前のサイオン、不器用だしなあ…。
止めるなんてことは出来そうもないし、どんどん育つ一方だってな。
「きっと止まるよ、前と同じで!」
前のぼくとおんなじ背丈で止まる筈だよ、育ち始めても…!
「どうだかなあ…」
現に今だって、前のお前とは全く違った育ち方をしているわけだしな?
前のお前は長いこと成長を止めてしまっていたが、あれは未来に何の希望も無かったからで…。
今の状況とはまるで逆様で、今のお前は育ちたいわけで。
少しでも早く育ちたいんだと焦っているのに、一ミリも育っていないだろ、お前?
背を伸ばそうと毎朝飲んでいるミルクが一気に効き始めるとか、と言われたから。
今まで全く無かった効果が何処かに蓄えられていて、効きすぎるかも、と脅されたから。
「そんなの、ぼくも困るんだよ…!」
効かなくても頑張って飲んでいるのに、飲んだ分だけ、貯金みたいになってるだなんて!
育ち始めたらぐんぐん育って、前のぼくの背を追い越しちゃって。
もう止めたい、って思っているのに止まらなくって、どんどん、どんどん、伸びるだなんて。
ハーレイと同じくらいの背丈になるまで、止められないままで育つだなんて…!
あんまりだよ、と泣きそうになった。
それくらいならチビの方がいい、と。育たないままの方がいい、と。
「チビでいいのか?」
お前、大きくなりたいんだろうが。
チビのままだとキスも出来んが、俺と変わらないくらいにデカくなるよりはチビでいいのか?
「…ハーレイと同じになっちゃうよりはね…」
おんなじ背丈になってしまって、手の大きさだって変わらなくなって。
手を繋いで歩いても、グイグイ引っ張って貰えなくなってしまうよりかはチビのままでいいよ。
うんと大きくなっちゃうよりかは、チビの方がずっといいんだよ…。
ハーレイとキスを交わせなくても、唇へのキスが貰えなくても、チビの方がマシ。
キスは駄目でも強い両腕で抱き締めて貰えて、甘やかして貰えて。
チビならハーレイに甘え放題、優しく扱って貰えるけれど。子供扱いでも、ハーレイの腕に包み込んで貰えるのだけれど。
ハーレイと同じ背丈になってしまっては、そうはいかないから。
手の大きさまで変わらなくなって、「こっちだぞ」と引っ張って貰えもしないから…。
「まあ、大丈夫だとは思うがな」
チビのままでいい、と悲観しなくても、無駄にデカくはならんと思うぞ。
面白いから脅してはみたが、前のお前と同じ背丈で止まるだろうなあ、お前の背丈。
「ホント…?」
ぼく、自分では止められないんだよ、育つのを。
これでいいや、って思った所で止められる自信、ぼくには少しも無いんだけれど…。
「神様が下さった身体だからなあ、お前も俺も」
俺は全く意識なんかはしていなかったのに、前の俺と全く同じ背丈に育ったんだ。一ミリさえも違いはしないぞ、前の俺とな。
だから、お前もそっくり同じに育つだろうさ。お前が頑張らなくても、勝手に。
年を取るのも自然に止まってしまう筈だぞ、前のお前と全く同じに育ったならな。
心配は要らん、とハーレイの手が伸びて来て髪をクシャリと撫でたけれども。
お前は俺のブルーなんだから、と太鼓判を押して貰えたけれど。
「しかしだ…。デカくなったお前って、どんなのだろうな?」
俺と全く変わらんくらいにデカく育ったら、お前はどういう風になるんだ?
「そんなの、想像しなくていいから!」
大きすぎるぼくなんて、ぼくは絶対、嫌なんだから!
「チビのお前は、前のお前も今のお前も知っているがだ、デカい方はなあ…」
前の俺は一度もお目にかかっちゃいないし、可能性があるのは今の俺だな。
まず無いだろうと思いはしてもだ、どんな感じか気にはなるなあ、デカいお前も。
「チビのぼくでいいよ!」
育たないままのチビのぼくでいいよ、大きくなりすぎるのは嫌だから!
育っても前のぼくと同じで、それよりも大きく育つつもりは無いんだから…!
大きすぎるぼくは想像しないで、と悲鳴を上げた。
ハーレイと同じ背丈に育ったぼくなんかは、と。
「そうか? 俺はそれでも美人だろうとは思うんだが…」
背が高すぎても、美人は美人だ。きっとスラリと背が高いんだぞ、俺と違って。無駄にゴツゴツしてはいなくて、透き通るような肌をしていて。
前のお前がそうだったように、誰もが思わず振り返るような凄い美人の筈なんだが…。
俺と釣り合いが取れるって意味では、断然、前のお前だな。あのくらいの背丈が丁度いい。
でなければ、チビか。
今のお前と変わらないままの、チビで小さな子供のお前か。
「チビでも釣り合い、取れてるの?」
ハーレイの背の高さになって眺めてみたら、ぼくはホントにチビなんだけど…。
椅子に上がって見下ろしてみたら、ぼくの頭はハーレイの目より、ずうっと下に見えていそうな感じにしか思えなかったんだけど…。
「同じ背よりかはチビの方がいいだろ、守り甲斐もあるし」
うんとチビなら、前のお前よりも大切に守ってやれるってもんだ。
それこそ俺が保護者ってヤツだな、チビのお前の手を引っ張って迷子にならないように。
「俺の手を離しちゃ駄目なんだぞ」って言い聞かせながら、チビのお前とデートってことだ。
もしもお前が疲れちまったらヒョイと抱き上げて歩くのもいいな、チビなんだしな?
お前もチビの方がいいんだろうが、と笑われたけれど。
デカくなるよりはチビなんだろうが、と念を押されてしまったけれど。
ハーレイと変わらない背丈に育ってしまって、甘えられなくなるよりは…。
(チビの方がいいに決まっているよね?)
クローゼットにつけた前の自分の背丈の印はまだ遠いけれど、チビでいい。
育ちすぎてしまうよりかは、チビの方が。
ハーレイに甘やかして貰える低い背丈の、チビの自分の方がいい。
チビでも釣り合いは取れるらしいし、ハーレイと釣り合いが取れるチビ。
前の自分と同じ背丈に育てないなら、チビでいい。
ハーレイの隣にいるのが似合う姿の自分がいい。
何処までも二人でゆくのだから。いつまでも二人、手を繋いで歩いてゆくのだから…。
ハーレイの背丈・了
※ハーレイの視点で眺める世界が気になったブルー。そして試してみたのですけど…。
今の自分がハーレイの背丈に育ってしまったら、大変なことに。前と同じがいいのです。
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