シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あれ…?)
学校から帰ったブルーが目にしたもの。「ただいま」と覗き込んだダイニングのテーブルで母が見ている葉書だけれど。母が葉書を手にしていること自体は、特に珍しくもないのだけれど。
何故だか懐かしいような気がした、その葉書。届いた時には家にいなかった筈なのに。
郵便配達のバイクは学校に行っている間にやって来るもの。だから留守の間に届いた筈で、目にしたわけがないというのに。
(…なんの葉書だっけ?)
前にも見たことがあるのだろうか。母宛の葉書で、似たようなものを。
部屋へ行こうと階段を上りながら考えてみる。チラリと見えた絵、その色彩に覚えた懐かしさ。絵が描いてある葉書ならば…。
(色々あるよね?)
母の友人には絵を描く人も少なくないから。絵が添えてある葉書もよく届くから。
それだろうか、と思ったけれども、懐かしい理由が分からない。そういう葉書を届けてくる人に会ったことは何度もあるけれど。顔だって知っているけれど…。
(…でも、懐かしい…?)
葉書を見ただけで懐かしくなるほど親しいだろうか、その人たちと。小さかった頃には何処かへ一緒に出掛けたりしたこともあったけれども…。
(ぼく宛に葉書は来なかったし…)
絵が描かれた葉書はいつも母宛、それを横から眺めていただけ。この間の人だ、と。色々な顔を思い出せるけれど、葉書を見ただけでピンと来る人の記憶は無くて。
(誰だっけ…?)
謎の差し出し人、と葉書の主が分からないまま、着替えて下りて行ったダイニング。あの葉書を見せて貰って、おやつも食べて…、と。
そうしたら…。
おやつを用意して待っていた母が、「覚えてる?」と笑顔で持っていた葉書。さっきの葉書。
(あ…!)
懐かしい筈だ、と葉書を見詰めた。母宛の葉書には違いないけれど、描かれている絵。幼稚園の頃に自分が描いた絵、クレヨンを使って時間もかけて。
鮮やかに蘇って来た記憶。「お家の人に手紙を書きましょう」という幼稚園の企画、先生たちが用意してくれた葉書。字の書けない子もいたりしたから、手紙と言っても絵を描いただけ。
出来上がった葉書は先生が纏めて出してくれた。宛先を書いて。でも…。
(ぼく、頑張って…)
宛先も自分で書いたのだった。母に住所を書いて貰った紙を見本に、精一杯の字で。
その葉書がヒョイと時間を飛び越えて届いた、自分の前に。幼稚園の時に家に届いて、父と母が褒めてくれた記憶はあるのだけれども、それきり葉書は見なかったのに。
「懐かしいでしょ?」
この絵はブルーが描いたのよ。どう、思い出した?
「うん…。宛先もぼくが書いたんだっけ…」
凄く下手だよね、ぼくが書いた字。郵便屋さんに笑われそうだよ、読めやしない、って。
頑張ったつもりだったけど…。今になって見たら恥ずかしいかも…。
「そんなことないわ、上手な字よ。だって、ブルーが幼稚園の頃よ?」
子供は誰でもこんなものなの、恥ずかしくなんかないのよ、ブルー。
それにね、この葉書はママたちの宝物だから。
家のポストに届いた時から、大切な宝物なのよ。ブルーから貰った初めての手紙。郵便屋さんが届けてくれた最初の手紙よ、ブルーが「はい」って渡してくれてた手紙と違って。
言われてみれば、「手紙ごっこ」は何度もやった。画用紙や折り紙に描いた絵や文字、そういう手紙を父にも母にも手渡していた。「お手紙あげる!」と得意満面、郵便ではない子供の手紙。
(初めての手紙…)
郵便ポストに届くという意味では、確かに最初の手紙だろう。この葉書が。下手くそな字が少し恥ずかしいけれど、懐かしくも思える幼稚園から出した葉書が。
「ママ、なんでこんなの出して見てたの?」
何か気になることでもあったの、ぼくの葉書に。今頃になって見てるだなんて…。
「ブルーはブルーね、って思っていたのよ」
この葉書が家に届いた頃には、ソルジャー・ブルーだとは思いもしなかったわね、って。
「ごめんなさい…。ぼく、変なのになっちゃって…」
生まれ変わりなんかになっちゃって。それまではずっと、パパとママの子供だったのに。ママが産んでくれたから、ぼくがいるのに…。
「それはいいのよ、前にも話してあげたでしょ?」
ブルーは少しも変わっていないわ、ちょっぴり記憶が増えちゃっただけ。
ソルジャー・ブルーの分が余分について来ただけで、ブルーはブルーよ、前と同じよ。この家で暮らして、パパとママの子で。学校にもきちんと通っていて。
でも…、と優しく微笑んだ母。たまに確認したくなるの、と。
「ブルーはママのブルーよね、って。この家で大きくなったんだわ、って」
ソルジャー・ブルーでも、ブルーはブルー。
赤ちゃんの時からこの家で育って、間違いなくママのブルーなのよ、って確かめたくなるの。
ソルジャー・ブルーは英雄だったけど、今はママたちの子供なんだから、って。
「それで葉書なの?」
ぼくが初めて出した手紙を見てたの、ぼくが幼稚園に行ってた証拠の?
「そうよ、宝物が役に立っているのよ」
ママたちが貰った大切な手紙。ブルーは手紙を出してくれたし、こんな頃からずっとママたちの側にいてくれて、今もいるでしょ?
赤ちゃんの頃の写真もあるけど、ブルーから貰った手紙は特別。幼稚園に行ってた頃のブルーがいたって証拠よ、ブルーが描いた絵と、書いてくれた字。
母の宝物だという葉書。幼稚園から出して貰った葉書。
子供が描いた絵と下手くそな宛先、それでも宝物にしている母。遠い地域に住む祖父母たちも、手紙を大事に持っているらしい。ブルーが今までに出したものを、全部。
「全部?」
お祖父ちゃんたちが全部持っているの、ぼくが書いた手紙を?
葉書も手紙も、捨てないで全部持ってるの…?
「そうよ、きちんと箱に入れてね。これはブルーから届いた手紙、って」
誰でも、そういうものなのよ。大切に持ってて、ママみたいに時々、取り出して読むの。
そしたらブルーが側にいるみたいに思えるでしょう?
今のブルーも、もっと小さな頃のブルーも。
「えーっ!」
宝物だって言うの、お祖父ちゃんたちまで箱に仕舞って残しているの?
ぼくが出した手紙、全部、宝物にされちゃってるんだ…?
上手に書けた手紙はともかく、下手な手紙も沢山ある筈。小さな頃にはせっせと手紙を書いたりしたから、きっと山ほど。
まさか宝物になっていたとは思わなかったから、手紙が残っているのはショックで。
(…ホントに下手くそなのが沢山…)
あんまりだよ、と母に訴えたけれど、「この葉書と同じで宝物なのよ」と笑みが返っただけ。
祖父母たちにとっては大切なもので、今も見ているかもしれないと。こんな頃もあったと、まだ小さかったと、最初に貰った手紙を眺めているのかも、と。
そう言われたら、もう敵わないから。勝てはしないから、曖昧に笑っておくしかなくて。
おやつを食べ終えて部屋に戻ってから、頭を抱えた宝物の手紙。祖父母の大切なコレクション。下手くそな手紙も多いのに。きっと沢山ある筈なのに。
(…捨てちゃって下さい、って手紙を出す?)
上手に書けている手紙以外は捨てて下さい、と手紙を書いたら、祖父母に届くだろうけれど。
郵便配達の人がポストに届けてくれるだろうけれど、その手紙だって手紙だから。ブルーからの手紙に違いないから、下手な手紙を捨てる代わりに、その手紙まで残してしまわれそうで。
「ブルーがこんな手紙を寄越した」と面白がられて、大切に箱に入れられそうで。
(それじゃ駄目だよ…)
祖父母たちのコレクションがまた増えるだけ。「捨てて下さい」という情けない文面が綴られた手紙はきっと特別扱い、宝箱の一番上に仕舞われてしまうに違いない。捨てるものか、と。
(お祖父ちゃんたちの宝物…)
手紙を残されていたなんて知らなかったと、恥ずかしすぎると、溜息しか出て来ないけれども。本当に顔から火が出そうだけれど、ハタと気付いた。
自分だったらどうだろう?
宝物にしたいような手紙を受け取ったのが自分だったなら。それがポストに入っていたなら。
(ハーレイの手紙…)
それを自分が貰ったことは無いけれど。ポストに入っていたことも無いし、手渡されたことさえ無いけれど。ただの一度も手紙は貰っていないけれども、貰えばきっと残しておくから。どんなにつまらない用件だろうと、大切に机の引き出しに仕舞っておくのに違いないから。
(お祖父ちゃんたちも一緒…)
仕方ないか、と手紙の処分はもう諦めることにした。恋人からの手紙も、孫からの手紙も、貰う方にとっては宝物だから。捨ててしまうなど、とんでもないから。
(これからは上手な手紙を書こう…)
祖父母に宝物にされても、恥ずかしくない立派な手紙。文面はもちろん、字だって綺麗に。そう決めたけれど、これ以上の恥はかくまいと心に決めたのだけれど。
でも…。
祖父母の気持ちが理解出来た切っ掛け、恋人からの手紙。ハーレイの手紙。
(…貰っていないよ…)
今の自分も貰っていないし、前の自分も貰っていない。ただの一度も、葉書でさえも。
ハーレイの手紙なんかは知らない。どういう手紙を書いて寄越すのか、自分は知らない。一度も貰ったことが無いから。ハーレイの手紙を読んだことが一度も無いのだから。
(今のぼくは駄目でも、前のぼくなら…)
子供扱いの自分はともかく、本物の恋人同士だった前の自分の方なら、ラブレターの一通くらい貰っていてもいい筈なのに、と思ったけれど。それが当然、と考えたけれど。
恋人同士には違いなくても、前の自分たちは誰にも秘密の恋人同士。ソルジャーとキャプテンが恋人同士だと明かせはしないし、最後まで隠し続けたのだから、ラブレターなどは…。
(貰えないよね?)
手紙という形で愛を綴ったら、何処から漏れるか分からない。形にしてはならない恋。
だからラブレターは一度も貰っていないし、自分も書きはしなかった。前の自分も、ハーレイも持っていなかった。手紙という名の宝物は。ただの一通も、ただ一枚の葉書でさえも。
そうだったっけ、と納得したのだけれど。
(ちょっと待って…!)
手紙という名の宝物。今の自分の母も祖父母も、大切にしている自分の手紙。今の自分が書いた手紙が宝物だと聞いたのだけれど。
(…前のハーレイ…)
前のハーレイの手元には何も残らなかった。宝物どころか、前の自分がいた名残すらも。
前の自分がいなくなった後、メギドで死んでしまった後。ハーレイは前の自分の銀色の髪の一筋でも、と青の間へ探しに行ったのに。部屋は綺麗に掃除されてしまって、何も残っていなかった。前の自分が綺麗好きだったから、係が掃除をしてしまって。
係は知らなかったから。前の自分が二度と戻らないとは夢にも思っていなかったから。
戻ったら直ぐに休めるようにと、整えられていたベッドに、水まで入れ替えられた水差し。前の自分が最後に水を飲んだのかどうか、それさえもハーレイには分からなかった。
そんな青の間に銀の髪など落ちてはいなくて、前のハーレイは何も持つことが出来なくて。
前の自分を偲ぶためのものは何一つ無くて、長い年月を独りぼっちで生きて死んでいった。青くなかった地球の地の底で、白いシャングリラを無事に地球まで運んだ後で。
もしもあの時、手紙を書いておいたなら。
メギドに向かって飛び立つ前に、ハーレイに宛てて手紙を一通、書いていたなら…。
ハーレイはそれを宝物にすることが出来ただろう。母が持っていた葉書のように。祖父母の家で箱に仕舞われているらしい、今までに書いた手紙のように。
前のハーレイはそれを宝物にして、何度も取り出して読めただろう。何度も何度も繰り返して。中身をすっかり暗記するほどに、開かずともすらすらと思い出せるくらいに。
(ラブレターじゃなくても…)
前のハーレイへの別れの挨拶。長い年月、共に生きてくれたことへの感謝をこめて。
それを書いてからメギドに行けばよかった、ハーレイに宛てた手紙を残して。
あんな風に言葉を残すよりも。
腕に触れて思念を送り込んだだけの、何の形も残らない別れの言葉よりも。
(言葉も残さなきゃいけなかったけれど…)
ジョミーを支えてやってくれ、という言葉は必要だったけれども。それだけだった別れの言葉。
「頼んだよ、ハーレイ」と、告げて終わりで、それも必要だったのだけれど。ソルジャーとして言うべきことだったけれど、恋人同士の別れは告げられなかったけれど。
(…あれはブリッジだったから…)
ブリッジで、皆が周りにいたから。恋人同士だと知られるわけにはいかなかったから。
だから最後まで、別れの時までソルジャーとキャプテン、そう振舞った。自分もそうだったし、ハーレイの方でも自分を止めはしなかった。これが最後だと分かっていても。二度と会えないと、もう戻らないと気付いていても。
けれど、手紙を残していたら。それを書いて置いて行ったなら。
手紙が何処に置いてあろうとも、キャプテン宛の手紙だったら、誰も開けたりしなかったろう。開いて中を読むよりも前に、ハーレイの許へ届けただろう。
ソルジャーの手紙なのだから。それも最後の、キャプテン宛の手紙。
内容は機密事項か何かで、シャングリラの今後を左右するかもしれない手紙。キャプテンだけが知るべきことだと、それで充分だと、誰も中身を知ろうとも思わなかっただろう。
手紙を見付けたのがエラやヒルマンといった長老たちでも、ジョミーであっても。
(ハーレイが死んじゃった後に誰かが見ても…)
大丈夫な手紙を書けば良かった。恋人同士には見えない手紙を、親しい友からの別れの手紙を。
「ありがとう」と。「君のお蔭で楽しかった」と、「またいつか会おう」と。
そういう手紙を残せば良かった、そうすればハーレイは宝物を一つ持っていられた。前の自分の髪の一筋が無かったとしても、代わりに手紙。前の自分が綴った手紙を。
それがあったら何度でも読めた、前の自分が綴った言葉を、想いを何度も読み返せた。何処にも愛の言葉が無くても、手紙の向こうにそれを読み取れた。「ありがとう」と、「愛していた」と。
たった一通の手紙さえあれば。「ありがとう」と書かれた手紙があれば。
(ぼくって、馬鹿だ…)
どうして思い付かなかったのだろう、ハーレイに手紙を残すことを。それを綴ってゆくことを。
時間は充分にあったのに。下書きをしたり、文を練ったり、そんなことさえ出来ただろうに。
(…手紙なんか書いていなかったから…)
前の自分が生きていた頃、手紙を書く習慣は無かったから。
白いシャングリラに郵便配達のシステムなどは無くて、ポストも存在しなかったから。
ハーレイに宛てて書くのはもちろん、他の仲間たちに宛てても手紙を書きはしなかった。私的な手紙も、公的な手紙も、ただの一度も。
ソルジャー主催の食事会などには招待状もあったけれども、あれは手紙とは言わないだろう。
シャングリラには無かった手紙なるもの。
前の自分も書かなかったし、ハーレイからも届かなかった。レトロな白い羽根ペンで航宙日誌を綴ったハーレイでさえも、手紙は思い付かなかったといった所か。
(でも、ラブレター…)
愛の手紙を交わす恋人たちならいた。レターセットも存在していた。配達するためのシステムは無くて、自分で届けるか誰かに頼むか、そんな手段しか無かったけれども、手紙はあった。
ラブレターだの、招待状だの、そういった時のものだったけれど。私的どころか趣味の世界で、そうでなければ演出手段。ソルジャー主催の食事会です、と招待状が出されたように。
とはいえ、手紙はあったのだから。レターセットも手に入れられたのだから。
(一度くらい…)
書けば良かった、ラブレターを。前のハーレイに宛てて、想いを綴って。
恋人同士の仲は秘密だから、「読んだら捨てて」と言ってでも。本当に捨てられてしまっても。
ハーレイがどんなに恥ずかしがっても、「愛しているよ」と想いをこめて。
そんな手紙は書かないにしても、別れの手紙。それだけは書いておくべきだった。
ソルジャーからキャプテン宛のものでも、中身もそういうものであっても。長い年月を白い鯨で共に過ごした、友への別れの手紙であっても。
(…お別れなんだし、もっと欲張りに…)
最初で最後のラブレターを書いても良かったかもしれない。ソルジャーからキャプテンに宛てた最後の手紙は、誰も開けたりしないから。中を見ようとはしないだろうから。
ハーレイへの想いを、心のままに。いつまでも好きだと、愛していると。たとえこの身が消えてしまおうとも、魂は君の側にいるから、と。
そう綴ってから逝くのも良かった、ハーレイへの愛を、想いの全てを。
手紙を開けようとする者はいないし、内容を知ろうとする者だっていないのだから。
(燃やせ、って書いておいたなら…)
読み終わったら燃やしてくれ、と書き添えておけば、秘密は漏れなかったと思う。最初で最後の愛の手紙は灰になって消えて、ハーレイの心の中にだけ。前の自分の想いと共に。
(でも、ハーレイは…)
きっと燃やさずに残しただろう。誰にも気付かれない場所に。
そうして取り出して、何度も何度も読んでいたろう、「燃やせ」と書き添えられた手紙を。
流石に地球に降りる前には処分したかもしれないけれど。
暗殺の恐れもあった地球だから、これは駄目だと燃やしたのかもしれないけれど。
もしも手紙を残していたら、と考えるほどに、書いておけば良かったと心が締め付けられる。
どうして思い付かなかったかと、手紙を残すべきだったと。
(ホントに馬鹿だ…)
時間は沢山あったのに、と自分を責めていたら、チャイムが鳴って。窓に駆け寄ったら、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
これは訊くしかないだろう、とハーレイが部屋に来るのを待った。いつものように向かい合って座って、母の足音が消えてから…。
「ハーレイ、ラブレター、欲しかった?」
「はあ?」
なんの話だ、と鳶色の瞳が丸くなったから。
「前のぼくからのラブレターだよ、それがあったら良かったかな、って…」
ママがね、ぼくが幼稚園の時に出した葉書を大切に持っているんだよ。ママの宝物なんだって。
お祖父ちゃんたちも、ぼくが出した手紙を全部大事に残しているって聞いたから…。
それで考えたんだよ、前のハーレイのことを。
前のハーレイ、前のぼくの手紙が残っていたなら、独りぼっちでも少しは辛くなかった?
「お前からの手紙か…。なるほどなあ…」
そりゃあ、少しは紛れただろうな、前の俺が感じていた孤独。
手紙を開けば、そこにお前の書いた字と言葉が残ってるんだし…。
きっとお前の声まで聞こえるような気持ちになっただろうなあ、読んでいる時は。
「やっぱり、そういうことなんだ…。前のぼくの手紙が残っていたら」
ごめんね、ぼくは思い付かなかった。手紙を書こうと思いもしないでいたんだけれど…。
ハーレイに手紙を書けば良かった、普段は一度も書いてなくても、お別れの時に。
「お別れって…。メギドの時のことか?」
「うん。…行く前に時間は充分あったよ、長い手紙でも書けたんだよ」
あんな言葉を残して行くより、手紙を書いておけば良かった。
キャプテン宛の手紙だったら、青の間にあっても誰も開けたりしないから…。ソルジャーからの最後の手紙で、きっと大事な中身なんだと思うだろうから…。
誰が見付けても、ハーレイの所へちゃんと届くよ、開けられないで。手紙に何が書いてあったか訊かれもしないよ、機密事項かもしれないから。エラたちにだって言えないような。
そうやって青の間に残してもいいし、ハーレイの部屋に瞬間移動で届けておいても良かったね。ハーレイの机の上に置くとか、引き出しの中に入れておくとか。
そういう手紙だよ、ハーレイのための。
…ぼくが何処にもいなくなっても、ハーレイが寂しくないように。ぼくの手紙を読めるように。
ぼくからの最後のラブレターなんだよ、最初で最後の。
「…ラブレターなのか?」
お前が俺宛に書いていく手紙、中身はラブレターだったのか?
普通の別れの手紙じゃなくてだ、ラブレターを書きたかったのか、お前…?
「それも良かったかな、って思って…」
前のぼくは手紙を書こうとも思っていなかったけれど、今のぼくだから思うことだけど…。
同じ手紙を書くんだったら、ラブレターの方がハーレイだって嬉しくない?
ちゃんと「読み終わったら燃やしてくれ」って書いておくから、ラブレターだよ。
…残しておいても大丈夫なように、普通の手紙でもいいんだけれど…。
「おいおい、ラブレターってヤツはマズイぞ、マズすぎるってな」
俺たちの仲がバレちまうじゃないか、そんな手紙を置いて行かれたら。
お前が「燃やしてくれ」と書いていようが、「捨ててくれ」と大きく書いてあろうが。
…俺はそいつを捨てられやしない、お前からの最後の手紙なんだぞ?
しかも最初で最後のラブレターなんぞを貰っちまったら、捨てられるわけがないだろうが。
燃やせもしないし、そいつはマズイ。
ラブレターじゃなくて普通の手紙で頼みたかったな、書いてくれると言うならな。
親友向けの別れの手紙で充分じゃないか、まるで手紙が無いよりは。
前の俺はお前の手紙なんか一つも持ってはいなかったんだし、そういう手紙で満足だったさ。
普通の手紙にしておかないと後で色々とマズイことに…、と苦笑するハーレイ。
前の自分は
手紙を処分出来はしないし、歴史も変わってしまっただろうと。
「いいか、シャングリラに残っちまうんだぞ、前のお前のラブレターが」
前の俺が死んじまったら、航宙日誌と同じでキャプテンの部屋から発掘されて、だ…。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは本当は恋人同士でしたと、すっかりバレてしまうことになるんだが…。
シャングリラどころか、宇宙全部に話が広がっちまうんだが…?
「そうなっちゃうかもしれないけれど…。ハーレイが処分しないままなら、そうなるけれど…」
地球に降りる前なら、どうだった?
ハーレイ、何度も言っているよね、暗殺されるかもしれないと思っていたってこと。
暗殺の心配があるんだったら、前のぼくの手紙、処分してから出掛けない…?
「ああ、地球なあ…!」
地球があったな、あの時は確かに死ぬかもしれんと思って出掛けて行ったわけだし…。
後に残ってマズイようなものを持っていたなら、処分してから出掛けただろうな。
しかしだ、前のお前の手紙となったら、処分する代わりに大切に持って降りたかもしれん。
前のお前が行きたかった地球だ、あんなとんでもない星でもな。
お前を連れて行くような気持ちで、誰にも見られないよう、服の下に大事に仕舞い込んで。
「地球に来たぞ」と、「ちゃんと見えるか?」と服の上から何度も押さえて。
そうやって持って行っただろうなあ、処分するより、俺と一緒に地球へ降りようと。
前の自分がラブレターを書いて残していたなら。
「燃やしてくれ」と書いてあっても、ハーレイは大切にそれを持ち続けて、繰り返し読んで。
最後は地球まで持って行ったと、懐に入れて一緒に地球へ降りたのだろうと話すから。
「それなら処分出来たじゃない。前のぼくの手紙」
誰もあったと気付きはしないよ、ハーレイの服の下だったなら。
ハーレイはタイプ・グリーンだったんだし、遮蔽はタイプ・ブルー並みだよ?
そんなハーレイが何を持っていたか、トォニィにだって分かりはしないし、気が付かないし…。
前のぼくの手紙、地球の地面の下で燃えてしまったと思うんだけど…?
どんなに長いラブレターでも、ハーレイのことが好きだってハッキリ書いてあっても。
「…そうか、その手紙、地球で燃えちまうんだな、俺の身体と一緒にな」
前の俺の身体は何処へ消えたか、誰にも分からないんだし…。
ユグドラシルがあった辺りで死んだらしい、としか記録も残っていないんだし…。
なら、バレないのか、前のお前が書いておいてくれたラブレター。
後生大事に残していたって、そんな手紙があったことすら、誰にも分からないんだな…?
「うん、燃えちゃったらおしまいだからね」
前のぼくが書いておいた通りに、燃えてしまって消えるんだよ。
前のハーレイが自分で燃やさなくても、最後まで大事に持っててくれても。
ぼくの手紙は残りはしなくて、前のハーレイと恋人同士だったこともバレずにおしまい。
前のぼくが最後に書いた手紙が、ハーレイへのラブレターだったってことも。
前のハーレイに宛てて書いた手紙は、どんな中身でもハーレイの慰めになっただろうから。
最初で最後のラブレターを書いて残したとしても、その手紙は誰にも知られることなく、地球の地の底で消えただろうから。
「…ハーレイに残しておけば良かったね、手紙…」
メギドへ行く前に、レターセットをコッソリ貰って来て。
親友っぽく書いた手紙でもいいし、最初で最後のラブレターでも良かったし…。
書いて青の間に置いておくとか、ハーレイの部屋に届けておくとか。
そしたら、その手紙、ハーレイの宝物になったんだろうし、ハーレイは何度も読み返せたし…。
本当に書いておけば良かった、どんな手紙でも。ラブレターでも、そうじゃなくても。
「そうだな…。前のお前の手紙というのも良かったな…」
親友向けの別れの手紙だったら、俺は号泣していただろう。最後まで隠しやがって、と。本当はこんな手紙じゃなくって、別のことを書きたかったんだろうに、と。
…ラブレターだったら、もっと泣いたな。「燃やしてくれ」と書いてあったら、余計にな。誰が燃やすかと、俺に出来ると思うのか、と。
お前だけ勝手に逝きやがってと、この手紙の返事を書こうにもお前がいないのに、と。
親友向けだろうが、ラブレターだろうが、きっと読む度に俺は泣いたんだ。
書いていた時のお前を思って、お前に返事を書いてやりたいと、何度も何度も。
だがな…。
読む度に泣くしかない手紙でも、欲しかったかもな、とハーレイが言うから。
そういう手紙を貰っていたなら、きっと宝物にしていただろうと、遠く遥かな時の彼方を鳶色の瞳で見ているから。もしもあの時、手紙があれば、と思っているのが分かるから…。
「あのね…。前のぼくは手紙を書かないままになっちゃったけど…」
ハーレイに手紙を渡せないままで終わったけれど。
今度はきちんと手紙を書くよ。前のハーレイが欲しかった手紙の代わりに、手紙。
「手紙って…。お前、何処へ行くつもりなんだ?」
旅行にでも行くのか、お父さんたちと?
家族旅行に出掛けた先から俺に手紙か、絵葉書とかか?
「ううん、違うよ。ちょっと近くまで」
ハーレイと結婚した後のことだよ、ハーレイの留守に、ぼくが近所に出掛ける時。
まだ仕事から帰ってない時とか、柔道の道場に行ってる時とか。
もうすぐハーレイが帰りそうだけど、と思う時間に、買い物を思い出したりした時のこと。
行って来ます、と書いたメモの手紙を置いておくよ、と笑ったら。
直ぐに戻るから、って行き先も書いておくから、早く帰ったら迎えに来てね、って甘えたら。
「近所までか…。それなら許す」
メモを見付けたら、俺は急いで迎えに行くが…。
その手の手紙は大歓迎だが、別れの手紙は厳禁だぞ?
どんなに熱烈なラブレターだろうが、そいつは要らん。前の俺が貰い損ねたヤツはな。
「お互い様だよ、ぼくもそんな手紙は貰いたくないよ」
ハーレイからお別れの手紙だなんて、もう絶対に要らないからね!
お断りだし、ぼくも書かない。お別れなんかは無いんだから。
ずうっとハーレイと一緒なんだし、そんな手紙は書かなくってもいいんだから…!
そう、今度は二人、何処までも一緒。
青い地球の上で二人で暮らして、手を繋ぎ合って歩いてゆく。
死ぬ時も二人一緒なのだから、そうするつもりなのだから。
別れの手紙は書かなくていいし、そんな機会も巡っては来ない。
だから普段に、ハーレイに宛ててメモくらい。
ほんの近所まで出掛けるけれども、ハーレイが帰るまでに戻れそうにない時は、小さなメモ。
行って来ますと、直ぐに戻るよ、と短い手紙。
早く帰ったら迎えに来てね、と行き先も書いて、ハートマークも添えたりして…。
宝物の手紙・了
※前のハーレイに手紙を残して行けば良かった、と思ったブルー。メギドに飛ぶ前に。
それがあったら、ハーレイも救われた筈なのですが…。書けなかった分まで、今度は幸せに。
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