シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうむ…)
こいつは全く知らなかった、とハーレイが覗き込んだ新聞記事。
ブルーの家には寄れなかったから、夕食の後でダイニングで。愛用の大きなマグカップに淹れたコーヒー片手に寛ぎの時間。書斎に行く日も多いけれども、今夜はゆっくり新聞を、と。
その新聞の中、「最後の花」という見出し。添えられたエーデルワイスの写真。真っ白な綿毛に覆われた花が美しい高山植物。最後の花とはどういう意味か、と読み始めたのだけれど。
エーデルワイス。
それが地球で最後に咲いていた花。今の蘇った青い地球ではなくて、滅びゆく地球で。
SD体制に入ると決定した時、人類は全て地球を離れた。誰一人として残ることは出来ず、死の星と化した地球を後にした、宇宙船に乗って。もう二度と見られぬ地球に別れを告げて。
人の世界は変わってゆくから、生き方も何もかもSD体制の開幕と共に変革されるから。地球にいた人々に次の世代は無かった。幼い子供にも、若い夫婦にも、その胎内の赤子にさえも。
彼らはいったい、どんな思いで地球を離れて行ったのか。自分たちが残りの生を送るための星へ旅立って行ったのか。記録は殆ど残されていない、彼らも滅びていったのだから。
母なる地球から遠く離れた植民惑星、其処だけで生きて。SD体制の時代を生きた者たちからは忘れ去られて、マザー・システムからの保護も受けられずに。
地球を去ってゆく彼らの船。二度と戻らない、戻れない船。
悲しみの涙が満ちていたろう、地球の大地に永遠の別れを告げてゆく船。
その旅立ちを地球の上から見送った花がエーデルワイス。滅びゆく地球で開いた最後の花。
もちろん、人が住めない大地にエーデルワイスが咲けるわけがない。植物などが育ちはしない。人工的に創り出された環境、そんな場所でしか。
エーデルワイスはユグドラシルの側に咲いていたという。地球の再生を託されたユグドラシル。その中にまだ人はいないけれども、SD体制が人を育てるまでは無人だけれど。
いつか機械が育てた人類が地球に戻って、ユグドラシルから地球を蘇らせてゆくだろうから。
マザー・システムとグランド・マザーに守られて青い水の星を取り戻してくれるだろうから。
いつか必ず、と地球を離れる人々が咲かせたエーデルワイス。
高く聳え立つユグドラシルの下に、強化ガラスのケースを据えて。中の環境を整えてやって。
この花が自然に育つ環境が地球に再び蘇るように、と祈りをこめて。
エーデルワイスは不死と不滅のシンボル、永遠を意味する花だと語り継がれていたから。地球がまだ青い星だった頃に、採集されすぎて絶滅しかかった過去を持っていた花だったから。
地球が永遠であるように。
エーデルワイスが滅びることなく生き残ったように、この星もまた蘇るように。
どうか、と人類が植えていった花。
自分たちは二度と戻れはしないけれども、地球は永遠であるようにと。
ガラスケースの中のエーデルワイスはきっと滅びてしまうだろうけれど、その花の代わりに次の花たちが、蘇った地球に新しいエーデルワイスの株が根付いて花開くようにと。
そうして人類の船は旅立った、エーデルワイスの花を残して。
エーデルワイスは船を見送った、もう戻らない人類の船を。強化ガラスのケースの中から。白く美しい花を咲かせて、滅びに向かいつつあった地球の大地で。
(SD体制の時代には消されていたデータなのか…)
新聞記事にはそう書いてあった、当時の人々は知らなかったと。
ユグドラシルの側に強化ガラスのケースが据えられていたということも、エーデルワイスの花のケースであったことも。
地球から去って行った人類の思いは知らない方が良かったから。
管理出産と機械による統治、そんな時代に「最後に人らしく生きた人々」の存在はタブー。遠い星で次の世代も作れず、滅び去っていった人々のことは深く考えない方がいい。
彼らの思いは、悲しい最期は、SD体制を良しとする世界ではマイナスにしかならないから。
何を思ってどう生きたのかも、どんな思いで母なる地球を後にしたかも。
だから封印されていたデータ。かつての多様な文化も消されてしまったけれども、それに纏わるデータ以上に、厳重に。
(誰も知らずにいたってわけか…)
ユグドラシルの側のガラスケースも、中に咲いていたエーデルワイスも。
滅びゆく地球に祈りをこめて植えられ、去ってゆく船を見送った最後の花だったのに。人工的に創り出された空間の中で、強化ガラスのケースの中で。
(ケースもその内に割れたんだろうが…)
SD体制の下で生まれた人類が育ち、ユグドラシルに入る頃には割れてしまっていたのだろう。跡形もなく壊れていたのか、それとも何が入っていたかも分からないようになっていたのか。
人類はそれに気付かなかった。エーデルワイスを育てたケースに。地球の最後の花のケースに。
それから長い時が流れて、SD体制が滅びるまで。
マザー・システムが管理していた、情報の封印が解かれる日まで。
地球の上に咲いた最後の花が何であったか、どんな思いで人々がそれを残したのか。知られないままで流れた時間。
前の自分もその時代を生きた、最後の花のことなど知らずに。
いつか地球へとブルーと二人で夢を見ていても、その地球の上に人類が残したエーデルワイスは知らずに終わった。
白いシャングリラのデータベースにも、宇宙の何処にも、情報は何も無かったから。封印された情報などは、引き出す術が無かったから。
(最後の花なあ…)
これがそうか、と新聞記事のエーデルワイスの写真を覗き込む。
ガラスケースの中とは違って、自然の中での写真だけれど。ハイキングコースの脇に咲いていたエーデルワイスの花だと書かれているけれど。
エーデルワイス。今の時代にも愛されている高山植物、それを目当てに山に出掛ける人もいる。
ただ、高い山の花だから。おまけに、今の自分が住んでいる地域にエーデルワイスは…。
(無いんだよなあ…)
かつて日本と呼ばれた小さな島国、それがあった場所にエーデルワイスの花は無かった。たった一ヶ所だけを除いて、ただ一つだけの山を除いて。
ハヤチネウスユキソウ。かつての日本のエーデルワイス。
早池峰山という山の頂でだけ咲いた固有種、他の山には無かったという。だから今でも、其処に行かないと見られない。早池峰山があった辺りに聳える高い山だけに咲くエーデルワイス。
今の自分は見たことが無いし、見に出掛けたいと思ったことも無いのだけれど。
(待てよ…?)
白い花を咲かせるエーデルワイス。本などで何度も目にしてきた花。
星を思わせる花の形に、綿毛に覆われた独特の姿。ふうわりと柔らかそうな花。
それを自分は知っている。自分ではなくて前の自分が、キャプテン・ハーレイだった自分が。
前の自分が確かに見ていた、エーデルワイスを。白い星の形をしていた花を。
本やデータで見たのではなくて、肉眼で。
手を伸ばしたら触れそうなほどに近い所で、その気になったら摘めそうな場所で。
(何処だ…?)
エーデルワイスなどを何処で見ただろうか、前の自分は?
今も昔も高山植物、園芸品種があるという話は耳にするけれど、そうそうお目にはかかれない。現に自分は知らないわけだし、前の自分ともなれば尚のこと。
(シャングリラの中しか有り得ないんだが…)
そのシャングリラは自給自足で飛んでいた船、宇宙船。高い山などあるわけがない。けれども、自分は確かに目にした。エーデルワイスを、あの白い花を。
(あんなのが何処にあったんだ…?)
花と言ったら思い出すのは公園だけれど。ブリッジから見えた広い公園、様々な植物が植わった憩いの場所だったけれど。
思い出せないエーデルワイス。あの公園で見たなら、覚えていそうな筈なのに。
エーデルワイスが咲いていた場所からも、ブリッジは見えていただろうから。白い花から視線を上げたら、自分の居場所が見えたろうから。
けれど全く無い記憶。エーデルワイスとブリッジはまるで繋がらない。
そうなってくると…。
(…公園じゃないのか?)
バラエティー豊かな植物と言えば、あの公園。子供たちがよく遊んだ公園。
ただ、公園は他に幾つもあったから。居住区の中などに幾つも鏤められていたから、そういった公園の一つだったろうか?
(しかし、エーデルワイスだぞ?)
今でも珍しいエーデルワイス。今の自分が一度も目にしていない花。
それほどに特別な植物なのだし、シャングリラの中で植えるとしたなら、貴重品扱いだった筈。小さな公園に植えるよりかは、ブリッジが見える広い公園、そうなりそうな花なのに。
(どう考えても、あの公園しか…)
他の公園は規模も小さくて、緑に親しむための場所。栗の木があったり、サクランボだったり、それぞれ特徴があったけれども、エーデルワイスの記憶は無い。
いったい何処で見掛けたのだと、記憶違いかと遠い記憶を幾つも手繰り寄せて…。
一向に浮かんでくれない記憶。思い出せないエーデルワイスが咲いていた場所。
溜息をついて、新聞記事へと落とした視線。花の写真は参考にならず、もう一度、記事を読んでいったら。遠い昔に滅びかけた頃のエーデルワイスのくだりが目に留まった。
採集されすぎて数が減っても、人はエーデルワイスを求めたから。手に入れようと山に登って、崖から落ちて命を失くした者もいたほど。険しい岩場に生えていたというエーデルワイス。
(あれか…!)
岩場で一気に蘇った記憶、ヒルマンが作ったロックガーデン。
名前そのままに岩を配して、高山植物が植えられた公園。空調もそれに相応しくして。
規模は小さなものだったけれど、中身は本格的だった。他の公園とは違った植生。
船の中が世界の全てだったから、外の世界には出られないから。
其処で育ってゆく子供たちのためにと、高山植物を教えてやりたいと言ったヒルマン。
そういう公園が一つあったら、大人たちの心もきっと豊かになるだろうから、と。
反対する者は一人も無かったロックガーデン。
何かといえば「役に立たんわ」が口癖だったゼルも、これには反対しなかった。子供好きだったせいもあるだろう。いつもポケットに子供たちのための菓子を忍ばせていたほどに。
(何を植えるかで会議になって…)
公園の管理をしていた者たちとヒルマンとで大筋は決まったけれど。
長老と呼ばれるようになっていた前の自分にゼルやブラウたち、それにブルーが加わった会議で承認されれば、後は公園を作るだけだけれど。
配られた植物の資料の中で、「これだけは入れたい」とヒルマンがこだわったエーデルワイス。
「なにしろ、シャングリラの白だからね。この花の色は」
それに…、と説明を続けたヒルマン。
エーデルワイスの名前は「高貴な白」の意味だという。地球があった頃のドイツの言葉で。白いシャングリラに似合いの花だと、高貴な白を是非植えたいと。
それにエーデルワイスは元々は薬草、「アルプスの星」と呼ばれて珍重された。美しい姿も目を惹いたから、人に採られて減った野生種。
一時は絶滅しかかったほどで、採集が禁止されたという。そこまで数が減ってしまっても、高い崖にしか咲かなくなっても、それでも命永らえた花。地球が滅びてしまうまでは。
採り尽くされそうになってしまったのに、生き残ったというエーデルワイス。
人類に追われ、アルタミラで星ごと殲滅されそうになったミュウの船には相応しいと。
この花のように強くあろうと、生き延びようと。
「高貴な白」の名を持つ植物、人に絶滅させられかかった過去を持っているエーデルワイス。
ヒルマンのこだわりに誰もが頷き、エーデルワイスがロックガーデンの主役と決まった。それを植えようと、エーデルワイスの庭にしようと。
(前のあいつが奪いに出掛けて…)
白いシャングリラは、もう略奪とは無縁の船だったけれど。自給自足の船だったけれど、特別なものを導入するには奪ってくるより他にないから。
そういう時にはブルーの出番で、ロックガーデンに植えたい植物を全て調達して来た。人類側の植物園やら、園芸用の苗を扱う場所やらで。
それをヒルマンが主導して植えて、岩なども置いて、完成したエーデルワイスの庭。
「高貴な白」のエーデルワイスが美しく咲いた、他に幾つもの高山植物を従えて。白い花びらを星のように広げ、艶やかな緑の葉をアクセントにして。
「へええ…。こりゃまた、綺麗な花だねえ…!」
本当に星みたいな形じゃないか、と声を弾ませて見ていたブラウ。
地球のアルプスは知らないけれども、「アルプスの星」と呼ばれていたのも納得だよ、と。
「高貴な白と言うのも分かるのう…」
実に不思議な魅力のある花じゃて、しかも高い山にしか咲かんと聞いたら尚のことじゃ。
わしらの船にピッタリじゃわい、とゼルも褒めちぎった。いい花が咲いたと。
想像したよりも大きかった花、もっと小さいかと思っていた花。
(指先くらいとまでは言わないんだが…)
儚く小さな花だと思ったエーデルワイス。それは意外に大きめの花で、遠目にもそうだと分かる白くて美しい星。この花が崖に咲いていたなら目に入るだろう、摘んでみたくもなるだろう。
白い綿毛に覆われた花。高貴な白の名を持つ、アルプスの星を。
けれど、白いシャングリラのエーデルワイスは摘むことを禁止された花。大人はもちろん、子供たちさえも。
「これは珍しい植物だから」と、エーデルワイスの歴史を子供たちに教えたヒルマン。
一度は滅びそうになったほどの植物、それを摘んではいけないと。
そういう教育も必要だからと、エーデルワイスの株が増えても禁止令は解かれはしなかった。
ロックガーデンに幾つもの星が咲いても、高貴な白が鏤められても。
(そして、あいつも…)
前のブルーも見ていたのだった、エーデルワイスを。咲く度にロックガーデンに行って。
「この花は地球にも咲くんだよね」と、「今のアルプスはどんなだろうか」と。
きっとこんな風だ、とロックガーデンを、エーデルワイスを眺めたブルー。地球のアルプスにもエーデルワイスが咲いているだろうと、地球の風に揺れているのだろうと。
いつも通って眺めているから、飽きずに花を見詰めているから。
「摘んでもいいのではありませんか?」
あなたならば、と何度も声を掛けたけれど。
船の仲間たちも、ヒルマンやエラも、「ソルジャーの部屋に飾るのならば」と、摘んでゆくよう勧めたけれども、ブルーはいつでも首を横に振った。
「ぼくはそこまで特別じゃないよ」と、「エーデルワイスには敵わないよ」と。
いくら沢山の花が咲いても、けして摘むことをしなかったブルー。
ただ側でそれを見ていただけで。
白いエーデルワイスの花の向こうに、焦がれ続けた夢の星を。
「青い地球でも雪が積もったら、きっと白いね」と。
白い星だと、この花のように白く輝く美しい星になるのだろうね、と。
エーデルワイスの白い星に地球を見ていたブルー。前のブルーの憧れの星。
いつか行きたいと、そこへゆくのだと言っていたのに、前のブルーは辿り着けなくて。
(白い星どころか…)
赤かった地球。青い水の星は何処にも無かった、死の星があっただけだった。
遠い昔にエーデルワイスが残された時そのままに。
地球を去ってゆく人類の船を、エーデルワイスがガラスケースの中から見送った時とまるで全く変わらないままに。
エーデルワイスのガラスケースはとうに砕けて、風化してしまっていただろうけれど。
そこに咲いていたエーデルワイスも、塵になって風に舞い上げられて。
今も戻らない青い地球の上を、赤い星の上を、ただ風に乗って舞っていたかもしれないけれど。
前の自分はエーデルワイスにこめられた祈りも、存在さえも知らずに地球に降りたけれども。
ユグドラシルの側で風化したろうガラスケースを、思うことさえなかったけれど。
(最後の花がミュウの船にあったか…)
地球を目指したシャングリラに。ついに辿り着いた白い鯨に。
前の自分が地球まで運んで行った船。
大勢のミュウの仲間たちを乗せて、ヒルマンのロックガーデンを乗せて。「高貴な白」の名前を持つ花を乗せて、白いシャングリラの舵を握って。
その船が地球を蘇らせた。
SD体制を、グランド・マザーを破壊し、地球が蘇るための引き金を引いた。
エーデルワイスを乗せていた船が。
遠い昔に地球に残された最後の花と同じ花が咲いていた船が。
(まさか、エーデルワイスに呼ばれたってことは…)
いくらなんでも、花がシャングリラを呼ぶことはないだろうけれど。
あまりにも不思議な偶然だから。
シャングリラでいつもエーデルワイスを摘まずに見ていた、ブルーに話してやりたいから。
(明日は土曜日だし…)
丁度いい時に巡り会った記事、地球の最後の花が載った記事。
教えてやろう、小さなブルーに。
この記事のことを。
遠い昔に人類の船を見送ったという、エーデルワイスの花のことを。
次の日はよく晴れていたから、歩いてブルーの家に出掛けて。
ブルーの部屋でお茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、こう訊いてみた。
「エーデルワイスを知ってるか?」
そういう名前の有名な花だが、そいつをお前は知っているのか?
「うん、知ってる。エーデルワイスの歌があるよね」
SD体制が始まるよりも前から地球にある歌。学校で習って歌っていたよ。
「エーデルワイスの花を見たことは?」
写真はもちろん知ってるだろうが、本物のエーデルワイスはどうだ?
「ないよ、本物の花は一度も」
だって、高い山に咲く花だもの…。植物園にはあるだろうけど。
「前のお前はどうだった?」
やっぱり知らんか、エーデルワイスは?
「前のぼく…?」
エーデルワイスなんか知っていたかな、そんなの何処かで見掛けたかな…?
アルテメシアの山にあったかな、高い山は確かにあったけれども…。
あんな所にエーデルワイスがあっただろうか、とブルーは暫し考えてから。
「…待ってよ、アルテメシアじゃなくて…。そうじゃなくって…」
シャングリラで見たような気がするんだけど、エーデルワイス…。
ハーレイがこうして訊いてるんだし、シャングリラの何処かにあった…よね…?
思い出せないけど、きっと何処かにエーデルワイス…。
「うむ。俺もすっかり忘れてたんだが、ヒルマンのロックガーデンだ」
高貴な白って名前だからとか、他にも色々あったっけな。
ロックガーデンにはエーデルワイスを植えたい、とヒルマンが主張していたわけだが。
「ああ…!」
ホントだ、エーデルワイスの名前…。
それに人間に採られすぎちゃった花で、それでも滅びないで生き延びた花で。
ミュウの船にはピッタリだから、ってヒルマンが欲しがったんだっけ…!
シャングリラにあった、と手を打ったブルー。
あそこに出掛けていつも見ていた、と。白い星だと、雪が積もった地球だと思っていたと。
「きっと地球にも咲いてるんだと思ってたんだよ、あの頃のぼくは」
青い星に戻った地球に行ったら、エーデルワイスも咲いているんだ、って。
「知ってるか? そのエーデルワイスの花なんだが…」
あの花が最後の花だったそうだぞ。白いエーデルワイスの花がな。
「…最後の花?」
それってどういう意味なの、ハーレイ?
何の最後なの、エーデルワイスが最後だなんて…。
「地球だ。今の地球じゃなくて滅びゆく地球のな」
前の俺たちが生きた頃より、もっと前の時代。
SD体制に入ることが決まって、人類が地球を離れてゆく時。
エーデルワイスの花を置いて行ったそうだ、ユグドラシルの側に専用のガラスケースを作って。
いつか、この花が自然に生きられる青い地球が戻って来るように、と。
そういう祈りを託された花が、地球の最後の花だったのさ。
エーデルワイスの花が去ってゆく船を見送っていたんだ、もう誰もいない地球の上で。
例の新聞記事の中身をブルーに話してやったら。
地球に咲いていた最後の花はエーデルワイスだったと教えてやったら。
「…その話、前のぼくは知らなかったよ?」
エーデルワイスの苗を奪いに出掛けた時にも、それから後も。
花が咲いたら見に行っていたし、エーデルワイスのことも何度も調べていたと思うんだけど…。
「俺も知らんさ、ヒルマンだってな」
エラだって知りやしなかった。前の俺たちが生きた頃には、何処にも無かった情報なんだ。
グランド・マザーとマザー・システムが何重にもロックしていたわけだな。
どう調べたって、何処からも決して出て来ないように。
グランド・マザーが破壊されない限りは、マザー・システムが消えない限りは。
そんなわけだから、知ろうとしたって知りようがない。
あのキースでさえ、きっと調べても辿り着けなかったデータだろう。
もっとも、あいつは調べようともしなかったろうな、地球を離れた人類のその後なんかはな…。
厳重に封印されていた記録。
SD体制が滅びない限りは、出ないようにされていた記録。
地球の上で最後に咲いていた花、人類の船を見送ったというエーデルワイス。
「そんなの、あるんだ…」
前のぼくたちが生きてた頃には、どう調べたって誰にも分からなかったって話。
エーデルワイスのことは知ってたつもりでいたのに、まさか最後の花だったなんて…。
「そういうことらしいぞ、今の時代はエーデルワイスを詳しく調べりゃ出て来るそうだが」
とはいえ、あまり知られてはいないようだな、新聞の記事になるほどなんだし。
エーデルワイスは人気の花だが、最後の花ってトコまではな。
「そうだね、みんな知らないんだろうね」
もっと有名な話だったら、エーデルワイスはもっと大事にされていそうだし…。
この花が見送ってくれていたんだ、って記念品とかも作られそうだし…。
「まったくだ。エーデルワイスも大々的に宣伝されているだろうしな」
植物園で咲いていますとか、最後の花を見に行きませんかと山登りのツアーを組むだとか。
それでだ、前の俺たちの船はエーデルワイスを積んでいたってわけなんだが。
最後の花と同じエーデルワイスを乗せていた船で、前の俺は地球まで行ったんだが…。
「そういえば…!」
おんなじ花だね、エーデルワイスだったんだものね。最後の花とおんなじエーデルワイス。
「そのシャングリラが地球まで辿り着いた時に、SD体制は終わったんだ」
最後の花が咲いていた地球に、エーデルワイスを積んでいた船が着いたらな。
「偶然かな…?」
エーデルワイスが最後の花だった地球に、エーデルワイスを乗せたシャングリラが着いたらSD体制が終わったなんて。
地球が青い星に戻った切っ掛けの船が、エーデルワイスを積んでいたなんて。
「さてな…?」
そいつは分からん、神様にでも訊いてみないとな。
でなきゃエーデルワイスに訊くとか、どっちにしたって難しそうだが…。
ロマンチックに言うんだったら呼ばれたんだろう、と片目を瞑った。
エーデルワイスに、と。
いつの日か地球が蘇るようにと祈りをこめて置いてゆかれた、最後の花に。
「…そうなの?」
植物が人を呼ぶなんてことが本当にあるの?
人じゃなくって、エーデルワイスを呼んでいたのかもしれないけれど…。
帰っておいで、って。
その船で地球に帰っておいでって、そしたら地球が蘇るから、って。
「現実の世界じゃどうかは知らんが、古典の世界じゃありがちだよなあ…」
花だって立派に生き物なんだし、人に化けたりもするんだし。
花の精霊だっているしな、エーデルワイスの精霊だっていないとは言い切れないからなあ…。
「じゃあ、本当にエーデルワイスが呼び寄せたのかな?」
地球においで、って、シャングリラを。エーデルワイスを乗せていた船を。
「俺にはなんとも分からんがな…」
前の俺たちは何も知らなかったし、エーデルワイスで地球と繋がってたとも思わなかった。
俺はシャングリラの舵を握ってただけで、エーデルワイスの声なんぞは聞きもしなかったがな。
前の自分たちは何も知らずに、エーデルワイスを植えていたけれど。
白いシャングリラに、ミュウの船に相応しい花だと思って植えたけれども。
エーデルワイスは地球の最後の花だった。
滅びゆく地球で、ガラスケースの中から去りゆく人類の船を見送った花。
その花が残されて朽ちていった星へ、始まりの花がやって来た。同じエーデルワイスの真っ白な花が、白いシャングリラに乗せられて。
歴史を変えたシャングリラの中にもエーデルワイスが咲いていた。
SD体制を終わらせ、地球を蘇らせるための引き金を引いたシャングリラに。
新しい時代の始まりの船に、青い水の星を呼び戻した船に、始まりの花のエーデルワイスが。
「…トォニィ、知っていたのかな…?」
最後の花がエーデルワイスだったってことを。人類を見送った花だったことを。
「そいつも謎だな、情報の封印は解けてた筈だが…」
グランド・マザーは壊れちまって、マザー・システムも破壊されて。
もう封印する必要は無いし、どんなデータでも自由に引き出せる時代になってはいたんだが…。
興味が無ければ調べんだろうな、人類がどういう風に地球から去って行ったか。SD体制なんて時代が始まる直前の人類がどう生きたのかは。
おまけに手掛かりが「最後の花」だぞ、地球に残った最後の花。
俺が思うに、多分、知らんな。トォニィも、他のシャングリラの連中もな…。
「それじゃ、ぼくたちが知ったのが…」
「最初かもなあ、この話はな」
地球に残された最後の花と、シャングリラに乗ってたエーデルワイスと。
同じ花だったとは誰も知らないかもなあ、この宇宙はうんと広いんだがな…。
白いシャングリラが解体された後、宇宙に散って行った仲間たち。
トォニィも、シドも、フィシスも白いシャングリラであちこち旅をした後に、それぞれの道へと旅立って行った。他の大勢の仲間たちも。
彼らが語り伝えていないからには、誰も気付いていなかったろう。
最後の花と、始まりの花。
地球に残ったエーデルワイスと、シャングリラが地球まで乗せて行ったエーデルワイスの絆に、最後と最初がエーデルワイスの花で繋がっていたということに。
「エーデルワイスが呼んだんだ…。シャングリラを」
おいで、って。地球に帰っておいで、って…。
「ロマンチストの極みだがな」
だが、本当にそうかもしれんな、俺があの記事に気付いたってことは。
たまたま広げた新聞の記事に、エーデルワイスが最後の花だと書いてあったということはな。
「…エーデルワイス、また見てみたいよ」
今のぼくは一度も見ていないんだし、そんな話を聞いちゃったら…。
エーデルワイスが呼んでたのかも、って思っちゃったら、エーデルワイスが見たくなったよ。
高い山には登れないから、栽培してあるエーデルワイスしか無理だけれども…。
「いつか植物園まで行くか?」
エーデルワイスが咲いている時期に、俺と二人で。
「うんっ!」
一緒に行こうね、エーデルワイスの花を見に。
うんと沢山咲いてるといいな、ヒルマンのロックガーデンみたいに。
植物園ならきっと上手に育ててるだろうし、沢山、沢山、見られるといいな…。
小さなブルーもエーデルワイスの花を思い出してくれたから。
白いシャングリラで見ていたことも、その向こうに地球を見ていたことも思い出したから。
もしもエーデルワイスの苗が手に入るようならば。
育ててみるのもいいかもしれない、ブルーと二人で暮らす家の庭で。
地球を後にする人類の船を見送ったという最後の花を。
シャングリラが運んだ始まりの花を。
「なあ、ブルー。…エーデルワイス、植物園まで見に行くのもいいが…」
苗があったら育ててみないか、俺たちの家で。
ヒルマンのロックガーデンみたいに本格的なヤツは無理でも、ちょっと工夫して。
そしたら今度は自由に摘めるぞ、エーデルワイス。
俺たちの庭のエーデルワイスを摘んでる分には、誰も文句は言わないからな。
「それ、いいかも…!」
育ててみようよ、エーデルワイス。
最後の花で、始まりの花。いっぱい育てて、白い星を庭に沢山咲かせて…。
「高貴な白」の名を持つエーデルワイス。
白いシャングリラで育てていた花、前のブルーは摘まなかった花。
地球に焦がれて眺めていたのに、けして摘もうとしなかった。
だから今度はブルーに摘ませてやりたい、白い星の花を好きなだけ。
エーデルワイスの苗が手に入ったなら、二人で暮らす家の庭できちんと育ててやって。
地球の最後の花で、始まりの花。
自分たちしか知らないらしい、エーデルワイスの不思議な繋がり。
それを二人で語り合っては、白い星の花をブルーに幾つも、思いのままに摘ませてやって…。
最後の花・了
※滅びゆく地球で最後に咲いていた花は、エーデルワイス。SD体制の時代は秘密でしたが。
そうとも知らずにエーデルワイスを育てた白い箱舟。本当に、花が呼んだのかも…?
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