シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(シャングリラ…)
こんなにあるんだ、とブルーが覗き込んだ新聞。
学校から帰っておやつを食べながら、ダイニングで。母が焼いてくれたケーキはすっかり食べてしまったから、残るは紅茶だけだから。新聞を見ていても行儀が悪いわけではないし、と。
其処に載っていたシャングリラ。前の自分が暮らした船。
白いシャングリラが、懐かしい鯨が幾つも幾つも並んでいた。カラー写真が、紙面にズラリと。
けれど本物のシャングリラではなくて、インテリア用のシャングリラ。家を彩るためのもの。
額装された写真や様々な素材で出来たレリーフ、ポスターもジグゾーパズルもあって。
精巧な模型も色々とあるし、凝ったものだと手織りのタペストリーまで。
驚いてしまったシャングリラの数、値段の方にも驚かされた。本物そっくりに作ってある模型も高いけれども、タペストリー。織り上げるまでに手間がかかるから、ポスターや写真とは桁違いに高価。こんなものを誰が買うのだろうか、と思うくらいに。かつて暮らした自分でさえも。
(…シャングリラは飾りじゃないんだけどな…)
あの白い船はミュウの箱舟、人類から逃れて生きてゆくために造った船。
優美な姿の白い鯨は好きだったけれど、誇りに思っていたけれど。人類軍の戦艦などよりずっと綺麗だと、美しい船だと、いつも眺めていたけれど。
飾りではなかったシャングリラ。自給自足で全てを賄い、船の中だけで一つの世界。仲間たちの命を乗せていた船、飾りどころか実用品。無ければ生きてはゆけなかった船。
それが飾りになっているのが今の世界で、平和の証拠。
高い模型やタペストリーまでが作られるほどに。そういったものを欲しがる人がいるほどに。
(高いのは別に…)
シャングリラを織り上げたタペストリーは欲しくないけれど。精巧な模型も要らないけれど。
前にハーレイと約束をした。いつか二人で暮らす家には、シャングリラの写真を飾ろうと。
白いシャングリラの写真集はお揃いで持っているけれど、それとは別に。
(雲海の写真…)
写真集の何処にも載っていない写真、きっと誰一人、撮らなかった写真。
雲海に浮かぶシャングリラ。それを捉えた写真は一枚も無かった、きっと美しかっただろうに。
白い雲の海の上に浮かんだ白い鯨は、太陽の光を受けて輝いていたのだろうに。
雲海の星、アルテメシアに長く潜んでいたけれど。雲の上には出なかった船。いつも雲海の中に隠れていた船、浮上することは死を意味していたから。
シャングリラの存在を人類に知られ、沈むまで追撃されるだろうから。
ジョミーを救いに浮上するまで、シャングリラは雲から出なかった。ただの一度も。
そんな過去を持った船だったから。雲の海といえば隠れ住むもので、それが常識だったから。
アルテメシアを後にしてからも、人類軍との戦いに勝ってアルテメシアに戻った後にも、雲海は突き抜けてゆくだけのもの。宙港に出入りするために。その惑星の空を飛ぶ時に。
そのせいかどうか、トォニィがソルジャーだった時代も、何枚もの写真が撮られた時代も、誰も思い付きはしなかった。雲海の上を飛ぶシャングリラを撮影するということを。雲の海の上をゆく白い鯨を、眩く輝く白いシャングリラを写真に収めておくことを。
宇宙の何処にも残されていない、雲海に浮かぶシャングリラの写真。
白いシャングリラが時の彼方に消えた今では、もう撮ることすら叶わない写真。
その幻の写真を作ろうと決めた、いつかハーレイと二人で雲海の写真を撮りに出掛けて。雲海が出来やすい季節に朝早く起きて、暗い内から待ち構えて。
これだと思う写真が撮れたら、シャングリラの写真と合成して作る。雲海に浮かぶ白い鯨を。
誰一人として思い付かなかった、白いシャングリラの美しい姿を。
夢の雲海のシャングリラ。昇る朝日に輝く船。
そういう写真を飾ろうと決めていたのだけれども、世間にはもっと色々なものがあるらしい。
模型はともかく、タペストリー。それも高価な手織りだなんて。
(写真集があるくらいだものね…)
ハーレイとお揃いで持っている写真集。自分のお小遣いでは買えない値段の豪華版だったから、父に強請って買って貰った。それの他にも写真集は様々、手頃な値段のものも沢山。
ミュウの歴史の始まりの船は、今の時代も一番人気の宇宙船。
遊園地に行けば遊具もある。幼い子供向けのものから、スリリングな大人向けのものまで。
自分が幼かった頃には、青い海を走るバナナボートのシャングリラだって見たのだし…。
(…写真を飾るくらいは普通?)
額装された立派な写真や、貼るだけの安価なポスターやら。
手織りのタペストリーまであるくらいなのだし、シャングリラに憧れる人なら欲しいのだろう。この新聞に載っているような、インテリアに出来るシャングリラが。
本物のシャングリラは飾りなどではなかったけれども、飾りになったシャングリラが。
(こんなにあるなら…)
売り物になっている白いシャングリラが、こんなに沢山あるのなら。
いつかハーレイと暮らす家にも一つくらいは欲しい気がする、雲海に浮かぶ白いシャングリラの写真の他にも。高価なものではなくていいから、人気のものを。新聞に載るような人気商品を。
何種類もある大きなポスターでもいいし、大きなジグゾーパズルでも。
きっと素敵なことだろう。リビングだとか、ダイニングの壁に飾る大きなシャングリラ。
(…でも…)
それもいいな、と想像してみてハタと気が付いた。
ハーレイと二人で住んでいるのなら、同じ家で暮らしているのなら。
その家にはハーレイの教え子たちがやって来る。顧問をしているクラブの部員たちが。
彼らは家中、端から探検すると言うから。家探しのように、どの部屋も覗いてゆくと聞くから。
シャングリラの大きなポスターが飾ってあったら、変だと思われるだろうか?
もしかしたら、この家の住人は生まれ変わりかもしれないと。
ハーレイと自分の姿が姿なだけに、懐かしい船の写真を飾っているのだと。
(…雲海の写真なら趣味で済むけど…)
趣味で合成してみたのだと、綺麗だろうと、ハーレイが鼻高々で披露出来そうだけれど、大きなポスターはマズイだろうか?
自分たちは実は生まれ変わりだと、このシャングリラで生きていたのだと言わんばかりの飾りになってしまうのだろうか、部屋の壁にデカデカと貼ってあったら。
そうは思うけれど、そんな気持ちもするのだけれど。
これだけの数のシャングリラを見たら、幾つも並べて載せてあったら…。
やっぱり、どれか欲しくなる。一つくらい、と思ってしまう。
白いシャングリラのポスターもいいし、ジグゾーパズルも。懐かしい白いシャングリラ。それが欲しいと、大きな写真を飾ってみたいと。
見れば見るほど欲しくなるから、欲が出て来てしまうから。新聞を閉じて、空になったカップやお皿をキッチンの母に返して、部屋に戻って来たけれど。勉強机の前に座ったけれど。
(…ぼくたちの船…)
前の自分が守り続けた白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
ハーレイと出会った場所はアルタミラだったけれども、燃える地獄で出会ったけれど。それから二人、懸命に逃げて、あの船で暮らして恋をした。
きっと出会った時からの恋で、それと知らずに一目惚れで。
恋と気付かず、長い長い時を一番の友達同士で過ごして、白い鯨が出来上がってから結ばれた。キスを交わして、愛を交わして。
だからシャングリラは思い出の船。忘れられない、大切な船。
飾り物の船ではなかったけれども、インテリアではなかったけれど。
仲間たちの命を守っていた船、ミュウという種族を乗せた箱舟。
それは充分に、誰よりも分かっているのだけれども、ハーレイと恋をしていた船。甘い思い出も乗せていた船、誰にも言えない恋だったけれど。
そんな船だから、前の自分たちが恋を育み、共に暮らした船だったから。
雲海に浮かぶ写真の他にも、白いシャングリラを飾ってかまわないのなら…。
(飾りたいよ…)
大きなシャングリラのポスターを。でなければ大きなジグゾーパズル。
それが実現するかどうかは、ハーレイ次第なのだけど。
生まれ変わりかと疑われそうだ、と止められてしまったら駄目だけれども。
でも欲しい、と思う気持ちは消えてくれない。二人で暮らす家に飾ってみたい、と。
それを頭から追い払えないままで考えていたら、チャイムが鳴って。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、部屋のテーブルで向かい合うなり切り出した。
「あのね…。ハーレイ、シャングリラのタペストリーって知っている?」
手織りなんだって、タペストリー。凄く高いけど、シャングリラが綺麗に織ってあったよ。
新聞にいろんな写真が載ってたんだよ、インテリアになってるシャングリラの特集。模型とか、額に入った写真だとか…。レリーフになってるヤツも色々。
「ああ、あるらしいな、手織りのタペストリー」
とんでもない値段の飾り物だな、酔狂なヤツもいるもんだ。
同じシャングリラなら、写真の方が実物そっくりだと思うんだがなあ、織物にするより。
「そうだよねえ? ぼくもポスターの方がいいんだけれど…」
ぼくたちの家に飾ってもいい?
いつかハーレイと結婚したなら、シャングリラ、飾りたいんだけれど…。
ハーレイと作ろうって約束している雲海の写真も飾るけれども、大きなポスター。
「はあ?」
ポスターって、お前…。
なんだってポスターなんかを飾ろうって言うんだ、雲海の写真じゃ駄目なのか?
前にお前が言っていたとおり、雲海に浮かぶシャングリラの写真は綺麗だぞ、きっと。
最高の雲海を撮りに行く所から始めるんだろうが、俺たちの家に飾る写真は。
それじゃ駄目か、と問われたけれど。雲海の写真もいいのだけれど。
「思い出の船だから何か欲しいよ、ぼくたちで作る写真の他にも」
あんなに色々売られてるんだし、シャングリラの何かが欲しいんだよ。
前のぼくたちが暮らしてたんだ、って思い出せるように大きなポスターとか、ジグゾーパズル。
大きなジグゾーパズルもあったし、そういうのでもいいんだけれど…。
「…シャングリラ・リングじゃ足りんのか?」
当たるかどうかは申し込まないと分からないがだ、もしも当たったら、シャングリラから作った指輪が手に入るんだぞ?
それこそシャングリラそのものなんだが、それじゃお前は足りないのか?
「シャングリラ・リングは欲しいけど…。確かにシャングリラそのものだけど…」
だけど形が残っていないよ、見た目は結婚指輪なんだよ?
ぼくはシャングリラの姿を見たいよ、白い鯨の。
ハーレイと暮らした船を見たいんだよ、この船でハーレイと生きていたんだ、って。
「ふうむ…」
あの船の形が残っていないか、結婚指輪になっちまったら。
シャングリラの名残の金属で出来た結婚指輪ってだけで、形が違うと言うんだな、お前。
俺はシャングリラの外見にはさほどこだわらないが…、と続いた言葉。
お前と違って外側からはあまり見ていない、と。
「いつもモニター越しだったんだ。俺が見ていたシャングリラは」
アルテメシアに着いてから後は、ずっと雲海の中だったし…。
前のお前が元気だった頃には、数えるほどしか見ていない。キャプテンの俺が外に出ることは、本当に滅多に無かったからな。
白い鯨に改造していた最中だったら、視察に出ることも多かったんだが…。
作業の進捗状況はどうか、何処まで出来上がって来ているのか。俺がこの目で確かめないとな、キャプテンだしな?
だが、改造が済んじまったら、俺の仕事場は船の中なんだ。新しい船を上手く纏めて、効率よく動かしてやらんといかん。外に出ている暇があったら中で仕事をしろってな。
ステルス・デバイスのオーバーホールとか、そんな時しか見てはいないな、外からはな。
「あ…!」
ホントだ、ハーレイ、見ていないんだ…。
前のぼくは何度も外へ出ていたけれども、ハーレイは外には出なかったっけ…。
雲海の星に長く潜んでいた間には、ハーレイが肉眼でシャングリラの姿を見ることは無かった。船の外へ出る機会があっても、雲海の中では白い鯨の姿そのものは見られない。
前の自分がやっていたように、雲の中を透視しない限りは。白い雲の粒を消さない限りは。
白い鯨が雲海から出て、赤いナスカの衛星軌道上にあった時。
前のハーレイはシャングリラとナスカを何度も往復していたのだから、乗ったシャトルから白い鯨を目にしていたのだろうけれど。
その頃にはもう、前の自分は深い眠りに就いていた。十五年間もの長い眠りに。
ようやく眠りから覚めた時には、あの惨劇が待っていたから。
ナスカはメギドの炎に焼かれて、前の自分はメギドへと飛んでしまったから…。
それから後のシャングリラにはもう、前の自分の姿は無かった。
地球へと向かって旅立った船に、ハーレイは一人きりだった。多くの仲間を乗せた船でも、前の自分たちの約束の地へと向かう船でも。
幾つもの星を陥落させては、シャングリラは其処に降りたけれども。
ハーレイも船から降りてシャングリラを仰いだけれども、その船に前の自分はいなくて。
白い鯨をいくら眺めても、何の感慨も無かっただろう。ハーレイの魂はとうの昔に、前の自分を喪った時に、死んでしまっていただろうから。
ただの船にしか見えなかったろう、白い鯨の形をした。巨大な白い船だとしか…。
「…じゃあ、ハーレイが知ってるシャングリラは…」
白い鯨の形をしていた時のシャングリラは、殆どの時は…。
「前のお前が眠っちまっていたか、いなかったかだ」
元気だった頃のお前とはあんまり結び付かんな、そのせいでな。
お前が元気だった頃にも見た筈なんだが、寂しかった時代と悲しかった時代。そっちの方が多いわけだな、前のお前が目覚めないままか、いなくなっちまった後ってことでな…。
「…それじゃ、あの船、好きじゃない?」
ハーレイはあんまり好きじゃないのかな、白い鯨だったシャングリラ…。
「いや、好きだが…」
キャプテンなんだぞ、嫌いなわけがないだろう。俺が動かしてた船なんだから。
前のお前が逝っちまった後は、少し複雑だったがな…。
あれを地球まで運ばんことには、俺の役目は終わってくれない。前のお前の所へ行けない。
そう考えたら、俺を縛っている厄介な船で、おまけにお前も乗ってはいない。
好きな船だが好きじゃなかった、誰にもそうは言わなかったが。
…それでも好きではあったんだろうな、前のお前と一緒に暮らした船だったからな…。
お前ほどにはこだわらない、と苦笑いされた白いシャングリラの姿そのもの。白かった鯨。
思い出は船の中なんだ、と。前のお前との思い出も船の中だろうが、と。
「だったら、写真は…。シャングリラの大きなポスターは…」
やっぱり駄目?
ハーレイがそれほどこだわらないなら、ぼくが欲しいからって貼ったら駄目かな?
そんなの貼ったら、生まれ変わりだと思われそうだし…。
キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーだから、飾ってるんだと思われそうだし…。
「誰にだ?」
俺たちが生まれ変わりだと誰が思うんだ、そのデカいポスターとやらのせいで?
「…ハーレイの学校の生徒たちだよ」
顧問をしているクラブの生徒は、家に呼ぶんだって言ってるじゃない。
今の学校でも、柔道部の子たちが何度も遊びに行ってるんだし…。
「あいつらか…」
家中を走り回って騒ぐヤツらだな、部屋の扉を端から開けては中を覗いて。
シャングリラのポスターが貼ってあったら、もちろん発見されるんだろうが…。
しかしだ、相手はあいつらだしな…。
甘く見るなよ、とハーレイは一旦、言葉を切って。
「そんな代物を飾ってなくても、あいつらは勝手に話を作っていそうだが?」
たとえポスターが無かったとしても、格好の餌食というヤツだ。
「え?」
餌食って…。なんなの、なんで餌食になるの?
話を作るって、どういう話を勝手に作られてしまうわけ…?
「よく考えてみろよ、お前と俺だぞ?」
しかも結婚して一緒に暮らしてるんだぞ、結婚指輪まで嵌めて同じ家でな。
あいつらは寝室だろうが容赦しないで覗くわけだし、そりゃもう派手に騒ぐだろうなあ…。
本当に結婚しているらしいと、生まれ変わったから今度は結婚したらしいとな。
「今度は、って…。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイも恋人同士だったって?」
そういう話にされてしまうの、ぼくとハーレイが結婚したら?
見た目がそっくり同じだからって、生まれ変わりだと決め付けられちゃって…?
「うむ。その上、適当に尾びれもくっついちまって」
実は記録に残っていないだけで、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイも本当は結婚していただとか。新婚旅行に行っていたとか、結婚記念日はこの日だとか。
「新婚旅行に結婚記念日って…。そんなの、出来っこなかったのに…!」
結婚記念日の方はともかく、新婚旅行はどう考えても無理そうなのに…。
そうなってしまうの、ハーレイの学校の生徒が話を作っちゃったら…?
「ガキなんていうのは、そんなもんだ」
根も葉もない噂で盛り上がるのが好きで、話を大きく膨らませるのも大好きで。
ヤツらにかかれば、俺たちの過去は楽しく捏造されるんだろうな、それはとんでもない方向へ。
シャングリラのデカいポスターが飾ってあろうが無かろうが、と笑うハーレイ。
この姿だけでとっくに話の種だと、前も結婚していたことにされちまう、と。
「どうするの、それ…」
大変じゃないの、キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが恋人同士だっただなんて。
おまけに結婚していただなんて、そんな話になっちゃったら…!
「どうもしないさ、他にも噂は色々流れていそうだからな」
義務教育中のガキどもなんかは可愛いもんだぞ、今のお前と中身は大して変わらないしな。
結婚の意味もそれほど分かっちゃいないさ、一緒に暮らしているって程度で。
だがな、俺の友達やら、お前が結婚する頃のお前の友達。
そういったヤツらはもっと手強い相手になるなあ、結婚ってことになったらな。
同じ家で仲良く暮らしてるんです、というだけでは済まないと百も承知なんだし…。
手を繋いで二人で出掛ける程度じゃないってことも充分知っているしな?
「…結婚の中身…。そっか、その頃なら、ぼくの友達でも分かるかも…」
ぼくの友達には分からなくっても、ハーレイの友達だったら分かるよね…。
結婚したら何をするのか、一緒に暮らして何をしてるのか。
それで生まれ変わりだって思われちゃったら、バレちゃうの、前のぼくたちのことも?
前のぼくたちが最後まで言わずに隠していたこと、今頃になってバレてしまうの…?
「まさか。本物だと名乗らない限りはな」
俺たちが本当に生まれ変わりだと言わない限りは、似ているってだけの赤の他人だ。
面白おかしく噂が立っても、前の俺たちへの評価は揺るがん。
まるで関係無いカップルが一組いるだけなんだし、むしろ気の毒がられるかもなあ…。
紛らわしいのが結婚したお蔭で、前の俺たちが墓の中で迷惑していると。
変な噂を立てられちまって、ソルジャー・ブルーもキャプテン・ハーレイも、いい迷惑だと。
友人たちが無責任な噂を立てていようが、変わらないという前の自分たちへの視線。
世間の評価は何も変わらず、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイに瓜二つのカップルがいるというだけ。
自分たちが公にしない限りは、本当に本物の生まれ変わりだと言わない限りは。
「で、どうするんだ。…名乗るのか?」
いつか言うのか、本当はソルジャー・ブルーなんだと。
お前がそうだと明かすんだったら、もちろん俺も付き合うが…。キャプテン・ハーレイだったと名乗る覚悟は出来てるんだが。
そのせいでどんな噂が立とうが、どんな目で見られることになろうが、俺はお前を全力で守る。今度は守ると決めたからには、相手が何であろうがな。
「まだ決めてない…」
考えていないよ、まだ少しも。…だって、ぼくはまだ子供だから。
ハーレイにチビって言われるくらいに小さいんだから、きっと考えも子供なんだよ。子供の頭で考えてみても、正しいかどうかは分からないから…。
どうしようかな、って考えはしても、そこまでだけ。…こうするんだ、って決めてはいないよ。
ハーレイが本当のことを話すんだったら、付き合おうとは思うけれども。
「ゆっくりでいいさ、大事なことだ」
チビのお前には重すぎるしなあ、前のお前の人生ってヤツは。
いくら記憶を持っていたって、前のお前と同じようには決断出来んし、する必要も無いってな。
今度は俺がお前を守ってやるんだ、難しい判断を一人でしなくていいんだ、今のお前は。
俺に相談すればいいのさ、どんなことでも。…お前が本当は誰だったのかを話すかどうかも。
学者どもに囲まれて、もみくちゃにされたくないって言うなら、黙っているのも一つの手だ。
俺たちには何の責任も無いんだからなあ、前の俺たちのことに関してはな。
責任があるのは今の自分の人生だけだ、と微笑むハーレイ。
今の時代を生きてゆくだけなら、前の自分たちは何の関係も無いと。
「思い出だけを持ってりゃいいんだ、大切にな。前の俺たちが生きた思い出」
そいつを大事に持ったままでだ、今の幸せをその上に積んでいけばいい。幾つも、幾つも、俺と二人で。
前の幸せの上に今の幸せ、実にお得な話じゃないか。二人分の幸せを積めるんだからな。普通は一つの人生の上に一人分しか乗せられないだろ?
今の自分が生きてる分だけ、それしか無いのが普通なんだ。ところが俺たちは前の分まで持って生まれて来たってな。その有難さだけを貰えばいいんだ、前の俺たちの人生からは。
責任なんかは持たなくていいし、誰も持てとも言わんしな。
放っておいても噂は勝手に立つものなんだし、それでかまわん。
噂は所詮噂だからなあ、学者なんぞは見向きもしないさ、真面目に相手をしやしない。
俺たちが本当に本物なんだと言わない限りは、ただの他人の空似だからな。
どんな噂が流れていようが、ハーレイの学校の教え子たちが勝手に話を作ろうが。
今の自分たちは笑って聞き流しているだけでいいと、前の自分たちのことまで気にする必要など何処にも無いと、ハーレイが太鼓判を押してくれたから。
好きに生きていいと、今を生きろと優しい笑みを浮かべるから。
「じゃあ、シャングリラの写真…」
ハーレイも嫌いじゃないんだったら、前のぼくたちの船の思い出に飾ってもいい?
リビングとかダイニングの壁にポスター、貼ってもいい?
「もちろんだ。お前の気に入ったヤツを飾ればいいさ。うんとデカイのを」
雲海の写真だと、シャングリラはそれほど大きくないしな、主役は雲海なんだから。
シャングリラの姿を見たいんだったら、ポスターの方がいいだろう。
お前が欲しいなら、ポスター並みにデカい写真を買うのもいいなあ、きちんと額に入ったヤツ。俺の給料で買えそうだったら、もっと立派なパネルとかでも。
「ううん、普通のポスターでいいよ」
今のぼくでも買えそうな値段のポスターでいいよ、シャングリラをいつでも見られるんなら。
壁に飾って、こんな船だった、って懐かしく眺められるんなら。
「そうなのか?」
あるだけでいいのか、シャングリラの写真が。
額入りのだとか、立派なパネルに仕立てたヤツとか、そういうのじゃなくてポスターだけで。
「うん」
あの船の写真を飾れるんなら、それだけで幸せ。
ハーレイと二人で暮らしてた船を、今のぼくたちが暮らしてる家で一緒に見られるんなら…。
「ふうむ…。俺と一緒に見ようって言うのか、シャングリラの写真」
だったら、デカいポスターもいいが、ジグゾーパズルにするのはどうだ?
とびきりデカくて、作るのに床を占領しちまいそうなほど、ピースが多いジグゾーパズル。
「…ジグゾーパズル?」
それもいいよね、って思ってたけど、ハーレイ、ジグゾーパズルが好きなの?
前のハーレイが作っていたって覚えはないけど、今のハーレイは好きだったとか…?
「いや。特に好きだということは無いし、ガキの頃に作った程度だが…」
相手がシャングリラの写真となったら、そいつもいいなと思ってな。
お前が俺に教えてくれ。
山ほどの真っ白なピースの中から、これは此処だ、と。シャングリラの此処になるんだ、と。
お前、そういう見分けをするのは得意だろうが。
前の俺と違って、あの船を外から何度も見ていたのが前のお前なんだからな。
ほんの小さな違いだけでも気付く筈だぞ、同じ白でもこれは此処だ、と。
「それを言うなら、ハーレイだってモニター越しに見ていたじゃない!」
センサーを通した画像で見てても、シャングリラはおんなじシャングリラだよ?
肉眼で見るか、モニターで見るかの違いしかなくて、条件は同じだと思うんだけど…!
それにハーレイはキャプテンだった、と言ってやったら。
前の自分よりもシャングリラの構造に詳しかった筈で、どの角度からの画像であっても、何処の部分が映っているのか分かった筈だ、と指摘したら。
「そうだっけなあ…。言われてみれば、俺の方が詳しかったのかもな」
小さな傷でも宇宙船には命取りだし、発見したなら補修させないといけなかったし…。
作業完了と報告が来たら、直ぐに確認していたし…。
シャングリラの何処の部分がこのピースなのか、と訊かれたら、即答出来るのは俺かもしれん。
だがな、俺とお前の共同作業で出来るシャングリラもいいもんだぞ。
床いっぱいにピースを広げて、これは此処だと、これはこっちだと、お前と二人で。
「そうかもね…!」
あっちだ、こっちだ、って喧嘩になるかもしれないね。
ぼくは絶対此処だって言うのに、ハーレイは違う場所だって言って。
二人とも少しも譲らないままで、他のピースを嵌めてって…。
頑張ってパズルを作っていったら、喧嘩してたピースが嵌まる所を二人とも間違えてたとかね。
いつか二人で暮らす家には、シャングリラのポスターもいいけれど。
ジグゾーパズルの白いシャングリラもいい、大きくてピースも沢山のパズル。
山ほどのピースを床に広げて、ハーレイと一緒にせっせと嵌めて。
シャングリラを二人で作ってゆこうか、自分たちの手でシャングリラを。白い鯨を。
「ねえ、ハーレイ。ジグゾーパズルなら、シャングリラ、ぼくたちで作れるね」
ぼくとハーレイのためのシャングリラを、ぼくとハーレイ、二人だけで。
本物のシャングリラは大勢の仲間が造り上げたけど、今度はハーレイとぼくの二人で。
「おっ、いいな!」
出来上がったら号令するかな、「シャングリラ、発進!」と景気よくな。
「発進なんだね、ジグゾーパズルのシャングリラの」
ハーレイが言ってくれるんだったら、本当にぼくたちのシャングリラになるよ。
ぼくとハーレイ、二人だけのためのシャングリラに。
シャングリラ、二人で作ってみようよ、ジグゾーパズルで。
ぼくたちの船を、本物のシャングリラの頃とは違って、飾って眺めるための船をね。
白いシャングリラは、白い鯨は、大勢の仲間と造ったけれど。
飾り物の船ではなかったけれど。
家に飾るための思い出の船は二人で作ろう、ジグゾーパズルのピースを嵌めて。
床いっぱいにピースを広げて、これは此処だと、それは違うと喧嘩し合って、笑い合って。
そんな幸せな時間もいい。ジグゾーパズルのピースで喧嘩。
結局、二人とも間違えていたり、分からないと揃って悩んでみたり。
いつか結婚したならば。二人一緒に暮らせるようになったなら。
二人だけで眺める飾り物の船を、白いシャングリラを作ってみよう。
今の時代は、もう箱舟は要らないから。
ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、何処までも歩いてゆけるのだから…。
飾り物の船・了
※今の時代は、白いシャングリラはインテリア。ハーレイと暮らす家にも何か欲しいのです。
どうせ飾るのなら、ジグゾーパズルがいいのかも。二人で作ったシャングリラの雄姿を。
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