忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

年を重ねた人

(えーっと…)
 学校の帰りにブルーが乗り込んだ路線バス。空席は幾つもあるのだけれども、お気に入りの席が塞がっていた。ぼくは此処、と決まったように腰掛ける場所に先客の姿。
 仕方ないから、こっちでいいか、と別の席に座って、普段とは違う角度の車内を見回していて。
(あ…)
 ふと目に入った車椅子の絵をあしらったマーク。自分が座った座席ではなくて、別の席の側に。バスの壁にペタリと貼り付けてあった、此処の座席は優先席です、という印が。
 今日のように空いているバスなら意味の無いマーク。混み合って大勢が乗っている時に、効果を発揮するマーク。
 「この席が必要な方にお譲り下さい」と、「必要も無いのに座っていてはいけませんよ」と。
 車椅子のマークがついているけれど、それは遥かな昔からの伝統。SD体制が始まるよりも前の時代から使われていた、優先席を表すマーク。誰が見ても一目で分かるようにと。
 遠い遠い昔、地球が滅びるよりも前に生まれた由緒あるマーク。



(そういえば…)
 ハーレイの授業の雑談で聞いた、優先席の歴史というものを。
 古典とは何の関係も無いのだけれども、一種の薀蓄。「車椅子のマークは、古典と同じくらいに長い歴史があるんだぞ」と。かぐや姫の話や源氏物語などよりかは千年ほど新しいんだが、と。
 車椅子のマークが表している優先席。車内が混んだら、必要な人に譲るのが決まりの座席。
 その席は昔はお年寄りのためのものだった。それと身体が不自由な人。
 お年寄りは足腰が弱いものだから、席があるなら譲るべきだという時代。身体が不自由な人でも同じで、立たせておくなど言語道断と生まれた優先席。
 もっとも、車椅子のマークを貼っておこうが、座席に「優先席」と書いておこうが、座席の色を変えておこうが、効果があるとは言えなかった時代でもあったらしいけれど。
 車椅子のマークが生まれた頃の地球では、人間は人類だったから。ミュウとは違って自分勝手な人間が多かった人類だけに、優先席も車椅子のマークも無視されがちな社会だったという。空いている時に座るならばともかく、必要な人が乗って来たって寝たふりをして座っているとか。
 授業で聞いたクラスメイトは「信じられない」と驚いていたけれど。
 人類とはそんなに酷いものかと、だからこそミュウを平気で虐げたのかと騒いだけれど。
(仕方ないよね、本物の人類を知らないんだし…)
 今は誰もがミュウだから。
 人類との戦いも遠い歴史の彼方の出来事、見て来た者など誰もいない世界。
 その世界から生まれ変わって来た、ハーレイと自分を除いては、きっと。ただの一人も。



 すっかり変わってしまった世界。地球は一度は滅びたのだし、SD体制の時代もあった。地球は再び蘇ったけれど、その地球はミュウが暮らす世界で、車椅子のマークが出来た時代とは…。
(違うんだよね、優先席だって…)
 歴史あるマークは今も使われているけれど。バスの壁に貼られているけれど。
 そんなマークを貼っておかずとも、席は自然に譲られるもの。「どうぞ」と席が必要な人に。
 とはいえ、譲る心は大切だから、と子供たちが学べるように貼ってあるのが今の時代で。
(優先席に座る人にしたって…)
 お年寄りも身体の不自由な人も、昔とはまるで意味合いが違う。
 医学が進歩したお蔭で、治らない障害は無くなった。車椅子も、松葉杖も治療中の期間だけしか使われない。それを使っている人にとっては一時的なもので、いずれ要らなくなってゆくもの。



(お年寄りの杖はお洒落なアイテムなんだし…)
 遥かな昔の紳士よろしく杖を持つだけで、それに決して頼ってはいないお年寄り。杖が無くても全く平気で、スタスタ歩いてゆけるのが普通。
 その上、車椅子などの人が滅多にいないのと同じで、老人の姿をしている人も珍しい。ミュウは外見の年齢を止めてしまえるから、三百歳でも若い人は若い。前の自分がそうだったように。
 年を取っている人は自分の好みで老けているだけ、だから身体も達者なもので。
(あんな席には…)
 座りたいとも思っていないし、座る必要も全く無い。杖をついていても、急ぐ時には杖を抱えて走り出したりするのだから。邪魔だとばかりに小脇に抱えて、それは元気に。
 彼らが座りたがらないからには、優先席は文字通りに身体の不自由な人のものだけれど。医学の進歩で減ってしまった、車椅子の人や松葉杖の人。
 優先席に座る権利を持っている人が殆どいないのが今の時代で、車椅子のマークが貼られた席はあっても、混んでいる時に小さな子供を連れた人が「どうぞ」と勧められる程度。
 ハーレイの雑談で聞いた遠い昔とは、まるで違った優先席。



 つらつらと考えながらバスに乗っていた間も、優先席は空いたままだった。他に座席は幾らでもあるし、混んで来たって、本当の意味で必要な人は滅多に乗っては来ないのだろう。
 お年寄りには意味が無い席、松葉杖などの人くらいしか必要とはしていない席。そういう座席があるということを、「必要な人には席を譲る」ことを子供たちに教える車椅子のマーク。
 「ハーレイが言っていた通り、昔とは意味がホントに違う」と思いながら降りたいつものバス。
 其処から家まで歩いて帰って、ダイニングでおやつを食べる間に、また思い出した。
 あまり意味の無い優先席。身体の不自由な人はともかく、お年寄りには不要な席。年を取っても元気一杯、杖はお洒落なアイテムだから。
 第一、あまり見掛けないお年寄り。今日のバスでも見なかった。



(お祖母ちゃんたちだって…)
 遠い所に住んでいるから、滅多に会えない祖父母たち。通信で声を聞くくらい。
 その祖父母たちも、そんなに年を取ってはいない。「お年寄り」にはとても見えない、何処から見たって父や母よりも年上な程度。何歳くらいと言えばいいのか、直ぐには思い付かないけれど。
(ぼくが生まれた頃には、まだ年を取るのを止めてなかった…?)
 どうだったっけ、と悩むくらいに若い祖父母たち。お洒落な杖さえ似合わない姿。お年寄りには見えないのだから、杖をついたら「怪我ですか?」と訊かれるだろう、きっと。足を怪我したから杖の出番かと勘違いをされてしまうオチ。
 年を取っている知り合いと言えば誰だったろう、と考えたけれど。
 生憎と自分の周りにはいない、親戚も近所の人たちも老人とまで言える姿になってはいない。
 そうなってくると…。



(ハーレイのお父さんたちくらい?)
 年を取るのを止めると決めたのが、今年の夏の終わりだから。それまでは年を取り続けたから、祖父母たちよりも年を取っている筈。
 ハーレイの両親に会ったことは無いし、姿も知らないままだけれども。
 ヒルマンに少し似ているというハーレイの父は、きっと…。
(お年寄りだよね?)
 足腰は充分すぎるほど達者で、釣りが大好きなハーレイの父。魚が釣れる場所があるなら山にも登るし、暗い内から海にも出掛ける行動派。
 とにかく元気なハーレイの父だけに、ヒルマンほどに年を取っているかは分からない。真っ白な髭を蓄えていたヒルマンは、今の時代なら最高齢の部類に入るだろう。外見の年は。



 テーブルの上にあった新聞を広げてみたって、見当たらない年を取った人の姿。街をゆく人々を捉えた写真も、郊外の景色を楽しむ人々を写したものにも、お年寄りと言える姿は無くて。
 子供か、若いか、祖父母たちくらいか、そんな見掛けの人ばかり。雑踏の中も、自然の中も。
(一人もいないよ…)
 端から探した新聞の写真。遠く離れた他の地域の写真もチェックしてみたけれども、老人らしき背格好の人さえ見付からない。
 つまりは広い地球でも希少なお年寄り。ごく少数派の、年を取るのが好きな人。
(ホントのホントに少ないんだ…)
 前の自分が生きた頃には大勢いたのに、と思ったけれど。
 人が集まる場所に行ったら、お年寄りの姿は当たり前のようにあったのだけれど。
(あれ…?)
 ちょっと待って、と自分自身に問い掛けた。前の自分に。ソルジャー・ブルーだった自分に。
 大勢いた筈のお年寄り。あちこちで姿を見掛けたけれども、それは人類が暮らす場所だけだったような気がしないでもない。前の自分が何度も降りたアタラクシアの育英都市。
 白いシャングリラにも年を取った人間が大勢いたかと尋ねられたら自信が無い。
 ミュウの箱舟だった船には、お年寄りの姿が多かったろうか…?



 唐突に浮かんで来た疑問。前の自分が暮らしていた船。
 記憶を探って確かめなければ、と部屋に戻ってゆっくり時間を取ることにした。キッチンの母に空になったお皿やカップを渡して、「御馳走様」とピョコンと頭を下げて。
 そうして座った、自分の部屋の勉強机の前の椅子。机の上に頬杖をついて遠い記憶を手繰る。
(んーと…)
 前の自分が目にした大勢の老人たち。人が沢山集まっていれば、お年寄りの姿も混じっていた。少なくとも人類が暮らす育英都市では、そうだった。
 アタラクシアでもエネルゲイアでも、養父母の役目を終えて引退生活をしていたのだろう人々の姿を幾つも見掛けた。夫婦や仲間同士で連れ立っていたり、一人で外出中だったり。
 白いシャングリラの外の世界では珍しくもなかった老人たち。
 ミュウの子供を救出するための下見の時やら、情報収集のために降りた時やら、人類が生活している世界に行く度、何度も見掛けた老人の姿。人混みの中に混じっていた。
 けれど…。



 シャングリラの中はどうだったろう、と馴染んだ船に視点を移せば、消えてしまったお年寄り。老人らしき姿が見付からない。大勢の仲間が乗っていた船で年寄りと言えば…。
(ゼルとヒルマンだけ?)
 長老と呼ばれた二人の他には思い浮かばない高齢者。お年寄りという言葉が似合う人間。
 白い髭がトレードマークだったヒルマンと、禿げ上がった頭がよく目立ったゼル。彼らの他には男も女も思い付かない、老人らしき姿は見当たらない。
 いくら記憶を掻き回しても。遠い記憶を手繰ってみても。
(ぼく、忘れちゃった…?)
 まさか、と順に挙げてゆく名前。白いシャングリラで共に暮らした仲間たち。
 ソルジャーだった自分が彼らを忘れる筈が無い、と指を折りながら数えてゆく。船の中心だったブリッジから始めて、機関部や農場、厨房に養育部門に、メディカル・ルームに…。
 一通り数え終わったけれども、仲間たちの顔も名前も浮かんだけれど。
 重なってこない、年を取った仲間たちの顔。
 ゼルとヒルマンの二人の他には、誰一人いない老人の姿をした仲間。



 念のために、とアルタミラから一緒だった古参の仲間を数え直したけれども、その中にも一人も見当たらない。ゼルとヒルマンを除いては。
(もしかして、他にはいなかった…?)
 あの二人しかいなかったろうか、白いシャングリラに乗っていた老人は。
 実年齢はともかく、外見の上ではお年寄りと呼べる人間が他にいなかったろうか、あの船は…?
 それとも自分が忘れ去っただけで、シャングリラにも老人は何人もいたのか、それが謎。
 もしも忘れたのなら酷い話で、ソルジャー失格な気分になる。
(生まれ変わる時に、何処かに落として来ちゃったにしても…)
 忘れた仲間に申し訳ない、と溜息をつきながら悩んでいたら、チャイムが鳴った。窓から覗くと門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 応えて大きく手を振り返して、「丁度良かった」と頷いた。
 ハーレイだったら、きっと覚えているだろう。長年キャプテンを務めたのだし、シャングリラの仲間たちの姿がどうであったか、年を取った仲間がいたかどうかも。



 部屋に来てくれたハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合わせ。お茶とケーキもそこそこにして、早速、ハーレイに問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。ゼルとヒルマンなんだけど…」
 年寄りだったことは覚えているよね、あの二人が…?
「そりゃあ、間違えても忘れはせんが…。どうかしたか?」
 ゼルとヒルマンがどうかしたのか、夢にでも出たか、あいつらが?
「そうじゃなくって…。他にも年を取った仲間はいたっけ?」
「はあ?」
 なんだ、とハーレイが鳶色の瞳を丸くしたから。
 思い出せないんだよ、と白状した。
 みんなの名前は覚えているのに、ゼルとヒルマンの他にも年寄りがいたかどうなのかを、と。
「…酷いでしょ?」
 生まれ変わってくる時に落っことして来ちゃったのかな、みんなの顔を。
 若い顔しか覚えていなくて、頑張っても思い出せなくて…。
 今のぼくはソルジャー・ブルーじゃないけど、これじゃソルジャー失格だよ。
 みんながどういう顔をしてたか、すっかり忘れてしまったなんて。



 自分でも情けないんだけれど、とブルーは頭を振ったのだけれど。
 ハーレイの方はクッと短く喉を鳴らして、「年寄りなあ…」と笑みを含んだ声で。
「いるわけないだろ、あいつらの他に」
「えっ?」
「お前の記憶で合っているんだ。シャングリラで年寄りと言ったら、あいつらだけだ」
 好きに年齢を止められたしなあ、年寄りなんぞはいやしなかった。ゼルとヒルマンの他にはな。
 そもそも、何のための長老だったんだ?
 そこの所をよく考えてみろよ、どうしてゼルとヒルマンは年を取ったんだっけな…?
「えーっと…」
 前のぼくが若すぎたからだったっけね、ソルジャーなのに。
 それじゃ睨みが利かないから、ってゼルたちが年を取ったんだっけ…。



 言われてみれば、自分たちの威厳を保つためにと年を取り続けたゼルやヒルマンたち。
 他の仲間が若い姿なら、年を重ねれば自然と重みが増すだろうから、と止めなかった外見年齢。
 後に長老と名付けられたのも、姿の関係なのかもしれない。年齢だけなら同じような仲間は他に何人もいたのだから。アルタミラからの古参だったら、誰でも長老なのだから。
 とはいえ、エラとブラウは早めに外見の年を重ねるのを止めてしまったけれど。ヒルマンたちのようになるまで老けずに、髪に白髪も混ざらない内に。
 ハーレイだって、ゼルたちよりは遥かに若かった。他の仲間たちよりは年かさと言うだけ、まだ老人とは言えない姿。今と同じで、せいぜい中年、初老と呼ぶにもまだ早かった。



 その差は何処から来たのだろう、と不思議に思った前のハーレイと長老の四人。
 同じように年を取ってもいいのに、何処で違いが生じただろう、と首を傾げたら。ハーレイにはそれだけで通じていたのか、あるいは心が零れていたか。
 言葉にする前に答えが返った、ハーレイから。
「前の俺たちの外見の違いというヤツか? それはだな…」
 簡単なことだ、エラとブラウは女心だ。
 少しでも若い方がいいと思うのが女性ってヤツで、あのくらいの年が限界だったわけだな。
 まだまだ充分、女性らしい魅力が漂う姿で、なおかつ年も重ねてとなると、あの辺りだった。
 もっと老けたら綺麗じゃなくなると思ったってことだ、あの二人はな。
「…ハーレイは?」
 ハーレイはどうなの、女心じゃなくって男心とか…?
 あれよりも老けたらカッコ良くないとか、そう思ってあそこで止めちゃったの?
「俺は船を操る関係上な…」
 シャングリラの操舵は場合によっては力仕事だ、何時間だって立ちっ放しってこともある。
 それに機敏に反応出来なきゃ話にならんし、キビキビ動ける身体を持っていないとな…?



 ウッカリ年を取りすぎるとマズイ、と笑うハーレイ。
 自分の好みと言うだけだったら、もっと年を取っても良かったんだが、と。
「今の俺だって、そういうつもりでいたからなあ…。お前に出会って止めちまったが」
 年を取るってことに関しちゃ、俺は取りたい方なんだ。
 前の俺だって、キャプテンという仕事をやっていなけりゃ、どうなっていたか分からんぞ。
 これが俺かとお前が驚くくらいの姿になってたかもなあ、もっと年を取って。
「…じゃあ、ヒルマンとゼルは?」
 どうして二人だけ、あそこまで年を取っちゃったの?
 ヒルマンもゼルもすっかり白髪で、ゼルはツルツルに禿げちゃっていたよ。髪の毛が薄くなって来たかも、って気が付いた所で年を止めていたら、あんな風に禿げたりしなかったのに…。
 ヒルマンにしたって、あそこまで年を取らなくてもいいと思うんだけどな。
 シャングリラにお年寄りは二人だけだった、って聞いたらなおのことだよ、適当な所で止めれば普通で済んだのに…。
 エラとかブラウとか、ハーレイみたいに。



 あの二人は年を取りすぎだったと思うけれど、と呟いたら。
 やり過ぎだろうと、ゼルとヒルマンの姿と他の仲間たちの姿を頭の中で比べていたら…。
「あいつらの姿は、完全に趣味だ」
 俺と同じだ、年を取るのが趣味だったんだ。だからヤツらは後悔してない。白髪だったことも、綺麗サッパリ禿げちまったことも、あいつらにとっては趣味の副産物ってな。
「…趣味だったの?」
 あれってゼルたちの趣味だって言うの、シャングリラで二人だけしかいなかったお年寄りの姿。
 そりゃあ、今でもああいう姿が好きな人はたまにいるけれど…。
「俺が言うんだ、間違いない」
 あの二人とは数え切れないほど一緒に酒を飲んだし、飲み友達っていうヤツだ。
 ただの友達ならばともかく、飲み友達に嘘は言わんだろう。
 酒が入れば本音も出るしな、普段は言わない文句や愚痴も出てくるもんだ。
 あいつらの愚痴は散々聞いたが、白髪や禿げについては一度も聞いちゃいないぞ。むしろ自慢の種ってヤツだな、ヒルマンの髭とゼルの頭はな。
 「わしの頭はよく光るんじゃ。上等なんじゃ!」と磨き始めたとか、「この髭は君が生やしても似合わないだろうねえ、品の良さとは逆になりそうだよ」と得意げに何度も引っ張ってたとか…。
 頭が光る件はともかく、髭の方は確かに否定出来んな。
 俺がヒルマンみたいな髭を生やしてたら、見た目はまるで海賊だろうし…。そう思わないか?



 飲み友達だけに間違いはない、と説得力のある言葉。
 愚痴も本音も山ほど聞いて来たから、二人が年を重ね続けたのは明らかに趣味だ、と。
「だが、あいつらの他には知らないなあ…。そういう趣味の持ち主はな」
 少なくとも、俺たちの船にはいなかった。トォニィの代になったら誰かいたかもしれないが。
 俺たちの時代には見事に全員、若かったわけだ、俺ですら年を取ってた部類だ。
 お前の記憶に無くて当然っていうことになるな、年寄りに見えた仲間ってヤツは。
「それじゃ、あの二人だけが例外だったの?」
 他のみんなには年を取ろうっていう趣味が無くて、若い姿のままだったんだ…?
「そうなるな。シャングリラでは貴重な年寄りってことだ、あの二人の他にはいないわけだし」
 船の中を隈なく捜し回っても、他の年寄りは何処にもいなかった。若いヤツなら山ほどいたが、年寄りとなると二人だけだぞ、ゼルとヒルマンだけだったんだ。
 …それでだ、お前、知ってるか?
「何を?」
 ゼルとヒルマンのことはハーレイには敵わないけれど…。
 ぼくが知ってるのはソルジャーとして分かる範囲で、愚痴や本音は詳しくないよ?
「都市伝説っていうヤツなんだが」
 知らないか、そいつ?
「都市伝説…?」
 なんなの、それって、どういう意味?
 都市伝説っていう言葉も知らないけれども、そんな言葉、シャングリラにあったっけ…?



 まるで知らない、とキョトンとしてしまったブルーだけれど。
 それも当然、都市伝説とは今のハーレイが得意な雑談のネタの中の一つで。
 SD体制が始まるよりも遠い遥かな昔の地球。この地域の辺りにあった小さな島国、日本という国で使われた言葉が「都市伝説」。
 まことしやかに囁かれる噂をそう呼んだと言う。根拠も無いのに、本当のように伝わる話。
「その都市伝説。シャングリラは都市ではなかったわけだが…」
 閉じた世界で、あの船の中が世界の全てっていうヤツが殆どだった船だが…。
「何かあったの、都市伝説が?」
 本当かどうかも分からないのに、何か噂が流れていたの…?
「うむ。ゼルとヒルマンに関するヤツがな」
 今の俺なら「都市伝説か」と思うわけだが、あの頃はそういう上手い言葉は無かったなあ…。
「どんな噂なの?」
「それはだな…。シャングリラに来たガキどもは必ず、一度は聞くってヤツでだな…」
 何処からともなく耳に入るんだな、その噂。
 遊び仲間のガキが喋るとか、とっくに大人用の制服になった先輩が耳打ちしに来るとかな。
 その噂が、だ…。



 ハーレイが言うには、都市伝説とは「ゼルとヒルマンは年を止めるのに失敗した」という噂。
 ああなりたくなければサイオンの猛特訓をしろ、と囁かれていた白いシャングリラの都市伝説。
「えーっ!」
 知らなかった、とブルーは仰天した。
 ソルジャーとしてシャングリラを守り続けたけれども、一度も耳にはしていない噂。子供たちの間でまことしやかに流れ続けた都市伝説。
 しかも根拠は本当に無いし、それどころか噂は間違いだから。
 ヒルマンもゼルも自分の意志で年を取り続けていたと言うから、あまりにも酷い間違いで。
 二人の名誉にも関わることだし、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。
「…誰がそんな噂を流したの?」
 酷すぎるじゃない、都市伝説にしたって無責任だよ!
 前のぼくがそれを知っていたなら、絶対、違うって子供たちに言いに出掛けたのに…!
「いや、その必要は無いってな。なにしろ、噂を流していたのは…」
 あいつら自身だ、ゼルとヒルマンが積極的に関わってたわけだ。実はこうだ、と。
「…なんで?」
 自分の名誉の問題なんだと思うけど…。失敗したなんて、とってもカッコ悪いんだけど…!
「そう脅してやれば頑張るだろうが、ガキどもが」
 でないと適当にサボっちまうしな、シャングリラに来ればもう安全だし…。
 人類に追われた時の恐怖も、喉元過ぎれば何とやらってな、直ぐに忘れるガキだけにな。



 とんでもなかった都市伝説。ゼルとヒルマンが年寄りだった理由に纏わる恐ろしい噂。
 サイオンの訓練をきちんとしないと年を取ってしまうと、サボッた末路は白髪やハゲだと。
 ゼルとヒルマンが流した噂のお蔭で、訓練をサボらず頑張ったという子供たち。
 あの二人のようになっては駄目だと、なんとしても年を止めなければ、と。
「ヤエなんかは特に必死だったようだな、サイオンの訓練」
「…ヤエ?」
「うむ。覚えてるだろ、ブリッジの眼鏡の女の子だ」
 ルリと同じくらいにチビの頃からブリッジにいたな、あのヤエは。
 …って、お前はルリはチビの頃の方が馴染みがあるのか、アルテメシアじゃチビだったし…。
 大きくなったルリはメギドに行く前にチラッと見ていただけってことだな。
「そうだけど…。大きくなったなあ、って見ていたよ」
 仲間たちが揃ってこんな風に大きく育てるように、と思って見てた。
 そのためにもシャングリラを守らなくちゃって、ナスカの仲間も助けなくちゃ、って。
 でも、ルリじゃなくてヤエがどうかした?
 前のぼくがまだ元気だった間に、すっかり大人になっちゃってたけど…。
「それがだ、ヤエはあの外見を保っていたが、だ…」
 どうやら死力を尽くしたらしいな、若さを保つという方向で。
 他の方面で凄い才能を持っていたから、まさか若さにこだわってたとは思わなかったが…。



 ブリッジで主に分析を担当していたヤエ。
 メカにも強くて、地球へ向かう時、トォニィたちが乗る戦闘機の開発や整備を手掛けて、ゼルの船にステルス・デバイスを搭載したほど。
 それほどの才媛が若さを保とうと努力していたと言う、でないとモテもしないから、と。
「若さって…。モテるって、そうなるわけ?」
 ヤエほどの才能があったら、別にモテなくてもいいんじゃあ…。
 他の仲間たちから注目されるし、尊敬だってして貰えるし…。
「いやいや、モテも大切だぞ?」
 今の俺だから分かるんだがなあ、注目と尊敬だけじゃ人生に潤いってヤツが無いんだな。
 うん、今ならヤエに言ってやれるな、「人生、まだまだ捨てたモンじゃないぞ」と。
「…言ってやれるって…。その話、なんでハーレイが知ってるの?」
 ヤエがホントはモテたかったってこと、誰に聞いたの?
「トォニィとアルテラが仲良く喧嘩をしてた時にだ、愚痴ってたのを聞いちまった」
 あいつらは青春してるというのに、自分は駄目だとガックリしてなあ…。
 格納庫でトォニィの専用機を整備していた時だな、シンクロ率を上げるとか言って調整中で。



 偶然聞こえただけなんだがな、と苦笑するハーレイ。
 格納庫の今の様子はどうか、と覗いたモニターの向こうの出来事だった、と。
 若さを保って八十二年になるというのに、トォニィたちの方が青春しているなんて、と格納庫で嘆いていたらしいヤエ。整備中の専用機の影で肩を落として、滂沱の涙で。
「そうなんだ…」
 ヤエったら、きっと必死に頑張ったんだね、ゼルとヒルマンの噂を聞いて。
 ああなっちゃったら終わりだと思って若い姿を保っていたのに、努力は空振りだったんだ…?
「そのようだ。モテてたんなら、ああいう嘆きは出てこないからな」
 とはいえ、あの事件、前のお前が死んじまった後のことだがな。
 トォニィはすっかりデカくなってたし、他のナスカの子たちも成長していたし…。
「ハーレイ、笑った? ヤエの台詞を聞いちゃった時」
「もちろんだ。…声にも顔にも出せなかったが」
 ブリッジにいたんじゃ笑えないしな、その分、必死に顰めっ面だ。
 もしかしたら誰かに怖がられてたかもな、何かミスして怒鳴られるんじゃないかと勘違いして。
「それなら、良かった…」
 声に出せなくても、顔に出すことも出来なくても。
 今も覚えてて、ぼくに話してくれるくらいに可笑しいと思ってくれたんだったら…。



 その時、ハーレイが笑えたのなら、それで良かった、と微笑んだ。
 ぼくが死んだ後にも、ハーレイが笑っていてくれたなら、と。
「そりゃあ、たまにはな?」
 笑いだってするさ、どんなにドン底な気分でいたって、俺も人間には違いないんだ。
 色々と話してやっただろうが、前のお前が死んじまった後に起こった愉快な話を。
 地球へ向かう途中に立ち寄った星で、とんでもない買い物をしていたヤツらの話とかをな。
「うん…。でも、こうして聞けると嬉しいよ」
 ハーレイがブリッジで笑いを堪えてた顔が見えるみたいだよ、その時の顔。
 誰かに言おうにも言えやしないし、真面目な顔をしてるしかないし…。
 その上、ヤエが戻って来るんでしょ、暫く経ったらブリッジに?
「まあな。…もう、あの時の俺と言ったら…」
 笑いを堪えるだけで精一杯だったな、ヤエの顔を見るなり吹き出しそうでな。
 もう懸命にキャプテンの威厳を保ったわけだが、今の俺なら、ヤエを呼び出しだな、休憩室に。
 でもって、何も知らないふりして、何か飲み物でも勧めてやって。
 日頃の努力を労いながらだ、ふと思い付いたみたいに「人生は長いぞ」と話すんだ。
 いつか花が咲き、実もなるもんだと、俺もお前ほど若けりゃもっといいんだが…、とな。
「ハーレイが言うと、説得力があるのか無いのか、謎だよ、それは」
 薔薇のジャムが似合わないんだもの…。そのハーレイに言われても…。
「そこがいいんだ、強く生きろというメッセージだ」
 俺ですら諦めていないんだぞ、とアピールだな。この年になっても努力してるんだぞ、と。
「そっか、そういう方向なんだね」
 だったら、ヤエが聞いたら励みになったかも…。
 まだまだ諦める年じゃないって、ハーレイよりも見た目も年も若いんだから、って。



 思いがけない素敵な話を聞けたけれども。
 都市伝説だの、ハーレイが耳にしていたヤエの話だのと、思い出話が幾つも出て来たけれど。
 もしも、シャングリラで二人きりの年寄りだったゼルとヒルマンが今、いたならば…。
「ねえ、ハーレイ…。あの二人、今なら若いと思う?」
 前のぼくたちが生きてた頃より、年を取った人はグンと少なくなっちゃったけど…。
 ゼルたちだったらどうするんだろう、今の時代に生まれて来たら…?
「どうだろうなあ…。時代に合わせて若い方を選ぶか、年を取るのか…」
 そいつは謎だな、と首を捻るハーレイ。
 けれど、シャングリラで二人きりだった年寄りの二人、都市伝説まで流した二人。
 あの二人なら、今の時代に生まれても、きっと…。
「おんなじだろうね?」
 年を取るのが趣味なんだ、って白髪になったり、禿げちゃったりで。
「多分な、俺もそういう気がする」
 周りのヤツらが何と言おうが、我が道を行くというヤツだ。
 二人揃って友達同士に生まれていたなら、もう無敵だな。
 若いヤツらは話にならんと、人間、年を重ねてこそだと、酒を飲んでは演説だぞ、きっと。



 蓄えた髭まで白くなろうが、頭がすっかり禿げ上がろうが。
 あの姿が好きだったというゼルとヒルマン、趣味で年を取った二人だから。
 白いシャングリラで二人きりだった年寄りの二人、白髪やハゲが自慢だった二人。
(…きっと、好みは変わらないよね?)
 お年寄りの姿が珍しくなった今の時代に生まれたとしても、きっと、あんな風に。
 シャングリラで暮らした頃と同じに年を重ねて、その姿が自慢なのだろう。
 今はすっかり意味が変わった優先席。
 お年寄りのためにあるのではない、車椅子のマークが貼られた座席。
 もちろん其処に座りもしないで、二人とも、元気一杯で。
 自分とハーレイが地球での毎日を満喫しながら生きているように、ゼルたちも、きっと。
(うん、きっと…。そうだといいな、ゼルとヒルマンも、ぼくたちみたいに)
 今は平和になった宇宙で、青い地球の上で、前の自分たちが生きた時代の思い出話。
 これからも幾つも語り合っては、幸せな今を生きてゆく。
 ハーレイと二人、手を繋ぎ合って、いつまでも、何処までも、幸せの中を…。




          年を重ねた人・了

※ゼルとヒルマンの他には一人もいなかった、シャングリラの老人。趣味で年を重ねた二人。
 そのせいで生まれた都市伝説やら、ヤエの話が聞けて嬉しいブルー。素敵な思い出話が沢山。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]