シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(んーと…)
ブルーが目を留めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間にダイニングで。
テーブルの上に載っていた新聞、何気なく開いて見付けた誕生日用の料理の特集。特に珍しくもない筈なのに、幾つも並んだ写真の中の一枚が目を引いた。
思わず息を飲んだくらいに。
(食べたいってわけじゃ…)
ないと思う、おやつのケーキを食べた所だし、お腹が空いてはいないから。
けれど気になる一枚の写真、他の写真は「ふうん?」と眺めただけなのに。誕生日パーティーに似合いの料理特集、一枚の写真に様々な料理の取り合わせ。「こんな感じで如何でしょう」と。
彩りも鮮やかなパエリアが主役の料理だったり、ちらし寿司がメインの和風だったり、大人から子供まで主役に合わせて提案された幾つものパーティー料理のメニュー。
この手の特集はよく組まれるから、本当に見慣れた紙面の筈。美味しそうな料理を捉えた写真も色々と見たし、食の細い自分は「これは何かな?」と思う程度で。
わざわざ覗き込もうとはしない、息を飲むほど惹かれもしない。「美味しそう!」と思うよりも前に「食べ切れないよ」と現実がヒョイと顔を出すから。
母に強請って写真の通りのパーティー料理にして貰ったって、食べ切れないで挫折するから。
なのにどうして惹かれるのだろう、たった一枚の料理の写真に…?
目新しい所があるわけでもない、ごくごく平凡なパーティー料理。他の写真の料理と比べたら、如何にも定番、要は誰でも喜びそうな料理の取り合わせ。それこそ子供から大人まで。
けれども、どうにも心を捉えて離さない写真。自分の瞳を引き寄せる写真。
(何処が…?)
好き嫌いが全く無い自分だけに、ますますもって分からない。好き嫌いがあれば「好物ばかりを集めた素敵な食卓」で「夢の食卓」、そう思うこともありそうだけれど。
(ぼくの大好物ってこともないよね…?)
チキンの丸焼きに、テリーヌに、パテ。スープにサラダに…、と順に料理を眺めていたら。
(…あれ?)
何故だか記憶にあるような気がする、この料理が。写真の中の取り合わせが。
もしかしたら自分は、これを見たことがあるのだろうか?
写真ではなくて、本物の料理。母が作ったパーティー用の料理が、写真の通りにテーブルの上にズラリと並ぶのを。
それならば分かる、何故だか心惹かれる理由も。目を留めた訳も。
幼かった頃の誕生日パーティー、大喜びではしゃいだ記憶が胸に残っていたのだろう。あの日の料理だと、まるでそっくりだと飛び跳ねる心。
きっとそうだ、と心が躍った。いつの誕生日かは分からないけれど、母に確認しなくては、と。
子供時代の素敵な思い出、幼稚園の頃か、下の学校に入って間もない頃か。
記憶がハッキリしないのだから、その辺りだろう、とワクワクしていた所へ扉が開いて。
「あっ、ママ!」
上手い具合に入って来た母。通り掛かっただけかもしれないけれども、呼び止めて「これ!」と例の写真を指差した。こういう料理を誕生日に作ってくれただろうか、と。
「もちろんよ。ブルーのお誕生日だものね」
チキンもテリーヌも作ったわよ。…ええ、この写真にあるお料理は全部。
「じゃあ、この写真はやっぱり、ママのお料理…」
見たような気がしたんだよ。他の写真は何とも思わないけど、これはドキッとしちゃったんだ。
本物を見たことがあったんだったら、ビックリするのも不思議じゃないよね。
ぼくがすっかり忘れちゃっていても、お料理の記憶、残ってたんだ…!
「それはそうかもしれないけれど…。ママは作ってあげたんだけれど…」
でもねえ、ブルーはいつも少ししか食べないでしょう?
お誕生日に作ったお料理、ブルーに合わせて少なめにしてあったから…。
この写真そっくりにテーブルに並べたことは一度も無いわ、と母は料理を覗き込んだ。
チキンの丸焼きは主役になるから、それだけは丸ごと一羽分。写真と同じになるのは其処だけ。他の料理はテリーヌがこのくらい、サラダはこのくらい、スープの器がこのくらい…、と。
料理の量と盛り付けた器の例まで挙げられてみれば、まるで違うとブルーにも分かる。自分用のパーティー料理が並んだテーブルと、この写真は少しも似ていないと。
共通点はチキンの丸焼き、それだけでは此処まで惹かれはしない。他の部分が違うのでは。
「…それじゃ、違うの、ママのお料理とは?」
ぼくは確かに見たんだと思ったんだけど…。
ママが違うって言うんだったら、本か何かで見たのかな、これ…?
「さあ…。それはママにも分からないけれど、誕生日パーティーのお料理なの?」
「うん、きっと。誕生日のだ、っていう気がするから」
パーティーをする日は色々あるけど、これは誕生日のお料理だよ、って。
「だったら、ソルジャー・ブルーじゃないの?」
「えっ?」
「ソルジャー・ブルーよ、ブルーはソルジャー・ブルーだったんでしょ?」
その頃のお誕生日のお料理じゃないの、この写真。
シャングリラで食べて、その思い出が残っているとか…。
「それは無いと思うよ…」
ソルジャー・ブルーだけは絶対に無いよ、前のぼくっていうことは無いよ。
こんなお料理、誕生日に食べたことが無いから。
誕生日を覚えていなかったから、と説明したら。
ハッと息を飲み、口に手を当てた母。その瞳がみるみる悲しそうな色を湛えて。
「…ごめんなさいね、ママがウッカリしてたわ」
ブルーは誕生日がいつだったのかも忘れてしまっていたのよね…。
何も覚えていなかったのよね、成人検査よりも前にあったことは全部、忘れてしまって…。
「ううん、ママが謝らなくてもいいよ」
ママのせいなんかじゃないんだもの、あれは。全部、機械のせいなんだから。
ぼくは平気だよ、忘れちゃったのは前のぼくだし、ずうっと昔のことなんだし…。
今はママの子で、誕生日だってちゃんとあるもの。
だから平気、と笑顔で母に返したけれども、やはり気になる写真の料理。
自分はこれを何処で見たのか、今も記憶に残っているほどに印象的だった取り合わせ。誕生日のパーティ用には定番の料理、斬新なわけでも特別なわけでもないというのに。
「…誰の誕生日だったのかなあ?」
友達の家で見たんだったら、それっきり忘れていそうだけれど…。
ぼくにはとっても食べ切れないや、ってビックリはしても、覚えていそうにないんだけれど…。
とても特別だったって感じがするんだよ、このお料理が。
「シャングリラにいた頃に見たんじゃないの?」
ブルーじゃなくって、ソルジャー・ブルーが。
こういうお料理、シャングリラでも充分、作れたんじゃないかと思うわよ、ママは。
「…鶏はいたから、チキンの丸焼きは作ってたけど…」
他のお料理も、作ろうと思えば作れそうだけど…。材料は船にあった筈だし。
「ほらね、きっと誰かの誕生日よ。シャングリラで見たのよ、このお料理を」
「…そうなのかな?」
「ソルジャー・ブルーには誕生日は無くても、子供たちにはあったんでしょう、誕生日」
アルテメシアで助けた子たちは、誕生日を覚えていた筈よ。成人検査を受けていないんだから。
「ホントだ、子供たちにはあったんだっけね、誕生日!」
お祝いもあったよ、せっかくの誕生日なんだから。
成人検査の時にミュウだと分かって怖い目に遭った子供たちでも、誕生日は特別。
育ててくれた人たちと祝った幸せな思い出が沢山あったし、成人検査とは別だったんだよ。
成人検査の日は十四歳の誕生日。前の自分が生きた頃には「目覚めの日」と呼ばれて、養父母に別れを告げる日だった。
普通は記憶を処理されてしまい、もう養父母とも会えないけれど。
その日にミュウの力に目覚めてシャングリラに連れて来られた子供は、養父母と暮らした日々を忘れはしなかった。それまで一緒に誕生日を祝ってくれた父と母とを。
だから目覚めの日に何があろうと、どんな酷い目に遭っていようと、特別だった誕生日。
白いシャングリラに迎えられた後も、彼らは誕生日を祝って貰って喜んでいた。成人検査よりも前に救い出されて、船に来た子と同じように。
「今日は誕生日だから」と用意された特別な料理を楽しみ、幸せそうな顔をしていた。
十四歳の誕生日だった、目覚めの日に彼らを襲った恐怖。
その体験さえも、誕生日パーティーというイベントの前では霞んで消えてしまって、船で出来た友達に囲まれて、嬉しそうだった子供たち。
大人になった後も彼らは毎年、誕生日を祝い合っていた。友達を集めて、毎年、毎年。
母のお蔭で思い出すことが出来た、シャングリラにいた子供たちのための誕生日。
シャングリラのことは、母も自分が話した分だけ、色々と覚えてくれているから。今日のように思い出してくれたりもするから、頼もしい。
前の自分を忌み嫌わないで、そっくり丸ごと受け止めてくれる母の優しさと温かさが。二人分になってしまった記憶も、途惑うことなく受け入れてくれる心の広さが。
その母は例の写真を見ながら。
「思い出せるといいわね、これ」
誰のお誕生日かはママには分からないけれど、きっと大切なパーティーでしょう?
今でも覚えているほどなんだし、ソルジャー・ブルーの大事な思い出の一つじゃないの?
「うん…。ぼくもそういう気がするけれど…」
誰だったのかな、前のぼくが覚えているほどの大切なパーティーだなんて。
誰のお祝いだったのかなあ、このお料理…?
「この新聞記事、切って行ったら?」
何度も見てたら思い出せるかもしれないわよ、何かのはずみに。
机の前に貼っておくとか、引き出しの中に仕舞っておくとか。
「…いいの?」
「せっかくだものね。パパだって何も言わないわよ、きっと」
新聞は読んでから出掛けたんだし、裏側の記事はパパが好きそうな記事でもないし…。
切っちゃっていいわよ、パパが「なんだ?」って不思議がったら、ちゃんと説明しておくから。
記憶の手掛かりに持って行きなさい、と貰った切り抜き。ハサミでチョキチョキ切った新聞。
それを手にして自分の部屋に戻ったけれど。
勉強机の前に座って、料理の写真と向き合ったけれど。
(うーん…)
いくら頑張っても思い出せない、写真の中の料理の記憶。自分の心を惹き付けた料理。
チキンの丸焼きに、スープにテリーヌ、パテにサラダに…、と並んだテーブル。
確かに自分は見たと思うのに、何処だったのかも分からない。白いシャングリラの食堂にあったテーブルだったか、子供たちがよく集まっていた部屋のテーブルか、それすらも。
誕生日パーティーが開かれた場所は色々、子供たちが自分で好きに選べた。その日の主役になる子が選んだ、この場所がいい、と。
そんなわけだから、ヒルマンが授業をしていた教室、其処で祝った子だっていた。公園を選んでガーデンパーティー気分の子供だっていた、展望室を選んだ子だって。
とびきりの場所で開かれたパーティーの料理だったろうか、この写真は?
こういうアイデアもあったのか、と前の自分が驚いたほどの穴場と言おうか、素敵なスペース。子供ならではの柔軟な発想、それが生かされたパーティーの料理だったとか…?
けれども戻ってくれない記憶。料理も、それが披露された場所も。
(ハーレイだったら…)
もしかしたら、覚えているのだろうか?
元は厨房の出身なのだし、料理に対する関心は前の自分よりも遥かに高かったろう。同じ料理を目にしたとしても、「俺ならこうする」と考えてみたり、「いい出来だ」と心で頷いていたり。
(…でも、誕生日…)
子供たちのための誕生日パーティーに、ハーレイは呼ばれていただろうか?
ソルジャーだった自分は子供たちと遊ぶことが多かったし、それを仕事にしていたほど。船での仕事を手伝いたくても、皆が遠慮して何の役目もくれなかったから。
「ソルジャーがなさることではありません」と断られてしまった仕事の数々、仕方ないから養育部門を手伝った。子供たちと一緒に遊ぶ分には、誰も文句を言わなかったから。スタッフの仕事も楽になるから、仕事のつもりで子供たちの相手。
それだけに、誕生日のパーティーに出席したことも多い。会議などが入っていなければ。
ハーレイの方はどうだったろうか、と記憶を手繰って。
(うん、たまには…)
白いシャングリラの舵を握っていたキャプテン・ハーレイ、穏やかな笑顔のキャプテンは人気があったから。子供たちにとても好かれていたから、誕生日パーティーにも招かれていた。
ブリッジの仕事を抜けられそうなら参加していた、前の自分と同じように。
そうなってくると、ハーレイが覚えているかもしれない。
自分には思い出せないパーティー料理を目にした記憶があるかもしれない、白い鯨で。
(ハーレイが来たら訊くんだけれど…)
料理の写真は貰ったのだし、「これだよ」と見せて訊くことが出来る。得意ではないサイオンを使って自分の記憶を見せなくても。
今日は仕事の帰りに寄ってくれるか、どうなのだろう、と考えていたらチャイムが鳴って。そのハーレイが来てくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
例の切り抜きを持って来てテーブルに置いて、「これなんだけど」と。
「あのね、この料理を覚えてる?」
此処に写っている料理。ハーレイ、覚えていないかな…?
「はあ?」
覚えてるかって…。俺がチキンの丸焼きを食ったかと訊いているのか、その質問は?
「そうじゃなくって、これ全部だよ。チキンもパテも、テリーヌもサラダも」
全部纏めて一つなんだよ、シャングリラのだと思うんだけど…。
きっと子供たちの誕生日パーティーの時の料理で、こういう風にズラッと並んで。
「…俺には全く見覚えが無いが?」
チキンもそうだし、テリーヌもパテも、スープもだな。
どれも全く覚えちゃいないぞ、シャングリラの料理だと言われればな。
誕生日パーティーの料理としては、と断言された。
こういう料理は有り得ないと。
「いいか、子供の誕生日パーティーなんだぞ。そこの所をよく考えてみろ」
子供のパーティーにここまではしないな、今の時代なら普通なんだろうが…。
シャングリラの食料事情ってヤツからすればだ、この手の料理は大人向けだな。チキンを丸ごと一羽分だぞ、子供たちに出すなら丸焼きじゃなくて他の料理だ。同じ鶏を一羽分にしても。
「そういえば…。丸焼きはちょっと豪華すぎるね」
子供たちだと、丸焼きを綺麗に食べるというのも難しそうだし…。肉が沢山残りそうだし。
そうなっちゃうより、チキンを使った他の料理を作った方が良さそうだものね…。
ハーレイの指摘の通りに豪華すぎる料理。
チキンの丸焼きもそうだけれども、他の料理も白いシャングリラで作るとしたなら、手間や味が分かる大人向け。スープはともかく、テリーヌやパテは。
子供たちのための特別となれば、せいぜいケーキ。誕生日パーティーのテーブルで主役を務める甘いケーキで、子供たちの年の数だけ蝋燭を立てて…。
(ケーキ…?)
そこで引っ掛かった、ケーキの記憶。
ケーキだった、と料理と一緒に浮かび上がったケーキだけれど。
チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、スープやサラダと盛り沢山に並んだテーブル、其処には当然ケーキの姿もあったのだけれど。
(…箱…?)
新聞に載っていた写真によく似た食卓の上に、ケーキの箱。
明らかに買って来たケーキだと分かる紙箱、その中に入っていたケーキ。箱から出されないで、紙箱のままで。
どんなケーキかも分からないケーキ。
生クリームたっぷりのケーキだったか、フルーツで飾られたケーキだったか、それすらも謎。
箱に仕舞われたままなのだから。大皿に載ってはいないのだから。
「シャングリラじゃない…!」
ママでもないよ、と叫んだら。間違いないよ、と声を上げたら。
「おいおい、それが何故分かるんだ?」
何処で見たかも思い出せないと言っているくせに、急にキッパリ違うだなんて…。
どういう根拠で言っているんだ、シャングリラでもお前の家でもないと。
「ケーキだよ。…ケーキの紙箱が置いてあるんだよ」
ぼくが覚えてる、この写真に似た料理が並んだテーブルの上に。
お店で誕生日用とかの大きなケーキを丸ごと買ったら、専用の箱に入れてくれるでしょ?
ああいう箱だよ、ケーキは箱に入ったままで置いてあるから…。
「そいつは確かに有り得ないな。お前の家でも、シャングリラでも」
シャングリラだったら、ケーキは紙箱に入って売られちゃいないし、その光景はまず無いな。
お前の家だと、誕生日ケーキはお母さんが手作りするんだろうし…。
仮にお前が「お店で売ってるケーキがいい」と強請って買って貰ったとしても、紙箱のままっていうのはなあ…。
パーティーの時には、箱から出して皿に載せなきゃ話にならん。
でないとケーキの見せ場も無ければ、蝋燭を飾って吹き消すことも出来ないし…。食事の後でと思っていたなら、傷まないように冷蔵庫に入れておくだろうしな。
ますます深まってしまった謎。
テーブルに並んだ料理はともかく、紙箱に入ったままで置かれたケーキは…。
「誰のだろ…?」
あのケーキの箱、誰のだったんだろう…?
箱がああいう大きさなんだし、もう間違いなく誕生日パーティーだと思うんだけれど…。
「前のお前か?」
成人検査を受けるよりも前に、誕生日を祝って貰った時の記憶か?
「分からない…」
そうかもしれない、っていう気もするけど、どうなんだろう?
とても大切な料理なんだ、って思ってるんだし、その可能性もゼロじゃないけれど…。
前の自分の誕生日か、と問われてみれば「違う」と即座に否定は出来ない。
チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、今の自分を一目で惹き付けてしまった料理の写真。こういう料理を何処かで見たと、確かにこういうテーブルだった、と。
けれど、前の自分が生きていた頃でさえ、全く無かった誕生日の記憶。
祝って貰った思い出どころか、この世に生まれた日付でさえも。
前の自分が死んでしまった後で、シャングリラが向かったアルテメシア。あの雲海の星で戦いの火蓋が切って落とされ、勝利を収めて、テラズ・ナンバー・ファイブを倒して。
やっと手に入れた膨大なデータ、地球の座標を含んだその中に前の自分のデータもあった。前のハーレイが記憶したそれを、今の自分が教えて貰った。誕生日のことや、養父母のことや。
生まれ変わって今の自分になるまで、知らなかったままの誕生日。思い出せなかった、養父母の顔や暮らしていた家。
そんなにも遠い、前の自分の誕生日。いつだったのか、誰と一緒に祝っていたのか、遥かな時の彼方へと消えた今頃になって知った日付と、養父母の顔と。
その誕生日の料理の記憶が、今頃戻って来るだろうか?
前の自分が生きた頃でさえ、思い出そうと懸命に足掻いた前の生でさえ、戻らなかった記憶。
ついに戻っては来なかった記憶…。
(成人検査で殆ど消えて…)
記憶を手放せと命じた機械の声。次々に消去されていった記憶。
それが悲しくて、嫌で、耐えられなくて。
手放すものかと抵抗したのが引き金になって、ミュウに変化してしまったのが自分。金色だった髪は銀髪に変わり、水色だった瞳は色を失って血の赤になった。
ミュウになった上に、姿もアルビノに変わった自分は、もはや人間扱いはされず、ただの動物。
実験動物として檻に入れられ、繰り返された人体実験の末に残った記憶も全部失くした。
忌まわしい成人検査の記憶だけを残して、他のことは全部。
一種の健康診断なのだと思い込んでいた検査の直前、それは覚えているのだけれど…。
順番を待っていた部屋の壁に映った、金髪だった頃の自分の姿。今と同じに子供の姿で、周りを見回したりもして。
これから始まる検査で全てが変わってしまうなどとは、思いもせずに。
何も知らなかった無邪気な自分。成人検査の正体も知らず、健康診断だと思っていた自分。
機械がそのように仕向けたとはいえ、なんと自分は馬鹿だったのか。
それから後の長い長い生は、成人検査との戦いの日々。ミュウを弾き出そうとする機械に抗い、何人の仲間を救い出したことか。
記憶を消してしまう成人検査。ミュウに変化する引き金にもなる成人検査。
(…成人検査…?)
それが心にふと引っ掛かった、あの食卓と重なった。
チキンの丸焼きにテリーヌにパテ、ケーキの紙箱が置かれたテーブル。
誕生日を祝うために作られた数々の料理、それを用意して貰った子供の名前は…。
「そうだ、ジョミーだ!」
あの料理を食べようとしていた子供はジョミーなんだよ!
「ジョミーだと?」
おい、あのジョミーか、ソルジャー・シンだったジョミーのことか…?
「うん、この写真とそっくりだった。ジョミーが作って貰ってた料理…」
目覚めの日の前祝いにパーティーしよう、って、前の日の夜にジョミーのお母さんが…。
ケーキはお父さんが買って来たんだよ、仕事の帰りに。ジョミーのために。
…ジョミーは心理検査をされてしまって、パーティーどころじゃなかったけれど。
「ジョミーの祝いの料理って…。お前、そんなの覚えていたのか」
料理に興味があったようには思えなかったがな、前のお前は。
俺が厨房にいた頃は、手伝ったりもしてくれていたが…。
チキンが丸焼きになっていようが、捌いてソテーになっていようが、気にしないと言うか…。
パーティー用の豪華料理でも、普通の飯でも、要は食えれば充分と言うか…。
「そうなんだけれど…。ジョミーの食事は、見ていたからね」
次の日に迎えに行くと決まっていたジョミーだよ?
しかも、前のぼくを継ぐソルジャー候補。
気にならない筈がないじゃない。いざとなったら予定を早めて救出しなくちゃいけないし…。
実際、ユニバーサルに心理検査を捻じ込まれたよね、強引に。
そんな時だから、ずっと見ていた。…ジョミーのお母さんが料理を作っていた所も。
キッチンで腕を奮っていたジョミーの母。
スープを仕込んで、テリーヌにパテに、それからサラダ。丸ごとのチキンにたっぷりの詰め物、オーブンで焼き上げて、足に飾りの紙とリボンを巻いて。
自分もあんな風だったろうか、と眺めていた。
記憶は失くしてしまったけれども、育てられた家で最後に食べた母の手作りの料理。父も一緒に囲んだのだろう、目覚めの日を迎える前の夜の食卓。
(あの頃は、何処の家でもパーティー…)
目覚めの日が何かを子供は知らなくて、養父母も機械に記憶を書き換えられた後だったから。
記憶を消される日だとも思わず、人生の節目の一大イベント。
育てた子供の巣立ちを祝ってパーティーをするのが普通で、家で開くか、食事にゆくか。
前の自分がどちらだったかは分からないけれど、きっと家だという気がした。母が作ってくれた料理で、父も一緒に囲んだ食卓。
温かかっただろう、パーティーの夜。ケーキもあったに違いない。
母の手作りか、ジョミーと同じに父が買って来たのか、目覚めの日を祝う大きなケーキ。蝋燭を立てて、火を点して。
十四歳を表す数の蝋燭を吹き消しただろう、フウッと力一杯に吹いて。
養父母に優しく見守られる中、明日は巣立つのだと、誇らしげに。
ジョミーのように養父母との別れが悲しく辛かったとしても、心配させまいと得意げな顔で。
母の心尽くしの料理を、父が買ったケーキを、ジョミーはその夜に食べ損なったけれど。
ケーキを手にした父が帰った時には、心理検査の真っ最中という有様だったけれど。
(…だからケーキは箱に入ったまま…)
紙箱に入れられたままのケーキを自分は見ていた、ジョミーはどうかと見守る間に。
昏々と眠るジョミーの側にも立ったけれども、養父母の様子も、祝いの料理も眺めていた。箱に入ったままのケーキも、翌日の朝食に回すことになった冷めた料理も。
(…ジョミーは、次の日…)
心理検査を受けたことなどすっかり忘れて、母が作った祝いの料理を食べて出掛けた。ケーキも朝から切って貰って、養父母と囲んだ旅立ちの食卓。
ジョミーは「さよなら!」と叫んで家を飛び出して行ったけれども。
それが別れだと分かっていたけれど、羨ましかった。
養父母と過ごした温かな時間、自分は失くしてしまった時間。欠片さえも残っていない思い出。
こんな風に自分も旅立ったのかと、ほんの少しでも思い出せればいいのにと。
「それに、ジョミーは忘れなかったんだよ…」
前のぼくが成人検査を妨害したから、お母さんが最後に作ってくれた食事を。
目覚めの日の朝に温め直した料理だったけど、何を食べたか、どんな味だったか、覚えたままでシャングリラにやって来たんだよ…。
だから余計に、ぼくも忘れなかったんだろうね、ジョミーのお母さんが作った料理を。
今頃になっても、これがそうだ、って思い出せるくらいに覚えてしまって。
「そういや、そうだな。ジョミーは忘れちゃいなかったんだな、前のお前が見ていた料理」
この写真とそっくり同じだった、っていうパーティーの料理を覚えてたんだな、忘れないで。
前の俺たちは何も覚えちゃいなかったが…。
料理どころか、育ててくれた親の顔さえ、綺麗サッパリ忘れちまって何も残らなかったんだが。
「あの時代は普通は忘れちゃったよ、何を食べてから出掛けたかなんて」
養父母の顔だって霞んでしまって、ハッキリしないのが成人検査の後なんだもの。
料理なんかは忘れてしまって当たり前だよ、誰だって。
それを忘れずに覚えていたジョミーは、とても幸せだったよね…。
シャングリラに来た子供たちの中にも、そういう子供は何人もいたと思うけど…。
ジョミーが覚えていたっていうのは、きっと大きな力になったよ。
前のぼくみたいに忘れてしまったソルジャーじゃなくて、ちゃんと覚えていたソルジャー。
もしかしたら、トォニィたちを生み出したアイデアの元も、そういう所から来ていたかもね。
「そうかもなあ…」
育ての親でも、きちんと思い出が残っていたのは大きいかもな。
家族というのは大事なもんだと、親子の絆はとても強いと、何処かで気付いていたかもなあ…。
そのせいでホームシックになっていたが、と笑うハーレイ。
せっかく安全な場所に来たのに、家に帰ろうとしていたんだが、と。
「あれでお前は酷い目に遭って…。ただでも残り少なかった力を使っちまって…」
危うく死んじまう所だったんだぞ、ジョミーを助けに飛び出して行ったまではいいが…。
ついでにリオもだ、巻き添えにされて心理検査を受けさせられて。
前のお前が帰してやれと言ったばかりに、とんでもない結果になったんだがな?
シャングリラまで浮上させる羽目に陥っちまって、人類軍との戦闘だ。
ジョミーをしっかり閉じ込めておけば、ああいうことにはならなかったと思うわけだが。
「…まあね。でも、分かるよ。今のぼくなら、ジョミーの気持ちが」
あの時は「頭を冷やしてこい」っていうつもりでシャングリラから家に帰したけれど…。
帰ったって何も残っていやしない、って分からせるつもりでいたんだけれど…。
ジョミーにしてみれば人攫いの所から逃げ出せたような気持ちだっただろうね、家に帰る時は。
「確かにな…」
人攫いだったろうな、前のお前も、俺たちも、みんな。
ジョミーにとってはシャングリラは本当に人攫いの船で、箱舟には思えなかったんだろうな…。
あの頃の自分たちには分からなかった。
どうしてジョミーが、あんなに帰りたがったのか。
成人検査が失敗に終わって銃撃された上に追われていたのに、家に帰ろうと考えたのか。
「今のぼくなら、帰っちゃうよ。…ジョミーみたいに」
家に帰ったら殺されちゃうよ、って言われたとしても、帰ってみるよ。
本当か嘘か分からないんだし、家に帰ったら、パパとママが守ってくれる筈だし…。
きっとジョミーがやったみたいに、「家に帰して」って怒って帰って行っちゃうんだよ。
「俺でも間違いなく帰るだろうなあ…」
誰がなんと言おうが、自分の目玉で確かめるまでは信じないってな。
殺されるだなんて嘘を言いやがって、と怒鳴り散らして出て行くだろうな、シャングリラから。
ジョミーみたいに船を出しては貰えなかったら、盗み出してでも逃げるだろう。
どうやって操縦するのかサッパリ分からなくても、ヤケクソってヤツだ。
こんな人攫いの船にいるよりよっぽどマシだと、こうすりゃエンジンがかかるだろうと。
「…ハーレイ、そこまでやっちゃうんだ?」
「当たり前だろうが、人攫いの船から逃げなきゃいけないんだぞ?」
帰して下さいとお願いしたって無駄となったら、後は行動あるのみだ。
俺が間違ってはいないんだったら、道は自然と開けるってな。
…もっとも、あの時代にそれをやってりゃ、撃墜されるか、墜落するかのどっちかだがな。
ある日突然、両親と引き裂かれてしまったら。
知らない所へ連れてゆかれて、其処で生きろと言われたなら。
今の自分なら、耐えられはしない。ハーレイでさえも、家へ帰ろうとして逃げると言うから。
「…ぼく、酷いことしちゃったかな…」
ジョミーに悪いことをしちゃったのかな、お母さんたちから引き離しちゃって…。
「いや、間違ってはいなかったんだが…」
お前が妨害しなかったなら、ジョミーは成人検査を無事にパスして行ったんだろうし。
そうなっていたら、シロエみたいになってしまったか、何もかもを忘れて普通に生きたか。
どっちにしたって養父母の記憶は薄れちまうし、料理のことまで覚えちゃいないぞ。
そいつを覚えたままでいられたんだし、ジョミーは幸せだったんだ。
最初の間は派手にお前を恨んだだろうが、後になるほど感謝してたさ、自分がどれほどラッキーだったか気付いたら。
何一つ忘れずにいられるのは誰のお蔭かってことに気付けば、もう恨んだりは出来んだろう。
お前に直接、礼を言うことは無かったとしても、感謝の気持ちはあった筈だぞ。
あれで良かったんだ、とハーレイは大きく頷くけれど。
前の自分がジョミーをシャングリラに連れて来たことは正しかったと言ってくれるけれど。
「…だけど、やっぱり…。ちょっと罪悪感…」
お母さんの料理を思い出しちゃったら、悪いことをしたって思っちゃう。
ジョミーはお母さんが作った料理をもう一度食べたかったんだろうな、って…。
「そう思うんなら、謝っとくか?」
何処にいるかは分からないがだ、この際、ジョミーに。
俺も一緒に謝ってやるから、頭でもペコリと下げておくんだな。
「うん、そうする…」
窓に向かって謝ればいいかな、外にいるのは確かなんだし。
方向がちょっと違っていたって、きっと届くよね、ジョミーの所に。
ごめん、とハーレイと二人で窓に向かって謝った。
ジョミーの姿は見えないけれども、其処にジョミーがいるつもりで。
知らない世界に連れて行ってごめん、と。
お母さんの料理が二度と食べられない船に乗せてしまって本当にごめん、と。
「…ジョミーも何処かで幸せになってくれてるといいな」
今度はお母さんの料理を好きなだけ食べて、お父さんが買って来るケーキを何度も食べて。
「そうだな、何処かで幸せにな」
この写真みたいな料理を作って貰って、誕生日のパーティーをして貰って。
お母さんたちと別れさせられずに、そのまま幸せに大きくなって…。
俺たちみたいに、うんと幸せな人生を生きてくれるといいなあ、ジョミーもな。
「うん…。うん、ぼくたちも今度はきちんと覚えているものね」
パパもママもいるし、ずうっと一緒。
結婚式にも来て貰えるもの、パパもママも、ハーレイのお父さんたちも…。
そうだよね、と訊けば「そうだな」と柔らかな笑みが返って来たから。
今度は本当に幸せに生きてゆける、ハーレイと二人、生まれ変わって来た青い地球の上で。
誕生日のパーティーを何度も開いて、皆で賑やかに食事をして。
いつかはハーレイの両親も一緒に誕生日のパーティーを開くのだろう。
結婚して「お父さん」「お母さん」と呼べる時が来たら。
今はいつまでも覚えていることが出来る父と母の顔、温かな家や家族で囲む食事のテーブル。
其処に新しい両親が増える、ハーレイの父と母とが加わる。
ハーレイと二人、幸せな道を一緒に歩み始めたら。
同じ屋根の下で暮らすようになって、いつも二人で過ごせるようになったなら。
今度はハーレイと何処までも一緒。
手を繋ぎ合って、いつまでも二人、誕生日パーティーを何度も何度も開きながら…。
誕生日の料理・了
※ブルーの記憶に残っていた、誕生日パーティー用らしき料理。それも前のブルーの記憶。
その正体は、ジョミーの誕生日用の料理だったのです。ジョミーが好きだった、お母さんの。
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