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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

空を飛ぶ夢

(わあ…!)
 ふわり、と浮かんだブルーの身体。舞い上がった空。
 飛べたらいいな、と空を見ていた家の庭から、ふうわりと。芝生から離れて浮いた両足。
 まるで重さを感じないから、体重がある気がしないから。泳ぐように腕で空気をかいたら、上に昇れた。かいた分だけ、透明な空気が満ちている庭をスイと上へと。
 もしかしたら、と腕を動かしたら、まだ昇れる。面白いように、上へ、上へと。
 浮き上がったと思う前には、庭の芝生に立っていたのに。一階の屋根よりも低い所から見上げていたのに、その屋根と同じ高さまで浮いた。自分の部屋を窓から覗ける、外側から。
(…ぼくの部屋…)
 嘘みたい、とガラス越しに眺めた部屋の中。いつもハーレイと使うテーブルも椅子も、勉強机もベッドも窓の向こう側。それを空中に浮かんで見ている、窓の外から。
(もっと上に行ける…?)
 手だけではなくて足も使って泳いでみたら。泳ぐならこう、と両足をパタパタさせたら、さっきまでより速く泳げた。空気の中を。
 部屋の窓より高く上がれた、家の屋根よりも。庭で一番大きな木と同じ高さもアッと言う間で。
 もう一回、と手と足で大きく空気をかいたら、木の上まで昇ってしまった身体。
 普段は下から見上げる梢も、木の下に据えらえた白いテーブルと椅子も、今は自分の下にある。空を泳いで此処まで上がった、屋根よりも、木よりも高い所まで。



 宙に浮かんでいる身体。家も庭も上から見ている自分。
(飛べた…!)
 前の自分だった頃と違って、今の自分は飛べないのに。タイプ・ブルーとは名前ばかりで、空を飛ぶ力は無い筈なのに。
 けれどもフワフワ浮いている身体、重力の影響を受けない身体。懸命に手足を動かさなくても、ストンと落ちていったりはしない。家の真上にプカプカと浮いて下を観察している自分。
(…こんなに簡単だったんだ…)
 すっかり忘れてしまっていたけれど、空を飛ぶこと。前の自分が自由自在にやっていたこと。
 思い出したら、少しも大したことではなかった。空をかくだけ、空気の中を泳ぐだけ。そうするだけで高く上がれる、泳いだ分だけ昇ってゆける。両腕と足とで泳いだ分だけ、上へ、上へと。
(もっと上まで行けるよね?)
 ぐんぐんと空の中を泳いで、家の屋根も庭で一番高い木の梢も遠くなってゆく。青空と白い雲に向かって泳いだ分だけ、遥か下へと。
 町がオモチャのように見えるほど、高い所まで舞い上がれた空。道を走る車は分かるけれども、人はどれだか分からない。それほどに高い場所まで昇れた、疲れもしないで空を泳いで。
 スイスイと此処まで泳げたのだし、楽々と飛んで来られたのだし…。



 これならハーレイの家へも行けちゃうよね、と考えた。
 「来ては駄目だ」と叱られてしまう家だけれども、ちょっと空から行ってみるだけ。どんな風に見えるか覗いてみるだけ、家の上から。
 もしもハーレイがいないようなら、窓の向こうも見てみたい。自分が来たと知られないように、庭の芝生には下りないで。足を地面につけはしないで、ふわりと宙に浮かんだままで。
(覗くくらいはかまわないよね?)
 一度だけ中を案内して貰った家、それをしっかり見てみたい。あの時は二度と来られないなんて思わなかったし、次の機会にゆっくり見ようと、次の部屋へと急いだから。家の中を少しでも早く見て回りたくて、「隣の部屋はなあに?」とハーレイの袖を引っ張ったりしたくらいだから。
(二階にあったの、寝室と、それから子供部屋と…)
 他にも部屋を見せて貰った、「適当に使っているんだがな」とハーレイが言っていた二階。一人暮らしには広すぎる家だし、特に使い方を決めてはいないと。
(一階へ行けば…)
 リビングにダイニング、キッチンにもあった広い窓。書斎に窓は無かったけれども、何処かから覗けば見えないこともないだろう。書斎の扉が開いていたなら、中の机や本棚なども。
 こんなチャンスを逃す手はない、せっかく空を飛べたのだから。
 家の庭から空を泳いで、此処まで昇って来たのだから。



 ハーレイの家まで飛んでゆこう、と思ったけれど。
 自分の背丈が前の自分と同じになるまで行けはしない家、それを外からコッソリ見ようと小さな胸を弾ませたけれど。
(でも、どっち…?)
 行きたい家は何処だっただろう。どっちへ飛んだらハーレイの家があるのだろう?
 まるでオモチャのような町。遥か下にある自分が住む町、これでは何処に何があるのか、いくら見たって分からない。大きな緑は公園だろうと思うけれども、他のは何がどれなのか。
 あまりに高く舞い上がりすぎて、ハーレイの家が何処にあるのか掴めない。後にして来た自分が住む家、それもどれだか分からない。あの辺りかな、と漠然と思う程度でハッキリしない。
 この状態ではハーレイの家がある場所も分からない、せめて自分の家のある位置と、路線バスが走る大きな通りが何処にあるかを把握しないと。
 家から少し歩いた所のバス停、其処を目印に「こっちの方だ」と考えないと。
(…家が見える高さまで下りないと…)
 あれが間違いなく自分の家だ、と分かる高さに下りなければ。家が見えたらバス停がある通りを探すのも簡単、ハーレイの家がある方向も直ぐに「こっち」と見当がつく。
 それが分かったら、もう一度空を泳いで、ハーレイの家へと飛んでゆく。両手と両足でスイスイ泳いで、何ブロックも離れた場所に向かって楽々と。
 此処まで昇って来られたのだから。息も切らさず、疲れもしないで飛べたのだから。
 でも、下りるには…。



(…どうするの?)
 どうしたらいいの、と空の上で頭を抱えてしまった。
 泳ぐのは簡単だったけれども、下に向かって空気をかいても上手くいかない。両手と両足をバタつかせてみても、覗き込むように上半身を下へ傾けても、沈まない身体。
 空気の中を下へと泳ぐことが出来ない、逆に上へと昇ってしまう。上へ上へと、さっきまでより高い所へ舞い上がる身体。
(どうして上へ行っちゃうの…!)
 泳げば泳ぐほど上へ行く身体、空に昇ってゆく身体。
 プールで泳いだことはあっても、潜ったことは殆ど無いから、やり方が全く分からない。空気をかいても下りてゆけない、下りる代わりに上へゆくだけ。青い空へと昇るだけ。
 闇雲に空気をかけばかくほど、どんどん遠くなってゆく地面。小さく小さくなってゆく町。この有様では、ハーレイの家を目指すどころか…。
(家にも帰れないんだけど…!)
 身体が浮いた、と大喜びで空から見ていた自分の家。窓から覗いた自分の部屋。大好きな両親と暮らしている家、その家にも帰ることが出来ない。
(パパとママ、ぼくを探してくれる?)
 いないと気付けば慌てて探してくれそうだけれど、まさか空とは二人とも思いもしないだろう。サイオンの扱いが不器用すぎる一人息子が空へ昇って行っただなんて。
(…空は探して貰えないよ…)
 疲れてしまって落っこちるまで、浮いているしかないのだろうか?
 こんなに高い空から怪我もしないで、無事に地面に落ちられるだろうか?
(まさか、死んじゃう…?)
 真っ逆様に落ちて、シールドも張れずに固い地面に叩き付けられて。両親にも、家を見たかったハーレイにも会えずに、それっきりで。
(そんな…!)
 楽しかった空は恐怖の場所に変わった、このまま死んでゆくのだろうかと。
 ハーレイと二人で生まれて来た地球、幸せ一杯に暮らせる筈だった未来は此処で消えるのかと。



 泣き出しそうになってしまった空の上。さっきまで楽しく泳いでいた空。
 其処で目覚めた、パチリと開いた自分の瞼。身体の下にはもう空は無くて、しっかり受け止めてくれるベッドの感触。柔らかくて暖かな自分のベッド。
 カーテンの隙間から射し込む光で朝だと分かった。ハーレイが来てくれる土曜日の朝。
(…夢…)
 夢だったんだ、とホッと息をついたら、俄かに惜しい気持ちになった。
 下りられないと、死んでしまうと焦り出す前に感じた心地良さ。何処までも高く昇れた空。
(…もっと飛べたら良かったのに…)
 下りる方法さえ分かっていたなら、夢の中でもハーレイの家へ飛べたのに。青い空を何処までも飛んでゆけたし、もしかしたら隣町までも。
 ハーレイの両親が住む家を探しに、隣町の空へ。庭にある夏ミカンの大きな木が目印、あの木がそうかと空から見付けて、どんな家かと上を何度も回ってみて。
 同じ夢なら、それが良かった。死んでしまうと泣きそうな気持ちで目覚める夢より、空を自由に飛んでゆく夢。ハーレイの家へも、隣町へも、何処までも空を駆けてゆく夢。
(…ぼくの馬鹿…)
 下りる方法を忘れるなんて、と不器用な自分を叱ったけれど。
 空を飛べないことはともかく、夢で飛んだなら下り方だって、と叱り付けたけれど。



(えーっと…?)
 馬鹿な自分を詰っている内に、ハタと気付いた。
 下り方も何も、前の自分はあんな風に飛んではいなかった。空を泳ぎはしなかった。真っ直ぐに飛ぶ時も、白いシャングリラの周りを飛ぶ時も、空をかいてはいなかった手足。
 空を飛ぶために手や足は使っていなかったのだし、下り方を忘れる以前の問題。空の泳ぎ方など知らないのだから、潜り方だって知るわけがない。
(…前のぼく、どうやって飛んだんだっけ…?)
 どうだったっけ、と考えていたら思い出したプール。夏に学校であったプールの授業。水の上にプカリと浮くことが出来た、「確かこういう感じだった」と前の自分を思い浮かべたら。重力から身体を切り離す感覚、その端っこを捕まえたら。
 けれど、参考にしかならないプールの記憶。浮いていただけで、泳ぎは下手だったから。
 前の自分が空を自由に飛んだ方法、それを泳ぎに応用するには記憶が足りなさすぎたから。
 それでもプールで浮くことは出来た、前の自分が浮いていたように。空に浮かんでいたように。
(…ハーレイ、プールでコツを教えてくれるって…)
 水泳が得意な今のハーレイ、そのハーレイが飛び方を思い出す手伝いをしてくれると言う。水の中だと身体が浮くから、何度もプールに通っていたなら空を飛ぶコツが掴めるだろうと。
 そのせいで空を泳いだだろうか?
 今の自分は少しくらいは泳げるのだから、空を泳いで飛んでゆく夢を見たのだろうか?
 下手くそな空の旅だったけれど。
 高く舞い上がった所までは良くても、下りられなくなってしまったけれど。



 落っこちて死ぬ、と泣きそうになった所で終わった空を飛ぶ夢。泳いで高く舞い上がる夢。
 とんでもない結末になってしまった夢だったけれど、恐怖に変わった夢だけれども。
(でも、飛ぶって…)
 空を飛ぶことは気持ち良かった。本当の飛び方とは違って泳いだ空でも、地面から離れて空へと昇ってゆくことは。庭の芝生が、家が、木が、町が、遥か下へと遠ざかることは。
 今の自分が初めて見た夢、青い空をぐんぐん飛んでゆく夢。
(前のぼくの記憶が戻ってからだと、ホントに初めて…)
 幼かった頃には空を飛ぶ夢も見ていたけれども、飛べないようだと気付いてからは見ていない。タイプ・ブルーのくせに飛べない現実、それを認識してからは。
 物分かりが良くなって見なくなったのか、ガッカリして見なくなったのか。
 けれども、こうして夢を見たから。家の庭から空に昇って、遥かな上から町を見たから。
(…ぼくだって飛べる?)
 前の自分がやっていたように、あの青い空を飛べるだろうか。町の上空の飛行は禁止されている今だけれども、飛んでもいいと許可が下りている場所、其処から高く昇れるだろうか。
 前にハーレイが「お前なら綺麗に飛ぶんだろうな」と呟いていたように、天使の梯子と呼ばれる光の中を昇ってゆけるだろうか。今のハーレイに見せたい姿を披露することが出来るだろうか?
(…夢の中では飛べたんだしね?)
 現実の世界でも、いつか飛べそうな気がしてきた。
 とてもリアリティーがあった夢だし、本当になるかもしれないと。空を泳いだことは非現実的な話だけれども、地面を離れて眺めた庭やら、自分の部屋や屋根、それは本物のようだったから。
 本当に身体が宙に浮いたら、きっとこんな風に見えるのだろう、と思うくらいに。



 今は全く飛べないけれども、膨らんだ希望。今の自分だって、と。
 タイプ・ブルーに生まれたのだし、いつか飛べるかもと、もうワクワクと高鳴る胸。
 だから、ハーレイが訪ねて来てくれて、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで座った途端に勢い込んで切り出した。
「あのね、飛べたよ!」
「はあ?」
 飛べたってなんだ、とハーレイの鳶色の瞳が丸くなったから。
「えっと、空…。夢だったけれど…」
 目が覚めたら夢になっちゃったけれど、ぼく、飛べたんだよ。
「夢か…。だろうな、お前が飛べるわけがないからな」
 前のお前の頃ならともかく、今のお前じゃ飛ぶなんてことは出来そうもないし。
「うん…。でも、本当に飛んだんだよ、ぼく」
 家の庭から空に飛んだよ、と説明をした。
 芝生を離れて、窓から覗いた自分の部屋。二階にある窓を外から覗き込んだことなど無いのに、机も椅子も勉強机も、ちゃんとそれらしく見えたのだと。梯子でも架けて覗いたように。
 そういう本物そっくりの眺めで始まり、どんどん上へと昇ってゆく夢。
 この町の遥か上まで昇ったけれども、町だってきっと、空から見たならあんな風だと。夢の中で見た自分の部屋と同じに、きっと本物もああなのだと。



「ほほう…。それで飛べたと言うんだな、お前?」
 夢でも本物そっくりだったし、得意満面で俺に報告している、と…。
 現実のお前も飛べるかもしれんと思っているといった所か、今のお前は?
「…そうだけど…。だって、あの景色、本物そっくり…」
 だからね、きっと予知みたいなもの。
 今はちっとも飛べないけれども、いつかは飛べるようになるんだよ、っていう夢だよ、きっと。
 ぼくも飛べるよ、と笑顔で恋人に自慢したのに、そのハーレイは腕組みをして。
「お前の気持ちも分からないではないんだが…。そう信じたい気持ちも分かるが…」
 そいつは夢の王道だってな、空を飛ぶ夢の。
「え?」
 王道ってなんなの、どういう意味なの?
「ありがちと言うか、有名と言うか…。昔からある夢のパターンだ、その手の夢は」
 何処から見たって本物そっくり、自分が本当に空を飛んだと考えるのが一番自然そうな夢。
 ところが、そういうわけじゃないんだ。ミュウなんか存在しない頃から、人間が何度も見て来た夢だと言われている。SD体制が始まるよりも遥かに昔の時代からな。
 そんな時代に人間は空を飛べやしないし、空を飛ぶための船すらも無い。なのに何故だか、空を飛ぶんだ、夢の中でな。本当は飛べもしないのに。
 …つまりだ、お前の夢もそいつだ、いつか飛べるという予知じゃない。
 現に、そういう空を飛ぶ夢。俺も見たしな、どう間違えても俺が飛べるわけないのにな…?
「ハーレイも見たの、空を飛ぶ夢を?」
 本当に本物そっくりの景色、ハーレイも夢で見たって言うの?
「ガキの頃にな」
 今の年では流石に見ないが、ガキの頃にはよく見てたもんだ。お前が見た夢と同じで空を泳いだことだってあるし、前のお前がやってたみたいにスイスイと飛んでたこともあったなあ…。



 あれで飛べると思い込んじまって飛んだもんだ、とハーレイが苦笑しているから。
「飛んだって…。ハーレイ、やったの、ソルジャー・ブルーごっこを?」
 まさか、と息を飲んでしまったブルー。
 今の時代の男の子たちがよくやるけれども、大人や教師は「やらないように」と注意する遊びが前の自分の真似をすること。空を飛ぼうと高い木などから飛ぶソルジャー・ブルーごっこ。
 もちろん飛べずに落っこちるから、怪我をすることも多いから。
 大人たちは厳しく注意するけれど、それを聞かないのも子供の特権。一種の度胸試しとも言えるソルジャー・ブルーごっこ、怪我をしたって名誉の負傷で英雄扱い。
 それをハーレイがやっていたなんて、とブルーは驚いたのだけれども。
「…実はな、やってみたってな」
 よく考えてみろよ、俺だぞ、俺。
 柔道だの水泳だのと運動ばかりの悪ガキってヤツだ、やっていない方が不思議だろうが。
「だけど、今まで言わなかったじゃない!」
 ソルジャー・ブルーごっこの話は出てたし、ハーレイの武勇伝だって…。
 子供の頃の話は幾つも聞いているのに、ソルジャー・ブルーごっこは聞いていないよ!
「お前が笑うに決まってるだろう」
 なんたって、前のお前は本物のソルジャー・ブルーで、本当に空を飛べたんだからな。
 ついでに今の利口なお前は、ソルジャー・ブルーごっこなんかはしないだろうが。
「…それはそうだけど…」
 無茶をするよね、って見てただけだし、怪我しちゃったら「やらなきゃ良かったのに」と思っていたけれど…。
 でもね、やった子たちを笑いはしないよ、勇気があるのは本当だもの。
 やりもしないで見ていただけの臆病なぼくより、よっぽど英雄。
 だからハーレイのことも笑うよりかは、「流石ハーレイ」って思う方だよ、本当だよ?
 笑わないから教えて欲しいな、ハーレイがソルジャー・ブルーごっこをやった時の話を。



 どんな感じで飛んで行ったの、と尋ねてみたら。
 「ん? それはな…」と教えて貰えたハーレイの過去。空を飛ぶ夢を見てから直ぐの出来事。
 高い木に登って、空を滑るように飛んだと言う。空気をかいて泳ぐのではなくて、真っ直ぐに。
 ソルジャー・ブルーごっこをする子は、大抵、そういうパターンだけれど。
「…ハーレイ、大怪我?」
 高い木だったら、落っこちたら骨が折れちゃう子もいるし…。
 ハーレイも酷い怪我をしちゃったの、骨は折れなくても手とか膝とかが血だらけだとか。
「いや、隣の木に飛び移れた」
 何本か枝を折っちまったが、幹にベタンと抱き付くような感じでな。
 地面まで落ちて行っちゃいないさ、飛び移る時に折れちまった枝で掠り傷が幾つか出来たがな。
「隣の木って…。運が良かったの?」
 飛べなかったけど、落っこちないで済んだのなら。
「そうらしい。ついでに俺の腕前もな」
 もしも駄目ならこいつで行こう、と隣の木に向かって飛んだんだ。
 飛び出す前から決めていたわけだ、飛び移れそうな木が生えている所で飛ばないと、とな。



 万一の時のことは考えていた、と笑うハーレイ。
 空を飛ぶ夢は見られたけれども、ソルジャー・ブルーのように上手く飛べるとは限らないから。
「失敗するってこともあるしな、それに備えて隣の木なんだ」
 俺がやったのはムササビの真似だ、空を飛ぶならアレだろうと。
「…ムササビ?」
「うむ。同じように空を飛ぶヤツだったら、モモンガもいるがな」
 似たような姿をしてるヤツらだが、モモンガはムササビよりも遥かに小さいからなあ…。
 飛んでる姿を見付けやすいのはムササビだろうな、このくらいはあるし。
 空を飛ぶのに膜を広げたら、こんな感じか。ちょっとした空飛ぶ座布団ってトコだ。
 もっとも、ヤツらは飛ぶと言うより空を滑って行くんだが…。
 いくら飛膜を広げたってだ、それと手足をバタバタさせたら飛べる仕組みじゃないからな。
 上手い具合に空気を掴んで飛んで行くのがムササビだな、うん。
 木から木へと飛んで移って行くんだ、膜を一杯に広げて空飛ぶ座布団みたいに。



 翼も無いのに空を飛んでゆく哺乳類。ネズミの仲間に含まれるムササビ。
 長い前足と後足との間にある飛膜、それを広げて滑空してゆく森の生き物。
 その飛び方を頭に置いていた、とハーレイは子供時代にやったソルジャー・ブルーごっこで無事だった理由を教えてくれた。飛べなかったら滑空すること。とにかく隣の木まで飛ぶこと、と。
「そんなわけでだ、俺のソルジャー・ブルーごっこってヤツはだ…」
 失敗はしたが、怪我はしていない。
 うんと高い木の上から飛んだからなあ、無事だったことも含めて英雄だったぞ。まるで飛べずに終わった割には、一種の成功例ってことで。
「凄いね、普通はそこまでしないよ?」
 失敗した時のことまで考えてないよ、ぼくの周りでやってた子たちは。
 高い木から飛ぶんだ、って頑張って登ってた子も、高い塀とかから飛んでいた子も。
「だろうな、普通はそういうモンだ」
 所詮は子供の発想だからな、どうすりゃいいのか思い付く方が珍しいってな。
 俺の場合は親父のお蔭だ、ソルジャー・ブルーごっこをやると話したわけではないが…。
 相談したってわけでもないがだ、本当に親父のお蔭ってヤツだ。
 もっとも、親父の方にしてみりゃ、そんなアイデア、教えたつもりも無いんだろうがな。
 「面白い生き物の巣を見付けたから、今度の休みに連れて行ってやろう」と言っただけだし。



 ハーレイの父が釣りに出掛けて発見したというムササビの棲み家。
 老木の幹に口を開けていた洞、ムササビは其処に住んでいた。夜になったら飛び始めるから、と日がとっぷりと暮れてから観察しに行ったらしい。警戒されないように小さな明かりを持って。
「此処から先は声を出すなよ、と言われたな」
 人間がいると分かっちまったら、ムササビはなかなか出て来ないしな?
 腹が減ったら出てくるだろうが、早めにお目にかかりたいなら静かに待つのが一番なんだ。
 そうやって待って、出て来たムササビ。実に見事に飛んで行ったな、隣の木まで。そこから後はフワリと飛んでは進んで行くんだ、餌を探しに。
 飛んで行っちまったムササビが元の木にまた戻って来るまで、親父と一緒に待ってたなあ…。
「いいな、ムササビ…」
 ぼくは本物、見たことがないよ。
 …動物園にいるのは見たんだろうけど、飛んでなかったし…。
 飛んでないんじゃムササビなんだって分かってないよね、だから本物、知らないんだよ。
 ハーレイにソルジャー・ブルーごっこのやり方を教えた先生だったら、会ってみたいな、本物のムササビ。本当に空を飛んでるムササビ。
「…見たいのか?」
 お前もムササビの観察ってヤツに出掛けたいのか、夜になってから?
「うん。ぼくより上手に飛べるらしいしね、ムササビは」
 ハーレイの先生になれるくらいに上手なんでしょ、ソルジャー・ブルーごっこのための?
「おい、先生って…。お前がソルジャー・ブルーごっこを始めちまったら、俺が困るんだが?」
 今のお前は飛べやしないし、木から隣の木まで飛ぶのも失敗しそうな気がするんだが…。
「見たいだけだよ、ムササビを!」
 ぼくの先生になって欲しいとは思っていないよ、どんな風に飛ぶのか見てみたいだけで…!
「ふうむ…。なら、いつかな」
 俺の先生に会いに行くとするか、大恩人かもしれないが。
 ムササビは人間じゃないわけなんだが、ヤツのお蔭で怪我をしないで済んだんだしな。



 いつか連れてってやるとするか、と微笑むハーレイ。
 俺と二人で遅い時間でも出歩けるようになったなら、と。
「それでだ、お前が見たって言う空を飛んでる夢だがな…」
 ガキの頃の俺もアレで飛べると思ったわけだが、あの夢もけっこう面白いもんだ。
「面白いって…。何かあるの?」
 ハーレイ、あの夢がどういう夢かを知ってるって言うの、夢占いとか…?
「いや、夢占いの方もあるんだが…。夢占いよりも今の時代に相応しい話と言うべきか…」
 空を飛ぶ夢は大昔からあったわけだが、あの夢の正体は思念体だという説がある。
 人間がみんなミュウになってしまった時代ならではの説なんだがな。
「思念体って…。ホント?」
「お前は体験したばかりだが…。ちゃんと景色が見えただろう?」
 本当だったら、見える筈のない景色ってヤツが。
 自分が空を飛ばない限りは、こんな風には見えっこないぞ、という色々な景色。
「そうだよ、だから飛べると思ったんだよ」
 何処から見たって、本物みたいな見え方をしていた夢だったもの。
 そこの窓から覗いたんだよ、この部屋の中を。
 ぼくは外から見たことないのに、ちゃんとそういう風に見えてた。
 不思議だったよ、ぼくがどんどん上に行ったら、部屋の中の見え方も変わっていったもの。この椅子やテーブルの角度が変わって、奥にある家具から先に隠れてしまって見えなくなって。



「其処だな、本当に飛んでいたとしか思えないわけで…」
 しかし本物の自分の身体は、ちゃんとベッドで寝ているわけで。
 そういう時でも身体の外へ出て行けるのが思念体だろうが、身体はベッドに置いたままでな。
 前のお前も得意だったが、生憎と俺は出来ないな。…今でも出来ないヤツが殆どといった所か、思念体になって自由にあちこち出歩くのは。
 だがな、うんと昔は幽体離脱って言葉があったんだ。SD体制が始まるよりも昔の時代。
 魂だけが抜け出すってヤツが幽体離脱だ、概念としては思念体に近いものがある。
 その辺もあって、ああいう夢を見ている時には思念体になっているんだという説なのさ。大昔の人も、俺みたいに思念体にはなれないヤツでも、潜在的には能力がある、と。
 無意識の間に思念体になって出て行った時の夢がアレだ、というわけだな。
「じゃあ、あの夢のぼくも思念体なの?」
 ぼく、思念体になって空を飛んでいたの、だから景色が本物だったの…?
「そこでだ、お前に改めて訊いてみたいが、夢のお前はどうやって飛んだ?」
 どんな風にして空を飛んでいたんだ、飛べたと嬉しそうだったが。
「泳いでたよ?」
 水の中を泳いで進むみたいに、空気をかいて泳いだんだよ。
 泳ぐのと違って楽だったけど…。どんなに上まで泳いで行っても、少しも疲れなかったけど。
「なるほどな。…それで、前のお前の思念体ってヤツは泳いでいたか?」
 身体から出たら泳いでいたのか、思念体は?
「…ううん…。泳いでない…」
 泳いでなんかいないよ、身体ごと空を飛ぶ時と同じ。
 こっちの方、って真っ直ぐ飛んで行くだけで、手も足も少しも使わなかったよ。



 言われてみれば、まるで違うのが思念体の時と、本物そっくりの空を飛ぶ夢。
 思念体だと思えば解決しそうだったけれど、前の自分は思念体の時に泳いでいないし…。
「ほらな、そう証言するヤツらもいるから、思念体説は弱いんだ」
 思念体になって抜け出せるヤツでも、あの手の夢を見るらしくってな。
 どうも違うと、あの夢は思念体になっているわけではなさそうだ、と証言されると反論出来ん。思念体だということになれば、本物そっくりの景色ってヤツも素直に納得出来るんだがな。
「…実際はどうなの、あの夢の正体」
 思念体じゃないなら、どうしてああいう夢を見ちゃうの?
「ただの願望だと言われているなあ…」
 空を自由に飛べたらいいのに、と思う心が見せる夢なんだそうだ。今の所は。
 …その割にハッキリ見えるんだがなあ、色々なものや、空から眺めた景色やら。
 俺がソルジャー・ブルーごっこに自信を持って挑んだほどにだ、空を飛んだとしか思えない夢。
 あの景色だけは今も謎だな、願望にしては出来すぎなんだが。
「そうだよね…。ぼくにもただの夢だとは思えないけれど…」
 だけど思念体とは違うし、あの夢、ホントに何なんだろうね?
「さてなあ…?」
 ミュウしかいない世界になっても、まだ分からんというのがなあ…。
 あの手の夢なら、思念体だのサイオンだので簡単に謎が解けそうな時代になったんだが。



 もっとも、生まれ変わりの仕組みも謎だからな、と指摘されればその通りで。
 今の自分たちが此処にいる理由も解けないのならば、あの夢は…。
「空を飛ぶ夢、神様の悪戯?」
 悪戯なのかな、空を飛べたらこんな景色が見えますよ、って。
「プレゼントかもしれないぞ」
 飛びたい人間は昔からいるしな、そういうヤツらの夢が叶うように神様からのプレゼント。
 今の時代だと、そのプレゼントの意味を間違えちまって、ソルジャー・ブルーごっこになるが。
「んーと…。ひょっとしたら、天使の悪戯かもね?」
 天使は翼が生えているから、寝ている間に魂だけヒョイと持ち上げちゃって。
 天使の力で飛んでいるのに、人間の方は気付いていなくて、自分の力で飛んでるつもり。
「それはありそうだな、悪戯好きの天使もいそうだ」
 お前、そいつに捕まったんだな、でもって空を泳いじまった、と。
 ついでに前のお前が飛べていただけに、今度も飛べるとデッカイ夢を持っちまったんだな。



 今の時代も解けない謎。
 空を飛ぶ夢、まるで本当に自分が飛んでいるかのように。
 最後に怖い思いをする羽目になった夢だけれども、空を泳ぐのは本当に気持ち良かったから。
「…空を飛ぶ夢、また見られるかな?」
 今のぼくでも飛べた気になるし、また見られたらいいんだけれど…。
「夢だけにしとけよ、ホントに飛ぶなよ?」
 俺みたいに無事に済むとは限らないんだぞ、飛んじまったら。
「それはムササビを見てからにするよ。ぼくでも空を飛べるかな、って考えるのは」
 ムササビだって飛べるんだったら、タイプ・ブルーのぼくは充分、飛べそうだもの。
「…ヤツらはソルジャー・ブルーごっこの参考にしかならんのだがな?」
 飛べなかったら隣の木まで、と飛び立つ場所を選ぶ時とだ、飛び立った後に飛べなかった時。
 とにかく隣の木に飛び付こう、と狙いを定めて空に飛び出すだけなんだがなあ…。



 だが、まあ、いいか、とハーレイが片目を瞑るから。
 「お前は本来、飛べる筈だし、ムササビに飛び方、習ってくるか?」と笑うから。
 ソルジャー・ブルーごっこに挑んだハーレイに飛び方を教えた教師を、無事に隣の木へ飛ばせてくれた教師だというムササビをいつか見に行こう。
 森の中に住んでいるムササビ。
 大きな古い木の洞から夜に出て来て、フワリと滑空するムササビ。
 ハーレイの父に棲み家を探して貰って、その近くでハーレイと張り込みをして。
 夜でも二人で出掛けられるようになったなら。
 ハーレイの車で夜のドライブ、ムササビの住む木を見に行けるようになったなら。
 今の自分は飛べないけれども、森を飛んでゆくムササビを見る。
 「ぼくより上手いね」と、「当たり前だろう、俺の先生なんだぞ」と小声で囁き合いながら…。




            空を飛ぶ夢・了

※飛べないブルーが見た、空を飛ぶ夢。どうしてそういう夢を見るかは、今でも謎。
 夢のお蔭で聞けた、ハーレイの子供時代の武勇伝。空を飛ぶための先生は、なんとムササビ。
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