シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あいつ、あの日は此処にいたんだ…)
ハーレイの目にふと留まったソファ。ブルーの家には寄れなかった日、帰って来た家で。自分の家だから何の遠慮も要らないとばかりに、鞄をドサリと投げ出した。ソファの上へと。
それから着替えを済ませて戻って、放り出してあった鞄を端にきちんと置き直そうとして。
(…此処だったんだ…)
此処にブルーが座ってたんだ、と小さな恋人の姿を思い出した。このソファにチョコンと座った恋人、パジャマ姿だった小さなブルー。
どうして気付かなかったのだろう。今日まで何度もソファに座ったし、鞄も何度も置いたのに。着替え用の服を置いて出掛けて、此処で着替えることもあるのに。
たった一度だけブルーを座らせたソファ。小さなブルーが座っていたソファ。
ブルーと出会って間もない頃に。メギドの悪夢に襲われたブルーが恐怖に怯えながら眠った夜。瞬間移動など出来ない筈のブルーが此処まで飛んで来た。何ブロックも離れた此処まで、寝ていた自分のベッドの中へと。
(あの夜は俺もパニックだったしなあ…)
寝ぼけ眼で「何かがベッドにいる」と感じて、母の猫かと思った自分。隣町の家にいた真っ白な猫のミーシャが来たなと、潰してしまってはマズイだろうと。
けれども、自分の子供時代にミーシャはいなくなっていたから。何かが変だと手で探ろうとした時、耳に届いたブルーの寝言。「ハーレイ」と漏らして、「会いたいよ」と。
何が起こったのか、それで分かった。前のブルーと同じ背丈に育つまでは家に来るな、と言っておいたブルーが瞬間移動でやって来たのだと。自分でも知らずに、無意識の内に。
(…実際、アレは驚いたんだ…)
小さなブルーが自分のベッドに飛び込んで来た上、懐にもぐり込んで来たのだから。
今とは違って、再会してから間もない頃。
前のブルーと長く過ごした恋人同士だった頃の記憶が勝っていたから、ブルーを求める気持ちもあった。幼い身体でもブルーは同じにブルーなのだし、身体ごと手に入れてしまいたいと。
そうは思っても、無垢で小さなブルーにはまだ早すぎる行為。いくらブルーがそれを望んでも、心も身体も耐えられはしないと分かっていたから、懸命に自分を抑えていた。
「家には来るな」と釘を刺したのも、その一つ。ブルーが家に遊びに来た時、見せた表情が前のブルーと重なったから。思わず抱き締めてしまいたくなる前のブルーに見えたから。
(…重なっちまったら、もう止まらないんだ…)
たとえブルーが幼くても。悲鳴を上げても、もう止まらない。力の限りに抱き締めるどころか、強引にキスして、服も剥ぎ取って…。
そうならないよう、「来るな」と言っておいたブルーが同じベッドに入って来た。眠ったままで胸に縋り付いて来た、これでパニックにならない方が不思議だろう。
(ウッカリ俺まで眠っちまったら、何をやらかすか…)
なにしろブルーがいるのだから。腕の中で眠っているわけなのだし、そのまま自分が夢の世界の住人になれば、前のブルーと同じつもりで眠りこけながら何をするやら…。
指が、手が、眠るブルーの身体にけしからぬことをしてしまいそうで。悪ふざけの範囲で済めばまだしも、それで済まなくなったなら。ブルーのパジャマを脱がせるだとか、その下の肌を探ってズボンの中まで手を入れるだとか…。
(そいつは大いにマズイんだ…!)
ブルーはきっと眠りながらでも、そういった行為に応えるから。幼い心も、小さな身体も眠りの前には何の歯止めにもなりはしなくて、前のブルーの動きをなぞってしまうだろうから。
一度ブルーが応えてしまえば、きっととんでもないことになる。気付けば小さなブルーの身体を組み敷いてしまって、もう本当に止まれない所まで行っていそうな予感がしたから。そうなってもブルーは微塵も困りはしないだろうけれど、自分の方は…。
(取り返しのつかないことをやっちまったと、きっと一生…)
悔やみ続けることだろう。ブルーが大きく育った後にも、二人で暮らせるようになっても。
それだけは御免蒙りたいと、いくらブルーは平気だとしても自分の良心が咎めるから、と朝まで必死に抑え続けた自分の劣情。ブルーが欲しいとざわめく心。
眠っても駄目だし、欲望に負けてブルーに触れてしまえば、もうおしまいで。ブルーは腕の中にいるのだけれども、「愛おしい」と思う以上の気持ちを持ってしまえば破滅するだけで。
朝まで眠らずに耐えて耐え続けて、ようやくブルーが目覚めてくれて。
「ハーレイの家に来られたんだね」と無邪気に喜ぶブルーと一緒に寝室を出て、階段を下りて、リビングに来て。
「此処に座れ」と座らせたソファ。一人用ではなくて、ゆったりと座れる大きなソファ。
ブルーが座ったのは、その一度きり。あの朝にチョコンと腰掛けたきり。
(遊びに来た日は座っていないし…)
教え子を招くようなつもりで、ブルーを家に呼んでやった日。前のブルーとそっくりな貌をするブルーに驚き、心をかき乱された挙句に「大きくなるまで来るな」と告げねばならなかった日。
けしからぬ気持ちになっては駄目だ、と心の何処かで考えていたのかどうなのか。
この部屋でブルーと話す時には、一人用のソファに腰掛けて向かい合っていた、これとは別の。二人で並んでも充分すぎる余裕のあるソファ、これではなくて。
リビングの端の、大きなガラス窓越しに庭が見える場所。其処にブルーと座っていた。
けれども、ブルーがベッドに飛び込んで来た後に迎えた朝。あの朝はブルーを此処に座らせた、何も思わずに。広いソファの方がいいだろう、とパジャマ姿の小さなブルーを。
(あいつが一人で座るだけだっていうのも、あったんだろうな)
自分はブルーの家に通信を入れたり、顔を洗って着替えたりと用があったから。ブルーと一緒に腰掛けて話すどころではなくて、するべきことがあったから。
ブルーが一人で座るだけなら、邪心の入る余地などは無い。ソファはただの椅子で、一人用でも大きなものでも、座り心地が良ければそれでいいのだから。
(それっきりか…)
あの朝だけか、と眺めるソファ。小さなブルーが座っていたソファ。
此処に腰掛けたブルーを見たくなっても、ブルーは来ないし、招きも出来ない。
今はまだ。
十四歳にしかならないブルーが大きく育って、前のブルーと同じ姿になるまでは。
柔道部員たちが押し掛けて来た日は、このソファも寿司詰めになるのだけれど。冬の寒い日に、木の枝にギュウギュウと連なって止まるメジロさながらの光景だけれど。
メジロ押しだか、寿司詰めだかの賑やかな教え子たちの集団、そんな見慣れた光景よりも。
(…此処にあいつなあ…)
此処にブルーがいてくれればな、と思いが募る。けして叶いはしないけれども、小さなブルーが前と同じに育つ日までは無理だけれども。
(…柔道部員どもとは、まるで値打ちが違うんだ)
端から端までギュウ詰めに座って、その連中の膝の上にも乗ろうという輩がいるくらい。もっと座れるとメジロ押し並みにギュウギュウとやって、零れ落ちたりしているくらい。
そういう彼らも面白いけれど、見ていて飽きはしないのだけれど。彼らがギュウギュウ押し合うソファより、満載になって溢れるソファより、ブルーが座っているソファがいい。
(小さなあいつは、もう呼べないし…)
いつか大きく育つ時まで、待っているしか無いのだけれど。
ソファに気付いたら、其処にブルーが座っていたのだと思い出したら、いて欲しいブルー。
柔道部員たちのメジロ押しも愉快で笑えるけれども、ブルーに座って欲しいものだと。
そう思ったから、夕食の後はコーヒーを淹れて、そのソファに座ることにした。熱いコーヒーを満たした愛用の大きなマグカップ。それを片手に「今日は此処だ」と。
自分がドッカリ腰を下ろしても、大人が二人は楽に座れる余裕があるソファ。柔道部員たちなら四人は基本で、大抵、五人は詰まっている。「もっと詰めろ」と、「まだいけるだろ」と。
そのソファの丁度真ん中あたりに座って、隣にブルーがいるつもり。マグカップを持っていない方の手、その手でブルーの肩を抱けたなら、と。
ブルーは苦手なコーヒーだけれど、隣に座るのを嫌とは言うまい。「ぼくは紅茶の方がいい」と紅茶を手にしていそうだけれども、きっと隣に座ってくれる。
早くその日が来ないものかと、此処にブルーがいてくれれば、と誰もいない隣に溜息をついて。いつになったら此処にブルーが来てくれるのかと、空っぽの隣を眺めていて。
(…そうだ)
ブルーなら家にいるじゃないか、とマグカップをコトリとテーブルに置いて向かった書斎。あの書斎にはブルーがいるのだった、と。
よくコーヒーを飲んでいる書斎、本たちに囲まれた憩いの空間。其処に据えてある机の上には、小さなブルーの写真を収めたフォトフレーム。夏休みの終わりにブルーと写した記念写真。
フォトフレームの中、自分の左腕にギュッと抱き付いた笑顔のブルーに「すまん」と詫びて頭を下げて。そうっと開けた机の引き出し、日記の下から引っ張り出した写真集。
正面を向いた前のブルーの写真が表紙に刷られた、『追憶』のタイトルを持つ写真集。最終章はメギドへと飛ぶ前のブルーの最後の飛翔で始まり、爆発するメギドで終わっている。
悲しくて辛い本だけれども、前のブルーが愛おしいから。こうして自分の日記を上掛け代わりに被せてやって、いつも引き出しの中に。泊まりの研修にも持ってゆくほど愛おしいブルー。
これだ、と大切にリビングへ運んだ写真集。それをソファの上、自分の隣に置いたら、ブルーが其処にいるかのようで。前のブルーが幻となって、隣に座っているかのようで。
これでいいのだと、今夜はブルーと二人なのだと、少し温くなったコーヒーを口にしながら。
「なあ、ブルー…」
いつかは座ってくれるんだよな?
今はこういう写真しか無いが、ちゃんと本物のお前になって。俺の隣に、この姿で。
…おっと、ソルジャーの衣装はもう要らないんだぞ、お前の好きな格好でいい。普段着だろうがパジャマだろうが、俺は全く気にしないからな。
此処に座ってくれればいいんだ、俺の隣に。…お前の苦手なコーヒーを飲めとは言わないから。
そうは言っても、お前は飲みたがるんだよな、と語り掛けても返らない返事。
写真のブルーは何も言わずに見上げてくるだけ、瞳の奥深く悲しみと憂いを揺らめかせて。前のブルーが強くあろうと隠し続けた真の表情、それを湛えた眼差しで。
どの写真よりも有名なそれを見詰めて、前のブルーに思いを馳せて。
「今はゆっくりしていい時代だぞ」と、「俺の家だから、のんびりしてくれ」と、和らぐ筈などないブルーの表情を和らげたいと話し掛けていて…。
そこで気付いた、これが初めてではないと。
こうしてブルーと語り合った時間、それが確かにあった筈だと。
ブルーと話していた記憶。今と同じに、前のブルーと。
けれどブルーは幻ではなくて、もちろん写真であったわけもなくて。
(待てよ…?)
青の間には一つも無かったソファ。一人用さえ無かったのだから、二人用などある筈もない。
なのに、並んで座った記憶。前の自分の隣に座っていたブルー。
ソファに腰掛け、隣を向いたらブルーがいた。前のブルーが微笑んでいた。そうして二人並んで話した、何度も何度も語り合っていた。
まるで今夜の自分のように。前のブルーの写真集と隣り合わせに座って、答えが無くても自分の想いを語り掛けては、話しているつもりで頬を緩める自分のように。
青の間にソファは無かったというのに、あれは一体、何処だったろう?
何処でブルーと並んで座っていたのだろうかと、遠い記憶を懸命に手繰り寄せていて…。
(そうか、俺の部屋か…!)
あそこだった、と蘇った記憶。
白いシャングリラの中、広かった前の自分の部屋。キャプテン・ハーレイが暮らしていた部屋。仕事柄、様々な者たちが出入りするから、応接用のスペースも設けられていた。寝室や航宙日誌を書いていた部屋とは違った空間。其処に置かれていた応接セット。ソファとテーブル。
前のブルーが訪ねて来た時は、ソファで語らうのが常だった。
恋人同士の仲になるまでは低いテーブルを挟んで向かい合わせで、前の自分が淹れた紅茶などをお供に笑い合ったり、地球への夢を語り合ったり。
そうして恋が実った後には…。
(あいつが俺の隣にいたんだ…)
もう向かい合わせに座ることは無くて、いつも並んで座ったソファ。
ブルーの居場所は前の自分の隣で、すぐ側にあった前のブルーの温もり。たまに向かい合わせで座った時にも、いつの間にか隣に来ていたブルー。前の自分の隣に座っていたブルー。
横を向いたら、其処にブルーの笑顔があった。幸せそうに微笑む顔が。
わざわざ肩を抱き寄せなくても、ブルーの方から自然ともたれて来ていた記憶。前の自分の肩に身体を預けてしまって、眠くもないのに目を閉じていたり。…そう、幸せを噛み締めるように。
(あいつが俺の部屋に来たがったのは…)
ソファのせいでもあったのだろうか?
青の間には無かった、二人並んで座れる場所。並んで腰掛け、語り合える場所。
今の時代も、恋人たちは並んで座るのが常だから。白いシャングリラでも、そうだったから。
ブルーはそれを真似てみたくて、恋人同士で座る気分を味わいたくて、ソファが備えられていた前の自分の部屋を訪ねて来たのだろうか…?
それだけではないと思うけれども、ソファも理由の一つだったろうか、と。
(どうなんだかな…)
真相を小さなブルーに訊いたら、喜ばせるだけの質問だけれど。
ソファが関係していようが、まるで全く無関係だろうが、問われたブルーは間違いなく赤い瞳を輝かせて喜ぶだろうけれども。
尋ねてみようか、明日は土曜日だから。ブルーの家へ行く日だから。
(…お前は知っているんだろうがな…?)
どうだったのかを俺に教えてくれはしないんだろうな、と問い掛けた写真集の表紙のブルー。
答えは返って来なかったけれど、憂いを秘めた顔のブルーが一瞬、微笑んだようにも見えた。
「思い出してくれたんだね」と。
ぼくたちのことを、君の部屋のソファに並んで座っていたことを、と。
その夜は前のブルーとソファで過ごして、それから書斎で日記を書いて。その日記を『追憶』の上にそっと被せて、「おやすみ、ブルー」と引き出しを閉めた。
一晩眠ってもソファの思い出を覚えていたから、頭にきちんと残っていたから。小さなブルーに尋ねてみようと、ブルーの家へと歩いてのんびり出掛けて行って。
生垣に囲まれた馴染みの家に着いて、二階のブルーの部屋で向かい合わせに腰掛けてから質問をヒョイと投げ掛けてみた。
「お前、ソファのことを覚えているか?」
ソファと言ったら家具のソファだが…。こういう椅子とは違って、ソファだ。
「ハーレイの家の?」
うん、覚えてるよ、リビングに置いてあったよね。大きなソファにも、一人用のにも座ったよ。どっちも座り心地が良くって、フカフカのソファ。
「いや、それじゃなくて…」
今の俺の家にあるソファじゃなくてだ、前の俺の部屋の…。
「え?」
ブルーがキョトンと首を傾げるから、「キャプテンの部屋にあったヤツだ」と説明をした。
「忘れちまったか、前の俺の部屋にあったソファ」
キャプテンの部屋には客も来るしな、応接セットがあったわけだが…。ソファとテーブルが。
お前、座っていたろうが。いつでもソファで俺の隣に。
「ああ、キャプテンの部屋のソファ…!」
あったっけね、と嬉しそうに頷いたブルー。
大きなソファが置いてあったと、あれは青の間には無かったものだと。
来客が多いキャプテンの部屋ならではの家具で、ソルジャーの部屋には無かったっけ、と。
ブルーはキャプテンの部屋のソファも、青の間にソファが無かったことも思い出したから。前の自分たちの部屋にあった家具の違いに気付いてくれたから。
これはチャンスだと、昨夜からの疑問をぶつけることにした。ブルーはソファが好きだったのか否か、それを訊くのが自分の目的なのだから、と。
「よし、ソファがあったことは思い出したな? それでだな…。お前に訊いてみたいんだが…」
前のお前が俺の部屋に来たがっていたのは、あのソファのせいか?
「…ソファ?」
ソファのせいって、どういう意味なの?
前のハーレイの部屋は好きだったけれど、何度も泊まりに行っていたけど…。
「いや、もしかしたら、あのソファに座りたくて来ていたのかもな、と思ってな…」
友達同士だった頃には向かい合わせで座ったもんだが、恋人同士になってからは、だ。いつでも俺の隣に座っていたしな、前のお前は。
たまに向かい合わせで座った時にも、気が付いたら俺の隣に来てた。当たり前のように。
…だからだ、お前、あのソファに座ろうとして来ていたのかと思ったんだが…。
青の間にソファは無かったからなあ、並んで座れはしなかったからな。
どうだったんだ、と尋ねたら、ブルーの顔が花が開くようにふわりと綻んで。
「うん、そうだよ」
あのソファに座りたいから行ってたんだよ、ハーレイの部屋に。
ソファが目当てじゃない時だって、もちろん何度もあったけど…。ソファが無くても、行きたい部屋ではあったんだけれど。
…だって、ハーレイの部屋だから。ハーレイのためにあった部屋だから、何処もハーレイの色で一杯。緑とかそういう色じゃなくって、ハーレイの好きな色なら何でも。机も床も、壁の色もね。
あの部屋の全部が好きだったけれど、ソファに座るのも大好きだったよ。
すっかり忘れてしまっていたけど、あのソファ、お気に入りだったんだよ…。
ソファそのものもハーレイらしくて好きだったけれど、ハーレイの隣が好きだった、とブルーは笑みを浮かべて答えた。前のハーレイの隣に並んで座るのが、と。
「あそこでしか並んで座れなかったしね…」
どんなにハーレイの隣に座りたくっても、あのソファだけしか無かったから。
「…そうか?」
お前、しょっちゅう俺の隣にくっついていたと思うんだが…。
もたれていたり、俺の腕にギュウッと抱き付いていたり。
「それはそうだけど…。間違いないけど、そういう時にはベッドだったよ」
ベッドの上とか、ベッドの端に並んで座っていた時だとか。そんな時だよ、くっついてたのは。
だけど、椅子はね、ハーレイの部屋のソファだけだった。
ハーレイと同じ椅子に並んで座れる所は、あのソファだけしか無かったんだよ…。
公園のベンチや、シャングリラの中を移動するための小さな車両の座席やら。
そうした場所なら並んで座ったことも珍しくなかったけれども、ソルジャーとキャプテンの貌で座っていただけ、とブルーに言われてみれば。
確かにそういう記憶しか無くて、休憩中のソルジャーの隣に座って話をするとか、視察の途中に隣り合わせで座ってゆくとか、それだけのこと。同じ椅子に並んで腰を下ろしていても。ベンチや座席で隣り合っていても、あくまでソルジャーとキャプテンだった。
「…ハーレイと恋人同士で並んで座っていられる椅子は、本当にあのソファだけだったんだよ」
シャングリラはうんと広かったけれど、あそこだけが誰にも見付かる心配が無かった場所。
どんなに二人でくっついてたって、恋人同士なんだって分かる話をしてたって。
あの船の中に、恋人たちのための場所は幾つもあったのに…。
公園のベンチも、休憩室とかに置いてあったソファも、恋人たちが並んで座ってたのに。
「そういや、そうだな…」
仲良く並んで座っているな、ってヤツらを見掛けることが多かったっけな。
並んで座るってだけじゃなくって、手を繋いでたり、肩を抱いてたりしたっけな…。
「でしょ?」
だから、あのソファが好きだったんだよ。あそこなら並んで座れるから。
恋人同士の気分になれたよ、他の恋人たちみたいに公園とかではなかったけれど。
何処でも恋人同士の顔をして堂々と並べはしなかったけれど、あのソファは別。ハーレイの肩にもたれていたって、くっついてたって、何の心配も無かったんだもの。
…キャプテンの部屋に断りも無しに入ろうって人は無いものね。誰か来たなら、パッと離れて、ハーレイの向かいに座り直せばいいんだから。
でなきゃ瞬間移動で逃げてしまうとか、誤魔化す方法は山ほどあったし…。
だけど、そんなことは一度も無かったんじゃないかな、行ってたのはいつも夜だったから。
本当に素敵なソファだったよ、と小さなブルーは懐かしそうで。
どうして今まで忘れていたのかと、あのソファがとても好きだったのにと遠く遥かな時の彼方に消え去った船を、キャプテンの部屋を、其処にあったソファを思い浮かべているようだから。
「…お前、やっぱり、アレが目的だったんだな?」
あのソファに座ろうと思って来ていたんだな、俺の部屋まで。
「それだけってわけじゃないけどね」
ハーレイの部屋も好きだったと言ったよ、何処を見たってハーレイの色で。
航宙日誌を書いてるハーレイを眺めているのも大好きだったし、お酒を飲んでるハーレイも…。
青の間だと見られないものばかりが揃っていたから、いつ出掛けたって楽しかったよ。
それにね、ハーレイと過ごせる時間。
恋人同士でいられる時間も大切だったよ、ソファだけに限った話じゃなくて。
キスとか、その先のことだとか…、と小さなブルーがチラリと意味ありげな視線を寄越すから。
(…そうだ、あのソファでも…!)
二人並んで座っていたから、隣同士でくっつき合っていたのだから。
ソファに座ったまま、キスを交わしたりしたのだった。ただ触れるだけのキスとは違って、恋人同士の深いキス。そのまま溶け合ってしまえそうなほどに熱くて激しいキスを。
ふざけ合ったこともあったのだった、ベッドに行く前の恋人同士の戯れの時間。互いの肌を探り合ったり、ブルーの補聴器を外してしまって柔らかな耳を味わってみたり。
流石にソファでは愛は交わしていないけれども。
そういう気分になって来たなら、ブルーを抱き上げてベッドに運んでいたけれど…。
実はとんでもない場所だったのか、と今頃になって思い出したソファ。
小さなブルーに質問したのはマズかったろうかと、藪蛇だったかと慌てた所で手遅れなのだし、此処は平静を装っておくのが一番だろう。ブルーが何処まで覚えているかは謎だから。忘れている可能性も高いのだから、自分さえ口を噤んでおけば、と。
そんな祈りが天に届いたか、ブルーはキスだの本物の恋人同士だのと言いはしないで。
「ねえ、ハーレイ。…ぼくもハーレイに質問があるんだけれど…」
訊いていいかな、ソファのことで。
「ん?」
ソファがどうかしたか、前のお前が好きだったソファか、前の俺の部屋の?
「ううん、そうじゃなくて…。今度もソファに並んで座っていいんだよね?」
今のハーレイの家にあるソファ。
あの大きなソファ、ハーレイと並んで座っちゃってもかまわないよね…?
「もちろんだ」
どうして駄目ってことになるんだ、お前、俺の嫁さんになるんだろうが。
俺と一緒に暮らすわけだし、あのソファはお前のためのものでもあるわけだ。
俺が仕事に行ってる間に寝転んで本を読んでいようが、昼寝しようが、お前の自由だ、誰からも文句は出ないってな。
キャプテンの部屋にあったヤツはだ、俺の私物か、そうでないのか微妙だったが…。
仕事用って側面もあったわけだし、半分ほどは公共の物かもしれなかったが…。
今度は違うぞ、明らかに俺の私物だからな。好きに使ってかまわないんだ、昼寝でもなんでも。
そうでなくても、柔道部のヤツらに既に蹂躙されている。
ヤツらが来たなら、あのソファは遠慮なく奪い合いなんだ、挙句の果てにはメジロ押しってな。ギュウギュウ詰まって、端っこのヤツが零れ落ちてる有様だぞ。それでも足りずに上に乗るヤツも現れるわけだ、他のヤツらの膝の上にな。
だからお前も好きに使え、と許可を出してやった。
今はまだまだ早すぎるけども、いつか大きく育った時には、まずは二人で並んで座る所から。
結婚したなら、ソファはブルーのものでもあるから、もう本当に好き放題に。昼寝をしようが、寝そべって本を読んでいようが、どんな風にも使っていいと。
「お茶を飲んだり、菓子を食ったりするのなんかは基本だな。ソファ本来の使い方だし」
何に使おうが、俺は小言を言いはしないぞ。
お前なら大事に使うだろうしな、柔道部のヤツらみたいな無茶はしないで、それは大切に。
「ありがとう、ハーレイ! ぼくのソファにもなるんだね、あれは」
それなら、今度はキスだけじゃなくて、もっと他にも…。
「はあ?」
キスとはなんだ、と背中に冷汗が流れたけれども、冷静なふりで訊き返したら。
「えーっと…。前は一応、遠慮してたし…」
前のハーレイの部屋にあったソファはね、ハーレイがさっき言ってた通りだったし…。
ハーレイの部屋のソファではあったけれども、ハーレイの私物かどうかは難しくって…。
だから、遠慮はしていたんだよ。
これよりも先はちょっとマズイかもしれないよね、って。
あのソファはヒルマンやゼルや他の仲間たちも座るソファだったから、と染まっている頬。
そういうソファでは流石にどうかと、前の自分も考えて遠慮していたと。
「…キスと、ちょっぴりふざけ合うくらいは大丈夫かな、って思ったけれど…」
ベッドの代わりにするっていうのはあんまりかな、って。
このままソファで出来たらいいのに、って思っていたって、ハーレイにベッドに運ばれちゃっておしまいだったし、やっぱりそういうことだよね、って…。
ぼくから強請っちゃ駄目だと思って、ソファでは我慢をしていたんだよ。
とても大好きな場所だったんだし、本当はあそこをベッド代わりにしたかったけど…。
だからね、今度はソファでもお願い。キスだけじゃなくて、ホントはベッドですることまで。
「こら、お前…!」
キスも駄目だと言っているのに、何の話をしてるんだ…!
第一、お前は何歳なんだ、十四歳にしかなっていないだろうが…!
背伸びしてベラベラ喋ってる中身、今のお前には意味が分かっているかも謎だぞ、馬鹿者が…!
子供のくせに、とブルーを叱り付けたけれど。
小さな子供が何を言うかと、前と同じに育ってから言えと顔を顰めてやったけれども。
「…でも、ソファの話…。言い出したのはハーレイだよ?」
ハーレイが先にぼくに訊いたんだよ、あのソファのことを覚えてるか、って。
あれに座りたくてハーレイの部屋に行ってたのか、って質問したのはハーレイじゃない…!
「だから訊きたくなかったんだ…!」
お前を喜ばせるだけかもしれん、と思ってはいたが、真相ってヤツを知りたかったし…。
それだけを訊ければ充分なんだと腹を括ってやって来たのに、お前ときたら…。
余計なことまで思い出しちまって、ソファの使い方の注文だと?
今のお前に似合いのソファの使い方はだ、昼寝と寝そべって本を読むことだ…!
チビが、とブルーの額を拳で軽くコツンと小突いたけれど。
ブルーは「ハーレイが先に言ったくせに」と膨れっ面をしているけれど。
(…まあ、いずれはな?)
小さなブルーが前と同じに育ちさえすれば、今度は二人でソファに座れる。今はまだ二人並んで座れないソファに、隣り合わせで。
最初はそこから、隣同士で仲良く座って、お茶やお菓子や、他愛ない話。
ブルーの肩を抱いたりしながら、微笑み交わして、くっつき合って。
そうして始まる、今の生でのブルーとのソファの使い方。恋人同士での座り方。
二人並んでソファに座って、それからキスも、その先のことも、前の生では無理だったことも。
ブルーも自分も遠慮していて、出来なかったソファの使い方。
あのソファをベッド代わりに使ってみようか、いつかブルーと結婚したら。
同じ家で暮らして、同じソファを使える時が来たなら。
ブルーもあのソファの持ち主になって、昼寝に使うような時が来たなら。
それもいいな、と零れそうな笑みを今は懸命に堪えるけれど。
小さなブルーを喜ばせてしまう結果を招かないよう、威厳を保っておくけれど。
いつかはブルーと使いたいソファ。恋人同士の熱い時間を、甘い営みをあのソファの上で…。
二人のソファ・了
※前のハーレイのキャプテン時代に、部屋にあったソファ。前のブルーのお気に入りの場所。
恋人同士で並んで座れる所は、その一つだけ。今の生でも、素敵な場所になりそうです。
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