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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

エスカルゴの味

(ふうむ…)
 いいな、とハーレイが目を留めたエスカルゴ。いわゆる食用カタツムリ。生とは違って調理したもの、自宅で焼けば出来上がる品が並べてあった。ブルーの家には寄れなかった日、帰りに覗いたいつもの食料品店で。
 特設売り場ではなくて、普通の売り場。こういった洒落た食品も置いたりするから、いつ来ても飽きない店で、手ぶらで帰ったことが無い。
(たまにはエスカルゴも美味いんだ、うん)
 せっかくだからと買うことに決めた。エスカルゴの生など買ったことがないし、料理した経験は無いのだけれども、美味しさはよく知っている。味の決め手はエスカルゴバター。
(エスカルゴのブルゴーニュ風だっけな)
 そういう名前がついている料理、遠い遥かな昔の地球でつけられた名前。エスカルゴで知られたフランスのブルゴーニュ地方、其処での調理方法だったらしい。
(でもって、今でもブルゴーニュ風なんだ)
 ブルゴーニュ地方があった地球は一度滅びて、青く蘇った地球に再びブルゴーニュ地方。自分が住んでいる地域が日本の文化を復興させているのと同じで、ブルゴーニュだって存在している。
(…エスカルゴはどうだか知らんがなあ…)
 養殖方法はちゃんとあるのだし、ブルゴーニュ地方に限ったものでもないだろう。エスカルゴは多分、自分が住んでいる地域でも育てている筈だから。
(だが、本家本元を名乗っていそうではあるな)
 エスカルゴ料理は此処から生まれました、と高らかに謳っているかもしれない。此処で作るのが本物なんです、と。
 地球はすっかり変わってしまって、地形もまるで違うのに。
 それ以前に一度滅びてしまって、エスカルゴどころではなかったのに。



 今の青い地球に住む人々には、地球と言ったら青い星。遠い昔には死の星だったことも、地球を蘇らせるためにSD体制が敷かれていたことも歴史の彼方の出来事で…。
(多少地形が変わりましたが、って話で済んじまってるなあ…)
 前の俺たちの苦労は知るまい、とクックッと喉を鳴らしてしまった。家に帰って、エスカルゴを店の袋から取り出したら。パッケージに書かれた「ブルゴーニュ風」の文字を目にしたら。
(ブルゴーニュも今じゃ普通だしな?)
 かつてのフランスの文化で暮らしている地域、その一部分がブルゴーニュ。今は誰もがそういう認識、遠い遥かな昔のブルゴーニュ地方もこうだったろう、といった感覚で。
(俺たちも言えた義理ではないんだが…。日本はこうだと思ってるわけで…)
 事実、自分も今の青い地球を当たり前のように享受していた。ブルーと出会って、記憶が戻ってくるまでは。前の自分が目にしていた地球、赤い死の星を思い出すまでは。
(しかしだ、俺にとっては地球はこうなわけで…)
 青くて、ブルゴーニュ地方もきちんとあって…、とエスカルゴが詰まった袋の封を切る。蘇った地球に生まれたからには、そのように生きていいだろう。前の自分が苦労した分、今度は楽しく。
(ブルーも一緒にいるんだからな)
 まだ十四歳にしかならないブルーだけれども、いずれ育ったら結婚出来る。二人で一緒に暮らす家でも、エスカルゴを食べたりするだろう。
 「ブルゴーニュ風と来たもんだぞ」と、「こいつが今では当たり前ってな」などと平和な時代を笑い合いながら。



 買ったエスカルゴは全部で六個。焼きやすいように専用の皿までついている。素朴な素焼きで、くぼみが六つ。その一つずつにエスカルゴが一個、エスカルゴバターが詰まった口を上に向けて。
 オーブンで焼いてもいいのだけれども、他の料理を作るついでに見ながら焼くのも面白い。
(…そっちにするかな)
 香ばしいエスカルゴバターの香りは食欲をそそるし、焼き加減も目で確かめられるから。それでいこうと始めた夕食の支度、エスカルゴに合わせてムニエルやスープとフランス風を意識して。
 エスカルゴは熱々が美味しいから、と最後に焼いた。まだ熱い皿ごとテーブルに運んで…。
(トングとフォークは無いんだがな?)
 あんなのは店で使うもんだ、と持って来た、ごくごく普通のフォーク。洒落た店だとエスカルゴ専用のトングとフォークが出ることもある。トングで殻をしっかり掴んで、細くて長いフォークを使って引っ張り出す中身。
 けれども、そんなものまで要らない、家で食べるなら。普通のフォークで充分間に合う。熱々の殻で火傷しないよう、気を付けて扱いさえすれば。
 頬張ったエスカルゴは期待通りの美味しさ、買って帰って正解だった。わざわざ店まで出掛けて食べる必要は無し、と言いたくなるほど。
 エスカルゴの身を食べた後には、お楽しみが一つ。たっぷり詰まっていたエスカルゴバター。
 熱で溶け出し、皿のくぼみと殻の中とにソースのように溜まっているけれど…。



(こいつは、こうして食ってこそなんだ)
 カリッと焼いておいたトーストに溶けたバターを吸わせて口へと運んだ。ニンニクの微塵切りやパセリやハーブを練り込んだバター、それが美味しい。このバターだけを使った料理もあるほど。エスカルゴは抜きで、エスカルゴバターで仕上げる料理。
 ガーリックトーストもエスカルゴバターで作れるものだし、炒め物にもよく合うバター。それにエスカルゴそのものの味が入れば、美味しさはもう格別で…。
(エスカルゴの出汁が入っています、ってトコか)
 前の自分だったら何と言ったろうか、出汁という言葉が無かった時代。肉汁か、ブイヨンとでも呼んだだろうか、エスカルゴを焼いたら出て来る独特の味の液体を。
 ともあれ、エスカルゴバターだけでは出せない風味。エスカルゴのブルゴーニュ風を食べた時にしか味わえない味、バゲットを買って来ておいても良かったかもしれない。
 元から固いバゲットはフランス料理向きだし、トーストせずともエスカルゴバターを吸い込んで美味しくなるものだから。
(この次にエスカルゴを買おうって時には、バゲットもだな)
 バターだけでも一品作れる味なのだから、と殻の中に残ったバターもトーストにつけて頬張り、次のエスカルゴをフォークで引っ張り出した。中身を食べたら、バターを味わう。ニンニクなどの旨味とエスカルゴの出汁、それが複雑に絡んだ味を。



 なんとも美味い、と舌鼓を打つエスカルゴ。御大層にもブルゴーニュ風。地球ならではの味だと言いたいけれども、他の星でも料理の名前は同じだろう。エスカルゴバターを使って作れば、星の名前が何であってもブルゴーニュ風で、味わいもきっとそうは変わらない。
(だが、本家本元は地球でだな…)
 ブルゴーニュが少し変わっちまったが、と思い出す地球。前の自分が宇宙から見た赤い死の星。あの頃であれば、ブルゴーニュ地方は地図の通りにあっただろう。生き物の姿が無かっただけで。
 まさか蘇るとは夢にも思わなかった地球。前の自分が涙するしかなかった星。
 その地球は青い星に戻って、自分も其処に生まれ変わった。地形は変わってしまったけれども、ブルゴーニュ地方がある地球に。ブルゴーニュ風と言ったらあそこ、と誰もが思い浮かべる星に。
 エスカルゴのブルゴーニュ風は実に美味しくて、エスカルゴバターも最高で。
 買って帰った甲斐があった、と熱々のそれを頬張る内に。



(…待てよ?)
 何処かで食べたエスカルゴの記憶。そっくり同じにブルゴーニュ風。
 それを大勢で食べた気がする、とても賑やかに。
(誰の披露宴だ?)
 結婚式くらいしか思い付かない、大人数でこの手の料理といえば。エスカルゴが出て来るようなテーブルとくれば、多分、パーティーくらいなもの。食料品店の棚にも並ぶエスカルゴとはいえ、学校の給食に出はしないから。少し気取ったレストランとか、そういう所の料理だから。
 ブルゴーニュ地方の人にとっては、普段着の味かもしれないけれど。馴染みの家庭料理といった所で、エスカルゴバターを作り置きして「時間が無い日はコレだ」と焼くかもしれないけれど。
(しかしだな…)
 今の自分が住んでいる地域はブルゴーニュではなくて、遠く離れた日本なわけで。エスカルゴは洒落た料理な扱い、結婚式の披露宴などのパーティーの席が似合いの料理。
 大勢でエスカルゴを食べていたなら、ただの教師な自分の場合は結婚式の披露宴くらい。他には思い当たる節などはなくて、それしか無いと思うのだけれど。
(それにしては、だ…)
 妙に賑やかだったような記憶。エスカルゴを食べていたパーティー。
 披露宴どころか宴会と呼ぶのが相応しいような、かしこまった所がまるで無いもの。
(そんな豪華な宴会なんぞが…)
 あったろうか、と首を捻った。エスカルゴのブルゴーニュ風が出されるような宴会の席。
 教師仲間の宴会はそこまで豪華ではないし、学生時代の宴会も同じ。柔道や水泳で遠征した先で歓待されても、エスカルゴほどの豪華料理は出なかった筈。
(…ブルゴーニュ地方に行ってりゃ、それもアリかもしれないが…)
 生憎とそういう記憶は無かった、ブルゴーニュ地方を名乗る地域で大会などには出ていない。
(…宴会料理でエスカルゴだぞ?)
 考えられん、と頭を振った。きっと何かの記憶違いで、そんな宴会は無かったのだろう。何かのパーティーの記憶と混ざって、食べたと思っているのだろう。
 それが自然で、ましてシャングリラにエスカルゴがあった筈もないし、と思った所で…。



(違う…!)
 シャングリラだった、と気が付いた。あの船で食べた、エスカルゴを。ブルゴーニュ風を。
 青い地球など何処にも無かった遥かな昔に、白い鯨になるよりも前のシャングリラで。
 前のブルーが人類の輸送船から奪って来たのを、前の自分たちが初めて目にしたエスカルゴを。
 奪った物資は分類されて、調理されたり、分配されたりしていたけれど。食料は主に前の自分が仕分けをしたのだけれども、ある日、その中にエスカルゴがあった。それも大量に。
「なんなんだい、これは?」
 野次馬よろしく、やって来たブラウ。「妙なものがある」と連絡をしたら、真っ先に。
「俺にも分からん。…だが、食料には間違いなさそうだ」
 食料しか入っていないコンテナの中から出て来たから、と説明している最中に現れたゼル。謎の食材を見るなり一言。
「カタツムリだな、これは」
 そうとしか見えん、と梱包されたエスカルゴを指先でピンと弾いたゼル。まだ若かった頃で髪も豊かで、後の姿を思えばまるで別人。前の自分も若かったけれど。
 食材は保管庫に仕舞わなくてはいけないけれども、正体不明のカタツムリ。生きてはいない冷凍食品らしき代物、それが山ほど。とにかく冷凍、と倉庫に突っ込んだものの、謎だから。その内の一つを保冷が出来るケースに詰め込み、ゼルたちを呼んだという次第。
 とにかく来てくれ、と招集をかけた部屋にはブルーも来たけれど。「カタツムリだよね」と指でつつくだけ、答えを持ってはいなかった。
 ヒルマンとエラも同じ意見を述べたけれども、どちらからともなく出た「エスカルゴ」の名前。そういう食べ物があった筈だと、食べられるカタツムリだったと思う、と。
「…これがそうなのか?」
 何も書かれていないんだが、と示したカタツムリ入りのパッケージ。製造された日と廃棄処分に回すべき日と、それしか記されていなかった。つまり本当に謎のカタツムリ。
「多分、エスカルゴだと思うのだがね」
 調べてこよう、とデータベースに向かったヒルマン。エラと二人で。



 謎のカタツムリが詰まった保冷ケースを手にして、調べ物に出掛けた博識な二人。ブルーたちと部屋で待っている間に、答えは直ぐに届けられた。「エスカルゴだったよ」と明快に。
「この殻のままで焼くんだそうだ。中身は出さずに」
 どうやらそういう料理らしい、とヒルマンがまだ凍っているエスカルゴをつつくと、エラが。
「エスカルゴのブルゴーニュ風と言うのだそうです、バターを詰めてあるのです」
 ニンニクやパセリなどを刻んで練り込んだエスカルゴバター、それが決め手の料理だそうです。中のバターが美味しいらしいですから、零さないように焼くべきかと。
 ですから殻のままで調理を、と二人に言われたものだから。
「…ならば試しに焼いてみるかな、試食といくか」
 今なら厨房も空いているし、と皆を引き連れて出掛けた厨房。パッケージは上手い具合に十二個入りだったから、一人に二個という勘定。傾かないよう注意して並べて、オーブンへ。
 初めてだけに火加減に気を付け、これで焼けたと確信した所で二個ずつ皿に移して渡した。
「本当は専用の道具があるのだそうだよ」
 中身を引っ張り出すための、と解説しながらフォークでエスカルゴの身を出したヒルマン。前の自分もそれに倣った、ブルーたちも。熱々のエスカルゴを口に運んだ感想は…。
「美味しいじゃないか、カタツムリだとも思えないねえ…!」
 極上だよ、とブラウが絶賛、ゼルも「美味い!」と文句なしで。ヒルマンもエラも、前の自分もエスカルゴの味が気に入った。前のブルーも「美味しいね」と笑顔で頬張った。



 中に詰まっていたバターが溶け出したのが美味だったから。捨ててしまうには惜しい味だから、誰からともなく「行儀が悪いが…」と、カタツムリの殻から、バターが零れた皿から食べてみて。
 本当に美味しいと頷き合って、ブラウが真っ先に言い出した。
「食べる方法、何かあるんじゃないのかい?」
 お皿まで舐めたくなる味なんだよ、このまま捨てるとも思えないけどねえ?
「確かに、あるかもしれないね」
 調べてみる価値はあるだろう、と試食の後で、ヒルマンとエラは再びデータベースへ。間もなく二人は調べて来た。エスカルゴを食べた後に残ったバターは食事用のパンにつけて食べると。
「料理のソースと同じ扱いです、マナー違反にはならないそうです」
 それにエスカルゴバターというものは…、と続けたエラ。バターだけでも料理に使える頼もしいもので、ガーリックトーストをそれで作ったり、他にも色々な使い道が、と。



 試食してみて上々だったから、冷凍倉庫に突っ込んでおいたエスカルゴは他の料理と合いそうな日に焼いて食堂で出した。頭数を数えて、一人に三個。
 エスカルゴバターを食べるためのトーストもつけて、ヒルマンが料理名と食べ方を解説して。
 美味い、と評判だった味。エスカルゴのブルゴーニュ風という名前の食べ物。地球にあるというブルゴーニュ地方はどんな所かと、思いを馳せた者も多かった。
 また食べたいと声は高まったけれど、エスカルゴは物資に混ざっていなくて。
「…ぼくが奪いに行って来ようか?」
 前のブルーは探しに出掛けると言ったけれども。
「探すって…。エスカルゴを積んだ輸送船をかい?」
 そこまでしなくてもいいんじゃあ…。だって、相手はカタツムリだよ?
 無ければ困るっていうものでもなし、現に最初はエスカルゴなんて名前も知らなかったんだし。
 わざわざ奪わなくてもいいだろ、エスカルゴくらい。



 ブラウの言葉は正しかったから、前のブルーがエスカルゴを探しに出ることは無かった。
 偶然積んでいたならともかく、探してまでは要らないだろうと。
 そうは言っても、美味しかったことも間違いないから、エラがエスカルゴバターを持ち出した。あのバターだけでも料理に使えるのだから、それを使えば、と。
 データベースから引き出して来たというエスカルゴバターの材料と作り方。これをベースにして船にある材料で工夫すれば、と。エスカルゴバターが出来たら、それで料理を、と。
(俺が色々と試作してみて…)
 バターにニンニク、パセリといった主な材料が豊富な時に何度も試した。どういう割合で混ぜてゆくべきか、トーストにつけても美味しいエスカルゴバターはどれかと。
 エスカルゴバターを作っていた時、前のブルーが覗きに来ては出来上がるのを横で待っていた。出来立てのエスカルゴバターを塗ったトースト、それを楽しみにしていたブルー。
 カリッと焼けたガーリックトースト、「エスカルゴ無しでも美味しいよね」と。そんなブルーの意見も取り入れ、「これだ」と自信を持てるのが出来た。
 完成品の披露はトーストに塗ってのガーリックトースト、「エスカルゴの味だ」と喜んで食べた仲間たち。「これをもう一度食べたかった」と。
 皆の舌にも合う味と分かれば、後は工夫を凝らすだけ。材料のある時に作り置きして、似合いの食材が手に入った時にエスカルゴバターで料理する。意外なことにキノコにも合った。チキンならまだしも、キノコは肉ですらないというのに。
 ニンニクやパセリなどを微塵切りにして練り込むバターの味は好評で、シャングリラに定着したエスカルゴバター。
 本物のエスカルゴは二度と無かったけれども、ブルゴーニュ風のエスカルゴを積んだ輸送船とは出会わないままになってしまったけれど。



 前の自分が厨房を離れた後も受け継がれ、作られていたエスカルゴバター。シャングリラが自給自足の白い鯨に改造されても、エスカルゴバターは残っていた。
(確かムール貝で…)
 白いシャングリラで養殖していたムール貝。繁殖力が強くて環境の変化にも強かった上に、身も大きいからシャングリラにはピッタリの貝だった。
 あれにも使われていたのだったか、エスカルゴバターは。「同じ貝だから、余計に美味しい」と本物のエスカルゴを食べたことのある者たちが喜んでいた記憶。
 「ムール貝でもブルゴーニュ風だ」と、「エスカルゴに一番近い味はこれだ」と。
 ムール貝の時にも、やはり添えられていたバターを食べるためのパン。溶けて殻から溢れた分はこれを使えば一滴残らず食べられるから、と。
(…あのバターは俺のレシピだよな?)
 多分、その筈だと思う。
 確認はしていないけれども、前の自分の舌が「違う」と言わなかったから。エスカルゴバターに使っていた材料、それと同じものは白いシャングリラでもきちんと作っていたのだから。合成品に頼ることなく、ニンニクもパセリも栽培していた。
 材料が揃うならレシピを変える必要は無いし、きっとそのままだっただろう。前の自分が厨房で試作を繰り返しては、ブルーに試食をさせていたエスカルゴバター。
(こいつは、ブルーに…)
 話さなければ、思い出したからにはエスカルゴのことを。エスカルゴバターを作ったことを。
 明日は土曜日だから、あの店に寄って買って行かねば、思い出の味のエスカルゴを。遥かな遠い昔に一度だけ食べた、本物のエスカルゴのブルゴーニュ風を。



 次の日、ブルーの家へと歩いて出掛ける途中に、食料品店で買ったエスカルゴ。少し思案して、一人に六個はブルーにはやはり多すぎだろうと、二人で六個。
(…シャングリラの食堂で出した時にも、一人に三個だったしな?)
 これで充分、と保冷用の袋に入れて貰って、生垣に囲まれたブルーの家までのんびり歩いて。
 門扉を開けに来たブルーの母に袋を手渡した。「昼食に焼いて貰えますか?」と。
 シャングリラの思い出の味なので、と中身を指差して頼んだら。
「…エスカルゴ……ですわね?」
 こんな洒落たお料理があったんですか、シャングリラには?
 生のエスカルゴは、今でも大きな食料品店にしか無いと思うんですけれど…。
 うちの近所では買えませんわ、と目を丸くしているブルーの母。「凄い船ですね」と。
「いえ、それが…。一回だけしか無かったんですがね、本物は」
 ブルー君…。ソルジャーになるよりも前のブルー君が奪って来たんです、輸送船から。
 ですが、エスカルゴバターは定番でしたよ、エスカルゴの評判が良かったもので。
 色々な料理に使われていまして…、とトーストもつけて欲しいと注文した。エスカルゴバターを味わうために、と。
「あら、バゲットではありませんの?」
 バゲットをおつけしようと思っておりましたけれど、トーストですの?
「最初はトーストでしたから。…本物のエスカルゴがあった時には」
 後の時代には、バゲットの出番もあったのですが…。エスカルゴではなくてムール貝でしたが、エスカルゴバターを使っていた貝は。



 そういった話をしてから、ブルーの部屋へと案内されたわけだから。二階の窓から下を見ていたブルーは保冷用の袋にも当然、気付く。それが母の手に渡されたことも。
 母がお茶とお菓子を用意するために部屋を出てゆくなり、桜色の唇から飛び出した質問。
「お土産、なあに?」
 持って来たでしょ、ママに渡しているのが見えたよ。何をくれたの?
「まあ、待ってろ」
 その内に分かるさ、俺からの土産。
 慌てるな、とブルーに返したけれども、母が運んで来たお菓子は手作りだったから。どう見ても土産などではないから、ブルーは首を傾げながら。
「えっと…。ハーレイのお土産は?」
 このお菓子、ママのお菓子だよ。ハーレイのお土産、何処へ行ったの?
「もう少し待て。いずれ出てくる」
 お母さんが忘れちまったとか、自分のお菓子を優先したとか、そういうわけではないからな。
「もしかして、御飯?」
 お昼御飯になるような何かを買ってくれたの、そういうお土産?
「まあな。それだけで腹が一杯になるってヤツでもないが」
 ちょっとしたおかずと言った所か。チビのお前でも、あれだけで腹は膨れそうにないし。
「なんだろう? ぼくでもお腹が一杯にならないようなもの…」
 だけど立派なおかずなんだね、ハーレイが買って来てくれるんだから。
 何処かの名物とか、そういった感じ?
「…名物と言えば名物かもなあ、名前からして」
 誰が聞いてもピンとくるのか、そうじゃないのかは分からんが…。
 それっぽい名前のものではある。
「ふうん…?」
 地名なのかな、それともお店の名前かな?
 聞いただけでも分かる人には分かるんです、っていうのもあるしね、お店の名前。



 名物と聞いて、昼御飯の時間を楽しみにしていたブルーだけれど。
 母が何の皿を運んで来るかと、何度も時計や扉の方を眺めて待っていたのだけれど。昼御飯にと届けられたものは、例のエスカルゴだったから。他はピラフやサラダだったから。
「…エスカルゴ…?」
 ハーレイのお土産、エスカルゴだったの、これを持って来たの…?
「うむ。こいつは思い出の味なんだが?」
 エスカルゴのブルゴーニュ風だ、ブルゴーニュ地方の名物と言えば名物かもしれんな。
 今の時代はどうだか知らんが、地球が滅びてしまう前にはエスカルゴの名産地だったらしいし。
「え…?」
 そんな所のエスカルゴがどうして思い出の味なの、前のぼくは地球を知らないよ?
 ブルゴーニュって、確かフランスだよね?
 前のぼくが生きてた頃には地球は死の星で、フランスも無かったと思うんだけど…。
 そこのエスカルゴを食べたくっても、いろんな意味で食べられなかった筈なんだけど…?



 どうしたら思い出の味になるの、とキョトンとしている小さなブルー。
 まるで忘れてしまっているようだから、「奪って来たろ?」と教えてやった。
「前のお前だ、まだリーダーですらなかった頃だな」
 お前が奪った物資の中にだ、山ほどの冷凍のエスカルゴが混ざっていたんだが…。これと同じでブルゴーニュ風のだ、この貝は何かと前の俺にも謎だった。
 なにしろ見た目がカタツムリだしな、食えるにしたってどうやって料理をするんだか…。
 分からないから招集をかけて、ヒルマンたちと試食したんだが?
 ヒルマンとエラが「エスカルゴだ」と正体を解き明かしてくれて、俺が焼いてみて。
「ああ…! あったね、そういうエスカルゴ…!」
 とっても美味しかったんだっけ、ハーレイが焼いて、一人に二個ずつ。
 エスカルゴも凄く美味しかったけど、バターが美味しかったんだよ。
 お行儀の悪い食べ方をしたよ、エスカルゴの殻とか、お皿からまで食べちゃったんだよ。溶けたバターが零れてたから、お皿の分まで。
「思い出したか? エスカルゴのことを」
 あの時の食べ方をやってもいいぞ。今日はパンもあるが、せっかく思い出したんだしな。
 お母さんに頼んで、食堂で出した時と同じにトーストにして貰ったんだが…。
 食堂じゃ流石に皿からはマズイし、ヒルマンとエラが調べたお蔭でパンで食うのも知ってたし。
「そうだっけね。食堂の時にはトーストがついてたんだけど…」
 ハーレイと最初に食べた時には、ぼくもお皿を舐めちゃってたし…。
 じゃあ、ちょっと…。
 お皿の分はトーストにするけど、殻に残ったバターはそのまま食べてみるね。



 エスカルゴの身を一個、フォークで引っ張り出して食べた後。
 ブルーは殻をヒョイと持ち上げ、中のエスカルゴバターを「美味しい!」と吸っているから。
「気に入ったか? 一人三個って勘定なんだが…」
 俺は昨日に六個食ったし、全部お前にやってもいいぞ。食えるんならな。
「んーと…。六個も食べたら、ピラフを残してしまいそうだよ…」
 でも美味しい、と二個目の殻からエスカルゴバターを吸っていたブルーが「あれ?」と赤い瞳を見開いて。
「…ハーレイ、このバター、作っていたよね?」
 エスカルゴがとっても美味しかったからまた食べたい、っていう仲間が多くて…。
 ぼくが奪って来ようかって言ったら、ブラウが、そこまでしなくてもいいじゃないか、って…。
 それでエスカルゴバターを作るってことになっていなかった?
 美味しいのはエスカルゴバターなんだし、それがあれば、って。
「おっ、思い出してくれたのか?」
 前の俺がせっせと作っていたこと、お前、思い出してくれたんだな?
「うんっ!」
 ハーレイ、厨房で色々と作り方を考えてたっけ…。どれが一番美味しいだろう、って。
 ニンニクやパセリを細かく刻んで、柔らかくしたバターに練り込んじゃって。
 出来上がったら「これはどうだ?」ってパンに塗って焼いてくれていたよね、試食用に。
 前のと比べてどんな風だ、って訊かれたこともあるし、もっとパセリが多い方がいいか、とか。
 エスカルゴバターが完成するまで、何度も食べに出掛けていたよ。
 あのバターを塗ったガーリックトースト、ハーレイと何度も食べたっけね…!



 完成品が出来上がるまでにトーストを何枚食べただろう、と懐かしそうなブルー。
 とても香ばしいトーストが出来ても、ハーレイは納得しないんだから、と。
「あのバター、あれからどうなったっけ…?」
 ハーレイが作ったエスカルゴバター、あの後はどうなっちゃったのかな…?
「定番だったぞ、白い鯨になった後もな」
 ムール貝で好評を博していたと思うんだが…。
 これで作れば同じ貝だから、エスカルゴの味に一番近い、と言うヤツもいて。
 ムール貝のブルゴーニュ風って呼ぶヤツもいたぞ、ムール貝のは。
「そうだっけ…! ムール貝にも使っていたよね、エスカルゴバター」
 あれ、ハーレイのレシピだった?
 ハーレイが作ったエスカルゴバターの味だったのかな、ムール貝で作っていた頃も…?
「多分、そうだと思うんだがな」
 俺の舌は違和感を覚えちゃいなかったわけだし、材料は船に揃っていたし…。
 何か足りないものがあったなら、レシピを変えるってこともありそうなんだが…。
 そうじゃなかったから、俺のレシピのままだろう。
 バターをこれだけ使うんだったらニンニクがこれだけ、パセリはこれだけ、と。
 だが、確認はしていないからな、誰かが変えていたかもしれん。
 もっと美味いのが作れるだろうと工夫したヤツ、絶対に無いとは言えないからな。



 今となっては謎なんだが…、と笑ったら。
 シャングリラの厨房のレシピは残っていないから、自分の目では確かめられないと、「前の俺のレシピのその後はお手上げなんだ」と、軽く両手を広げて見せたら。
「あのレシピ、今でも覚えてる?」
 エスカルゴバターのレシピは、ハーレイの頭に残っているの?
「まあな。単純なもんだし、よく作ってたし…」
 厨房の誰かが書き残していたら、俺のレシピか、そうでないかは一目で分かるな。
「じゃあ、作ってよ」
 今日のお土産は買ったヤツだけど、ハーレイのレシピでエスカルゴバター。
「手料理は駄目だと言ってるだろうが」
 何度言ったら分かるんだ。持って来られるなら、俺だってちゃんと作って来てる。
 エスカルゴを買って持ってくる代わりに、あのバターを持って来てトーストってトコか。
「いつか、食べられるようになった時だよ!」
 ぼくが前のぼくと同じに育ったら、ハーレイの家にも行けるし、食べたいよ。
 ハーレイが作ったエスカルゴバター、こういう味のヤツだったよね、って。
「分かった、腕を奮うとするかな、お前のために」
 ガーリックトーストもいいが、ムール貝のブルゴーニュ風も作ってみないといけないな。
 俺のレシピで作っていたのか、厨房のヤツらが変えちまったのか。
 二人がかりなら謎も解けるだろ、同じ味だったか、違う味だったか。
 …いくら昔のことだとはいえ、こうして思い出せたんだからな。



 いつかブルーにエスカルゴバターを御馳走する。前の自分が作ったレシピで。
 その時には本物の生のエスカルゴも買って来ようか、せっかく地球に来たのだから。青い地球の上にブルゴーニュ地方を名乗っている場所もあるのだから。
「なあ、ブルー。…お前と二人で食おうって時には、本物のエスカルゴのも試してみないか?」
 前の俺たちは冷凍で一回きりだったしなあ、そうじゃないのを。
 生のエスカルゴを買いに行ってだ、そいつでブルゴーニュ風といこうじゃないか。
 ちゃんと今ではブルゴーニュ地方も地球にあるってな、地形はすっかり変わっちまったが。
 エスカルゴのブルゴーニュ風が生まれた時代とは、まるで別物のブルゴーニュだが…。
 だが、地球だしなあ、エスカルゴバターを作るんだったら本物がいいと思わんか?
 でもって、バゲットも用意して、溶けたバターをそいつで食べて。
「本物のエスカルゴでハーレイが作るの? ブルゴーニュ風を?」
 凄く楽しみ、ムール貝のブルゴーニュ風とか、ガーリックトーストも楽しみだけど…。
 前のハーレイのレシピで本物のエスカルゴのブルゴーニュ風が食べられるなんて、夢みたい。
 …そんなの、想像もしていなかったよ、前のぼくは。
「だろう? 今度は二人で工夫するかな、エスカルゴバターを使った料理」
 前の俺の時は俺が一人で考えていたが、今度はお前と一緒に暮らすんだしな。
 どんどんアイデアを出してみるといいぞ、こんな料理はどうだろう、とな。
「もちろんだよ!」
 ハーレイ、料理が得意なんだし、無茶を言っても作ってくれそう。
 これのエスカルゴバターがいいよ、って凄くとんでもないのを頼んでも。
「おいおい、とんでもないヤツってか…」
 好き嫌いが無いのは知っているがだ、変なのは勘弁してくれよ?
 流石に刺身には合いそうにないんだからなあ、エスカルゴバターっていうのはな。



 刺身は駄目だ、と言ったけれども、やってやれないこともない。
 生の魚では合わないけれども、ソテーしたならエスカルゴバターも合いそうだから。
 ブルーが無茶を言うのも楽しいし、自分で無茶をしてみるのもいい。
 「前の俺なら、これは有り得ん」と思う食材が山ほど溢れているのが今だから。
 前の自分がブルーと二人で作ったエスカルゴバターのレシピ。
 それを使って、きっと色々な料理が出来る。
 青い地球の上で、美味しいエスカルゴバターを使って、幾つも、幾つも。
 ブルーと一緒に味見してみては、「これは美味いな」と得意料理に加えていって…。




            エスカルゴの味・了

※前のブルーたちが一度だけ食べたエスカルゴ。そこから生まれた、エスカルゴバター。
 シャングリラで受け継がれた前のハーレイのレシピ、今度は青い地球で味わえそうです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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