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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

青い薔薇

(んーと…)
 綺麗なんだけど、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、おやつの時間に。
 ダイニングのテーブルで何気なく広げてみたのだけれども、そこに青い薔薇。神秘的な青を身に纏った花。幾重にも重なり合った花弁がそれは美しく、完璧と言っていい形の薔薇。
 写真に写っているのは一輪、たった一輪で人を魅了する。気品に満ちた薔薇ならでは。
(とっても綺麗…)
 遥かな遠い時の彼方で、前の自分が夢見た地球の青いケシの花。人を寄せ付けない高い峰にだけ咲くという青に焦がれ続けた、いつか青いケシを地球で見たいと。その青を思わせる青い薔薇。
 けれど、記事には「幻」の文字。
 写真の薔薇は遠い昔に花開いたもので、本物の花はとうの昔に咲いて散った後。
 だから幻、青い薔薇はもう見られないから。



(今は無いんだ…)
 本当に青い薔薇の花。気高く青く咲き誇る品種。
 この新聞に載っているような薔薇は何処にも無いという。広い宇宙を捜し回っても、様々な手を尽くしたとしても、青い薔薇の花には出会えない。
 白い薔薇に青い色水を吸わせて染めた青なら、扱っている花屋もあるらしいけれど。
(…青い薔薇、宇宙から消えちゃった…)
 SD体制が始まるよりも遠い昔に、一度は完成した青い薔薇。人は青い薔薇を愛でていた。青い色水を与えなくても、最初から青く咲く薔薇を。
 けれども、その青は今は幻。こんな写真でしか残っていない。青い薔薇は普通の方法で生まれた花ではなかったから。何度もの交配を繰り返して出来た、自然の青とは違ったから。
 青い色素を持っていない薔薇。青くするには青い色素を持たせればいい、と考えた遠い遠い昔の研究者たち。青い薔薇の花は、彼らの研究室から生まれて来た。薔薇の愛好家の庭ではなくて。
 SD体制の時代の人間たちが人工子宮から生み出されたように、青い薔薇は研究室で生まれた。人が組み込んだ青い色素を作るための遺伝子、それを抱いて。
(普通の薔薇じゃないんだ、これ…)
 まさしく創り出された薔薇。人間の手で、自然の摂理を歪めて。
 そういう花なら、今は無いのも頷ける。
 前の自分たちがリスとネズミから創り出した生き物、ナキネズミ。彼らの姿も宇宙から消えた。繁殖力が衰えていって、最後の個体が死んでしまって。
 ナキネズミをどうやって創り出すのか、繁殖力を保つためにはどうすればいいか。データは充分あったけれども、人間はそれを使わなかった。
 人が手を加えすぎた生き物は、後世に残すべきではないから。自然の摂理は守るものだから。
 それを守らなかった人間たちのせいで、地球は滅びてしまったから。
 青い薔薇の花も、青い毛皮を纏ったナキネズミたちも、残さないことを選んだ新しい時代。人は自然に従うべきだ、と。



 そうやって消えた青い薔薇。もう見られない神秘の青。
 SD体制の時代には幾つもあったという。様々な花の形や咲き方、創り出した人や施設の名前をつけられた青い薔薇の品種が。
 薔薇園があれば、当たり前のように青い薔薇の花。公園にも、個人の庭にも咲いていた青。前の自分が生きた時代は、青い薔薇が溢れていた時代。
(…前のぼくは…)
 本物の青を見てる筈だよ、と思ったけれども、記憶に無い。青い薔薇の花は。神秘的な青は。
 首を捻って、遠い記憶を探ってみる。白いシャングリラにあった公園。ブリッジが見える大きな公園、居住区に幾つも鏤めてあった小さな公園。
 端から思い浮かべてみるのに、青い薔薇を見た覚えがない。ただの一輪も。
(青い薔薇、咲いていなかったわけ?)
 前の自分が長く暮らしたシャングリラには。白い鯨の公園には。
 あちこちの公園で四季咲きの薔薇たちが咲いていたのに。
 愛でるだけではもったいないから、と萎れてきた花で薔薇の花のジャムを作った女性たちもいた船なのに。大勢の仲間たちが薔薇を眺めて、姿や香りに癒されていた筈なのに…。



 あれだけ沢山の薔薇があったら、青も混じっていそうなもの。今の時代は幻の青。
 どうして記憶に無いのだろうか、と不思議に思いながら食べ終えたおやつ。キッチンの母に空になったお皿やカップを渡して、部屋に戻って、引っ張り出したシャングリラの写真集。ハーレイとお揃いの豪華版。順にページを繰ってゆくけれど…。
(やっぱり無い…)
 公園の写真はルーペで拡大出来る仕様で、細かい所までよく見える。花壇を彩る花の種類も。
 もしかしたら、と端から端まで拡大してみても、青い薔薇の花は写っていない。ごくごく普通の薔薇があるだけ、赤やピンクや黄色や白や。いくら探しても、見付からない青。
 どおりで記憶に無かったわけだ、とついた溜息。
 シャングリラで咲いていなかったのなら、青い薔薇など知らないだろう。
(…前のぼく、奪い損なった?)
 青い薔薇の苗を奪い損ねてしまっただろうか、人類の世界の育苗施設や種苗店から。
 それとも栽培が難しかったろうか、楽園という名の宇宙船の中では。
(…そういうことも…)
 あったかもしれない、人工的に創り出された薔薇だから。
 高い峰にしか咲かない青いケシと同じで、気難しい花。簡単には育てられない品種。
 きっとそうだろうとは思ったけれども、青い薔薇の方に問題があったと思うけれども。
(奪い損ねた方なら嫌だな…)
 前の自分の力が及ばず、手に入れられなかった方だったら。
 青い薔薇が欲しいと皆が願ったのに、叶えられなかったソルジャーだったら情けないから。



 白いシャングリラが完成した時、人類から物資を奪って生きる生活から自給自足に切り替えた。全てを船の中だけで賄い、二度と奪わない生活へと。
 そのために必要な植物や動物、そういったものを調達したのが前の自分で、最後の略奪。人類の施設や農場などから奪って持ち帰り、それを育てた。
 薔薇もリストに入っていたから、苗木を幾つも奪った筈。赤い花のや、白い薔薇やら。
(…青も入っていた筈なのに…)
 奪って来たなら、育てる過程で失敗するとも思えないのに、公園には無い青い薔薇。
 こうなった理由をハーレイに訊きたい、どうして青い薔薇が無いのか。
 前の自分が奪い損ねたせいで青い色の薔薇が無かったのなら、仲間たちに悪いことをしたから。
 写真だけでも魅せられてしまった神秘の青。
 それを見たいと願っただろう、白いシャングリラの仲間たちに申し訳ない気持ちだから。



 奪い損ねた方ではなくて、宇宙船の中では育てられない品種だったと思いたい。気難しい薔薇はとても無理だと、誰かが言ったという方がいい。
 前の自分の失敗よりは…、と考えていたら、来客を知らせるチャイムが鳴った。窓に駆け寄って見下ろしてみれば、門扉の向こうで手を振るハーレイ。これはチャンスだと振り返した手。
 ハーレイが部屋まで来てくれた後に、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで問い掛けた。
「あのね…。ハーレイ、青い薔薇の花、知っている?」
 綺麗な青い花が咲く種類の薔薇のことなんだけど…。
「青い薔薇か…。たまに染めたのを売っているよな」
 花屋の店先で見たことはあるが、あの青い薔薇がどうかしたのか?
「それじゃなくって、本物の青いの…」
 染めた青だと偽物でしょ?
 元は白とかで、青い薔薇じゃないよ。
「はあ? 要は青けりゃいいんだろうが」
 本物も偽物もあるもんか。青い薔薇と言ったら、青い色水を吸わせて青くしたヤツだ。
「だから、本物の青い薔薇だってば!」
 染めなくっても咲いた時から青い薔薇だよ、きっと蕾も青いんだよ。
 だって元から青いんだから。そういう色をした花が咲く薔薇で、青い花しか咲かないんだから!



 新聞に写真が載っていたよ、と説明をした。神秘的な青い色の薔薇。
 今の時代は幻だけれど、前の自分たちが生きた頃には本物が咲いていたらしい、と。
「ホントのホントに青い薔薇だよ、とっても綺麗な写真だったよ」
 でもね…。今は何処にも無い薔薇だって。
 ナキネズミと同じで、人間が手を加えすぎてて、だから残らなかったって…。
「そういや、そうだな」
 青い薔薇ってヤツは人工的に創り出された品種だった筈だ。青い色素を組み込んでな。
「…ハーレイ、そこまで知ってたの?」
 薔薇には青い色素が無いって、そんなトコまで。
「今、思い出した。…今まで綺麗に忘れていたが…」
 そいつを聞いたら思い出したぞ、ヒルマンには先見の明があったってことを。
「え…?」
 なんでヒルマンの名前が出て来るの、ヒルマンが薔薇の係だった…?
「いや。それにシャングリラには無かったぞ。青い薔薇なんぞは一本もな」
 ヒルマンのお蔭で、青い薔薇だけは無かった船だ。
 他の色の薔薇は揃っていたがだ、青は要らないということでな。



 青い薔薇は最初から要らないものだった、とキャプテンだったハーレイが断言したから。
 どうやらヒルマンの指示らしいから。
「青い薔薇…。前のぼくが奪い損なったんじゃないの?」
 人類の世界から薔薇の苗を色々奪って来た時、青だけは奪い損なったとか…。
「それで青い薔薇と言っていたのか?」
 シャングリラの写真集を見ていたようだが、青い薔薇が咲いていないと気付いて。
「うん…。前のぼくが奪い損なったんなら、みんなに悪いことをしたと思って…」
 あんなに綺麗な花が咲く薔薇なのに、シャングリラには咲いていなかったなんて。
 育てるのが難しいから無かったんなら仕方ないけど、前のぼくのせいで無かったのなら。
「それは逆だな、あの薔薇は無い方が良かったんだ」
 いくら綺麗な花が咲こうが、シャングリラに青い薔薇は要らない。
 そう言い出したのがヒルマンだったし、青い薔薇は植えずに終わったってな。
「なんで?」
 とても綺麗な花なのに…。写真で見たって、ビックリするほど綺麗だったのに。
「不自然だからだ、青い薔薇の花は」
 覚えていないか、ヒルマンたちと会議をやってた時のこと。
 白い鯨に改造した船に何を植えるか、何度も会議をしていた筈だが…。その中の薔薇だ、薔薇の品種は沢山あるから、どれにするかを決めた会議だ。
 何色がいいとか、どういう形の花が咲くのがいいだろうか、とかな。
「…そっか、あの時にやった会議で…」
 青は要らないって決まったんだっけね、シャングリラには。
 他の薔薇は色々あってもいいけど、青だけは植えないことにしよう、って。



 蘇って来た、遠い遠い記憶。前の自分がソルジャーとして出席していた会議の席。
 前のハーレイと、長老の四人。最終決定権を持った六人が集った会議。
 薔薇を植えることは既に決まっていたから、次は植えるべき薔薇の選択。色々な品種が存在するだけに、最終的には候補の中から船の仲間たちが投票で決めることになったのだけれど…。
「青い薔薇だけはやめておこう」
 他の色はともかく、青だけは…、と色そのものを候補から外そうとしたヒルマン。
「なんでだい?」
 青はソルジャーの名前の色じゃないか、とブラウが即座に噛み付いた。
 どうして駄目なのか分からないねと、青い薔薇ばかりでもいいくらいだよ、と。
「ソルジャーの名前の色と言われれば…。確かに青はブルーなのだが…」
 そういう意味では、青い薔薇も悪くはないのだがね…。
 しかし、青い薔薇の歴史を考えてみると、私はどうも気が乗らない。
 青い薔薇の花言葉は「不可能」だと言われていたのだよ。遠い昔には。
「不可能じゃと?」
 それはどういう意味なんじゃ、とゼルが訝り、他の者たちも。…ただ一人、エラを除いては。
「早い話が、出来ないという意味のことだね」
 どう頑張っても、青い薔薇の花は作れない。
 人間が努力に努力を重ねても、青い薔薇は生まれなかったのだよ。



 薔薇を愛する人はもとより、研究者までが創り出そうと挑戦したのが青い薔薇。
 けれども、青い色素を持たなかった薔薇は、青い花を咲かせはしなかった。どう頑張っても紫に見える花が限界、自然からは生まれて来なかった青。
「その薔薇を青くしてしまった頃から、地球は壊れていったと言うね」
 自然の力では作れない青を、人間が薔薇に持たせた頃から。
「そうなのかい?」
 ぼくは薔薇の歴史に疎いのだけれど、青い薔薇の花が出来た頃から、地球は滅びに向かったと?
「ええ。そのようです、ソルジャー」
 エラも肯定した、青い薔薇の誕生と地球の自然が壊れ始めた時期との一致。
 交配を繰り返しても青い色の薔薇は作れないから、と人間たちは薔薇に青い色素を組み込んだ。遺伝子を弄って、まるで神のように。
 そうして生まれた本当に青い花の薔薇。不可能という花言葉を与えられていた筈の奇跡の薔薇。人は神秘の青に魅せられ、幾つもの品種が生まれたけれども、地球は青さを失っていった。
 本当だったら、薔薇と同じに青い筈の地球。青い薔薇には「地球の青」という名の品種まで存在したというのに、その青が消えていった地球。
「…青い薔薇に吸われちまったのかい?」
 青い色を、と瞬きしたブラウ。偶然とはとても思えないから、と。
「そうではないがだ、人間が驕りすぎたのだよ」
 不可能を可能に出来たくらいの技術があれば、と人間は思い上がってしまった。
 出来ないことなどありはしないと、何でも人の意のままになると勘違いをしてしまったのだね。



 まるで万能の神になったかのように、驕り高ぶってしまった人間たち。
 青い薔薇までも創り出せた時代、自然そのものも変えてしまえると誰もが考え、実行した。人に都合がいいように。住みたい所に住めるようにと、川の流れも変えてしまって。
 そうやって綻び始めた地球。歯車が狂い、軋み始めた地球が持っていた本来の力。
 毒素を洗い流してくれる筈の水は、毒の水へと変わっていった。毒の水は母なる海に流れ込み、海までが毒に変わってしまった。大気も汚染され、木々も草も窒息し始めた地球。
 テラフォーミングの技術は進んでいたのだけれども、愚かな人間たちの力は、滅びゆく地球にはもはや通用しなかった。
 青い薔薇の新しい品種は創り出せても、青い地球を取り戻すことは出来なかった学者や研究者。
 彼らは諦めるしかなかった、地球をもう一度青くすることを。
 自分たちの力では不可能なのだと、青い薔薇の花言葉を地球に重ねるより他には無かった。
 地球の青さを取り戻すためには、人間の方が変わるしか道は無いのだろうと。
 自分たちの代わりに、地球を蘇らせるための人間と世界が必要だろうと。
 彼らはSD体制を敷くことを決めて、地球を離れざるを得なかった。地球も人間も、何もかもを機械に任せる世界。
 そうして人類は地球を離れて、古い世代は滅びていった。機械が人工子宮から生み出す、新しい時代の人間たちに全てを託して。
 遠い何処かへ旅立って行った、彼らのその後は分からないという。何処を目指したか、どの星で最後の人間が命尽きたのかも。



 地球の滅びは、青い薔薇から始まったわけではないけれど。
 青い薔薇が地球の青さを吸い取ったわけではないのだけれども、人の驕りが生み出したのが青い薔薇。遠い昔には「不可能」の花言葉を持っていた花、青い色素を持たなかった薔薇。
「…そういう薔薇を植えるというのは、どうかと私は思うわけだよ」
 美しいことは認めよう。…しかし、私には不自然に見える。今はありふれた青い薔薇でも。
 最初の生まれが不自然だったと知っているからか、この船には植えたくないのだよ。
 シャングリラの中の自然は人工的に作るしかないが、だからこそ。
 我々の手で作るしかない楽園だからこそ、自然が息づく船にしたいと思わないかね。
 人が創った青い薔薇が無い、自然な世界。本来の色の薔薇だけしか無い、温かい船に。
「そうかもねえ…」
 ヒルマン、あんたの言う通りかもしれないね。
 綺麗だからって、青も欲しいと無理やり自然を捻じ曲げたのが青い薔薇ならね…。
 青い薔薇はやめた方がよさそうだねえ、とブラウが頷き、前の自分も頷いた。前のハーレイも。もちろん、ゼルも。



 そうして決まった、青い薔薇を導入しないこと。
 植える薔薇の品種の候補を書き出して皆が投票した時、当然のように出て来た質問。青い薔薇が一つも無いのは何故かと、これでは片手落ちではないかと。
 ヒルマンは会議の時にしたのと同じ説明をしてから、こう問い掛けた。
 「それでも欲しいと言う者があれば、もう一度、会議をしてみるが…。どうするかね?」と。
 欲しい者は手を、と挙手を促した声に、一つも挙げられなかった手。
 シャングリラで暮らす仲間たちは皆、青い薔薇の無い船の方がいいと考えていた。美しさだけで選んだのでは駄目だと、中身まで見て選ばねば、と。
 青い薔薇は全員一致で植えないことになり、青以外の薔薇が選ばれた。赤やピンクや、白い花。薔薇が本来持っていた色、それを宿した薔薇ばかりが。
 前の自分が選ばれた薔薇の苗を奪って、立派に育った白いシャングリラの薔薇の数々。四季咲きだったから、薔薇の花はいつでも咲いていた。船の何処かで。青以外の薔薇が。
 アルテメシアで救い出して船に迎えた子供たちには「青色が無い」と何度も言われたけれども、その度にヒルマンが丁寧に教えた。子供たちにも理解できるよう、分かりやすく。
 「この船には必要ない花なのだよ」と語り聞かせたヒルマン。
 青が欲しいなら薔薇の代わりに地球へ行こうと、地球の青こそが本物の青い色なのだと。



 薔薇の花も咲いていた楽園だったけれど、青い薔薇が無かったシャングリラ。
 前の自分が奪い損ねたせいではなかった、それは要らない色だった。
「そっか、青い薔薇…」
 シャングリラには要らない花だったんだね、いくら綺麗でも。
 ブラウが「全部青でもいいくらいだよ」って言っていたって、青は要らない色だったんだ…。
「うむ。前のお前は奪い損なったんじゃなくて、奪わなかっただけだ」
 最初からリストに入っちゃいなかったんだな、青い薔薇は。
 他の色だと、けっこう細かい指定があったような記憶もあるが…。この品種がいい、って具合で色々とな。花が綺麗だとか、香りがいいとか。
 しかし、青だけは必要なかった。
 前のお前は買い物に出掛けたわけじゃないから、そういう機会は無かったろうが…。
 「お買い得です」と青い薔薇がセールになっていたって、財布の紐を緩めはしない、と。
 いくら安くても要らない色では、安物買いの銭失いってヤツになっちまうからな。
「ふふっ、青い薔薇のバーゲンセールなんだ?」
 十本纏めてこの値段です、って書いてあっても、買って帰ったら叱られるんだね、ヒルマンに。
 青い薔薇なんかは頼んでないのに、無駄な買い物をしちゃって無駄遣いだ、って。



 前の自分は薔薇の苗を奪って帰ったけれども、買っていたならバーゲンセールもあったろう。
 青い薔薇がグンと安い時とか、他の色の薔薇とセットで割引になるような時だとか。
 それに釣られて買ってしまうとは思わないけれど、買っていたらきっと叱られた。ソルジャーに向かってヒルマンが怒った、「無駄遣いだ」と。
 想像してみて愉快な気分になったのだけれど、その青い薔薇。店はともかく、苗を奪いに入った場所でも、その他の場所でも…。
「…ハーレイ…。ぼく、青い薔薇を見た記憶が無いよ」
 苗を奪いに行った時には、青い薔薇もあった筈なのに。リストを見ながら「これと、これ」って感じで確認してたし、薔薇の花は山ほど見てたのに…。
 だけど、青いのを見ていないんだよ、絶対にあったと思うんだけど…。あれだけの薔薇が揃った場所なら、青が無い筈がないんだけれど。
 それにね、他の所でも同じ。
 前のぼくはアルテメシアに何度も降りたり、サイオンで様子を探ったりしてた。公園も、色々な施設なんかも。
 その時に「薔薇が咲いてるな」って思った記憶は確かにあるのに、青い薔薇の花、知らないよ。
 見たことがないとは思えないけど、ホントに覚えていないんだよ…。
「神様が消して下さったんだろうさ」
 前のお前が何処かで見ていた青い薔薇。
 ずうっと昔にヒルマンが言ってた通りになったからなあ、自然な世界を取り戻すために。
 本物の青い薔薇はもう何処にも無いんだ、二度と作られることもない。
 だから余計な記憶ってヤツだ、青い薔薇のことを覚えていたら。
 今の時代を生きてゆくには要らないものだし、神様が消して下さったんだと思うがな…?



 生まれ変わってくる時に、と微笑むハーレイ。
 青い薔薇の無い世界に向かって旅立つのだから、余計なものは忘れてしまえ、と。
「そう思わないか? …今の俺たちには要らないものだぞ、青い薔薇は」
 覚えていたって、欲しくなったって、買いにも行けやしないってな。
 もう一度見たいって気分になっても、お前が見付けた写真くらいしか無いってヤツだし。
「じゃあ、ハーレイも青い薔薇は…」
 覚えてないわけ、青い薔薇の花。
 前のぼくたちはシャングリラに植える薔薇のことで会議もしたのに、あの頃には青い薔薇の花が普通に存在してたってことを…?
「お前があったと言い出さなければ、あったことすら忘れてたろうな」
 今の俺にとっては青い薔薇は色水で染めたものだし、それしか知らん。それで全部だ。
 もっとも、前の俺にしたって、データで見たっていうだけだが。
 シャングリラに植えてはいなかったんだし、本物の青い薔薇ってヤツには出会っていない。
 お前は確かに本物を何処かで見てたんだろうが…。
 薔薇の苗を奪いに出掛けた時もそうだし、アルテメシアに降りた時にも。
「そうだよねえ…?」
 前のぼくが見てない筈がないよね、青い薔薇が咲いている所。
 やっぱり神様が消してしまったのかな、それは余計な記憶だから、って。
 綺麗だったからもう一度、って探しに行っても、本物にはもう会えないんだし…。
 ずうっと昔はこういう薔薇がありました、っていうデータだけ。
 ヒルマンが言ってた「地球の青」とか、絶対、前のぼくは探していたと思うんだけど…。
 何処かで偶然見付けたりしたら、「これがそうか」って、前に立って飽きずに眺めていそう。
 フィシスの水槽の前に立ってた時と同じで、地球を見ているつもりになって。



 前の自分が生きた時代は、存在していた青い薔薇。本当に青い薔薇の花。
 色水を吸わせて染めるのではなくて、蕾の時から青く咲くのだと約束されていた青い薔薇。青い色素を持っていた薔薇。人の手でそれを組み込まれて。
 ヒルマンが語った「地球の青」という品種は、是非見たかった。
 白いシャングリラに持ち帰ることは出来ない花でも、その名前だけで何時間でも佇めただろう。青い薔薇の前に。「地球の青」と呼ばれる青を見詰めて。
 きっと自分は探していたに違いない。
 地球の高い峰に咲くという青いケシに焦がれていたほどなのだし、「地球の青」と名付けられた青い薔薇の花を、きっと。青い薔薇が咲いているのを見たなら、「地球の青」は無いかと。
 憧れの青に出会うためにだけ、薔薇園に降りもしただろう。多くの品種が咲く薔薇園なら、その青もきっとあるだろうから。「地球の青」を育てているだろうから。
 前の自分の力があったら、見付けていない筈がない。目指す青色を、「地球の青」を。
 そうでなくても、アルテメシアを探っていたなら、何処かで見た筈の青い薔薇。「地球の青」の他にも、様々な品種の青い薔薇を前の自分は見たのだろう。
 花びらの先がツンと尖ったものやら、こんもりと丸く咲くものやら。幾重にも重なった花びらが重たそうな薔薇やら、引き締まった印象を受けるものやら。
 けれども、記憶に全く無い薔薇。
 ほんの小さな欠片さえも失くしてしまっているらしい、前の自分が見た筈の薔薇。
 新聞で写真を眺めた時にも、「あれだ」と思いはしなかったから。
 綺麗だと見入って、今の時代は無いらしいと知って、驚いていた程度だから。
 あれほどに神秘的な青なら、きっと記憶にある筈なのに、と。



 青い薔薇を忘れてしまった自分。わざわざ探しに出掛けただろう、「地球の青」さえも。
 データでしか知らないハーレイが忘れてしまったのなら分かるけれども…、と思った所でハタと気付いた。そのハーレイも本物の青い薔薇に出会っていたのでは、と。
「ねえ、ハーレイ…。青い薔薇、ハーレイも本物を見ていたんじゃないの?」
 ノアとかでシャングリラの外に出たんなら、青い薔薇、咲いていそうだけれど…。
 アルテメシアを落とした後にも、ハーレイは外に出ていたんでしょ?
 何処かで見てると思うんだけどな、本物の青い薔薇の花が咲いているのを。
「うーむ…。お前だけじゃなくて、俺も見ていたのか?」
 見たのにすっかり忘れちまったと言いたいわけだな、前の俺の方も。
 …薔薇の花なら、お前が言う通りに、あちこちで見た。通り掛かった公園とかにも、ジョミーと出掛けたユニバーサルだのパルテノンでも、薔薇は咲いてた筈なんだ。
 ついでに、星を陥落させたら、降伏して来た人類が歓迎の席を設けていたことも多かったし…。
 そういう席には必ずあったな、薔薇をドカンと生けた花瓶やら、そういったもの。
 一色で纏めたヤツばかりじゃない、色々な色の薔薇を生けてた花瓶もあった。
 俺はそいつを見ていた筈だし、「薔薇があるな」と思った記憶もきちんとあるんだが…。



 しかし…、とハーレイが考え込んでいるから、やはり、と思って訊いてみた。
「でも、ハーレイにも青の記憶は無いんだね?」
 青い薔薇の花を見たっていう記憶は、一つも残っていないんだ…?
 沢山の薔薇を見てたんだったら、青も混ざっていた筈なのに。
「そのようだ。…いくら考えても思い出せんと来たもんだ、これが」
 前のお前を失くしちまって、とっくに魂は死んでたわけだが、それと記憶は別問題だ。何処かで青い薔薇を見たなら、欠片くらいは残るだろう。眺めて通り過ぎただけでも、「青かった」と。
 薔薇を見たって記憶はあるのに、青い薔薇を覚えていないとなると…。
 お前と同じで、神様が綺麗に消して下さったんだろうな。
 青い薔薇なんかは見てもいないと、そんな花には出会っていないと。
「…ハーレイも忘れちゃったってことは、あったらおかしいものだから?」
 今の時代にあるわけがなくて、存在してはいけないもの。
 青い薔薇はそういう花だったから、ぼくもハーレイも忘れてしまったのかな…?
「多分な。神様の粋なお計らいってヤツだ」
 存在しないものに執着しないようにと、綺麗サッパリ記憶から消して下さったってな。
 お前の記憶に残ってた場合、お前、探そうとしないか、それを…?
「んーと…。普通の青い薔薇だったら、今は無いんだ、って素直に諦めそうだけど…」
 ちょっと危ない薔薇があるかな、ヒルマンが言ってた「地球の青」っていうヤツ。
 そういう名前の青い薔薇があるって聞いていたから、前のぼくが探していそうなんだよ。
 もしも何処かで見付けていたなら、絶対、飽きずに見ていそう…。地球の色だ、って。
 その記憶が今も残ってたんなら、ハーレイが言うみたいに探すと思う…。
 今は無いんだって分かっていたって、何処かにサンプルが残っているんじゃないか、って。



 諦め切れずに探しそうな薔薇が「地球の青」。前の自分が見ただろう花。
 今でも青いケシの花を見たいと思っているのと同じに、「地球の青」も見たいと探しただろう。今はもう無い花と分かっても、もしかしたら、と懸命に。
 そうならないよう、神は記憶を消し去ってくれた。青い薔薇を目にした記憶を全部。
 今の時代には、青い薔薇は存在しないから。作られることも二度と無いから。
 遠い昔に、ナキネズミが絶滅したのと同じで、今の自分は決して会えないものだから。
 でも…。
「ハーレイ、ぼく、ナキネズミは忘れてないよ?」
 青い薔薇みたいに、前のぼくたちが作った生き物だったのに。
 今の時代は、ナキネズミはもう二度と生まれて来ないのに…。
 だけど、ナキネズミの記憶はきちんと残ったままだよ、探したって会えっこないんだけどな。
 青い薔薇みたいに忘れていたって、ちっとも不思議じゃないんだけれど…。
「それは違うだろ、ナキネズミは青い薔薇とは全く違うぞ」
 青い薔薇は人間の我儘から生まれた花なんだ。見た目が綺麗だというだけでな。あれが無くても誰も困らん、色水で染めた青い薔薇があれば充分だ。
 だが、ナキネズミは見て楽しむためのものじゃない。
 作ろうと思った理由ってヤツはなんだった?
「んーと…。思念波を上手に使えない子供をサポートするためで…」
 だからジョミーにも渡しておいたよ、ナキネズミ。
 シャングリラに直ぐに馴染めなかったら、ジョミーをサポートしてくれるしね。
「ほら見ろ、ナキネズミは役に立つ上に、大切な生き物だったんだ」
 前の俺たちの船には必要な生き物だったし、観賞用の青い薔薇とは違うってな。
 だから忘れてしまわないわけだ、今の時代には要らないものでも。
 お前も俺も忘れないのさ、青い薔薇をすっかり忘れちまった俺たちでもな…。



 ナキネズミのことは覚えているのに、二人揃って忘れてしまった青い薔薇。
 白いシャングリラには無かった色の薔薇の花。
 蘇った青い地球のある宇宙に、もう青い花が咲く薔薇は無い。
 前の自分が探しただろう、見ていただろう「地球の青」という名前の青い薔薇も。
 青い薔薇は時の彼方に消えてしまった、人の手が自然を歪めて創り出した花は。
(…青い薔薇、もう無いんだね…)
 その花が幾つも咲いていた時代に生きていた筈の、自分たちの記憶の中にさえ。
 写真を見てさえ思い出せない、今は幻となった薔薇。
 今の時代の薔薇の色には、青は無いのが当たり前。青い薔薇はもう何処にも無い。
 遠い昔にヒルマンが「要らない」と言った通りに、失われた青。
(…地球の青と引き換えになっちゃった…?)
 そんな気もする、青い薔薇の青は青い地球へと還って行ったと。
 前の自分が飽きずに眺めた、「地球の青」が纏っていた青も。
 青い薔薇の色が地球に戻って、蘇った青い水の星。
 其処に青い薔薇はもう無いけれども、惜しい気持ちは起こらない。
 本物の地球の青を自分は手に入れたから。
 ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、幸せに生きてゆけるのだから…。




             青い薔薇・了

※地球が滅びに向かった時代に、完成していた青い薔薇。「地球の青」という品種までが。
 けれど今では失われていて、ブルーもハーレイも覚えていない、白い船には無かった薔薇。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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